七色灯が、三つ売れた。
その翌日。
「南との道、もう少し整えたいんだけど」
ロゼが言った。
ユトは地脈の測定記録から顔を上げる。
「交易路でしょうか」
「うん。人も荷物も増えてきたし。今の道でも通れるけど、荷車だと面倒なところが結構あるんだよね」
「良いと思います」
「じゃ、行こうエドナ」
「なんでワタシまで」
少し離れた場所で本を読んでいたエドナが、嫌そうに顔を上げる。
「地ならしとかお願い」
「面倒ね」
「崩れそうな場所も見てほしいんだよ。あたしには分かんないし」
「……仕方ないわ。手伝ってあげる」
「ありがと」
ロゼは立ち上がった。
「じゃ、何日か空けるね」
「分かりました」
ユトは記録用紙へ戻る。
ロゼが足を止めた。
「行ってくるよ?」
「お気をつけて」
「うん」
今度こそ二人は出発した。
***
数日後。
「ただいまー」
「お帰りなさい」
ロゼとエドナが戻ってきた。
「だいぶ通りやすくなったよ。全部どうにかしたわけじゃないけど、荷車で引っかかる場所は減った」
「ありがとうございます」
「エドナがすごかった」
「危ない場所を教えただけよ」
「地面も直してくれたじゃん」
「少しね」
ユトは紙を取った。
「どの区間を変更しましたか?」
「やっぱり聞くよね」
「記録した方が良いと思います」
「地図貸して」
ロゼが机の横へ座った。
南へ続く道。
ぬかるみやすい場所。
車輪が取られやすい場所。
休憩に使える水場。
斜面が崩れやすく、既存の東側迂回路を使いやすくした場所。
ロゼが説明し、エドナが時々訂正する。
ユトは一つずつ書き込んだ。
「これで南から荷物は来やすくなると思う」
「七色灯の輸送にも使用できますね」
「もちろん。それだけじゃないけどね」
「はい」
研究資材も来る。
食料も来る。
人も来る。
その程度の認識だった。
***
それから、手紙が増えた。
以前は、セルディアまで来る者が偶然持ってきたり、何人もの旅人を経由して届いたりしていた。
今も人づてであることに変わりはない。
ただ。
「セルディア行くのか?」
「ああ」
「じゃ、これ頼む」
「南へ戻るなら、こっちも持ってってくれ」
そんなやり取りが、いつの間にか当たり前になっていた。
ある日の昼。
荷車を引いた商人が、第一調査拠点の前で止まった。
「導師ユトってのは、あんたか?」
「はい」
「手紙。途中で預かった」
束になっている。
ユトは受け取った。
「ありがとうございます。どちらを経由しましたか?」
「え?」
「この手紙がセルディアへ到達した経路です」
「そこから聞くの?」
ロゼが横から割り込んだ。
「読む前に調べるのやめなって」
「経路を忘れる可能性があります」
「手紙は逃げないから」
「分かりました」
ユトは手紙を置いた。
「では、どちらから?」
「結局聞くんじゃん」
商人は笑いながら、覚えている範囲で経路を話してくれた。
南部の集落。
移動中の一団。
季節市場へ向かう商人。
そこからセルディアへ来る荷車。
一つの決まった郵便路ではない。
それでも。
『セルディア宛』
と分かれば、誰かが次の誰かへ渡す。
以前より明らかに届きやすくなっていた。
ユトは記録する。
『南部―セルディア間において、人員移動を利用した通信物の中継が安定化しつつある』
「郵便屋さんできた?」
ロゼが聞いた。
「いいえ」
「でも届く」
「はい」
「じゃあいいじゃん」
「現時点では」
「出た」
***
手紙の一つは、アリーシャからだった。
公務について。
ハイランド側の状況について。
ユトが以前送った、スラガの行政制度に関する報告への所感。
そこまでは問題なかった。
最後の数行で、ユトの手が止まった。
『あなたがセルディアでしていることを聞いて、以前のことを思い出しました。
私は、今も自分の夢を追っています。
ユト様。
貴方は私の地図です』
ユトは読み返した。
一度。
二度。
三度。
それから顔を上げる。
「デゼルさん」
「なんだ」
「これはどういう意味でしょうか?」
手紙を示す。
デゼルが読む。
「比喩だな」
「はい。私は地図そのものではありません」
「アリーシャさんは私に何を伝えたいのでしょうか」
「それ以上は知らん」
「そうですか」
ユトは少し考えた。
返事を書く。
『お手紙ありがとうございます。
「貴方は私の地図です」との記述について、意図を正確に理解できませんでした。
可能であれば、具体的に説明していただけると助かります』
ロゼが横から覗いた。
「聞くんだ」
「はい」
「もうちょっとこう、自分で考えてみようとかないの?」
「誤った推測をするより、本人へ確認する方が確実です」
「まあ、それはそうなんだけど」
デゼルは何も言わなかった。
***
もう一通。
サイモンから。
『お前から引き継いだ研究は続いているぞ。
思うような結果は出ていないが。
既知の幻術、認識阻害、視覚情報の撹乱。どれも完全には一致しない。
セルディアでは地脈と天族の知覚範囲に関係があるらしいな。
そちらの測定結果を送れ。
発生地点の地脈条件も、もう一度確認してみる』
「サイモンさんが研究を継続してくださっています」
ユトが言った。
エドナが嫌そうな顔をする。
「まだやってるのね。あの雨」
「はい」
「結果、出てないんでしょ?」
「はい」
「雨自体の?」
「発生機序を含めて未解決です」
「そう……」
ユトは返事を書く。
『ありがとうございます。
緊急性の低い要件であるにもかかわらず、請け負っていただけて助かります。
セルディア原における地脈強度と知覚可能距離の測定記録を同封します。
現時点では両者に相関傾向を確認していますが、因果関係は断定していません』
デゼルが紙を見る。
「緊急性が低いって自覚はあるんだな」
「はい」
「それでも続けんのか」
「未解決ですので」
「……そうか」
***
手紙が増えた。
荷物も増えた。
人も増えた。
最初のうちは、ユトも来訪者だと思っていた。
天族と話したい者。
古い祠について確認したい者。
土地の守護をしているという天族へ質問したい者。
浄化について相談したい者。
そのたびに、ユトは同じように答えた。
「現在、この周辺では通常より天族を知覚しやすい状態を確認しています」
「じゃあ、うちの祠の天族に聞いてみてもいいのかい?」
「それでは祠までご案内いただけますか? 天族を知覚可能な状態は私の位置に依存しますので」
「昔、うちの家が勝手に供え物をやめたから怒ってるって聞いたんだが」
「それは当人へ確認してください」
別の日。
「この土地を使っていいか、天族がいるなら聞きたいんだけど」
「天族側に利用についての要望や懸念があるかは、本人へ確認できます。ただし、人間側の土地利用については公国側の規則も確認してください」
「じゃあ、まず天族と話せる?」
「はい。同行します」
また別の日。
「井戸の近くに天族が――」
「同行しますので当人同士で解決してください」
何度か繰り返した。
それだけだった。
***
ある朝。
ユトは地脈測定へ向かう途中で、足を止めた。
小屋があった。
昨日まで何もなかった場所だった。
木材と布。
簡単な造り。
その横には、干した衣類がある。
少し離れた場所では、羊が草を食べていた。
「……?」
ユトは周囲を見る。
一軒だけではない。
別の場所にも、新しい天幕がある。
さらに、石を積んだ囲い。
人が生活している。
「ロゼさん」
「なに?」
「建造物が増えています」
「増えたね」
ユトは最も近い小屋へ向かった。
ちょうど中から男性が出てくる。
「ああ、導師さん」
「こんにちは」
「何か?」
「こちらで生活されるのでしょうか?」
「そのつもりだけど」
「恒常的に?」
「まあ、しばらくはな」
「理由を伺ってもよろしいでしょうか」
男性が少し考える。
「便利だから」
「便利?」
「水はある。南から商人も来るようになった。天族とも話せる。それに、この辺は土地も悪くない」
「なるほど」
「駄目かい?」
「何がでしょうか」
「ここに住むの」
ユトは首を横へ振った。
「私にそれを決める権限はありません」
「じゃあいい?」
「許可する権限もありません。ただし、公国側の土地利用規則に抵触しないことは確認してください」
「それなら、この前来た役人に聞いたよ。今のところ問題ないってさ」
「そうですか」
「うん」
「では、私から申し上げることはありません」
男性が笑った。
「よかった」
「ただし」
「ん?」
「私から生活上の支援を提供できるとは限りません」
「別にいいよ」
「食料や水の恒常供給も保証できません」
「自分たちでやる」
「安全についても、常時保護できるわけでは――」
「大丈夫!」
「……分かりました」
「導師さんに養ってもらおうってわけじゃないからな」
「それなら問題ありません」
ユトは戻った。
ロゼが待っていた。
「納得した?」
「はい。私の権限で制限する理由はありません」
「じゃ、いいじゃん」
「はい」
***
それからしばらくして、もう一軒増えた。
その数日後、さらに二つ。
ユトは記録用紙を一枚増やした。
氏名。
世帯。
恒常居住か、季節滞在か。
現在地。
最終確認日。
ロゼが紙を見る。
「それ何?」
「居住実態の調査記録です」
「住民登録?」
「違います。行政登録ではありません」
「また始まった」
「本人から確認できた範囲のみ記載しています」
「現在確認できている恒常居住者は二十三名です」
ロゼが紙を覗く。
「人、増えたねえ」
「はい」
「第一調査拠点だったのに」
「現在も第一調査拠点です」
「周りの話だよ」
「周囲に居住者が増加しています」
「それを普通はね――」
ロゼは何か言いかけた。
やめた。
「まあいいや」
「?」
***
その日の夕方。
また一人、初めて見る男が調査拠点を訪れた。
「導師さん」
「はい」
「ちょっと聞きたいんだが」
「何でしょうか」
「北西の方に、古い建物があるのは知ってるか?」
ユトの筆が止まった。
「いいえ」
「昔の石造りのやつだ。俺も近くまでは行ったことがある」
「用途は?」
「知らん」
「いつ頃の建造物でしょうか」
「それも分からん」
ユトは新しい紙を取った。
「現在、内部へ入ることはできますか?」
「やめといた方がいい」
「危険が?」
「ああ」
男は北西を指した。
「あの辺には、でかい熊がいる」
「熊」
「普通の熊じゃない。近づいた奴を追い回すし、矢を射てもろくに効かんって話だ」
ユトは書く。
『北西部・旧建造物』
『周辺住民証言――大型の熊』
『接近困難』
「他に目撃者はいますか?」
「いると思うぞ」
「分かりました。ありがとうございます」
男が帰っていく。
ロゼが横から紙を見る。
「行く?」
「まず追加の証言を集めます」
「その後は?」
「現地を確認します」
「だよね」
ユトは北西を見る。
古い建物。
現在は使われていない。
周囲には、普通ではない熊。
まだ、それ以上のことは分からない。
ただ、もし本当に古い建造物なら。
確認できた情報は、共有した方がいい。
ユトは新しい便箋を一枚、手元へ置いた。
宛先を書く。
スレイ。
ミクリオ。
まだ本文は、何も書かなかった。