翌日。
ユトは、昨日聞いた「熊」について追加の聞き取りを行った。
「熊だったよ。でかいやつだ」
一人目はそう言った。
「黒かった?」
「たぶん。遠くからしか見てないからな」
二人目は首を傾げた。
「熊って聞いてるけど、俺はよく見えなかったな。何かでかいのが動いてた」
「形状は?」
「四つ足……だったと思う」
「大きさは?」
「熊くらい」
三人目は、さらに違った。
「俺は猪だと思ってたよ」
「猪ですか」
「でも近づくと気分が悪くなってな。頭が痛くなって、すぐ戻った」
ユトは記録する。
『同一地点における危険個体について、外見証言に不一致あり』
『熊・猪・四足の大型獣』
『接近時に体調不良を訴える証言あり』
ロゼが横から覗き込んだ。
「だいぶ怪しくなってきたね」
「はい」
「憑魔っぽい?」
「可能性は高いと思います」
エドナが言う。
「行けば分かるわよ」
「はい。必要な情報は集まりました」
ユトは紙を閉じた。
「現地を確認します」
***
セルディア原から北西へ。
草原を抜け、低い丘を越える。
途中までは、人や家畜が通った痕跡があった。
それも、しばらくすると消えた。
代わりに。
「こっちね」
エドナが足を止める。
草の向こう。
灰色の石が見えた。
崩れかけた壁。
半ば土へ埋もれた柱。
さらに奥には、石造りの大きな建造物らしきものがある。
植物に覆われているが、自然にできたものではない。
「確かに古そうだね」
ロゼが目を細めた。
「はい」
ユトは外観を記録する。
石材の形状と寸法。
配置。
目視可能な範囲の損傷。
入口らしき開口部。
そして。
低い唸り声が聞こえた。
「来るぞ」
デゼルが言った。
草むらが大きく揺れる。
現れたものを見て、ロゼが顔をしかめた。
「あー……熊って言われたら熊に見えるか」
四つ足。
大きな体。
黒ずんだ姿。
ただし、それをまとっている穢れは見間違えようがない。
「憑魔ですね」
「ええ」
エドナが答える。
憑魔が吠えた。
地面を蹴る。
ユトは響筆を抜いた。
戦闘は、長くはかからなかった。
この程度なら、今のユトたちにとって脅威ではない。
最後に浄化の光が広がる。
黒い影がほどける。
そこに残ったのは、一頭の熊だった。
熊はしばらく地面に伏せていた。
やがて、ゆっくりと立ち上がる。
こちらを警戒するように見てから、森の方へ走り去った。
ロゼが見送る。
「本当に熊だった」
「はい」
「猪って言ってた人もいたけど」
「憑魔を正確に知覚できていなかった可能性があります」
ユトは記録する。
『入口付近の危険個体を確認』
『熊を基体とする憑魔』
『浄化済み』
「これで入れる?」
ロゼが建物を見る。
「入口までは確認できます」
「中は?」
「まだ分かりません」
ユトは入口へ近づく。
石造りの通路。
内部は暗い。
崩落している様子は、外から見える範囲ではない。
ただし。
「待て」
デゼルが言った。
「奥までは見えねえ。中に何がいるかも分からん」
「はい」
エドナも壁へ触れる。
「かなり古いわね。雑に入って崩しても面倒よ」
「同意します」
ユトは入口の形状だけ記録する。
壁面に刻まれた模様。
一部欠けた石板。
地面の高低差。
今の段階で、無理に入る必要はない。
「今日はここまでにします」
ロゼが意外そうな顔をした。
「入らないの?」
「はい」
「気にならない?」
「気になります」
「じゃあ入ればいいじゃん」
「内部の安全性が不明です。また、建造物を損傷する可能性があります」
「真面目だねえ」
「遺跡である可能性がありますので」
ユトはもう一度、入口を見る。
「専門的な知識を持つ方へ情報共有した方が良いと思います」
エドナが一瞬だけ目を細めた。
「……誰に?」
「スレイさんとミクリオさんです」
「でしょうね」
***
第一調査拠点へ戻る。
ユトは、その日のうちに手紙を書いた。
『セルディア原北西部に、古い石造建造物を確認しました。
周辺住民からは、入口付近に「大型の熊」がいるため接近できないとの証言を得ています。
現地確認の結果、熊を基体とする憑魔であることを確認し、浄化しました。
外観及び入口周辺のみ確認済みです。
内部構造、用途、建造年代については現在不明です。
遺跡である可能性があるため、情報共有します』
ユトは一度読み返した。
問題ない。
「これでいいでしょう」
ロゼが便箋を見る。
「来てほしいって書かないの?」
「何故でしょうか」
「だって遺跡でしょ?」
「はい」
「中はまだ分からない」
「はい」
「スレイとミクリオだよ?」
「そのため情報共有しています」
「……まあいいや」
ロゼは笑った。
手紙は、その日のうちに南へ向かう商人へ預けられた。
***
それから数日。
返事は来なかった。
ユトは特に気にしなかった。
距離がある。
手紙の中継も、以前より安定してきたとはいえ、定期便ではない。
届くまで時間がかかる場合もある。
その間にも。
地脈を測る。
誓約術式を記録する。
七色灯の注文が一つ増える。
恒常居住者が二人増える。
短期滞在者も増える。
「二十五名」
ユトは記録を修正した。
エドナが横から見る。
「また増えたの」
「はい」
「順調ね」
「何がでしょうか」
「知らない」
***
さらに数日後。
昼。
ユトは第一調査拠点の外で、地脈測定用の杭を整理していた。
遠くから、人が歩いてくる。
二人。
一人は人間。
もう一人は天族。
近づくにつれ、顔が分かる。
ユトは手を止めた。
「……スレイさん?」
「ユト!」
スレイが手を上げた。
その隣を、ミクリオが歩いている。
荷物まで持っている。
「久しぶり」
「お久しぶりです」
ユトは二人を見る。
「来たのですか」
「来たよ」
スレイが笑う。
「手紙見たから」
ミクリオは挨拶もそこそこに周囲を見回した。
「それで、遺跡はどこだ?」
「北西です」
「内部はまだ確認していないんだろう?」
「はい」
「入口の憑魔は?」
「浄化済みです」
「なら問題ないね」
エドナがこちらへ歩いてきた。
「そりゃ来るでしょ」
ユトが振り返る。
「何がでしょうか」
「アナタ、あの二人に何て書いたの?」
「古い石造建造物を発見したこと。入口付近の憑魔は浄化済みであること。内部構造、用途、年代は不明であることです」
「そりゃ来るわよ」
「情報共有のために送ったのですが」
「その情報が問題なの」
「?」
スレイが楽しそうに笑った。
「内部、まだ誰も見てないんだろ?」
「少なくとも、現在確認できている範囲では」
「じゃあ行こう!」
「今からですか」
「駄目?」
「必要な準備をしてからであれば問題ありません」
「よし」
ミクリオがもう遺跡の方角を確認している。
「外観の記録はある?」
「あります」
「見せてくれ」
「はい」
ユトは調査記録を渡した。
ミクリオはその場で読み始める。
「石材の寸法まで測ったのか」
「確認できる範囲では」
「壁面の刻印は?」
「刻印と断定できるものはありません。入口右側に、刻まれた模様を一か所確認しています。損耗しています」
「写しは?」
「あります」
「見せてくれ」
「はい」
エドナが呆れたように二人を見る。
「ほら」
「何でしょうか」
「アナタ、完全に餌撒いてるじゃない」
「餌?」
「もういいわ」
***
ロゼが戻ってきたのは、その少し後だった。
「あれ?」
第一調査拠点の前。
スレイとミクリオがいる。
ミクリオはユトの記録を広げている。
スレイは古い石材の写しを見ている。
ロゼは一度、二人を見る。
それからユトを見る。
「なんで本人いるの?」
スレイが笑った。
「遺跡があるって聞いたから」
「だよね」
ロゼは即座に納得した。
ユトだけが少し考える。
「返事を書くより移動した方が早いと判断されたのでしょうか」
ミクリオが顔を上げた。
「それもある」
「それも?」
「内部未調査の遺跡があると聞いて、手紙だけ返して待っていられると思うのか?」
ユトは考えた。
「ミクリオさんであれば、難しい可能性があります」
「僕だけみたいに言うな」
スレイが隣で笑っていた。
「オレも来たかったよ」
「そうですか」
「うん」
ユトは頷いた。
「では、明日の朝に向かいましょう」
「今日じゃなくて?」
「日没までの残り時間を考えると、内部探索には不足しています」
「分かった」
「必要な装備も確認します」
「分かったって」
スレイはまだ笑っている。
***
夕方。
スレイは、第一調査拠点の周囲を歩いていた。
「人、たくさんいるな」
「はい」
小屋。
天幕。
家畜。
物を売る商人。
水を汲む人。
天族と話している者。
少し離れたところでは、子供が走っている。
ミクリオも周囲を見る。
「家まで建っているけど」
「はい」
「何人くらいいるんだ?」
「現在確認している恒常居住者は二十五名です」
ミクリオがユトを見る。
「……人口まで記録しているのか」
「はい」
「いつから?」
「恒常的に居住する方が確認されてからです」
スレイが笑う。
「もう村みたいだな」
「第一調査拠点です」
「いや、ユトのテントじゃなくて周り」
「周囲には恒常居住者が存在します」
ロゼが横で肩をすくめる。
「ずっとこんな感じ」
スレイはもう一度、周囲を見た。
「でも、いいところだな」
「地脈条件は良好です」
「そういう意味だけじゃないよ」
「?」
スレイは笑っただけだった。
***
その日の夜。
ユトは記録を整理した。
『スレイ、ミクリオ来訪』
『北西部旧建造物について、翌日内部調査予定』
そして。
以前送った手紙の記録へ、追記する。
『返書――未受領』
一度、筆が止まった。
少し考える。
その横へ書き足した。
『本人来訪のため、追加の書面連絡は不要』
スレイとミクリオからの返事は、結局届かなかった。
二人が、自分で来たからだ。