翌朝。
スレイとミクリオは、朝食を終える前から遺跡の話をしていた。
「昨日の写しなんだけど、この線、文字じゃなくて模様かな」
「いや、文字の一部だと思う。損耗して読めなくなってるんじゃないか?」
「でもこっちにも似たのがあるぞ」
「だから、それを実物で確認するんだよ」
ユトは二人の会話を聞きながら、荷物を確認する。
食料。
水。
縄。
記録用紙。
筆記具。
応急処置用品。
通常のランプ。
予備の燃料。
それから。
「七色灯も持ってく?」
ロゼが聞いた。
「はい」
ユトは答えた。
ミクリオが顔を上げる。
「七色灯?」
「先日作成した誓約術式の実験品です」
包みからランプを出す。
「昼間のみ使用できます。効果として、七色に発光します」
ミクリオがランプを見る。
「……ランプなのに、昼間しか使えないのか?」
「はい」
「何故そんな条件に?」
「ランプ本来の用途を大きく制限した場合、誓約によって得られる効果が強くなるか確認するためです」
「それで七色?」
「はい」
スレイが楽しそうに覗き込んだ。
「見たい!」
「遺跡内部で使用する予定です」
ミクリオが首を傾げる。
「中は暗いだろう?」
「条件は照度ではありません」
「……ああ」
「以前、日中の人工暗所でも指定効果が継続することを確認しています。したがって、地下でも時刻上昼間であれば使用可能と予測しています」
エドナが横から言う。
「夜に使えないランプが、暗い地下では使えるのね」
「昼間であれば」
「面倒なランプ」
「ただし、主要照明には指定しません」
ロゼが笑った。
「そこはちゃんとしてるね」
「実験品ですので。通常ランプを複数携行します」
「でしょうね」
準備が終わる。
ユトが空を見る。
「日没より十分前に帰還します。探索時間を超過する場合、途中でも打ち切ります」
「分かった」
スレイが答える。
「分かったよ」
ミクリオも答えた。
エドナが二人を見る。
「絶対、途中で忘れるわよ」
「忘れないって!」
「僕は忘れない」
「本当かしらね」
***
遺跡の入口には、以前いた憑魔の姿はなかった。
熊が戻ってきた形跡もない。
ユトは周囲を確認してから、内部へ入る。
数歩。
外の光が遠ざかる。
スレイが通常のランプへ火を点けた。
ユトも七色灯を出す。
「試します」
火を点ける。
赤。
橙。
黄。
緑。
青。
藍。
紫。
七色の光が、古い石壁へ広がった。
「おお……!」
スレイが声を上げる。
「本当に七色だ!」
「はい」
ミクリオも近づいた。
「暗くても使えるんだな」
「現在は昼間ですので」
「綺麗だね」
「ありがとうございます」
ロゼが横から言った。
「ユト、そこは普通にお礼言うんだ」
「褒めていただきましたので」
「商品価値は分からなかったのに」
「それとは別です」
エドナは壁に映った七色の光を見る。
「変なもの作ったと思ってたけど、こういう場所だと案外悪くないわね」
「用途が確認されましたね」
「研究記録に書く気?」
「はい」
「聞かなきゃよかった」
***
内部の通路は、外から見た以上に頑丈だった。
壁は厚い。
柱は太い。
華美な装飾はほとんどない。
通路自体も広くはなかった。
スレイが壁へ触れる。
「ずいぶんしっかりしてるな」
「うん」
ミクリオは柱の根元へ屈み込んだ。
「ユト、ここを見てくれ」
「はい」
七色灯を近づける。
柱と床が接する部分。
補強するように石が組まれている。
「修復跡でしょうか」
「僕も最初はそう思った。でも違う」
「理由は?」
「この石も周囲と同じ程度に風化してる。それに、柱を立てた後から押し込んだ形じゃない。最初からこの構造で組んである」
スレイも覗く。
「建てた時から頑丈にしてた?」
「たぶんね」
ユトは記録する。
『柱基部に構造的補強あり』
『後世修復ではなく、建設時から採用された可能性』
エドナが壁へ手を当てた。
「地震対策じゃない? 近くに火山もあることだし」
ユトの筆が止まる。
「では、この構造が地震対策である場合、建造時点で地震への備えが必要と認識されていた可能性があります」
「可能性、ね」
「はい。別の目的で頑丈にした可能性もあります」
ロゼが奥を見る。
「例えば?」
「分かりません」
「そこは即答なんだ」
「情報がありませんので」
さらに進む。
いくつか小さな部屋があった。
どれも壁が厚い。
窓はない。
扉は失われているが、蝶番を固定していたと思われる穴だけが残っている。
そのうち一室で、スレイが足を止めた。
「ここ、変じゃないか?」
他の部屋よりさらに狭い。
しかし壁だけは異様に分厚い。
ロゼが中を覗く。
「牢屋みたい」
「可能性はあります」
ユトが答える。
「でも断定はできない?」
「はい」
「言うと思った」
ミクリオが壁を調べる。
「内側にも傷が多いな」
「経年劣化でしょうか」
「それだけじゃなさそうだ。何かをぶつけたような跡もある」
スレイが眉を寄せる。
「中にいた何かが?」
「それも可能性の一つだね」
ユトは書く。
『用途不明区画』
『閉鎖を前提とした構造である可能性』
『内壁に複数の損傷痕』
『牢獄等の用途を含め、現時点では断定不能』
ロゼが覗き込む。
「本当に全部書くね」
「後で必要になる可能性があります」
「何百年後とか?」
「保存状況次第です」
「否定しないんだ」
***
遺跡の中ほどまで進んだ頃。
ミクリオが、急に立ち止まった。
「待ってくれ」
「何でしょうか」
「これだ」
壁面。
古い石へ、細い線が何本も刻まれている。
しかし、それまで見てきた模様とは違った。
直線。
小さな印。
一定間隔の目盛り。
「文字?」
スレイが聞く。
「いや……文字も混じってるけど、それだけじゃない」
ミクリオが指で触れない程度まで顔を近づける。
「この線、壁を造った時に彫ったものじゃない」
「根拠は?」
「加工が違う。周囲の装飾より明らかに浅いし、使っている道具も違うと思う」
ユトが七色灯を寄せる。
「後から追加された?」
「そう見える」
少し先。
床にも、元の構造とは馴染まない石台があった。
四角い石を後から据えたように見える。
さらに奥には、細い溝。
水を流すためのものだろうか。
エドナが石台の横へ立つ。
「……ああ」
「何か分かりましたか」
「ここ、地脈が近い」
ユトの顔が上がった。
「具体的には?」
「真下ってほどじゃないわ。でも流れが近い。ちょっと待って」
エドナは少し歩く。
別の石台。
「ここも」
さらに奥。
「こっちもね」
ユトは即座に測定器具を取り出した。
スレイが笑う。
「今から?」
「今です」
「遺跡探索してたんじゃなかったっけ」
「しています」
「地脈測り始めたけど」
「遺跡内設備と地脈の位置関係を確認していますので、遺跡調査です」
「なるほど」
エドナが呆れた。
「納得するのね、スレイ」
ミクリオも既に別の石台へ向かっている。
「ユト、こっちも測ろう」
「お願いします」
「増えたわね」
ロゼが聞く。
「何が?」
「遺跡馬鹿」
「ユトも入るの?」
「方向性は違うけど、同じ場所から帰らなくなるなら一緒でしょ」
ユトが振り返る。
「帰還予定時刻は設定しています」
「そこは違うみたい」
***
測定を続ける。
石台の位置。
現在確認できる地脈の流れ。
溝の方向。
壁面の目盛り。
完全には一致しない。
しかし、無関係とも言い切れない。
ユトは記録を見返した。
「以前の証言と一致する可能性があります」
ミクリオが顔を上げる。
「証言?」
「セルディア原に長くいる天族から、昔、この周辺には導師が頻繁に訪れていたと聞いています」
「うん」
「その中に、石を見たり、水を測定したりしていた者がいたと」
スレイが壁を見る。
「じゃあ、ここ?」
「可能性があります」
ユトは細い溝を見る。
そこにはもう水はない。
しかし壁際には、水位を記録したとも見える目盛りが残っている。
ミクリオが言った。
「建物そのものを造った人たちとは、別の人間だろうね」
「はい」
「それも一度だけじゃないかもしれない」
「複数時期の再利用?」
「そう」
ミクリオは古い壁と、新しく刻まれた線を交互に見る。
「元々の建造物があって、その後、別の目的で使われた時期がある。その中に、導師たちが地脈を調べるために手を入れた時期が含まれていた……そんな感じに見える」
ユトは書く。
『少なくとも複数時期にわたり、異なる目的で利用された可能性』
「少なくとも?」
スレイが聞く。
「確認できている層だけですので」
「やっぱりユトだな」
「何がでしょうか」
「いや、いい」
***
さらに奥で、一枚の石板が見つかった。
壁から外れ、床へ倒れている。
割れている。
文字の大半は読めない。
ただ。
「これ、地図じゃないか?」
スレイが言った。
ミクリオが膝をつく。
「……そう見える」
線。
いくつかの点。
そのうち一つには、現在のセルディア原の位置と大まかに一致しそうな印がある。
もう一つは、この遺跡。
さらに北にも、印。
それらの間を細い線が結んでいた。
ユトは周囲の地形記録を出した。
「現在位置を基準とした場合、この点がセルディア原に相当する可能性があります」
「じゃあ、こっちがこの遺跡?」
スレイが指す。
「位置関係としては整合します」
ミクリオが目を細める。
「一か所だけ調べていたわけじゃなさそうだね」
「複数地点を比較していた?」
「たぶん」
「北の印は?」
「今の地図と地形が違いすぎて、これだけじゃ分からないな」
ユトは石板の写しを取り始めた。
「セルディア原が、周辺複数地点を対象とする地脈観測の拠点の一つとして利用されていた可能性があります」
スレイが楽しそうに言う。
「昔の導師たちも、セルディアに集まってたのかもしれないんだな」
「はい。ただし――」
「断定はできない」
「はい」
「分かってきた」
ユトは頷く。
「ありがとうございます」
「褒めたつもりじゃないんだけど」
***
遺跡の一番奥までは行かなかった。
途中で崩落した通路があったからだ。
無理に除去すれば、周囲も崩れる可能性がある。
「ここは後日ですね」
ユトが言う。
ミクリオが残念そうに崩れた石を見る。
「別の入口があるかもしれない」
「調査項目へ追加します」
「外周も見たいな」
「本日は時間が不足しています」
「明日は?」
「天候と他の予定を確認してから判断します」
「……分かった」
エドナが小さく笑った。
「ミボを止める人が増えたわ」
「僕は止められてない」
「止まってるじゃない」
スレイは、少し離れた壁を見ていた。
「でも、変だな」
「何がでしょうか」
「ここ、壊されたって感じじゃない」
ユトも周囲を見る。
崩落はある。
亀裂もある。
しかし、火災の痕跡は見当たらない。
大規模な戦闘による破壊とも違う。
「確かに」
ミクリオも頷く。
「少なくとも、何か一度の大事件で放棄されたようには見えないね」
エドナが言う。
「地脈も死んでないわよ。むしろ今でも強い方」
「水源も残っています」
ユトが加える。
「土地そのものが居住不可能になったとは考えにくいですね」
スレイが石板を見る。
「じゃあ、なんで誰も使わなくなったんだろう」
「不明です」
ユトは記録する。
『遺跡放棄理由――不明』
『大規模火災・戦闘等による一時的破壊を示す明確な証拠なし』
『現時点でも周辺地脈は強い』
『セルディア原の人口減少と同一要因である可能性を含め、追加調査が必要』
ミクリオがそれを読む。
「そこまで一緒にする?」
「同時期に利用されていた可能性がありますので、比較対象にはなります」
「なるほど」
その時。
ユトが顔を上げた。
七色灯は、まだ変わらず光っている。
だが、事前に見積もった帰還開始時刻になっていた。
「帰還します」
「えっ」
スレイが言った。
「まだもう少し――」
「帰還予定時刻です」
ミクリオも言う。
「普通のランプはあるだろう?」
「あります」
「じゃあ、七色灯が消えても――」
「問題は七色灯ではありません」
ミクリオが止まった。
「日没後まで探索を継続する予定ではありませんでした」
エドナが言う。
「ほら。ランプ関係なかった」
「予備照明はあります」
「でしょうね」
スレイが名残惜しそうに奥を見る。
「明日また来よう」
「予定を確認してからです」
「そこは譲らないんだな」
「はい」
***
外へ出た時、太陽はまだ沈んでいなかった。
七色灯も光っている。
ミクリオが振り返る。
「やっぱり、あと少し見られたんじゃないか?」
「帰路の余裕時間を含めています」
「分かってるよ」
「では問題ありません」
「君、僕より遺跡に厳しいな」
「安全管理です」
「それが厳しいって言ってるんだ」
スレイが笑った。
セルディア原へ戻る。
第一調査拠点が見えてきたところで、ロゼが足を止めた。
「あれ?」
見慣れない馬が二頭。
その近くに、数人の男が立っている。
旅装ではある。
だが、商人ではない。
以前見た移動役所の役人とも違った。
胸元に、同じ印がある。
ユトたちが近づくと、そのうち一人が前へ出た。
「導師ユト殿で間違いないか」
「はい」
「スラガ公より書状を預かっている」
差し出された封書にも、同じ印が押されていた。
「ありがとうございます」
ユトは受け取る。
ロゼが小声で言った。
「ついに来たね」
ユトが振り返る。
「何がでしょうか」
「公爵様」
「はい。今、書状をいただきました」
「そういう意味じゃなくて」
「?」
封を開く。
内容は短かった。
セルディア原における近時の状況について。
導師ユト本人から、直接話を聞きたい。
都合の良い時期を知らせてほしい。
それだけだった。
ユトは読み終える。
「妥当だと思います」
スレイが横から聞く。
「そうなのか?」
「はい」
ユトは周囲を見る。
第一調査拠点。
その周囲に増えた家。
天幕。
商人。
荷車。
水を運ぶ人。
天族と話している人。
「私はスラガ公国の国外から来た導師です」
「うん」
「長期間滞在しています」
「うん」
「交易量が増加し、恒常居住者も発生しています」
「……うん」
「ハイランドとの書簡の往来も再開しています」
ロゼが口を挟む。
「七色灯も売ってるね」
「はい」
「もう一人の導師も来たし」
ユトは書状を見る。
「公国政府が状況確認を行うのは自然です」
ロゼが笑った。
「本人が一番冷静だね」
「問題があるのであれば、早めに指摘していただいた方が修正できます」
「もう会う気満々じゃん」
「はい」
ユトは使者へ向き直った。
「日程について確認したい事項があります。少々お待ちいただけますか」
「構わない」
「ありがとうございます」
ユトは新しい紙を取った。
今日調べた、何度か使い直されたらしい古い遺跡。
かつて、導師たちがこの土地を調べていた痕跡。
そして今。
セルディア原には、また導師が二人いた。
人がいた。
天族がいた。
物が届き、手紙が届き、家が増えている。
ユトはまだ、それを街とは呼んでいなかった。
公国の側が、どう呼ぶのかも。
まだ聞いていなかった。