スラガ公からの書状を受け取った翌日。
ユトは、朝から紙を並べていた。
第一調査拠点の机。
正確には、机として使っている木箱。
その上に、記録が積まれている。
ロゼが覗き込んだ。
「何それ」
「スラガ公へ説明する資料です」
「多くない?」
「状況について直接話を聞きたいとのことでしたので」
一枚目。
『セルディア原第一調査拠点現況』
二枚目。
『恒常居住者・季節滞在者・短期滞在者集計』
三枚目。
『南部交易路通行状況及び改善箇所』
四枚目。
『ハイランド方面との通信物到達経路』
五枚目。
『セルディア原周辺における天族知覚可能範囲』
六枚目。
『地脈観測結果』
七枚目。
『七色灯試作及び販売状況』
八枚目。
『北西部旧建造物調査経過』
ロゼが止まった。
「七色灯が何個売れたかまでいる?」
「交易量増加の一因である可能性があります」
「公爵様、そこまで聞くかなあ」
「不要であれば使用しません」
「使わないかもしれない資料を作ってるの?」
「必要になってから作成すると、面談時間を浪費します」
「はいはい」
さらに別の紙。
ロゼが読む。
「『ユト本人が実施した事項』」
「はい」
「『同行者が独自に実施した事項』」
「はい」
「『現地住民の自主的行動』」
「はい」
「そこまで分ける?」
「私の活動について確認されるのであれば、私が行っていないことを私の活動として報告するのは不正確です」
ロゼは交易路の項目を見る。
『南部交易路改善――発案・実施:ロゼ、エドナ』
その横に、
『ユト:提案を受け、「良いと思います」と回答』
と書いてある。
「本当にそれだけなんだよね」
「はい」
「だから面白いんだけど」
「?」
少し離れた場所で、ミクリオが資料を一枚手に取った。
「人口まで報告するのか?」
「公国政府にとっては、研究内容より重要である可能性があります」
「現在二十五人?」
「恒常居住者は、昨日の確認時点で二十五名です」
エドナが顔を上げた。
「今日増えてたら?」
「帰還後に更新します」
「そうよね」
スレイは厚くなっていく紙束を見ていた。
「公爵様と話すだけだよな?」
「はい」
「研究発表じゃないよな?」
「はい」
「……そっか」
ユトは最後に、一枚の表紙を乗せた。
「準備できました」
ロゼが紙束を見る。
「向こうが準備できてるといいね」
***
面会の日。
ユトは、使者の案内で公爵府を訪れた。
同行したのはロゼとデゼルだった。
ロゼはセルディアの交易事情について、ユトより詳しい。
デゼルも普段からロゼと行動を共にしているため、そのまま同行した。
もっとも。
「私は一人でも問題ありませんでしたが」
道中そう言うと、
「知ってるよ」
とロゼは答えた。
「じゃあ何故?」
「ユト一人で公爵様に会わせたら、気づいた時には報告書の様式決めてそうだから」
「必要であれば決めます」
「ほら」
デゼルは何も言わなかった。
***
案内された部屋は、思っていたより簡素だった。
大きな机。
数脚の椅子。
壁には、公国北部から南部までを描いた地図がある。
その一角。
セルディア原の位置には、小さな印が付けられていた。
ユトは少しだけ長くそこを見た。
「導師ユト」
声がする。
ユトは向き直った。
スラガ公ラドヴァン。
初めて会う公爵は、ユトをしばらく見た。
その視線は敵意ではない。
ただ、確認するようだった。
「よく来た」
「お招きいただきありがとうございます」
「座ってくれ」
「失礼します」
ユトとロゼが座る。
デゼルはその後ろに立った。
ラドヴァンの視線が、わずかにデゼルへ動く。
「……その男が、天族か」
「はい」
「見えるな」
「現在、私の周囲では天族ユイの加護により、人間が天族を知覚しやすい状態になっています」
「報告で読んだ」
「はい」
ユトは紙束を机へ置いた。
「現在までの観測結果も持参しています」
ラドヴァンが紙束を見る。
一瞬。
沈黙した。
「……全部か?」
「必要になる可能性があるものです」
「そうか」
横に控えていた役人が、妙に納得した顔をした。
ユトは気づかなかった。
***
「まず聞こう」
ラドヴァンが言った。
「お前は、セルディア原で何をするつもりだ」
「現在は、地脈とユイの加護の関係について観測を継続しています。また、誓約術式について複数の小規模実験を実施しています」
「他には?」
「北西部で発見した旧建造物について、調査を開始しました」
「それだけか?」
「現時点では」
ロゼが小さく息を吐いた。
ユトが見る。
「何でしょうか」
「何でもない」
ラドヴァンは机の上で指を組んだ。
「では、一つずつ確認する」
「はい」
「南部への道を整えたそうだな」
「ロゼさんとエドナさんです」
ラドヴァンの視線がロゼへ移る。
「お前の指示ではないのか?」
「はい。ロゼさんから『南との交易路をもう少し整えたい』との提案を受けました」
「それで?」
「良いと思います、と回答しました」
「……それだけか?」
「はい」
ロゼが手を挙げた。
「あたしが商売するのに不便だったんで。地面のことはエドナの方が詳しいし、二人で見てきました」
「なるほど」
ラドヴァンは何かを記録させた。
「では、交易を始めたのは?」
「私ではありません」
「だが、セルディアから新しい商品が出ている」
「七色灯でしょうか」
「そうだ」
「誓約術式の実験品です」
「……実験品」
「はい」
「売るために作ったのではない?」
「違います」
ラドヴァンがロゼを見る。
ロゼが肩をすくめた。
「綺麗だったんで、売れるかなって」
「売れたな」
「売れました」
ユトが紙を一枚抜き取る。
「現在までの販売数及び追加注文数はこちらです」
「本当に持ってきたのか」
「はい」
「……後で見る」
「分かりました」
紙が戻された。
***
「人も増えている」
「はい」
「お前が集めたのか?」
「いいえ」
「住むよう勧めた?」
「いいえ」
「土地を与えた?」
「その権限を持っていません」
「現在、何人いる」
「昨日の確認時点で、恒常居住者二十五名です」
「……数えているのか」
「はい」
ラドヴァンの隣にいた役人が、小さく目を閉じた。
以前、セルディアへ移動役所として来た者だった。
「報告通りです」
ラドヴァンがそちらを見る。
「何がだ」
「聞けば数字が出てきます」
「そうか」
「はい」
ユトは補足する。
「季節滞在者及び短期滞在者は別集計です」
「そこまで聞いていない」
「失礼しました」
「いや。必要になったら聞く」
「分かりました」
ラドヴァンは少し黙った。
「では、その二十五人は、お前の民ではないのだな」
「違います」
「お前が代表しているわけでもない?」
「はい」
「何か問題が起きた場合、お前に話を通せばいいわけではない?」
「内容によります」
「例えば、居住地の使い方についてだ」
「居住者本人、及び公国側の担当者へ確認してください。私は代表権を与えられていません」
「では、彼らが『導師ユトが認めた』と言ったら?」
「何についてでしょうか」
「居住について」
「私は、『私に許可または禁止する権限はない』と伝えています」
「……なるほど」
ロゼが横から言う。
「本当にそう言ってました」
「聞いている」
「なら話早いですね」
「だから呼んだ」
「ああ」
ユトは二人を見る。
「?」
***
しばらく。
ラドヴァンから質問が続いた。
ハイランドとの手紙。
南部との交易。
天族が見える範囲。
古い祠を巡る住民と天族の問題。
北西部の遺跡。
入口にいた「熊」。
そのたびにユトは、
「確認できている範囲では」
「現時点では」
「私が実施したものではありません」
「私が確認した範囲では、当事者間で調整されています」
「因果関係は断定していません」
と答えた。
ラドヴァンは途中から、紙束の意味を理解したらしい。
「その地脈の資料を見せてくれ」
「こちらです」
「遺跡は?」
「こちらです」
「道については?」
「ロゼさんとエドナさんから聞き取った改善箇所を記録しています」
必要な紙が、必要な順番で出てくる。
やがて質問が途切れた。
ラドヴァンが椅子へ背を預ける。
「……一つ分かった」
「何でしょうか」
「お前が、セルディアに自分の領地を作ろうとしているわけではないことは分かった」
「はい。その予定はありません」
「だが」
「はい」
「お前が何もしなくても、お前の周囲で状況が変わる」
ユトは少し考えた。
「その傾向は確認しています」
ロゼが口元を押さえた。
「何だ」
「いや、本人が言うんだなって」
「事実ですので」
ラドヴァンは笑わなかった。
しかし。
先ほどまでより、わずかに表情が柔らかくなった。
***
「こちらからも確認してよろしいでしょうか」
ユトが言った。
「何だ」
「私の活動について、何か問題があれば教えてください」
ラドヴァンが黙る。
「……問題?」
「はい」
「随分素直に聞くんだな」
「私はスラガ公国の制度及び慣習について、まだ十分に理解していません」
ユトは続ける。
「知らないうちに、公国行政上の支障や、周辺共同体への不利益を発生させている可能性があります」
「そう思うのか」
「可能性はあります」
「なら、やめるか?」
「何をでしょうか」
「研究を」
「理由によります」
即答した。
ラドヴァンが少し眉を上げる。
「今、問題があれば言えと言ったばかりだぞ」
「はい」
「私が問題だと言えば?」
「公国政府としての正式な中止命令でしょうか。それとも、問題があるとの指摘でしょうか」
ラドヴァンが少し眉を上げた。
「何が違う」
「正式な命令であれば、まず中止します。その上で、再発防止及び代替手段の検討のため、理由を確認します」
「指摘なら?」
「問題の具体的内容を確認し、目的を維持したまま解消できる方法がないか検討します」
ラドヴァンはユトを見た。
数秒。
そして、小さく笑った。
「面倒な男だな」
「申し訳ありません」
「謝るところか?」
「不利益を生じさせているのであれば」
「いや」
ラドヴァンは首を横へ振った。
「話が通じないわけではない。それでいい」
「ありがとうございます」
「褒めてはいない」
「そうですか」
ロゼが笑った。
***
「今のところ、研究を止めろとは言わん」
「分かりました」
「遺跡調査も、危険が周囲へ及ばない範囲で続けて構わない」
「ありがとうございます」
「だが、このまま人が増えるなら、セルディアの扱いはこちらでも考える必要がある」
「はい」
「今はまだ、お前の研究拠点の周りに人が集まっているだけだ」
「はい」
「だが、五十人、百人と増えれば、そうも言っていられない」
「その場合はご連絡します」
「いや」
ラドヴァンが言った。
「こちらも見ている」
「それなら確実ですね」
「……そういう意味で言ったんじゃない」
ロゼが下を向いた。
肩が揺れている。
「ロゼさん?」
「何でもない」
ラドヴァンがため息をついた。
「定期的に状況を知らせてもらいたい」
「承知しました」
ユトはすぐ紙を取った。
「報告条件を確認します」
「待て」
「はい」
「何を書く気だ」
「例えば、恒常居住者が五名以上増加した場合、新規の恒久建造物が――」
「そこまで細かくなくていい」
「では十名でしょうか」
「人数の話じゃない」
「?」
「月に一度」
ラドヴァンは言った。
「変わったことをまとめて知らせろ」
ユトの筆が止まる。
「変化がない場合もでしょうか」
「……変化がなければ、『変化なし』でいい」
「分かりました」
「ただし」
「はい」
「公国全体に影響しそうなことを始める時は、その前に知らせろ」
「具体的には?」
ラドヴァンが少し考える。
「大規模な道路工事。新しい税や制度に関わる提案。国外との正式な取り決め。土地の利用を大きく変えるようなこと」
「分かりました」
「あと」
「はい」
「あと、判断に迷うほど大きなことは、先に聞け」
「分かりました」
役人が何かを書き留めていた。
後に。
それが本当に、セルディアから公爵府へ送られる定期報告の始まりになる。
この時点では。
誰も、そこまで先のことは知らなかった。
***
面談を終える。
退出する前。
ユトは一度振り返った。
「ラドヴァン公」
「何だ」
「今後も、何か問題があれば教えてください」
「……分かった」
「ありがとうございます」
「お前も、何か始めるなら知らせろ」
「はい」
「先にだぞ」
「内容によりますが、先ほど合意した範囲については事前に報告します」
「そこは『はい』だけでいい」
「はい」
ラドヴァンは額へ手を当てた。
ロゼはとうとう声を出して笑った。
***
帰り道。
「どうだった?」
ロゼが聞いた。
「何がでしょうか」
「公爵様と会って」
「問題が生じた場合の連絡方法を決めることができました」
「感想それ?」
「また、現時点では研究及び遺跡調査を中止する必要はないとのことです」
「うん」
「月次報告も必要になりました」
「うん」
「報告様式を作成します」
「そこはまだいいんじゃない?」
「毎月使用するのであれば、定型化した方が効率的です」
「始まった」
デゼルが言う。
「公爵も大変だな」
「何故でしょうか」
「知らねえ」
***
セルディア原へ戻ったのは、翌日の昼だった。
第一調査拠点。
スレイとミクリオがいた。
エドナもいる。
七色灯が一つ、机の横で光っている。
「おかえり!」
「お帰り」
「ただいま戻りました」
ミクリオが聞く。
「どうだった?」
「現時点では大きな問題は確認されませんでした」
「そうか」
「ただし、今後は月次報告を行います」
「……何をしに行ってきたんだ、君は」
「状況説明です」
ユトは荷物を置いた。
ラドヴァン公との面談記録。
合意事項。
今後の報告項目。
一つずつ整理する。
それが終わると。
ユトは新しい木箱を一つ、机の上へ置いた。
ミクリオが見る。
「……今度は何だ?」
ユトは箱を見た。
「次の誓約実験です」
まだ。
術式は定着させていなかった。