翌日。
第一調査拠点。
昨日、ユトが机の上へ置いた木箱は、そのままそこにあった。
何の変哲もない箱だった。
七色灯のように光ってはいない。
以前の実験箱のように、時間によって勝手に閉じることもない。
それはまだ、ただの木箱だった。
スレイが朝食を終えた頃、ユトはその箱の横に紙を一枚置いた。
「昨日言ってた実験?」
スレイが聞いた。
「はい」
ミクリオも近づく。
「今度はどんな条件なんだ?」
「説明します」
ユトは紙を見る。
「スレイさんとミクリオさんが共存しつづける間だけ開く箱です」
一瞬。
誰も何も言わなかった。
ユトは続ける。
「誓約で得られる力として、箱の重量が軽くなります。以上です」
「……以上?」
ミクリオが聞いた。
「以上です」
「待て」
「はい」
「それだけか?」
「はい」
ミクリオは紙を見る。
もう一度見る。
本当に、それしか書かれていない。
「『共存』の定義は?」
「設定していません」
「……『し続ける』の定義は?」
「設定していません」
「開始時点は?」
「指定していません」
「終了条件は?」
「指定していません」
「距離は?」
「指定していません」
「同じ場所にいる必要は?」
「指定していません」
「会話している必要は?」
「指定していません」
「仲が良いことは?」
「指定していません」
ミクリオが顔を上げた。
「君が?」
「はい」
エドナは机の端に頬をつけて、だらりと突っ伏していた。
「熱でもあるの?」
顔を上げることすらせずに言った。
「ありません」
ロゼも紙を覗いた。
「昨日、公爵様に会うだけであれだけ資料作ってた人が?」
「用途が異なります」
「誓約なのに?」
「誓約だからです」
ユトは別の紙束を取り出した。
ミクリオが少し安心したような、呆れたような顔になる。
「……それは?」
「実験手順書です」
ロゼが笑った。
「あった」
「誓約文へ安全管理条件を追加すると、術式側が『共存しつづける』という未定義語をどのように解釈するか確認できなくなる可能性があります」
ユトは紙束を置く。
「そのため、誓約自体は必要最小限とし、安全管理は実験手順として分離します」
エドナが言う。
「短いから雑なんじゃなくて、短くするためにまた長いの作ったのね」
「はい」
「でしょうね」
***
ユトは、改めてスレイとミクリオを見る。
「なお、今回はお二人の状態を誓約の判定条件として参照します」
「うん」
「術式による直接効果は木箱に限定します。お二人の身体、精神、能力等へ直接作用する効果は設定しません」
ミクリオが頷く。
「異常が出た場合は?」
「即時中止します。また、お二人のどちらかが実験継続を望まなくなった場合も終了します」
「分かった」
「実験に協力していただけますか?」
スレイはすぐ頷いた。
「いいよ」
ミクリオは少しだけ考えた。
「僕も構わない」
「ありがとうございます」
ユトは記録する。
『スレイ、ミクリオ双方より実験参加同意取得』
ロゼが横から見る。
「そこも書くんだ」
「重要ですので」
***
まず。
術式を定着させる前に、箱そのものの重量を測った。
空の状態。
次に、あらかじめ重量を測定した金属塊を一つ入れる。
箱を閉じる。
もう一度測る。
「中身を入れる必要ある?」
スレイが聞いた。
「効果対象の範囲を確認します」
「箱が軽くなるんだろ?」
「はい。ただし、『箱の重量』という指定が、内容物を含む総重量にまで影響するかは未確認です」
ミクリオが納得した。
「そこは調べるんだな」
「はい」
「『共存』は調べないのに」
「調べるために定義していません」
「分かってるよ」
空箱。
金属塊。
箱と金属塊。
それぞれの数値を記録する。
その後。
金属塊を取り出した。
ユトが箱へ術式を定着させる。
紙には、短い誓約しかない。
『スレイとミクリオが共存しつづける間だけ、この箱は開いた状態を維持できる』
『条件成立中、箱の重量が軽くなる』
ユトが箱の蓋へ手を掛けた。
開く。
手を離す。
蓋は、開いたままだった。
ユトはすぐ記録する。
『開放状態維持を確認』
「開いたな」
スレイが言う。
「はい」
次に、重量を測る。
ユトの手が止まった。
「軽くなっています」
「どれくらい?」
ロゼが聞く。
ユトは数値を伝える。
明確に。
しかし、持ち上げただけでは注意しなければ分からない程度に。
箱の重量は、術式定着前より減っていた。
「つまり?」
スレイが聞く。
「現時点で、誓約術式はスレイさんとミクリオさんが『共存し続けている』と判定していると考えられます」
「まあ」
エドナが言った。
「そこはそうでしょうね」
「僕もそこには驚かない」
ミクリオが答える。
「では、何に驚いたのでしょうか」
「君が『共存』を一切定義しなかったことだよ」
「実験目的ですので」
「分かってる」
***
次に。
先ほどの金属塊を箱へ入れる。
再び重量を測った。
ユトが数値を書く。
「……内容物への軽量化効果は確認できません」
ミクリオが紙を見る。
「箱だけ?」
「はい」
「中身はそのまま?」
「軽量化後の箱の重量に、金属塊本来の重量を加えた値と一致します」
スレイが箱を持ち上げた。
「ほんとだ。中に入れた分は普通に重い」
「指定したのは『箱の重量が軽くなる』ですので、効果としては整合しています」
エドナが言う。
「妙に律儀ね、その誓約」
「現時点では、指定対象を内容物にまで拡張していないことが確認できました」
ユトは記録する。
『内容物への重量軽減効果なし』
『効果対象は木箱本体に限定される可能性が高い』
測定を終える。
そして。
ユトは金属塊を取り出した。
ロゼが聞く。
「もう出すの?」
「はい」
「入れっぱなしにしないんだ」
「内容物の重量には効果がありません。また、継続観測に常設する必要もありません」
「じゃあ空?」
「はい」
箱の中には、何もなくなった。
***
翌日。
スレイが第一調査拠点の反対側まで歩いた。
ミクリオは箱の近くにいる。
箱は開いたままだった。
さらにその翌日。
ミクリオが、北西部の遺跡へ調査に出た。
スレイはセルディアに残った。
箱は開いたままだった。
「距離は関係なさそうだな」
スレイが言う。
「少なくとも、現在確認した範囲では」
ユトが書く。
『物理的近接を必須条件としていない可能性』
数日後。
スレイが寝ている間にも。
ミクリオが寝ている間にも。
会話していない時間にも。
別々のことをしている時にも。
箱は開いたままだった。
重量も、軽いままだった。
***
そして。
ある日の午後。
「だから、先に外周を確認した方がいいって!」
スレイが言った。
「崩落箇所の確認が先だと言っているだろう!」
ミクリオが返す。
「でも、別の入口があるなら――」
「だからって安全確認を飛ばす理由にはならない!」
「飛ばすとは言ってない!」
「同じようなものだ!」
北西部遺跡の次回調査について話していた。
話していた。
少なくとも最初は。
エドナが二人を見る。
「喧嘩してるわね」
「喧嘩じゃない!」
ミクリオが言う。
スレイは少し考えた。
「いや、これはちょっと喧嘩じゃないか?」
「スレイ」
「あ」
ロゼが笑っていた。
ユトは二人を見た。
その後。
机の上の木箱を見る。
開いている。
重量を測る。
「条件成立を継続しています」
ミクリオが振り返った。
「今測るな!」
「意見対立時の結果は未確認でしたので」
「実験に利用するな!」
「参加同意の範囲内です」
「そうだけど!」
エドナが箱を見る。
「仲良くしてなくても共存してる判定なのね」
「現時点の一例では、その結果です」
「一例って言うあたりがユトね」
スレイが箱を覗く。
「じゃあ、共存って、ずっと一緒にいたり、同じ意見だったりしなくてもいいのかな」
ユトは少し考える。
「その可能性があります」
「可能性?」
「はい」
ユトは記録用紙へ書く。
『現時点の観測範囲では、「共存しつづける」は、常時の物理的近接、継続的な会話、意見の一致を必須条件としていない可能性がある』
ミクリオが読む。
「慎重だな」
「観測例が少ないので」
「それはそうだ」
スレイは、まだ開いている箱を見る。
「でも、思ってたより普通のことなのかもな」
「何がでしょうか」
「共存」
ユトは答えなかった。
少しだけ考えた。
「もし、関係性の異なる人間と天族についても同様の判定が成立するのであれば」
「うん」
「大多数の人間と天族に、親密な関係を要求する必要はない可能性があります」
ミクリオがユトを見る。
「……まだ、この箱一つだぞ」
「はい」
「僕とスレイの一例だけだ」
「はい」
ミクリオが少し安心した。
「そのため」
ユトが続ける。
「長期観測を行います」
「そうなると思ったよ」
***
「名前どうする?」
ロゼが聞いた。
「名前?」
「箱」
「必要でしょうか」
「記録するんでしょ?」
「はい」
ユトは考える。
「《人間スレイ及び天族ミクリオの継続的共存状態を判定条件とする木製誓約試験器》」
「長い」
即座にロゼが言った。
スレイが笑う。
「共存の木箱でいいんじゃないか?」
「情報量が不足しています」
「通称なら?」
ユトは少し考えた。
「通称として使用することに問題はありません」
「じゃ、共存の木箱」
エドナが決めた。
「分かりました」
「認めるんだ」
「正式名称とは別ですので」
***
夜。
スレイとミクリオは、少し離れた場所で、また遺跡の話をしていた。
今度は喧嘩していない。
意見は違うらしい。
けれど。
片方が話し。
もう片方が返す。
ユトは、その会話を聞きながら箱の重量を測った。
軽い。
中には何もない。
昼間の測定に使った金属塊も。
紙も。
道具も。
何一つ入れていない。
入れておく必要がなかった。
ユトは記録へ書く。
『条件成立継続』
それだけだった。
箱は、空だった。
何かを保管するために作ったものではない。
その中に、何かを入れておく必要もない。
確認するものは、最初から箱の外にあった。