ライラがセルディアへ来た。
正確には、来ていた。
昼前。
ユトは第一調査拠点から少し離れた通りを歩いていた。
最近増えた建物の位置を確認するためだった。
恒常居住者が増えたことで、以前は草地だった場所にも家が建ち始めている。
道も増えた。
正確には、人が繰り返し通った結果、道になった場所が増えた。
ユトは紙へ書く。
『第一調査拠点南東部、新規通行路形成』
その時。
少し先に、見覚えのある髪が見えた。
ライラだった。
荷物を持ち、セルディアの通りを眺めている。
その前に、一人の男が立っていた。
セルディアへ最近移り住んだ者だった。
「お嬢さん、見ない顔だね」
男が言う。
「旅の人? よかったら、お茶でもどう?」
「まあ」
ライラが微笑む。
その横へ、ユトが歩いていった。
「ライラさん」
「あら、ユトさん」
「到着されていたのですね」
「はい。つい先ほどですわ」
ユトはライラの荷物を見る。
「第一調査拠点へ向かう途中でしょうか」
「そのつもりだったのですが」
ライラは男を見る。
「お茶へ誘われていたところですの」
「そうでしたか」
ユトも男を見る。
「これからお茶へ?」
「え?」
「ライラさんと」
「あ、ああ。まあ」
「では、私も同行してよろしいでしょうか」
一瞬。
男が黙った。
ライラも黙った。
ただし。
ライラの口元は、少しだけ笑っていた。
「私は構いませんわ」
「ありがとうございます」
ユトは男を見る。
「よろしいでしょうか」
「……ええと」
「何か不都合がありますか?」
「いや」
男はユトとライラを交互に見る。
「二人、知り合い?」
「はい」
「長い付き合いですわ」
ライラが答えた。
「そ、そうなんだ」
「セルディアへ来られたばかりですので、私も同行した方が周辺の説明をしやすいと思います」
「周辺の説明?」
「はい。また、もし最近セルディアへ移住された方であれば、現在不便に感じている点についても――」
「あ」
男が声を上げた。
「どうされましたか」
「用事思い出した」
「そうですか」
「ああ。悪いな、お嬢さん。また今度」
「はい」
ライラが微笑んだ。
「お気をつけて」
男は、そのまま立ち去った。
ユトは少しだけ首を傾げた。
「急ぎの用事だったのでしょうか」
「そうかもしれませんわね」
ライラは楽しそうだった。
「では、第一調査拠点へ行きましょうか」
「はい」
「その前に」
「何でしょうか」
「せっかくですから、本当にお茶をいただきませんか?」
「分かりました」
二人は近くの店へ向かった。
***
店は、以前までなかった。
少なくとも、ユトがセルディアへ来た時には。
簡素な木造の建物。
飲み物と軽食を出している。
店主はユトを見ると、軽く手を上げた。
「導師さん。また調査か?」
「今日は違います」
「珍しいな」
「ライラさんをご案内しています」
「へえ」
店主がライラを見る。
「旅の人かい?」
「はい。ライラと申します」
ライラは微笑んだ。
「よろしくお願いいたしますわ」
「こっちこそ」
それだけだった。
ユトは席につく。
「何を飲まれますか?」
「ユトさんと同じもので」
「分かりました」
注文を終える。
飲み物が来るまでの間、ライラは店内を見回した。
「ここでは、本当に天族が見えるのですね」
「はい」
「昔なら、人間の方から『お嬢さん』と声を掛けていただくこと自体、なかなかありませんでしたもの」
「先ほどの方でしょうか」
「はい」
「声を掛けられていましたね」
「ええ」
ライラはカップへ口をつける。
少しだけ間を置いて。
「ユトさん」
「はい」
「先ほど、私が何をされていたか分かっていらっしゃいました?」
「お茶へ誘われていました」
「それだけですか?」
「他にも目的があったのでしょうか」
ライラはとうとう声を立てて笑った。
「やはり、そうでしたのね」
「何でしょうか」
「いいえ。後でどなたかに聞いてみてください」
「分かりました」
***
第一調査拠点へ戻る。
ライラは入口で足を止めた。
「……物が多いですわね」
机。
測定器具。
記録用紙。
地図。
七色灯。
そして。
木箱。
木箱。
木箱。
少し離れたところにも、木箱。
「誓約術式の試験器具が増えました」
「そうなのですね」
ライラは七色灯へ近づいた。
「これが、あの七色灯ですか?」
「はい」
「実物は初めて拝見しますわ」
「現在は昼間ですので使用できます」
ユトが七色灯を点灯する。
室内を暗くする。
七色灯が光った。
いくつもの色が混じり合い、暗い室内を淡く照らす。
「まあ……」
ライラは目を細めた。
「綺麗ですわね」
「ロゼさんも同様の評価をしました」
「ユトさんは?」
「視認性は高いと思います」
「ふふ」
「何でしょうか」
「いいえ」
ユトは室内を元の明るさへ戻した。
「手紙で拝見した時から、一度見てみたかったのです」
「必要であれば試作品の記録もあります」
「後でお願いしますわ」
「はい」
その隣。
何の変哲もない木箱が一つ置かれていた。
ライラが見る。
「こちらも、新しい実験ですか?」
「はい」
「どのような?」
「長期観測中です」
「そうなのですね」
「現在まで条件成立を継続しています」
「それは何よりですわ」
ライラは、それ以上聞かなかった。
ユトも説明しなかった。
箱は、ただそこにあった。
開いていた。
***
「ライラ!」
外から声がした。
スレイだった。
その後ろからミクリオも来る。
「来てたんだ!」
「はい。お久しぶりですわ、スレイさん、ミクリオさん」
「手紙では今日か明日くらいって書いてたけど」
「予定より少し早く到着できましたの」
「ユト、迎えに行ったのか?」
「いいえ」
「違うの?」
「既に到着されていました」
ライラが笑う。
「セルディアでお茶へ誘われていたところを、ユトさんが見つけてくださいました」
「お茶?」
スレイが聞く。
「知らない男の方から」
ミクリオがユトを見る。
「……君、分かっていたのか?」
「何がでしょうか」
「その男が、どういうつもりでライラを茶に誘っていたのかだよ」
「お茶を飲むためではないのでしょうか」
ミクリオは目を閉じた。
「もちろん茶を飲むつもりもあっただろうけど、それだけじゃないと思う」
「他の目的が?」
「たぶん、ライラに興味を持ったんだ。二人で話したかったんだろう」
ユトは少し考える。
「二人で?」
「いわゆるナンパだ」
「ナンパ」
「知らない相手に声を掛けて、二人で食事や茶に誘う。相手と親しくなりたいとか、恋愛関係になるきっかけを作りたいとか、そういう目的だ」
「なるほど」
ユトは頷いた。
「では、私は同行を申し出ない方が良かったでしょうか」
ミクリオが止まった。
「……どうしてそうなる」
「その男性がライラさんと二人で話すことを目的としていたのであれば、私が同行することで目的達成を阻害しています」
「いや、それは」
ミクリオがライラを見る。
ライラは微笑んでいる。
「……僕に聞くな」
「では、誰に?」
「まず本人に聞け。それでも分からなければロゼに聞け」
「分かりました」
ユトはライラを見る。
「ライラさん」
「はい」
「私が同行を申し出たことで、不利益はありましたか?」
「いいえ」
ライラは即答した。
「むしろ嬉しかったですわ」
「そうですか」
「はい」
ユトは少し考えた。
「では、問題はなかったのでしょうか」
「少なくとも、私はそう思いますわ」
「分かりました」
そこへ。
「何の話?」
ロゼが入ってきた。
手には七色灯の注文票を持っている。
「ロゼさん」
「ん?」
「確認したいことがあります」
「なに?」
「ライラさんは、セルディア到着直後、現地の男性からナンパを受けていました」
ロゼが一度止まった。
「ミクリオに教わった?」
「はい」
「早かったね」
「説明が明確でしたので」
ミクリオが疲れた顔をした。
ユトは続ける。
「その際、私は二人のお茶へ同行することを申し出ました。結果として男性は立ち去りました」
「うん」
「男性の目的がライラさんと二人で親しくなることだったのであれば、私はその目的を阻害しています」
「うん?」
「ライラさん本人は、私の同行について『むしろ嬉しかった』とのことでした」
「じゃあ別にいいんじゃない?」
「そうなのでしょうか」
「なんでナンパしてきた知らない男の目的を、ライラより優先するの」
ユトが止まった。
「優先しているつもりはありません」
「じゃあ、ライラが嫌じゃなかった。それどころか嬉しかった。なら、それでいいでしょ」
「相手男性の意思は?」
「ナンパって、相手が応じるかどうかも含めて相手次第だから」
「なるほど」
ユトはライラを見る。
「では、ライラさんが私の同行を望んでいたのであれば、男性側の目的を優先して離れる必要はなかった、ということでしょうか」
「そういうこと」
「理解しました」
ロゼが笑った。
「強いなあ」
「何がでしょうか」
「こっちの話」
ライラも楽しそうに笑っていた。
***
夕方。
ライラは、ユトが用意していた地脈観測記録を読んでいた。
当然、ユトはライラが来ると分かった時点で閲覧用資料をまとめていた。
ライラは何枚か読み、紙を置いた。
「ユトさん」
「はい」
「お手紙に、書いてくださったでしょう?」
「何についてでしょうか」
「『研究を目的としない場合も歓迎します』と」
「はい」
「嬉しかったですわ」
ユトは少し考える。
「研究目的でなくても、ライラさんの来訪を拒否する理由はありませんので」
「ええ」
「スレイさんから、記載した方が良いと助言を受けました」
「あら」
「ミクリオさんからも」
「そうでしたの」
ライラは笑った。
「お二人にも、後でお礼を申し上げなくてはいけませんね」
「必要でしょうか」
「必要ですわ」
「分かりました」
「ですが」
ライラは窓の外を見る。
建物が増えたセルディア。
人間が歩く。
天族も歩く。
誰かが誰かへ声を掛ける。
相手が何者なのか。
それを完全に理解している者ばかりではない。
それでも、声は届く。
「研究も、とても興味深いですけれど」
ライラが言った。
「今日は、皆さんに会いに来たかったのです」
ユトは頷いた。
「分かりました」
「はい」
「では、明日の予定には研究以外の時間も確保します」
ライラが目を瞬いた。
そして。
ゆっくり笑った。
「ぜひ、お願いしますわ」
「はい」
机の上。
七色灯の隣で。
長期観測中の木箱は、今日も変わらず置かれていた。
誰も、その箱について、それ以上の話はしなかった。