視察と報告が一通り終わった頃だった。
アリーシャは、第一調査拠点の机に積まれた資料を見ていた。
地脈観測記録。
居住者数の推移。
交易路の変化。
ユイの加護による天族知覚範囲の測定結果。
その横には、いくつもの木箱が並んでいる。
「……本当に増えたな」
「居住者でしょうか」
「それもだが」
アリーシャは木箱を見る。
「箱が」
「誓約術式の試験条件が増えましたので」
「そうか」
そういう答えが返ってくることには、もう慣れていた。
アリーシャは少しだけ笑う。
それから。
「ユト様」
「はい」
「一つ、個人的な頼みをしてもいいだろうか」
「内容によります」
「ふふ」
アリーシャが笑った。
「そう答えると思った」
「?」
「いや。大したことではない」
言って。
一度、言葉を止める。
「……貴方の作ったものを、何か一つ貰えないだろうか」
ユトがアリーシャを見る。
「私の作ったものですか?」
「ああ」
「何か必要な物がありますか?」
「必要、というわけではない」
「では、用途は?」
「用途も……特には」
ユトが考える。
アリーシャは少し困ったように続けた。
「ただ、欲しいんだ」
「私が作ったものであれば?」
「ああ」
ユトは頷いた。
「分かりました」
あまりにも素直な返事だった。
アリーシャの表情が少し明るくなる。
ユトは机を見る。
七色灯。
現在使用中の測定器具。
長期観測を続けている木箱。
記録資料。
その中から、一つの木箱を手に取った。
「では、こちらを」
差し出す。
アリーシャが受け取った。
「……箱?」
「はい」
両手に収まる程度の、ごく普通の木箱だった。
側面には、小さく試験番号が記されている。
装飾はない。
宝石もない。
リボンもない。
「これは、何の箱なんだ?」
「『地上でしか開かない』という誓約をかけた箱です」
アリーシャは箱を見た。
ユトを見る。
もう一度、箱を見る。
「……何故そのようなものを?」
「誓約術式が『地上』という語を、どの範囲まで含むものとして判定するか確認するためです」
「地上の範囲を?」
「はい」
「地上は、地上ではないのか?」
「私たちが通常使用している意味と、誓約術式上の判定が一致する保証がありませんので」
「……そうか」
分かったような、分からないような。
アリーシャは蓋へ手を掛けた。
開く。
「ここでは開くのだな」
「はい。セルディア原では条件成立を確認しています」
「他では?」
「屋内、地下遺跡でも開きました」
「地下でも?」
「はい」
「開かない場所はあるのか?」
「十分に陸地から離れた海上です」
アリーシャが顔を上げた。
「海?」
「一度アイゼンさんにお渡しして、十分に陸地から離れた海上で開かないことを確認しました」
「この箱を海まで?」
「アイゼンさんが航海中でしたので、検証をお願いしました」
アリーシャは手元の箱を見る。
先ほどより少しだけ複雑な顔になった。
「それは少し複雑だ」
ユトが止まる。
「嫌でしたか」
「いや」
アリーシャはすぐ答えた。
「嫌ではない」
「そうですか」
「ただ……」
何と言えばいいのか考える。
自分が欲しいと言った。
ユトが作ったものが欲しいと。
確かに。
これは間違いなくユトが作ったものだった。
しかも、おそらく世界に一つしかない。
ただし。一度、他の天族による海上試験を経ている。
「ユト様は、変なものを作るな……」
「必要な検証でしたので」
「悪いとは言っていない」
「はい」
ユトは少し考えた。
「別のものにしますか?」
アリーシャは箱を抱き直した。
「いや」
「よろしいのですか?」
「ああ」
今度は、はっきり頷く。
「これがいい」
「分かりました」
ユトはそれ以上聞かなかった。
「なお、現在予定している検証では使用しませんので、自由に使っていただいて構いません」
「本当に貰っていいのか?」
「はい。所有権もアリーシャさんへ移ります」
「所有権……」
「一度お渡しした後、研究上必要になった場合も、こちらの判断だけで回収はしません。追加測定が必要になった場合は、改めてお借りできないか確認します」
アリーシャが笑った。
「分かった」
「はい」
「大切にする」
「箱ですので、収納にも利用できます」
「……ああ」
「ただし、十分に陸地から離れた海上では開かないことを確認していますので、航海時の収納には推奨できません」
「ユト様」
「はい」
「大切にする」
一度目より、少し強く言った。
ユトは頷く。
「分かりました」
アリーシャは箱の側面に書かれた番号へ指を触れた。
「これは消さない方がいいのか?」
「実験器具としての識別番号です。アリーシャさんの所有物になりましたので、消しても問題ありません」
「なら、残しておく」
「何故でしょうか」
「これも含めて、貴方が作ったものだからだ」
ユトは少し考えた。
「そうですか」
「ああ」
アリーシャは笑う。
宝石でも、指輪でも、首飾りでもない。
地上でしか開かない。
一度、海へ行った。
番号の書かれた木箱。
それでも、ユトから初めて、個人的に贈られたものだった。
「ありがとう、ユト様」
「はい。喜んでいただけたのであれば良かったです」
その認識で、アリーシャには十分だった。