翌朝、ユトは、新しい紙を一枚広げた。
『誓約術式試験器具保管庫建設案』
その文字をユイは、すぐ近くから見ていた。
――家建てたら?
ユトの手が止まる。
「保管庫でしょうか」
――家。
「居住設備を併設するという意味ですか?」
――家。
「現在の第一調査拠点でも睡眠は可能です」
――そういう話じゃないんだけどなあ。
ユトは少し考える。
「では、必要な設備を教えてください」
――まず、寝るところ。
「あります」
――テントじゃなくて。
「恒久建築物の内部に寝室を設置するということですね」
――うん。
「他には?」
――ご飯食べるところ。
「現在も食事は可能です」
――研究しながらじゃなくて。
「……」
――ご飯食べるところ。
「分かりました」
ユトは紙の端へ書き足した。
『居住区画併設案』
――家って書けばいいのに。
「研究施設及び保管庫と一体化する可能性がありますので、現時点では正確ではありません」
――家もあるでしょ。
「はい」
――じゃあ家。
「検討します」
まだ家にはならなかった。
***
朝になって、スレイたちにも話した。
「誓約術式の試験器具が増加しているため、保管庫を新設しようと考えています」
「昨日の続きだな」
ミクリオが頷く。
「はい。また、ユイからは居住用の家も建てるよう提案されています」
「家?」
スレイの表情が明るくなる。
「いいじゃん!」
「何故でしょうか」
「何故って……ユト、ずっとここで寝てるだろ?」
スレイが周囲を見る。
第一調査拠点。
最初にこの場所へ来た時から使っている天幕だった。
ただし、中身は、当時とは大きく違っている。
地図。
測定器具。
記録用紙。
七色灯。
試験用の木箱。
郵便物を入れる箱。
その他の箱。
机代わりにひっくり返された箱。
そして、人。
「……狭くなったな」
スレイが言った。
「以前より収容物が増えていますので」
「そういう話じゃないと思うわ」
エドナが言った。
「そもそも、まだテント暮らしなの、ユトくらいじゃない?」
「旅人も天幕を使用しています」
「恒常居住者の話よ」
ユトが止まる。
「現在のセルディアの恒常居住者数は八十六名です」
「増えたわね」
「そのうち、恒常的に天幕のみを住居として使用している者は――」
ユトが記録を確認した。
「三名です」
「三人もいるの?」
ロゼが聞いた。
「一名は季節移動を前提としています。一名は住居建設中です」
「じゃあ実質ユトだけじゃん」
「そうなります」
ユトは頷いた。
ロゼが呆れた顔をした。
「人口八十六人の集落作っといて、自分だけ最初のテントで暮らしてるの?」
「集落を作った認識はありません」
「そこから?」
「セルディアへの定住は各人の判断によるものです」
「はいはい」
ロゼは手を振った。
「一時的に滞在してる人もいるの?」
スレイが聞く。
ユトは別の紙を出した。
「昨日の集計では、恒常居住者が八十六名。三十日以上継続して滞在している者が三十四名。商隊、調査、参拝、天族への相談等を目的とする短期滞在者は、一日平均四十七名です」
「……百人以上いる日もあるのか」
「はい」
ミクリオが外を見る。
天幕の入口から以前なら、草原が見えた。
今は家がある。
道がある。
朝から荷車が通っている。
少し離れたところでは、店が開き始めている。
人間が天族と話している。
「本当に増えたな」
「はい」
ユトは答えた。
いつもの調子だった。
***
「ユトさん、いますか?」
その声と同時に天幕の外から、人が入ってきた。
「はい」
「昨日の地脈観測の件なんですけど」
「記録はあります」
「それと、北側の道で荷車が詰まるって話が出てて」
「確認します」
「あ、あと公爵府から手紙」
「受領します」
「それから、七色灯を追加で三つ欲しいって商人が」
「ロゼさんへお願いします」
「了解」
男は出ていった。
入れ替わるように。
「ユトさん」
「はい」
「昨日来た天族の人、誰に相談すればいい?」
「内容は?」
「井戸の近くに昔からいる天族らしくて」
「後ほど確認します」
「分かった」
また一人。
さらに。
「ここ、郵便置いとくぞ」
「ありがとうございます」
袋が一つ増えた。
ミクリオが黙って見ていた。
「……ここ、何なんだ?」
「第一調査拠点です」
「それは名称だ」
「地脈観測、誓約術式研究、行政連絡、来訪者対応、郵便物の一次受領を行っています」
「役所じゃない?」
ロゼが言った。
「正式な行政機関ではありません」
「機能の話」
「複数機能が集中していることは認識しています」
「だったら」
ロゼは紙を見る。
「家だけじゃなくて研究所も作った方がいいよ」
「研究所」
「人が来る場所と、ユトが寝る場所、分けなよ」
「合理性があります」
ミクリオが即座に言った。
「採用しろ」
「はい」
早かった。
「では」
ユトが新しい紙を出す。
『恒久研究施設』
『試験器具保管庫』
『居住用建築物』
三つ。
「分けるの?」
スレイが聞く。
「用途が異なりますので」
「家と研究所と倉庫?」
「はい」
――家、できるね。
ユトが一瞬だけ視線を下げる。
「建設の必要性を確認した上で決定します」
――できるよ。
「何故でしょうか」
――みんな作る気だから。
ユトが周囲を見る。
スレイ。
ミクリオ。
ロゼ。
エドナ。
ライラ。
全員。
特に反対していなかった。
「……では、必要性について検討します」
「まだ検討するのか」
ミクリオが言った。
***
その日の午後、ユトは住民へ聞き取りを行った。
「恒久研究施設、試験器具保管庫及び居住設備の新設を検討しています」
「ユトさんの家?」
「居住設備を含みます」
「家だな」
「……はい」
一人目。
「いいんじゃない?」
二人目。
「むしろまだなかったの?」
三人目。
「研究所は欲しいですね。今のところ、質問あると全部あのテント行くしかないから」
四人目。
「倉庫も必要だろ。最近箱増えてるし」
「はい」
「何の箱なんだ、あれ」
「誓約術式の試験器具です」
「分からんけど、増えてるのは分かる」
「はい」
五人目。
セルディアへ比較的早い時期から住んでいる男だった。
図面を見て、首を傾げた。
「ユトさんの部屋、どれ?」
「こちらです」
一部屋。
最低限の寝台。
収納。
「小さくない?」
「睡眠及び私物保管に必要な面積は満たしています」
「まあ、いいけど」
男は図面を見る。
「前の案には部屋なかったよな」
「当初は保管庫のみを予定していました」
「なんで?」
「現在の天幕で生活可能なためです」
「でも」
男が周囲を見る。
「俺たちの家はあるぞ」
「はい」
「最初にここにいたユトさんだけ、ずっとテントなの変じゃない?」
ユトが止まった。
「……変でしょうか」
「変だろ」
即答だった。
「俺が来た時、ここ、あのテントしかなかったぞ」
「はい」
「今は家も店もある」
「はい」
「だったらユトさんも家に住めばいい」
ユトは少し考えた。
「恒常居住者の生活環境として、例外的な状態が継続していることは確認できます」
「そこから納得するんだな」
「具体的な指摘でしたので」
男は笑った。
「じゃあ作れよ」
「はい」
ユトは記録へ書いた。
『居住施設の新設について、周辺住民から重大な反対意見なし』
『第一調査拠点における生活環境の恒久化を支持する意見あり』
――家。
ユトは、ごく小さく頷いた。
「はい」
今度は。
「家です」
と答えた。
***
周辺住民への聞き取りとは別に、公国側の土地利用規則も確認した。
巡回行政官を通じて建設予定を報告し、当該地点への建設に制度上の問題がないことを確認した。
周辺にいる天族にも、建設予定地について要望や懸念がないか確認した。
いずれも、現時点で重大な問題は確認されなかった。
建設は思っていたより早く始まった。
セルディアにはもう、人がいた。
木工のできる者。
石積みに慣れた者。
遊牧生活の中で仮設構造物を組み立ててきた者。
交易を通じて金具を仕入れられる者。
道を整備した者。
地面を読む天族。
作業者ごとの工賃と、資材費を確認した。
「ここは少し低いわ」
エドナが言った。
「大雨の時、水が溜まる可能性がある」
「では基礎位置を変更します」
「こっちの方がいいわね」
「確認します」
ロゼは必要な金具と木材を商隊へ依頼した。
「この量なら、次の便でまとめて運べるよ」
「お願いします」
スレイとミクリオは資材を運んだ。
「スレイ、それそっちじゃない」
「こっちだろ?」
「印を見ろ!」
「あ」
「またか!」
ライラは火を使う工程を手伝った。
ユトは工程表を作った。
資材一覧を作った。
作業区域を区分した。
雨天時の中止基準を書いた。
怪我人が出た場合の対応手順を書いた。
「家一軒建てるだけですよ?」
大工の一人が言った。
「研究所と保管庫もあります」
「そういう意味じゃなくて」
「事故防止に規模は関係ありません」
「……まあ、そうですね」
結果。
妙に事故が少なかった。
妙に作業が早かった。
そして、建った。
***
家。
研究所。
倉庫。
三つ。
家は、小さい。
寝室。
食事をするための部屋。
簡単な調理設備。
収納。
窓。
研究所は、それより大きい。
来訪者対応用の部屋。
地脈観測資料。
地図。
誓約術式の記録。
測定器具。
そして。
「机だ」
スレイが言った。
「はい」
大きな机だった。
三人程度なら、同時に資料を広げられる。
今までユトは丈夫な木箱をひっくり返し。
その上で記録を書いていた。
「ついに買ったのね」
エドナが言った。
「恒常的な筆記及び資料整理を行う施設では、専用設備の方が適切です」
「今までずっと箱だったじゃない」
「当時は代替可能でしたので」
「じゃあ、あの箱どうするの?」
エドナが指した。
長年。
机だった箱。
「資料保管に使用します」
「箱に戻るの?」
「箱ですので」
ミクリオが振り返る。
「君が机にしてたんだろ」
「はい」
「……もういい」
倉庫には棚が作られた。
試験番号ごとに木箱が並ぶ。
共存の木箱。
人間条件の箱。
天族条件の箱。
その他。
これから増える予定の空き棚。
ミクリオはそこを見て。
「空き、多くないか?」
「今後の試験数が未確定ですので、余裕を持たせました」
「増やす気だ」
「必要に応じて」
否定はされなかった。
***
家にも机が一つ置かれた。
研究所のものより、小さい。
――これは?
ユトが机を見る。
「家で使用する机です」
――何に使うの?
「食事及び必要に応じた記録作業を想定しています」
――ご飯食べる。
「はい」
――ご飯食べる机。
「記録作業にも――」
――ご飯食べる机。
「……はい」
採用された。
その夜、ユトは初めて第一調査拠点ではなく、『家』で眠ることになった。
窓の外を見る。
灯りがあった。
一つではない。
いくつも店から漏れる光も家の窓の明かりも以前ここには何もなかった。
少なくとも、ユトが来た時には人の住む場所ではなかった。
今は道がある。
郵便が届く。
人が住んでいる。
天族がいる。
話をする。
離れる。
また来る。
――家だね。
「はい」
――ユトの家。
「はい」
少し間があった。
――わたしの家でもある?
ユトは少し考えた。
ユイは、ユトの外へ出ることができない。
なら、ユトが恒常的に生活する場所は、必然的にユイが恒常的にいる場所でもある。
「はい」
ユトは答えた。
「貴方の家でもあります」
――そっか。
それだけでユイは満足したようだった。
ユトは新しい机へ記録帳を置いた。
そして、一行。
『セルディア居住用建築物、運用開始』
少し考える。
その下に書く。
『恒久研究施設及び誓約術式試験器具保管庫についても、同日運用開始』
――家は?
「一行目が家です」
――家って書いてない。
「……」
ユトは見直した。
そして。
『セルディア居住用建築物――家、運用開始』
と書き足した。
「これでよろしいでしょうか」
――うん。
窓の外ではまだ、人の声がしていた。
最初は調査拠点だった。
その周囲に人が集まった。
道ができた。
店ができた。
家ができた。
そして最後にユトの家も、そこへ加わった。