ズイフウがセルディアへ来た。
スレイとミクリオが戻ってから、しばらく後のことだった。
彼女は、セルディアへ入ったところで一度動きを止めた。
「……ここが?」
「セルディア」
スレイが答える。
「ユトが最初に来た時は、ほとんど何もなかったんだけどな」
「今も、ユトは街を作ったつもりはないらしいけどね」
ミクリオが付け加えた。
ズイフウは周囲を見る。
道がある。
家がある。
店がある。
荷車が行き交っている。
少し離れたところでは、人間が一人の天族と話していた。
「昨日の夜、井戸の辺りで変な音しなかった?」
「知らん。俺は西にいた」
「そっか。じゃあ別の人にも聞いてみるよ」
「そうしろ」
それだけ。
人間は礼を言って去っていった。
天族も、特に気にした様子はない。
ズイフウは二人を目で追った。
「……あの人間は」
「天族が見えてる」
スレイが言った。
「ユイの加護が、ここの地脈の影響で通常より広い範囲まで届いてる可能性が高いらしい」
「……そうですか」
ズイフウは、もう一度振り返った。
人間はもう別の者と話していた。
先ほどの天族も、どこかへ歩いていく。
互いに特別なことをした様子はなかった。
「こちらです」
ミクリオが言った。
ズイフウは二人の後ろについていった。
***
以前の第一調査拠点の近くには新しい建物が三つ建っていた。
「……増えていますね」
「家と研究所と倉庫」
スレイが説明する。
「少し前まで全部テントに入ってた」
「全部?」
「研究資料も、郵便も、測定器具も」
「箱も」
ミクリオが付け加えた。
「箱?」
ズイフウが反応する。
「ああ」
「例の?」
「例の」
二人の返答が重なった。
研究所へ入る。
広い机がある。
地図。
地脈観測記録。
書類。
測定器具。
そして、ユトがいた。
「ズイフウさんですね」
「はい」
「お待ちしていました」
ユトは立ち上がった。
「スレイさんとミクリオさんから、天界と地上の誓約について情報をお持ちだと伺っています」
「ええ」
「確認したい事項があります。よろしいでしょうか」
「そのために来ました」
「ありがとうございます」
ユトは紙を一枚出した。
「まず、情報源を確認します」
「情報の内容ではなく?」
「内容も確認します。ただし、直接確認した事実、記録による情報、他者からの伝聞、ズイフウさん自身の推測は分けて扱う必要があります」
「……なるほど」
「誓約が結ばれた場面について、ズイフウさん自身が直接確認した情報はありますか」
ズイフウは少し考えた。
「はい」
ユトが書く。
「誓約の文言をお願いします」
「地上で人間と天族が共存しつづける」
ユトの筆が止まる。
既に知っている言葉だった。
それでも一字ずつ記録する。
「誓約によって得られる力は?」
「天界と地上がつながり、ひとつになることです」
ユトは、それも書いた。
『誓約:
地上で人間と天族が共存しつづける』
『力:
天界と地上がつながり、ひとつになる』
「次です」
「はい」
「以前、スレイさんたちへ『彼らの夢が実現した時、天界の門は開かれ、人間と天族、天界と地上はひとつになる』と説明したそうですね」
「ええ」
「『彼らの夢が実現した時』という部分は、誓約そのものの文言でしょうか」
ズイフウが止まった。
「……いいえ」
「では、誓約を結んだ地上側の天族たちによる理解ですか?」
「そうです」
ユトが別の欄へ書く。
『当時の地上側理解:
人間と天族の共存が実現した時点で、誓約の力が発動する』
「実際には?」
「違いました」
「その事実は、誓約締結時に確認したものですか?」
「……いいえ。後から知りました」
ユトは記録欄を分ける。
「分かりました。続けてください」
「誓約は、結ばれた時から既に発動していた」
「はい」
「そして、『共存しつづける』という条件を満たせない状態が、誓約を破っている状態として扱われた」
「……はい」
「その反動が、人間の業魔化及び天族のドラゴン化」
「そうです」
ユトは記録する。
静かだった。
紙を擦る音だけがする。
ズイフウは、その手元を見ていた。
「あなたは」
「はい」
「随分、淡々と聞くのですね」
ユトが顔を上げる。
「正確に記録する必要がありますので」
「……そうですか」
ズイフウは目を伏せた。
「私たちは、何万年も人間を信じました」
スレイとミクリオが黙る。
「人と天族が共に生きられるといつか、誓約を果たせると」
ズイフウの手が、膝の上で握られる。
「聖主と契約を交わせるほどの強い霊応力と、まっすぐな意志を持った人間にも希望を託しました」
「聖主の契約者」
スレイが言った。
「はい」
ズイフウは頷いた。
「それでも」
少し声が震える。
「何万年も人間を信じたのに、だめだった」
研究所の外から人の声が聞こえる。
誰かが笑っている。
荷車の音。
天族と話す人間の声。
ズイフウは一度だけ、窓の方を見た。
「……それでも」
スレイが言った。
「ここにはいるよ」
ズイフウが見る。
「人間も」
ミクリオが続ける。
「天族もね」
「……ええ」
ズイフウは小さく頷いた。
ユトはその間も、記録していた。
***
「次に」
ユトが新しい紙を出した。
「誓約達成時の力について確認します」
ズイフウの表情が少し変わる。
「『天界と地上がつながり、ひとつになる』ですね」
「はい」
「具体的に何が起きるのですか」
「……」
ズイフウは答えなかった。
「天界と地上の空間が直接接続されますか」
「分かりません」
「物理的な移動が可能になりますか」
「分かりません」
「地脈、霊力、穢れを含むエネルギーの移動経路が形成されますか」
「……分かりません」
「接続は恒久的ですか、切断可能ですか」
「分かりません」
「『ひとつになる』とは、二つの領域が区別不能になるという意味でしょうか」
「……分かりません」
「天族または人間の個体へ影響はありますか」
「分かりません!」
ズイフウの声が大きくなった。
ユトの手が止まった。
「すみません」
「いえ」
ズイフウは息を整える。
「……その力が実際に発動したことはありません」
「はい」
「共存が達成されたことがないのですから」
「つまり、実例なし」
「そうです」
ユトは記録した。
『成功時挙動――実例確認できず』
『「つながる」「ひとつになる」の具体的定義――不明』
ズイフウはその文字を見た。
「あなたは、そこにも罠があると思っているのですか?」
スレイがユトを見る。
ユトは、少しも迷わなかった。
「分かりません」
「……」
「現時点で、誓約達成時の力に意図的な有害作用が設定されていることを示す証拠はありません」
ズイフウの表情がわずかに緩む。
「では――」
「同時に」
ユトが続ける。
「安全であると判断できる資料もありません」
ズイフウが止まる。
「……」
「未確認です」
それだけだった。
ミクリオが言う。
「前半に罠があったから後半にもある、と決めているわけじゃないんだな」
「はい」
「でも、前半に罠があったのに、後半は確認しなくていいとも言えない」
「はい」
スレイが頷いた。
「ユトらしいな」
「何がでしょうか」
「分からないものを、分からないまま安全だって決めないところ」
「はい」
ユトにとっては特に褒められた認識はなかった。
必要なことだった。
***
ユトは立ち上がった。
「既に小規模な誓約術式による確認を開始しています」
ズイフウが少し遠い目をした。
「……箱ですね」
「はい」
「本当に箱なのですね」
「はい」
スレイが笑った。
「オレたちも同じこと言った」
「言ってない」
「似たようなことは言っただろ」
「それはそうだが」
ユトは研究所の隣にある倉庫へ移動した。
三人もついていく。
扉を開ける。
棚。
棚。
棚。
そこに同じような木箱が並んでいる。
側面には試験番号。
記録札。
条件。
実施日。
ズイフウが立ち止まった。
「……」
スレイが隣を見る。
「大丈夫?」
「……何万年も続いた誓約について調べている場所だと聞いていました」
「はい」
「もう少し」
ズイフウは言葉を探す。
「何か……」
「荘厳な?」
スレイが聞いた。
「そこまでは言いませんが」
目の前には木箱が並んでいる。
「……本当に箱なのですね」
二度目だった。
「重量変化による条件成立確認が容易なためです」
「理由は聞きました」
「はい」
「理解もしています」
「はい」
「それでもです」
「そうですか」
ユトは一つの箱を示した。
「こちらが《共存の木箱》です」
ズイフウの表情が変わった。
近づく。
「これが……」
「はい」
スレイとミクリオが共存しつづける間だけ開く。
それだけの条件。
それ以外は定義していない。
重量を測る。
「条件成立継続」
記録する。
ズイフウがスレイを見る。
ミクリオを見る。
「二人が離れていても?」
「開いてた」
「会話していなくても?」
「開いていたよ」
「意見が対立しても?」
スレイが笑う。
「開いてた」
「だから、あれは対立じゃなくて――」
「まだ言うのか?」
「お前が先に言ったんだろ!」
また始まった。
ズイフウはしばらく、二人を見ていた。
「……それでも」
「はい」
ユトが答える。
「条件成立は継続しています」
「そうですか」
ズイフウは、小さく息を吐いた。
箱は開いたままだった。
***
さらに奥。
空いている棚がある。
ズイフウがそれに気づいた。
「……これは?」
「今後の試験器具を保管するための空きです」
「まだ増えるのですか?」
「必要に応じて」
ミクリオが言った。
「僕も同じことを聞いた」
「そして?」
「その答えだった」
「そうですか……」
ズイフウは妙に納得した。
ユトは研究所へ戻る。
新しい紙を出した。
上部に一つの言葉を書く。
『つながる』
ズイフウが見る。
「次は、それですか」
「はい」
「何をするつもりです?」
「まず、小規模な誓約において『つながる』という語が、どのような状態を条件成立と判定するのか確認します」
「……」
「対象間の直接接触、物理的な連結、間接的な連結等を比較します」
「……また箱で?」
ユトは考えた。
「現時点では、箱を使用する予定です」
ズイフウが目を閉じた。
スレイが笑いを堪えている。
ミクリオはもう驚かなかった。
「慣れてきた自分が嫌だな」
「何にでしょうか」
「箱が増えることにだよ」
ユトは、紙へ試験項目を書き始めた。
直接接触。
固定。
紐による連結。
離隔。
その他。
ズイフウは、その文字を眺めた。
何万年も終わらなかった問い。
人間と天族は本当に共に生きられるのか。
その答えを探す場所は、彼女が想像していたものとは随分違っていた。
研究所があり。
その隣には倉庫があり。
倉庫には木箱が並んでいる。
外へ出れば、人間と天族が特別でもなく。
話をしている。
ズイフウは、窓の外を見た。
「……ゼンライ」
小さく。
呟く。
「あなたが見たら、何と言うのでしょうね」
ユトは聞いていなかった。
次の箱の寸法を測っていた。