翌日。研究所の机にはまた、木箱が並んでいた。二つ。側面には、それぞれ異なる試験番号。その横に、小さく《甲》《乙》と記されている。
「今日は二つなんだな」
スレイが言った。
「はい」
「安心していいのか?」
「何についてでしょうか」
「増えてないこと?」
「昨日とは別の試験器具です」
「増えてるじゃないか」
ミクリオが言った。
ユトは紙を広げる。
『試験対象語――ひとつになる』
その下。
『試験箱・甲と試験箱・乙がひとつになっている間、試験箱・甲の重量が軽くなる』
「昨日の『つながる』と似てるな」
「比較のため、可能な範囲で同様の条件を使用します」
「今回も『ひとつになる』の定義はしない?」
「はい」
スレイが二つの箱を見る。
「じゃあ、まず離す?」
「はい」
甲。乙。机の両端。測定。
「変化なし」
次に、隣へ置く。変化なし。側面同士を接触させる。変化なし。
「ここまでは昨日と同じだな」
ミクリオが言った。
「次に、紐で結びます」
「あ」
スレイが少し笑う。
「昨日はこれで『つながる』になった」
「はい」
甲と乙を結ぶ。離す。紐が伸びる。甲を秤へ載せた。
針は、動かなかった。
「……軽くならない」
「はい」
ユトが記録する。
『甲乙間・紐による連結――条件不成立』
ミクリオが箱を見る。
「『つながっている』けど、『ひとつになっている』とは判定されない」
「昨日と本日の試験結果を比較する限り、その可能性があります」
スレイが頷く。
「つながるのと、ひとつになるのは同じじゃないんだな」
「少なくとも、今回の術式では」
「はいはい」
ミクリオが先に言った。
「天界と地上について同じとは限らない」
「はい」
「覚えたよ」
「ありがとうございます」
「褒められた気がしない」
***
次に、甲と乙を一枚の板へ固定した。同じ板。一方を動かせば、もう一方も動く。
測定。
「変化なし」
「これも駄目か」
スレイが言った。
「一緒に動くだけでは、条件成立を確認できませんでした」
「じゃあ、何をすれば一つになるんだ?」
「確認します」
ユトは別の部品を持ってきた。甲と乙を横に並べ、その周囲へ木製の外枠を取り付ける。
外枠ごと秤へ載せる。
あらかじめ測定した総重量と比較する。
針が動いた。
「甲の重量軽減分に相当する変化を確認しました」
ユトが記録する。ミクリオが外枠を見る。
「でも」
「はい」
「甲と乙は、まだ見分けられる」
「はい」
「中も分かれてる」
「はい」
「それでも、『ひとつ』?」
「誓約術式上は、条件が成立しています」
ユトは紙へ書いた。
『構成要素甲・乙の識別可能性を維持した状態で、「ひとつになる」条件成立を確認』
スレイが箱へ顔を近づける。
「甲が乙になったわけでもないし、乙が甲になったわけでもない」
「はい」
「二つとも残ってる」
「はい」
「でも、一つでもある」
「今回の試験では、そのように判定されています」
「……面白いな」
スレイが言った。
ミクリオも少し考えてから頷いた。
「『ひとつになる』ために、元々あった二つの区別を全部消す必要はないのかもしれない」
「本試験では、その可能性があります」
「それなら」
スレイが口を開く。
「天界と地上も――」
「適用できるとは限りません」
「まだ最後まで言ってない!」
「推測可能でしたので」
ミクリオが笑った。
「今度はユトが先回りしたな」
***
外枠を外す。不成立。取り付ける。成立。内部の仕切りを一部取り外す。成立。元へ戻す。成立。
「境目があるかどうか自体は、関係ない?」
スレイが聞く。
「少なくとも、この仕切りの有無では条件が変化しませんでした」
「境界があっても一つ」
「今回の試験では」
「分かってる」
さらに、乙だけを外枠から外した。条件不成立。
乙を戻す。成立。
今度は甲だけを外す。条件不成立。
ミクリオが腕を組む。
「当たり前と言えば当たり前か」
スレイが首を傾げた。
「でも、甲だけなら箱は一個だよな?」
「一般的な個数としては一個です」
「でも、『甲と乙がひとつ』って条件は成立しない」
「はい」
「二つともいないと駄目なんだ」
ユトが記録する。
『構成要素の一方を除去した場合、条件不成立』
「片方をなくして一個にするのは、『二つがひとつになる』とは違うんだな」
「今回の術式では、はい」
スレイは少しだけ、その言葉を考えていた。
だが、ユトは次の試験へ進んだ。
***
「箱の中に箱を入れたら?」
スレイが言った。
ユトが止まる。
「内包状態でしょうか」
「うん」
「確認する価値があります」
ミクリオが嫌な顔をした。
「今から?」
「内包可能な大きさの試験器具があります」
「なんであるんだ」
「想定していましたので」
「聞いた僕が悪かった」
ユトが倉庫へ行く。戻ってくる。
木箱が二つ増えた。一つは大きい。一つは小さい。側面には、それぞれ《丙》《丁》の文字。
ミクリオが見る。
「……増えたな」
「内包試験用です」
「一つになる実験をしてるのに箱の総数は増えていくんだな」
「必要な試験器具ですので」
「分かってるよ」
大きな箱を丙。小さな箱を丁とする。
同じ誓約。
『試験箱・丙と試験箱・丁がひとつになっている間、試験箱・丙の重量が軽くなる』
まず、丁を丙の内部へ入れた。ただ置くだけ。
「外から見ると、一個っぽいな」
「蓋は開いています」
測る。
「変化なし」
ユトが記録する。
『丙丁間・単純内包――条件不成立』
「入ってるだけじゃ駄目か」
「はい」
「じゃあ蓋閉めたら?」
丙の蓋を閉じる。丁は完全に見えなくなった。外から見れば、ただの大きな木箱が一つ。
測定。変化なし。
「……駄目だ」
スレイが言った。
「外部から一個に見えるかどうかは、今回の条件成立に影響していない可能性があります」
ミクリオが蓋を開ける。中には当然、丁がある。
「見えなくなっただけで、丁がなくなったわけじゃないからな」
「はい」
「じゃあ」
スレイが聞く。
「丙の中に丁を固定したら?」
「確認します」
丁を丙の内部へ固定する。簡単には動かない。丙を持ち上げれば、内部の丁も同じ構造の一部として動く。
測定。
針が動いた。
「……成立した」
「はい」
ユトが記録する。
『丙丁間・内部への固定――条件成立』
ミクリオが覗き込む。
「内側の箱はそのままだな」
「はい」
「丙の中にあるけど、丙に吸収されたわけじゃない」
「はい」
「固定を外したら?」
外す。丁は、まだ丙の中にある。
測定。不成立。
スレイが目を丸くする。
「場所は同じなのに」
「はい」
「中に入っているだけでは駄目で、構造として組み込まれた時だけ成立した」
「現時点では、そのように解釈できる可能性があります」
ミクリオが紙を見る。
「内包と、一体になることも同じじゃない」
「はい」
ユトは書いた。
『丙丁間・単純な内包のみでは条件成立せず』
『外部からの視認不能化によっても条件変化なし』
『丙内部へ丁を固定し、一体の構造物として扱える状態では条件成立』
『固定解除後、内包状態を維持したまま条件不成立へ移行』
少し考え、さらに書く。
『少なくとも本試験において、「ひとつになる」は「一方が他方の内部へ存在する」と同義ではない可能性』
「……だったら」
ミクリオが言った。
「もし、天界と地上が『ひとつになる』としても」
ユトが顔を上げる。
「どちらかが、もう片方に飲み込まれなければならないとは限らない」
「はい」
ユトは頷いた。
「その可能性を示す結果ではあります」
「ただし」
スレイが先に言った。
「箱の結果だけじゃ、天界と地上について断定はできない」
「はい」
「言えた!」
「何がでしょうか」
「ちょっと嬉しい」
ユトには、何が嬉しいのか分からなかった。
***
その頃。セルディアから遠く離れた場所で、ザビーダは一通の手紙を受け取っていた。
「アリーシャ?」
差出人を見て、首を傾げる。
「珍しいな」
アイゼンが言った。
「ああ。俺様に何の用だ?」
封を開く。最初は簡単な挨拶だった。スレイたちの近況を気遣う言葉。セルディアについて。それから。
『突然、このような相談をして申し訳ない』
『ユト様から、恋愛について相談するのであれば、ザビーダ様が適任ではないかと助言を受けた』
ザビーダの目が止まった。
「…………」
「どうした」
「あいつ」
「ユトか」
「なんで俺様を恋愛相談窓口にしてんだよ!」
アイゼンが少し考える。
「適任だと思われたんだろう」
「そこじゃねえ!」
「ではどこだ」
「色々だよ!」
どこかで聞いたような返事だった。
ザビーダは続きを読む。
『私は最近、ある方のことを以前より頻繁に考えるようになった』
『会えない期間が長いと、会いたいと思う』
『その方から手紙が届けば嬉しい』
『何かを成し遂げたと聞けば、自分のことのように誇らしく思う』
「……」
「分かったのか?」
「いや」
ザビーダは読み進める。
『また、その方から頂いたものを、見るたびに嬉しくなる』
「へえ」
『ただ、その方は感情の機微にあまり詳しくない』
「……」
『私が遠回しに伝えても、別の意味として受け取られることが多い』
ザビーダの眉が寄る。
アイゼンが横から見る。
「分かったのか」
「……分かりたくねえ」
さらに。
『以前、その方が作ったものを何か一つ欲しいと頼んだ』
『すると、地上でしか開かないという誓約をかけた木箱を頂いた』
「ユトじゃねえか!!」
鳥が飛び立った。
アイゼンは驚かなかった。
「そうだろうな」
「木箱で身元特定できる恋愛相談って何だよ!」
「俺に聞くな」
「しかもその箱、俺と海に出たやつじゃねえか!」
「正確には俺が持っていった」
「知ってるよ!」
ザビーダは頭を抱えた。
「何してんだ、あいつ……」
少しして手紙へ戻る。
『これは恋愛感情なのだろうか』
『私自身、そのように思うこともある』
『だが、尊敬や信頼を恋愛感情と取り違えているだけではないかとも思う』
『ザビーダ様なら、どう考えるだろうか』
「……」
今度は、ザビーダはすぐに返事をしなかった。
「どうする」
アイゼンが聞く。
「どうするも何も」
ザビーダは手紙を閉じる。
「俺様が、勝手に決める話じゃねえよ」
「恋ではないと?」
「逆だ」
ザビーダは肩を竦めた。
「恋かどうかなんて、本人以外が判定するもんじゃねえだろ」
「珍しくまともだな」
「珍しくは余計だ」
紙を出す。筆を持つ。
『相談してくれてありがとな』
少し考える。
『最初に言っとくが、それが恋かどうかを俺様が決めることはできねえ』
『尊敬も信頼も恋も、綺麗に別々の箱に入ってるわけじゃない』
そこで、ザビーダの手が止まった。
「……箱」
「どうした」
「いや」
嫌なものが頭をよぎった。だが、そのまま書く。
『尊敬してる相手を好きになることだってある』
『好きな相手だから信じたいと思うこともある』
『会いたい。手紙が来たら嬉しい。相手が何かやったら誇らしい。貰ったものを大切にしたい』
『そう思ってることまで、わざわざ何か一つの名前に押し込める必要はねえんじゃないか』
そこまで書いて、ザビーダは一度筆を置いた。
「まともだな」
「だから何で驚くんだよ」
アイゼンは黙った。
ザビーダは再び筆を取る。
『ただし』
文字が少し強くなる。
『相手があいつなら、一つだけ忠告しとく』
『遠回しに言うのはやめろ』
「……」
『「ある人のことが気になっています」なんて言っても、あいつは永遠に自分のことだと気付かねえぞ』
アイゼンが覗く。
「正しいな」
「だろ?」
『察してほしいと思うな』
『誰について話しているのかは明示しろ』
『できるなら、「あなたのことが好きかもしれない」と言え』
筆が止まる。
「……アリーシャには難しいかもな」
「だが、ユトには必要だろう」
「そうなんだよなあ」
さらに書く。
『少なくとも、そこまで言えば「誰の話ですか」とは聞かれねえ』
ザビーダは考える。
少し。
嫌な予感がした。
『たぶん』
と付け足した。
アイゼンが言う。
「弱気になったな」
「相手がユトだからな」
「なるほど」
「納得すんな」
***
返事を書き終える。封をする。ザビーダは、しばらくその手紙を見ていた。
「自分で言ってやればいいんじゃないか」
アイゼンが言う。
「何を?」
「遠回しに言っても分からないんだろう」
「……」
「雨のことも」
「雨の話をするな!」
ザビーダは勢いよく立ち上がった。
「だいたい俺様は今、恋愛相談してんだぞ! なんで雨が出てくんだ!」
「お前の問題だからだろう」
「問題じゃねえ!」
「そうか」
「その『そうか』やめろ!」
アイゼンはそれ以上言わなかった。ザビーダは少しだけ嫌な顔をしたまま、手紙を荷物へ入れた。
***
数日後。セルディアへ、アリーシャから短い手紙が届いた。
『助言ありがとう』
『ザビーダ様へ相談した』
『とても参考になった』
ユトはそれを読む。
「適切な相談先だったようです」
「……そうね」
エドナが言った。
「何でしょうか」
「何でもないわ」
「分かりました」
ユトは手紙を保存する。その後、研究所へ戻った。
机にはその日の実験記録がある。
『「つながる」と「ひとつになる」は、本試験では異なる条件として判定された』
『「ひとつになる」条件成立時も、構成要素甲・乙の識別可能性及び内部境界は維持可能』
『一方の構成要素を除去した場合、条件不成立』
『単純な内包のみでは条件成立せず』
『構造の一部として固定した場合、条件成立』
最後に。
『したがって本試験において、「ひとつになる」は「構成要素が区別不能になる」「一方が他方へ吸収される」「一方が消失する」と同義ではない可能性』
その下。
『天界及び地上への適用可否――未確認』
ユトは、記録に不足がないことを確認した。
試験箱・丙と試験箱・丁は、それぞれ倉庫へ戻された。
試験箱・甲と試験箱・乙は、二つのまま、同じ棚に並べて保管された。