セルディアは、また人が増えていた。
第一調査拠点だった天幕は、もう残っていない。
その跡地の近くには研究所があり。
倉庫があり。
ユトの家がある。
その周囲には。
さらに家が増えた。
店が増えた。
宿が増えた。
荷車の停留所ができた。
郵便を集める場所ができた。
夜には、道沿いに灯りが並ぶ。
ユトが最新の記録を確認する。
『恒常居住者――人間二百三十一名』
『セルディアを主要生活圏として確認済みの天族――七十四名』
その他。
長期滞在者。
商隊。
旅人。
セルディアの天族へ相談するために訪れる者。
一日にこの場所へいる人数は、もっと多い。
「もう町だよな」
スレイが言った。
「都市または町としての正式な指定は確認していません」
「まだ言うんだな」
「はい」
ミクリオは。
もう何も言わなかった。
***
研究所の机には。
今回、箱がなかった。
スレイが最初にそこを見る。
「……箱、ないな」
「ありません」
「本当に?」
「はい」
ミクリオがユトを見る。
「何を疑ってるんだ」
「最近、研究所に来るたび増えてたから」
「気持ちは分かる」
「今回は、セルディア全域を実験対象地域とします。スラガ公からの許可は既に得ています」
「……」
スレイが止まった。
「箱より大きくなった」
「そういう問題じゃない」
ユトは紙を広げた。
これまで行った、小規模誓約術式の記録。
参加者数。
制約の強さ。
得られた力。
その比較。
「天界と地上の誓約へ補足定義を加える場合、現在の参加者のみでは出力が不足する可能性が高いと考えています」
「やっぱりか」
ミクリオが言った。
「必要な出力そのものを正確に測定することは、現時点ではできません。ただし、数名から十数名程度の参加では、世界規模の既存誓約へ干渉できると判断できる結果は得られていません」
スレイが腕を組む。
「だったら、一人一人の制約をもっと――」
「反対します」
「まだ言い終わってないぞ」
「スレイさん自身、あるいは少数の参加者へ大きな制約を追加し、出力を増加させる案でしたら反対します」
「……そうだけど」
「やっぱりな」
ミクリオが言った。
「何で分かったんだ?」
「過去の傾向です」
「オレ、そんなに分かりやすい?」
「はい」
「即答だなあ」
ライラが苦笑する。
「でしたら、天族側の誓約を強くするという方法も――」
「同様に反対します」
「あら」
エドナが椅子にもたれた。
「全員先回りされたわね」
「少数者へ負担を集中させる必要があると確認された場合は再検討します。しかし、まだ他の方法を検証していません」
ロゼが紙を見る。
「他の方法って?」
ユトは一行書いた。
『参加者数』
「一人が大きな制約を引き受けるのではなく、多数が小さな制約を引き受けた場合について確認します」
スレイが外を見る。
窓の向こう。
人が歩いている。
「……セルディアのみんなに?」
「希望者の意見を確認します」
「実験に参加してください、って?」
「それだけではありません」
ユトは続けた。
「居住者へ実際に制約が発生する以上、誓約内容を私が単独で決定することも適切ではありません」
「じゃあ?」
「住民に決めてもらいます」
ロゼが瞬いた。
「投票?」
「はい」
――みんなで決めるんだ。
ユイの声がする。
「はい」
ユトだけが答えた。
***
まず。
誓約案を募集した。
セルディア中央の掲示板。
研究所。
市場。
郵便受取所。
複数の場所に説明文を置いた。
『セルディア限定共同誓約実験』
『目的:
多数の参加者が軽度の制約を共有した場合に得られる術式出力の確認』
『条件:
生活上の危険が小さいこと。
特定個人または特定種族へ一方的に不利益を課さないこと。
停止時に重大な事故が発生しないこと。
内容を事前に公開できること。』
そして。
『誓約内容案を募集します』
数日後。
集まった。
「井戸を汚さない」
「荷車で道を塞いだままにしない」
「祭祀中の天族の場所へ勝手に入らない」
「人の家に勝手に入らない」
「夜中に大声で喧嘩しない」
エドナが紙を見る。
「世界法則を調べてるのに、騒音問題が混ざってるわよ」
「実際に困っている者がいるのであれば、生活上の課題です」
「そうでしょうね」
別の案。
『天族の存在を理由に、利用している土地を一方的に奪わない』
『人間が後から来たことのみを理由に、天族が一方的に退去を要求しない』
『生活上の争いが起きた場合、まず話し合う』
ミクリオが最後を見る。
「『まず話し合う』は分かりやすいけど、全ての場合に可能とは限らないな」
「はい」
ユトが頷く。
「暴力が発生している場合や、災害、業魔等による危険がある場合、即時退避を妨げる可能性があります」
「なら、もう少し狭くする?」
「その予定です」
何度か。
住民と話した。
天族とも話した。
文言を直した。
また見せた。
質問を受けた。
また直した。
最終的に。
三案が残った。
『第一案
共用されている水源及び道路の利用方法を変更する場合、主な利用者へ事前に通知する』
『第二案
人間または天族が継続的に利用している場所について、他方が一方的に利用不能としない』
『第三案
この誓約に参加し、セルディアに生活拠点を置く人間及び天族は、生活上の紛争が生じた場合、危険回避のための緊急措置を除き、相手をセルディアから退去させることを最初の解決手段として選択しない』
スレイが三枚を読む。
「三つ目、前に話してた『共存』に近いな」
「はい」
「嫌いでもいい。でも、いきなり『出ていけ』にはしない」
「概ねそうです」
「概ね?」
「退去自体を禁止しているわけではありません。重大な危険行為等がある場合まで退去措置を禁止すると、別の問題が生じます」
「そこはちゃんと残すんだな」
「はい」
エドナが紙を覗く。
「仲良くしろとも書いてないわね」
「不要ですので」
「言い切ったわね」
「今回の目的には不要です」
***
次に。
誰が投票するのかを決めた。
ここでも。
問題が出た。
「商隊で十日くらいいる俺も住民?」
「今回の投票では対象外です」
「なんで?」
「生活拠点がセルディアにないためです」
「じゃあ半年の半分くらいいる奴は?」
「個別に確認します」
「面倒だな」
「はい」
「そこ認めるんだ」
人間側は比較的簡単だった。
既に居住記録がある。
固定住所がない者についても。
個人識別。
所属集団。
季節移動。
セルディアで生活する期間。
それらを確認してきた。
問題は天族。
「真名を書くのか?」
一人の天族が聞いた。
「いいえ」
ユトは即答した。
「真名は収集しません」
「じゃあ、どうやって同じ奴が二回投票してないって確認する?」
「普段使用している名、識別番号、主な活動地域、固定または移動の別、最終確認記録を使用します」
「人間の役所みたいだな」
「人間側の制度をそのまま適用する意図はありません」
「違うのか?」
「天族側で必要な情報と、管理方法を別途設定します」
ミクリオもそこへ加わった。
「真名まで渡す必要はない。普段の名前だって、変えたければ変更できるようにすればいい」
「はい。その場合は識別番号側で継続性を確保します」
「番号で呼ばれるのは嫌だぞ」
「通常の呼称として使用するものではありません」
「ならいい」
少しずつ制度ができた。
セルディアを主要な生活圏とする天族。
長期間滞在するが、別地域にも生活拠点を持つ天族。
季節によって移動する天族。
今回は。
誰を対象にするか。
それも公開した。
***
ロゼが聞いた。
「ところでさ」
「はい」
「投票、人間と天族まとめて数えるの?」
「いいえ」
「別?」
「はい」
「なんで?」
ユトは紙へ簡単な数字を書いた。
『人間二百』
『天族二十』
「仮の人数です」
「うん」
「全体二百二十名として単純多数決を行った場合、人間のみで過半数を成立させることができます」
「ああ」
ロゼが気づく。
「天族が全員反対しても、人間が全員賛成なら通る」
「はい」
ミクリオが眉を寄せる。
「それで『人間と天族が決めた』とは言えないな」
「私もそう考えます」
ユトは書く。
『人間側――過半数』
『天族側――過半数』
「双方で同一案が過半数を得た場合のみ、採用します」
スレイが聞いた。
「違う案が勝ったら?」
「文言を再調整し、再投票します」
「何回でも?」
「必要であれば」
ロゼが笑った。
「ユトだねえ」
「何がでしょうか」
「別に」
***
投票の日。
セルディアの中央広場には。
二つの受付が作られた。
人間側。
天族側。
投票自体は秘密とした。
誰が何へ投票したかを原則として公開しない。
「反対したら、後で不利益ある?」
一人の住民が聞いた。
「ありません」
「ユトさんに嫌われたり?」
「投票内容を確認しませんので、誰が反対したか分かりません」
「そうじゃなくて」
「また、反対票を投じること自体を不利益の理由として扱いません」
「……ならいい」
別の者。
「字が読めないんだけど」
「読み上げ担当者を配置しています。ただし、どの案を選択したかを担当者が記録しない方法を使用します」
「そこまで?」
「投票の秘密を維持するためです」
また別の者。
「よく分かんない」
「分からない場合は、質問してください」
「質問しても分からなかったら?」
「棄権できます」
「投票しなくてもいいのか?」
「はい」
「誓約なのに?」
「理解できていない内容への同意を求める方が問題です」
その説明を何度もした。
ロゼが横で言う。
「説明長い!」
「誓約ですので」
「なら聞いときな!」
今度は住民へ言った。
「はい」
セルディアの住民はだいぶ慣れていた。
***
夕方。
集計が終わった。
人間側。
有効票百九十八。
第一案三十一。
第二案四十二。
第三案百二十五。
天族側。
有効票六十三。
第一案九。
第二案十五。
第三案三十九。
第三案が双方で過半数。
採用。
「全員じゃないんだな」
スレイが結果を見る。
「はい」
「反対っていうか、別の案を選んだ人も結構いる」
「はい」
「それでもいい?」
「今回の事前規則では、双方の過半数を採用条件としています」
「でも」
スレイは少し考える。
「共存のための誓約なのに、意見が揃ってない」
「全員へ同一意見を要求する必要はありません」
ユトが答えた。
「むしろ、共存を目的とする制度を成立させるために、全員が同一の考えを持つことを要求する方が不適切だと考えます」
エドナが腕を組んだ。
「嫌いな案に票を入れる自由も残ってるわけね」
「はい」
「ならいいんじゃない?」
それで決まった。
***
ただし。
投票で文言を決めただけでは実験にならない。
実際に共同誓約を結ぶ。
参加は任意。
今回採用された文言へ同意する者が。
個別に参加意思を示す。
人間。
天族。
どちらも。
参加しないことによる罰則は設けない。
そして、得られる力も事前に決めてあった。
『力:
セルディア内の指定公共照明について、燃料消費量を軽減する』
「灯り?」
住民が聞いた。
「はい」
「もっとすごいものじゃなくていいの?」
「実験中に術式が停止しても、通常の燃料消費へ戻るだけであり、照明自体は使用可能です」
「……安全だから?」
「はい」
「あと測れる?」
別の住民が聞いた。
「はい。燃料消費量を記録することで、効果量の比較が可能です」
「やっぱりそっちもあるのか」
「あります」
最初の対象。
広場周辺の公共灯。
十基。
通常の燃料も入っている。
誓約が働かなければ。
いつも通り燃える。
それだけ。
***
夕暮れ。
セルディアの中央広場に人が集まった。
天族もいる。
全員ではない。
参加する者。
見に来ただけの者。
投票では別案へ入れた者。
そもそも投票しなかった者。
色々だった。
ユトが最後に確認する。
「誓約内容を読み上げます」
静かになる。
「この誓約への参加意思を示し、セルディアに生活拠点を置く人間及び天族は、生活上の紛争が生じた場合、危険回避のための緊急措置を除き、相手をセルディアから退去させることを最初の解決手段として選択しない」
少し間。
「得られる力は、指定された公共照明の燃料消費量軽減です」
さらに。
「参加は任意です」
「今からでも?」
声が飛ぶ。
「はい」
「やめても?」
「今回の試験では、参加撤回手順を設定しています。ただし撤回人数の増加により出力が低下する可能性があります」
「分かった」
ユトは一人一人に大きなことを求めなかった。
誰かを好きになれとも。
誰かと仲良くしろとも。
何があっても許せとも。
言わない。
ただ、争いが起きた時、最初から。
「出ていけ」
だけを選ばない。
それだけ。
参加者の意思を確認する。
誓約が成立した。
***
公共灯へ。
火が入る。
一基。
二基。
三基。
十基。
夜の広場が明るくなる。
見た目は普通だった。
「どう?」
スレイが聞く。
「まだです」
ユトは燃料量を測る。
時間を測る。
燃焼。
消費量。
記録。
もう一度。
「……」
「ユト?」
「想定より消費量が少ないです」
「ってことは?」
「得られている力が、事前予測値を上回っています」
ミクリオが灯りを見る。
「十基で?」
「はい」
ユトは考える。
「対象を増加します」
「どこまで?」
「段階的に確認します」
十基。
二十基。
三十基。
市場まで。
四十基。
郵便受取所。
五十基。
研究所へ続く道。
六十基。
宿の多い通り。
七十基。
家々へ続く道。
灯りが一つずつセルディアの夜へ増えていく。
「……まだ効いてる」
スレイが言った。
「はい」
「すごいな」
ミクリオも今度は冗談を言わなかった。
数人で行った誓約実験とは明らかに違う。
参加者一人一人の制約は重くない。
人生を捨てるものでもない。
寿命を差し出すものでもない。
誰かと永遠に離れるものでもない。
ただ、小さな制約。
それが何百という意思の中で重なった。
結果、町の道が明るくなった。
「ユト」
スレイが言った。
「はい」
「これなら」
言葉を探す。
「もっとたくさんの人と天族が、少しずつ誓ったら」
ユトは燃料消費の記録を見る。
「はい」
「世界の誓約にも届く?」
「可能性があります」
ミクリオが言う。
「一人が全部背負わなくても」
「はい」
「スレイ一人でも」
「はい」
「ユト一人でも」
「はい」
「誰か一人の天族でもなく」
「はい」
ユトは広場を見る。
灯りの下。
人間がいる。
天族がいる。
第三案へ投票した者。
別の案を選んだ者。
棄権した者。
共同誓約へ参加した者。
参加しなかった者。
全員が同じ考えではない。
それでも、同じ場所にいる。
ユトは言った。
「世界規模の問題であるなら」
スレイが見る。
「世界規模で負担してください」
誰か一人へ世界を渡すのではない。
世界にいる者が少しずつ自分たちの世界を支える。
その方法が初めて数字として見えた。
***
その夜。
セルディアの道は以前より明るかった。
「燃料、ほんとに減ってないな」
灯りを管理している男が言った。
「減ってはいます」
ユトが訂正する。
「通常時より消費量が低下しています」
「そういう意味だよ」
「はい」
「これ、何て呼ぶ?」
「正式名称は《セルディア共同誓約術式第一号指定公共照明燃料消費軽減設備》です」
「長い」
「必要な情報を――」
「共存灯でいいだろ」
別の住民が言った。
「今回の誓約文には『共存』という語は使用していません」
「でも、そういう実験なんだろ?」
「研究上は関連しています」
「じゃあ共存灯」
「正式名称とは異なります」
「分かった分かった」
翌日には何人かが、
「共存灯」
と呼んでいた。
三日後にはほとんどの住民がそう呼んでいた。
ユトだけが記録上、
《セルディア共同誓約術式第一号指定公共照明燃料消費軽減設備》
と書き続けた。
彼らにとっては夜道が少し明るくなった。
それだけだった。