セルディアで祭りが開かれることになった。
もともとは季節ごとに開かれていた交易市だった。
周辺を移動する遊牧民。
商人。
近隣の集落から来る者。
旅人。
セルディアが大きくなるにつれ集まる人数も増えた。
今年は市場だけでは足りない。
中央広場、大通り、研究所へ続く道の一部まで露店が並ぶことになった。
「祭りだな!」
スレイが言った。
「交易及び地域交流を目的とした催事です」
「祭りだろ?」
「はい」
「認めた」
ユトは祭りの予定表を見る。
交通規制。
臨時の荷車置き場。
火を使用する露店の配置。
夜間照明。
緊急時の避難経路。
「ユト」
ロゼが言った。
「はい」
「それ、仕事の紙?」
「はい」
「祭りの日まで仕事する気?」
「当日の事故防止に必要です」
「そりゃ必要だけど」
ロゼは。
少し笑った。
「遊ぶ予定は?」
「あります」
「あるの?」
「はい」
ロゼが少し意外そうな顔をした。
***
祭り当日。
セルディアは朝から人が多かった。
大通りに布の屋根が並ぶ。
焼いた肉。
果物。
菓子。
衣服。
装飾品。
遠方から運ばれてきた道具。
七色灯もあった。
ロゼが商品化したものは、もうセルディアでは珍しくない。
店の奥に吊るされた七色灯が鮮やかに光っている。
ユトは中央広場にいた。
手には何も持っていなかった。
少なくとも、記録用紙はなかった。
「ユトさん」
声がした。
振り向く。
ライラがいた。
「こんにちは」
「こんにちは、ライラさん」
ライラは少しだけユトの手元を見る。
「今日は、本当に何もお持ちでないのですね」
「何についてでしょうか」
「研究用の紙です」
「本日は使用しません」
「まあ」
ライラが笑った。
「ちゃんと覚えていてくださったのですね」
「以前、研究を目的としない場合も歓迎するとお伝えしましたので」
「はい」
ライラは嬉しそうだった。
「今日は、研究のお手伝いではありません」
「認識しています」
「誓約についての相談でもありません」
「はい」
「地脈の観測でもありません」
「はい」
「では」
少しだけ。
間を置く。
「一緒に、お祭りを見て回りましょう」
「はい」
二人は歩き始めた。
***
祭りは想定より混雑していた。
朝の時点で既に普段の市場より人が多い。
昼が近づくにつれさらに増えた。
人間。
ユイの加護によって姿を認識されている天族。
旅人。
商人。
子供。
何かを食べながら歩いている者。
立ち止まって品物を見ている者。
あちこちで人の流れが止まり、また動く。
「賑やかですね」
ライラが言った。
「はい」
「昔は、ここには何もなかったのでしょう?」
「調査開始時には、恒常的な市場はありませんでした」
「それが今では」
ライラが周囲を見る。
店員が、天族の客と普通に話している。
人間の子供が水の天族に何かを見せている。
少し離れた場所では遊牧民の老人とセルディアに住む天族が食べ物について言い合っていた。
ライラはしばらくそれを見ていた。
「……嬉しいです」
「何がでしょうか」
「こうして」
ライラが少し考える。
「人間と天族が、特別なことをしているわけでもなく、一緒の場所にいることが」
ユトも見る。
「セルディアでは、以前より頻繁に確認される状態です」
「はい」
「問題がありますか」
「いいえ」
ライラは笑った。
「問題がないことが、嬉しいのです」
「分かりました」
少し歩く。
人が多くなる。
前から大きな荷物を抱えた男が来た。
横から子供が走っていく。
その間に数人の人間が入った。
ユトは一度ライラから離れた。
数歩。
振り返る。
ライラはいる。
ただ、人の向こう。
このまま人の流れが増えれば再合流に時間を要する。
ユトはライラの方へ戻った。
「ライラさん」
「はい?」
「手を繋いでもよろしいでしょうか」
ライラが止まった。
「……え?」
「人が多いためです」
ユトは続ける。
「離れた場合、再合流まで時間を要する可能性があります」
「……」
「問題がありますか」
「いいえ」
ライラは少しだけ視線を落とした。
「ありません」
ユトが手を差し出す。
ライラはその手を見る。
少しだけ間を置いて握った。
「これで問題ありません」
「……はい」
手を繋いだまま二人は歩き始めた。
***
少し進むと甘い匂いがした。
丸く焼いた生地に蜜をかけている。
「ライラさん」
「はい」
「見ていますか」
「え?」
「先ほどから、そちらを見ていました」
ライラが少しだけ笑った。
「気づいていたのですね」
「視線が複数回同じ方向へ向いていましたので」
「そういう気づき方なのですね」
「食べますか」
「よろしいのですか?」
「はい」
ユトは二人分を買った。
ライラが受け取る。
「ユトさんも召し上がるのですね」
「はい」
「私に付き合って?」
「それもあります」
「それも?」
「美味しそうだと思いました」
ライラが少し目を丸くする。
それから、笑った。
「では、一緒にいただきましょう」
「はい」
二人で食べる。
甘い。
少し熱い。
「美味しいですね」
「はい」
「こういう時でも、何か記録したくなりませんか?」
「何をでしょうか」
「味とか」
「必要であれば覚えておきます」
「紙には書かない?」
「本日は研究ではありませんので」
ライラが、また笑った。
「それなら、よかったです」
「何がでしょうか」
「何でもありません」
***
午後。
祭りはさらに混雑した。
人の流れが一度大きく動く。
横から何人かが押される。
ライラの身体が少し傾いた。
ユトは繋いでいた手を強く握る。
そのまま自分の方へ引いた。
「大丈夫ですか」
「はい」
ライラはユトのすぐ横にいた。
「ありがとうございます」
「混雑が予測以上です」
「そうですね」
「手を離さない方が安全です」
ライラは一瞬だけ黙った。
それから。
「はい」
少しだけ握る力を返した。
***
人混みを抜ける。
少し静かな通り。
ここまで来ると人の間隔も広い。
ユトは周囲を見る。
「ここからは、手を離しても問題ありません」
そう言って手を離そうとした。
「ユトさん」
「はい」
ライラの手が。
まだ離れなかった。
「もう少しだけ」
「はい」
「……もう少しだけ、このままでもよろしいですか?」
ユトは少し考えた。
危険はない。
移動にも支障はない。
ライラ本人が希望している。
「はい」
それだけ答えた。
ライラは何も言わなかった。
ただ、手を繋いだまま二人で歩いた。
少し先で音楽が聞こえる。
踊っている者がいる。
子供が笑っている。
夕方の光が店の布に差している。
ライラはそれを見ていた。
「この町、好きです」
「セルディアですか」
「はい」
「ありがとうございます」
「ユトさんが、お礼を言うのですか?」
「私も居住者ですので」
「ふふ」
「何でしょうか」
「いいえ」
ライラが前を見る。
「ユトさんは、セルディアが好きですか?」
ユトは少し考える。
「はい」
「理由を聞いても?」
「研究拠点として有用です」
「はい」
「交通の利便性も向上しています」
「はい」
「人間と天族が直接情報交換できる環境もあります」
「はい」
ライラは待つ。
ユトは少しだけ続けた。
「それから」
「はい」
「知っている人が増えました」
ライラがユトを見る。
「そうですか」
「はい」
「それは、とても良い理由だと思います」
「そうでしょうか」
「私は、そう思います」
「分かりました」
***
日が沈む。
普段より多くの灯りが使われている。
共存灯は、その中でも通常より少ない燃料で燃えていた。
広場へ戻る。
普通の灯りも共存灯も。
色々な光がセルディアの夜を照らしている。
「綺麗ですね」
ライラが言った。
「はい」
ユトもそう思った。
研究対象としてではなく。
普通に、綺麗だった。
***
祭りが終わる頃。
二人は人の少なくなった道を歩いていた。
もう手は離している。
「今日は、とても楽しかったです」
ライラが言った。
「はい」
「ユトさんは?」
「私も楽しかったです」
ライラが少し止まった。
「……本当ですか?」
「はい」
「研究成果はありませんでしたよ?」
「はい」
「新しい誓約も」
「ありません」
「地脈の情報も」
「ありません」
「それでも?」
「はい」
ユトは少し考える。
「祭りを見ることは楽しかったです」
ライラを見た。
「ライラさんと一緒に歩いたことも」
ライラが黙った。
「どうしましたか」
「……何でもありません」
「分かりました」
「ユトさん」
「はい」
「また」
ライラは少しだけ笑った。
「研究ではない日に、誘ってもよろしいですか?」
「はい、予定が空いていれば」
***
翌日、研究所。
ユトは昨日の祭りについて特に記録を残していなかった。
事故報告。
なし。
大きな混乱。
なし。
共存灯。
正常。
それだけ。
ロゼが来る。
エドナもいる。
「昨日、ライラと祭り行ってたんだって?」
ロゼが言った。
「はい」
「楽しかった?」
「はい」
「へえ」
エドナが横から言う。
「手も繋いでたらしいわね」
「はい」
ロゼがユトを見る。
「自分から?」
「はい」
「へえー」
「何でしょうか」
「別に?」
エドナが言う。
「どうせ人混みで、はぐれないためでしょ」
「はい」
「でしょうね」
「ただ」
ユトが続ける。
二人が見る。
「混雑が減った後も、ライラさんの希望により、しばらく継続しました」
「……」
ロゼとエドナが一度顔を見合わせた。
「へえー」
「へえ」
「何でしょうか」
「何でもない」
「別に」
そこへライラが入ってきた。
「皆さん、おはようございます」
「おはよ、ライラ」
「おはよう」
ユトも言う。
「おはようございます」
ライラが微笑む。
エドナがその顔を見る。
ロゼも見る。
そして、何も言わなかった。
少なくともライラの前では。