「お願いがあります」
ユトの研究所。
ユトは机の上へ、紙束を置いた。
スレイとミクリオが見る。
「……何枚ある?」
スレイが聞いた。
「八枚です」
「思ったより少ないな」
「スレイ、感覚がおかしくなってないか?」
ミクリオが言った。
ユトは一枚目を二人の方へ向けた。
『人間社会から離れて生活する天族に関する基礎調査』
「基礎調査?」
スレイが読む。
「はい」
ユトは頷いた。
「人間社会から離れて生活している天族の方々について、可能な範囲で調べていただけないでしょうか」
「人数を数えるのか?」
「人数も分かれば助かります」
ユトは紙をめくる。
「ただし、今回確認したいのは、それだけではありません」
ミクリオが紙を取った。
項目が並んでいる。
現在の居住人数。
年齢構成。
他集団との交流。
人間との接触頻度。
過去の接触経験。
そして。
『人間社会と距離を置いている主な理由』
ミクリオの視線が止まった。
「これか」
「はい」
ユトは答えた。
「現在、人間と交流していないという事実だけでは、その理由が分かりません」
「穢れが危ないから、とか?」
スレイが言う。
「その可能性はあります」
「人間が嫌いだから、とか」
「それもあります」
「静かなところが好きだから、かもしれないな」
ミクリオが続ける。
「はい」
ユトは頷いた。
「それ以外の理由もあると思います」
「だから、直接聞いてきてほしい?」
「はい」
スレイは紙を見る。
それから、顔を上げた。
「天界の誓約と関係あるのか?」
ユトは少し間を置いた。
「関連する可能性があります」
「可能性?」
「現時点では基礎調査です。先に結論を決めた上で、それに合う回答だけを集めたくありません」
ミクリオが紙をめくった。
「なるほど」
「そのため、こちらから理由を推定して誘導しないようお願いします」
「分かった」
スレイは頷いた。
「会って、話を聞けばいいんだな」
「無理に答えていただく必要もありません」
「うん」
返事が早い。
ミクリオが横を見る。
「スレイ」
「何?」
「楽しそうだな」
「だって、まだ会ったことない天族に会いに行くんだろ?」
「調査だぞ」
「分かってるって」
「分かってる顔じゃないな」
ユトはもう一枚、紙を出した。
「それから、こちらが現在把握している居住候補地です」
「候補地?」
「確実ではありません」
セルディアへ来る天族。
スラガ各地で聞き取りをした人間。
旅人。
そこから集めた情報を、地図上へ落としたものだった。
北西の山地。
東側の谷。
古い街道から外れた森。
いくつか印がある。
「天族だけで暮らしているらしい、と聞いた場所です」
スレイの目が輝いた。
「この辺、遺跡もあるな」
ミクリオも地図を見る。
「本当だ。古い祭祀場跡か?」
「調査目的を忘れないでください」
「忘れてないよ」
スレイが言った。
「ついでに見るだけだ」
「スレイ」
「ミクリオも見たいだろ?」
「……それは」
少し間。
「見たいけど」
「ほら」
ユトは二人を見た。
「調査に支障がなければ問題ありません」
「ユトが許可したぞ!」
「君まで焚きつけないでくれ」
「焚きつけた意図はありません」
「分かってる」
スレイとミクリオはセルディアを出た。
***
最初に訪ねた場所は北西の山中だった。
道はない。
岩場を登る。
細い獣道を通る。
さらに登る。
「……ユトが来なくて正解だったかもな」
スレイが言った。
「どうして?」
「途中で地形調査始めそう」
「否定できない」
二人は進んだ。
やがて木々の間に、複数の天族の気配が見えた。
十人ほど。
人間の建物はない。
小さな泉と、大きな岩。
その周囲で、それぞれ思い思いに過ごしている。
こちらに気づいた一人が立ち上がった。
「珍しいな」
若い天族だった。
「人間と天族?」
「オレはスレイ。こっちはミクリオ」
「よろしく」
「ミクリオも天族か」
「ああ」
若い天族はスレイを見る。
「じゃあ、お前が噂の導師?」
「どの噂だろ」
「人間なのに天族と一緒にうろうろしてるって」
「たぶんオレだな」
ミクリオが小さく笑った。
話を聞きたいと伝える。
最初は少し警戒された。
しかし、人間側の役人でも、移住を勧めに来たわけでもないと分かると、何人かが集まってきた。
ミクリオが紙を出す。
「答えたくないことは答えなくていい」
「何を聞くんだ?」
「どうして、人間社会から離れて暮らしているのか」
若い天族が首を傾げた。
「危ないから」
早かった。
「危ない?」
スレイが聞く。
「穢れ」
別の天族が答えた。
若い天族より、かなり年上に見える。
「ここなら滅多に人間は来ない。穢れも少ない」
「人間が嫌いなわけじゃない?」
スレイが聞く。
「俺は別に」
若い天族が言った。
「むしろ見てみたい」
「何を?」
「街」
即答だった。
「でっかい建物が並んでるんだろ?」
「ああ」
「祭りとかある?」
「あるぞ」
「人間って毎日あんなに大勢で暮らしてるの?」
「場所によるけどな」
若い天族の質問が増えていく。
横から、年長の天族が額を押さえた。
「だから、近づくなと言ってるだろう」
「分かってるよ」
「分かってないから毎回聞くんだ」
「見るくらいいいだろ」
「見るためには近づくだろう」
「……」
若い天族が黙った。
スレイも黙る。
少し考えて。
「じゃあさ」
「ん?」
「穢れが危なくなかったら、行ってみたい?」
ミクリオがスレイを見る。
紙にはない質問だった。
若い天族は一瞬だけ目を丸くして。
「行く」
また即答した。
「絶対行く」
年長の天族がため息をつく。
「そんな方法があるならな」
「そっか」
スレイはそれ以上言わなかった。
ミクリオが紙の余白へ書く。
『危険がない場合、人間社会との接触を希望する者あり』
少し考える。
『ただし、全員ではない』
と付け足した。
年長の天族は。
「俺は行かんぞ」
と言ったからだった。
***
二つ目は古い石塔だった。
正確には塔の跡だった。
半分以上崩れている。
「ミクリオ」
「分かってる」
「まだ何も言ってないぞ」
「遺跡だろ」
「うん」
二人は予定より三十分長く滞在した。
調査のためである。
少なくとも二人はそう主張した。
そこに住んでいたのは、一人の天族だった。
「人間?」
石の上に座ったまま、その天族は言った。
「珍しい」
「ここにずっと住んでるのか?」
スレイが聞く。
「二百年くらい」
「この塔について何か知ってる?」
「スレイ」
ミクリオが止めた。
「先にユトの調査だ」
「そうだった」
「そうだった、じゃない」
天族は笑った。
「何だ。面白そうだな」
事情を説明する。
「人間と関わらない理由?」
「はい」
ミクリオが聞く。
天族はしばらく考えた。
「特にないな」
「ない?」
「ここが気に入ってるからいるだけだ」
スレイが周囲を見る。
山。森。崩れた塔。
遠くに川も見える。
「人間が嫌いとか?」
「別に」
「穢れが怖い?」
「そりゃ、強いところには行きたくない」
「じゃあ、穢れが危なくなくなったら、人間の街へ行きたい?」
「行かない」
今度も即答だった。
スレイが目を瞬く。
「行かないんだ」
「なんで行くんだ?」
「いや」
「ここ、静かだぞ」
「うん」
「川もある」
「あるな」
「昼寝する場所もある」
「あるね」
「なら、十分だ」
スレイは頷いた。
「そっか」
それだけだった。
ミクリオが書く。
『現生活環境を本人が希望。危険除去後も人間社会への移住意思なし』
「移住?」
天族が紙を覗く。
「遊びに行くくらいなら行くぞ」
ミクリオの筆が止まった。
「……なるほど」
一行。
書き直す。
『定住意思なし。短期接触については否定せず』
天族が満足そうに頷いた。
「それなら合ってる」
「細かいな」
スレイが言う。
「ユトに渡す記録だからな」
「それは細かくなるな」
「分かるだろ」
「分かる」
調査が終わる。それから。
「ところで、この塔」
スレイが言った。
「昔は人間も来てたぞ」
天族が答えた。
二人は予定よりさらに一時間長く滞在した。
***
三つ目は森の奥だった。
一人の天族が住んでいた。
最初から、あまり話したそうではなかった。
スレイたちは帰ろうとした。
無理に答えを求めない。
それがユトから言われた条件だった。
「待て」
背を向けたところで呼び止められた。
「さっきの質問」
天族が言った。
「人間と関わらない理由だったな」
「うん」
スレイが振り返る。
「昔は関わってた」
静かな声だった。
「村にいたんだ。人間の」
ミクリオは紙を出さなかった。
まだ、聞くだけにした。
「俺だけじゃない」
天族は続けた。
「親友がいた」
「天族の?」
スレイが聞く。
「ああ」
少しだけ笑った。
「あいつは、人間が好きだった」
祭りが好きだった。酒が好きだった。子供に絡まれるのも好きだった。
頼まれれば何でも手伝った。
人間の側にもあいつを慕っている者がいた。
「悪い暮らしじゃなかった」
天族は言った。
「それで?」
スレイが聞く。
天族は森の向こうを見る。
「ドラゴンになった」
風が通った。
ミクリオの表情が変わる。
しばらく誰も言わなかった。
「村の奴らが悪かったわけじゃない」
天族が続ける。
「何かひどいことをされたわけでもない」
「……」
「あいつ自身が、人間と一緒にいたかった」
声はそれほど苦しそうではなかった。
もう長い時間が経っているのかもしれない。
「それでも、なった」
ドラゴンに。
「だから、俺はやめた」
人間と関わることを。
「俺まで同じことになったら、馬鹿みたいだろ」
スレイが俯く。
ミクリオは何も言わない。
やがてスレイが顔を上げた。
「もし」
少し迷う。
「もし、同じことが起きなくなるなら?」
天族が見る。
「何?」
「人間と一緒にいても、穢れでドラゴンにならないなら」
「……」
「また、人間と関わりたいと思う?」
長い沈黙。
「分からん」
天族は答えた。
「そうか」
スレイは頷く。
否定しない。
続きを待つ。
「今さら、戻りたいとは思わない」
「うん」
「知ってる人間も、もう死んだ」
「……うん」
「俺は、ここでいい」
風が木々を揺らす。
「ただ」
天族が言った。
「若い奴に」
スレイが見る。
「人間に会ってみたいって言われた時に」
少しだけ眉を寄せた。
「『危ないからやめろ』って言わなくて済むなら」
「……」
「それは、悪くないと思う」
スレイはゆっくり頷いた。
「分かった」
ミクリオがそこで初めて紙を出した。
何を書くか少し考える。
そして。
『本人に交流再開意思は現時点でなし』
一行。
『ただし、次世代が危険を理由に交流を断念する必要がなくなることについては肯定的』
書く。
天族はその文字を見る。
「ずいぶん硬いな」
「僕が書いたんじゃない。元の書式が硬いんだ」
「変わった奴だな」
「そうだな」
少しだけ空気が軽くなった。
***
帰り道。
日が傾いていた。
スレイとミクリオは並んで歩く。
「いろいろいたな」
スレイが言う。
「ああ」
「街に行きたい人」
「行きたくない人」
「行きたかったけど、やめた人」
「それ以外にもいるだろうな」
ミクリオは紙束を見る。
まだ埋まっていない場所が多い。
「今回話を聞いた天族は、最初の質問だけなら全員『人間と関わっていない天族』で同じになる」
「うん」
「でも、理由は全部違った」
スレイが少し考える。
「ユト、それが知りたかったのかな」
「多分ね」
「今どうしてるかだけじゃ、分からないんだな」
「何が?」
「本当は、どうしたいか」
ミクリオは少しだけスレイを見る。
「それも、本人に聞かないと分からないよ」
「そっか」
「君が勝手に決めるなよ」
「決めないって」
「ならいい」
歩く途中、スレイが足を止めた。
「ミクリオ」
「今度は何だ」
「こっち」
地図を指す。
「帰り道じゃないぞ」
「さっきの天族が言ってた祭祀場跡、この丘の向こうだって」
「……」
「近い」
「……」
「行く?」
ミクリオは地図を見る。
日没までの時間。距離。少し計算する。
「三十分だけだ」
「よし!」
「本当に三十分だからな!」
二人は、帰り道から少しだけ外れた。
***
二人は数日かけて巡った。
セルディアへ戻ったのは予定より半日遅かった。
「お帰りなさい」
ユトが言った。
「予定より遅かったですね」
「遺跡があった!」
スレイが言う。
「そうですか」
「千年くらい前の祭祀場かもしれないんだ。人間側の建物と天族用だったと思われる祭壇が同じ場所にあって――」
「スレイ」
ミクリオが止める。
「先に報告だ」
「そうだった」
「何回目だ、それ」
ユトは二人を見る。
「遺跡についても後ほど伺います」
「いいのか?」
スレイが言う。
「人間と天族の過去の関係を示す資料であれば、今回の調査にも関連します」
ミクリオが目を閉じた。
「ほら」
スレイが言う。
「結果論だろ」
二人は席についた。
ミクリオが紙束を渡す。
ユトは最初から読む。
一枚。
二枚。
時々。
止まる。
「どうだった?」
スレイが聞く。
「まだ確認中です」
「うん」
さらに読む。
やがて、余白へ追加された項目で、手が止まった。
『危険が除去された場合の交流希望』
「これは」
「スレイが聞き始めた」
ミクリオが言った。
「気になったんだ」
スレイが続ける。
「『人間に会いたいけど、穢れが危ないから行かない』って言われたから」
ユトは紙を見る。
「誘導は?」
「最初の人にはちょっとそうなったかもしれない」
ミクリオが答える。
「だから、その後は現在の生活を否定しないよう気をつけた。『穢れの危険がなくなった場合、現在の生活を変えたいか』という形にしている」
「ありがとうございます」
「問題だった?」
スレイが聞く。
「いいえ」
ユトは首を振った。
「有用です」
また紙を見る。
「次回の調査項目へ追加します」
「次回あるんだ」
スレイが言った。
「今回の件数だけでは、傾向を判断できません」
「まあ、そうだろうな」
ミクリオは予想していたようだった。
ユトは三つの記録を並べた。
人間の街を見てみたい者。
人間と関係なく、今の場所で暮らしたい者。
過去の出来事から。
人間との交流をやめた者。
「同じですね」
ユトが言った。
「何が?」
スレイが聞く。
「現在の状態だけでは、理由が分かりません」
『人間と交流していない』
そこまでは同じ。
その先が違う。
「現在、人間社会と接触していないことをもって、人間との接触を望んでいないと判断することはできません」
一行書く。
少し考えて、さらに。
『ただし、接触を望んでいるとも判断できない』
書く。ミクリオが覗く。
「結局、聞かないと分からない?」
「はい」
「最初と同じじゃないか」
「確認できました」
「……そういうところだな」
スレイは少し笑った。
「じゃあ、また行こう」
ユトが顔を上げる。
「よろしいのですか」
「うん」
「調査範囲は広がる可能性があります」
「いいよ」
「長期間になる場合も」
「大丈夫」
ミクリオを見る。
「な?」
「僕まで勝手に決めるな」
「嫌?」
少し間。
ミクリオは。
机の上に置いた地図を見る。
まだ印のついていない場所。
まだ会ったことのない天族。
その近くには古い遺跡の印もあった。
「……嫌とは言ってない」
スレイが笑う。
ユトは新しい紙を取り出した。
『追加調査候補地』
書く。ミクリオが気づく。
「ユト」
「はい」
「今、増やしたな」
「はい」
「何か所?」
「現時点で十二か所です」
スレイが地図を覗く。
「ここにも遺跡ある!」
「なんだって!?」
ミクリオの声が響く。
調査はまだ始まったばかりだった。