数日後。施設内の静かな喫茶店は、冷えた空気が淀んでいた。瑠璃は、自分を呼び出した徐依依(シュー・イーイー)の様子に、言いようのない不安を覚えていた。彼女の目は痛々しいほど真っ赤に腫れ上がり、カフェオレのカップを持つ指先は小刻みに震えている。
「……徐さん、直実くんのことで、お話って……?」
瑠璃の問いかけに、依依は無言で一枚のタブレットを差し出した。画面には、施設管理者が閲覧するはずのない、極秘の医療記録と複雑なコードの羅列、そして直実が秘密裏に書き換えていたプログラムの実行ログが表示されていた。
「あなた……自分が、堅書チーフに何をさせていたか、本当に分かってるの?」
依依の声は低く、氷のような鋭さを帯びていた。瑠璃はタブレットを覗き込み、そこに並ぶ文字の意味を理解しようと瞬きを繰り返した。
「あなたは眠っていたから知らないでしょうけど、チーフはここ数年、ずっと足を引きずって歩いていたの。スタッフはみんな、落雷事故の後遺症だと思っていた。でも違う。あれは、あなたをアルタラの深層データから引きずり出すための、無茶なダイブを繰り返した結果よ。強烈な神経フィードバックを受け続け、彼の脊椎はボロボロに損傷していたのよ!」
瑠璃の喉が、ヒュッと引き攣った音を立てた。直実の背中。あの日の雷が落ちた時、私を庇うように立ちはだかった背中。それが今、どうなっているのか。瑠璃の想像力は、直実の肉体を蝕んでいたであろう激痛へと強制的に引き摺り込まれていく。
「それだけじゃないわ。足が麻痺する前にも、彼の背中には、もう見ていられないほどの生々しい大火傷の跡があった。システムへの強制アクセスの負荷で、ラボの転送装置が爆発した時……彼は誰にも助けを求めず、一人でその処理を被ったの。彼はその激痛を誰にも言わず、痛み止めを噛み砕きながら、私たちにも内緒で、ただあなたを救うためだけのシステムを一人で完成させたのよ……!」
「お見舞いに来てくれていた」「過労で倒れた」。
病院のスタッフや周囲が口にしていた言葉は、すべて「優しい嘘」だった。直実は、文字通り自分の肉体をボロボロに引き裂き、命という名の灯火を削り尽くして、瑠璃を地獄の底から引っ張り上げようとしていたのだ。
タブレットの画面が、最期のログを映し出す。
『対象の抽出完了。……実行者の意識帰還、フェイタル・エラー』
「最後なんて、自分の意識が戻らなくなる確率が極めて高いプログラムを、躊躇なく実行したの。自分が帰る道を壊してでも、あなたをこの世界に呼び戻すために……!」
徐依依の悲痛な叫びが、瑠璃の脳を何度も殴りつける。自分がどれほど能天気に、「直実くんがお見舞いに来てくれてた」と感謝しながら、彼が目覚めるのを待っていたか。彼がどれほどの孤独と激痛の中で、自分を助け出してくれたのか。その事実は、瑠璃の心を鋭い刃となって切り裂いた。
その日の夕方。特別病室へ足を踏み入れた瑠璃は、無機質なカプセルの中で静かな寝息を立てる直実の姿を見つめていた。その傍らで、瑠璃はカプセル越しに冷たくなった彼の手を触れようとして、震えて止まった。
背中の火傷。動かない足。そして、永遠にデータの海に取り残された彼の意識。
私が、直実くんをこんな姿にした。全部、私のせいだ。私が存在しなければ、彼がこんな過酷な運命を辿ることもなかった。
絶望に押し潰されそうになり、瑠璃がその場で崩れ落ちそうになったその時、病室の重いドアが乱暴に開かれた。