Guns & Garlands — 銃と花輪 作:たこ焼き 龍月
ロアナプラの港は、夜になると少しだけ正直になる。昼間は貨物船、漁船、錆びたクレーン、汗を流す港湾労働者、安い煙草の匂いでごまかしているものが、夜になると輪郭を持つ。コンテナの影に立つ男たち。書類に存在しない荷物。船籍を三度変えた貨物船。積荷の中身を知らないふりをする税関職員。知りすぎた運転手。知っているのに喋らない倉庫番。港は街の胃袋だ。何でも飲み込む。酒も銃も薬も金も、人の嘘も。だが、胃袋にも限界はある。飲み込んだものが悪すぎれば、街は吐き戻す。
その夜、港外の停泊区域に一隻の貨物船が浮かんでいた。船名は塗り替えられている。船籍は便宜上のもの。積荷目録には「中古重機」「医療用発電機」「建設資材」「救援物資」とある。どれも嘘ではない。嘘ではないものだけを並べると、かえって本当のことが見えなくなる。貨物船の腹には、別の荷もあった。表に出せない契約、裏でしか動かせない保証、誰かが欲しがる名前、誰かが知られたくない数字。銃より静かで、銃より高く売れるものだ。
その船は、予定では深夜二時にロアナプラ港へ入るはずだった。三合会の港湾網を通り、数時間だけ倉庫に入り、夜明け前には別の船へ積み替えられる。仕事は静かに終わる。誰も見ない。誰も覚えない。記録には残るが、後で見た人間が意味を取れないように薄めてある。ロアナプラでは、そういう仕事ほどよく回る。
だが、午前一時四十七分、貨物船は予定進路を外れた。
午前一時五十二分、港湾管制に偽の待機命令が入った。
午前二時三分、船の一部貨物コンテナが開かれた。
午前二時十一分、積荷の一部と、取引関連データを収めた記録媒体が消えた。
午前二時二十六分、三合会名義の港湾許可証が別ルートで発行されたことになっていた。
午前二時三十九分、ホテル・モスクワ名義の偽命令書が倉庫関係者へ届いた。
午前二時四十五分、貨物船の最終搬入記録に、ラグーン商会の名前が残った。
誰かが、ロアナプラの港に火をつけた。
問題は、その火を誰の庭に投げ込んだかだった。
*
三合会の事務所は、港から少し離れた古いビルの上階にあった。窓からは港の明かりが見える。クレーンの赤い警告灯がゆっくり点滅し、闇の中で船の影が揺れている。張はその窓際に立ち、煙草を指に挟んだまま、しばらく火をつけなかった。彼の背後には、部下が数人。机の上には港湾許可証の写しが置かれている。そこには三合会の管理下にある業者名と、見覚えのある印があった。よくできている。よくできすぎている。だからこそ不愉快だった。
「本物ではありません」
部下の一人が言った。
張は振り返らない。
「見ればわかる」
「ですが、印影も書式も、内部のものに近いです」
「近い、か」
張はそこでようやく煙草に火をつけた。細い煙が窓ガラスの前で薄く広がる。
「本物に近い偽物は、本物より始末が悪い。誰かが中を見たか、あるいは中に見せた者がいる」
部下は沈黙した。
張は書類を手に取る。港湾許可証。三合会の名前。許可した覚えのない船。許可した覚えのない時間。許可した覚えのない積荷。三合会の港湾網はロアナプラの血管の一つだ。そこへ勝手に針を刺された。しかも、刺した者は丁寧に消毒までしている。そういう礼儀正しい侵入は、粗雑な挑発より腹が立つ。
「ホテル・モスクワの動きは」
「まだ表には出ていません。ただ、偽命令書が向こうの名義で出回っています」
「大尉は怒るだろうね」
張は穏やかに言った。
部下は短く頷く。
「ええ」
「怒った大尉は、撃つ前に静かになる」
張は窓の外を見た。
港はまだ動いている。何もなかったように。だが、見えないところで空気は変わり始めていた。三合会の名前を使った者がいる。ホテル・モスクワの名前を使った者もいる。偶然ではない。誰かが二つの勢力を同時に侮辱した。ロアナプラでそれをするのは、勇気ではない。無知か、計算か、死にたがりだ。
「ラグーン商会の名前も記録にありました」
別の部下が言った。
張は少しだけ眉を動かした。
「ラグーン?」
「はい。最終搬入補助の登録に」
「彼らが?」
「現時点では不明です。記録だけなら、名前を使われた可能性もあります」
張は煙を吐いた。
「ロックたちは、そういう面倒に好かれる」
「呼びますか」
「呼ぶよ」
張は書類を机に戻した。
「疑っているわけではない。だが、疑っていない相手にも、説明は求める」
部下は静かに頭を下げた。
「手配します」
張は窓の外の港を見続けた。遠くの海に、問題の貨物船が黒い影として浮かんでいる。積荷は一部消えた。だが、消えたものより、残されたものの方が厄介かもしれない。名前。書類。許可。命令。面子。ロアナプラでは、どれも弾丸と同じくらい人を動かす。
「ロアナプラの港を使うなら」
張は誰に聞かせるでもなく言った。
「この街の礼儀くらいは覚えてもらわないとね」
*
ホテル・モスクワの執務室には、夜でも明かりがついていた。バラライカは机の前に座り、薄い紙束を読んでいた。偽命令書。そこにはホテル・モスクワの名があり、彼女の部隊の符丁に似せた文面が並んでいる。命令の内容は単純だ。特定倉庫への立ち入り禁止。特定車両への不干渉。港湾区域における警戒緩和。表向きには小さな指示に見える。だが、軍人の目で見ればわかる。これは部隊の動きを鈍らせるための命令だ。銃口を向けるのではなく、銃口が向く前に視線を逸らさせる命令。
バラライカは最後まで読み、紙を机に置いた。
「よくできている」
声は冷たかった。
ボリスが控えている。
「内部の文書様式を知る者が関与した可能性があります」
「可能性ではない。知っている」
「はい」
「だが、本物ではない」
「文体が違います」
バラライカは薄く笑った。
「私なら、もっと短く命じる」
ボリスは何も言わなかった。
偽命令書は、ただの紙ではない。それはホテル・モスクワの規律への侮辱だった。彼女の部下たちは、命令を重く見る。命令は戦場で生きるための線だ。その線を他人が勝手に引いた。しかも、彼女の名前を使って。
バラライカは煙草を手に取り、火をつけた。
「三合会は」
「港湾許可証に名前を使われています」
「張は動くな」
「はい」
「撃つか」
「今すぐではないかと」
バラライカは煙を吐いた。
「張は撃つ前に笑う。私とは違う」
「大尉は?」
「私は撃つ前に黙る」
部屋に沈黙が落ちる。
ボリスはその沈黙を知っていた。危険な静けさだ。命令を待つ前に、空気が命令を出し始める。
「ラグーン商会の名前が出ています」
ボリスが言った。
バラライカの目が少しだけ動く。
「どこに」
「搬入記録です。最終補助登録に」
「ダッチか」
「関与は不明です」
「不明なら、聞けばいい」
「呼びますか」
「呼ぶ」
バラライカは書類の上に指を置いた。
「私の名を使うなら、せめて私の許可を取るべきだ」
ボリスは静かに言った。
「許可を求めた時点で、撃たれる可能性があります」
「当然だ」
バラライカは窓の外を見た。港の明かりが遠い。ロアナプラの夜は、いつも通り濁っている。だが今夜は、その濁りの中に別の色が混じっていた。誰かが三合会とホテル・モスクワを同時に動かそうとしている。互いの名前を使い、互いに疑わせる。ありふれた手口だ。だが、ありふれているからこそ厄介だった。人間は単純な罠に、怒っている時ほど足を取られる。
「大尉」
ボリスが言った。
「三合会がこちらを疑った場合は」
「疑わせておけ」
「よろしいのですか」
「張が本気で疑うなら、すでに電話が来ている。まだ来ていないなら、彼も同じ紙を眺めている」
バラライカは煙草を灰皿に押しつけた。
「問題は、誰がこの街を外から動かせると思ったかだ」
*
同じ頃、ロアナプラ港から離れた沖合で、別の船が静かに停泊していた。白い船ではない。目立たない貨物船だ。だが、その船室の一つには、妙に整った空気があった。机の上に広げられた航路図。積荷目録。複数の名義で発行された書類。消えたコンテナの番号。港湾記録の写し。そして、消えた取引関連データの空白。
キャスパー・ヘクマティアルは、それらを見て笑っていた。
ただし、目は笑っていない。
「やられたね」
彼は軽く言った。
部屋には四人がいた。チェキータ、エドガー、アラン、ポー。キャスパーの私兵たちだ。チェキータは椅子に浅く腰掛け、足を組んでいる。表情は楽しげだが、視線は書類の上を鋭く動いていた。エドガーは壁際に立ち、無駄な動きがない。アランは端末を片手に何かを確認し、ポーは部屋の隅で黙っている。存在感だけで部屋の圧力が一段重くなるような男だった。
「笑ってる場合?」
チェキータが言った。
キャスパーは肩をすくめる。
「怒っても荷物は戻らない」
「怒った方が早く戻ることもあるわ」
「君らしい意見だ」
「褒めてる?」
「半分くらいは」
アランが端末から顔を上げた。
「その言い方、流行らせる気ですか」
「便利だからね」
エドガーが短く言う。
「消えたのは積荷の一部と記録媒体。重火器類は残っている」
「そう」
キャスパーは頷いた。
「盗人は商品より帳簿を見た。なかなか趣味がいい」
チェキータが眉を上げる。
「趣味がいい?」
「武器そのものを盗めば、売り先が限られる。でも取引先リスト、保証書、護衛契約、船積み記録なら、もっと多くの人間が欲しがる。脅しにも売買にも使える。僕の商売だけでなく、買い手の立場も危うくなる」
アランが言う。
「つまり、盗んだ奴はバカじゃない」
「バカなら楽だった」
ポーが初めて口を開いた。
「街の人間じゃない」
低い声だった。
全員がポーを見る。
キャスパーは少しだけ目を細めた。
「なぜそう思う?」
「やり方が綺麗すぎる」
ポーはそれだけ言った。
チェキータが笑う。
「ロアナプラの連中に聞かせたら怒るわね」
「怒るなら本物だ」
ポーは短く返した。
キャスパーは楽しそうに頷いた。
「いいね。たしかに、ロアナプラの嘘はもっと汚い。今回の嘘は、よく洗ってある」
エドガーが書類を見る。
「三合会名義の港湾許可証。ホテル・モスクワ名義の偽命令書。ラグーン商会の搬入記録」
「三つの名前を同時に残した」
キャスパーは指先で机を軽く叩いた。
「張は怒る。バラライカも怒る。ラグーン商会は説明に走る。僕は積荷を失う。犯人は、その間にデータを売る」
チェキータが立ち上がった。
「どうする?」
「ロアナプラへ行く」
「でしょうね」
「チェキータ、君はラグーン商会を見てくれ」
「二挺拳銃の女がいるところ?」
「そう」
チェキータは楽しそうに笑った。
「噂は聞いてる。野良犬みたいな女でしょ」
「本人の前で言うと面白いことになる」
「言うわ」
アランが呆れたように言う。
「やめなよ。到着五分で撃ち合いになる」
チェキータは肩をすくめた。
「撃ち合いにならないロアナプラなんて、観光地として失格よ」
エドガーがキャスパーを見る。
「三合会とホテル・モスクワには?」
「会う。できれば同じ日に」
アランが嫌そうな顔をした。
「それ、最悪の予定表ですね」
「効率的だろう?」
「効率と寿命は反比例する場合があります」
キャスパーは笑った。
「寿命は後で考える」
ポーが言った。
「この街は、高い」
キャスパーは彼を見る。
「何が?」
「入場料」
キャスパーは少しだけ満足そうに笑った。
「いいね。では、払えるかどうか試そう」
*
ラグーン商会の事務所では、天井の扇風機がゆっくり回っていた。外は夜だというのに暑い。湿気が壁に染みつき、空気の中に安い酒と油と海の匂いが混じっている。レヴィはソファに寝転がり、片手で雑誌をめくっていた。読んでいるというより、ただ紙を動かしているだけだった。ベニーは端末に向かい、ダッチは机で書類を確認している。ロックは窓際で港の明かりを見ていた。
電話が鳴った。
全員が見た。
レヴィが言う。
「出ろよ、ロック」
「まだ何も言ってないだろ」
「面倒な電話はだいたいお前宛てだ」
ベニーが顔を上げずに言う。
「統計的には否定しにくいね」
ロックは溜息をつき、受話器を取った。
「ラグーン商会です」
『ロックかい』
穏やかな声。
張だった。
ロックの背筋が少し伸びる。
「張さん」
レヴィがソファから顔を上げた。
ダッチも書類から目を離す。
『少し話がある。明日の昼、いつもの店へ来られるかな』
「何の件でしょうか」
『港に、君たちの名前が残っていた』
ロックは目を閉じた。
「……何の港ですか」
『ロアナプラの港だよ。残念ながら、月面ではない』
張の声は穏やかだった。
穏やかすぎた。
『心配しなくていい。今のところ、私は君たちを疑っていない』
「ありがとうございます」
『ただ、疑っていない相手にも、説明は求める』
ロックは受話器を握り直した。
「わかりました」
『では、明日』
通信は切れた。
ロックはゆっくり受話器を置いた。
レヴィが言う。
「何だって?」
「港の記録に、うちの名前が残っているそうだ」
ベニーの手が止まった。
「どの記録?」
「詳しくはまだ」
ダッチが低く言う。
「張からか」
「ああ」
ベニーは嫌な顔をした。
「それ、かなり悪い知らせだよ」
レヴィが笑う。
「かなりで済むか?」
その時、また電話が鳴った。
全員が沈黙する。
レヴィが言った。
「今度は誰だよ」
ロックは受話器を取る前に、少しだけ嫌な予感を覚えた。
「ラグーン商会です」
『ダッチはいるか』
低い声。
ボリスだった。
ロックはダッチを見る。
「ホテル・モスクワです」
ダッチは無言で受話器を受け取った。
「ダッチだ」
短い沈黙。
『大尉がお呼びです』
「何の用件だ」
『港の件です』
ダッチは目を細めた。
「いつだ」
『今夜』
「急だな」
『大尉は、急がせるつもりで呼んでいます』
ダッチは少しだけ笑った。
「わかった」
受話器を置く。
レヴィが起き上がった。
「張の次はバラライカかよ。何したんだ、ベニー」
ベニーが即座に叫ぶ。
「僕は何もしてない!」
ダッチが言う。
「まだ、な」
「ダッチまで!」
ロックは嫌な汗を感じていた。三合会とホテル・モスクワが同じ港の件で動いている。そして、その記録にラグーン商会の名前がある。これは偶然ではない。誰かがラグーン商会を真ん中に置いた。便利な緩衝材として。あるいは、燃えやすい導火線として。
電話が三度目に鳴った。
レヴィが天井を仰いだ。
「今度出た奴、撃っていいか?」
「電話を撃つな」
ベニーが言う。
「バオの店じゃないんだから」
「うるせえ」
ロックは受話器を取った。
「ラグーン商会です」
『やあ、ロック』
白い声。
楽しそうで、少し冷たい声。
キャスパー・ヘクマティアルだった。
ロックは目を閉じた。
「今度はあなたですか」
『今度は、ということは、もう誰かから電話があったのかな』
「張さんとホテル・モスクワから」
『素晴らしい。予定通りに面倒だ』
「あなたの貨物船ですか」
『そう。僕の荷物が少し消えた。ついでに、君たちの名前が記録に残っていた』
レヴィが横から叫ぶ。
「おい白い兄貴! うちを巻き込むな!」
キャスパーは電話の向こうで笑った。
『レヴィも元気そうだね』
「元気じゃねえよ。ムカついてんだよ」
『それは元気の一種じゃないかな』
「撃つぞ」
『電話越しでは難しいね』
レヴィが本気で受話器を奪おうとしたので、ロックは身体をひねって避けた。
「キャスパー。あなたは何を依頼したいんですか」
『消えたものを探してほしい』
「あなたの私兵がいるでしょう」
『もちろんいる。チェキータ、エドガー、アラン、ポー。優秀だよ。でも、この街の汚れ方は、地元の案内人がいないとわかりにくい』
「うちは観光案内ではありません」
『運び屋だろう? なら、消えたものを戻す仕事も近い』
「遠いです」
『半分くらいは近い』
レヴィが怒鳴る。
「その言い方やめろ!」
キャスパーは楽しそうに笑った。
『では、明日会おう。場所はイエロー・フラッグでいいかな』
「バオが嫌がります」
『彼には店を壊さないと伝えておいて』
ベニーが小声で言った。
「その言い方、絶対壊れるやつだ」
ロックは言った。
「キャスパー。今回、あなたはどこまで知っていますか」
『僕の荷物が盗まれた。三合会とホテル・モスクワの名前が使われた。ラグーン商会の名前が残された。犯人は、ロアナプラをよく知っているようで、実は少し綺麗すぎる』
「綺麗すぎる?」
『この街の嘘にしては、洗剤の匂いがする』
通信はそこで切れた。
ロックは受話器を置いた。
しばらく、誰も喋らなかった。
レヴィが最初に言った。
「で?」
ダッチが煙草を取り出す。
「三合会、ホテル・モスクワ、キャスパー。全員から呼ばれた」
ベニーは頭を抱えた。
「最悪だ」
レヴィが笑った。
「まだ始まってもねえのに?」
「だから最悪なんだよ」
ロックは窓の外を見た。港の明かりが滲んでいる。ロアナプラはいつも通りに見える。だが、今夜その港には、三つの名前が残された。三合会。ホテル・モスクワ。ラグーン商会。そして、その背後で笑う白い商人。
ダッチは煙草に火をつけた。
「ロック」
「はい」
「明日は忙しいぞ」
「誰に説明すればいいんですか」
ダッチは短く答えた。
「全員だ」
レヴィは天井を見上げて笑った。
「こいつはいい。港に火がつく前から、うちの尻に火がついてやがる」
ベニーが呟く。
「請求書、誰に出せばいいんだろう」
ダッチは煙を吐いた。
「それも全員だ」
ロアナプラの夜は、まだ始まったばかりだった。港では、消えた積荷の空白が黒い穴のように広がっている。誰かがその穴へ、張の面子を、バラライカの規律を、キャスパーの商売を、そしてラグーン商会の名前を投げ込んだ。
穴の底で、火花が散った。
燃え上がるまで、そう時間はかからない。