Guns & Garlands — 銃と花輪 作:たこ焼き 龍月
ロアナプラの昼は、夜より少しだけ嘘が下手になる。太陽が高く上がれば、港の錆も、路地裏の染みも、割れた看板も、安酒場の壁に残った穴も、全部が見える。けれど、この街の人間はそれを気にしない。夜に隠していたものが昼に見えたところで、誰も驚かないからだ。ロアナプラでは、驚く方が負けだ。見えている悪事より、見えない善意の方がよほど珍しい。
ラグーン商会の事務所には、朝から重い空気が溜まっていた。扇風機は回っているが、空気をかき混ぜるだけで涼しくはならない。机の上には、ベニーが港湾記録から抜き出した写しが数枚置かれている。そこには、貨物船の搬入補助登録、倉庫番号、車両番号、搬入時間、そしてラグーン商会の名前があった。
レヴィはその紙をつまみ上げ、心底嫌そうな顔で眺めた。
「なあ、ベニー。これ、お前が寝ぼけて登録したとかじゃねえのか」
ベニーは端末から顔を上げた。
「寝ぼけて港湾登録を改ざんする趣味はないよ」
「似たようなこと、前にやってなかったか?」
「やってない。少なくとも、こんな雑なやり方はしない」
ダッチが煙草をくわえたまま言う。
「雑か」
「見た目は綺麗です。でも、中身が雑です。うちの名前を使うなら、もう少し自然に埋め込む。これは“ラグーン商会が関わったように見せたい”っていう意思が見えすぎてる」
ロックは紙を手に取った。自分たちの名前が、知らない荷物の知らない搬入記録に残っている。ロアナプラでは、名前は足跡より厄介だ。足跡は雨で消える。名前は、消えた後にも誰かが覚えている。
「誰かが、うちを三合会とホテル・モスクワの間に置きたがっている」
ロックが言うと、レヴィが笑った。
「真ん中か。いい場所じゃねえか。撃たれる時は両側からだ」
「笑えない」
「笑っとけよ。撃たれてからじゃ遅え」
ダッチは煙草に火をつけず、指で回した。
「張からの呼び出しは昼だったな」
「はい。いつもの中華料理店です」
ロックが答える。
レヴィがソファから起き上がる。
「俺も行く」
「呼ばれているのは俺だけだ」
「だから行くんだろ。お前一人で行ったら、茶飲まされて丸め込まれて帰ってくる」
ロックは苦笑した。
「張さんは、そういう人じゃない」
「そういう人じゃねえから厄介なんだよ。怒鳴る奴ならわかりやすい。張は笑って首に紐かけるタイプだ」
ベニーが頷いた。
「同感。張さんは、声が穏やかな時ほどこっちの逃げ道を数えてる気がする」
ダッチがロックを見る。
「レヴィを連れていけ」
「いいんですか」
「張も、レヴィが来る可能性くらい織り込み済みだ。むしろ、一人で行くより話が早い」
レヴィがにやりと笑った。
「聞いたか、ロック。俺は話を早くする女だ」
「話を壊す女じゃなくて?」
「似たようなもんだ」
ベニーが端末を回して、画面をロックに向けた。
「これ、持っていって。港湾登録の写し。三合会名義の許可証と、うちの登録が入った時間差がわかる。張さんなら、これだけでかなり読めるはず」
ロックは端末を受け取った。
「ベニーは?」
「僕はホテル・モスクワ側の偽命令書を調べる。あと、キャスパーの船の積荷リストも。全部が同じタイミングで動いてるなら、どこかに共通の手癖がある」
レヴィがドアへ向かいながら言う。
「手癖ねえ。見つけたら指ごと折りゃいい」
ベニーが顔をしかめる。
「そういう話じゃない」
「似たようなもんだろ」
「違う。ぜんぜん違う」
ダッチが短く言った。
「ロック」
「はい」
「張はお前を疑っていないと言うだろう」
「たぶん」
「その言葉を、そのまま受け取るな」
ロックは頷いた。
「わかっています」
「疑っていない、は信用しているとは違う。責任を問わないとも違う」
レヴィが廊下から声をかける。
「説教終わったか? 中華が冷めるぞ」
ダッチは煙草に火をつけた。
「行ってこい。撃たれるな」
ロックは少しだけ笑った。
「努力します」
レヴィが言う。
「努力じゃ足りねえ時は、俺が撃つ」
「頼もしいような、不安なような」
「両方だ。お得だろ」
*
張が指定した店は、ロアナプラにしては静かな場所にあった。表向きは高級中華料理店。赤い提灯、磨かれた木の扉、香辛料と油の匂い、控えめな音楽。だが、客席の配置も、奥へ続く廊下も、二階の窓の位置も、すべてが警戒を前提に作られている。ロックが初めてここへ来た時は、その上品さに少し安心した。今は違う。上品な場所ほど、汚れた話をするのに向いていると知っている。
店に入ると、三合会の若い男が二人、無言で頭を下げた。武器は見せていない。だが、見せていないだけだ。レヴィはその二人を一瞥し、わざとらしく肩をすくめる。
「昼飯にしちゃ物々しいな」
若い男の一人が反応しかけたが、奥から別の声がした。
「ロアナプラでは、静かな昼食ほど物騒だよ」
張だった。
奥の個室の扉が開いている。張は中で茶器を前に座っていた。いつもの柔らかな笑み。柔らかすぎて、どこまでが笑みでどこからが刃なのかわからない。
「ロック、来てくれてありがとう。レヴィも」
レヴィは椅子を勝手に引いた。
「呼ばれてねえけどな」
「君が来ることも、半分くらいは予想していた」
レヴィが嫌そうな顔をする。
「その言い方、流行ってんのかよ」
張は微笑んだ。
「便利な言葉は海を渡る」
「便利すぎて腹立つんだよ」
ロックは張の向かいに座った。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
「こちらが呼んだんだ。礼を言うのはこちらだよ」
張はゆっくり茶を注いだ。湯気が立つ。香りは穏やかだった。だが、ロックの胃は少しも穏やかにならない。
「食事は?」
張が聞く。
レヴィが即答した。
「酒」
「昼だよ」
「ロアナプラに昼も夜もねえだろ」
「あるよ。昼は撃たれた時に見物人が多い」
「いい街だな」
「悪い街だよ」
張はそう言って、レヴィの前にも茶を置いた。
レヴィはそれを見て顔をしかめる。
「酒じゃねえのか」
「話が終わってからにしよう。酒は舌を軽くするが、今日の話は軽すぎると困る」
「茶で舌が滑ることもあるぜ」
「その場合は、茶が良すぎる」
ロックは端末を机に置いた。
「港湾登録の件ですね」
張は頷いた。
「そう。話が早くて助かる」
「うちは関与していません」
「そうだろうね」
あまりにあっさり言われ、ロックは一瞬言葉を失った。張は茶を口に運び、静かに続ける。
「ロック、私は君たちを疑ってはいない」
「ありがとうございます」
「だが、疑っていない相手にも説明は求める」
ロックは小さく息を吐いた。
「ダッチにも同じことを言われました」
「彼はよくわかっている」
レヴィが茶を乱暴に飲んでから言う。
「疑ってねえなら、呼び出す必要ねえだろ」
張はレヴィを見た。
「疑っていないから、呼んだんだよ」
「あ?」
「疑っているなら、別の場所で別の人間を動かす。ロックをこの店へ呼び、茶を出し、話を聞く。これはまだ穏やかな段階だ」
レヴィは鼻で笑った。
「穏やかねえ。あんたらの穏やかは、だいたい人が消える前段階だろ」
「消える前に話ができるなら、ずいぶん穏やかだ」
「基準が腐ってる」
「ロアナプラだからね」
ロックは張へ端末を向けた。
「ベニーが調べたものです。ラグーン商会の名前が登録されたのは、三合会名義の許可証が出た後です。ただ、登録処理の経路が不自然です。うちの通常の仕事で使う経路ではありません」
張は端末を見た。表情は変わらない。だが、目だけが細かく動いている。書類を見るだけでなく、書類の向こうにいる人間を探している目だった。
「ベニーは優秀だね」
「本人は、今回は本当に何もしていないと言っています」
「“今回は”か」
レヴィが笑った。
「俺もそこ引っかかった」
ロックは苦い顔をする。
「そこは忘れてください」
「忘れるには便利すぎる言葉だ」
張は端末を机に置いた。
「この登録は、君たちの名前を使ったというより、君たちの名前を“見せた”という方が近い」
「見せた?」
「そう。もし本気で君たちに罪を着せたいなら、もっと深く埋め込む。だが、これは見つけてほしい名前だ。三合会にも、ホテル・モスクワにも、キャスパーにも」
ロックは頷いた。
「うちを導火線にした」
「あるいは、緩衝材にした」
レヴィが言う。
「どっちにしても迷惑だな」
「迷惑で済むなら安い」
張は茶を注ぎ足した。
「今回消えたものは、積荷そのものではない。積荷の一部も消えたが、本命は別だ」
「取引関連データですか」
「そう。買い手、支払い保証、護衛契約、船積み記録。キャスパーの貨物船に積まれていた、商売の心臓部だ」
レヴィが眉をひそめる。
「銃じゃねえのか」
「銃は売れば終わる。名前は、何度でも売れる」
ロックはその言葉に、わずかに背筋が冷えるのを感じた。
張は続ける。
「たとえば、ある地方軍閥がキャスパーから何かを買おうとしていたとする。その名前が外へ出れば、敵対勢力が喜ぶ。別の国の情報機関も喜ぶ。買った本人は困る。キャスパーは信用を失う。そこへ、三合会の港湾網が使われたという記録が残れば、我々も説明を求められる」
「ホテル・モスクワの偽命令も同じですか」
「大尉の名を使えば、港の一部が動かなくなる。動かないことも、時には荷物を動かすのに役立つ」
レヴィが舌打ちした。
「誰かが、あんたとバラライカを同時にコケにしたってわけか」
張は少しだけ笑った。
「レヴィは言葉が率直だね」
「遠回しに言うとムカつくからな」
「私は嫌いではないよ」
「好かれても困る」
「では、困らせない程度にしておこう」
ロックは聞いた。
「張さんは、ホテル・モスクワが関与していると思いますか」
張は少し間を置いた。
「思っていない」
「なぜです」
「大尉は、私に喧嘩を売る時に偽の命令書など使わない」
レヴィが笑った。
「直接撃ってくるか」
「撃つかどうかは状況による。ただ、撃つなら自分の名で撃つ」
ロックは頷いた。
「では、キャスパーは?」
「彼は自分の荷を失っている。自作自演の可能性はゼロではないが、今のところ低いと思う」
「理由は?」
「彼は損をする演技がうまい。だが、今回は本当に一部を失っている。取引関連データの流出は、彼の信用に傷をつける。商人にとって、信用は銃より高い」
レヴィが言う。
「じゃあ犯人は誰だよ」
張は静かに答えた。
「ロアナプラの外から来た誰か。あるいは、外の人間に使われた街の小物」
ロックは思わず言った。
「キャスパーも似たようなことを言っていました。嘘が綺麗すぎる、と」
張の目がわずかに動いた。
「白い商人は、もう君たちに連絡したのか」
「昨夜」
「早いね」
「イエロー・フラッグで会うと言っていました」
張は茶器を置いた。
「バオが気の毒だ」
レヴィが笑う。
「今さらだろ。あの店はロアナプラの災害避難所みたいなもんだ」
「避難してくるのが災害そのものだから、彼も苦労する」
ロックは張を見た。
「張さんは、俺たちに何を求めていますか」
張はすぐには答えなかった。茶を一口飲み、窓の外を見る。昼の光が障子越しに薄く差している。個室の中は静かだ。外の店内から、かすかに食器の音が聞こえるだけだった。
「消えたデータを探してほしい」
張は言った。
「ただし、ホテル・モスクワより先に」
レヴィが露骨に顔をしかめた。
「やっぱりそうなるのかよ」
ロックは慎重に聞く。
「張さん。俺たちはホテル・モスクワにも呼ばれています」
「知っている」
「ダッチが行っています」
「だろうね」
「つまり、うちは同時に二つの勢力から同じものを探せと言われることになります」
「正確には三つだ。キャスパーも頼むだろう?」
ロックは黙った。
張は微笑む。
「ロック、私は君たちに無理を言っている」
「自覚はあるんですね」
「あるよ。だから依頼料は払う」
レヴィが身を乗り出した。
「いくらだ」
「レヴィ」
ロックが止めようとしたが、張は楽しそうに答えた。
「相場より高く」
「それじゃわかんねえ」
「ホテル・モスクワとキャスパーが出す額を聞いてから考える」
レヴィはにやりと笑った。
「商売上手じゃねえか」
「三合会だからね」
ロックは溜息をついた。
「俺たちは、三合会だけのために動くわけにはいきません」
「それでいい」
「いいんですか?」
「君たちはラグーン商会だ。三合会の犬ではない。ホテル・モスクワの兵士でもない。キャスパーの私兵でもない。だから使える」
レヴィが不快そうに言う。
「使えるって言い方が気に入らねえな」
「では、頼れると言い換えようか」
「もっと嘘くせえ」
「レヴィは難しいね」
「単純だよ。ムカつくか、ムカつかねえかだ」
「なら、今は?」
「かなりムカつく」
「正直で助かる」
張はロックへ視線を戻した。
「ロック。私は全面戦争を望んでいない。三合会とホテル・モスクワが本気でぶつかれば、港はしばらく使い物にならなくなる。街も荒れる。儲かる者もいるが、損をする者の方が多い」
「バラライカさんも同じ考えでしょうか」
「彼女は戦争を嫌ってはいない。ただ、無意味な挑発に乗るほど若くはない」
「では、話し合いで」
ロックが言いかけると、張は薄く笑った。
「話し合いはする。だが、話し合いだけで終わるとは限らない」
レヴィが言う。
「結局撃つんじゃねえか」
「撃たずに済めば、それが一番安い」
「安いってのが三合会らしいな」
「高い平和は、時々安い戦争より長持ちしない」
ロックはその言葉を覚えておこうと思った。張の言葉は、柔らかいが軽くない。ロアナプラの均衡を知る者の言葉だった。
「俺たちに、まず何をしろと?」
「港湾登録を追ってほしい。君たちの名前を使った経路。誰が登録したか。どの端末から入ったか。どの倉庫と繋がるか。ベニーなら見られるだろう」
「見られるかもしれません。ただし、勝手にやればまた問題になります」
「だから、私が許可を出す」
「三合会の許可だけでは足りません」
「大尉の許可も必要だね」
「はい」
「そしてキャスパーの情報も必要になる」
「はい」
張は満足そうに頷いた。
「では、君は全員に話を通さなければならない」
ロックは眉を寄せる。
「俺が?」
「ロック、君はこういう時に便利だ」
「便利扱いされるのは困ります」
「失礼。頼れる」
「それもさっき嘘くさいと言われました」
「では、面倒を押しつけやすい」
レヴィが笑った。
「それが一番正直だな」
ロックは頭を抱えたくなった。
「張さん。俺は交渉人じゃありません」
「知っている。だからいい」
「どういう意味ですか」
「本物の交渉人は、自分が得をするために言葉を使う。君は、まだ損を減らすために言葉を使う。ロアナプラでは珍しい」
「褒めているんですか」
「半分くらいは」
レヴィが机を軽く叩いた。
「だからその言い方やめろって!」
張は本当に楽しそうに笑った。
「レヴィ、君はこの言葉が嫌いなんだね」
「嫌いだよ。誰も責任取らねえ感じがする」
「鋭い」
「褒めんな」
ロックは張の言葉を噛みしめた。損を減らすために言葉を使う。そう言われると、否定しきれなかった。ロアナプラに来てから、自分はずっとそうしている。勝つためではない。誰かを完全に救うためでもない。最悪を、少しだけ悪くない方向へずらすために言葉を使う。その結果、自分がどんどん面倒の中心へ引きずり込まれていることもわかっている。
「張さん」
「何かな」
「もし、データを見つけたとして、それは誰に渡せばいいんですか」
張は答えなかった。
個室の空気が少し変わる。
レヴィも黙った。
この質問こそが、本題だった。三合会、ホテル・モスクワ、キャスパー。全員が同じものを欲しがる。ラグーン商会がそれを見つけた時、誰に渡すかで街の空気が変わる。
張は静かに茶を置いた。
「まず、見つけることだ」
「その後は?」
「その時に考える」
「それでは困ります」
「ロック」
張の声は穏やかだった。
「この街では、先に正解を決めると、その正解に殺されることがある」
ロックは黙った。
「データの中身によって、扱いは変わる。三合会の港湾網だけに関わるなら、私が受け取る。ホテル・モスクワの偽命令の出所が含まれるなら、大尉も見るべきだ。キャスパーの顧客情報なら、彼にも権利がある。だが、全部が混ざっていた場合は、誰か一人に渡すと戦争になる」
「では、どうするんですか」
「君が考える」
ロックは思わず声を落とした。
「俺が?」
「そう」
「張さん、それは依頼ではなく、厄介事の譲渡です」
「その通り」
レヴィが爆笑した。
「張、あんた正直すぎるだろ」
「嘘をつく必要がない時は、正直の方が安上がりだ」
ロックは深く息を吐いた。
「俺たちは運び屋です」
「知っている」
「情報の裁判官じゃありません」
「裁判官はいらない。裁判を始めると全員が被告になる」
「では何を」
「火がつく前に、誰の手が油を撒いたか見つけてほしい」
張の目が少しだけ冷たくなった。
「その後は、私たちが話し合う。必要なら、別の方法で」
別の方法。
それが何を意味するかは、聞くまでもなかった。
*
料理が運ばれてきたのは、その直後だった。焼きそば、蒸し鶏、青菜炒め、湯気の立つスープ。話の内容に比べて、料理はあまりにも美味そうだった。レヴィは一瞬で箸を取り、ロックはその切り替えの速さに呆れた。
「食べるんだな」
「あたりめえだろ。怖い話は腹が減る」
張は笑った。
「レヴィは正しい。空腹で交渉すると、余計なところで怒りやすい」
「俺は腹いっぱいでも怒るぜ」
「それも知っている」
ロックは料理に手をつけながらも、頭の中では話を整理していた。消えたデータ。三合会の許可証。ホテル・モスクワの偽命令。キャスパーの貨物船。ラグーン商会の名前。外部の武器ブローカー。街の小物。綺麗すぎる嘘。どこかに、全部をつなぐ線がある。
張がふと聞いた。
「ロック、キャスパーの私兵が来るそうだね」
「はい。チェキータ、エドガー、アラン、ポーという名前を聞きました」
レヴィが肉を噛みながら言う。
「チェキータってのは女か?」
「たぶん」
張は頷く。
「危険な女性だよ」
レヴィが笑った。
「ロアナプラじゃ褒め言葉だな」
「彼女には、たぶん褒め言葉だ」
「へえ」
ロックは嫌な予感がした。
「レヴィ、揉めるなよ」
「まだ会ってねえ」
「会う前から揉める顔をしてる」
「お前、俺の顔を何だと思ってんだ」
「予告編」
張が声を出して笑った。
「いい表現だ」
レヴィはロックを睨む。
「お前、最近口が悪くなってねえか」
「環境のせいだ」
「誰のせいだよ」
「半分くらいはレヴィ」
「言ったな?」
張は茶を飲みながら、穏やかに言った。
「キャスパーの私兵とラグーン商会が一緒に動くなら、街はかなり騒がしくなるね」
「一緒に動くとは限りません」
ロックが言うと、張は微笑んだ。
「動くよ。キャスパーは君たちを使いたがる。君たちは嫌がる。だが、結局同じ場所に向かう。ロアナプラでは、嫌な相手ほど同じ扉を開ける」
レヴィが言う。
「その扉、蹴破っていいか?」
「店の扉以外なら」
「バオの店なら?」
「彼が請求書を出す」
「もう出してるだろ」
ロックは苦笑しながらも、心は重かった。
「張さん。ホテル・モスクワとの会談は必要ですか」
「必要になる」
「いつ」
「早ければ今夜」
「今夜?」
「大尉は待つことが嫌いではない。ただし、待つ理由がある時だけだ。今回は、待つほど偽物が本物のように歩き回る」
ロックは箸を置いた。
「俺も同席するんですか」
「できれば」
「また俺ですか」
「ロック、君は便利だ」
「さっき言い換えたばかりです」
「すまない。面倒を押しつけやすい」
「悪化しています」
レヴィが笑いすぎて咳き込んだ。
張は少しだけ真面目な顔になった。
「冗談は半分だ」
レヴィがまた反応しそうになったが、ロックが手で制した。
「残り半分は?」
「君がいると、銃声が少しだけ遅れる」
ロックは黙った。
張は続ける。
「銃声が遅れれば、話せる時間が増える。話せる時間が増えれば、誰かが死ぬ確率が少し下がる。保証はない。だが、少し下がる」
「それは、俺を買いかぶりすぎです」
「そうかもしれない」
「失敗したら?」
「その時は、全員が別の方法で話す」
レヴィが言う。
「銃でか」
「そうならないよう、君たちを呼んでいる」
ロックは張を見た。
穏やかな笑み。柔らかい声。だが、その奥にある現実は冷たい。張は平和主義者ではない。必要なら撃つ。必要なら潰す。だが、撃つ前に計算する。ロックに求められているのは、その計算の中で、少しだけ選択肢を増やすことだった。
「わかりました」
ロックは言った。
「まず、港湾登録の経路を追います。ベニーに調べさせます。ただし、三合会の情報だけでは足りません。ホテル・モスクワ、キャスパーの情報も必要です」
「用意しよう」
「あと、データを見つけた時の扱いは、事前に三者で決めるべきです」
張は微笑む。
「三者で決めるのは難しい」
「でも、決めないと撃ち合いになります」
「ロック、ここはロアナプラだよ。決めても撃ち合いになることがある」
「なら、撃ち合いになるまでの時間を延ばします」
張はロックをじっと見た。
それから、満足そうに頷いた。
「いい答えだ」
レヴィが横から言う。
「ロック、褒められてんぞ」
「嬉しくない」
「だろうな」
張は食事を終え、ナプキンで口元を拭いた。
「では、最初の仕事だ。今夜、イエロー・フラッグで会合を持つ。私、大尉、キャスパー。君たちも来てほしい」
ロックは一瞬固まった。
「イエロー・フラッグですか」
「中立に近い場所だ」
レヴィが言う。
「中立っていうか、壊れ慣れてるだけだろ」
「それも重要だ」
「バオが泣くぞ」
「彼には後で詫びを入れる」
「金で?」
「たぶん」
ロックは頭を押さえた。
「張さん。三合会、ホテル・モスクワ、キャスパーをイエロー・フラッグに集めるんですか」
「そう」
「最悪です」
「だから君たちに来てほしい」
「最悪を押しつけないでください」
張は立ち上がった。
「ロック、ロアナプラでは、最悪は共有した方が軽くなる」
レヴィが椅子から立ち上がる。
「軽くなった試しがねえよ」
「それでも、一人で持つよりはましだ」
ロックは何も言えなかった。
張は最後に、ロックへ一枚の封筒を渡した。
「これは?」
「三合会側で確認した港湾許可証の写しと、関係した業者リストだ。ベニーに渡してほしい」
「ありがとうございます」
「それと」
張は少しだけ声を低くした。
「この中の誰かは、もう消えているかもしれない」
ロックの表情が変わる。
「殺されたんですか」
「まだわからない。だが、外の人間がロアナプラの小物を使う時、最後まで面倒を見るとは限らない」
レヴィが舌打ちした。
「尻尾切りか」
「尻尾ならまた生える。切られる方は、そうはいかない」
張は扉へ向かう。
「ロック、急いだ方がいい。消えた人間は、喋らないからね」
*
店を出ると、昼の光がやけに白かった。ロアナプラの通りには、いつもの騒音が戻っている。車のクラクション、屋台の声、遠くの口論、酒場の看板を直す音。世界はまだ燃えていない。だが、火薬の匂いは確かにした。
レヴィは煙草に火をつけ、深く吸った。
「どうだった、交渉人」
「交渉人じゃない」
「面倒を押しつけやすい男」
「それも嫌だ」
「じゃあ何だよ」
ロックは少し考えた。
「たぶん、導火線を濡らす係」
レヴィは一瞬黙り、それから笑った。
「いいじゃねえか。濡れた導火線でも、ロアナプラじゃそのうち燃えるけどな」
「縁起でもない」
「事実だ」
ロックは封筒を見た。三合会の業者リスト。消えたかもしれない人間。今夜のイエロー・フラッグ会合。張、バラライカ、キャスパー。考えるだけで胃が重くなる。
レヴィが横から言った。
「なあ、ロック」
「何だ」
「チェキータって女、どんな奴だと思う?」
「さあ」
「張が危険って言ってたな」
「揉めるなよ」
「だからまだ会ってねえって」
「会う前から楽しそうな顔をするな」
レヴィは煙を吐き、にやりと笑った。
「危険な女が来る。白い兄貴も来る。バラライカと張が同じ店に入る。バオが泣く。お前が胃を痛める。最高じゃねえか」
「最低の間違いだ」
「ロアナプラじゃ同じ意味だろ」
ロックは空を見上げた。昼の空は濁っている。港の方角に、黒い煙が薄く上がっていた。火事ではない。おそらく、古いエンジンの排煙だ。それでも、ロックにはそれが火種の煙に見えた。
「戻ろう」
「どこへ」
「事務所へ。ベニーにこれを渡す」
「その後は?」
「ホテル・モスクワへ行ったダッチと合流して、今夜の会合の準備」
レヴィは大げさに肩を回した。
「忙しい一日だな」
「まだ昼だ」
「だから最悪なんだよ」
二人は通りを歩き出した。
背後の中華料理店では、張がまだ個室に残っている。彼はおそらく、別の電話をかけるだろう。ホテル・モスクワへか、三合会の部下へか、それとも港の誰かへか。バラライカはすでにダッチを呼んでいる。キャスパーはロアナプラへ向かっている。チェキータ、エドガー、アラン、ポーもその後ろにいる。
ロアナプラの港に残された名前は、まだ紙の上にあるだけだった。
だが、その名前を読んだ人間たちは、もう動き始めている。
張は穏やかに怒り、バラライカは静かに怒り、キャスパーは笑いながら怒っている。
そしてラグーン商会は、またしても全員の真ん中に置かれていた。