Guns & Garlands — 銃と花輪   作:たこ焼き 龍月

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第二章 死線とジャングル・クルーズ

 

 海は夜の残り香を抱えていた。

 

 ラグーン号はロアナプラの灯を背に、黒い水面を切って進んでいる。港の騒音はもう遠い。だが、船上の空気が静かになったわけではなかった。

 

 エンジンの低い唸り。

 波が船腹を叩く音。

 銃器を点検する金属音。

 そして、誰も口にしない警戒。

 ロアナプラを出たから安全になる、などと考える者は、この船には一人もいなかった。

 

 レヴィは甲板の縁に腰を下ろし、銃を分解していた。慣れた手つきだ。指先は雑に見えて、動きには迷いがない。

 

 その少し離れた場所で、バルメもまた自身の装備を確認していた。

 レヴィはちらりと見て、鼻で笑った。

 

「ずいぶん丁寧だな」

 

 バルメは顔を上げない。

 

「道具を大切にしない人間は、道具に見捨てられる」

「道具に好かれて戦場で生き残れるなら、俺はとっくに銃と結婚してる」

「あなたなら式の途中で神父を撃ちそうね」

「神父が俺の銃に文句を言ったらな」

「教会に向いてない」

「この街の教会なら向いてるだろ」

 

 バルメは少しだけ笑った。

 レヴィはその表情を見逃さなかった。

 

「お、笑ったな」

「笑ってない」

「笑った」

「気のせい」

「無表情女が一ミリ口角を動かしたら、それは笑ったって言うんだよ」

 

「あなたは細かいことを見ているのね」

「戦場じゃ、細かいことを見落とす奴から順に床に転がる」

「そこは同意する」

 

 レヴィは組み直した銃を軽く回した。

 

「なあ、バルメ」

「何?」

「お前、あの白いお嬢様のためなら死ねるのか?」

 

 バルメは手を止めた。

 夜風が二人の間を通る。

 

「死ぬことに価値はない」

「へえ。忠犬みたいな顔してる割には、冷めてんじゃねえか」

「死ぬために彼女のそばにいるんじゃない。生かすためにいる。彼女を。自分を。必要なら、他の誰かも」

 

「綺麗事だな」

「綺麗事を本気でやるには、汚れ仕事が必要になる」

 

 レヴィは黙った。

 そして、笑った。

 

「やっぱりお前、嫌な女だな」

「褒め言葉として受け取るわ」

「俺の真似すんな」

「あなたの言い方、便利だから」

 

 そのやり取りを少し離れた場所で聞いていたルツが、マオに小声で言った。

 

「あの二人、仲いいのか?」

「少なくとも、すぐ撃ち合わない程度にはな」

「それを仲がいいって呼ぶの、ロアナプラ基準すぎるだろ」

 

 マオが肩をすくめる。

 

「ここに乗ってる連中で、普通の基準を持ってる奴がいるか?」

 

 ルツは船内を見回した。

 レヴィ。バルメ。ココ。ロック。ダッチ。レーム。ワイリ。ベニー。怯えた技術者。

 

「……いないな」

「だろ」

 

     *

 

 操舵室では、ダッチが舵を握っていた。

 

 レームはその横で煙草を吸っている。ただし、窓の外と計器を交互に見ている目は、雑談をしている老人のものではなかった。

 

「この船、いい船ですな」

 

 レームが言った。

 ダッチは前を向いたまま答える。

 

「褒めても何も出ねえぞ」

「いや、本気ですぜ。速いだけじゃない。扱いが荒い船長に慣れてる」

「船は持ち主に似る」

「なら、だいぶ我慢強い」

「俺が短気だと?」

「違うんですかい?」

 

 ダッチは低く笑った。

 

「短気な奴は、ロアナプラで運び屋なんざ続かない」

「確かに。短気な奴は、撃つ。臆病な奴は、逃げる。欲張りな奴は、積みすぎる。運び屋に必要なのは、そのどれでもない」

「何だと思う」

 

「諦めの悪さ」

 

 ダッチは少しだけ目を細めた。

 

「意外と詩人だな」

「年を取ると、嫌でも言葉が増える。若いころは銃で済ませていたことを、年を取ると酒と比喩で誤魔化すようになる」

「誤魔化せてるか?」

 

「いいえ。だから酒が必要になる」

 

 ダッチはふっと笑った。

 

「おたくの社長は、何を狙ってる」

 

 レームは煙を吐く。

 

「聞いてどうします?」

「聞いただけで降りるような仕事なら、もう受けてねえ」

「でしょうな」

「だが、知らずに走るのと、知っていて走るのは違う」

「お嬢は、全部は話しません」

 

「だろうな」

「俺たちにも話さないことがある」

「信用されてないのか」

「逆です。信用してるから、話さない。お嬢にとって秘密ってのは、相手を遠ざけるものじゃなく、相手を巻き込みすぎないための壁でもある」

 

 ダッチは少し黙った。

 

「便利な解釈だ」

「俺もそう思います」

 

 レームは静かに言った。

 

「だが、長くあの人のそばにいるとわかる。ココ・ヘクマティアルは嘘をつく。隠し事もする。人を利用もする。だが、部下を駒として捨てるほど雑じゃない」

「武器商人にしては、ずいぶん情があるんだな」

「情はあります。ただし、普通の人間が持ってる場所とは少し違うところにある」

「それは厄介だ」

「ええ。だから俺たちは給料をもらってる」

 

 ダッチは前方の暗い海を見る。

 

「この仕事、ただの輸送じゃないな」

「最初からそう言ってませんでしたかね」

「言葉ではな」

「なら、答えはこうです。俺たちは明日の朝までに、どこかの誰かが隠したかったものを運ぶ。その途中で、どこかの誰かが取り返しに来る。あるいは、沈めに来る」

「どこの誰かだ」

 

 レームは煙草を灰皿に押しつけた。

 

「国旗を背負ってない顔をした、国旗つきの連中」

 

 ダッチはそれ以上聞かなかった。

 聞かなくても、十分だった。

 

     *

 

 船室の一角で、ベニーは黒い通信ケースを眺めていた。

 もちろん開けてはいない。

 開けてはいないが、触りたくて仕方がない顔をしていた。

 その横でワイリが楽しそうに覗き込んでいる。

 

「開けないの?」

「開けない」

「開けたい顔してるよ」

「ものすごく開けたい。でも、開けたら絶対に面倒になる」

「開けても爆発しないと思うけどな」

「君の“大丈夫”は信用できないんだよ。爆発物の専門家に“爆発しないと思う”って言われても、逆に怖い」

 

 ワイリは不思議そうに首を傾げる。

 

「爆発する時は、だいたい爆発する理由があるよ」

「しない理由を探してくれ」

「しない理由か。うーん。持ち主が困るから?」

「それは人間側の事情だね」

「機械に人情を教えればいい」

「やめろ。君が機械に何かを教えると、だいたい最後は火花が出る」

 

 そこへロックがやってきた。

 

「何かわかったか?」

 

 ベニーは顎に手を当てる。

 

「外から見ただけだけど、通信機材というより、通信環境そのものに干渉する装置に見える。普通の暗号化通信は、会話を隠す。これはたぶん、会話の場所を変える。相手の耳を塞いだり、違う声を聞かせたり、誰が喋っているかを偽装したりできる」

 

 ロックは黒いケースを見る。

 

「それができると、何が起こる?」

「戦場なら、部隊を迷子にできる。救援要請を潰せる。偽の命令を流せる。国境警備なら、穴を作れる。密輸なら、通り道を作れる。逆に言えば、これを持っている側が、東南アジア一帯の裏ルートを握ることもできる」

 

「武器より厄介だな」

「銃は引き金を引く人間が必要だけど、通信をいじれば、他人に引き金を引かせられる」

 

 ワイリが明るく言う。

 

「すごいね。遠隔操作の戦争だ」

 

 ベニーは顔をしかめる。

 

「言い方が軽い」

「軽く言わないと重すぎるよ」

 

 その言葉には、珍しくワイリなりの真面目さがあった。

 ロックは黙ってケースを見つめた。

 そこへ、技術者のナタワットがふらつくように近づいてきた。

 彼の顔色は悪い。船酔いだけではない。恐怖が肌の下に染み込んでいるようだった。

 

「……君たちは、あれをただの荷物だと思っているのか」

 

 ロックが振り向く。

 

「あなたはそう思っていない」

「私は、もう何も思いたくない」

「でも、知っている」

 

 ナタワットは笑った。

 乾いた、壊れかけの笑いだった。

 

「知識は便利だ。金になる。地位になる。研究室をくれる。助手をくれる。だが、最後には逃げ場を奪う」

 

 ベニーが静かに聞く。

 

「あれは何なんです?」

 

 ナタワットは黒いケースを見た。

 

「名前はいくつもある。計画名、予算名、表向きのプロジェクト名。だが、私たちは内輪で“花輪”と呼んでいた」

「花輪?」

 

 ロックが眉をひそめる。

 

「通信の輪を作る。軍、警察、民間、衛星、密輸無線、古いアナログ回線まで拾い、編み込み、必要なところだけ締める。花輪のように見えるからだ」

 

 ワイリが呟く。

 

「締める花輪って、首輪みたいだね」

 

 ナタワットは小さく頷いた。

 

「その通りだ」

 

 ロックは低く聞いた。

 

「誰が作らせたんですか」

 

 ナタワットは答えない。

 

「博士」

 

 ロックが一歩近づく。

 

「ここまで来たら、黙っていても安全にはなりません」

「安全?」

 

 ナタワットは目を見開いた。

 

「安全など、最初からなかった。安全というのは、危険の場所を知らない人間が使う言葉だ。私は知ってしまった。誰が欲しがり、誰が隠し、誰が消そうとしているかを」

「誰です」

 

 ナタワットは唇を震わせた。

 だが、その時だった。

 操舵室から警告の声が飛んだ。

 

「全員、伏せろ!」

 

 次の瞬間、夜の水面に白い線が走った。

 銃声が、海を裂いた。

 

     *

 

 最初の一発は船体の横を叩いた。

 火花が散り、金属音が響く。

 ラグーン号の左舷後方から、二隻の高速艇が迫っていた。灯火は消している。船体には民間用の塗装がされているが、動きは素人ではない。

 

 レヴィが甲板に飛び出した。

 

「来やがった!」

 

 ダッチの声が操舵室から響く。

 

「レヴィ、勝手に前へ出るな! 数を見ろ!」

「数えるより撃ったほうが早え!」

「だから数えろと言ってる!」

 

 レームがすでに銃を構えている。

 

「二隻。いや、後ろにもう一つ影がありますな。三隻。距離を詰めてきます」

 

 バルメはココを船体の陰へ押し込む。

 

「ココ、下がって」

「見えない」

「見なくていい」

「見たい」

「だめです」

「バルメは過保護ね」

「職務です」

 

 マオがナタワットを引きずるように船室へ押し込んだ。

 

「博士、頭を下げろ!」

「私を殺しに来たのか?」

「たぶんそうだ! だから死にたくなけりゃ黙って動け!」

 

 ベニーはコンピュータを抱えるように伏せた。

 

「やっぱり嫌な予感が当たった!」

 

 ワイリが目を輝かせる。

 

「すごいね。水上戦だ」

「楽しそうに言うな!」

「だって、準備してない状況って面白い」

「君の面白いは、僕の心臓に悪い!」

 

 銃声が連続した。

 高速艇の一つが距離を詰め、拡声器から声が流れる。

 

『こちらは沿岸警備隊だ。停船しろ。積荷検査を行う』

 

 レヴィが笑った。

 

「沿岸警備隊だとよ」

 

 ダッチが舵を切りながら言う。

 

「この海域の連中は、夜中に灯火を消して撃ちながら検査するのか?」

 

 レームが乾いた声で答える。

 

「最近の公務員は熱心ですな」

 

 ロックが操舵室の入口に掴まりながら叫ぶ。

 

「本物じゃない?」

 

 ダッチは短く答えた。

 

「本物なら、もっと下手だ」

 

 レヴィが船縁から撃ち返す。

 

「お役所仕事にしちゃ、弾が真っ直ぐ飛んでくる!」

 

 ルツが甲板に姿勢を低くして移動し、冷静に敵艇を見た。

 

「操縦席に二人、後部に三人。全員装備が揃いすぎてる」

「地元の海賊じゃねえな」

 

 レヴィが言う。

 

「海賊なら、もっと趣味の悪いシャツを着てる」

「判断基準が雑だな」

「だが当たってる」

 

 バルメがココを守りながら、短く言った。

 

「動きが軍隊寄り。訓練されてる」

 

 レヴィが笑う。

 

「じゃあ、お行儀よく殺されに来たってわけか」

「殺すと言うより、奪取ね」

「どっちでも、撃たれりゃ同じだ!」

 

 ココは船体の陰から声を上げる。

 

「レーム、荷物を守って! バルメは博士! ルツ、後ろの艇を止めて!」

 

 バルメが即座に反論する。

 

「ココ、あなたから離れられません」

「命令よ」

「嫌です」

「バルメ」

「嫌です」

 

 その返答に、レヴィが撃ちながら吹き出した。

 

「おいおい、忠犬が命令拒否かよ!」

 

 バルメはレヴィを見ずに答える。

 

「ココを守るための命令なら聞きます。ココを危険に晒す命令は聞きません」

 

 ココがむっとする。

 

「私は雇い主よ」

「私は護衛です」

「私の勝ちじゃない?」

「今回だけは私の勝ちです」

 

 レームが苦笑しながら射撃する。

 

「お嬢、ここは負けておきなされ。勝っても撃たれますぜ」

 

 ダッチが船を大きく旋回させた。

 水しぶきが上がり、敵艇の照準がずれる。

 レヴィはその瞬間を逃さず、前に出た。

 

「よし、こっち向け、税金泥棒ども!」

 

 バルメが叫ぶ。

 

「出すぎ!」

「うるせえ! 俺はこういう時、前に出るって決めてんだよ!」

「決めるな!」

「もう決めた!」

 

 レヴィの銃声が夜の水面に跳ねた。

 敵艇のライトが一つ割れる。暗闇が揺れ、艇が少し進路を乱す。

 ルツが冷静に呼吸を整え、後方の艇を狙った。

 

「動きが速い」

 

 マオが弾倉を渡す。

 

「できるか?」

「できなきゃ、俺の給料が下がる」

「下がるだけで済めばいいな」

 

 ルツの一撃が、後方の艇のエンジン周りを捉えた。

 派手な爆発ではない。

 だが、十分だった。

 エンジン音が乱れ、艇が速度を落とす。

 ワイリが嬉しそうに言う。

 

「いい止め方だね。壊しすぎない」

 

 ルツが即座に返す。

 

「お前に褒められると不安になる」

「壊しすぎるのも芸術だよ」

「その芸術、味方の近くで披露するな」

 敵の一艇がラグーン号の右側へ回り込もうとした。

 ダッチが舵を切る。

 

「ロック、下がってろ!」

 

 ロックは床に伏せながらも、敵の動きを見ていた。

 撃ってくる。

 だが、沈めようとはしていない。

 狙いは船体の中枢ではない。操舵室、機関部、甲板上の人員。そして黒いケースの位置を探っている。

 

「ダッチ!」

「何だ!」

「連中、船を沈める気じゃありません! 積荷を取りに来ています!」

 

 ココが笑った。

 

「当たり」

 

 ロックが振り向く。

 

「知ってたんですか!」

「予想はしてた」

「それを先に言ってください!」

「言ったら断った?」

「少なくとも心の準備はしました!」

 

 レヴィが叫ぶ。

 

「心の準備で弾が止まるかよ!」

 

 ロックも叫び返す。

 

「止まりませんけど、胃には優しい!」

 

 ベニーが床から顔を上げる。

 

「僕の胃はもう手遅れだよ!」

 

 レームがココに向かって言う。

 

「お嬢、次からは予想の共有をもう少し早めにお願いしますぜ」

「努力するわ」

「その返事は信用できませんな」

「正直ね」

「お嬢に鍛えられてますから」

 

 右側の敵艇から、男がフック付きのロープを投げようとする。

 バルメが素早く銃を構えた。

 レヴィも同時に狙った。

 二人の銃声が重なり、ロープは海へ落ちた。

 

 レヴィが笑う。

 

「おい、今のは俺の獲物だ」

「早い者勝ち」

「同時だったろ」

「なら引き分け」

「気に入らねえ」

 

「私も」

 

 敵艇がさらに寄る。

 レヴィは船縁を蹴って位置を変え、バルメは反対側から射線を取る。

 荒い。

 正確。

 無茶。

 合理的。

 二つの戦い方が、同じ甲板の上でぶつかりながら噛み合っていく。

 

 ルツが呟いた。

 

「あの二人、相性悪いのに連携できてるな」

 

 マオが答える。

 

「性格と戦闘能力は別なんだよ」

「俺は性格も大事だと思うけど」

「生き残ってから言え」

 

 ワイリが船尾側に伏せながら、何かを取り出そうとした。

 

 ベニーが青ざめる。

 

「ワイリ、何を出してる?」

「ちょっとした保険」

「それは爆発する?」

「状況による」

「しまって!」

 

「でも、便利だよ?」

「便利な爆発物という概念を僕は認めない!」

 

 ワイリは少し考えた。

 

「じゃあ、不便な爆発物なら?」

「もっと嫌だ!」

 

 その間にも敵は距離を詰めていた。

 

 レームが低く言う。

 

「ダッチ、左へ振れますか」

「この速度でか?」

「できるでしょう?」

「できるが、褒められた操船じゃねえ」

 

「褒める相手は今いませんぜ」

「違いない」

 

 ダッチは舵を大きく切った。

 ラグーン号がうねるように動き、敵艇の一つが波を受けて大きく揺れた。

 その瞬間、ワイリが何かを投げた。

 

「ほい」

 

 ベニーが叫ぶ。

 

「軽い!」

 

 次の瞬間、水面で白い閃光が弾けた。

 派手な火柱ではない。

 だが、敵艇の周囲に水しぶきと光が広がり、操縦者が一瞬だけ視界を奪われる。

 

 レヴィが口笛を吹いた。

 

「やるじゃねえか、爆弾男!」

 

 ワイリが笑顔で返す。

 

「爆弾じゃないよ。たぶん」

「たぶんって言ったか今!」

 

 ベニーの悲鳴を無視して、ルツとレームが畳みかける。

 敵艇は進路を失い、ラグーン号から離れた。

 最後の一艇がなおも食い下がる。

 拡声器が割れた声を吐く。

 

『停船しろ。これは警告ではない』

 

 レヴィが大声で返した。

 

「こっちも警告じゃねえよ!」

 

 銃声。

 

 敵艇の前面装甲に火花が散る。

 バルメが冷静に撃ち、レームが角度を潰す。ルツが後方を止める。ダッチが船を逃がす。マオが博士を抑え、ベニーが通信を守り、ワイリが不穏な笑顔で海面を見ている。

 

 ココはその中心で、笑っていた。

 ロックはその横顔を見た。

 恐怖がないわけではない。

 だが、それ以上に、彼女はこの混乱の形を見ている。誰がどう動き、どの歯車が噛み合い、どこで敵が崩れるかを。

 

 彼女は戦場を見ているのではない。

 戦場の構造を見ている。

 

「ロック」

 

 ココが言った。

 

「何ですか!」

「よく見ておいて」

「何を!」

「この世界の会話」

 

 ロックは一瞬、意味がわからなかった。

 ココは続ける。

 

「銃声も、無線も、命令も、沈黙も、全部会話よ。誰が何を言い、誰が何を聞かないか。それで戦場は動く」

「今その講義をする場面ですか!」

「今だからよ」

 

 敵艇が最後の接近を試みた。

 だが、すでに勢いは失われていた。

 

 ダッチが岩礁の影へ船を滑り込ませる。敵艇は追いきれず、無理に角度を変えようとして水面で跳ねた。

 ルツが最後の一撃を入れる。

 敵艇のエンジン音が途切れ、海上に流された。

 銃声が止んだ。

 残ったのは、エンジン音と荒い呼吸と、硝煙の匂いだけだった。

 

     *

 

 しばらく誰も喋らなかった。

 

 ラグーン号はマングローブの影に入り、速度を落とした。夜の水路は細く、空気は湿り、虫の音が不気味なくらい大きい。

 最初に口を開いたのはバオではなく、もちろんここにはいないバオの代わりに、ベニーだった。

 

「……僕、今日の分の給料、上げてもらっていいかな」

 

 レヴィが笑う。

 

「お前、撃ってねえだろ」

「撃たれた」

「弾は当たってねえ」

「精神には当たった」

 

 ワイリが頷く。

 

「心の被弾は深いよね」

 

 ベニーはワイリを見る。

 

「君に言われると、なぜかすごく腹が立つ」

 

 ルツが水筒を飲みながら言った。

 

「敵は?」

 

 レームが答える。

 

「二艇は離脱。一艇はエンジン停止。追っては来ないでしょう。少なくとも今は」

 

 バルメはココの前に立ったまま、周囲を見ている。

 

「ココ、怪我は?」

「ないわ」

「本当に?」

「本当」

「撃たれてない?」

「撃たれてたら言うわ」

「あなたは言わない時がある」

「バルメ、私はそこまで子供じゃない」

「ココは子供ではありません。でも、たまに自分の体を自分の持ち物だと思っていない」

 

 ココは少しだけ黙った。

 それから、柔らかく笑う。

 

「心配してくれてありがとう」

 

 バルメは返事をしなかった。

 ただ、ほんの少しだけ視線を逸らした。

 レヴィがそれを見てニヤつく。

 

「おい、照れてんのか」

 

 バルメは即座に言う。

 

「照れてない」

「照れてた」

「撃つわよ」

「やってみろ」

 

「レヴィ」

 

 ダッチの声が飛ぶ。

 

「味方を煽るな」

「味方か?」

「今はな」

「便利な言葉だな」

「便利だから使ってる」

 

 ロックは甲板に落ちていた敵の装備の一部を拾い上げた。

 

 戦闘中、敵の一人が落としたものだった。通信機。小型だが、民間用ではない。表面にはメーカー表示がない。だが裏面の規格番号は、ロックがかつて商社で見た軍用品リストの記憶を刺激した。

 

「ベニー」

「何?」

「これ、見てくれ」

 

 ベニーは受け取り、眉をひそめた。

 

「暗号化通信機だ。しかも新しい。一般市場には流れてないタイプだと思う」

「米軍規格に近い?」

 

 ベニーはロックを見た。

 

「よくわかったね」

「昔、似た型番を見たことがある。直接扱ったわけじゃないけど、防衛関連の資料で」

 

 レヴィが近づく。

 

「つまり、さっきの連中は地元の海賊じゃないってことか」

 

 ロックは頷いた。

 

「装備が良すぎる。動きも揃いすぎている。でも正規軍なら、もっと堂々と来る。身分を隠す理由がある」

 

 レームが通信機を見て、低く言った。

 

「非公式部隊か、民間軍事会社か。あるいはその中間ですな」

 

 ダッチがココを見る。

 

「説明してもらおうか」

 

 ココは少しだけ首を傾げた。

 

「どこから?」

「最初から、と言いたいところだが、どうせ全部は言わないだろう。なら、今わかった分だけでいい。あれは何者だ」

 

 ココは通信機を見つめた。

 

「たぶん、私たちが運んでいるものを回収したい人たち」

「どこの?」

「いくつかの組織が絡んでる。軍、情報機関、企業、現地政府。きれいに分けられない。表の肩書きと裏の財布が違う人たち」

 

 ロックが言う。

 

「CIAですか」

 

 ココは笑った。

 

「ロックは本当に直球ね」

「違うんですか」

「半分は正解。半分は不正解」

 

 レヴィが苛立ったように言う。

 

「その半分って言い方、流行ってんのか? はっきり言えよ。撃つ相手がどこの誰かくらい、知ってたほうが気分がいい」

「撃つ時に国籍を聞くの?」

「聞かねえよ。だから先に聞いてんだ」

 

 ココは少しだけ真面目な顔になった。

 

「アメリカの中にもいろいろある。表向きの命令で動く人。命令がないことを利用して動く人。予算を消すために動く人。証拠を消すために動く人。今回の相手は、そのどれか、あるいは全部」

 

 ダッチが言う。

 

「つまり、国旗はあるが、責任者はいない連中か」

「そう」

 

 レームが肩をすくめる。

 

「一番厄介なタイプですな。勝てば組織の手柄、負ければ知らない人」

 

 マオが吐き捨てる。

 

「最低だな」

「最低なものほど、予算がつくのよ」

 

 ココは穏やかに言った。

 ロックは通信機を見たまま問う。

 

「あなたの本当の目的は、あの通信システムを売ることですか」

「違う」

「壊すことですか」

「それも半分」

「また半分ですか」

 

「だって世界は半分でできてるもの。見えている半分と、見えない半分。言える半分と、言えない半分。正義の半分と、商売の半分」

 

 ロックはココを見た。

 

「あなたは、どちら側にいるんですか」

 

 ココは微笑んだ。

 

「私は、半分をつなぐ側」

 

 レヴィが呆れたように言う。

 

「詩人かよ」

「武器商人よ」

「余計たちが悪い」

「ありがとう」

 

「褒めてねえ!」

 

     *

 

 夜が明ける前に、ラグーン号は海から細い河川へ入った。

 

 水の色が変わった。

 黒い海から、濁った緑の川へ。

 両岸にはマングローブが密集し、その奥にジャングルが続いている。空気はさらに重くなり、湿気が肌に貼りついた。虫の音、鳥の声、どこかで水面を跳ねる魚の音。

 

 だが、誰も自然の美しさを楽しんでいる余裕はなかった。

 レヴィは船首近くで退屈そうに煙草をくわえていた。

 

「なあ、ココ」

「何?」

「これ、観光ツアーだったら最低だな。景色は湿っぽいし、虫はうるせえし、ガイドは秘密主義だし、客は撃ってくる」

 

「でも退屈しないでしょ?」

「退屈ってのは必要なんだよ。人間、退屈があるから酒がうまい」

「あなた、意外と哲学的ね」

「酒の話だ」

「酒の話はたいてい哲学よ」

 

 ロックが割って入る。

 

「それは誰の哲学ですか」

「酔っ払い全般」

「説得力はありますね」

 

 バルメが周囲を見ながら言う。

 

「冗談を言う余裕があるうちはいい。でも、ここから先は待ち伏せに向いている」

 

 レヴィがにやりと笑う。

 

「お前、ずっと待ち伏せの話してるな」

「待ち伏せは嫌い」

「好きな奴はいねえだろ」

「あなたは楽しみそう」

「撃ち返せるならな」

「そこが問題なのよ。撃ち返せる待ち伏せは、相手にとって失敗。撃ち返せない待ち伏せが本物」

 

 レヴィは少し黙った。

 

「……お前、たまに嫌なこと言うな」

「褒め言葉?」

「違う」

「知ってる」

 

 ココは二人を見て笑う。

 

「仲良くなったわね」

 

 レヴィとバルメが同時に言った。

 

「なってない」

 

 ロックは小さく笑った。

 その瞬間、ナタワットが船室から出てきた。

 顔色は相変わらず悪い。だが、何かを決意したようでもあった。

 

「ミス・ヘクマティアル」

「博士。休んでいなくていいの?」

「休んでいる時間はない。さっきの襲撃でわかった。彼らは追跡している」

「でしょうね」

「違う。目で追っているだけではない。あの機材の補助ユニットに、識別信号が残っている可能性がある」

 

 ベニーが顔を上げる。

 

「ビーコン?」

「似たようなものだ。ただし、普通の追跡信号ではない。通信環境のノイズに紛れる。専用の受信機がなければ見えない」

 

 ココが目を細める。

 

「博士、それをなぜ今言うの?」

「言えば、私は不要になる」

「言わなければ?」

「全員死ぬかもしれない」

「なるほど。いい判断ね」

 

 ロックが厳しい声で言う。

 

「ココ、これを知っていましたか」

「可能性は考えてた」

「だから“予想はしてた”ですか」

「ええ」

「あなたの予想には、毎回人の命が含まれている」

 

 ココはロックを見た。

 

「含まれない予想なんて、現実にはあまりないわ」

「そういう問題じゃありません」

「そういう問題よ。ロック。あなたはまだ、人の命を別枠に置きたがる。でも戦場でも市場でも、人の命はいつも計算に入ってる。問題は、それを見ないふりするか、見た上で責任を取るか」

 

「責任を取る?」

「ええ」

「死んだ人間に、どうやって責任を取るんですか」

 

 ココは黙った。

 その沈黙は、彼女にしては珍しかった。

 レームが静かに割って入る。

 

「ロックさん。その質問は正しい。だが、今は答えを聞くには場所が悪い」

 

 ダッチの声が飛ぶ。

 

「全員、掴まれ。浅瀬に入る」

 

 ラグーン号が速度を落とす。

 川幅は狭くなり、両岸の木々が迫っていた。

 上空は枝に覆われ、光が届きにくい。水は濁り、どこまで深いのか見えない。

 

 バルメが低く言う。

 

「嫌な場所」

 

 レヴィが煙草を吐き捨てる。

 

「同感だ」

「珍しく意見が合った」

「喜ぶな。縁起が悪い」

 

 その時だった。

 川岸の鳥が一斉に飛び立った。

 レームが叫ぶ。

 

「伏せろ!」

 

 今度の銃声は、森の中から来た。

 

     *

 

 川の両岸から弾が飛んだ。

 密林の奥に敵の姿は見えない。見えるのは、葉が揺れる影、銃口の光、木の幹に散る破片だけだった。

 ラグーン号は狭い川の中で大きく動けない。

 海上より悪い。

 ダッチが舌打ちした。

 

「ここで来るか!」

 

 レームが即座に叫ぶ。

 

「左右に散るな! 見えない相手を追うな! 撃たせて位置を出させろ!」

 

 レヴィは船縁に身を低くしながら笑う。

 

「見えねえ相手は嫌いだ!」

 

 バルメが反対側で撃ち返す。

 

「なら黙って探して!」

「命令すんな!」

「じゃあお願い!」

「もっと嫌だ!」

 

 ルツが冷静に木々の揺れを見る。

 

「右岸、三。左岸、二以上。上にもいる」

「上?」

 

 ロックが顔を上げかけると、すぐ近くの枝が弾けた。

 レヴィが襟首を掴んで引き倒す。

 

「馬鹿! 観察するなら首を出すな!」

「すみません!」

「謝る暇があったら伏せてろ!」

 

 ロックは床に伏せながら、敵の動きを見る。

 銃撃は激しい。

 だが、やはり船を沈める気ではない。操舵室を狙い、こちらを足止めし、混乱させようとしている。

 

「また奪取狙いです!」

「わかってる!」

 

 ダッチが叫ぶ。

 

「だが、この川じゃ逃げ切るのは難しい!」

 

 ワイリが船の後方から声を上げる。

 

「じゃあ、逃げ道を作る?」

 

 ベニーが即座に叫ぶ。

 

「作るってどういう意味!?」

「細かく聞かないほうが幸せなこともあるよ」

「聞かないともっと不幸になる気がする!」

 

 ココが叫ぶ。

 

「ワイリ、やりすぎないで!」

「了解。ちょっとだけにする」

 

 マオが呟く。

 

「その“ちょっと”が怖いんだよな」

 

 レームは敵の射線を読みながら、ダッチに指示を出す。

 

「少しだけ左へ。倒木の影を使えます」

「船を擦るぞ」

「船体の塗装と命なら、命を選びましょう」

「ラグーン号を雑に扱うな」

「生き残ったら謝ります」

 

 ダッチは低く唸りながら舵を切った。

 船体が倒木の影に滑り込む。

 銃撃の一部が遮られた。

 

 その瞬間、レヴィが前へ出る。

 

「今だろ!」

 

 バルメも同時に動いた。

 

「右!」

「左は任せろ!」

「誰があなたに任せたの!」

「今決めた!」

 

 二人は左右に分かれ、敵の射線へ撃ち返した。

 レヴィの動きは荒々しい。だが、ただ無茶をしているわけではない。相手に考える隙を与えず、視線を奪い、注意を自分へ集める。

 

 バルメは逆だった。最小限の動きで位置を変え、相手の撃った瞬間を拾い、確実に圧力をかける。

 噛み合わないはずの二つの動きが、奇妙に噛み合っていた。

 レームが感心したように言う。

 

「大したもんですな。喧嘩しながら連携してる」

 

 ダッチが答える。

 

「レヴィにはよくある」

「相手のほうも合わせられるのがすごい」

「そっちは初めてだ」

 

 ルツが上方の敵を押さえる。

 

「上、下がった」

 

 マオがナタワットを守りながら叫ぶ。

 

「博士、あんた本当に人気者だな!」

 

 ナタワットは震えながら答えた。

 

「私は人気者ではない! 私は証拠だ!」

「どっちでもいい! 狙われるって意味じゃ同じだ!」

 

 ココは床に伏せながら、ロックの近くにいた。

 

「ロック」

「今度は何ですか!」

「敵の撃ち方、どう思う?」

「こんな時に試験ですか!」

「あなたなら見てると思って」

 

 ロックは息を整えながら答えた。

 

「殺すより、止める撃ち方です。船を動けなくして、博士と機材を奪うつもりです。ただし、あなたは殺しても構わないと思っている」

「どうして?」

「あなたの周辺への弾が一番多い。でも、機材のケースには当てていない」

 

 ココは嬉しそうに笑った。

 

「やっぱり、あなたはよく見てる」

「褒められても嬉しくありません!」

「嬉しくなくても、事実よ」

 

 その時、ワイリの“ちょっとだけ”が実行された。

 川岸の一部で、白い煙と土煙が上がった。

 大きな爆発ではない。だが、敵の射線を潰すには十分だった。木の葉が舞い、銃声が一瞬乱れる。

 

 ベニーが叫ぶ。

 

「ちょっとって言った!」

 

 ワイリが明るく返す。

 

「ちょっとだよ。大きくはない」

「君の基準で話すな!」

 

 ダッチがその隙を逃さず、船を前へ押し出した。

 

「掴まれ!」

 

 ラグーン号が濁った水を裂き、狭い川を強引に進む。

 枝が船体を叩き、泥水が跳ねる。

 敵の銃声は後方へ遠ざかっていく。

 だが完全には消えない。

 追ってきている。

 レームが顔をしかめた。

 

「しつこいですな」

 

 レヴィが笑う。

 

「いいじゃねえか。しつこい客は嫌いじゃねえ」

 

 バルメが言う。

 

「私は嫌い」

「だろうな。お前、部屋もきれいそうだし」

「関係ある?」

「ある。しつこい奴は散らかる」

「その理屈なら、あなたは災害ね」

 

「よく言われる」

 

     *

 

 数十分後、銃声はようやく遠ざかった。

 

 ラグーン号は予定の中継地点に近づいていた。

 そこは川沿いの小さな船着場だった。古い木製の桟橋があり、奥には未舗装の道が伸びている。事前に手配された車両があるはずだった。

 

 だが、桟橋には誰もいなかった。

 車両も見えない。

 ダッチが船を寄せながら言った。

 

「歓迎がねえな」

 

 レームが双眼鏡を覗く。

 

「車もない。人もいない。だが、最近誰かがいた痕跡はあります」

 

 レヴィが銃を手に取る。

 

「つまり、また面倒か」

 

 ココは静かに桟橋を見る。

 

「予定より、相手の手が早い」

 

 ロックが言う。

 

「ルートが漏れていたんですね」

「ええ」

「どこから?」

「こちら側か、相手側か、あるいは最初から全部見られていたか」

「ずいぶん冷静ですね」

「慌てても、消えた車は戻らないもの」

「でも、予定は崩れました」

「予定は崩れるためにあるのよ。大事なのは、崩れた後に何を残すか」

 

 レヴィがうんざりした顔をする。

 

「また詩か」

「便利でしょ?」

「弾倉のほうが便利だ」

 

 バルメが桟橋へ先行する。

 レヴィも続こうとする。

 バルメが振り返った。

 

「私が先」

「何でだよ」

「ココの安全確認」

「俺は俺の安全確認だ」

「あなたは安全じゃない」

「それは俺のせいじゃねえ」

 

「半分はあなたのせい」

「残り半分は?」

「性格」

「全部俺じゃねえか!」

 

 ルツが小声で言う。

 

「漫才しながら索敵するなよ」

 

 マオが答える。

 

「できてるならいいんじゃないか」

 

 二人は桟橋へ降りた。

 静かだった。

 虫の音だけがする。

 バルメが地面を見る。

 

「足跡が多い。ここで待っていた人間がいた」

 

 レヴィが小屋の扉を蹴って開ける。

 

「こっちは空だ」

「勝手に開けないで」

「開けなきゃ中は見えねえ」

「罠だったら?」

「罠じゃなかった」

「結果論」

「結果が全部だろ」

 

 バルメはため息をついた。

 その時、レームが船から声をかける。

 

「こちらへ」

 

 彼が見つけたのは、草むらに落ちていた弾倉だった。

 レヴィが拾い上げる。

 

「また上等なもん使ってるな」

 

 ロックも近づき、弾倉を見た。

 

「やっぱり現地の武装勢力じゃない」

 

 ベニーが通信機と照らし合わせる。

 

「装備の系統が揃ってる。これ、同じ部隊だね」

 

 ダッチが言う。

 

「車は?」

 

 マオが周囲を調べて戻ってきた。

 

「タイヤ跡があります。持っていかれたか、移動させられたか。少なくとも、ここに残ってはいません」

 

 ココは少し考え、すぐに言った。

 

「徒歩で行くには遠すぎる」

「どうする」

 

 ダッチが問う。

 

「別の回収地点に向かう。少し遠回りになるけど、旧林道に予備の車両を隠してある」

 

 レヴィが目を細める。

 

「用意がいいな」

「悪いと死ぬもの」

「さっきも聞いたぞ、それ」

「大事なことは何度でも言う主義なの」

 

 ロックが静かに言った。

 

「その予備地点も漏れていたら?」

 

 ココは笑った。

 

「その時は、その場でまた考える」

「あなたの計画は、ずいぶん即興が多いですね」

「計画とは即興を楽にするための準備よ。最初から最後まで予定通りに進む作戦なんて、机の上にしかない」

 

 レームが頷く。

 

「名言ですな」

 

 ダッチはため息をついた。

 

「名言で腹は膨れんし、弾も増えん」

「でも士気は上がる」

 

 ココが言う。

 レヴィが鼻で笑った。

 

「俺の士気は、撃つ相手がいれば勝手に上がる」

「燃費がいいのね」

「褒めてんのか」

「半分」

「残り半分は?」

「呆れてる」

「よし、いつもの調子だ」

 

     *

 

 ジャングルの林道は、道と呼ぶにはあまりにも頼りなかった。

 

 ぬかるんだ土。張り出した根。倒れた枝。左右から迫る草木。湿気はさらに濃く、服の内側まで入り込んでくる。

 ラグーン商会とココ部隊は、荷物を分けて運びながら進んでいた。

 黒いケースは重い。

 それ以上に、空気が重い。

 いつ撃たれるかわからない場所を歩く時、人間は自然と無口になる。

 

 ただし、レヴィだけは違った。

 

「なあ、あとどれくらいだ」

 

 ココが振り向く。

 

「さっきも聞いた」

「さっきから景色が変わらねえんだよ。木、泥、虫、木、泥、虫。地獄の壁紙か?」

「自然は偉大ね」

「偉大すぎて腹が立つ」

 

 バルメが言う。

 

「静かに歩いて」

「虫に言え」

「あなたの声のほうが大きい」

「虫と張り合ってんだよ」

「負けてるわ」

「本気出してねえだけだ」

 

 ルツが苦笑する。

 

「元気だな」

 

 レヴィが睨む。

 

「褒めてんのか?」

「半分」

「お前までそれか!」

 

 ワイリが楽しそうに言う。

 

「流行ってるね、半分」

 

 ベニーが息を切らしながら言った。

 

「僕の体力はもう半分以下だよ」

 

 マオが荷物を担ぎ直す。

 

「技術屋は船に戻ったら筋トレしろ」

「僕はキーボードを叩く筋肉で生きてるんだ」

「その筋肉、銃弾からは逃げられないぞ」

「だから走ってるんじゃないか」

 

 ロックはナタワットの横を歩いていた。

 ナタワットは何度も足を取られ、そのたびに息を乱している。

 

「大丈夫ですか」

「大丈夫という言葉は嫌いになった」

「では、歩けますか」

「それも嫌いだ」

「でも歩くしかありません」

「君は優しいのか冷たいのか、わからないな」

「俺も自分ではよくわかりません」

 

 ナタワットは小さく笑った。

 

「この街の人間にしては、珍しい」

「俺はまだ、この街の人間になりきれていないんでしょう」

「なりたいのか?」

 

 ロックは答えに詰まった。

 少し前を歩いていたココが振り返る。

 

「なりたくなくても、なる時はなるわ」

「聞いてたんですか」

「耳がいいの」

「便利ですね」

「武器商人には必要よ。人は本音ほど小さい声で言うから」

 

 ロックは少し皮肉を込めて言った。

 

「あなたの本音は、いつ聞けるんですか」

 

 ココは微笑む。

 

「聞こえてないだけで、私はずっと本音を言ってる」

「どれが?」

「全部」

「それは嘘でしょう」

「嘘も本音の一部よ。人は隠したいものを隠すために嘘をつく。つまり嘘には、その人が守りたいものが出る」

 

 ナタワットが低く呟く。

 

「なら、君の嘘には何が出ている」

 

 ココは彼を見る。

 

「世界」

「大きすぎる」

「ええ。だから困ってるの」

 

 ナタワットは黙った。

 

 ロックはその会話を聞きながら、背筋に冷たいものを感じていた。

 ココの冗談は軽い。

 だが、その軽さは深さを隠すためではない。

 

 底が見えないから、軽く見えるのだ。

 

     *

 

 予備の車両は、旧林道の奥にあった。

 古いトラックが二台。草木に隠され、迷彩シートをかけられている。燃料も積まれていた。

 

 レヴィが呆れたように言う。

 

「本当に用意してやがった」

 

 ココは得意げに胸を張る。

 

「言ったでしょ。悪いと死ぬって」

 

 ダッチは車両を確認する。

 

「使える。だが、道が悪い。夜のうちにどこまで進めるかはわからん」

 

 レームが空を見た。

 

「明るくなれば、上から見つかる可能性が上がる。進めるだけ進んだほうがいいでしょうな」

 

 バルメがココに言う。

 

「車両は分けます。ココは私と同じ車に」

「当然ね」

 

 レヴィが口を挟む。

 

「俺は?」

「あなたは別」

「何でだよ」

「同じ車に乗ると、うるさそうだから」

「お前の判断基準、だいぶ私情入ってるな」

「半分」

「またか!」

 

 結局、先頭車両にはダッチ、レーム、ルツ、ベニー、ワイリ、荷物の一部。

 後続車両にはココ、バルメ、レヴィ、ロック、マオ、ナタワット、残りの荷物が乗ることになった。

 レヴィは後部座席に座り、窓の外を見た。

 

「最悪のドライブだな」

 

 ココが隣で笑う。

 

「助手席に美女が二人もいるのに?」

「美女はいい。問題は、片方が武器商人で、もう片方が俺を殺したそうな目で見てることだ」

 

 バルメが運転席から言う。

 

「殺したそうには見ていない」

「じゃあ何だ」

「黙らせたいとは思ってる」

「似たようなもんだろ」

「違う。かなり違う」

 

 ロックが小さく言う。

 

「この車内、目的地に着く前に内部分裂しませんか」

 

 マオが答える。

 

「しない。たぶん」

「たぶんですか」

「この面子で断言できる奴がいたら、そいつが一番信用できない」

 

 ナタワットは座席の端で目を閉じていた。

 ココが彼に声をかける。

 

「博士、眠ってもいいわよ」

「眠れると思うかね」

「思わない」

「なら、なぜ言う」

「優しさの練習」

 

 レヴィが吹き出す。

 

「下手くそだな」

 

「練習中だから」

 

 ナタワットは目を閉じたまま言った。

 

「君に優しさを練習される相手は、不運だ」

「かもしれない」

「君は、自分が善人ではないことを知っている」

「ええ」

「だが、悪人だとも思っていない」

「ええ」

「一番危険な人間だ」

 

 ココは笑った。

 

「今日、それ何回目かしら」

 

 ロックが答える。

 

「たぶん、まだ足りません」

 

 ココは楽しそうにロックを見る。

 

「あなたまで言うの?」

「言います」

「理由は?」

「あなたがそれを褒め言葉として受け取るからです」

 

 レヴィが笑う。

 

「ロックに一本取られたな、お嬢」

 

 ココは肩をすくめた。

 

「いいチェス相手でしょ?」

「チェスってのは、こんな泥道を走りながらやるもんじゃねえだろ」

「盤面が揺れるほうが面白いわ」

 

 トラックは暗い林道を進んだ。

 ヘッドライトは最小限。エンジン音は低く抑えている。それでも、ジャングルの中では十分に目立つ。

 

 ロックは窓の外を見た。

 木々の影が流れていく。

 その奥で、何かがこちらを見ているような気がした。

 

     *

 

 夜明け前。

 

 二台のトラックは、ようやく一時停止した。

 前方に古い橋があった。

 だが、橋の中央部は落ちていた。

 最近破壊されたものらしい。木材の切断面が新しく、周囲にはタイヤ跡が残っている。

 

 ダッチが車を降り、橋を見た。

 

「先回りされたな」

 

 レームが周囲を警戒しながら言う。

 

「橋を落として足止め。典型的ですが効果的です」

 

 レヴィが後続車から降りる。

 

「で、また撃ってくるのか?」

 

 バルメが森を見る。

 

「今は静かすぎる」

「静かなのは嫌いか?」

「嫌い」

「俺もだ」

 

 ココは橋の前に立ち、地図を広げた。

 

「迂回路は?」

 

 マオが覗き込む。

 

「南に古い林業道があります。ただし遠回りです」

 

 レームが首を振る。

 

「遠回りすれば、明るくなる。上から見つかる」

 

 ルツが森の奥を見た。

 

「ここで待ってた連中はいない。橋だけ落として移動したか」

 

 ワイリが橋を見て、少し感心したように言う。

 

「きれいに落としてるね」

 

 ベニーが嫌そうに見る。

 

「君が褒めるってことは、やっぱり爆破?」

「たぶん。悪くない仕事だよ。丁寧だけど、愛がない」

「爆破に愛を求めないでくれ」

 

 ロックは橋の残骸を見ていた。

 敵は殺しに来ているだけではない。

 誘導している。

 

 ルートを潰し、選択肢を狭め、こちらを特定の方向へ動かそうとしている。

 

「ココ」

「何?」

「これは足止めじゃないかもしれません」

 

 全員がロックを見る。

 

「どういう意味だ」

 

 ダッチが問う。

 

「橋を落とせば、俺たちは迂回するしかない。迂回路は限られている。つまり、敵はこっちの進路を選ばせようとしている」

 

 レームが頷いた。

 

「誘導ですな」

 

 ココは嬉しそうに笑った。

 

「正解」

 

 ロックは彼女を見る。

 

「あなたも気づいていた」

「今、気づいた」

「本当に?」

「半分」

 

 レヴィが叫ぶ。

 

「また半分かよ!」

 

 ココは地図を指差す。

 

「でも、ロックの言う通り。南の林業道は罠の可能性が高い。だから、別の道を使う」

 

 ダッチが眉をひそめる。

 

「別の道?」

「地図にはない道」

 

 マオが嫌そうな顔をした。

 

「社長、その言い方はだいたい徒歩か、崖か、川です」

「今回は、川」

 

 レヴィが空を仰ぐ。

 

「また水かよ」

 

 ココは明るく言った。

 

「ジャングル・クルーズ、第二幕ね」

「観光気分で言うな!」

 

 バルメが橋の向こうを見た。

 

「移動するなら早く。夜が明ける」

 

 レームが頷く。

 

「敵の誘導を外すなら、今ですな」

 

 ダッチはため息をつき、トラックを見る。

 

「車は捨てるのか」

「残念だけど」

 

 ココが言う。

 

「また用意してるのか?」

「さすがに今回はないわ」

 

 ダッチは苦笑した。

 

「少し安心した」

「どうして?」

「何でも用意してる奴は、何か大事なものを見落としてることが多い」

 

 ココはその言葉を聞いて、少しだけ黙った。

 

「覚えておくわ」

 

 ロックはその沈黙を見た。

 彼女にも、刺さる言葉がある。

 

 それが少し意外だった。

 

     *

 

 夜明けの空が、森の上で鈍く白み始めていた。

 一行は荷物を担ぎ、川へ向かって移動を始めた。

 濡れた草が足首を叩く。泥が靴を重くする。虫が顔の周りを飛ぶ。誰もが疲れていた。

 

 だが、止まるわけにはいかない。

 

 ロックは黒い通信機を見た。

 あれを欲しがる者がいる。

 あれを消したがる者がいる。

 そしてココは、あれを使って何かをしようとしている。

 

 それが商売なのか、破壊なのか、夢なのか。

 まだわからない。

 だが、少なくとも一つだけ確かなことがあった。

 

 これは単なる輸送ではない。

 ロックはココに並んで歩いた。

 

「あなたは、どこまで読んでいたんですか」

 

 ココは前を向いたまま答える。

 

「襲撃されること」

「他には?」

「ルートが漏れていること」

「他には?」

「博士がまだ隠していること」

 

 少し前を歩くナタワットの背中が、わずかに強張った。

 ロックは低く言う。

 

「知っていて連れてきた?」

「知らないことを知るために、連れてきた」

「危険すぎる」

「ええ」

「あなたは、自分の部下も、俺たちも、危険に巻き込んでいる」

 

 ココは足を止めた。

 周囲の一行も、少しだけ振り返る。

 ココはロックを見た。

 

「ロック。ひとつ、正直に言うわ」

「何ですか」

「私は危険を減らすために動いているんじゃない。危険の向きを変えるために動いている」

「それは詭弁です」

「そうかもね」

「危険の向きを変えた先にいる人間は、どうなるんです」

 

「それも考える」

「考えるだけですか」

「考え続ける。選び続ける。間違えたら、また選ぶ」

「それで許されると?」

 

 ココは笑わなかった。

 ただ、静かに言った。

 

「許されるとは思ってない」

 

 ロックは返す言葉を失った。

 その時、レヴィが二人の横を通り過ぎながら言った。

 

「おい、哲学の授業は後にしろ。虫にまで説教が聞こえてんぞ」

 

 バルメも続く。

 

「歩いて。止まると狙われる」

 

 レームが空を見上げる。

 

「夜明けですな」

 

 木々の隙間から、白い光が差し始めていた。

 その光は希望というより、隠れる場所を奪うものに見えた。

 遠くで、ヘリのような低い音が聞こえた気がした。

 

 ルツが立ち止まる。

 

「聞こえたか?」

 

 マオが頷く。

 

「聞こえた」

 

 ダッチが短く言う。

 

「急ぐぞ」

 

 ココは前を向いた。

 

「廃工場まで、あと少し」

 

 レヴィが笑う。

 

「そこで終わりか?」

 

 ココは答えなかった。

 代わりに、ロックが呟いた。

 

「たぶん、そこから始まるんだ」

 

 ココはその言葉を聞いて、少しだけ笑った。

 

「やっぱり、いいチェス相手ね」

 

 ロックは何も言わなかった。

 ジャングルの奥で、朝が始まろうとしていた。

 だが、その朝はロアナプラの朝と同じだった。

 

 夜が終わったわけではない。

 ただ、闇の色が変わっただけだった。

 

 

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