Guns & Garlands — 銃と花輪   作:たこ焼き 龍月

20 / 21
第二章 ホテル・モスクワの沈黙

 

 ロックとレヴィが三合会の中華料理店へ向かっていた頃、ダッチは一人でホテル・モスクワの事務所へ向かっていた。ロアナプラの街は昼でも薄暗い。太陽は出ているが、路地には湿った影が残り、ビルの窓には安い看板の色が反射している。港へ向かうトラック、昼間から酔った男、表の掃除をする女、壁にもたれて煙草を吸う若いチンピラ。誰もが何かを見ていないふりをしている。ロアナプラでは、見ていないふりは礼儀の一つだ。だが、ホテル・モスクワへ向かう時だけは、その礼儀が少し変わる。見ていないふりではなく、見えなかったことにする。あそこに関わるものは、目に入れた時点で面倒の一部になる。

 

 ホテル・モスクワの拠点が入る建物は、外から見る限り特別ではなかった。古いコンクリート、曇った窓、入り口に立つ無表情な男たち。だが、その周囲だけ空気が違う。街の騒音が一枚薄くなる。笑い声が遠のく。誰も急に走らない。誰も無意味に近寄らない。軍隊の残り香というものがあるなら、こういう匂いだろう、とダッチは思った。火薬ではない。命令と規律と、死んだ時間の匂いだ。

 

 入り口でボリスが待っていた。

 

「ダッチ」

 

「ボリス」

 

「大尉がお待ちです」

 

「急な呼び出しだな」

 

「急であることに意味があります」

 

「それは悪い知らせだ」

 

 ボリスは否定しなかった。

 

「こちらへ」

 

 廊下を歩く間、二人はほとんど話さなかった。壁際に立つホテル・モスクワの兵たちは、目だけでダッチを確認する。敵意はない。だが、歓迎もない。仕事で来た者を仕事として見る目だ。ラグーン商会の事務所のゆるんだ空気とは正反対だった。ここでは椅子の位置にも意味があり、扉の開き方にも意味があり、沈黙にも階級がある。

 

 ボリスが扉の前で止まる。

 

「中へ」

 

 ダッチは扉を開けた。

 

 執務室の奥で、バラライカが煙草を吸っていた。机の上には薄い紙束が置かれている。偽命令書。その隣には、港湾の簡易地図、貨物船の停泊位置、倉庫番号、そしてラグーン商会の名前が印字された搬入記録の写し。机の上に並ぶものだけで、だいたいの話は見える。だが、本当に危ないのは見えているものではなく、見せるために並べられたものだ。

 

「来たか、ダッチ」

 

「呼ばれたからな」

 

 バラライカは椅子を示した。

 

「座れ」

 

「命令か?」

 

「今は勧めている」

 

「なら座る」

 

 ダッチは椅子に腰を下ろした。ボリスは部屋の端に控える。扉は閉じられた。外の音が消える。部屋の中には煙草の匂いと、紙の乾いた匂いだけが残った。

 

 バラライカは机の上の偽命令書を指で軽く押した。

 

「これを見ろ」

 

 ダッチは紙を取った。ホテル・モスクワ名義の命令書。特定倉庫への立ち入りを控えること。特定車両を検問しないこと。港湾区域の警戒配置を一時的に変更すること。文面は整っている。いかにも命令書らしい。だが、ダッチは読み終える前に違和感を覚えた。

 

「長いな」

 

 バラライカの目が少しだけ細くなった。

 

「わかるか」

 

「お前ならもっと短い」

 

「その通りだ」

 

 ボリスが静かに言った。

 

「符丁の使い方も不自然です。外形は似ていますが、命令の重心が違う」

 

 ダッチは紙を戻した。

 

「つまり、よくできた偽物だ」

 

「よくできているから不快だ」

 

 バラライカは煙を吐いた。

 

「粗悪な偽物なら笑える。だが、これは笑えん。私の名を使い、私の部下を動かそうとした。命令を偽るということが、どういう意味か理解していない」

 

 ダッチは少しだけ目を細めた。

 

「理解していない奴が作ったにしては、手が込んでいる」

 

「そこだ」

 

 バラライカは机に指を置いた。

 

「これは素人の悪戯ではない。だが、兵士の仕事でもない。兵士なら、命令書の形より命令の重さを見る。これは形を真似て、重さを理解していない」

 

「外の人間か」

 

「そう見ている」

 

 ダッチは港湾地図を見た。

 

「三合会の許可証も出ていると聞いた」

 

「張の名も使われた。彼も愉快ではあるまい」

 

「お前は、張が絡んでいると思うか」

 

 バラライカは薄く笑った。

 

「張が私に喧嘩を売るなら、もっと上品にやる」

 

「上品な喧嘩か」

 

「少なくとも、こんな紙で私の部下を動かそうとはしない」

 

「では、張ではない」

 

「今のところはな」

 

 ダッチはその言葉を聞き逃さなかった。

 

「今のところ、か」

 

「この街では、昨日の無関係が今日の関係者になることがある」

 

「便利な街だ」

 

「不便な街だ」

 

 バラライカは搬入記録の写しをダッチへ滑らせた。

 

「そして、ここにお前たちの名前がある」

 

 ダッチは紙を見た。

 

 ラグーン商会。最終搬入補助登録。時間、倉庫番号、車両番号。見たことのない仕事のはずなのに、見慣れた名前だけがそこにある。ダッチは紙を机に置いた。

 

「うちは関わっていない」

 

「そうだろうな」

 

「ずいぶん簡単に信じるんだな」

 

「信じているわけではない。お前たちがやるなら、もっと雑か、もっと上手い」

 

 ダッチは少しだけ笑った。

 

「褒めているのか」

 

「評価だ」

 

「ありがたく受け取るべきか迷うな」

 

 バラライカは煙草を灰皿に押しつけた。

 

「ダッチ。私はお前たちを犯人だとは見ていない。だが、名前を使われた以上、無関係ではない」

 

「張にも同じことを言われそうだ」

 

「言われるだろう」

 

「ロックが今、呼ばれている」

 

「だろうな」

 

 ダッチは椅子にもたれた。

 

「つまり、ラグーン商会は三合会にもホテル・モスクワにも説明しなければならん」

 

「そしてキャスパーにもだ」

 

「白い商人も動いているのか」

 

「彼の貨物船だ」

 

「面倒な名ばかり揃ったな」

 

 バラライカは冷たく笑った。

 

「ロアナプラでは、面倒な名ほど港に集まる」

 

 ダッチはしばらく黙った。部屋の空気は重い。だが、怒鳴り声はない。バラライカは怒っている。静かに。静かすぎるほどに。レヴィの怒りは火花のように見える。張の怒りは茶の湯気に紛れる。バラライカの怒りは凍った水面に似ていた。表は動かず、下だけが深い。

 

「それで」

 

 ダッチは言った。

 

「俺に何をさせたい」

 

 バラライカはすぐには答えなかった。机の上の偽命令書をもう一度見た。

 

「出所を探れ」

 

「命令か?」

 

「依頼だ」

 

「依頼にしては、銃口が近い」

 

「ホテル・モスクワの依頼は、いつもそうだ」

 

 ダッチは苦く笑った。

 

「料金は?」

 

「必要なだけ払う」

 

「そういう言い方は信用できん」

 

「では、お前が請求しろ」

 

「あとで高くつくぞ」

 

「安い仕事なら、お前たちを呼ばない」

 

 ダッチはバラライカを見た。

 

「張も同じデータを探している」

 

「当然だ」

 

「キャスパーも探す」

 

「商人だからな」

 

「三者が同じものを探せば、ぶつかる」

 

「ぶつかる前に、お前たちが拾えばいい」

 

「拾った後は?」

 

 バラライカはそこで初めて、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「中身による」

 

「張も同じことを言うだろうな」

 

「張は賢い。だから厄介だ」

 

「キャスパーは?」

 

「商人だ。だから別の意味で厄介だ」

 

「俺たちは?」

 

「運び屋だ。だから使える」

 

 ダッチは低く笑った。

 

「今日だけで、その評価を三回は聞くことになりそうだ」

 

「便利な立場だな」

 

「本人にとっては、あまり便利じゃない」

 

「立場とは、本人より周囲が便利に使うものだ」

 

 ダッチは煙草を取り出そうとして、バラライカの机を見てやめた。ここで煙草を吸うこと自体は許されるだろう。だが、今は煙草で間を作るより、言葉で踏み込むべきだった。

 

「バラライカ。お前は全面衝突を望んでいるのか」

 

 ボリスの視線がわずかに動いた。

 

 バラライカは何も変わらない。

 

「望んでいない」

 

「意外だな」

 

「無意味な戦闘は嫌いだ」

 

「意味があれば?」

 

「必要なら行う」

 

「その線引きはどこだ」

 

「私の名を使った者を見つけるまで」

 

「見つけた後は?」

 

「本人に聞く」

 

「優しいな」

 

「聞いてから決める」

 

「なるほど」

 

 ダッチは短く息を吐いた。

 

「張は港湾網を荒らされた。お前は命令を偽られた。キャスパーは商売の心臓部を盗まれた。犯人は三つを同時に怒らせた」

 

「だから、ただの馬鹿か、非常に計算した者だ」

 

「ロアナプラの小物なら、そこまで考えない」

 

「考えないが、使われることはある」

 

 バラライカは地図の一点を指した。

 

「ここだ」

 

 ダッチは地図を見た。倉庫街の外れ。古い荷下ろし場。最近は大きな取引には使われていない場所だ。

 

「偽命令書の効果で、うちの見張りが薄くなった区画だ。三合会の偽許可証も、最終的にここへ繋がる。ラグーン商会の搬入登録も同じだ」

 

「全部、そこへ向けられている」

 

「そうだ」

 

「なら、そこを見ればいい」

 

「すでに見た」

 

「何があった」

 

「何もなかった」

 

 ダッチは眉を動かした。

 

「何もない?」

 

「空のパレット、消された車両跡、使い捨ての通信端末、焼かれた紙片。何もないように整えられていた」

 

「整えられすぎているか」

 

「そうだ」

 

 ボリスが言った。

 

「現場は、ロアナプラの仕事にしては清潔すぎました。雑音が少ない」

 

「雑音が少ない現場は、後から作られた現場だ」

 

 ダッチが言うと、バラライカは頷いた。

 

「だから、お前たちに見てほしい」

 

「俺たちに?」

 

「ラグーン商会は、綺麗な現場より汚い現場をよく知っている」

 

「それは褒めていないな」

 

「評価だ」

 

「便利な言葉だ」

 

 バラライカは薄く笑った。

 

「お前も使うといい」

 

 ダッチは机の上の書類をもう一度見た。

 

「ベニーが必要になる」

 

「連れていけ」

 

「ホテル・モスクワの兵をつけるか」

 

「必要なら」

 

「必要じゃない」

 

 ボリスがわずかに反応する。

 

 ダッチは続けた。

 

「うちの仕事に兵隊をつければ、三合会が反応する。キャスパーも反応する。見張られていると気づいた小物も逃げる。俺たちは運び屋だ。大名行列じゃない」

 

 バラライカはダッチを見た。

 

「もっともだ」

 

 ボリスが言う。

 

「ですが、安全上」

 

 バラライカが手で制した。

 

「ボリス」

 

「はい」

 

「彼の言う通りだ。今、軍靴の音を大きくする必要はない」

 

 ダッチはバラライカを見る。

 

「意外と話が通るな」

 

「お前がまともなことを言えばな」

 

「今日は機嫌が悪いわりに、冗談が多い」

 

「機嫌が悪いからだ」

 

 部屋の空気が少しだけ緩んだ。だが、それはほんの表面だけだった。机の上の偽命令書は、まだそこにある。バラライカの名前を使い、彼女の部隊の規律を踏みつけた紙。その存在だけで、部屋の温度は低いままだった。

 

「ダッチ」

 

「何だ」

 

「私は、私の名を使った者を許さない」

 

「わかっている」

 

「だが、今はまだ撃たない」

 

「それは助かる」

 

「助かるかどうかは、お前たちの仕事次第だ」

 

「脅しか?」

 

「依頼の補足だ」

 

「ホテル・モスクワの依頼は、やはり銃口が近いな」

 

「慣れているだろう」

 

「慣れたくはない」

 

 バラライカは引き出しから別の紙を出した。偽命令書の分析、見張りが薄くなった時間帯、関係した倉庫番号、ホテル・モスクワ側が確認した車両情報。すべてが整理されている。

 

「これをベニーに渡せ」

 

「いいのか」

 

「偽物の出所を探るには必要だ」

 

「三合会の情報と合わせることになる」

 

「構わん」

 

「張に見せる可能性もある」

 

「必要なら見せろ」

 

 ダッチは少し意外そうにした。

 

「いいのか」

 

「張も同じ泥を踏まされた。泥を見なければ、どちらの靴跡かわからん」

 

 ダッチは紙束を受け取った。

 

「その言い方、ロックが好きそうだ」

 

「ロックは、また間に立つのか」

 

「張のところへ行っている」

 

「彼は向いている」

 

「本人は嫌がる」

 

「だから向いている」

 

 ダッチは苦笑した。

 

「張にも同じことを言われていそうだな」

 

「張は見る目がある」

 

 バラライカは煙草を取り出し、新しい一本に火をつけた。

 

「今夜、会談を持つ」

 

「張と?」

 

「張と、キャスパーと」

 

「場所は」

 

「イエロー・フラッグ」

 

 ダッチは一瞬だけ天井を見た。

 

「バオが泣くぞ」

 

「彼には慣れてもらう」

 

「もう十分慣れている。だから泣くんだ」

 

 ボリスが静かに言った。

 

「中立に近く、警戒しやすい場所です」

 

「壊れやすい場所でもある」

 

「それは問題です」

 

「バオにとってはな」

 

 バラライカは表情を変えずに言った。

 

「必要なら、後で修理費を払う」

 

「それを先に言ってやれ」

 

「先に言うと、彼は店を閉める」

 

「賢い判断だ」

 

 バラライカはダッチを見る。

 

「ラグーン商会も来い」

 

「拒否権は?」

 

「ある」

 

「本当か」

 

「拒否した場合、張とキャスパーと私がそれぞれ別にお前たちへ話をすることになる」

 

「それは拒否権ではない。選択肢の形をした脅迫だ」

 

「理解が早い」

 

 ダッチは紙束を内ポケットに入れた。

 

「ロックに伝える」

 

「ロックだけでは足りん。レヴィも来るだろう」

 

「止めても来る」

 

「来させろ。ああいう者がいると、逆に場の嘘が見えやすい」

 

「爆弾を置くようなものだぞ」

 

「爆弾は、扱い方を間違えなければ役に立つ」

 

「間違える自信がある」

 

「それはお前の仕事だ」

 

 ダッチは深く息を吐いた。

 

「俺は運び屋だ」

 

「知っている」

 

「全員、それを忘れていないか」

 

「忘れてはいない。運び屋だから呼ぶ。荷物を運ぶだけが運び屋ではない。時には、厄介事を別の場所へ動かす」

 

「それは仕事の範囲外だ」

 

「では、追加料金を請求しろ」

 

 ダッチは少し笑った。

 

「請求先が三つある」

 

「なら三通出せ」

 

「全員払うと思うか」

 

「払わせろ」

 

「簡単に言う」

 

「簡単ではない仕事だから、お前たちに頼んでいる」

 

 その言葉だけは、冗談ではなかった。

 

     *

 

 執務室を出た後、ボリスがダッチを出口まで送った。廊下は相変わらず静かだった。ホテル・モスクワの兵たちは何も言わない。だが、彼らの目は先ほどより鋭かった。偽命令書の話が部隊の中に広がっているのだろう。彼らにとってそれは、外から笑われたのと同じことだ。いや、それ以上かもしれない。命令は、彼らの背骨だ。その背骨を他人が勝手に曲げようとした。

 

 建物の外へ出る直前、ボリスが言った。

 

「ダッチ」

 

「何だ」

 

「大尉は、まだ抑えています」

 

「見ればわかる」

 

「長くはありません」

 

 ダッチはボリスを見た。

 

「張も同じような状態だろうな」

 

「でしょう」

 

「キャスパーは?」

 

「笑っているでしょう」

 

「それが一番読みにくい」

 

 ボリスは頷いた。

 

「白い商人は、損をしても何かを持ち帰る男です」

 

「それは張も言いそうだ」

 

「大尉も同じ認識です」

 

 ダッチは煙草を取り出し、ようやく火をつけた。煙が昼の光の中で揺れる。

 

「ロアナプラの外の奴が、この街を動かせると思ったなら間違いだ」

 

「ですが、外の者は時々、中の者より残酷です」

 

「なぜだ」

 

「この街の後始末をしないからです」

 

 ダッチは煙を吐いた。

 

「いい言葉だ」

 

「大尉の受け売りです」

 

「だろうな」

 

 ボリスは軽く頭を下げた。

 

「今夜、イエロー・フラッグで」

 

「バオには同情する」

 

「我々もです」

 

 ボリスはそう言って、建物の中へ戻った。

 

 ダッチは一人、通りに立った。ロアナプラの昼の熱気が戻ってくる。ホテル・モスクワの冷たい空気から出ると、街の湿気がやけに生々しく感じた。彼は内ポケットの紙束を確かめる。偽命令書。車両情報。倉庫番号。ボリスの言葉。バラライカの沈黙。

 

 張が笑い、バラライカが黙り、キャスパーが笑う。

 

 その真ん中で、ラグーン商会は説明を求められている。

 

「面倒だな」

 

 ダッチは呟いた。

 

 誰も答えなかった。

 

     *

 

 夕方前、ラグーン商会の事務所には全員が戻っていた。ロックとレヴィは三合会の店から戻り、ダッチはホテル・モスクワから戻った。机の上には、二つの勢力から渡された書類が並んでいる。ベニーはそれを見て、露骨に嫌な顔をした。

 

「これ、僕が見るんだよね」

 

 ダッチが答える。

 

「お前以外に誰が見る」

 

「見なかったことにしたい」

 

 レヴィがソファに座り込む。

 

「見なかったことにしたら、撃たれるぞ。たぶん両方から」

 

「最悪の励ましをありがとう」

 

 ロックは三合会側のリストを机に広げた。

 

「張さんは、港湾登録の経路を追ってほしいと言っていました。ホテル・モスクワは?」

 

 ダッチはバラライカから受け取った紙束を置いた。

 

「偽命令書の出所だ。あと、見張りが薄くなった倉庫の情報」

 

 ベニーは両方を見比べた。

 

「……同じ倉庫に繋がってる」

 

「やはりか」

 

 ダッチが言う。

 

 ベニーは端末に情報を打ち込みながら続けた。

 

「三合会の偽許可証が通した車両、ホテル・モスクワの偽命令で警戒が薄くなった区域、うちの名前が残された搬入補助登録。全部、倉庫街の外れに収束してる。でも、そこを中継点に使っただけだと思う。犯人はもういない」

 

 レヴィが言う。

 

「じゃあ誰を殴ればいい」

 

「その発想が早すぎる」

 

「遅いよりいいだろ」

 

「今回は遅い方がいいこともある」

 

「ねえよ」

 

 ロックはベニーへ聞いた。

 

「手癖は?」

 

「まだ見てる。でも、張さんの許可証とホテル・モスクワの偽命令、別々の人間が作ったように見せているけど、細かいミスの方向が似てる」

 

 ダッチが目を細める。

 

「同じ奴か」

 

「同じ、もしくは同じところで作られた。書式を真似る技術はある。でも、現場の人間がどの言葉に反応するかを完全にはわかっていない。だから見た目は綺麗なのに、中身が浮いてる」

 

 レヴィが煙草をくわえる。

 

「キャスパーが言ってた、洗剤の匂いがする嘘ってやつか」

 

 ベニーは頷いた。

 

「まさにそれ」

 

 ロックは考えた。

 

「外部の武器ブローカーが、ロアナプラの小物を使った」

 

 ダッチが言う。

 

「張もバラライカも、その線を見ている」

 

「キャスパーは?」

 

「同じだろう。あいつは笑いながら、もう何かを拾っている」

 

 レヴィが不快そうに言った。

 

「白い兄貴はいつ来るんだ」

 

 その時、電話が鳴った。

 

 全員が止まる。

 

 ベニーが小さく言った。

 

「タイミングが悪すぎる」

 

 ロックが受話器を取る。

 

「ラグーン商会です」

 

『やあ、ロック』

 

 キャスパーだった。

 

 レヴィが即座に叫ぶ。

 

「噂をすれば白い悪魔か!」

 

『レヴィ、声が大きいね。元気そうで安心したよ』

 

「安心すんな。ムカついてんだよ」

 

『それも元気の一種だと思う』

 

「前にも聞いたぞ、それ!」

 

 ロックは受話器を少し耳から離し、それから戻した。

 

「キャスパー。今夜、イエロー・フラッグで会合があります」

 

『知っているよ』

 

「誰から?」

 

『三方向から』

 

 ダッチが低く言う。

 

「やはりな」

 

 キャスパーは電話の向こうで楽しそうに続けた。

 

『張、バラライカ、僕。素晴らしい顔ぶれだ。バオには悪いことをするね』

 

 レヴィが言う。

 

「悪いと思うなら来るな」

 

『行くよ。商人は招かれた席には座るものだ』

 

「招かれてねえだろ。呼ばれた災害みてえなもんだ」

 

『災害にも請求書は出せるかな』

 

 ベニーがぼそりと言った。

 

「出したい」

 

 ロックは話を戻す。

 

「あなたの私兵も来るんですか」

 

『もちろん。チェキータが君たちに会いたがっている』

 

 レヴィが眉を上げた。

 

「俺たちに?」

 

『特に君にね、レヴィ』

 

「何だそりゃ」

 

『噂を聞いたらしい』

 

 レヴィはにやりと笑った。

 

「へえ。だったら教えとけ。噂より性格悪いってな」

 

『伝えておくよ。たぶん喜ぶ』

 

「嫌な女だな」

 

『君と気が合うかもしれない』

 

「撃つぞ」

 

 キャスパーは笑った。

 

『では、今夜』

 

 電話は切れた。

 

 レヴィは煙草に火をつけ、深く吸った。

 

「面白くなってきやがった」

 

 ベニーは頭を抱えた。

 

「最悪だ」

 

 ダッチは書類をまとめた。

 

「今夜のイエロー・フラッグに、張、バラライカ、キャスパー、キャスパーの私兵、ラグーン商会が集まる」

 

 ロックは思わず言った。

 

「店、持ちますかね」

 

 レヴィが笑った。

 

「持つわけねえだろ」

 

 ベニーが机の端にメモを置いた。

 

「先にバオへ謝っておいた方がいいんじゃない?」

 

 ダッチは真顔で答えた。

 

「謝るより、請求書の宛先を増やしておけ」

 

「誰に?」

 

 ダッチは短く言った。

 

「全員だ」

 

 窓の外で、ロアナプラの夕方が濃くなっていく。昼が死に、夜が戻ってくる。夜になれば、この街は少しだけ正直になる。怒りも、疑いも、商売も、銃声も。

 

 イエロー・フラッグの看板は、まだ無事だった。

 

 それが明日の朝まで残っている保証は、どこにもなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。