Guns & Garlands — 銃と花輪 作:たこ焼き 龍月
ロックとレヴィが三合会の中華料理店へ向かっていた頃、ダッチは一人でホテル・モスクワの事務所へ向かっていた。ロアナプラの街は昼でも薄暗い。太陽は出ているが、路地には湿った影が残り、ビルの窓には安い看板の色が反射している。港へ向かうトラック、昼間から酔った男、表の掃除をする女、壁にもたれて煙草を吸う若いチンピラ。誰もが何かを見ていないふりをしている。ロアナプラでは、見ていないふりは礼儀の一つだ。だが、ホテル・モスクワへ向かう時だけは、その礼儀が少し変わる。見ていないふりではなく、見えなかったことにする。あそこに関わるものは、目に入れた時点で面倒の一部になる。
ホテル・モスクワの拠点が入る建物は、外から見る限り特別ではなかった。古いコンクリート、曇った窓、入り口に立つ無表情な男たち。だが、その周囲だけ空気が違う。街の騒音が一枚薄くなる。笑い声が遠のく。誰も急に走らない。誰も無意味に近寄らない。軍隊の残り香というものがあるなら、こういう匂いだろう、とダッチは思った。火薬ではない。命令と規律と、死んだ時間の匂いだ。
入り口でボリスが待っていた。
「ダッチ」
「ボリス」
「大尉がお待ちです」
「急な呼び出しだな」
「急であることに意味があります」
「それは悪い知らせだ」
ボリスは否定しなかった。
「こちらへ」
廊下を歩く間、二人はほとんど話さなかった。壁際に立つホテル・モスクワの兵たちは、目だけでダッチを確認する。敵意はない。だが、歓迎もない。仕事で来た者を仕事として見る目だ。ラグーン商会の事務所のゆるんだ空気とは正反対だった。ここでは椅子の位置にも意味があり、扉の開き方にも意味があり、沈黙にも階級がある。
ボリスが扉の前で止まる。
「中へ」
ダッチは扉を開けた。
執務室の奥で、バラライカが煙草を吸っていた。机の上には薄い紙束が置かれている。偽命令書。その隣には、港湾の簡易地図、貨物船の停泊位置、倉庫番号、そしてラグーン商会の名前が印字された搬入記録の写し。机の上に並ぶものだけで、だいたいの話は見える。だが、本当に危ないのは見えているものではなく、見せるために並べられたものだ。
「来たか、ダッチ」
「呼ばれたからな」
バラライカは椅子を示した。
「座れ」
「命令か?」
「今は勧めている」
「なら座る」
ダッチは椅子に腰を下ろした。ボリスは部屋の端に控える。扉は閉じられた。外の音が消える。部屋の中には煙草の匂いと、紙の乾いた匂いだけが残った。
バラライカは机の上の偽命令書を指で軽く押した。
「これを見ろ」
ダッチは紙を取った。ホテル・モスクワ名義の命令書。特定倉庫への立ち入りを控えること。特定車両を検問しないこと。港湾区域の警戒配置を一時的に変更すること。文面は整っている。いかにも命令書らしい。だが、ダッチは読み終える前に違和感を覚えた。
「長いな」
バラライカの目が少しだけ細くなった。
「わかるか」
「お前ならもっと短い」
「その通りだ」
ボリスが静かに言った。
「符丁の使い方も不自然です。外形は似ていますが、命令の重心が違う」
ダッチは紙を戻した。
「つまり、よくできた偽物だ」
「よくできているから不快だ」
バラライカは煙を吐いた。
「粗悪な偽物なら笑える。だが、これは笑えん。私の名を使い、私の部下を動かそうとした。命令を偽るということが、どういう意味か理解していない」
ダッチは少しだけ目を細めた。
「理解していない奴が作ったにしては、手が込んでいる」
「そこだ」
バラライカは机に指を置いた。
「これは素人の悪戯ではない。だが、兵士の仕事でもない。兵士なら、命令書の形より命令の重さを見る。これは形を真似て、重さを理解していない」
「外の人間か」
「そう見ている」
ダッチは港湾地図を見た。
「三合会の許可証も出ていると聞いた」
「張の名も使われた。彼も愉快ではあるまい」
「お前は、張が絡んでいると思うか」
バラライカは薄く笑った。
「張が私に喧嘩を売るなら、もっと上品にやる」
「上品な喧嘩か」
「少なくとも、こんな紙で私の部下を動かそうとはしない」
「では、張ではない」
「今のところはな」
ダッチはその言葉を聞き逃さなかった。
「今のところ、か」
「この街では、昨日の無関係が今日の関係者になることがある」
「便利な街だ」
「不便な街だ」
バラライカは搬入記録の写しをダッチへ滑らせた。
「そして、ここにお前たちの名前がある」
ダッチは紙を見た。
ラグーン商会。最終搬入補助登録。時間、倉庫番号、車両番号。見たことのない仕事のはずなのに、見慣れた名前だけがそこにある。ダッチは紙を机に置いた。
「うちは関わっていない」
「そうだろうな」
「ずいぶん簡単に信じるんだな」
「信じているわけではない。お前たちがやるなら、もっと雑か、もっと上手い」
ダッチは少しだけ笑った。
「褒めているのか」
「評価だ」
「ありがたく受け取るべきか迷うな」
バラライカは煙草を灰皿に押しつけた。
「ダッチ。私はお前たちを犯人だとは見ていない。だが、名前を使われた以上、無関係ではない」
「張にも同じことを言われそうだ」
「言われるだろう」
「ロックが今、呼ばれている」
「だろうな」
ダッチは椅子にもたれた。
「つまり、ラグーン商会は三合会にもホテル・モスクワにも説明しなければならん」
「そしてキャスパーにもだ」
「白い商人も動いているのか」
「彼の貨物船だ」
「面倒な名ばかり揃ったな」
バラライカは冷たく笑った。
「ロアナプラでは、面倒な名ほど港に集まる」
ダッチはしばらく黙った。部屋の空気は重い。だが、怒鳴り声はない。バラライカは怒っている。静かに。静かすぎるほどに。レヴィの怒りは火花のように見える。張の怒りは茶の湯気に紛れる。バラライカの怒りは凍った水面に似ていた。表は動かず、下だけが深い。
「それで」
ダッチは言った。
「俺に何をさせたい」
バラライカはすぐには答えなかった。机の上の偽命令書をもう一度見た。
「出所を探れ」
「命令か?」
「依頼だ」
「依頼にしては、銃口が近い」
「ホテル・モスクワの依頼は、いつもそうだ」
ダッチは苦く笑った。
「料金は?」
「必要なだけ払う」
「そういう言い方は信用できん」
「では、お前が請求しろ」
「あとで高くつくぞ」
「安い仕事なら、お前たちを呼ばない」
ダッチはバラライカを見た。
「張も同じデータを探している」
「当然だ」
「キャスパーも探す」
「商人だからな」
「三者が同じものを探せば、ぶつかる」
「ぶつかる前に、お前たちが拾えばいい」
「拾った後は?」
バラライカはそこで初めて、ほんの少しだけ目を細めた。
「中身による」
「張も同じことを言うだろうな」
「張は賢い。だから厄介だ」
「キャスパーは?」
「商人だ。だから別の意味で厄介だ」
「俺たちは?」
「運び屋だ。だから使える」
ダッチは低く笑った。
「今日だけで、その評価を三回は聞くことになりそうだ」
「便利な立場だな」
「本人にとっては、あまり便利じゃない」
「立場とは、本人より周囲が便利に使うものだ」
ダッチは煙草を取り出そうとして、バラライカの机を見てやめた。ここで煙草を吸うこと自体は許されるだろう。だが、今は煙草で間を作るより、言葉で踏み込むべきだった。
「バラライカ。お前は全面衝突を望んでいるのか」
ボリスの視線がわずかに動いた。
バラライカは何も変わらない。
「望んでいない」
「意外だな」
「無意味な戦闘は嫌いだ」
「意味があれば?」
「必要なら行う」
「その線引きはどこだ」
「私の名を使った者を見つけるまで」
「見つけた後は?」
「本人に聞く」
「優しいな」
「聞いてから決める」
「なるほど」
ダッチは短く息を吐いた。
「張は港湾網を荒らされた。お前は命令を偽られた。キャスパーは商売の心臓部を盗まれた。犯人は三つを同時に怒らせた」
「だから、ただの馬鹿か、非常に計算した者だ」
「ロアナプラの小物なら、そこまで考えない」
「考えないが、使われることはある」
バラライカは地図の一点を指した。
「ここだ」
ダッチは地図を見た。倉庫街の外れ。古い荷下ろし場。最近は大きな取引には使われていない場所だ。
「偽命令書の効果で、うちの見張りが薄くなった区画だ。三合会の偽許可証も、最終的にここへ繋がる。ラグーン商会の搬入登録も同じだ」
「全部、そこへ向けられている」
「そうだ」
「なら、そこを見ればいい」
「すでに見た」
「何があった」
「何もなかった」
ダッチは眉を動かした。
「何もない?」
「空のパレット、消された車両跡、使い捨ての通信端末、焼かれた紙片。何もないように整えられていた」
「整えられすぎているか」
「そうだ」
ボリスが言った。
「現場は、ロアナプラの仕事にしては清潔すぎました。雑音が少ない」
「雑音が少ない現場は、後から作られた現場だ」
ダッチが言うと、バラライカは頷いた。
「だから、お前たちに見てほしい」
「俺たちに?」
「ラグーン商会は、綺麗な現場より汚い現場をよく知っている」
「それは褒めていないな」
「評価だ」
「便利な言葉だ」
バラライカは薄く笑った。
「お前も使うといい」
ダッチは机の上の書類をもう一度見た。
「ベニーが必要になる」
「連れていけ」
「ホテル・モスクワの兵をつけるか」
「必要なら」
「必要じゃない」
ボリスがわずかに反応する。
ダッチは続けた。
「うちの仕事に兵隊をつければ、三合会が反応する。キャスパーも反応する。見張られていると気づいた小物も逃げる。俺たちは運び屋だ。大名行列じゃない」
バラライカはダッチを見た。
「もっともだ」
ボリスが言う。
「ですが、安全上」
バラライカが手で制した。
「ボリス」
「はい」
「彼の言う通りだ。今、軍靴の音を大きくする必要はない」
ダッチはバラライカを見る。
「意外と話が通るな」
「お前がまともなことを言えばな」
「今日は機嫌が悪いわりに、冗談が多い」
「機嫌が悪いからだ」
部屋の空気が少しだけ緩んだ。だが、それはほんの表面だけだった。机の上の偽命令書は、まだそこにある。バラライカの名前を使い、彼女の部隊の規律を踏みつけた紙。その存在だけで、部屋の温度は低いままだった。
「ダッチ」
「何だ」
「私は、私の名を使った者を許さない」
「わかっている」
「だが、今はまだ撃たない」
「それは助かる」
「助かるかどうかは、お前たちの仕事次第だ」
「脅しか?」
「依頼の補足だ」
「ホテル・モスクワの依頼は、やはり銃口が近いな」
「慣れているだろう」
「慣れたくはない」
バラライカは引き出しから別の紙を出した。偽命令書の分析、見張りが薄くなった時間帯、関係した倉庫番号、ホテル・モスクワ側が確認した車両情報。すべてが整理されている。
「これをベニーに渡せ」
「いいのか」
「偽物の出所を探るには必要だ」
「三合会の情報と合わせることになる」
「構わん」
「張に見せる可能性もある」
「必要なら見せろ」
ダッチは少し意外そうにした。
「いいのか」
「張も同じ泥を踏まされた。泥を見なければ、どちらの靴跡かわからん」
ダッチは紙束を受け取った。
「その言い方、ロックが好きそうだ」
「ロックは、また間に立つのか」
「張のところへ行っている」
「彼は向いている」
「本人は嫌がる」
「だから向いている」
ダッチは苦笑した。
「張にも同じことを言われていそうだな」
「張は見る目がある」
バラライカは煙草を取り出し、新しい一本に火をつけた。
「今夜、会談を持つ」
「張と?」
「張と、キャスパーと」
「場所は」
「イエロー・フラッグ」
ダッチは一瞬だけ天井を見た。
「バオが泣くぞ」
「彼には慣れてもらう」
「もう十分慣れている。だから泣くんだ」
ボリスが静かに言った。
「中立に近く、警戒しやすい場所です」
「壊れやすい場所でもある」
「それは問題です」
「バオにとってはな」
バラライカは表情を変えずに言った。
「必要なら、後で修理費を払う」
「それを先に言ってやれ」
「先に言うと、彼は店を閉める」
「賢い判断だ」
バラライカはダッチを見る。
「ラグーン商会も来い」
「拒否権は?」
「ある」
「本当か」
「拒否した場合、張とキャスパーと私がそれぞれ別にお前たちへ話をすることになる」
「それは拒否権ではない。選択肢の形をした脅迫だ」
「理解が早い」
ダッチは紙束を内ポケットに入れた。
「ロックに伝える」
「ロックだけでは足りん。レヴィも来るだろう」
「止めても来る」
「来させろ。ああいう者がいると、逆に場の嘘が見えやすい」
「爆弾を置くようなものだぞ」
「爆弾は、扱い方を間違えなければ役に立つ」
「間違える自信がある」
「それはお前の仕事だ」
ダッチは深く息を吐いた。
「俺は運び屋だ」
「知っている」
「全員、それを忘れていないか」
「忘れてはいない。運び屋だから呼ぶ。荷物を運ぶだけが運び屋ではない。時には、厄介事を別の場所へ動かす」
「それは仕事の範囲外だ」
「では、追加料金を請求しろ」
ダッチは少し笑った。
「請求先が三つある」
「なら三通出せ」
「全員払うと思うか」
「払わせろ」
「簡単に言う」
「簡単ではない仕事だから、お前たちに頼んでいる」
その言葉だけは、冗談ではなかった。
*
執務室を出た後、ボリスがダッチを出口まで送った。廊下は相変わらず静かだった。ホテル・モスクワの兵たちは何も言わない。だが、彼らの目は先ほどより鋭かった。偽命令書の話が部隊の中に広がっているのだろう。彼らにとってそれは、外から笑われたのと同じことだ。いや、それ以上かもしれない。命令は、彼らの背骨だ。その背骨を他人が勝手に曲げようとした。
建物の外へ出る直前、ボリスが言った。
「ダッチ」
「何だ」
「大尉は、まだ抑えています」
「見ればわかる」
「長くはありません」
ダッチはボリスを見た。
「張も同じような状態だろうな」
「でしょう」
「キャスパーは?」
「笑っているでしょう」
「それが一番読みにくい」
ボリスは頷いた。
「白い商人は、損をしても何かを持ち帰る男です」
「それは張も言いそうだ」
「大尉も同じ認識です」
ダッチは煙草を取り出し、ようやく火をつけた。煙が昼の光の中で揺れる。
「ロアナプラの外の奴が、この街を動かせると思ったなら間違いだ」
「ですが、外の者は時々、中の者より残酷です」
「なぜだ」
「この街の後始末をしないからです」
ダッチは煙を吐いた。
「いい言葉だ」
「大尉の受け売りです」
「だろうな」
ボリスは軽く頭を下げた。
「今夜、イエロー・フラッグで」
「バオには同情する」
「我々もです」
ボリスはそう言って、建物の中へ戻った。
ダッチは一人、通りに立った。ロアナプラの昼の熱気が戻ってくる。ホテル・モスクワの冷たい空気から出ると、街の湿気がやけに生々しく感じた。彼は内ポケットの紙束を確かめる。偽命令書。車両情報。倉庫番号。ボリスの言葉。バラライカの沈黙。
張が笑い、バラライカが黙り、キャスパーが笑う。
その真ん中で、ラグーン商会は説明を求められている。
「面倒だな」
ダッチは呟いた。
誰も答えなかった。
*
夕方前、ラグーン商会の事務所には全員が戻っていた。ロックとレヴィは三合会の店から戻り、ダッチはホテル・モスクワから戻った。机の上には、二つの勢力から渡された書類が並んでいる。ベニーはそれを見て、露骨に嫌な顔をした。
「これ、僕が見るんだよね」
ダッチが答える。
「お前以外に誰が見る」
「見なかったことにしたい」
レヴィがソファに座り込む。
「見なかったことにしたら、撃たれるぞ。たぶん両方から」
「最悪の励ましをありがとう」
ロックは三合会側のリストを机に広げた。
「張さんは、港湾登録の経路を追ってほしいと言っていました。ホテル・モスクワは?」
ダッチはバラライカから受け取った紙束を置いた。
「偽命令書の出所だ。あと、見張りが薄くなった倉庫の情報」
ベニーは両方を見比べた。
「……同じ倉庫に繋がってる」
「やはりか」
ダッチが言う。
ベニーは端末に情報を打ち込みながら続けた。
「三合会の偽許可証が通した車両、ホテル・モスクワの偽命令で警戒が薄くなった区域、うちの名前が残された搬入補助登録。全部、倉庫街の外れに収束してる。でも、そこを中継点に使っただけだと思う。犯人はもういない」
レヴィが言う。
「じゃあ誰を殴ればいい」
「その発想が早すぎる」
「遅いよりいいだろ」
「今回は遅い方がいいこともある」
「ねえよ」
ロックはベニーへ聞いた。
「手癖は?」
「まだ見てる。でも、張さんの許可証とホテル・モスクワの偽命令、別々の人間が作ったように見せているけど、細かいミスの方向が似てる」
ダッチが目を細める。
「同じ奴か」
「同じ、もしくは同じところで作られた。書式を真似る技術はある。でも、現場の人間がどの言葉に反応するかを完全にはわかっていない。だから見た目は綺麗なのに、中身が浮いてる」
レヴィが煙草をくわえる。
「キャスパーが言ってた、洗剤の匂いがする嘘ってやつか」
ベニーは頷いた。
「まさにそれ」
ロックは考えた。
「外部の武器ブローカーが、ロアナプラの小物を使った」
ダッチが言う。
「張もバラライカも、その線を見ている」
「キャスパーは?」
「同じだろう。あいつは笑いながら、もう何かを拾っている」
レヴィが不快そうに言った。
「白い兄貴はいつ来るんだ」
その時、電話が鳴った。
全員が止まる。
ベニーが小さく言った。
「タイミングが悪すぎる」
ロックが受話器を取る。
「ラグーン商会です」
『やあ、ロック』
キャスパーだった。
レヴィが即座に叫ぶ。
「噂をすれば白い悪魔か!」
『レヴィ、声が大きいね。元気そうで安心したよ』
「安心すんな。ムカついてんだよ」
『それも元気の一種だと思う』
「前にも聞いたぞ、それ!」
ロックは受話器を少し耳から離し、それから戻した。
「キャスパー。今夜、イエロー・フラッグで会合があります」
『知っているよ』
「誰から?」
『三方向から』
ダッチが低く言う。
「やはりな」
キャスパーは電話の向こうで楽しそうに続けた。
『張、バラライカ、僕。素晴らしい顔ぶれだ。バオには悪いことをするね』
レヴィが言う。
「悪いと思うなら来るな」
『行くよ。商人は招かれた席には座るものだ』
「招かれてねえだろ。呼ばれた災害みてえなもんだ」
『災害にも請求書は出せるかな』
ベニーがぼそりと言った。
「出したい」
ロックは話を戻す。
「あなたの私兵も来るんですか」
『もちろん。チェキータが君たちに会いたがっている』
レヴィが眉を上げた。
「俺たちに?」
『特に君にね、レヴィ』
「何だそりゃ」
『噂を聞いたらしい』
レヴィはにやりと笑った。
「へえ。だったら教えとけ。噂より性格悪いってな」
『伝えておくよ。たぶん喜ぶ』
「嫌な女だな」
『君と気が合うかもしれない』
「撃つぞ」
キャスパーは笑った。
『では、今夜』
電話は切れた。
レヴィは煙草に火をつけ、深く吸った。
「面白くなってきやがった」
ベニーは頭を抱えた。
「最悪だ」
ダッチは書類をまとめた。
「今夜のイエロー・フラッグに、張、バラライカ、キャスパー、キャスパーの私兵、ラグーン商会が集まる」
ロックは思わず言った。
「店、持ちますかね」
レヴィが笑った。
「持つわけねえだろ」
ベニーが机の端にメモを置いた。
「先にバオへ謝っておいた方がいいんじゃない?」
ダッチは真顔で答えた。
「謝るより、請求書の宛先を増やしておけ」
「誰に?」
ダッチは短く言った。
「全員だ」
窓の外で、ロアナプラの夕方が濃くなっていく。昼が死に、夜が戻ってくる。夜になれば、この街は少しだけ正直になる。怒りも、疑いも、商売も、銃声も。
イエロー・フラッグの看板は、まだ無事だった。
それが明日の朝まで残っている保証は、どこにもなかった。