Guns & Garlands — 銃と花輪 *休載中   作:たこ焼き 龍月

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第一章 白い測量機材

 

 ロアナプラの朝は、善意という言葉に似合わなかった。

 

 港には昨日の油が浮き、岸壁には乾ききらない汚れがこびりつき、積荷の箱には本当の中身とは違う名前が貼られている。通関書類は薄く、嘘は厚い。誰かの祈りも、誰かの命令も、誰かの請求書も、ここでは同じ色の紙に印刷される。

 だから、ラグーン商会の事務所でキャスパー・ヘクマティアルからの連絡を受けた時、ロックは最初にこう思った。

 

 まただ。

 そして、その直後に思い直した。

 また、だけでは足りない。

 今回は、たぶん前より悪い。

 電話の向こうで、キャスパーは相変わらず軽い声をしていた。

 

『ロック、仕事だよ』

「あなたからの仕事は、最近だいたい火がついています」

『商売は熱が大事だからね』

「燃えているのと、熱があるのは違います」

『うまいことを言う』

「褒めなくていいです。内容は?」

 

 受話器の向こうで、キャスパーが笑った気配がした。

 

 事務所の空気は重い。ダッチは机の向こうで新聞を読んでいるふりをしているが、耳はこちらに向いている。レヴィはソファに足を投げ出し、銃の手入れをしながら、すでに嫌そうな顔をしていた。ベニーは端末の前で別件の整理をしていたが、キャスパーの名前が出た瞬間、手を止めている。

 

『避難民キャンプへの援助物資輸送だ』

 

 ロックは眉をひそめた。

 

「援助物資?」

『そう。珍しく綺麗な仕事だよ。測量機材、教育放送設備、発電機、医療用冷却装置、学校テント用教材。全部、表向きも中身も白い』

 

 レヴィがソファから言った。

 

「白いって言う奴の荷ほど、中に黒いもんが入ってんだよ」

 

 ロックは受話器を少し離して、レヴィを見た。

 

「聞こえています」

『レヴィかな? 相変わらず素敵な挨拶だね』

「素敵じゃねえよ。で、その白い荷をどこに運ぶって?」

 

 キャスパーは楽しそうに答えた。

 

『東南アジアの内陸寄り。川沿いの避難民キャンプだ。現地の教育支援団体と医療支援団体が絡んでいる。ラグーン商会には、港から川沿いの中継基地までを頼みたい』

 

 ダッチが新聞を下ろした。

 

「護衛付きか」

『もちろん。安全な善意ほど、護衛が必要だ』

 

 レヴィが鼻で笑う。

 

「名言っぽく言うな。で、誰に狙われてる?」

『まだ狙われていない』

「まだ、ね」

 

 ロックは低く繰り返した。

 

「キャスパー。あなたが“まだ”という時は、だいたいもう誰かに狙われています」

『ロックは僕を疑いすぎだ』

「最近の実績です」

『ひどいな』

「赤い合唱の件を忘れていません」

 

 その言葉で、事務所の空気がさらに重くなった。

 

 赤い合唱。

 ホテル・モスクワの古い命令系統を揺さぶり、ロアナプラ全体を偽の声で動かそうとした庭師側の実験。合唱長は逃げた。指揮者は見えない。庭師はまだ根を残している。

 そして最後に残った言葉。

 最初の声。

 苗床。

 次は、もっと優しい声で。

 

 キャスパーは少しだけ黙った。

 軽い沈黙ではなかった。ロックはそれに気づいた。キャスパーは、本当に何も知らない時でも、知らないふりをしている時でも、よく喋る。沈黙は、彼にとって値段の高い反応だった。

 

『今回の荷には、声に関わるものがある』

 

 ロックは受話器を握り直した。

 

「教育放送設備ですか」

『そう。学校テント用の放送設備だ。教材音声、避難案内、配給案内、緊急連絡。そういうものに使う』

「測量機材もあると言いましたね」

『キャンプ周辺の避難路と地形確認用だ。雨季で道が崩れる。川沿いは特に危ない』

 

 ベニーが端末の前で顔を上げた。

 

「声と地図」

 

 ロックは彼を見る。

 ベニーはもう別の画面を開いていた。過去の赤い合唱関連のタグ、オルフェウス・リンク、教育支援団体、放送設備会社、測量機材の納入元。指が速い。顔は嫌そうだった。

 

 レヴィが言った。

 

「おい、今ベニーが嫌な顔したぞ。もう受けんな」

 

 ベニーが振り返る。

 

「普段から嫌な顔はしています」

「今回は質が違うだろ」

「違います」

「じゃあ受けんな」

 

 ダッチが静かに言う。

 

「話を聞け」

 

 レヴィは舌打ちした。

 ロックはキャスパーへ戻る。

 

「その荷、どこから仕入れましたか」

『複数の団体と業者だ。教育支援団体、医療支援団体、測量機材の中古業者、発電機の販売会社。リストは送る』

「今すぐ」

『疑い深いね』

「今すぐ」

 

 キャスパーは笑った。

 

『送った』

 

 ベニーの端末が鳴る。

 彼はデータを開き、数秒で顔をしかめた。

 

「ロック」

「何か出ましたか」

「出ました」

 

 ベニーは画面を拡大した。

 

「測量機材の納入元の一つ、会社名が変わっていますが、オルフェウス・リンクの残党会社と役員名義が重なっています。完全一致ではないけど、かなり近い」

 

 ロックは息を吐いた。

 

「やっぱり」

 

 キャスパーは電話の向こうで黙っていた。

 レヴィが受話器に向かって叫ぶ。

 

「おい白い兄貴! 善意の荷じゃなかったのかよ!」

『善意の荷だよ』

「腐った善意か?」

『腐らせた者がいる、という話だ』

「運んだ奴が言う台詞かよ」

 

 チェキータの声が、電話の向こうで少し遠くから入った。

 

『ボス、今回は早めに全部出した方がいいわよ』

 

 キャスパーが小さく笑った。

 

『チェキータにも怒られている』

「当然です」

 

 ロックは言った。

 

「キャスパー。あなたはどこまで知っていましたか」

 

 短い沈黙。

 

『怪しい匂いはした』

「また半分ですか」

『今回は、半分と言うには足りない。四分の一と言うには多い』

 

 レヴィが怒鳴る。

 

「その言い方禁止だって前に言っただろ!」

『覚えているよ』

「覚えてて言うな!」

 

 ロックは額に手を当てた。

 

「つまり、完全には知らなかった。でも、怪しいと感じた上で流した」

『援助物資の流れは複雑だ。全部止めれば、キャンプに必要な機材も止まる』

「止めなければ、子どもたちの避難路と放送設備が庭師に触られるかもしれない」

 

 電話の向こうが静かになった。

 キャスパーの声から、少しだけ軽さが消える。

 

『そこまで繋がっていると?』

「赤い合唱の最後に残った言葉を覚えていますか。First Voice。Nursery。次は、もっと優しい声で」

『忘れてはいない』

「今回の荷は、教育放送設備と測量機材です。子どもたちに届く声と、子どもたちが逃げる地図。庭師が興味を持たない理由がありません」

 

 ダッチが立ち上がった。

 

「ロック」

「はい」

「ココに連絡しろ」

 

 ロックは頷いた。

 

「します」

 

 レヴィが顔をしかめる。

 

「あの白い女も来んのかよ」

「来るでしょうね」

 

 ベニーが弱々しく言った。

 

「ワイリも来ますね……」

 

 レヴィが笑った。

 

「お前、あいつと相棒になったんじゃねえの?」

「なっていません」

「なっただろ」

「なっていません」

 

 ダッチは短く言う。

 

「準備しろ」

 

 ロックはキャスパーへ言った。

 

「仕事は受けます。ただし条件があります」

『聞こう』

「荷は全て開示。納入元、経由会社、最終受取人、資金の流れ、関係する教育支援団体の名義。あなたが持っている情報は全部です」

『全部は高い』

「子どもたちの逃げ道に値段をつけるつもりですか」

 

 その言葉で、受話器の向こうが沈黙した。

 レヴィも黙った。

 ベニーも手を止めた。

 ダッチは何も言わない。

 キャスパーの声が、少し低くなる。

 

『その言い方は、あまり商売にならないな』

「商売にしないでください」

『努力するよ』

「努力では足りません」

 

 ロックは自分で言いながら、どこかで聞いた言葉だと思った。

 足りない。

 ヨナに言われた。ジブリールにも言われた。見張るだけでは足りない。止めたいだけでは足りない。善意だけでは足りない。

 キャスパーは静かに言った。

 

『リストは追加で送る。チェキータも同行させる』

「あなたは?」

『もちろん行くよ。自分の荷がどれだけ汚れているか、見る必要がある』

「珍しく殊勝ですね」

 

『商人は、汚れた商品も確認する』

「台無しです」

『いつものことだ』

 

 電話は切れた。

 

     *

 

 ココ・ヘクマティアルは、ロックの連絡に驚かなかった。

 

 ロックがHCLIの仮拠点へ着いた時、彼女はすでに資料を広げていた。赤い合唱の断片記録、オルフェウス・リンクの残党会社、教育支援団体、測量機材の納入ルート、キャンプ周辺の簡易地図。

 早すぎる。

 ロックはそう思った。

 彼女は、こちらが連絡する前から、もう半分以上追っていたのだろう。

 

「遅かったわね」

 

 ココは言った。

 

「連絡を受けてから来たんですが」

「庭師は待ってくれないわ」

「あなたも待っていませんね」

「待つのは苦手なの」

 

 バルメはココの後ろに立っていた。レームは壁際。マオは椅子に座って資料を眺め、ワイリはすでにベニーから送られた機材リストを見ていた。

 

 ワイリが楽しそうに言う。

 

「声と地図だね」

 

 ロックは嫌な顔をした。

 

「やっぱり、そう見えますか」

「うん。赤い合唱は声だけだった。今回のは、声が届いた後に人がどう動くかを見てる」

 

 ココが続ける。

 

「First Voice と Margin Map の接続。庭師が次にやるなら、それだと思っていた」

「予想していたんですか」

「可能性の一つとして」

「なぜ言わなかったんです」

 

 ココはロックを見る。

 

「確証がなかったから」

「確証が出る前に動いていたように見えます」

「それは趣味」

「危険な趣味です」

 

 ココは薄く笑った。

 

「知ってる」

 

 ロックは資料を見る。

 キャンプの地図には、放送塔、学校テント、配給所、診療所、川沿いの桟橋が記されている。その横に、子どもたちの分隊移動を想定したような線が薄く描かれていた。

 ココはそれを指した。

 

「新田良太。アラタ。彼は声と地図を使って子どもたちを動かす」

「知っているんですか」

 

「噂程度には。民間軍事会社、子どもたち、分隊運用、辺境地域での行動。武器商人の耳には、そういう話も入る」

「本人をどう見ていますか」

「危険」

「それはあなたが言うんですか」

「危険な人間ほど、他人の危険には敏感なの」

 

 ロックは黙った。

 ココは続ける。

 

「彼は、子どもたちにとって“生き残るための声”になっている。だから庭師は彼を見たい。彼の声で子どもたちが動く。その動きを地図に描ける。声と線が繋がる」

「それを欲しいと思っていますか」

 

 ロックは真っ直ぐ聞いた。

 バルメの視線がわずかに動く。

 ココはすぐには答えなかった。

 

「これがあれば、多くを助けられる」

「質問に答えてください」

「欲しいと思う部分はある」

 

 ロックは目を伏せた。

 

「やっぱり」

「でも、危険だともわかっている」

「赤い合唱の時も、そう言っていました」

「ええ」

「今回は、子どもたちです」

 

 ココの顔から、少しだけ表情が消えた。

 

「わかってる」

「本当に?」

「ロック」

「はい」

「私は、子どもを危険に晒したいわけじゃない」

「でも、子どもたちを安全に動かす仕組みを欲しがるかもしれない」

 

 ココは黙った。

 ロックは続けた。

 

「子どもたちを守るために、子どもたちが聞く声と逃げる道を管理する。それは、庭師がやろうとしていることと紙一重です」

 

 ココは静かに言った。

 

「だから、あなたがいる」

「俺だけでは足りません」

「またそれ?」

「ええ。足りないんです」

 

 ココは少しだけ笑った。

 だが、その笑みは軽くなかった。

 

「アラタにも同じことを言われそうね」

「もう言われました」

「会ったの?」

「まだです。ジブリールという子に」

 

 ココは興味深そうに目を細める。

 

「その子は?」

「俺に、あなたを止める人かと聞きました。止めたい人だと答えたら、それでは足りないと言われました」

 

 ワイリが小さく笑う。

 

「鋭い子だね」

 

 ロックは頷いた。

 

「ええ」

 

 ココは資料を閉じた。

 

「行きましょう」

「今から?」

「もちろん」

「キャスパーの荷は?」

「港で合流する。ラグーン商会が運ぶ。HCLIは同行する。キャスパーは自分の白い荷がどれだけ汚れているか見に来る。全部揃うわ」

 

 ロックは嫌な予感を覚えた。

 

「揃う、という言い方が嫌です」

 

 ココは微笑む。

 

「庭師も、そう思っているでしょうね」

 

     *

 

 港の倉庫で、キャスパーの荷は開かれていた。

 

 白い木箱が並んでいる。測量機材、教育放送設備、発電機、医療用冷却装置、教材端末。どれも表向きは清潔な名前を持っている。箱には支援団体のロゴや、善意を連想させる言葉が印刷されていた。

 だが、ロアナプラの倉庫に置かれた時点で、それらの言葉は少し嘘くさく見えた。

 レヴィは箱の一つを蹴りそうになり、ダッチに見られて止めた。

 

「蹴ってねえよ」

「蹴る前に止めただけだ」

「チッ」

 

 ベニーはワイリと並んで、教育放送設備の箱を見ていた。

 彼の表情は、もう諦めに近い。

 

「またスピーカーです」

 

 ワイリが楽しそうに言う。

 

「今回は地図もあるよ」

「慰めになっていません」

「声と地図。面白い組み合わせだと思うけど」

「面白くありません」

 

 キャスパーは倉庫の奥で、チェキータと共に立っていた。白い服が、周囲の汚れの中で浮いている。アランは端末を抱え、エドガーとポーは無言で荷を見ている。

 レヴィはキャスパーを見るなり言った。

 

「よう、善意の商人」

「いい響きだね」

「褒めてねえよ」

 

 チェキータがキャスパーを横目で見る。

 

「ボス、今回は軽口少なめで」

「努力する」

「努力じゃ足りないわ」

 

 レヴィが笑った。

 

「みんなそれ言うな」

 

 キャスパーは苦く笑った。

 

「逃げ道に値段をつけるつもりはなかったよ」

 

 レヴィは即座に返す。

 

「値札を貼る前に運んだんだろ」

 

 キャスパーは黙った。

 ポーが腕を組み、低く言う。

 

「線が軽い。子どもは重い」

 

 誰もすぐには返せなかった。

 ベニーが測量機材の一部を確認し、顔をしかめる。

 

「これ、単なる地形測定用じゃないです。移動履歴を蓄積するための補助機能が混ざっています。もちろん、表向きは避難路の改善や混雑回避にも使える。でも、誰がどこへ動いたかを記録するには十分です」

 

 ワイリが教育放送設備を見る。

 

「こっちは、外から音声を差し込める余地がある。普通の運用でも使えるけど、悪用すれば偽の案内を流せる」

 

 レヴィが吐き捨てる。

 

「ビンゴじゃねえか」

 

 ロックはキャスパーを見る。

 

「知っていましたか」

 

 キャスパーはしばらく黙った。

 

「全部は知らない」

 

 レヴィが叫ぶ。

 

「またそれかよ!」

「だが、怪しいとは思っていた」

 

 チェキータが低く言う。

 

「ボス」

「わかってる」

 

 キャスパーは箱を見た。

 

「善意の荷でも、誰かの罠を運べば結果は同じだ」

 

 その言葉を聞いて、チェキータは少しだけ目を細めた。

 キャスパーが自分からそう言うのは珍しい。

 

 ココは測量機材の横に立ち、黙っていた。

 ロックはその横顔を見る。

 彼女は嫌悪している。

 同時に、見ている。

 価値を測っている。

 

「ココ」

 

 ロックが声をかける。

 

「わかってる」

「まだ何も言っていません」

「言われる前に答えたの」

「では、もう一度聞きます。欲しいですか」

 

 倉庫の中が静かになる。

 ココは機材を見たまま、静かに言った。

 

「欲しいと思う部分はある」

 

 バルメの表情が硬くなる。

 レヴィが小さく言う。

 

「言いやがった」

 

 ココは続けた。

 

「これがあれば、避難民を安全に誘導できる。混乱したキャンプで、最適な避難路を出せる。誤った放送を検知できる。子どもたちを危険な場所から遠ざけられる」

 

 ロックは言った。

 

「そして、子どもたちがどこへ逃げるか先読みできる」

「ええ」

「逃げ道を塞ぐこともできる」

「ええ」

「だから危険なんです」

「知ってる」

「知っている人ほど危ない、とアラタは言うと思います」

 

 ココは少しだけロックを見た。

 

「もう彼の言葉を予想するの?」

「会えば、そう言うでしょう」

 

 キャスパーが横から口を挟む。

 

「面白い指揮官のようだね」

 

 ロックは冷たく返した。

 

「あなたの荷で狙われている人です」

「耳が痛いな」

 

 チェキータが言う。

 

「もっと痛がっていいわよ」

 

 キャスパーは肩をすくめた。

 その時、ベニーの端末が鳴った。

 彼は画面を見て、顔を青くする。

 

「ロック」

「何ですか」

「この荷の一部、すでに現地に先行搬入されています」

 

 ロックは目を細める。

 

「どれですか」

「教育放送設備の補助部品と、測量補助装置の一部。数日前にキャンプへ入っています」

 

 ココがすぐに言った。

 

「もう始まっている」

 

 キャスパーの顔から笑みが消えた。

 アランが端末を確認する。

 

「現地側から緊急連絡が入っています。キャンプで不審な放送が流れた。アラタの声を模した可能性あり。さらに、未発令の避難経路が外部端末に表示されたと」

 

 レヴィが舌打ちする。

 

「完全に始まってんじゃねえか」

 

 ダッチが短く言った。

 

「出るぞ」

 

 ベニーが荷を見た。

 

「全部持っていくんですか」

「必要なものだけだ」

 

 ワイリが言う。

 

「解析用に放送設備の予備と、測量ユニットの同型機材を持っていこう」

 

 ベニーは嫌そうに頷く。

 

「はい」

 

 レヴィが言う。

 

「お前ら、仲いいな」

「よくありません」

 

 ロックはキャスパーへ言った。

 

「あなたも来てください」

「もちろん」

「逃げられると思わないでください」

「逃げる気はないよ」

 

 チェキータが低く言う。

 

「逃がさないしね」

 

 キャスパーは苦く笑う。

 

「今日は味方が厳しい」

 

 ココは倉庫の出口へ向かった。

 

 ロックはその背中を見る。

 彼女は速い。危険を見つけるのも、価値を見つけるのも、欲望へ手を伸ばすのも速い。だから見張らなければならない。だが、見張るだけでは足りない。

 ジブリールの声が、まだ耳の奥に残っていた。

 それじゃ足りない。

 ロックは自分の手を握った。

 

 足りないなら、足し続けるしかない。

 

     *

 

 川沿いの中継基地へ向かう船の上で、ロックは荷のリストを見直していた。

 

 ダッチは操船席で無言。レヴィは船べりに座り、川面を見ながら退屈そうにしている。だが、機嫌は悪い。子どもの声を使う敵、子どもの逃げ道を読む装置。そういうものに対する怒りが、彼女の中で静かに燃えている。

 ベニーは端末を膝に置き、ワイリと通信で確認している。HCLIの船は少し後方を進んでいる。キャスパーの白い船はさらに後ろ。

 ロックはリストの中に、何度も出てくる言葉を見つけた。

 

 教育放送。

 避難誘導。

 測量補助。

 児童安全。

 人道支援。

 

 どれも綺麗な言葉だった。

 綺麗な言葉ほど、汚された時にわかりにくい。

 

 レヴィが言った。

 

「なあ、ロック」

「何ですか」

「ガキどもは、アラタの声で動くのか」

「そう聞いています」

「それって、いいことなのか」

 

 ロックは答えに詰まった。

 

「生き残るためには、必要なこともあると思います」

「でも、真似されたら終わりだ」

「だから、疑う手順を教えているようです」

 

 レヴィは鼻で笑った。

 

「ガキに疑えって教えるのか」

「はい」

「嫌な世界だな」

「ええ」

 

 ロックは川面を見た。

 水は濁っていて、底が見えない。ロアナプラの海と似ているようで、少し違う。ここはもっと静かだ。静かな分だけ、何かが沈んでいる気がした。

 

 レヴィが続ける。

 

「でも、疑わねえと死ぬなら、疑うしかねえな」

「そうですね」

「声がムカつくなら、耳塞いで前見ろ。地図がムカつくなら、地図通りに歩くな」

 

 ロックは少しだけ笑った。

 

「それ、子どもたちに言うんですか」

「言わねえよ。泣くだろ」

「たぶん、泣きますね」

「じゃあ、お前が柔らかく言え」

「俺が?」

「得意だろ、甘い声」

「やめてください」

 

 レヴィは少しだけ笑った。

 だがすぐに真顔へ戻る。

 

「庭師ってのは、こういうことまですんのか」

「するんでしょうね」

「気に入らねえ」

「俺もです」

 

 ベニーが端末から顔を上げた。

 

「現地の信号、また一瞬出ました」

 

 ダッチが聞く。

 

「内容は」

「短いタグだけです」

 

 ベニーは画面を読み上げた。

 

「FIRST MARGIN、第二段階準備。観測対象、追加」

 

 ロックは振り返る。

 

「追加?」

「ラグーン商会、HCLI、キャスパー。たぶん、僕たちも観測対象になりました」

 

 レヴィが笑った。

 怒りの混じった笑いだった。

 

「上等じゃねえか。見たいなら見せてやるよ」

 

 ダッチが静かに言う。

 

「見せるものは選べ」

 

 その言葉は、バラライカの言葉にも似ていた。

 敵が見るなら、見せるものを選べ。

 敵が声を聞くなら、聞かせる声を選べ。

 敵が地図を描くなら、描かせる線を選べ。

 

 ロックは頷いた。

 

「地図通りに動かない」

 

 レヴィが口の端を上げる。

 

「得意だろ、俺たち」

「得意というより、普段から予定通りにいかないだけです」

「それを得意って言うんだよ」

 

 船は川を進む。

 夕方の光が水面に長く伸びている。

 その先に、アラタ陣営のいる避難民キャンプがある。

 声を狙われた子どもたち。

 地図に描かれた逃げ道。

 そして、その中心にいる新田良太。

 

 ロックは、まだ会っていないその男の言葉を想像する。

 子どもたちを守るために、子どもたちを動かす。

 それは正しいのか。

 正しいとして、どこまで許されるのか。

 ココは、その仕組みを見れば必ず欲しがる。

 ロックはそれを止めなければならない。

 ただし、止めたいだけでは足りない。

 川の向こうで、古い放送塔が夕陽を受けて小さく光った。

 ベニーの端末に、新しい線が表示される。

 まだ誰も動いていないはずの線。

 未来のようなもの。

 罠のようなもの。

 

 ロックはそれを見て、静かに言った。

 

「始まっていますね」

 

 ダッチが答える。

 

「ああ」

 

 レヴィは銃を軽く叩いた。

 

「じゃあ、始め返すか」

 

 船は桟橋へ向かう。

 その向こうで、子どもたちの声が聞こえた。

 まだ偽物ではない、本物の声だった。

 

 

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