Guns & Garlands — 銃と花輪   作:たこ焼き 龍月

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第四章 ロアナプラ狂詩曲

 

 

 通信塔跡は、ジャングルの丘の上にあった。

 

 鉄塔は半分錆び、半分だけまだ空へしがみついている。かつては周辺の工場や港湾施設、国境警備の通信を中継していたのだろう。今は蔦に絡まれ、鳥の巣を抱え、風が吹くたびに軋んでいる。

 

 だが、その足元には新しいものがあった。

 仮設電源。

 衛星通信アンテナ。

 黒いケーブル。

 迷彩ネットで隠された金属ケース。

 そして、低く唸る発電機の音。

 自然に飲まれた廃墟の中で、そこだけが妙に生きていた。

 ベニーは受信機の画面を見て、顔をしかめた。

 

「最悪だ」

 

 レヴィがすぐに言う。

 

「お前、それ昨日から何回言ってる」

「回数で最悪が減るなら、いくらでも言うよ」

「で、今回は何が最悪なんだ」

 

 ベニーは受信機を持ち上げた。

 

「周波数帯がぐちゃぐちゃだ。こっちの短距離無線、敵の通信、民間回線、衛星リンクの一部まで、全部薄く干渉を受けてる。まだ完全起動じゃない。でも、起きかけてる」

 

 ワイリが鉄塔を見上げる。

 

「寝起きの悪い機械ってこと?」

「君の比喩は毎回妙に腹が立つけど、今回は近い。寝起きで手当たり次第に周りの声を掴んでる感じだ」

 

 ナタワットは青ざめていた。

 

「これは試験ではない。本番運用に近い」

 

 ココが訊く。

 

「どのくらい進んでる?」

「完全な花輪ではない。だが、この中継局を使えば、ロアナプラ周辺の港湾通信、沿岸警備、密輸業者の無線、民間衛星電話の一部を拾える。軍用回線に届くかどうかは、補助ノード次第だ」

 

 ロックが眉をひそめる。

 

「つまり、ここは本体じゃない」

 

 ナタワットは頷いた。

 

「本体ではない。だが、門だ。ここを通して、もっと大きな輪へ繋げる」

 

 レームが周囲を見ながら言う。

 

「門番は?」

 

 ルツが答えた。

 

「いる。少なくとも六。奥に二。高所に一。発電機周辺に三。訓練されてる」

 

 レヴィが笑う。

 

「ようやく見える敵か。目に優しいね」

 

 バルメが銃を構えながら言う。

 

「見える敵ほど、見えていない敵の目隠しになる」

「また嫌なこと言うな、お前」

「嫌なことほど先に言ったほうがいい」

「お前と一緒に飲んだら酒がまずくなりそうだ」

「あなたと飲んだら店が壊れそう」

「それは否定しねえ」

 

 ココは地図とベニーの端末を交互に見る。

 

「ベニー。止められる?」

「止めるだけなら、電源を落とせばいい。でも、それだと向こうに警告が飛ぶ可能性がある。きれいに止めるなら、制御端末に触る必要がある」

 

 ワイリが手を上げる。

 

「きれいじゃなくていいなら?」

「君は黙ってて」

「まだ何も言ってないよ」

「言う前からわかる」

 

 ワイリは少し寂しそうにした。

 

「爆破はいつだって選択肢の一つなのに」

「その選択肢、君のメニューだと一番上に固定されてるだろ」

 

 ダッチが低く言う。

 

「時間はあるのか」

 

 ナタワットが首を振る。

 

「ない。完全起動まで、早ければ十五分。遅くても三十分」

 

 レヴィが笑った。

 

「十分だな」

 

 ベニーが目を見開く。

 

「何が?」

「撃って、壊して、逃げる」

「この人、すべての問題を三単語で解決しようとする!」

 

 レームがにやりとする。

 

「悪くない。実際、戦場では長い作戦名ほど役に立たないことがあります」

 

 ロックは鉄塔を見た。

 風が吹き、錆びた鉄が軋む。

 

「でも、相手もそれを予想してるはずです」

 

 ココが彼を見る。

 

「続けて」

「ここは門だと博士は言いました。本体じゃない。でも、ここをわざわざ守っている。つまり、守る価値はある。ただし、俺たちをここに足止めする価値もある」

 

 ダッチが言う。

 

「囮か」

「可能性があります。俺たちはここを潰す。その間に、本体が別の場所で起動する。もしくは、ここの戦闘自体が何かの目印になる」

 

 ベニーが受信機を見る。

 

「あり得る。ここのノードが落ちた瞬間に、別のノードへ切り替わる設計なら、止めたつもりで起動を助けることもある」

 

 ナタワットが唇を噛んだ。

 

「その通りだ。花輪は一つの中心を持たない。輪だからだ。一箇所を切れば終わるものではない」

 

 レヴィが不機嫌そうに言う。

 

「じゃあ、どうすんだよ。撃ってもだめ、爆破してもだめ、放っておけばもっとだめ。お上品な詰みか?」

 

 ココは笑った。

 

「詰みじゃないわ。相手が選ばせたい選択肢を、全部使わなければいい」

 

 ロックが言った。

 

「止めるのではなく、偽の状態を返す?」

 

 ベニーが目を上げた。

 

「待って。それ、できるかもしれない」

 

 ワイリが嬉しそうにする。

 

「偽装?」

「そう。ノードは生きているように見せる。でも実際には外部への通信だけを遮断する。敵から見れば、ここはまだ動いている。だけど情報は出ない」

 

 ナタワットが首を振る。

 

「難しい。制御端末に入れたとしても、認証がある」

 

 ベニーがココを見る。

 

「博士は認証を知ってる?」

 

 ナタワットは黙った。

 ココが静かに言う。

 

「博士」

「……知っている」

 

 レヴィが笑う。

 

「ほらな。眼鏡はこういう時に便利だ」

 

 ナタワットはレヴィを睨む。

 

「私は道具ではない」

「今は鍵だろ」

 

 ロックが割って入る。

 

「レヴィ」

「なんだよ。事実だろ」

 

 ロックはナタワットを見る。

 

「博士。あなたが協力しなければ、この装置はもっと危険な形で使われるかもしれない」

 

 ナタワットは疲れた目でロックを見る。

 

「君は、優しい脅し方をする」

「脅しているつもりはありません」

「だから厄介だ。君は正しいことを言おうとする。その正しさが、人を逃げ場のない場所へ追い込む」

 

 ロックは黙った。

 ココが言う。

 

「博士。ここで協力してくれたら、あなたを売らない」

 

 ナタワットはココを見た。

 

「君の約束に、どれほどの価値がある?」

「少なくとも、今あなたを追っている連中の約束よりは高い」

「彼らもそう言った」

「なら、違う言い方をするわ」

 

 ココは笑顔を消した。

 

「協力して。あなたが作ったものを、あなたの手で少しでも正しい方向へ曲げるの」

 

 ナタワットは長く黙った。

 発電機の音だけが響いている。

 やがて彼は、かすれた声で言った。

 

「……制御端末まで連れていけ」

 

 レヴィが銃を構えた。

 

「決まりだな」

 

 ダッチが短く指示を出す。

 

「レヴィ、バルメ、ルツ、レームは外の敵を抑える。ロック、ベニー、博士、ココは端末へ。ワイリ、必要になるまで何も爆破するな」

 

 ワイリが不満そうに手を上げる。

 

「必要になったら?」

「俺が言う」

「ココじゃなくて?」

「俺が言う」

 

「厳しい船長だなあ」

「うちの船で爆破する奴には厳しくなる」

 

     *

 

 最初の銃声は、森に吸い込まれるように響いた。

 ルツの狙撃が高所の監視役を黙らせる。

 

 同時に、レームが右側から射線を作り、バルメが低く走り込む。レヴィはその逆側へ飛び出し、わざと派手に撃った。

 

「おい、こっちだ! 目ぇ覚ませ、通信塔の留守番ども!」

 

 バルメが叫ぶ。

 

「目立ちすぎ!」

「役割分担だろ!」

「誰が決めたの!」

「俺だ!」

「あなたの作戦は全部自分勝手!」

「生き残ってるから名案だ!」

 

 レームが苦笑する。

 

「会話しながら撃つ余裕があるとは、若いですな」

 

 ルツが冷静に答える。

 

「あれは余裕というより、性格だ」

 

 敵はすぐに反応した。

 動きは速い。散開の仕方も訓練されている。地元の武装集団ではない。装備は統一され、通信も短く、無駄がない。

 だが、無駄がないということは、乱されると脆いということでもある。

 

 レヴィはそこを突いた。

 合理的な戦術の隙間へ、非合理な速度で飛び込む。

 相手が「普通は来ない」と判断する場所へ、笑いながら踏み込む。

 

「レヴィ!」

 

 ロックが叫びかけるが、バルメがそれを止めた。

 

「今の彼女は止めないほうがいい」

「危険すぎる!」

「でも、敵の目は彼女に向く」

「それでいいんですか」

「よくない。でも使える」

 

 その言い方に、ロックは一瞬言葉を失った。

 バルメは続ける。

 

「私は彼女を好きではない。でも、戦場での彼女の価値は理解できる」

 

 レヴィが遠くで叫ぶ。

 

「おい、聞こえてんぞ! 好きじゃねえって何だ!」

 

 バルメが撃ちながら返す。

 

「そのままの意味!」

「俺もお前は好きじゃねえ!」

「知ってる!」

「でも今の援護は悪くなかった!」

「あなたの突撃は最悪!」

 

「褒め言葉として受け取るぜ!」

「違う!」

 

 レームが楽しそうに言う。

 

「相性は悪いが、息は合ってますな」

 

 ルツが小さく言う。

 

「認めたくないタイプの連携だ」

 

 一方、ココたちは工場跡の奥に作られた仮設制御室へ向かっていた。

 そこは古い管理棟の一角だった。

 

 壁に新しいケーブルが這い、机の上には端末が並んでいる。外の廃墟とは違い、ここだけが異様に現代的だった。モニターには周波数帯の波形が表示され、いくつもの通信ログが流れている。

 

 ベニーが思わず言った。

 

「これは……すごい」

 

 ロックが聞く。

 

「いい意味で?」

「技術的にはいい意味。人間的には最悪」

 

 ナタワットが端末の前に座る。

 手が震えていた。

 ココが彼の肩に手を置く。

 

「できる?」

「できるかどうかではない。やるしかない」

「いい答えね」

「君に褒められると、不吉だ」

「よく言われる」

 

 ベニーが端末を覗き込む。

 

「博士、外部リンクはどれです?」

「この三つだ。衛星、沿岸系、民間回線。だが、切断ではだめだ。生きているように見せる必要がある」

「ダミーを返す」

「そうだ。だが、波形だけでは足りない。制御側に正常な応答を返さなければならない」

 

 ロックがモニターを見る。

 数字と波形はほとんど理解できない。だが、その表示の中に、地図らしきものがあった。東南アジアの沿岸部。そして、その端にロアナプラ周辺の通信範囲。

 

「ロアナプラが入ってる」

 

 ココが静かに頷く。

 

「やっぱりね」

「あなたは、最初からそれを警戒していた?」

「ええ」

「だからこの街へ来た」

「半分」

 

 ロックは彼女を見た。

 

「もう半分は?」

 

 ココはモニターを見つめたまま言った。

 

「ロアナプラは、世界の縮図だと言ったでしょう。ここで花輪が試されるなら、それは単なる実験じゃない。裏社会の通信、密輸、武器、麻薬、傭兵、国家機関の非公式活動。全部が混ざった場所で、どこまで拾えるかを見るには最適」

 

 ベニーが呟く。

 

「つまり、街全体が実験場」

 

 ロックの顔が強張った。

 

「ロアナプラの連中を、勝手に実験台にしている」

 

 ココは答えない。

 

 ナタワットが低く言った。

 

「そうだ。あそこは、彼らにとって都合がよかった。まともな国なら問題になる。だが、ロアナプラなら、何が起きても“裏社会の抗争”で片付けられる」

 

 ロックは拳を握った。

 

「ふざけてる」

 

 ココが彼を見る。

 

「怒ってる?」

「当たり前です」

「ロアナプラが好き?」

「好きではありません」

「でも怒るのね」

「俺がいる街です」

 

 ココは少しだけ笑った。

 

「いい答え」

 

 ロックはそれに応じなかった。

 外では銃声が続いている。

 ベニーが叫んだ。

 

「博士、認証!」

 

 ナタワットがキーボードを叩く。

 汗が額から落ちる。

 

「第一認証……通った。第二認証が来る

「パスワード?」

「違う。動的認証だ。別ノードとの同期が必要になる」

 

 ベニーが顔をしかめる。

 

「同期先は?」

 

 ナタワットは画面を見て、息を止めた。

 

「……ロアナプラ」

 

 ロックが聞き返す。

 

「何?」

「ロアナプラ港湾域に、別のノードがある。既に起動準備中だ」

 

 ココが目を細める。

 

「場所は?」

「まだ特定できない。だが、港か、その近く。ここと同期して、輪を閉じるつもりだ」

 

 ベニーが素早く操作する。

 

「まずい。こっちをダミー化しても、向こうが主導権を取れば意味がない」

 

 ココは笑った。

 いつものように。

 だが、その笑顔の下で、何かが鋭く動いた。

 

「なるほど。私たちをここへ引っ張って、その間にロアナプラで本命を動かす」

 

 ロックが言う。

 

「あなたが読んでいた以上に、相手が早かった」

「ええ」

「笑っている場合ですか」

「笑っているほうが頭が回るの」

 

 その時、通信端末の一つが勝手に鳴った。

 ベニーが驚く。

 

「外部通信? こっちの回線に割り込まれてる」

 

 画面に、音声だけの接続が表示された。

 ノイズの向こうから、女の声がした。

 

『聞こえるかしら、白いお嬢さん』

 

 ココが目を細める。

 

「エダ?」

 

 ロックが驚く。

 

「どうしてこの回線に?」

 

 ベニーが言う。

 

「こっちが聞きたい!」

 

 エダの声は軽かった。

 

『神様の奇跡よ。あと、ちょっとした盗聴技術』

 

 ココが言う。

 

「今、忙しいの」

『知ってる。だから手短に言うわ。ロアナプラが動いた』

「誰が?」

『表向きは民間軍事会社。港湾警備の名目で、武装部隊が入り始めてる。裏の財布はまだ不明。けど、お行儀が良すぎる。つまり最悪』

 

 ロックが低く言う。

 

「PMC……」

 

 エダが続ける。

 

『あなたたちを港で待つつもりだったんでしょうけど、待ちきれなくなったみたいね。街の通信が少しずつおかしくなってる。警察無線、港湾無線、三合会の連絡網、ホテル・モスクワの周辺通信まで揺れてる』

 

 ココは静かに言った。

 

「花輪の本命がロアナプラにある」

『たぶんね。あと、あなたに伝言』

「誰から?」

『バラライカ』

 

 一瞬、室内の空気が変わった。

 エダは少し楽しそうに言った。

 

『“他国の兵隊が私の街を行進するなら、歓迎の準備をする”ですって。怖いわねえ。あの人、歓迎の意味を絶対に間違えてる』

 

 ココは笑った。

 

「素敵」

『素敵じゃないわ。街が戦場になる』

「もうなってる」

『ええ。だから早く戻ってきなさい。あなたが逃げると、ロアナプラだけが燃える。あなたが戻ると、たぶんもっと燃える。でも少なくとも、火元を選べる』

 

 ロックが言った。

 

「エダ。ラグーン商会は?」

『今のところ、事務所は無事。ただし、イエロー・フラッグ周辺で妙な動きがある。あなたたちの居場所を探ってる連中がいるわ』

 

 レヴィの声が外から飛んだ。

 

「おい、話は終わったか! こっちは景気よくなってきたぞ!」

 

 バルメの声も続く。

 

「敵が増えた!」

 

 レームが叫ぶ。

 

「長話は後ですな!」

 

 ココは端末に向かって言った。

 

「エダ。貸し一つね」

『私が貸したのよ』

「そうだった?」

『そうよ。利子は高いわ』

「考えておく」

『考えるだけで払わない顔ね』

「よくわかってる」

 

 通信が切れた。

 ベニーが言う。

 

「ここは?」

 

 ナタワットが画面を見ながら答える。

 

「ダミー化はできる。だが、完全には止められない。ロアナプラ側のノードを止めなければ、輪は閉じる」

 

 ココは決めた。

 

「ここを偽装して、すぐ戻る」

 

 ロックが問う。

 

「ロアナプラへ?」

「ええ」

「戻れば、相手の狙い通りかもしれない」

「戻らなければ、街が実験場になる」

 

 ロックは黙った。

 ココが彼を見る。

 

「どうする? 観客席に座ってる?」

 

 ロックはゆっくり首を振った。

 

「もう燃え始めていますから」

 

 ココは笑った。

 

「そうね」

 

     *

 

 撤退は、戦闘より難しかった。

 

 敵はココたちが制御室へ到達したことに気づいていた。通信塔の周囲で銃撃は激しくなり、森の中から別働隊が現れ始める。

 だが、ラグーン商会とココ部隊は、もう相手の動きを読んでいた。

 ルツが高所を押さえ、レームが引き際を作る。

 バルメはココの退路を確保し、レヴィはその外側で敵を引きつける。

 ワイリは最後に、発電機の一部と外部通信アンテナだけを狙って小さな爆破を仕掛けた。

 

 爆音が森を揺らした。

 ただし、鉄塔は倒れない。

 端末も燃えない。

 敵から見れば、ノードはまだ生きているように見える。

 ベニーが走りながら叫ぶ。

 

「本当に大丈夫なんだろうね!」

 

 ワイリが笑う。

 

「たぶん」

「その言葉は禁止!」

 

 ナタワットは息も絶え絶えになりながら、ロックに支えられて走っていた。

 

「私は……もう走れない……」

「もう少しです」

「君はさっきからそればかりだ」

「他に言うことがありません」

「正直すぎる」

「嘘を考える余裕がないんです」

 

 レヴィが近くで叫ぶ。

 

「ロック! 眼鏡を落とすなよ! こいつがいねえと話がややこしい!」

 

 ナタワットが叫び返す。

 

「私は眼鏡ではない!」

「走れるじゃねえか!」

 

 バルメがココを庇いながら言う。

 

「敵、右から二」

 

 レヴィが即座に反応する。

 

「任せろ!」

「任せてない!」

「遅え!」

 

 二人の銃声が重なる。

 敵の足が止まり、一行は林道へ抜けた。

 そこには、第一章で使う予定だったものとは別の、古びたトラックが一台だけ残されていた。

 ダッチが運転席へ飛び乗る。

 

「全員乗れ!」

 

 マオが荷物を放り込む。

 

「一台じゃ足りません!」

 

 ダッチが叫ぶ。

 

「足りるように乗れ!」

 

 ベニーが後部へ押し込まれながら悲鳴を上げる。

 

「物理法則に怒られる!」

 

 レヴィが隣に滑り込む。

 

「物理法則もロアナプラじゃ賄賂で黙る」

「そんなわけないだろ!」

 

 ココは最後に乗り込む前に、通信塔を振り返った。

 白い煙が鉄塔の足元から上がっている。

 彼女は小さく呟いた。

 

「一手遅れた」

 

 ロックが聞く。

 

「何か言いましたか」

「いいえ」

「言いました」

「じゃあ、聞かなかったことにして」

「そういうわけには」

「ロック」

 

 ココは彼を見た。

 

「私は、間違えることもある」

 

 ロックは言葉を止めた。

 ダッチが怒鳴る。

 

「乗れ!」

 

 二人はトラックへ飛び乗った。

 エンジンが唸り、車体が泥を跳ね上げる。

 ジャングルの通信塔跡は、煙とノイズを残して背後へ遠ざかっていった。

 

     *

 

 ロアナプラは、妙な静けさに包まれていた。

 騒がしい街が静かな時、それは平和ではない。

 全員が息を潜めているだけだ。

 港には、見慣れない装甲車両が数台入っていた。車体には民間警備会社のロゴがある。だが、装備は警備会社のものではない。統制された動き。揃った銃器。無駄のない配置。

 

 PMC。

 

 表向きは港湾施設保護の契約部隊。

 だが、ロアナプラの住人はそんな看板を信じない。

 この街では、看板の文字より、腰に下げた銃と目つきのほうが正直だ。

 イエロー・フラッグでは、バオがカウンターの内側で両手を合わせていた。

 

「神様、今日だけでいい。今日だけは店を守ってくれ」

 

 エダがカウンターに座っていた。

 

「神様に頼むより、保険会社に祈ったほうが現実的よ」

 

 バオが怒鳴る。

 

「どっちも俺を助けてくれねえよ!」

 

 張も店の隅にいた。

 いつもの穏やかな顔で、グラスを前に置いている。

 

「今日は客が少ないな」

 

 バオが叫ぶ。

 

「少なくていい! 今日だけは少なくていい! むしろ全員帰れ!」

 

 エダが笑う。

 

「バオが客に帰れって言う日は、本当に危ない日ね」

「お前らがいる日は毎回危ねえんだよ!」

 

 張は窓の外を見た。

 通りには、見慣れない男たちがいる。

 地元のチンピラではない。観光客でもない。行儀のいい足取りをした武装した男たち。

 

「彼らは、この街の歩き方を知らない」

 

 張が静かに言った。

 エダがグラスを回す。

 

「歩き方を知らない人間は、地図を信じる」

「ロアナプラの地図は役に立たない」

「ええ。三分前の味方が、五分後には売り主になる街だもの」

 

 バオは窓の外を覗いて、青ざめた。

 

「おい、こっち来てねえか?」

 

 エダは溜息をついた。

 

「来てるわね」

「何でだよ!」

「ここが情報の交差点だから」

「俺の店を交差点にするな!」

 

 張が静かに立ち上がった。

 

「バオ。奥へ下がれ」

「嫌な予感しかしねえ言い方するな!」

「では、良い予感に聞こえるよう言おう。奥へ下がれば、少しだけ生き残る可能性が高い」

「もっと嫌だ!」

 

 店の扉が開いた。

 武装した男が三人入ってくる。

 彼らは店内を素早く見回した。視線がエダ、張、バオ、そして奥の出入口へ移る。

 先頭の男が英語で言った。

 

「ここにラグーン商会の関係者が来る。協力しろ」

 

 バオが口を開きかけた。

 エダが先に笑った。

 

「協力って、ずいぶん可愛い言い方ね」

 

 男はエダを見た。

 

「君には聞いていない」

「そう。じゃあ、誰に聞いてるの?」

「店主だ」

 

 バオがぎこちなく笑う。

 

「俺は何も知らない。店をやってるだけだ。酒を出して、グラスを拭いて、客が壊した椅子の修理代を泣きながら計算してるだけだ」

 

 男は一歩近づく。

 

「質問に答えろ」

 

 張が穏やかに言った。

 

「その前に、君たちの雇い主を聞いてもいいかな」

 

 男の視線が張へ移る。

 

「関係ない」

「この街では、誰の金で動いているかはとても重要だ」

「我々は正式な契約に基づいて――」

 

 エダが吹き出した。

 

「正式な契約? ロアナプラで? 素敵ね。次は領収書でも切る?」

 

 男の表情が硬くなる。

 張はまだ穏やかだった。

 

「君たちは、この街を知らない。ここで銃を抜くなら、誰に向けるかより、誰に見られるかを考えたほうがいい」

「脅しか」

「助言だよ。脅しはもっと短い」

 

 その時だった。

 外で大きな銃声が響いた。

 男たちが反応する。

 同時に、店の奥から別の男が飛び込んできた。

 

「目標が港に接近! HCLIとラグーン商会だ!」

 

 エダは小さく笑った。

 

「主役の登場ね」

 

 バオは天井を見上げた。

 

「神様、今からでも遅くない。俺だけ助けてくれ」

 

 次の瞬間、窓ガラスが砕けた。

 イエロー・フラッグの一日が、また壊れ始めた。

 

     *

 

 ラグーン号がロアナプラへ戻った時、港はすでに封鎖されていた。

 いや、封鎖しようとしていた。

 ロアナプラは、封鎖されることに向いていない街だ。

 路地は多すぎる。港湾倉庫は複雑すぎる。誰もが裏口を知っている。誰もが誰かに借りを作り、誰もが誰かの抜け道を売る。

 

 だが、PMCの部隊はそれを理解していなかった。

 彼らは地図通りに動いた。

 そこが致命的だった。

 ラグーン号が港の外縁へ入ると、警告無線が飛んできた。

 

『停船しろ。港湾保安契約に基づき、積荷検査を行う』

 

 ダッチが無線を切った。

 レヴィが笑う。

 

「聞かなくていいのか?」

「聞く価値がなかった」

 

 ココが甲板から港を見る。

 

「数は?」

 

 レームが双眼鏡を覗く。

 

「港に二十以上。車両が四。倉庫の上にもいますな」

 

 ルツが続ける。

 

「狙撃位置がある。だが、街を知らない配置だ」

 

 バルメが低く言う。

 

「ココを港で捕まえるつもり」

 

 レヴィが肩を回す。

 

「じゃあ、港に降りなきゃいい」

 

 ダッチが言う。

 

「降りる。だが正面じゃない」

 

 ロックが地図を見る。

 

「旧荷揚げ用の桟橋があります。今は使われていないはずですが、ラグーン号なら近づけるかもしれません」

 

 ダッチが笑う。

 

「“はず”か。いいね。ロアナプラらしい」

 

 ベニーが端末を見る。

 

「通信がおかしい。港湾無線に偽の指示が混じってる。敵だけじゃない。街の連中も混乱してる」

 

 ナタワットが震える声で言う。

 

「ロアナプラ側のノードが動いている。完全ではないが、輪が閉じかけている」

 

 ココは短く言った。

 

「場所を探す」

 

 ロックが言う。

 

「どうやって?」

「混乱の中心を見る」

 

 レヴィが笑う。

 

「つまり、撃たれてる場所に行くってことだな」

 

 ココはにこりとした。

 

「そういうこと」

 

 ベニーが頭を抱えた。

 

「みんな、もう少し遠回りな表現を使ってくれないかな。心が持たない」

 

 ダッチは舵を切った。

 ラグーン号は正面の警告を無視し、廃桟橋へ向かった。

 当然、港のPMC部隊は動いた。

 銃声。

 警告灯。

 車両のエンジン音。

 しかし、その瞬間、別方向から別の銃声が響いた。

 

 ホテル・モスクワだった。

 港湾倉庫の影から、統制された火線が走る。

 PMCの一隊が足を止める。

 さらに別方向から、三合会の車両がゆっくりと現れる。張の部下たちは、派手には撃たない。ただ、退路と進路を塞ぐように動いていた。

 ロアナプラの住人たちが、外来の軍隊を歓迎し始めていた。

 レームが口笛を吹く。

 

「これはまた、立派な歓迎ですな」

 

 ダッチが低く言う。

 

「歓迎というより、縄張り争いだ」

 

 ココは楽しそうに言った。

 

「素敵な街」

 

 ロックが言う。

 

「素敵という言葉の意味を、一度辞書で確認したほうがいい」

「ロック、怒ってる?」

「かなり」

「いいわね。怒ってるあなたは判断が速い」

「褒めないでください」

「半分だけ」

「その半分もいりません」

 

     *

 

 廃桟橋に着くと、一行は二手に分かれた。

 ココ、バルメ、レーム、ベニー、ナタワット、ワイリはノード探索へ。

 ダッチ、レヴィ、ロック、ルツ、マオはラグーン商会の事務所とイエロー・フラッグ周辺の状況確認へ。

 

 だが、予定はすぐに崩れた。

 ロアナプラでは、予定はたいてい街角を曲がった瞬間に別の予定に殴られる。

 レヴィたちがイエロー・フラッグに近づいた時、店はすでに銃撃の中心になっていた。

 壁には穴。

 窓は割れている。

 店内からはバオの悲鳴が聞こえる。

 

「またか! またなのか! 俺の店が何をしたっていうんだ!」

 

 レヴィは嬉しそうに言った。

 

「元気そうだな」

 

 ロックが顔をしかめる。

 

「元気の基準がおかしい」

 

 店の外にはPMCの男たちがいた。

 彼らは店内へ踏み込もうとしている。中にはエダと張がいるはずだ。

 ダッチが短く言う。

 

「正面からは無理だ」

 

 レヴィが即答する。

 

「無理じゃねえ」

「レヴィ」

「何だよ」

「俺が“無理”と言った時は、“お前がやりたがるから止めている”という意味だ」

「よくわかってんじゃねえか」

 

 ロックが店の裏手を見る。

 

「裏口から入れます。バオはいつも逃げ道を作ってる」

 

 レヴィが笑う。

 

「あいつの取り柄だな」

 

 ルツが周囲を見た。

 

「俺は外を押さえる」

 

 マオが頷く。

 

「じゃあ、俺も残る」

 

 ダッチはレヴィとロックに言う。

 

「中へ行くぞ。撃つ相手と撃たない相手を間違えるな」

 

 レヴィが肩をすくめた。

 

「難しい注文だな」

 

 ロックが言う。

 

「本当に間違えないでくれ」

「努力する」

「その言葉が一番怖い」

 

 裏口から入ると、店内は混乱していた。

 テーブルは倒れ、酒瓶は割れ、バオはカウンターの裏で頭を抱えている。エダは柱の陰から撃ち返し、張は驚くほど落ち着いた動きで敵の位置を見ていた。

 レヴィが叫ぶ。

 

「よう、ただいま!」

 

 バオが涙目で叫んだ。

 

「帰れ!」

「助けに来たんだぞ!」

「お前が来ると被害が増える!」

 

 エダが笑う。

 

「遅かったじゃない」

 

 ロックが答える。

 

「道が混んでたんです」

「言い訳がロアナプラっぽくなってきたわね」

 

 張が穏やかに言う。

 

「ロック君。外は?」

「港はホテル・モスクワと三合会が動いています。PMCは街を封鎖しようとしていますが、逆に分断され始めています」

 

 張は頷いた。

 

「では、彼らはもう長くない」

 

 PMCの一人が店内へ踏み込んだ。

 レヴィが即座に撃ち、男は倒れ込むように物陰へ退いた。

 レヴィは叫ぶ。

 

「おい、バオ! サービス悪いぞ! 酒が出てねえ!」

 

 バオが叫び返す。

 

「この状況で注文するな!」

「じゃあツケでいい!」

「もっと嫌だ!」

 

 ダッチが柱の陰から撃ちながら言う。

 

「バオ、裏口はまだ使えるか」

「使える! だが、使うなら修理代を払え!」

 

 レヴィが言う。

 

「生き残ったらな!」

「その言葉で払われたことがねえ!」

 

 エダはロックの隣に滑り込んだ。

 

「ココは?」

「ノードを探しています」

「そう。なら急いだほうがいいわ。さっきから街の無線がおかしい。偽の警告、偽の命令、偽の救援要請。どれが本物かわからない」

 

 ロックは顔を強張らせる。

 

「花輪が動いている」

「ええ。しかも、誰かがこの街の混乱を利用して、さらに混乱を増やしてる。実験としては成功ね。人間としては最悪だけど」

 

 張が静かに言った。

 

「偽の命令で三合会の部下が港の反対側へ動かされた。ホテル・モスクワにも似たような干渉があったらしい」

 

 ダッチが目を細める。

 

「内輪揉めに見せかけるつもりか」

 

 エダが頷く。

 

「ロアナプラならあり得るでしょ? 誰かが誰かを撃つ理由なんて、後からいくらでも作れる」

 

 ロックは拳を握った。

 

「それが実験か」

「そう。通信をいじれば、人は勝手に撃つ。直接手を汚さずに戦場ができる」

 

 レヴィが苛立ったように吐き捨てる。

 

「気に入らねえな」

 

 エダが意外そうに見る。

 

「あなたがそういうこと言うの?」

「撃つなら自分の指で撃てって話だ。誰かの耳元で嘘を囁いて、他人に引き金引かせる連中は気に食わねえ」

 

 ロックはレヴィを見た。

 乱暴で、短絡的で、危険な女。

 だが彼女には、彼女なりの線引きがある。

 それは法律でも正義でもない。

 もっと原始的で、もっと個人的なものだ。

 

「レヴィ」

「何だ」

「今のは少し、まともだった」

「撃つぞ」

「褒めたんだ」

「余計撃つ」

 

 エダが笑った。

 

「仲良しね」

 

 二人が同時に言う。

 

「違う」

 

     *

 

 その頃、ココたちは港湾地区の裏側を進んでいた。

 

 ロアナプラの港は迷路だった。

 コンテナ、倉庫、古い冷凍施設、壊れたクレーン、放置されたトラック、密輸業者しか知らない抜け道。そこにPMCの部隊が入り込み、ホテル・モスクワと三合会の圧力を受け、さらに花輪の通信干渉で混乱している。

 戦場というより、壊れた演奏会だった。

 

 銃声。

 怒号。

 偽の無線。

 発電機の音。

 遠くで爆発する音。

 ワイリが少し嬉しそうに言う。

 

「今の爆発、僕じゃないよ」

 

 ベニーが即座に返す。

 

「知ってる。だから少し安心した」

「ひどいな」

「君が“僕じゃない”って言う時点で、普段の信用がわかるだろ」

 

 ナタワットは端末を抱えながら、震える声で言った。

 

「近い。ノードはこの周辺にある。港湾通信の古い中継室か、倉庫の地下」

 

 ココが聞く。

 

「一番可能性が高いのは?」

「旧税関倉庫。そこなら電源もある。地下に古い通信室も残っている」

 

 バルメが周囲を見ながら言う。

 

「敵もそこを守ってる」

 

 レームが頷く。

 

「正面からは厳しいですな」

 

 ココは少し考え、すぐに言った。

 

「正面から行かない」

 

 ベニーが嫌な顔をする。

 

「またですか」

「またよ」

「その言い方をする時、だいたい僕が苦労するんだけど」

「ベニーは優秀だから」

「褒めても危険は減らない」

「でも士気は上がる」

「上がってない」

 

 ワイリが旧倉庫の壁を見た。

 

「地下へ抜けるなら、壁を開ける?」

 

 ベニーが叫ぶ。

 

「だからすぐ開けようとする!」

 

 レームが冷静に問う。

 

「静かに開けられますか」

 

 ワイリは少し考えた。

 

「静かの基準による」

「敵に気づかれない程度」

「それは難しい」

「では却下ですな」

 

 ワイリは残念そうにした。

 ココはベニーを見る。

 

「電子的に開ける?」

 

 ベニーは倉庫裏の古い端末を見つける。

 

「たぶん。古い警備システムが残ってる。新しいロックと無理やり繋いでる感じだ。雑だね」

「できる?」

「雑な仕事は嫌いだけど、雑だから入れる」

 

 ベニーが端末に接続する。

 その間、バルメとレームが周囲を守る。

 ココは港の方角を見ていた。

 遠くでホテル・モスクワの火線が見える。

 整然としている。

 冷たい。

 ロアナプラの混沌の中で、そこだけが軍隊だった。

 レームが言う。

 

「バラライカが本気で動いてますな」

 

 ココは微笑む。

 

「彼女、素敵ね」

「敵に回したくない相手です」

「味方にもしたくない?」

「味方だと思った瞬間に、こちらの背中を測り始めるでしょうな」

「それは武器商人も同じよ」

「ええ。だから俺は給料分だけ信じています」

 

 ココは笑った。

 

「レームは正直ね」

「長生きの秘訣です」

 

 ベニーが声を上げる。

 

「開いた!」

 

 古い鉄扉が低い音を立てて開く。

 中は暗い階段だった。

 地下へ続いている。

 ナタワットが震えた。

 

「ここだ」

 

 ココは銃を持たない手で、軽く髪を払った。

 

「行きましょう」

 

 バルメがすぐに前へ出る。

 

「私が先」

「わかってる」

「ココは真ん中」

「わかってる」

「走らない」

「わかってる」

「勝手に覗かない」

「バルメ、私は子供じゃない」

「知っています。でも、ココは危ないものを見ると近づく」

 

 ココは少しだけ笑った。

 

「よく見てるわね」

「仕事です」

 

     *

 

 地下通信室は、旧時代の匂いがした。

 コンクリートの壁。

 古い配電盤。

 埃をかぶった通信ラック。

 その中に、真新しい機材が無理やり組み込まれている。

 まるで、古い死体に新しい心臓を押し込んだようだった。

 ベニーが顔をしかめる。

 

「うわ……嫌な組み方だ」

 

 ワイリが感心する。

 

「でも、動いてる」

「動いてるから嫌なんだよ。これ、かなり強引に繋いでる。普通ならノイズだらけで使えない。でも花輪が補正してるんだ」

 

 ナタワットが端末へ近づく。

 

「ここがロアナプラ側のノードだ。輪を閉じる要だ」

 

 ココが聞く。

 

「止められる?」

 

 ナタワットは画面を見る。

 

「止められる。だが、完全停止には中核キーが必要だ」

「博士は持ってない?」

「私は設計者の一人だ。管理者ではない」

 

 ベニーが端末を操作しながら言う。

 

「外部から制御されてる。どこかに指揮端末がある」

 

 レームが周囲を見た。

 

「つまり、敵の本隊が近くにいる」

 

 バルメが銃を構える。

 

「来る」

 

 その言葉と同時に、階段の上から足音がした。

 複数。

 速い。

 訓練された動き。

 ココは笑った。

 

「お客様ね」

 

 ベニーが叫ぶ。

 

「今は接客したくない!」

 

 レームが扉の陰へ入る。

 

「こちらで抑えます。ベニー、博士、作業を」

 

 ワイリが小さな装置を取り出す。

 

「階段、止める?」

 

 レームが一瞬だけ彼を見る。

 

「ほどほどに」

 

 ワイリは嬉しそうに笑った。

 

「ほどほど、得意だよ」

 

 ベニーが呟く。

 

「嘘だ」

 

 バルメが階段へ向けて構える。

 最初の敵が姿を見せた瞬間、銃声が地下に反響した。

 狭い空間では、音が暴力になる。

 ココはナタワットの背後に立ち、画面を見ていた。

 

「博士。急いで」

「急いでいる!」

「もっと」

「君は本当に人の神経を削る」

「よく言われる」

 

 ベニーが別の端末に繋ぐ。

 

「管理キーは取れない。でも、偽のキーを作れるかもしれない」

 

 ナタワットが驚く。

 

「そんなことをすれば、システムが暴走する」

「暴走させないようにやる」

「簡単に言うな!」

「簡単じゃないから、今すごく嫌な汗をかいてる!」

 

 ココが問う。

 

「必要な時間は?」

 

 ベニーは画面から目を離さない。

 

「三分!」

 

 レームが階段側で叫ぶ。

 

「一分半にしていただけると助かりますな!」

 

 バルメが撃ちながら言う。

 

「敵が増えてる!」

 

 ワイリの小さな仕掛けが階段の中段で作動した。

 爆風ではなく、閃光と煙。

 敵の動きが止まる。

 レームが感心した。

 

「お見事」

 

 ワイリが笑う。

 

「ほどほどでしょ?」

 

 ベニーが叫ぶ。

 

「ほどほどって言葉の意味が少し壊れてる!」

 

 その時、ココの端末に映像通信が入った。

 画面に映ったのは、PMCの指揮官らしき男だった。

 年齢は四十代前半。落ち着いた顔。軍人というより、企業役員のような冷たさを持っている。

 

『ココ・ヘクマティアル』

 

 ココは楽しそうに画面を見る。

 

「あなたが今回の窓口?」

『積荷を渡せ。技術者もだ。そうすれば、君と部下はこの街を出られる』

「ラグーン商会は?」

『契約外だ』

 

 ココは笑った。

 

「下手ね」

『何?』

「交渉が下手。人質にするなら、もう少し私が困る言い方をしないと」

『君は困っているはずだ。港は封鎖した。街の通信は我々が握りつつある。ホテル・モスクワと三合会の動きも把握している』

 

 ココは首を傾げた。

 

「本当に?」

『何が言いたい』

「ロアナプラの住人を、通信ログだけで理解した気になっているなら、あなたたちはもう負け始めてる」

 

 指揮官の表情が少し硬くなる。

 ココは続けた。

 

「この街では、無線で命令を聞く人間より、酒場で聞いた悪口を信じる人間のほうが多い。地図より借り。規則より面子。契約より恐怖。あなたたちのシステムは、それを全部ノイズだと思ってる」

『ノイズは除去する』

「いいえ。ここでは、ノイズが本体よ」

 

 レームが後ろから笑った。

 

「名言ですな」

 

 ベニーが叫ぶ。

 

「名言言ってる間に、あと三十秒!」

 

 指揮官は冷たく言った。

 

『君は自分が勝っていると思っているのか』

「半分」

 

 地下室の全員が一瞬だけ「またか」という顔をした。

 ココは笑う。

 

「でも、残り半分は今から取る」

 

 ベニーが叫んだ。

 

「入った!」

 

 ナタワットが続ける。

 

「偽キーを受理した。外部制御を切れる!」

 

 指揮官の画面が乱れた。

 

『何をした』

 

 ココはにこりと笑った。

 

「花輪をほどいたの」

 

 ナタワットが最後のコマンドを叩く。

 地下通信室の機材が一斉に高い音を立てた。

 画面に無数の警告が走る。

 そして、外部リンクが落ちた。

 ベニーが椅子にもたれかかる。

 

「止まった……完全停止じゃないけど、輪は切った」

 

 ワイリが尋ねる。

 

「じゃあ爆破していい?」

 

 ベニーが即答する。

 

「少し待って!」

 

 ナタワットが言う。

 

「データを抜く必要がある。これがあれば、本体の所在を追えるかもしれない」

 

 ココの目が光った。

 

「やって」

 

 ロックがいたなら、ここで何か言っただろう。

 データを手に入れるのか。

 壊すだけではないのか。

 だが、今この場にロックはいない。

 ココは画面を見つめていた。

 

 戦場の中心で、未来の地図を見るように。

 

     *

 

 イエロー・フラッグでは、銃撃がようやく止みかけていた。

 

 止んだのではない。

 別の場所へ移っただけだ。

 店内はひどい有様だった。

 テーブルは砕け、酒瓶は割れ、壁には穴が増えている。バオは床に座り込み、魂の抜けたような顔をしていた。

 

「俺は……前世で何をしたんだ……」

 

 レヴィが空のグラスを拾う。

 

「酒場をやるには前世の罪が足りなかったんじゃねえか?」

 

 バオが力なく叫ぶ。

 

「黙れ疫病神」

 

 エダは窓の外を見ていた。

 

「通信が戻り始めてる」

 

 ロックが顔を上げる。

 

「ココがやった?」

「たぶんね。少なくとも、花輪の干渉は弱まった」

 

 張が携帯端末を確認する。

 

「三合会の連絡網も戻った。誤指示を受けていた部隊を引き戻せる」

 

 ダッチが言う。

 

「ホテル・モスクワは?」

 

 エダは少し笑った。

 

「通信が戻る前から動いてる。あの人たちは、無線がなくても戦争の仕方を知ってる」

 

 その頃、港湾倉庫の一角で、バラライカは部下たちに短く命じていた。

 

「相手を外へ出すな。倉庫の間で分断しろ。車両は脚を止めるだけでいい。中身は後で聞く」

 

 ボリスが頷く。

 

「了解」

 

 バラライカは煙草をくわえた。

 

「ヴィソトニキ」

 

 部下たちの視線が向く。

 

「連中に教えてやれ。ロアナプラで行進するなら、まずこの街に挨拶をするものだ」

 

 ボリスが静かに言った。

 

「ソ連軍式で?」

 

 バラライカは薄く笑った。

 

「丁重にな」

 

 ホテル・モスクワが動く時、そこに熱はない。

 あるのは命令と実行だけだ。

 PMCの部隊は、初めて理解し始めていた。

 自分たちが封鎖したと思っていた街は、実際には巨大な巣だった。

 そして今、その巣の中の獣たちが目を覚ましている。

 

     *

 

 地下通信室で、データの抽出が終わった。

 ベニーが記憶媒体を抜き、ココへ渡す。

 

「取れた。ただし、完全じゃない。断片だ」

 

 ココはそれを受け取った。

 

「断片で十分」

 

 ナタワットが疲れ果てた声で言う。

 

「十分ではない。花輪の本体はまだ別にある。ここを切っても、彼らは別の場所でまた始める」

「だから追う」

「君は本当に、終わらせる気があるのか」

 

 ココは彼を見た。

 

「あるわ」

「なら、なぜデータを持つ」

 

 ベニーが息を止めた。

 バルメがわずかにココを見る。

 レームも何も言わない。

 ココはゆっくり答えた。

 

「終わらせるためには、知る必要がある」

「使うためではなく?」

「それも半分」

 

 ナタワットの顔が歪んだ。

 

「君は……」

「博士」

 

 ココは静かに言った。

 

「私は天使じゃない。あなたも知ってるでしょう」

 

 ナタワットは黙った。

 

「でも、今このデータを持たないということは、次に誰かがこれを使う時、私はまた一手遅れるということよ」

 

 バルメが言う。

 

「ココ、敵が退き始めています」

 

 レームが階段の上を見た。

 

「ホテル・モスクワと三合会が押し返しているのでしょう。長居は無用ですな」

 

 ワイリが通信室を見回す。

 

「今度こそ?」

 

 ココはナタワットを見る。

 

「博士。ここは壊していい?」

 

 ナタワットは目を閉じた。

 

「……中核記録は抜いた。外部接続も切れている。壊せ」

 

 ワイリの顔が輝いた。

 

「やっと出番だ」

 

 ベニーが心底嫌そうに言う。

 

「どうしてそんなに嬉しそうなんだ」

「得意分野だからね」

「得意分野が破壊って、人としてどうなんだ」

 

 ワイリは少し考えた。

 

「建設的な破壊?」

「言葉でごまかすな」

 

 数分後、地下通信室は静かな爆発で機能を失った。

 建物全体を吹き飛ばすようなものではない。

 必要な場所だけを壊す。

 ワイリは満足そうに煙を見ていた。

 

「うん。きれい」

 

 ベニーは顔をしかめる。

 

「価値観が合わない」

 

     *

 

 ココたちが地上へ戻ると、港の状況は変わっていた。

 

 PMCは押されている。

 ホテル・モスクワは倉庫街を分断し、三合会は通りを塞ぎ、暴力教会は混乱に紛れて武器と情報を売りながら、自分たちに都合の悪い連中だけを巧みに排除していた。

 ロアナプラの秩序が、外敵を拒んでいる。

 それは正義ではない。

 街の免疫反応だった。

 イエロー・フラッグの前で、ロックたちと合流した。

 レヴィはココを見るなり言った。

 

「おせえぞ、白いの」

 

 ココは笑った。

 

「そっちは楽しそうね」

「店が壊れた」

 

 バオが叫ぶ。

 

「楽しいわけあるか!」

 

 ココは店内を覗いた。

 

「本当に壊れてる」

 

 バオは半泣きで言った。

 

「お前ら全員、修理代を払え。国家規模でも企業規模でもいい。とにかく払え」

 

 レームが財布を出しかける。

 ココが止めた。

 

「あとでまとめて請求して」

 

 バオが叫ぶ。

 

「本当だな! 武器商人の言葉を信じるぞ!」

 

 レヴィが笑った。

 

「そこは信じる相手を選べよ」

 

 エダがココへ近づく。

 

「貸し、一つ」

 

 ココは頷く。

 

「覚えてる」

「忘れたら、神様に言いつけるわ」

「あなたの神様、銃を持ってそう」

「持ってるわよ。たぶん二丁」

 

 レヴィが横から言う。

 

「俺の真似か」

 

 エダが笑う。

 

「神様のほうが先でしょうね」

 

 張が静かにココを見る。

 

「ヘクマティアル。君が持ち込んだ火は、まだ消えていない」

 

 ココは彼に向き直る。

 

「ええ」

「この街は、外から火を持ち込む者に寛容ではない」

「知ってる」

「なら、次はどうする」

 

 ココは手の中の記憶媒体を見た。

 

「火元を探す」

 

 バラライカが現れたのは、その時だった。

 彼女は数人の部下を従え、まるで戦場ではなく会議室へ入るような足取りで歩いてきた。

 周囲の空気が変わる。

 レヴィですら、少しだけ黙った。

 バラライカはココを見た。

 

「ココ・ヘクマティアル」

「初めまして、バラライカ」

「初めまして、で済ませるには、随分と騒がしい挨拶だ」

「ロアナプラ式かと思って」

「この街の流儀を学ぶには、授業料が必要だ」

 

 ココは微笑んだ。

 

「いくら?」

 

 バラライカも微笑む。

 

「金ではない」

 

 空気が冷えた。

 ロックは、二人の会話を息を詰めて見ていた。

 白い武器商人。

 赤い軍人。

 笑顔で話している。

 

 だが、その間には銃口よりも鋭いものが向けられていた。

 バラライカは言った。

 

「君が何を追っているかは、おおよそ理解した。だが、私の街を実験場にした者を、私は許さない」

「それは私も同じ」

「違う。君は利用する。私は排除する」

 

 ココは少し笑った。

 

「正直ね」

「私は商人ではない。余計な包装はしない」

「でも、取引はできる」

「条件による」

 

 ココは記憶媒体を見せた。

 

「ここに、花輪の断片データがある。本体の所在へ繋がるかもしれない」

 

 エダの目が細くなる。

 張は黙っている。

 バラライカはココを見た。

 

「それを渡す気は?」

「ないわ」

 

 バルメがわずかに身構える。

 ホテル・モスクワの部下たちも、空気だけで緊張した。

 ココは続ける。

 

「でも、情報は共有できる。ロアナプラを実験場にした連中を排除する。その点では利害が一致している」

 

 バラライカは静かに言う。

 

「君の目的は?」

「火元を見つけること」

「その後は?」

「消すか、奪うか、決める」

 

 ロックは思わずココを見た。

 やはり、彼女は壊すだけではない。

 バラライカは薄く笑った。

 

「危険な女だ」

 

 レヴィが小声で言う。

 

「今日だけで何回目だよ、それ」

 

 ココはバラライカに言った。

 

「よく言われるわ」

「褒めていない」

「知ってる」

 

 バラライカは少しだけ笑った。

 ほんのわずかに。

 

「いいだろう。今だけは、君の敵を私の敵として扱う」

 

 エダが口を挟む。

 

「神様も喜ぶわ」

 

 バラライカが冷たく言う。

 

「お前の神は黙っていろ」

「はいはい」

 

 張が静かに言った。

 

「三合会も協力しよう。ただし、この街の取引網に手を出すなら、その時点で話は変わる」

 

 ココは頷く。

 

「わかってる」

 

 レヴィが銃を肩に乗せた。

 

「で、次はどこへ行く?」

 

 ベニーが端末を見ながら言う。

 

「断片データから、外部制御の発信元を追えるかもしれない。ただ、まだ暗号化されてる」

 

 ナタワットが疲れた声で言う。

 

「私なら読める。ただし時間がいる」

 

 ダッチが周囲を見る。

 

「時間はなさそうだ」

 

 遠くで再び銃声が響いた。

 今度は港のさらに奥。

 PMCの残存部隊が、何かを守るように移動している。

 ルツが高い場所を見て言った。

 

「敵が港湾クレーン側へ集まってる」

 

 レームが頷く。

 

「指揮車両か、脱出路か、あるいは本命ですな」

 

 ココは笑った。

 

「次の曲が始まるわね」

 

 バオが叫んだ。

 

「俺の店以外でやれ!」

 

 レヴィが笑う。

 

「安心しろ、バオ。次は港だ」

「それは安心していいのか!?」

 

 ロックは港の奥を見た。

 夜ではない。

 昼だ。

 それなのに、街は暗かった。

 煙と熱気と銃声と、通信の残響。

 ロアナプラという街そのものが、巨大な楽器のように鳴っている。

 誰かが弦を弾き、誰かが引き金を引き、誰かが命令し、誰かが嘘を流す。

 そのすべてが、狂った音楽になっていた。

 

 ココがロックの隣に立つ。

 

「ロック」

「何ですか」

「観客席、まだ残ってる?」

 

 ロックはしばらく黙った。

 そして、言った。

 

「たぶん、燃えました」

 

 ココは嬉しそうに笑った。

 

「ようこそ、舞台へ」

 

 ロックはため息をついた。

 

「出演料は高くつきますよ」

「ダッチに似てきたわね」

「嫌な褒め方です」

 

 レヴィが前に出る。

 

「おしゃべりは終わりだ。次は港だろ?」

 

 バルメも並ぶ。

 

「ココの前に出ないで」

「お前が後ろに下がれ」

「嫌」

「俺も嫌だ」

「なら並ぶしかない」

「最悪の妥協だな」

「ええ」

 

 二人は同時に銃を構えた。

 その後ろで、バラライカが部下に命じる。

 

「港湾クレーン周辺を封鎖。逃がすな」

 

 張が静かに電話をかける。

 

「船を出せ。表ではなく、裏の水路だ」

 

 エダは端末を耳に当て、軽く笑った。

 

「こちらシスター。神様に伝えて。ロアナプラは今日も通常営業よ。ええ、銃声つきでね」

 

 ココは記憶媒体を握りしめた。

 ロックはその手を見た。

 彼女はデータを持っている。

 未来の火種を。

 

 それを消すのか、使うのか。

 まだ誰にもわからない。

 だが、今はそれを問う時間ではなかった。

 港の奥で、また爆発音がした。

 ワイリが小さく言う。

 

「あれ、僕じゃない」

 

 ベニーが即座に返す。

 

「今だけは、それが本当に安心材料だよ」

 

 ダッチが銃を確認し、低く言った。

 

「行くぞ」

 

 一行は動き出した。

 ロアナプラの街が、彼らを飲み込む。

 火と煙と冗談と怒号と、裏切りと取引と、奇妙な共闘の中へ。

 ロアナプラ狂詩曲は、まだ終わらない。

 

 むしろ、ここからが本番だった。

 

 

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