Guns & Garlands — 銃と花輪 *休載中   作:たこ焼き 龍月

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第四章 第一分隊、予測される

 

 

 廃測量学校へ続く道は、地図の上では一本の細い線だった。

 

 川沿いの中継基地から少し内陸へ入り、古い倉庫群を抜け、低い林を回り込み、かつて測量技師を育てたという小さな学校跡へ向かう。地図で見れば、距離は大したことがない。道も単純だ。車両が入れる場所は限られるが、徒歩なら難しくない。

 だが、新田良太は、その線を信用していなかった。

 地図の上では、道は道でしかない。

 

 けれど現実には、道にも性格がある。

 

 雨のあとに沈む道。子どもが足を取られやすい道。見通しがよすぎて不安になる道。木の影が濃くて安心する道。昔、誰かが転んだ場所。以前、逃げる時に使ったせいで、逆に通りたがらない場所。

 地図には、そういうものが描かれていない。

 だから新田は、端末を見て、顔を上げて、また端末を見た。

 その動きを、ココ・ヘクマティアルが見ていた。

 

「地図を信じていないのね」

 

 新田は歩きながら答えた。

 

「信じています」

「そうは見えないわ」

「信じているから、疑っています」

 

 ココは少しだけ笑った。

 

「面白い言い方」

「面白くはありません」

「あなたは、ずっとそうしてきたの?」

「何をですか」

「地図を見て、声を出して、子どもたちを動かす」

 

 新田は少しだけ間を置いた。

 

「動かす、という言い方は好きではありません」

「帰すために声を出している」

「はい」

「でも、外から見れば同じに見える」

「でしょうね」

 

 新田はそれを否定しなかった。

 

 否定できることではなかった。彼は実際に声を出している。分隊を動かしている。地図を見て、子どもたちの位置を変えている。

 だが、同じではない。

 そう信じなければ、声を出せなくなる。

 

 ロックは二人の少し後ろを歩いていた。

 

 ココが新田の言葉を拾うたびに、ロックはわずかに緊張する。ココは興味を持っている。危険なものに触れる時の、あの表情。赤い合唱の時と同じだ。ただし今回は、もっと慎重だった。

 相手がバラライカではなく、新田良太だからかもしれない。

 兵士の命令ではなく、子どもたちの声だからかもしれない。

 それとも、ココ自身がわかっているからかもしれない。

 これは、欲しがってはいけないものだと。

 それでも、欲しいと思ってしまうものだと。

 

 レヴィは少し前を歩いていた。

 ジブリールと並んでいるわけではないが、結果的に近い位置にいる。ジブリールが少し足を速めると、レヴィも同じくらいの速度になる。ジブリールが止まると、レヴィは文句を言いながら止まる。

 本人は護衛のつもりではないのだろう。

 だが、どう見ても護衛だった。

 

「おい、ガキ」

 

 レヴィが言った。

 

「ガキじゃない」

 

 ジブリールは即座に返す。

 

「じゃあ何だよ」

「ジブリール」

「名前呼べってか?」

「うん」

「面倒くせえな」

 

 ジブリールは気にせず言った。

 

「レヴィ」

「あ?」

「怖い顔してる」

「元からだっつったろ」

「じゃあ、少し横向いて」

「なんでお前に顔の角度を指示されなきゃなんねえんだよ」

「後ろの子が怖がる」

 

 レヴィは後ろを見た。

 アラタ陣営の子どもが数人、距離を取ってついてきている。廃測量学校まで同行するわけではない。途中の安全確認と連絡のために動いているだけだ。だが、レヴィの顔を見るたびに肩を縮めている子がいた。

 レヴィは舌打ちした。

 

「……横向きゃいいんだろ」

 

 ジブリールは頷いた。

 

「うん」

「お前、遠慮ってもんを知らねえのか」

「知ってる。でも今は使わない」

 

 レヴィは一瞬黙り、それから短く笑った。

 

「いい性格してんな」

 

 新田はそのやり取りを聞きながら、わずかに表情を緩めた。

 だが、その緩みはすぐに消える。

 端末が鳴った。

 ソフィアからの通信だった。

 

『アラタ、キャンプ側で少し動きがある』

 

 新田は即座に立ち止まった。

 

「何が起きた?」

『配給所の列が崩れかけた。今朝の偽放送のせいで、第一分隊の何人かが北側の道を避けようとしてる』

「避ける?」

『うん。北側は危ないって思い込んでる子がいる。さっきの偽の声が北側へ行けって言ったから』

 

 新田は目を細めた。

 

 敵の声が出した偽指示は、子どもたちを実際に危険な方向へ動かすためだけではなかった。

 北側の道という選択肢そのものを汚した。

 次に本物の新田が北側を使おうとしても、子どもたちは不安がる。

 声が地図を変えたのだ。

 物理的な道は変わっていない。

 だが、子どもたちの中で、その道の意味が変わった。

 

 ココが低く言った。

 

「声で地形を変えた」

 

 新田は彼女を見る。

 

「いい表現ですね」

「嫌な表現でしょう」

「はい」

 

 ロックが聞く。

 

「戻りますか」

「まだ戻りません」

「キャンプ側は?」

「ソフィアが見ています。オマル」

 

 オマルが通信を開く。

 

「聞いている」

「キャンプ側へ一度戻って。配給所の列を崩さないで。第一分隊は、今は北側へ動かさない」

『北側を使わないのか』

「今は使わない。敵がそこを見ている」

『了解』

 

 新田は端末を開き、キャンプ地図を表示した。

 

 第一分隊の点が配給所の横に固まっている。北側の道には薄い赤線が伸びている。敵が予測した線だ。第一分隊が北側へ向かう未来。

 だが、ソフィアの報告では、子どもたちはむしろ北側を避けようとしている。

 敵の地図は、まだそこまで読めていない。

 ただし、それもすぐに更新されるだろう。

 

 ベニーが端末を覗き込む。

 

「敵の予測地図が更新されています」

「見せてください」

 

 ベニーは自分の端末を新田へ向けた。

 そこにはキャンプ地図があり、第一分隊から三本の線が伸びている。

 一つは北側。

 一つは学校テント裏。

 一つは配給所横から診療所の影へ抜ける道。

 線の横には、確率のような数字がついていた。

 

「これ、僕たちの通信を聞いて変えていますね」

 

 ベニーは嫌そうに言った。

 

「会話内容そのものというより、反応を見てる感じです。北側に行かない可能性を追加した」

 

 ワイリが言う。

 

「第一分隊が予測対象になってる。さっきまではアラタの全体指揮だったけど、今は分隊単位」

 

 新田は画面を見た。

 

「第一分隊を分解してきた」

 

 ココが問う。

 

「どういう意味?」

「敵は、僕の命令だけを見ていた。でも今は、分隊ごとの癖を見始めています」

 

 新田は画面を指した。

 

「第一分隊は、動き出しが早い。怖がるより先に走る子が多い。第二分隊は逆です。止まる。確認する。泣き出す子もいる。第三分隊は、食べ物や配給に引っ張られやすい」

 

 レヴィが言う。

 

「そんな細けえことまで見てんのか」

「僕は見ています」

 

 新田は短く答えた。

 

「だから、敵も見ようとしている」

 

 ロックは思った。

 これが新田の地図なのだ。

 道や建物ではない。子どもたちの癖、速度、恐怖、信頼。そういうものを含んだ地図。

 敵はそれを盗もうとしている。

 

 ソフィアの通信が再び入った。

 

『アラタ、配給所で小さい騒ぎ。第三分隊の子が列を離れかけた。第一分隊のリクがそれを追おうとしてる』

 

 新田は即座に端末を見た。

 

 リク。

 北側の道が嫌いな子。以前、雨の日に転んだ。それ以来、北側を通る時に足が鈍る。だが、友達が列を離れると、危険を忘れて追う。

 敵の地図では、リクの点は第一分隊の中にある。まだ動いていない。

 だが、新田には見えていた。

 リクは動く。

 友達を追う。

 そして、そのまま配給所横の混雑へ入る。

 そこを止めようとして第一分隊全体が乱れる。

 

「ソフィア、リクを止めないで」

『え?』

「止めると第一分隊が反応する。リクの前にミナを置いて」

『ミナ?』

「リクが止まる相手。声をかけさせて。命令じゃなくて、名前で」

『了解』

 

 ココが新田を見る。

 

「止めないの?」

「止めると走ります」

「なら?」

「止まる場所を置きます」

 

 ココは黙った。

 新田の端末上で、リクの点が少し動いた。敵の地図も遅れて反応する。赤線が伸びる。だが、その線は途中で乱れた。

 ソフィアから通信。

 

『止まった。ミナが名前を呼んだら止まった』

「そのまま二人組にして。列には戻さなくていい。診療所の影へ」

『了解』

 

 ベニーが驚いたように画面を見ている。

 

「敵の予測が外れました」

 

 ワイリは楽しそうに言う。

 

「地図に人間を戻したね」

 

 新田は画面を閉じない。

 

「今ので、敵はミナを覚えます」

 

 ロックが聞く。

 

「わざと見せた?」

 

「必要だったから見せたんです」

 

 新田の声は苦い。

 

「でも、見せたことには変わりありません」

 

 ココが静かに言う。

 

「あなたの指揮は、情報そのものなのね」

「はい」

「声だけではなく、誰に誰を見させるか。誰の名前なら止まるか。どの道なら怖がるか」

「はい」

「庭師が欲しがるわけね」

 

 新田はココを見た。

 

「あなたも」

 

 ココはすぐには返さなかった。

 ロックが一歩前に出る。

 

「ココ」

「わかってる」

「本当に?」

「見ているだけ」

「見ることも、持ち帰ることになります」

 

 ココは少しだけ目を伏せた。

 ロックの言葉は、彼女に届いている。届いているからこそ、止まるとは限らない。

 新田はそれを見た。

 ココ・ヘクマティアルは、自分の危険を理解している。

 理解しているのに、見てしまう。

 だから危ない。

 

     *

 

 第一分隊の小さな混乱は、表面上はすぐに収まった。

 だが、敵の地図は止まらなかった。

 

 ベニーの端末には、更新され続ける線が表示される。リク。ミナ。配給所。診療所の影。北側の道。学校テント裏。子どもたちの名前は表示されないが、点の動きは明らかに個別化され始めている。

 それは、分隊ではなく個人を見始める動きだった。

 新田はその変化を見て、唇を結んだ。

 敵は学習している。

 そして、自分が子どもたちを守るたびに、その守り方が敵に渡っていく。

 守れば守るほど、敵は賢くなる。

 それでも、守らないわけにはいかない。

 

 ダッチが静かに言った。

 

「嫌な選択だな」

「はい」

「助ければ見られる。見せなければ助からない」

「はい」

 

 ダッチは少しだけ川の方を見る。

 

「戦場じゃよくある」

 

 新田は彼を見る。

 

「そうですか」

「ああ。敵の前で手の内を隠し続ければ、味方が死ぬ。手の内を見せれば、次に読まれる」

「どうしましたか」

「見せたあと、同じ手を使わないことだ」

 

 新田は少しだけ頷いた。

 

「はい」

 

 レヴィが口を挟む。

 

「要するに、毎回違う嫌がらせをしろってことだろ」

 

 ダッチが無表情に言う。

 

「雑だが、近い」

「ほらな」

 

 ジブリールが言った。

 

「毎回違う道?」

 

 新田は彼女を見る。

 

「道だけじゃない。止まり方も、聞き方も、確かめ方も」

「じゃあ、今日のやり方も明日は変える?」

「変える」

「大変だね」

「うん」

 

 ジブリールは少し考えた。

 

「でも、いつも同じだと、敵に覚えられる」

「そう」

「じゃあ、覚えられないように、みんなで少しずつ違うことをする」

 

 新田は彼女の言葉を聞き、わずかに息を止めた。

 

 それは、まさに彼が考えていたことだった。

 子どもたち全員を完璧に管理するのではない。

 小さな違いを許す。

 確認の方法を一つにしない。

 逃げ方を一本にしない。

 声を一つにしない。

 地図に余白を残す。

 

「ジブリール」

「何?」

「それを、あとでみんなに話して」

「また私?」

「うん」

「アラタが言った方が早いよ」

「早い声は、敵に真似される」

 

 ジブリールは少しだけ笑った。

 

「じゃあ、遅く言う」

 

 レヴィが横から言った。

 

「お前、なかなかいい嫌がらせするな」

「嫌がらせ?」

「褒めてる」

「褒め言葉、下手」

「うるせえ」

 

     *

 

 廃測量学校へ向かう前に、新田は一度キャンプ側へ戻る判断をした。

 

 敵はおそらく、それも読んでいる。

 戻れば、戻る線が描かれる。

 戻らなければ、キャンプ側の不安が増える。

 ならば、戻り方を変える。

 新田は全員を連れて戻るのではなく、通信で三つの動きを分けた。

 

 オマルはキャンプ内の配給所側へ。

 ジブリールは学校テント前へ。

 ソフィアは第三分隊の近くへ。

 自分は中継基地側に残り、全体を見る。

 ラグーン商会とHCLIには、むやみに子どもたちへ近づかないよう伝えた。

 レヴィは文句を言ったが、従った。

 ココは何も言わなかった。

 ただ、見ていた。

 

 ロックは彼女の隣に立つ。

 

「ココ」

「何?」

「見ていますね」

「ええ」

「どこまで覚えていますか」

「嫌な聞き方」

「必要です」

 

 ココは少し考えた。

 

「リクは北側を嫌がる。ミナの声で止まる。第一分隊は動き出しが早い。第二分隊は止まりやすい。第三分隊は配給所に引っ張られやすい。ジブリールの声は、アラタの声とは違う種類の信頼を持っている」

 

 ロックは顔をしかめた。

 

「覚えすぎです」

「見えてしまう」

「見えたものを、どうしますか」

「今は使わない」

「今は?」

 

 ココはロックを見た。

 

「あなた、本当に嫌なところを突くわね」

「見張ると言いました」

「足りないと言われても?」

「足りないなら、しつこくします」

 

 ココは少しだけ笑った。

 

「それは効くかもしれない」

 

「効いてください」

 

 ココはキャンプを見た。

 子どもたちは二人組を作っている。声が聞こえたら隣を見る。名前を呼ぶ。近くの大人に確認する。

 効率は悪い。

 遅い。

 だが、その遅さが、敵の地図を濁らせる。

 

「ロック」

「はい」

「これ、広域避難には使いにくいわ」

「でしょうね」

「でも、小さな集団を守るには強い」

「はい」

 

「アラタは、仕組みより関係を使ってる」

「そう見えます」

「関係は、地図にしにくい」

「だから敵が欲しがっているんでしょう」

 

 ココは黙った。

 しばらくして、低く言った。

 

「欲しがる理由がわかる」

「ココ」

「わかってる」

「なら、言います」

「何?」

「欲しいなら、持たないでください」

 

 ココは小さく息を吐いた。

 

「またそれ」

「何度でも言います」

「あなたも、だいぶアラタに似てきたわね」

「困ります」

 

 ココは少し笑った。

 その笑いが軽く見えたので、ロックは少し安心した。

 だが、安心しすぎない。

 それもまた、地図に描かれる。

 

     *

 

 キャンプ中央では、ジブリールが子どもたちを集めていた。

 

 集めるといっても、整列させるわけではない。輪にならせる。隣を見られる距離で、誰かの背中だけを見なくて済む形。

 ジブリールは、少し緊張していた。

 新田が通信越しに聞いている。

 オマルも近くにいる。

 ソフィアも配給所側から見ている。

 レヴィは遠くで腕を組み、怖い顔をしないように横を向いている。

 ジブリールは口を開いた。

 

「今日、アラタの声に似た声がした」

 

 子どもたちは黙って聞いている。

 

「でも、すぐに走らない」

 

 小さな子が聞く。

 

「アラタの声でも?」

「うん。アラタの声でも」

「アラタ、怒らない?」

 

 ジブリールは首を横に振る。

 

「怒らない。アラタが言った。疑っていいって」

 

 ざわめきが起きる。

 ジブリールは少しだけ困った顔をした。

 だが、続ける。

 

「疑うのは、嫌いになることじゃない」

 

 新田は通信越しに、その言葉を聞いた。

 ジブリールは自分の言葉で話している。

 

「声を聞いたら、隣を見る。二人で聞く。近くの大人に聞く。地図に線があっても、一人で走らない」

 

 別の子が聞く。

 

「地図が正しかったら?」

 

 ジブリールは少し考えた。

 

「正しくても、一人で走らない」

「なんで?」

「一人で正しい道を行っても、隣の子が迷ったら戻りたくなるから」

 

 子どもたちが少し黙った。

 それは、彼らにとってわかりやすい言葉だった。

 正しい道。

 でも、友達がいない道。

 それは怖い。

 

「だから、二人で見る」

 

 ジブリールは言った。

 

「声も、地図も、二人で疑う」

 

 レヴィが遠くで小さく呟いた。

 

「いいじゃねえか」

 

 オマルがそれを聞き、わずかに頷いた。

 新田は通信を切らずに、しばらく黙っていた。

 

 敵は今の言葉も聞いているだろう。

 ジブリールの声も記録したかもしれない。

 彼女がどう話すか。子どもたちがどう反応するか。どの言葉で落ち着くか。

 それもまた、敵に渡る情報だ。

 だが、これは必要だった。

 子どもたちに、自分の声以外の確認方法を渡す必要があった。

 新田は端末を見た。

 敵の地図が更新される。

 第一分隊の横に、新しいタグが出た。

 

**PAIR CONFIRMATION / RESISTANCE FACTOR**

 

 二人組確認。

 抵抗要素。

 新田は苦く笑った。

 

「抵抗要素、か」

 

 ココが横で画面を見る。

 

「敵は、今の仕組みを抵抗として記録した」

「はい」

「成功ね」

「成功でもあり、情報を渡した失敗でもあります」

「厳しいのね」

「そうしないと、子どもたちが死にます」

 

 ココは黙った。

 

     *

 

 その後、敵の偽放送が一度だけ流れた。

 

 今回は、新田の声ではなかった。

 優しい女の声。学校の先生のような、落ち着いた声。

 

『北側の道は危険です。子どもたちは学校テントへ集まってください』

 

 内容は、嘘ではなかった。

 北側の道は、子どもたちの中で今、危険な道になっている。少なくとも心理的には。

 学校テントに集まるのも、一見すれば安全に見える。

 だが、新田はすぐに意図を見た。

 学校テントへ集めれば、子どもたちの動きは一本になる。

 敵の地図に描きやすい線になる。

 

 ジブリールがすぐに声を出す。

 

「集まらない!」

 

 子どもたちは止まる。

 何人かは動きかけたが、隣の子が服を掴む。

 二人組確認。

 名前を呼ぶ。

 近くの大人を見る。

 

 ソフィアが通信で言う。

 

『止まった。何人か動いたけど、二人組で止まった』

 

 新田は息を吐いた。

 

「そのまま。学校テントには集めない。今いる場所で確認」

 

『了解』

 

 敵の地図がまた乱れる。

 一本の線になりかけた子どもたちの動きが、小さな点の揺れへ変わる。

 美しい地図ではない。

 だが、生きている地図だった。

 

 ベニーが画面を見ながら言う。

 

「敵の予測精度、落ちています」

 

 ワイリが補足する。

 

「ただ、学習は続いてる。次は二人組確認を崩す声を出してくるかも」

 

 新田は頷いた。

 

「だから、同じ手順を固定しない」

「次は?」

「三人にするかもしれない。近くの大人を変えるかもしれない。声を使わず、手振りにするかもしれない」

 

 ワイリが感心したように言う。

 

「本当に地図にしにくいね」

 

 新田は冷たく返す。

 

「見世物ではありません」

「ごめん」

 

 ワイリは素直に謝った。

 レヴィが言う。

 

「おいアラタ」

 

 新田は彼女を見る。

 

「何ですか」

「お前、ずっとそんなこと考えてんのか」

「そんなこと?」

「誰が何で止まるとか、誰が誰を追うとか、誰がどの道を嫌がるとか」

「必要なので」

「疲れねえの?」

 

 新田は少しだけ黙った。

 

「疲れます」

「だろうな」

「でも、僕が疲れるのと、子どもたちが死ぬのなら、僕が疲れる方がいい」

 

 レヴィは何も言わなかった。

 ロックも黙った。

 ココも、キャスパーも、誰もすぐには言葉を出さなかった。

 その沈黙を破ったのは、ジブリールだった。

 

『アラタ』

「何?」

『疲れたら、言って』

 

 新田は通信越しに彼女の声を聞いた。

 

「どうして?」

『アラタも、一人で走らない』

 

 新田は目を伏せた。

 それは、彼が子どもたちに教えた言葉だった。

 自分に返ってきた。

 彼は少しだけ笑った。

 

「わかった」

 

 レヴィが小さく言った。

 

「いい部下じゃねえか」

 

 新田は答えた。

 

「部下ではありません」

「じゃあ何だよ」

 

 新田は少し考えた。

 

「一緒に帰る相手です」

 

 レヴィは顔を逸らした。

 

「……そうかよ」

 

     *

 

 夕暮れが近づくにつれ、キャンプの混乱は少しずつ収まっていった。

 完全に安心したわけではない。むしろ子どもたちは、以前より少し疑うようになった。放送塔を見る目が変わった。新田の声を聞いた時も、隣を見るようになった。

 それは悲しい変化だった。

 だが、必要な変化でもあった。

 新田はその両方を受け止めるしかなかった。

 

 ベニーの端末に、最後の更新が入る。

 

「アラタさん」

「何ですか」

「敵のタグが変わりました」

 

 画面には、こう表示されていた。

 

**ARATA CELL / FIRST SQUAD RESPONSE: ADAPTIVE**

 

 アラタ陣営。

 第一分隊反応。

 適応型。

 

 続いて、もう一行。

 

**PAIR CONFIRMATION: OBSTACLE**

**JIBRIL VOICE: SECONDARY TRUST VECTOR**

**NITTA RYOTA: VOICE-MAP LINK / UNSTABLE**

 

 ジブリールの声。第二信頼経路。

 新田良太。声と地図の接続。不安定。

 

 ココが画面を見て言った。

 

「敵は、ジブリールの声を記録した」

 

 新田の顔が硬くなる。

 

「はい」

「そして、あなたの接続を不安定と見た」

「不安定なら、まだ救いがあります」

「なぜ?」

「安定したら、読まれます」

 

 ココは黙った。

 ロックは言った。

 

「教図係は、次にジブリールを揺さぶるかもしれません」

「わかっています」

 

 新田は答えた。

 その声は静かだったが、怒りが含まれていた。

 

「だから急ぎます」

 

 ダッチが地図を見た。

 

「廃測量学校へ行くか」

「はい」

 

 キャスパーが口を開く。

 

「僕の荷が、そこに繋がっているなら」

 

 新田は彼を見た。

 

「あなたも来る」

「もちろん」

「ただし、勝手に交渉しないでください」

 

 キャスパーは少し笑った。

 

「商人に厳しい注文だ」

 

 チェキータが言う。

 

「守りなさい」

「守るよ」

 

 レヴィが肩を回した。

 

「ようやく学校見学か」

 

 ベニーが嫌そうに言う。

 

「廃測量学校です。放送設備と地図装置がある場所です。絶対に嫌な場所です」

 

 ワイリが言う。

 

「声が線になる本番だね」

 

 ベニーは彼を見た。

 

「楽しそうに言わないでください」

「楽しんではいないよ」

「信じられません」

 

 ジブリールが新田の横に来た。

 

「アラタ」

「何?」

「私の声、記録された?」

「たぶん」

「じゃあ、私の声も疑う?」

 

 新田は彼女を見る。

 その問いは重かった。

 だが、避けてはいけない。

 

「疑う」

 

 ジブリールは少しだけ目を伏せた。

 

「うん」

「でも、疑って終わりじゃない」

「うん」

「確かめて、考えて、それから信じる」

 

 ジブリールは小さく頷いた。

 

「疑ってから信じる」

「そう」

 

 新田は廃測量学校の方を見た。

 

 夕暮れの向こうに、古い測量塔の影が見える。

 そこに教図係がいるのか。

 あるいは、教図係が用意した舞台だけがあるのか。

 どちらにせよ、行くしかない。

 

 

 

 

 第一分隊は予測された。

 ジブリールの声も記録された。

 新田の指揮も、不安定な接続として分類された。

 敵は学んでいる。

 ならば、こちらも変わる。

 地図に描かれないために。

 声に縛られないために。

 子どもたちを、点にも線にもさせないために。

 

 新田は静かに言った。

 

「次は、こちらが敵の地図を乱す」

 

 ジブリールが隣で頷いた。

 

「隣を見る」

 

 ロックが続けた。

 

「声を疑う」

 

 レヴィが笑った。

 

「地図通りに歩かねえ」

 

 ココは少し遅れて言った。

 

「そして、見たものを欲しがらない」

 

 ロックが彼女を見る。

 

「本当に?」

 

 ココは薄く笑った。

 

「努力するわ」

 

 新田がすぐに言った。

 

「努力では足りません」

 

 ココは少しだけ目を丸くし、それから笑った。

 

「あなたも、それを言うのね」

「必要なので」

 

 キャスパーが肩をすくめる。

 

「今日はみんな、努力に厳しい」

 

 チェキータが冷たく言う。

 

「当然よ」

 

 廃測量学校へ向かう準備が整う。

 空は赤くなり、川の水は黒く見えた。

 地図の上には、まだ薄い線が残っている。

 敵が描いた未来。

 新田はそれを見て、端末を閉じた。

 

 地図は見る。

 だが、地図にはならない。

 

 

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