Guns & Garlands — 銃と花輪   作:たこ焼き 龍月

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Guns & Garlands II 海に咲く花輪  一章:雨の電話

 

 ロアナプラの雨は、何も洗い流さない。屋根を叩き、窓を濡らし、路地の埃を泥に変え、海に浮いた油膜を薄く広げるだけだ。ネオンは雨粒の中で滲み、赤や青や緑の光が、安酒場の看板から歩道の水たまりへ溶けていく。普通の街なら、雨は少しだけ人を静かにする。傘を開かせ、足を早めさせ、店の明かりを恋しくさせる。だが、ロアナプラでは違う。雨は銃声を少し鈍くするだけだ。怒鳴り声はいつも通り路地を這い、酒場の中では誰かが笑い、港では夜の荷役が続き、どこかの窓からは女の笑い声と男の罵声が交互に漏れていた。この街は濡れても変わらない。ただ、汚れが少し光るだけだ。

 

 ラグーン商会の事務所にも、雨音は届いていた。古い窓ガラスを雨粒が叩き、天井扇は湿った空気をかき混ぜている。煙草の匂い、安酒の匂い、湿気を吸った紙の匂い。仕事が一つ終わった後の部屋には、いつも奇妙な重さが残る。達成感ではない。疲労でもない。終わったはずのものが、まだどこかに引っかかっている感覚だ。

 

 レヴィはソファに寝転がっていた。片手に酒瓶、もう片方の手は腹の上。目は半分閉じているが、眠ってはいない。ああいう時のレヴィは、ただ退屈しているわけではない。身体だけを休ませながら、頭の奥ではまだ銃声の残響を聞いている。本人にそう言えば、確実に怒るだろうが。

 

 ベニーはコンピュータの前に座り、画面の光を顔に浴びていた。目の下には薄い隈がある。今回の騒動で、彼はほとんど撃たなかった。だが、精神的には誰より撃たれたような顔をしていた。ダッチは机の前で、バオから届いた請求書を眺めている。紙束の厚みだけで、イエロー・フラッグの損害と店主の怒りが伝わってくる。ロックは窓際に立っていた。外の雨を見ている。前と同じ街。変わらない街。だが、自分の中だけは少し変わってしまったように思えた。

 

 ポケットの中に、小さな記憶媒体がある。重さなどほとんどない。けれど、それを持っているだけで、自分の立つ位置が変わった気がする。花輪の断片。ココ・ヘクマティアルから預かった半分。正確には、半分という言葉すら怪しい。完全なデータではない。完成版でもない。だが、十分に危険な情報だった。情報は銃より静かだ。張が言った言葉を、ロックは思い出していた。銃は撃てば音がする。だが情報は、音もなく人を動かす。気づいた時には、誰かがどこかで引き金を引いている。

 

「なあ、ロック」

 

 ソファの上から、レヴィの声が飛んできた。

 

「何だ?」

「お前、さっきから雨見て何考えてんだ」

「いろいろ」

「いろいろって顔じゃねえな。もっと面倒くせえ顔だ」

 

 ベニーが画面から目を離さずに言う。

 

「レヴィにしては鋭いね」

「どういう意味だ、ベニー」

「そのままの意味」

「撃つぞ」

「今のは八割冗談だから許して」

「残り二割は?」

「真実」

 

 レヴィが酒瓶を軽く振った。

 

「やっぱ撃つ」

 

 ダッチが煙草を灰皿に置いた。

 

「騒ぐな。雨でただでさえ湿っぽい」

「雨と俺に何の関係がある」

「どっちも気分を重くする」

「褒めてんのか」

「半分な」

 

 レヴィはソファの上で顔をしかめた。

 

「その言い方、まだ残ってんのかよ。白いのがいなくなっても呪いみてえに残りやがる」

 

 ロックは少しだけ笑った。

「感染力が高いらしい」

 

「最悪だ」

 

 ベニーがキーボードを止めた。画面の明かりだけが、彼の顔を青白く照らしている。

 

「感染と言えば、こっちもあまり良くない」

 

 部屋の空気が少し変わった。レヴィが片目を開ける。

 

「何だよ。また花輪か?」

 

 ベニーは黙って画面を切り替えた。東南アジア沿岸部の地図が映る。ロアナプラ、旧通信塔、港湾ノード。いくつかの点には、停止、破壊、沈黙を示す印が重なっている。その先に、海上を示す小さな光点があった。陸地ではない。港でもない。海の上を、ゆっくり動いている。

 ロックは画面に近づいた。

 

「これは?」

「前に見つけた通信ログの残り。花輪のノードを潰した後、一瞬だけ別の中継点が反応した。場所は海上。しかも、少しずつ移動してる」

 

 ダッチが地図を見た。

 

「船か」

「たぶんね。固定施設なら信号が安定する。でもこれは、数秒だけ顔を出してすぐ沈んだ。まるで、こっちに見つかったことを嫌がったみたいに」

 

 レヴィが起き上がる。

 

「つまり、まだ終わってねえってことか」

 

 ベニーは疲れた顔で笑った。

 

「僕は終わったことにしたかった」

「現実は空気読まねえな」

「この街で空気を読んでくれる現実なんて見たことないよ」

 

 ロックは画面の点を見つめた。小さな光。ただの座標。だが、その点の向こうには、まだ見えない意志がある。ロアナプラを実験場にした連中。通信を操り、偽の命令を流し、人間を動かそうとした者たち。彼らは一度失敗した。だが、ロックにはわかっていた。ああいう人間たちは、失敗を失敗と呼ばない。実験結果と呼ぶ。改善点と呼ぶ。損失を数え、ログを解析し、次の計画書を書く。

 

「ダッチ」

 

 ロックは低く言った。

 

「これ、ココは知っていると思いますか」

 

 ダッチはすぐには答えなかった。煙草をくわえ、火をつける。先端が赤く光り、煙がゆっくり立ち上った。

 

「知っているかもしれん」

「半分くらいは?」

 

 ベニーが言った。

 レヴィがうんざりした顔で天井を見上げる。

 

「やめろって言っただろ、その言い方」

 

 ダッチは少しだけ笑った。

 

「ココ・ヘクマティアルが全部を話すとは思わん。だが、全部を知らないとも思えん」

「キャスパーは?」

 

 ロックが聞くと、部屋が静かになった。キャスパー・ヘクマティアル。ココの兄。武器商人。白い妹とは違う種類の笑顔を持つ男。レヴィが煙草を取った。

 

「あいつか。あいつは知ってそうだな」

「どうしてそう思う?」

「知らねえふりが上手そうな顔してる」

 

 ベニーが小さく言った。

 

「それ、意外と当たってるかも」

 

 ダッチは地図の海上座標を見た。

 

「今は動かん」

 

 レヴィが即座に言う。

 

「何でだよ」

「船も人も疲れてる。情報も足りん。相手も見えん。見えない敵を海の上で追うほど、俺は暇じゃない」

「金になるかもしれねえ」

「金になるとわかってから動く」

「慎重だな」

「年寄りは慎重に見えるだけだ。若いころに無茶をして、無茶の値段を知ってる」

 

 レヴィはつまらなそうに酒瓶を振った。

 

「俺はまだ値段を払ってねえぞ」

 

 ダッチはレヴィを見た。

 

「請求書は遅れて来る」

 

 その言葉に、部屋が一瞬だけ静かになった。ロックはポケットの中の記憶媒体を意識した。請求書。自分が持っているこの小さなデータにも、いつか請求書が届くのだろうか。誰から。何の名目で。その時、電話が鳴った。古いベルの音が、湿った事務所の空気を切った。

 ベニーが顔を上げる。

 

「こんな時間に?」

 

 ダッチが電話の方を見る。レヴィはソファから足を下ろした。ロックが一番近かった。彼は受話器を取る。

 

「ラグーン商会です」

 

 返ってきたのは、すぐには声ではなかった。ノイズ。雨音とは違う。海を通ってきたような、ざらついた音。遠くで金属が擦れるような微かな響き。そして、息を殺した沈黙。

 

「もしもし?」

 

 ロックがもう一度言う。ノイズの向こうで、声がした。

 

『ロック?』

 

 若い声だった。短く、硬く、感情を押し殺している。ロックの背筋に冷たいものが走った。

 

「誰だ?」

 

 相手は答えない。代わりに、少しだけ呼吸音が聞こえた。ベニーが立ち上がり、端末に向かう。ダッチは煙草を灰皿に置いた。レヴィは完全に起きていた。

 

『ココに伝えて』

 

 少年の声が言った。

 

「君は誰だ」

『花輪は、まだ咲いてる』

 

 ロックは息を止めた。声は続けた。

 

『白い船を追うな。追えば、海が戦場になる』

「待て。君は――」

 

 通信は切れた。受話器の向こうには、ただノイズだけが残った。ロックはしばらく動けなかった。

 

 ベニーが叫ぶように言う。

 

「短すぎる。逆探知できない」

 

 レヴィが低く聞いた。

 

「何て言った」

 

 ロックは受話器を置いた。そして、ゆっくり言った。

 

「花輪は、まだ咲いてる。白い船を追うな。追えば、海が戦場になる」

 

 部屋の雨音が、急に大きくなったように感じた。

 

 ダッチが言う。

 

「白い船」

「ココの船だろうね」

 

 ベニーが答える。

 レヴィは短く笑った。

 

「観客席、また燃えそうだな」

 

 ロックは窓の外を見た。雨に濡れたロアナプラ。黒い海。その向こうにいる白い船。そして、まだ姿を見せない少年。ロックの胸の奥で、一つの名前が浮かんだ。ヨナ。確証はない。だが、あの声には戦場を知る子供の硬さがあった。銃を嫌いながら銃を持つ者の、乾いた響きがあった。

 

「ダッチ」

 

 ロックは言った。

 

「これは、前の仕事の続きです」

「そうだな」

「俺が持っているものとも繋がっています」

 

 ダッチはロックを見た。しばらく何も言わなかった。やがて、低く言う。

 

「続きだからといって、すぐに引き受けるとは限らん」

「わかっています」

「だが、向こうがうちの番号を知っている時点で、もう半分関わってる」

 

 レヴィが顔をしかめる。

 

「また半分かよ」

 

 ベニーは力なく笑った。

 

「もう諦めたほうがいいかもね」

 

 ロックはポケットの中の記憶媒体を握った。小さな塊。軽いはずなのに、重い。冷たいはずなのに、熱を持っているような気がする。雨はまだ降っていた。ロアナプラの夜は、いつものように終わらない。ただ、闇の先が海へ続いていることだけが、今ははっきりしていた。

 

 同じころ、ロアナプラから遠く離れた海の上で、HCLIの貨物船は南東へ進んでいた。船体は白い。夜の海に浮かぶその白は、清潔ではなく不気味だった。月明かりを受けた船体は、波の上で幽霊のように光っている。甲板では、風が強かった。ココ・ヘクマティアルは、手すりに片手を置いて海を見ていた。白い髪が風に揺れる。ロアナプラはもう見えない。だが、あの街の匂いはまだ残っている気がした。油、煙草、火薬、酒。そして、ロックの問い。

 

 ――あなたは、自分が正しいと思い込むことが怖くないんですか。

 ココはその問いを、まだ捨てられずにいた。レームが甲板へ出てきた。

 

「お嬢」

「何?」

「まだ起きておいでで?」

「眠れないの」

「珍しい」

「そう?」

「ええ。お嬢は寝る時は寝る人ですからな。たとえ隣の部屋で銃撃戦が始まっても」

「それは言いすぎ」

「半分くらいは本当でしょう」

 

 ココは笑った。

 

「その言い方、流行ってるわね」

「お嬢が広めたんですぜ」

「悪いことをしたわ」

「自覚があるだけましです」

 

 ココは海を見たまま言った。

 

「レーム」

「はい」

「ロックは、怒ってるかしら」

「何に?」

「私に」

「でしょうな」

「即答ね」

「怒られるようなことをしましたからな」

 

 ココは少しだけ頬を膨らませた。

 

「ひどい」

「花輪の断片を半分預けて、しかも理由を全部話さずに去った。普通は怒ります」

「普通って便利な言葉ね」

「今回は普通が勝ちます」

 

 ココは小さく笑った。だが、その笑顔は長く続かなかった。

 

「ロックは、私を疑う」

「ええ」

「私が間違えたら、止めようとする」

「たぶん」

「撃つ前に言葉で」

「それは貴重ですな」

 

 ココは手すりを握った。

 

「だから預けた」

「それだけですか?」

「半分」

「またですか」

「残り半分は、私にもまだわからない」

 

 レームは煙草を取り出しかけ、風を見てやめた。

 

「お嬢。わからないものを持ち歩くのは危険ですぜ」

「武器商人の荷物なんて、だいたいそうじゃない」

「違いない」

 

 そこへバルメが来た。彼女はココの背中を見て、少しだけ眉を寄せた。

 

「ココ」

「バルメ」

「船内へ。風が強い」

「もう少しだけ」

「だめです」

「私は子供じゃないわ」

「子供ではありません。でも、危険なものを見ると近づく癖があります」

「海は危険?」

「今夜は」

 

 ココはバルメを見る。バルメの顔はいつも通り静かだった。だが、目は警戒している。敵ではなく、ココ自身を。

 

「バルメ」

「はい」

「私が、自分を疑わなくなったらどうする?」

 

 バルメは迷わなかった。

 

「止めます」

「どうやって?」

「その時に考えます」

「撃つ?」

 

 バルメは少しだけ黙った。そして言った。

 

「必要なら」

 

 ココは笑った。明るい笑顔ではない。だが、安心したような笑顔だった。

 

「ありがとう」

「礼を言うことではありません」

「言うことよ」

 

 その時、船内からマオが顔を出した。

 

「社長」

「何?」

「キャスパーさんから通信です」

 

 ココの表情が変わった。

 

「兄さんから?」

「ええ。妙に機嫌が良さそうです」

 

 レームが小さく言った。

 

「それは悪い知らせですな」

 

 バルメも頷いた。

 

「同感」

 

 ココは楽しそうに微笑んだ。

 

「行きましょう」

 

 通信室の画面に、キャスパー・ヘクマティアルの顔が映っていた。彼の笑顔はココに似ている。だが、ココの笑顔が火を呼ぶものなら、キャスパーの笑顔は金庫の鍵を回す音に似ていた。

 

『やあ、ココ。ロアナプラ旅行は楽しかったかい?』

「旅行じゃないわ」

『派手な観光だったと聞いてるよ。港湾地区、PMC、ホテル・モスクワ、三合会、暴力教会。お前は本当に賑やかな場所が好きだな』

「兄さんほどじゃない」

『僕は静かな商売が好きなんだ』

「静かな商売人は、笑いながら火薬庫の隣に店を出さない」

 

 キャスパーは笑った。

 

『相変わらず手厳しい』

「用件は?」

『花輪』

 

 通信室の空気が変わった。レームは腕を組み、バルメは画面を見る。マオは壁にもたれ、ルツは黙って立っていた。ワイリだけが、少し楽しそうに機材を眺めている。ココは笑顔を崩さない。

 

「どこで聞いたの?」

『武器商人には耳が多い』

「耳だけ?」

『目も少し。鼻もね。金と火薬の匂いには敏感なんだ』

「売り物じゃないわ」

『本当に?』

 

 キャスパーの笑みが深くなる。

 

『お前が“売らない”と言う時は、値段ではなく使い道を考えている時だ』

「兄さんは私を何だと思ってるの?」

『妹』

「それだけ?」

『とても危険な妹』

「よく言われる」

『だろうね』

 

 ココは椅子に座った。

 

「完成版があるのね」

『ある』

 

 短い返答だった。通信室の全員が沈黙する。ココの笑顔が消えた。

 

「ロアナプラで動いていたのは?」

『実験ノードと制御断片。完成版じゃない』

「場所は?」

『移動している』

「船?」

『たぶんね』

「誰の船?」

『それを探すのが、次のゲームだ』

 

 ココは画面を見つめた。

 

「兄さんも狙ってるの?」

『僕は商売人だ。欲しい人間がいて、売れるものがあるなら、興味は持つ』

「私が壊すと言ったら?」

『止めないよ』

「本当に?」

『ただし、壊す前に一度見せてほしい』

「やっぱり商売人ね」

『お互い様だろう』

 

 ココは身を乗り出した。

 

「花輪を作ったのは誰?」

 

 キャスパーは答えなかった。画面越しの沈黙。その沈黙には、答えより多くの意味があった。

 

『一つの国じゃない』

「続けて」

『軍、民間企業、情報機関、財団、武器商人。誰か一人が怪物を作ったんじゃない。みんなで少しずつ餌をやった。責任を薄めながらね』

「名前は?」

『まだ言えない』

「兄さん」

『お前もよくやるだろう? 全部は話さない』

「私は可愛いから許されるの」

『僕も可愛いと思うけどね』

「無理があるわ」

 

 マオが小声で呟いた。

 

「兄妹そろって面倒くせえな」

 

 誰も否定しなかった。

 キャスパーは続けた。

 

『それと、もう一つ。ラブレス家の名前が出ている』

 

 ココの目が細くなる。

 

「ラブレス?」

『南米のラブレス家だ。昔、あの家が整備した旧通信インフラと衛星回線の一部が、花輪完成版の認証に必要らしい』

 

 レームが低く言った。

 

「旧通信権限ですか」

『そう。善意で作った地域通信網が、今では戦争の鍵だ。皮肉な話だろう?』

 

 ココは笑わなかった。

 

「ガルシアは知ってるの?」

『たぶん知らない。だから面白い』

 

 バルメの空気が鋭くなる。ココの声も少し冷えた。

 

「兄さん」

『怒るなよ。僕が仕組んだわけじゃない。少なくとも全部はね』

「全部は?」

『便利な言葉だろう?』

「最低」

『武器商人としては褒め言葉だ』

 

 ココは画面を睨む。

 

「兄さんは、その権限を買う気?」

『買えるならね』

「ガルシアから?」

『彼は若い当主だ。いずれ自分の家の値段を知る必要がある』

「値段をつけられないものもあるわ」

『それは売る側の言葉だ。買う側は値段を探す』

 

 通信室が重くなる。ココはしばらく何も言わなかった。やがて、静かに聞く。

 

「兄さん。本当の目的は何?」

『市場だよ』

「花輪を売る市場?」

『違う。花輪を欲しがる者たちの市場だ。完成版、認証鍵、妨害装置、護衛契約、沈黙、裏切り。全部に値段がつく』

「兄さんは、怪物を檻に入れて売るつもり?」

 

 キャスパーは笑った。

 

『違うよ、ココ。檻の鍵を売るんだ』

 

 ココの表情が消えた。バルメが一歩動く。レームは黙ったまま画面を見る。キャスパーは続ける。

 

『そして、もう一つ』

「まだあるの?」

『ヨナを見かけたという話がある』

 

 その瞬間、ココの顔が止まった。ほんの一瞬。しかし、その一瞬で十分だった。バルメは見逃さない。レームも見逃さない。マオも、ルツも、ワイリでさえも黙った。

 

「どこで?」

 

 ココの声は静かだった。

 

『花輪の移動座標に近い海域だ』

「確かなの?」

『半分くらい』

 

 ココは画面を見つめた。

 

「兄さん」

『怒るなよ。お前が一番よく動く餌だから出しただけだ』

 

 バルメの目が鋭くなる。ココは手を上げて制した。キャスパーは笑っている。

 

『花輪を追うなら、次は海だ。そして南米だ。ラブレス家も、ロアナプラも、HCLIも、ラグーン商会も、みんな同じ輪の中に入る』

「兄さんは何を望んでいるの?」

『商売』

「嘘」

『じゃあ半分は商売』

「残り半分は?」

 

 キャスパーの笑みが、わずかに薄くなった。

 

『家族の問題だ』

 

 通信は切れた。画面が暗くなる。通信室には、船の機械音だけが残った。ココはしばらく動かなかった。やがて、ゆっくり立ち上がる。

 

「進路変更」

 

 レームが尋ねる。

 

「どちらへ?」

 

 ココは海図を広げる。キャスパーから送られてきた座標。そして、南米沿岸。その二つを線で結ぶように、指先が動く。

 

「南東へ。それから、ラブレス家へ連絡を」

 

 バルメが聞いた。

 

「ヨナを探すのですか」

 

 ココは答えない。

 レームが言う。

 

「花輪を追うのですか」

 

 それにも答えない。

 マオがため息をついた。

 

「両方って顔だな」

 

 ルツが静かに言う。

 

「面倒になる」

 

 ワイリが明るく言った。

 

「いつも通りだね」

 

 ココは笑った。いつもの笑顔だった。だが、その奥にある光は、ロアナプラにいた時とは違っていた。戦略。怒り。好奇心。焦り。そして、個人的な痛み。

 

「大丈夫」

 

 ココは言った。

 

「今度は、私たちの番よ」

 

 雨のロアナプラで、ロックはまだ窓の外を見ていた。電話の声は消えた。だが、耳の奥に残っている。花輪は、まだ咲いてる。白い船を追うな。追えば、海が戦場になる。ロックは机の上に置かれた地図を見た。海上座標。南東へ移動する光点。そこから先に何があるのか、まだわからない。だが、一つだけ確かなことがあった。この問題は、ロアナプラだけでは終わらない。

 

 ダッチが言った。

 

「ロック」

「はい」

「ラブレス家へ連絡を取れ」

 

 ロックは振り返る。

 

「ガルシアに?」

「お前からのほうが話が早い」

 

 レヴィが顔をしかめた。

 

「またあのメイドか」

 

 ベニーが小さく呟く。

 

「また花輪か」

 

 ダッチは煙草を吸い、窓の外の雨を見た。

 

「どうやら、また面倒な仕事になる」

 

 レヴィはにやりと笑った。

 

「今度はどこだ?」

 

 ロックは地図を見る。雨のロアナプラ。白い船。南米の古い庭。海の上に咲く、まだ見えない花輪。

 

「南米です」

 

 ロックは言った。

 

「ラブレス家へ行きます」

 

 レヴィは酒瓶を持ち上げた。

 

「最悪だな」

 

 ベニーがため息をつく。

 

「本当にね」

 

 ダッチは低く笑った。

 

「請求書は高くなる」

 

 ロックはポケットの中の記憶媒体を握った。軽い。重い。そして、まだ熱い。ロアナプラの雨は、何も洗い流さない。ただ、次の火種を濡らすだけだ。火は消えない。海の向こうで、まだ花輪が咲いている。

 

 

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