Guns & Garlands — 銃と花輪   作:たこ焼き 龍月

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第二章 古い庭の通信塔

 

 

 南米の空は、ロアナプラの空よりも広く見えた。だが、それは清潔という意味ではない。熱を含んだ風が低い草を撫で、遠くの山並みは白く霞み、空気には湿った土と甘く熟れた果実の匂いが混じっている。ロアナプラの港に染みついた油と鉄と火薬の匂いに慣れた者にとって、それは少しだけ場違いなほど穏やかだった。けれど、穏やかすぎる場所ほど、裏側に沈んだものがよく見えない。ロックは、車窓の向こうに続く緑を眺めながら、そう思った。

 

 ラグーン商会がロアナプラを出たのは、雨の電話から二日後だった。ガルシア・ラブレスからの正式な依頼は、その翌朝には届いていた。内容は簡潔だった。ラブレス家が保有する旧通信権限に関する不審な照会が複数あり、家の周辺で見慣れない人間の動きがある。ガルシア自身は、表向きには「家の資産調査」としてラグーン商会を呼んだ。だが、ロックにはわかっていた。それは資産調査ではない。前の仕事の続きだ。花輪の残り香は、海を越えてラブレス家の古い庭にまで届いていた。

 

 ダッチは依頼を受ける時、長い沈黙を置いた。レヴィは「また坊ちゃんか」と悪態をつき、ベニーは「また花輪か」と頭を抱えた。それでも、誰も本気で断るとは言わなかった。ロックがポケットの中の記憶媒体を握った時点で、この仕事はすでにラグーン商会の机の上に乗っていたからだ。

ダッチは最後にこう言った。

「行くぞ。ただし、今回は護衛だ。戦争を買いに行くわけじゃない」

レヴィは笑って答えた。

「向こうが売ってきたら?」

ダッチは煙草に火をつけた。

「その時は値切る」

 

 ラブレス家の屋敷は、広大な農園地帯の奥にあった。白い壁、赤茶けた屋根、古い石畳、手入れされた庭。大きな門を抜けると、道の左右に背の高い木々が並び、葉の隙間からまだらな光が落ちていた。ロアナプラの路地で身を守るために肩に力を入れて歩く癖が抜けないレヴィは、その明るさに露骨に顔をしかめた。

 

「眩しいな。金持ちの庭ってのは、どうしてこうも人を油断させるようにできてんだ」

 

 助手席のロックが言う。

 

「油断させるためじゃない。たぶん、安心させるためだ」

「同じだろ」

「違う」

「違わねえよ。安心してる奴から先に撃たれる」

 

 後部座席でベニーが小さく息を吐いた。

 

「お願いだから、到着前から撃つ話をしないでくれ。ここはロアナプラじゃないんだ」

 

 レヴィは振り返る。

 

「だから怖えんだよ。ロアナプラなら、誰が胡散臭いか一目でわかる」

「ここでも十分わかるだろ」

「綺麗すぎる場所は全部胡散臭え」

 

 ダッチが運転席で低く笑った。

 

「その理屈だと、世界中の観光地が敵になるな」

「だいたい敵だろ」

 

 ベニーが端末を開きながら言った。

 

「レヴィの旅行レビューは絶対に参考にしたくないね」

「星二つだな」

「何が?」

「まだ撃たれてねえから」

「星の基準が壊れてる」

 

 車が屋敷の前に止まると、玄関前に立っていた少年がこちらを見た。ガルシア・ラブレス。以前より背が伸びている。顔つきも少し変わった。だが、目の奥にあるものは、ロックの記憶にある少年のままだった。優しさと、そこに似合わない重い経験の影。ガルシアは数歩前へ出て、ロックたちを迎えた。

 

「ロック」

「ガルシア」

 

 ロックが車を降りると、ガルシアは少しだけ微笑んだ。その笑顔には安堵があった。だが、その安堵の下に、不安が沈んでいる。

 

「来てくれてありがとうございます」

「依頼だからな」

 

 レヴィが横から言った。

 

「感動の再会って顔じゃねえな、ロック」

「茶化すな」

 

 ガルシアはレヴィを見る。

 

「レヴィさんも、お久しぶりです」

「久しぶりだな、坊ちゃん。また厄介事か?」

 

 ガルシアは少しだけ困ったように笑った。

 

「そうかもしれません」

「そこは否定しろよ」

「否定できるなら、呼んでいません」

 

 レヴィは目を細めた。

 

「言うようになったな」

 

 ガルシアの後ろから、小柄な少女が歩いてきた。ファビオラだ。彼女はラグーン商会の面々を見回し、最後にレヴィの前で足を止めた。

 

「あなたは、相変わらず失礼ですね」

「お前も相変わらず小せえな」

「撃ちますよ」

「お、ロアナプラ式の挨拶を覚えたか」

「あなたにだけです」

 

 ベニーが乾いた笑いを漏らす。

 

「懐かしい空気になってきた」

「俺は懐かしくねえ」

 

 ダッチはガルシアに向き直った。

 

「依頼の詳細を聞こう。ここで話すか、中で話すか」

 

 ガルシアは一瞬だけ屋敷の方を見た。

 

「中でお願いします。ロベルタも待っています」

 

 レヴィの目つきが変わった。

 

「いるのか」

 

 ファビオラが即座に言う。

 

「当然です。坊ちゃまのそばに」

「また面倒な名前が出たな」

 

 ロックはレヴィの横顔を見た。レヴィは笑っている。だが、その笑いは軽くない。ロベルタという名は、レヴィにとってもただの過去ではなかった。ラブレス家の事件は、誰にとっても後味の悪い記憶を残している。守ること、壊れること、戻れないこと。そのすべてが、あの名前に結びついている。

 

 屋敷の中は涼しかった。厚い壁が外の熱を遮り、廊下には古い木と磨かれた床の匂いがした。壁にはラブレス家の歴代当主の肖像が並び、広い窓から庭の緑が見える。屋敷は静かだった。だが、ロックはその静けさをそのまま信じる気にはなれなかった。静かな場所にこそ、静かに準備された危険がある。

 

 応接室に入ると、ロベルタがいた。

 黒いメイド服。眼鏡。整った姿勢。表情は穏やかに見える。だが、彼女が部屋にいるだけで空気が張る。銃を構えていなくても、彼女の周囲には戦場の輪郭が薄く浮かんでいた。ロックはそれを感じた。レヴィも感じている。だからこそ、彼女は軽口を叩く。

 

「よう、猟犬。まだ坊ちゃんの番犬やってんのか」

 

 ロベルタは静かに頭を下げた。

 

「お久しぶりです、レヴィさん」

「相変わらず礼儀正しいな。気持ち悪いくらいに」

「あなたも相変わらず品がありませんね」

 

 レヴィは笑った。

 

「褒めてんのか」

「事実です」

「気が合うな。俺もお前のことは褒めてねえ」

 

 ファビオラが二人の間に割って入るように立った。

 

「ここで揉めるのはやめてください」

「揉めてねえよ。挨拶だ」

「それを挨拶と呼ぶ文化はありません」

「ロアナプラにはある」

「ここはラブレス家です」

「上品だな。吐き気がする」

 

 ガルシアが小さく咳払いをした。

 

「皆さん、座ってください」

 

 ロックはガルシアの声に、以前より少しだけ硬さがあることに気づいた。少年の声ではある。だが、その中に当主としての意識が混じり始めている。自分が場を整えなければならない。自分が話を進めなければならない。そういう緊張がある。

 

 全員が席に着くと、ガルシアは机の上に数枚の書類を置いた。

 

「最初は、ただの資産照会だと思っていました。古い通信設備と、その権利関係について問い合わせがあったんです」

 

 ベニーがすぐに反応した。

 

「通信設備?」

「はい。祖父の代に整備されたものです。農園地帯と近隣の町をつなぐための無線中継施設、災害時の連絡網、あと衛星回線の一部利用権。詳しいことは、僕も最近まで知りませんでした」

 

 ロックが書類を手に取る。古い図面、権利証、設備一覧。スペイン語と英語が混ざっている。ベニーが横から覗き込み、眉を寄せた。

 

「これ、かなり古いけど、権利としてはまだ生きてるね」

 

 ガルシアは頷いた。

「管理会社を通じて維持だけはされていたようです。ただ、実際にはほとんど使われていませんでした」

 

 ダッチが聞く。

 

「それを誰が欲しがっている」

「複数の会社です。表向きは通信事業者、インフラ投資会社、農業支援団体。ですが、調べていくうちに、どれも実体が曖昧でした」

 

 ロベルタが静かに言った。

 

「そして、その問い合わせが始まった直後から、屋敷の周辺に不審な車両と人物が確認されました」

 

 レヴィが笑う。

 

「金持ちの土地に寄ってくる虫にしては、羽音が物騒ってわけか」

 

 ファビオラが鋭く言う。

 

「笑い事ではありません」

「笑ってねえよ。いつもの顔だ」

 

 ベニーは図面をめくりながら言った。

 

「この設備、どこにある?」

 

 ガルシアは屋敷の窓の外を見た。

 

「農園の奥です。昔は通信塔が立っていたそうです。今はほとんど使われていません。管理用の小屋と地下設備が残っているだけだと聞いています」

 

 ロックはベニーを見る。

 

「花輪と関係があると思うか?」

 

 ベニーは唇を結んだ。

 

「関係がないと思いたい。でも、前に見つけた海上中継点のログと、ここの古い衛星回線の形式が妙に似てる。もちろん、今すぐ断定はできない。でも……嫌な偶然だ」

 

 レヴィが言う。

 

「偶然ってのはだいたい高くつくんだろ?」

 

 ダッチが頷いた。

 

「見に行くしかないな」

 

 ガルシアは拳を握った。

 

「僕も行きます」

 

 ロベルタが即座に言う。

 

「坊ちゃま、それは危険です」

「僕の家のことです」

「だからこそ、私が確認します」

「違うよ、ロベルタ」

 

 ガルシアの声は強くはなかった。だが、逃げてはいなかった。

 

「僕の家のものが何に使われようとしているのか、僕が知らないままではいけない」

 

 ロベルタは言葉を止めた。

 ファビオラもガルシアを見た。

 レヴィが小さく笑う。

 

「坊ちゃん、ちょっと大人になったじゃねえか」

 

 ロベルタの視線がレヴィへ向く。

 

「からかわないでください」

「からかってねえよ。半分くらいは」

「その半分を捨ててください」

 

 ロックはガルシアに言った。

 

「行くなら、覚悟しておいたほうがいい」

「何をですか」

「善意で作られたものが、善意のまま使われるとは限らない」

 

 ガルシアの顔が少し曇る。

 

「それは、僕の祖父が間違っていたということですか」

「違う。作った人間が間違っていなくても、使う人間が間違えることはある。道具は、持ち主が変わる」

 

 ガルシアは目を伏せた。

 

「人を守るために作ったものが、人を傷つけることもあるんですね」

 

 ロックはすぐには答えなかった。自分の会社員時代を思い出していた。誰かの便利のためのシステム、誰かの効率のための契約、誰かの生活をよくするための物流。それらが、知らない場所で誰かを追い詰めることもある。善意は免罪符ではない。むしろ、善意だからこそ、使う人間に言い訳を与える。

 

「あります」

 

 ロックは言った。

 

「たぶん、善意で作られたものほど、あとから使う人間に言い訳を与える」

 

 部屋が静かになった。

 その静けさを破ったのは、レヴィだった。

 

「で、行くのか行かねえのか。湿っぽい話してると、俺がカビるぞ」

 

 ファビオラが睨む。

 

「あなたは少し黙っていてください」

「小せえくせに態度はでけえな」

「あなたは大きいのに中身が雑です」

「言うじゃねえか」

 

 ダッチが立ち上がった。

 

「日が落ちる前に見ておく。ガルシア、お前は来るならロベルタとファビオラの指示に従え。こちらの指示にもだ」

「はい」

 

 ロベルタが静かに言った。

 

「私が坊ちゃまのそばにいます」

「当然だろうな」

 

 レヴィが呟く。

 ロベルタは彼女を見た。

 

「何か?」

「いや。鎖が短えなと思っただけだ」

 

 ロベルタの表情は変わらない。

 

「鎖ではありません」

「じゃあ何だ」

「誓いです」

 

 レヴィは一瞬だけ黙った。

 そして、つまらなそうに笑った。

 

「重てえ言葉だな」

 

 通信塔跡へ向かう道は、農園の奥へ続いていた。屋敷の庭を抜け、果樹園を通り、古い作業道を車で進む。道の左右には背の高い草が伸び、遠くで鳥が鳴いていた。日差しは少し傾き始め、緑の間に黄金色の光が差し込んでいる。ロアナプラなら、この時間帯は店が開き、銃と酒と嘘が一緒に動き始める。だがここでは、風が葉を揺らし、土の匂いが深くなるだけだった。

 

 それでも、レヴィは落ち着かなかった。

 

「静かすぎる」

 

 助手席で彼女が言う。

 運転しているのはファビオラだった。レヴィはその横で、窓の外を見ながら不満げに眉を寄せている。

 

「静かなのは良いことです」

 

 ファビオラが答えた。

 

「そう思ってるうちは素人だ」

「あなたの基準では、世界中の平和な場所が素人です」

「平和な場所なんてねえよ。弾が飛んでないだけだ」

 

 後続車では、ダッチ、ロック、ベニー、ガルシア、ロベルタが乗っていた。ベニーは膝の上で端末を操作し、ガルシアは窓の外を見ている。ロベルタは無言で周囲を観察していた。彼女の視線は静かだが、動きは休んでいない。木々、道、斜面、茂み、遠くの小屋。すべてを順番に確認している。

 

 ガルシアが口を開いた。

 

「ここは、祖父が好きだった場所だそうです」

 

 ロックが聞く。

 

「来たことは?」

「小さいころに一度だけ。でも、通信塔のことは覚えていません。庭の奥に古い塔があるとは聞いていましたが、使われていないものだと思っていました」

 

 ベニーが画面を見ながら言う。

 

「使われていない設備ほど、あとで妙な使われ方をするんだ。誰も見ていないからね」

 

 ガルシアは苦い顔をした。

 

「僕たちが放置していたから、狙われたのでしょうか」

 

 ロックは首を振った。

 

「それは違う。狙う人間は、放置されていなくても狙う。隙があれば使うし、隙がなければ作る」

「では、防げないんですか」

「全部は無理だ。でも、気づいた後に何をするかは選べる」

 

 ガルシアは小さく頷いた。

 

「選ぶ、ですか」

「そう」

「ロックは、選べていますか」

 

 不意の問いだった。

 ロックは答えに詰まった。

 ポケットの中の記憶媒体が重くなる。自分は選んだのか。選ばされたのか。ココに渡されたデータを受け取った時、自分は確かに手を伸ばした。だが、それは自分の意思だったのか、それともココの作った盤面に乗せられただけなのか。

 

「まだ、選んでいる途中だと思う」

 

 ロックは言った。

 ガルシアは彼を見る。

 

「途中でも、責任はあるんですね」

「ある」

「厳しいですね」

「ロアナプラでは、もっと雑に来る」

 

 ガルシアは少しだけ笑った。

 

「それは嫌です」

 

 車は古い鉄門の前で止まった。錆びた門には、ラブレス家の紋章が小さく残っている。そこから先は車では進みにくい細い道だった。門の向こうには、丘の上へ続く草道と、その先に折れかけた鉄塔の影が見えた。塔は低い。かつてはもっと高かったのかもしれないが、今は上部が撤去され、支柱だけが空に残っている。周囲には古い管理小屋があり、蔦が壁を這っていた。

 レヴィが車を降り、塔を見上げた。

 

「これが戦争の鍵か? ずいぶん古臭えな」

 

 ベニーも降りて、端末を確認する。

 

「古いから鍵になるんだよ。新しいシステムは監視される。古い権限は忘れられる。忘れられたものほど、誰かが勝手に使う」

 

 ダッチが周囲を見渡す。

 

「誰か来ている形跡は?」

 

 ロベルタが管理小屋の周辺を見た。

 

「あります。最近、人が入っています」

 

 ファビオラが低く言う。

 

「足跡ですか」

「それもありますが、草の倒れ方が新しい。小屋の鍵も、古いものに見せかけて交換されています」

 

 レヴィが笑う。

 

「メイドってのは便利だな。掃除もできて、足跡も読める」

 

 ロベルタは静かに返す。

 

「あなたも多少は読めるでしょう」

「多少な。だが俺は掃除が嫌いだ」

「知っています」

「何でだよ」

「部屋が散らかっていそうです」

「撃つぞ」

「どうぞ」

 

 ファビオラが頭を押さえる。

 

「ここで始めないでください」

 

 ロックは塔を見上げた。古びた鉄骨。蔦。錆。風で鳴る金属音。見た目だけなら、ただの忘れられた設備だ。だが、ロックは前作の通信塔跡を思い出していた。あの時も、古びた施設の中に新しい怪物が眠っていた。人間は古いものを捨てない。捨てたつもりで、どこかに残す。そして、誰かがそれを拾う。

 

 管理小屋の扉を開けると、埃の匂いがした。だが、完全に放置されていた場所の匂いではない。誰かが最近空気を動かした匂いだった。床には古い工具箱、壁には黄ばんだ図面、棚には劣化したマニュアル。奥には地下へ降りる階段があった。

 

 ベニーが端末を見ながら言う。

 

「下に何かある」

 

 ガルシアが緊張した声で聞く。

 

「通信設備ですか」

「たぶん。それと、最近動かされた形跡もある」

 

 ダッチが言う。

 

「レヴィ、先に見るな。ロベルタ」

 

 レヴィがすぐに反応する。

 

「何で俺じゃねえ」

「お前は先に見ると、見たものを撃つ」

「便利だろ」

「今は不便だ」

 

 ロベルタが静かに階段へ向かう。

 

「私が先に」

 

 レヴィが不機嫌そうに言う。

 

「猟犬に先越されんのは気に食わねえな」

「では、後ろをお願いします」

「命令すんな」

「お願いです」

「余計ムカつく」

 

 結局、ロベルタが先頭、レヴィがその後ろ、ダッチ、ロック、ベニー、ガルシア、ファビオラの順で地下へ降りた。階段は狭く、空気はひんやりしていた。壁に触れると湿っている。足元のコンクリートには細かなひびが入り、ところどころ新しいケーブルが這っていた。古い施設に、新しい手が入っている。ロックはそれだけで嫌な予感を覚えた。

 

 地下室は、思ったより広かった。

 かつては地域通信の中継施設だったのだろう。古いラック、配電盤、壁に残る番号札、ラブレス家の古い管理印。そこに、真新しい機材が無理やり組み込まれていた。小型の端末、黒い箱型の装置、仮設電源、複数の接続ケーブル。まるで古い骨格の中に、新しい臓器を押し込んだようだった。

 

 ベニーは一目見るなり、顔をしかめた。

 

「最悪だ」

 

 レヴィが言う。

 

「お前、それ前作から何回言ってんだ」

「回数で最悪が減るなら、いくらでも言うよ」

 

 ロックが聞く。

 

「花輪か?」

 

 ベニーは慎重に近づき、端末を確認する。

 

「本体じゃない。ノードでもない。これは……認証補助のための仮設装置だと思う。古いラブレス家の通信権限を、別のシステムに読ませるための橋」

 

 ガルシアの顔が強張る。

 

「つまり、ここはもう使われているんですか」

「使われかけてる。完全に接続された形跡はない。でも試験はされてる」

 

 ファビオラが震える声で言った。

 

「誰がこんなことを」

 

 ダッチが壁の新しい配線を見る。

 

「それを知るために来た」

 

 ロベルタは地下室の奥を見ていた。

 

「人がいます」

 

 全員の動きが止まった。

 レヴィが笑う。

 

「ようやく客か」

 

 ロベルタが銃を抜く。

 

「奥の部屋。二人。音を殺しています」

 

 ダッチが短く言う。

 

「生かして聞く」

 

 レヴィが不満そうにする。

 

「注文が多いな」

「仕事だ」

「はいはい」

 

 ロベルタとレヴィが同時に動いた。二人の動きはまるで違う。ロベルタは静かで、鋭く、余計な音を立てない。レヴィは速く、荒く、相手が反応する前に距離を詰める。奥の部屋から物音がした。短い声。銃声は一度だけ。すぐに沈黙が戻る。

 

 ロックはガルシアの前に立った。ファビオラも同じように身構える。ガルシアは唇を噛んでいた。守られることに慣れている顔ではない。守られることを恥じている顔でもない。ただ、自分の家の地下で、自分の知らない何かが行われていたという事実に、足元を揺らされている。

 

 やがて、レヴィが奥から顔を出した。

 

「二人。生きてる。ついでに喋りそうな顔してる」

 

 ロベルタが続ける。

 

「武装していますが、所属は不明。身分証は偽装の可能性があります」

 

 レヴィが笑う。

 

「可能性っていうか、偽物だろ。顔がそう言ってる」

 

 ベニーは端末に接続しながら言った。

 

「こっちも急いだほうがいい。外部へ何か送ろうとした痕跡がある。詳細はわからないけど、この施設が生きていることを誰かに知らせる信号だ」

 

 ガルシアが言う。

 

「止められますか」

「止めるだけなら。でも、どこまで送られたかはわからない」

 

 ロックは捕らえられた男たちを見た。二人とも地元の作業員には見えない。服装は地味だが、目の動きが違う。質問に答える前から、何を黙るかを決めている目だ。

 

 ダッチが一人の前にしゃがむ。

 

「誰に雇われた」

 

 男は黙った。

 レヴィが横から言う。

 

「ダッチ、俺が聞こうか」

「聞くな」

「まだ何もしてねえ」

「だから止めてる」

 

 ロベルタが男の持ち物を確認する。

 

「通信端末があります。暗号化されています」

 

 ベニーが顔を上げた。

 

「見せて」

 

 ロベルタが渡す。ベニーは端末を見て、さらに嫌な顔をした。

 

「これ、前に見た形式と近い。ロアナプラのPMCが使ってたものと完全には同じじゃないけど、設計思想が似てる」

 

 ロックが言う。

 

「同じ出資者か、同じ仲介業者」

「あるいは、同じ市場で買った」

 

 その言葉に、ロックはキャスパーを思い出した。

 市場。

 怪物そのものではなく、怪物を欲しがる者たちの市場。

 ココの兄は、すでにこの場所の匂いを嗅ぎつけている。いや、嗅ぎつけたどころか、こちらより早く値段を見ているのかもしれない。

 

 ガルシアが低く言った。

 

「僕の家は、何に使われようとしているんですか」

 

 誰もすぐには答えなかった。

 ベニーが端末の画面を見ながら、慎重に言う。

 

「花輪完成版の認証。たぶん、君の家が昔持っていた通信権限が、古い衛星回線の認証としてまだ生きている。それを使えば、完成版の一部を動かせるかもしれない」

「それは、どんな意味ですか」

 

 ベニーは言葉を選んだ。

 

「鍵だよ。大きな扉を開けるための、小さな鍵」

 

 ガルシアは地下室の機材を見た。祖父の時代の設備。人を守るために作られた通信網。農園と町と病院と避難所をつなぐための線。それが今、誰かの戦争の扉を開ける鍵にされようとしている。

 

「僕は……何も知りませんでした」

 

 ファビオラがそばに寄る。

 

「坊ちゃま」

「知らなかったでは、済まないんですね」

 

 ロックはガルシアを見る。

 

 その顔は、守られる少年のものではなかった。まだ幼さはある。迷いもある。だが、逃げようとはしていない。

 

「済むかどうかは、これから決まる」

 

 ロックは言った。

 

「知らなかったことは罪じゃない。でも、知った後に何をするかは、君の責任になる」

 

 ロベルタが静かに言う。

 

「坊ちゃまにそのような重荷を負わせる必要はありません」

 

 ガルシアはロベルタを見た。

 

「ロベルタ」

「はい」

「それは、僕が決めることです」

 

 ロベルタの表情が止まった。

 ファビオラも息を呑む。

 レヴィが小さく笑った。

 

「言ったな、坊ちゃん」

 

 ガルシアは地下室の中央に立ち、古い機材と新しい装置を見た。

 

「僕は、まだ何もわかっていません。でも、これは僕の家のものです。ラブレス家の名前で作られたものです。それが誰かを傷つけるために使われるなら、僕が知らないふりをするわけにはいきません」

 

 ロックは何も言わなかった。

 言葉を挟む場所ではないと思った。

 ダッチも黙っている。

 ベニーは端末を操作しながら、少しだけガルシアを見た。

 

「いいニュースと悪いニュースがある」

 

 レヴィが即座に言う。

 

「悪い方から言え」

「悪いニュース。この施設の情報は、もう外に漏れてる可能性が高い」

 

 ファビオラが顔を強張らせる。

 

「では、また誰かが来るということですか」

「たぶん」

 

 ガルシアが聞く。

 

「いいニュースは?」

「まだ完全には使われていない。つまり、今なら止められるかもしれない」

 

 レヴィが鼻で笑う。

 

「“かもしれない”か。いいニュースにしては弱いな」

 

 ベニーは肩をすくめた。

 

「この仕事で強いニュースなんて聞いたことないよ」

 

 その時、地下室の古いスピーカーが小さく鳴った。

 全員が一斉に振り向く。

 ノイズ。

 古い回線を通ったような、ざらついた音。

 ベニーが慌てて端末を見る。

 

「待って。これは外部からじゃない。録音? いや、残留ログだ」

 

 ノイズの奥に、短い音声が混ざった。

 

『……認証試験、第一段階。ラブレス権限、応答確認……』

 

 男の声。機械的で、感情がない。

 続いて、別の声。

 

『花輪完成版への接続準備。海上ノード、待機中……』

 

 ガルシアの顔が青ざめる。

 ロックはベニーを見る。

 

「海上ノード」

「例の船だ」

 

 ノイズはさらに続いた。

 

『ラブレス側の承認が得られない場合、代替手段を検討……当主本人への接触、または権限移譲契約……』

 

 そこで音声は途切れた。

 地下室に、重い沈黙が落ちる。

 キャスパーの言葉が、ロックの頭の中で重なった。

 彼は若い当主だ。いずれ自分の家の値段を知る必要がある。

 ガルシアは自分が狙われている理由を理解した。

 

 守られるべき少年だからではない。

 ラブレス家の当主だからだ。

 ロベルタが低く言った。

 

「坊ちゃまには近づけさせません」

 

 レヴィが彼女を見る。

 

「その顔、やめとけ」

 

 ロベルタは返事をしない。

 レヴィは続けた。

 

「また前みてえになるぞ」

 

 ロベルタの目が静かに細くなる。

 

「あなたに言われる筋合いはありません」

「あるね」

「なぜです」

「お前がそういう顔をした時、周りがどうなるか知ってるからだ」

 

 空気が鋭くなる。

 ファビオラが前に出ようとするが、ガルシアが手で制した。

 

「レヴィさん」

「何だ、坊ちゃん」

「ロベルタを責めないでください」

「責めてねえよ。止めてるんだ」

 

 ガルシアはロベルタを見る。

 

「ロベルタ。僕を守ってくれるのは嬉しい。でも、僕の代わりに全部を背負おうとしないでください」

「坊ちゃま」

「これは、僕の家の問題です」

 

 ロベルタは何も言えなかった。

 ロックはその様子を見ていた。ロベルタの中で何かが揺れている。かつて暴走した猟犬は、今も完全に鎖を外されたわけではない。だが、ガルシアの言葉は、彼女にとって命令であり、願いでもある。守ることは、相手の意思を奪うことではない。そのことを、彼女はわかっている。わかっているから苦しむ。

 

 ダッチが場を切った。

 

「長居はしない。ベニー、必要なデータを取れ。危険なものは止められる範囲で止める。ガルシア、この施設は一時的に封鎖する」

 

 ガルシアは頷いた。

 

「はい」

 

 ベニーが機材に向かい、ロックが補助に入る。詳細な操作はベニーに任せるしかない。ロックにできるのは、画面に表示される断片的な情報を読み取り、意味を探ることだけだった。古いラブレス家の権限。海上ノード。認証試験。代替手段。権限移譲契約。契約という言葉が出るたびに、キャスパーの笑顔が浮かぶ。

 

「ベニー」

「何?」

「この“権限移譲契約”って、実際に可能なのか」

「法的には、たぶん可能だと思う。少なくとも、そう見せる書類は作れる。相手が本当に欲しいのは、技術的な鍵だけじゃなくて、後から責任を押しつけられる名義かもしれない」

「ガルシアに署名させるつもりか」

「あるいは、署名したことにする」

 

 ロックは奥歯を噛んだ。

 レヴィが横から言う。

 

「気に食わねえ顔してんな」

「気に食わない」

「書類で人を撃つ連中か」

「そうだ」

「俺より趣味悪いな」

 

 ロックはレヴィを見た。

 

「自覚はあるのか」

「俺は撃つ時は撃つって言う」

「そこがいいと言うべきか迷うな」

「褒めろよ」

「半分だけ」

「お前まで言うな」

 

 作業が終わる頃には、外は夕暮れに近づいていた。地下室の仮設装置は停止し、危険な接続は切られた。だが、ベニーによれば、すでに試験ログの一部は外へ送られていた可能性がある。つまり、相手はラブレス家の権限が使えることを知っている。そして、ガルシア本人がここに来たことも、もしかしたら知ったかもしれない。

 

 地上へ戻ると、空は赤く染まり始めていた。通信塔の残骸が夕陽を受け、長い影を草の上に落としている。古い庭は美しかった。だが、その美しさの下に、戦争の鍵が眠っていた。ロックはその光景をしばらく見ていた。

 

 ガルシアが隣に立つ。

 

「ロック」

「何だ?」

「僕は、どうすればいいのでしょうか」

 

 ロックはすぐには答えなかった。遠くで風が草を揺らしている。ロアナプラなら、こういう時にもきっと銃声か怒鳴り声が聞こえる。だがここには、風の音しかない。だからこそ、言葉が重くなる。

 

「まず、知ることだと思う」

「知ること」

「君の家が何を持っているのか。それを誰が欲しがっているのか。そして、それを渡したら何が起きるのか」

「知れば、選べますか」

「選びやすくはなる」

「正しく選べるとは限らない?」

「限らない」

 

 ガルシアは小さく笑った。

 

「厳しいですね」

「優しい嘘よりは、ましだと思う」

「僕は、守られるだけでは駄目なんですね」

 

 ロックはガルシアを見た。

 

「守られることは悪いことじゃない。でも、何を守るかを決めるのは、君自身だ」

 

 ガルシアは通信塔を見上げた。

 

「僕は、この家を守りたいです。ロベルタも、ファビオラも、ここで働く人たちも。でも、そのために誰かが傷つくなら……僕は何を守っていることになるんでしょう」

 

 ロックは答えられなかった。

 

 その問いは、ガルシアだけのものではない。ココにも、ロベルタにも、ロック自身にも向けられている。守るために傷つける。傷つけないために失う。失わないために、誰かへ代償を押しつける。世界はいつも、綺麗な答えをくれない。

 

 背後でレヴィの声がした。

 

「悩むのは後にしろ。客だ」

 

 全員が振り返る。

 草道の向こう、鉄門の外に、車が一台停まっていた。黒い車。窓は暗く、運転手の顔は見えない。車から降りてきたのは、スーツ姿の男だった。武装しているようには見えない。だが、レヴィは一目で銃に手を近づけた。ロベルタも同じだ。

 

 男は距離を取ったまま、丁寧に一礼した。

 

「ガルシア・ラブレス様ですね」

 

 ガルシアはロベルタに制されながらも、一歩前へ出る。

 

「あなたは?」

「代理人です。ある投資家グループの」

 

 レヴィが小さく笑う。

 

「出たよ。銃持ってないタイプの悪党だ」

 

 男は微笑んだ。

 

「誤解があるようですね。私どもは、ラブレス家の資産保全に関心があります」

 

 ダッチが低く言う。

 

「ずいぶん都合のいいタイミングで来る」

「機会は逃さない主義ですので」

 

 ロックは男を見た。

 

「誰の代理人だ」

 

 男は一瞬だけロックを見る。

 

「まずはラブレス様とお話を」

「ここにいる全員が関係者だ」

 

 男は微笑んだまま言った。

 

「では、皆様にもお聞きいただきましょう。ラブレス家が保有する旧通信権限について、正式な買収提案があります」

 

 ガルシアの顔が硬くなる。

 ロベルタの空気が鋭くなる。

 ファビオラが歯を食いしばる。

 男は黒い革のケースから書類を取り出した。

 

「条件は非常に良いものです。ラブレス家の将来、農園の維持、使用人の生活、地域への投資。そのすべてを保証できる額をご提示できます」

 

 レヴィが吐き捨てる。

 

「綺麗な言葉を並べるほど、裏が臭えな」

 

 男は笑みを崩さない。

 

「言葉が乱暴な方ですね」

「弾よりは優しいだろ」

 

 ロックは男の書類を見た。

 社名は知らない。だが、形式が整いすぎている。整いすぎた書類は、時に銃より危険だ。責任の所在を曖昧にし、善意の名目で権利を奪い、後からすべて合法だったと言い張る。

 ガルシアは震える手を握りしめた。

 

「あなたたちは、この権限を何に使うつもりですか」

 

 男は穏やかに答えた。

 

「地域通信の再整備です。災害対策、農業支援、教育ネットワーク。ラブレス家の理念にも沿うものです」

「花輪という言葉を知っていますか」

 

 ロックが言った。

 男の笑みが、ほんのわずかに止まった。

 それだけで十分だった。

 レヴィが笑う。

 

「ビンゴだな」

 

 男はすぐに表情を戻した。

 

「存じません」

 

 ダッチが言う。

 

「嘘が下手だな」

「心外です」

 

 ロベルタが一歩前へ出る。

 

「お引き取りください」

 

 男はロベルタを見た。

 

「あなたが噂の」

 

 その瞬間、ロベルタの目がわずかに冷えた。

 レヴィが低く言う。

 

「おい、猟犬。乗るな」

 

 男は続ける。

 

「ラブレス家は優秀な護衛をお持ちだ。ですが、時代は変わりました。銃で守れるものには限界があります。情報、権利、契約。これからの戦いは、そういう場所で起きる」

 

 ガルシアが静かに言った。

 

「帰ってください」

 

 男はガルシアを見る。

 

「ご判断は急がれないほうがよろしい。若い当主には、助言者が必要です」

「僕にはいます」

「その方々が、本当にラブレス家の未来を考えていると?」

 

 男の視線がラグーン商会へ向く。

 

「運び屋、銃の使い手、ハッカー、そしてロアナプラの人間たち。彼らがあなたに教えるのは、未来ではなく生き延び方だけではありませんか」

 

 ガルシアはしばらく男を見ていた。

 そして、はっきり言った。

 

「生き延びることを軽く見ている人に、未来は任せられません」

 

 男の笑みが少しだけ薄くなった。

 レヴィが口笛を吹く。

 

「いいねえ、坊ちゃん」

 

 ファビオラが小さく頷く。

 ロベルタは何も言わない。ただ、ガルシアの背中を見ていた。

 男は書類をケースに戻した。

 

「では、本日は失礼します。ですが、申し上げておきます。ラブレス家の権限は、あなたが持っている限り危険を呼びます」

 

 ガルシアは答えた。

 

「だからといって、あなたに渡す理由にはなりません」

 

 男は一礼し、車へ戻った。黒い車はゆっくりと走り去っていく。夕暮れの光の中で、その影は長く伸び、やがて鉄門の向こうへ消えた。

 

 しばらく、誰も動かなかった。

 レヴィが最初に口を開いた。

 

「坊ちゃん、やるじゃねえか」

 

 ガルシアは小さく息を吐いた。

 

「怖かったです」

「だろうな」

「手が震えています」

「震えてても言えたなら上等だ」

 

 ロックはガルシアを見た。

 守られるだけだった少年が、初めて正面から契約の銃口を向けられ、それでも首を振った。銃声はなかった。だが、これは戦いだった。

 

 ダッチが言った。

 

「屋敷へ戻る。今日はここまでだ」

 

 ベニーが端末を閉じる。

 

「データは取れた。でも、解析には時間がいる」

 

 レヴィが言う。

 

「また“最悪”が増えそうか?」

「増えると思う」

「やっぱりな」

 

 ガルシアは通信塔をもう一度見上げた。古い塔は夕陽の中で黒く沈んでいる。祖父の善意で作られたもの。ラブレス家の名で残されたもの。それが今、戦争の鍵として狙われている。

 

 ガルシアは静かに言った。

 

「ロック」

「何だ?」

「僕は、知らないままではいません」

 

 ロックは頷いた。

 

「それが始まりだ」

 

 空の赤が、少しずつ紫へ変わっていく。古い庭に夜が降りようとしていた。だが、その夜はロアナプラのものとは違う。銃声ではなく、契約書と通信ログと古い権利が忍び寄る夜だった。ロックはポケットの中の記憶媒体に触れた。花輪はまだ咲いている。海の上で。古い庭で。そして、人間の欲望の中で。

 

 その夜、ラブレス家の屋敷には灯りがともった。外から見れば、それは静かな名家の夜だった。だが、屋敷の中では、ベニーが地下施設から持ち帰ったデータを解析し、ダッチが警備の線を引き直し、ロベルタとファビオラがガルシアの部屋の周囲を確認していた。レヴィは応接室のソファに座り、酒を飲みながら窓の外を見ていた。

 

 ロックは廊下の途中で、ガルシアと並んで立っていた。

 

「ロック」

「うん」

「僕は、強くなれるでしょうか」

 

 ロックは少し考えた。

 

「強くなるっていうのが、何を指すかによる」

「守られるだけではない人間に」

「なれると思う」

「本当に?」

「もう、なり始めている」

 

 ガルシアは驚いたようにロックを見た。

 

「僕が?」

「あの代理人に、帰れと言った」

「怖かったです」

「怖くても言った」

 

 ガルシアは黙った。

 やがて、小さく言う。

 

「ロベルタは、僕を守ってくれます」

「そうだな」

「ファビオラも」

「ああ」

「でも、僕も二人を守りたい。家も、ここにいる人たちも」

 

 ロックはガルシアの横顔を見た。

 

「なら、まずは知ることだ。何を守るのか。何から守るのか。何を失っても守るのか」

「失うことも、考えなければいけないんですね」

「たぶん」

「大人になるのは、嫌ですね」

 

 ロックは少し笑った。

 

「そうだな」

 

 その時、廊下の向こうからレヴィの声がした。

 

「おい、ロック。ベニーがまた最悪って顔してるぞ」

 

 ロックはガルシアを見る。

 

「行こう」

「はい」

 

 二人が応接室へ戻ると、ベニーが端末の前で青ざめていた。ダッチが横に立ち、レヴィは酒瓶を持ったまま眉を上げている。ロベルタとファビオラもすでに来ていた。

 

 ベニーは画面を指した。

 

「地下施設のログを復元した。例の代理人たちは、単なる買収だけじゃない。すでに海上ノードと接触してる」

 

 ダッチが聞く。

 

「場所は」

「移動中。南米沿岸へ近づいてる。しかも、別の信号が混じってる」

「別の?」

 

 ロックが聞く。

 ベニーは画面を拡大した。

 

「HCLIの船舶識別に近い信号。完全には一致しない。でも、ココの船が近くにいる可能性がある」

 

 レヴィが笑った。

 

「白いのもこっちへ来てるってわけか」

 

 ベニーは首を振った。

 

「問題はそれだけじゃない」

 

 画面には、もう一つの短いログが表示されていた。

 音声ファイル。

 破損している。

 だが、短い再生が可能だった。

 ベニーが再生する。

 ノイズが流れた。

 その奥に、少年の声が混じる。

 

『……ラブレスの鍵を渡すな……海が……閉じる……』

 

 音声はそこで途切れた。

 部屋の全員が黙った。

 ココが追っている少年。

 ロックに電話をかけてきた少年。

 そして、花輪の近くにいるかもしれない少年。

 ロックは、胸の奥が冷えるのを感じた。

 ガルシアが小さく言った。

 

「今の声は……?」

 

 ロックは答えられなかった。

 レヴィが低く呟く。

 

「坊ちゃん。どうやら、お前の庭はもう海と繋がってるらしいぜ」

 

 窓の外では、南米の夜が静かに広がっていた。虫の声が聞こえる。風が木々を揺らす。屋敷の灯りは暖かく、庭は美しい。だが、その美しさの下で、古い通信塔はすでに海上の花輪と結ばれていた。

 

 ガルシアは震える手を握りしめた。

 ロベルタがそばに立つ。

 ファビオラも同じように寄り添う。

 ロックは机の上の地図を見た。ラブレス家。海上ノード。ココの白い船。キャスパーの市場。そして、ヨナらしき少年の声。

 

 すべてが、ひとつの輪になり始めていた。

 

 

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