シスターさんのお秘め事 作:とろみ
昼食の時間も終わり、今は昼休みの時間。
中庭にはアリウス生たちが集まって遊んでいる。
平和にボール遊びをする子たちもいれば、剣呑な雰囲気を出して相撲を取る子たちもいる。
後者は殴りも蹴りもアリのルールなので相撲というには怪しいが、丸く囲った範囲から相手を出したり、地面に手や背を着けさせたりすれば勝ちというルールなので相撲が一番近い。
収容当初は監視役が止めたりもしたが、アリウスでは意見の食い違いや対立が起こった時は銃弾を撃ち込み合って平和に(?)解決していたことを知った後は、やり過ぎない程度でなら、と放置されている。
そんな思い思いに昼休みを楽しむ彼女たちの横を通り過ぎて、その奥にある中庭の端、日陰に設置されたベンチに向かう。
そこには近寄るなと言わんばかりのオーラを垂れ流す少女がいた。
その少女はここに収容されたアリウス生たちのリーダー、つまりはトリニティ生徒会長桐藤ナギサ襲撃を行った大隊の指揮官だ。
彼女はいつもこのベンチで、憂いを含んだ表情をして静かに他のアリウス生たちを眺めている。
「こんにちは」
「……」
彼女へ声をかけると、一瞬こっちを向いて嫌そうな顔をした後、ぷいと顔を反らした。
「また来たのか。飽きもせずご苦労なことだ」
「ええ、また来てしまいました。お隣よろしいですか?」
「だめだ。失せろ」
✚ ✚ ✚
「では失礼しますね」
断ったのにもかかわらず、図々しくもシスターはわざわざ間近に座ってきた。
そいつからふわりと香ったほのかに甘い花の匂いは、毎日温かい風呂に入っているだろうことが分かってなんだか気に食わない。
今のアタシからも似たような匂いがするだろうことは更に気に食わないけど。
「聞きましたよ。食欲が無いから、と言って今日も昼食を食べなかったそうですね。体調が優れないなら仕方ありませんが、何も食べないのも体に良くありません。炊場の方に作っていただいたサンドイッチを持ってきましたので、どうぞ食べて下さい」
シスターが持参してきた大きなカゴを開けると、中にはぎっしりとサンドイッチが詰まっていた。
お好きな物からどうぞ、と言われてもどれが好きかなんて無い。
アタシが黙っているとシスターはサンドイッチを一つ取り出して渡してきた。
みずみずしい野菜と、指に少し力を入れるだけで跡が付いてしまう柔らかいパン。
それはいつか見たアリウスの外から流れ着いたレシピ本に載っていた、あの頃の私たちがいくら望んでも手に入らなかったものだ。
それを受け取って、毒を仕込まれていることを考え半分を千切ってシスターに渡す。
そしてシスターが食べたのを確認してからサンドイッチを口に入れる。
食欲は無かったが、抵抗するのも面倒だった。
✚ ✚ ✚
数十分後。
「お疲れ様です。見事な完食でしたね」
何が見事な完食だ。完食するまで逃す気無かっただろお前。
この女アタシが一つ食べ終わった瞬間に次のサンドイッチか紅茶を渡してきて、そのまま最後まで止める間も無く延々とサンドイッチと紅茶のループを強いてきやがった。
アタシが満腹で食べる速度が遅くなっていっても、このシスターの食べる速度は最初とほとんど変わらなかった。
後半の方なんて半分どころかほとんど千切って渡していたのにもかかわらず、だ。
部下の言うようにこいつは腹ぺこモンスターなのかもしれない。
それも自分だけでなく他人にも大食いさせてくる厄介なモンスターだ。
「……はぁ、いつもいつもこんなことして何になる」
食後の紅茶とやらも飲み終わって、まだ居座るシスターに問う。
ここに収容されてから、アタシが食事を取らない時は決まってこいつは私の所へ来て何かを食べさせてくる。
「あなたが健康を取り戻し、笑顔になればいいな、と思っています」
ニコニコととぼけた笑顔でずれた解答を返してくるシスターにため息が漏れる。
「それは質問の答えになっていない。それとも答えるのが怖いのか?なら代わりに答えてやるよ。こんなことをしても何にもならない。無意味で無駄。お前の下らない自己満足に付き合わされていい迷惑だよ」
毒こそ吐くが、実際は怒る気力も無い。
脱力し、足を投げ出してベンチの背もたれにもたれ掛かると、視界には楽しそうに遊ぶ同郷の連中が見える。
充分な食事を取り、温かい風呂に入り、柔らかいベッドで寝る。
そんな日々を過ごす内、部下たちには活力が沸いていって、前を向くようになった。
でも私は違った。私の内側からは熱が引いていって、下を向いてぼうっとしていることが増えた。
今までは怒りと憎しみがアタシの体を動かしてた。
だけど一度止まった今、再び動くことができなかった。
だって、そこに意味があるとは思えなかったから。
トリニティやゲヘナへの恨みが消えたからじゃない。
ただ全ては無意味だと思ったから。
最近はずっと考えている。何もかも虚しく無意味なのに、なんでアタシの体は動いていたのか。
考えても考えても答えは出ない。
そして考えることにも疲れた時、毎度漠然と『もう遅かった』という感覚が最後に残る。
体の力が抜けて、目を開けているのも億劫になる、やるせない感覚。
その感覚がどこから来たのかなんて考えても虚しいだけなのに、ずっとそのことを考えてしまう。
「『vanitas vanitatum et omnia vanitas』」
それは唱えるだけで何も感じず何者でも無くいられた魔法の言葉だったのに。
呟いてみても、胸を締め付けるその感覚はちっとも引かなかった。
✚ ✚ ✚
「『vanitas vanitatum et omnia vanitas』……心に深く響く、尊い御言葉ですよね」
「ッ……!どこがッ……!」
目の前の女が目尻を下げ、穏やかな様子でその言葉を吐いた時、頭が真っ白になった。
気付くと私は片手でシスターの胸倉を掴み、反対の拳を固く握りしめていた。
でも、引き絞られた腕を開放してコイツを殴る意味も、殴らなかった意味も分からない。
骨から震える体も、早鐘のようになる心臓も何もかも。
理解出来なかった。アタシが何に激昂してしているのか。
唯一分かったのは、頭が真っ白になった一瞬、脳内に浮かんだ記憶があったこと。
外から流れ着いた料理雑誌をいつも持ち歩いていた親友。
ドジで要領が悪く、なんだか放っておけなかった妹分。
死んでいったあいつらのことだった。
「『vanitas vanitatum et omnia vanitas』、その意味をご存じですか?」
「……は?」
胸倉を掴まれているのに一切動じていないこのシスターは、走り寄って来ていた護衛役を後ろに下げ、そのまま話を続けた。
こいつは現状が理解出来ていないのか?
内と外、両方の理解不能なものに呆然とする。
「意味なんて、知ってる。何度繰り返してきたと思ってるんだ。……『全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。』私たちが何をしようと、何を得ようと、何の意味も無い。そういう意味だ。」
口は勝手に動いた。嫌になるほど聞かされた教えは、意識せずともするりと出てきた。
「……なんだ?意味なんか聞いて。そんなことない、なんて言いたいのか?私たちアリウスを弾圧し、迫害した過去の罪を覆い隠し無かったことにしたように!この真理から目を背けるのか!?」
トリニティで何不自由無くのうのうと過ごしてきたお前に何が分かる。
「───いいえ。それは正しくこの世の真理でしょう。今日私が死んでも、明日も変わらず日は昇り、川は流れ、風は雲を運びます。過去はないがしろにされ、辛抱は報われず、願いは打ち捨てられます」
シスターは変わらず穏やかに言う。
知った風な口を、とは言えなかった。
その言葉には黒く濁った粘度のある重みを感じたから。
気づけば胸倉を掴んでいた手を放してしまっていた。
「では、『全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。』とその結論に至った者は、『
「それは……」
それは、なぜ?
分からない。そんなことを考える余裕は無かった。
一呼吸入れて、シスターは言葉を続けた。
「私が思うに、それは世界への『宣誓』だったんです」
「宣誓……?」
「はい。『
───『世界が私たちの全てを無意味だと言っても、私たちはその無意味に意味を見出してみせる』と。
その言葉を聞いた時、頭にガツンとした衝撃が走る。そして何か致命的な焦燥感。
「無意味に意味を見出す……」
呼吸が乱れ、焦点がずれていく。
その言葉、決意にアタシは覚えがある……?
そう思った時、記憶のもやが取れて、小さかった頃の想いを少しずつ思い出してきた。
✚ ✚ ✚
小さい頃、アタシには二人の仲間がいた。家族といっていいほど大切な二人。
いつから一緒にいて、何がきっかけでそこまで仲を深めたのかは覚えていない。
一緒にいるだけで空腹や痛みが軽くなる、そんな関係だった。
でも世界は残酷で、容易く二人の命を吹き消した。
最初に親友が死んで、次に妹分も死んだ。
嫌だった。絶望した。心が暗い袋小路に入り込んだような気持ちになった。
そんな時、人は死んだら全部虚しく消えて、それまでのことは全部無意味なんだって聞かされて。
あいつらが死んだことを認めたら、あいつらの生が無意味だったって認めるような気がして。
そんなの嫌だった。
だから、アタシの中であいつらは生きてるから無意味なんかじゃないってことにした。
でも時が経つにつれて、だんだん声も顔もぼんやりとしか思い出せなくなっていくのが辛くて悲しくてどうしようも無くなっていった。
それは死んだあいつらをアタシがもう一度殺すみたいで、耐えがたい苦痛だった。
やっぱりアタシたちの存在は何の意味も無くて、あいつらの全てはただ虚しく消えるだけなのか、って眠れない日々が続いた。
そしてある日、限界を迎えたみたいにプツンと糸が切れた。
辛いとか悲しいって感覚が麻痺して、何も感じなくなった。
だけど、感じなくなっても、辛さと悲しさは消えたわけじゃなかった。ずっと心の中で行き場のない違和感として残り続けていた。
時折無性に当たり散らしたくなるような苛立ちを伴う、そんな違和感が常にあった。
それから年を重ねていって、いつしかアタシはその違和感を怒りと憎しみなんだと思い込んだ。
偽りの怒りと憎しみはアタシに力をくれて、これまでアタシを生かしてくれた。
代償に、あいつらが生きたことを無意味になんかしないって誓った事も忘れて。
『世界があいつらの全てを無意味だと言っても、アタシはその無意味に意味を見出してみせる』
なんで今になって思い出した?
分からない。
思い出したところでアタシに何ができる?
分からない。
どうやって無意味に意味を見出せる?
分からない。
分からない。
分からない。
✚ ✚ ✚
少しの声も出さず、何の身動きも無いまま、隣に座る少女はうつむいていた。
顔は無表情だが、それは無感情を意味するのでは無い。
溢れだした感情が大きすぎて肉体が追い付いていないのだろう。
地面を見つめる目は少しだけ見開かれ、ここではないどこかを映していた。
私が出来ることは彼女を周囲の目から隠して、そばにいるだけ。
昼休みが終わっても少女はただ静かに下を向いていて、それからしばらくしてようやく、子供らしく、泣いた。