シスターさんのお秘め事   作:とろみ

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20.戒律の譲渡

 眩しいくらいの月明りが照らすD.U.外郭区にある廃墟の屋上。

 秤アツコは一人、遠くに見える寝静まった街を眺めていた。

 

 冷たくも温かい空気をゆっくりと肺に入れ、同じようにゆっくりと吐く。

 穏やかな心もちの中ふと、自由だ、と思う。

 

 アツコを含む特殊部隊アリウススクワッドは、現在指名手配されている。

 ベアトリーチェに命令されてやっていたとはいえ、エデン条約調印式を襲撃し、安寧を壊したテロリストであることは変わりないからだ。

 

 ベアトリーチェの呪縛から解き放たれた今も、ヴァルキューレや各自治区の治安維持組織の目から逃れるため、毎日仕事と次に使えそうな寝床を探し、その日に食べるものも安定しない生活をしている。

 

 けれどこれまでの人生の中で今が一番自由だと感じていた。

 

 そして、こんな自由の中で死ねるなら、それはきっと幸福なことだと思った。

 

「待ってたよ」

 

 わずかに空気がブレたような気がして、背後にそう声をかける。

 すると空間がぐにゃりと歪み、ぼんやりとした人型のシルエットを形作っていく。

 

「驚きました。まさか私の隠匿を看破されるとは」

 

「なんとなく、ね。そろそろ来るんじゃないかと思ってたから」

 

 シルエットは顔がはっきりしない粗い画質の写真のような姿で安定し、粗い姿とは裏腹に丁寧な口調で話しながらこちらに近づいてくる。

 

「久しぶり、モザイク」

 

 そこにいたのはエデン条約調印式のあの日、儀式に手こずっていた私の前に突然現れ、取引を持ちかけてきた正体不明の協力者だった。

 

 彼女が今夜こうして再び私の前に現れた理由は分かっている。

 あの日交わした取引の対価を回収しに来たのだ。

 

「急ぎじゃなかったらさ、少しお話しない?」

 

「構いませんよ」

 

 

 

 

 

✚ ✚ ✚

 

 

 

 

 

「まずは、ありがとう。あの時私を助けてくれて」

 

「礼は不要です。あなたが助かったのはあなたが決断した取引による妥当な結果であり、代償はこれから払うのですから」

 

「ううん、それでもお礼がしたかったの。あなたが取引を持ち掛けてくれなかったら、きっともう家族のみんなとは会えなかった」

 

「……そうですか、ではその礼は受け取ります」

 

「あれ、照れてる?」

 

「……」

 

 私が重ねてお礼を伝えると、無言のまま十秒ほど時間をかけた後にお礼を受けとったモザイクがなんだかおかしかったので少しからかってみると、ジトリとした目を向けられた気がした。

 

「ごめん。そんな怒んないでよ」

 

「……はあ。それで話したいこととはそれだけですか?」

 

「ふふ、うん。ただの私、碇アツコとしての話はこれで終わり。───だけど、もう一つ。『ロイヤルブラッド』として聞きたいことがあるの」

 

 胸の前で、ぱん、と軽く手を叩く。

 すると一瞬のうちに何十もの人影が私とモザイクを囲むように現れる。

 このビルのみならず周囲の廃墟群からも続々と人影は展開され、それらは薄ぼんやりと青白く揺らめきながら、四方八方から私たちに向かって銃口を向けた。

 

「……!ほう、これは……」

 

 モザイクは周囲に突然現れた無数のユスティナ聖徒会を見回し、感心したように声を漏らした。

 

「すごいでしょ」

 

「……ええ、本当に。しかし、今これを見せたということはつまり……、あの時交わした契約を反故にしたい、という意思表示でしょうか」

 

「違うよ。でもこれからする質問の答えによってはそうなるかもね」

 

「この戦力ならば私に勝てる、と?」

 

「そんなことは思ってない。こうして私が伝えたいのは、私があの日よりもずっと『儀式』について理解を深めたってこと」

 

「……」

 

 私の返答ににモザイクは少し考えるそぶりを見せる。

 そして数秒後、モザイクは私の真意にたどり着いた。

 

「……要するに、これからあなたが行う質問に対する私の答えが気に入らなければ、あなたは『戒律』を含むあなた自身の全てを即座に贄として儀式を行う。……そう言いたいのですね」

 

 その推察に私が無言で微笑むと、モザイクが苦虫を噛み潰したような表情をしたのがなんとなく分かった。

 

「じゃあ、質問。この後私から取り出す『戒律』。それを使って何をするのかな」

 

「……それが自身を人質にするほどの質問なのですか?」

 

「うん。あなた風に言うなら、これは義理だよ。数百年の長い月日をかけて『戒律』を私にまで繋いできてくれた先輩たちへのね。それに、さ。あなたにもそのくらいの質問に答えるくらいの義理はあるでしょ?───私と同じ、『戒律』の継承者さん?」

 

 最後に付け加えられた私の言葉を聞いて、モザイクは先程とは比にならないほどに面倒そうなオーラを出した。

 

「血に宿る記憶、ですか」

 

 

 

 

 

✚ ✚ ✚

 

 

 

 

 

 ユスティナ聖徒会を呼び出したあの日。

 多分私は初めて自身が受け継いだ『戒律』についてちゃんと理解をし始めたんだと思う。

 

 ユスティナ聖徒会を顕現させる呼び水としての役割が終わってからも、私は『戒律』について思考を巡らせ続けた。

 

 そしていくつもの疑問が生まれた。

 そもそもとして、私が受け継いだコレはなぜ『戒律』と形容されるのか。

 

 『戒律』を簡単に言えば、破ってはいけない決まりごとだ。

 だが私は生まれてこの方この『戒律』によって何かを強制されたり、反対に何かを阻まれたようなことは無かった。

 

 一体誰が破ってはいけなくて、なぜ破ってはいけないのか。

 なぜ私の血筋だけが継承していて、なぜ継承させ続ける必要があったのか。

 

 神学者がそうするように、私は『戒律』について自分なりに解釈を進め、理解を深めていった。

 

 そうして理解が一定以上に達したある時、血は私にひとつの記憶を見せた。

 

 

 

 

 

✚ ✚ ✚

 

 

 

 

 

 初めに見えたのは、おびただしい数のユスティナ信徒の亡骸と、その前に立ち尽くすユスティナ信徒たち。

 私が喚び出した彼女らとは違いガスマスクを着けていないその顔は、激しい怒りとやり場のない悔しさをにじませていた。

 

 古い時代、魂は今よりもずっと軽率に尊厳を冒されていて、既に死んだはずの人間が都合の良い操り人形として霊体の手駒にされることがあった。

 

 その中でもユスティナ信徒のように霊的な知識と才覚を持った者の死体は、常人よりはるかに狙われた。それは良き素体になったからだ。

 

 そして悪辣な霊体は、自分たちを討滅するユスティナ聖徒会を滅ぼすべく、彼女らの同胞の死体を用いてたびたび攻め込んだ。

 

 対抗するユスティナ聖徒会は、激情を抑えながら同胞の姿をした肉塊を動かなくなるまで攻撃し、死体の山を築く。

 

 目の前の惨状はそういった『よくある光景』の一つだった。

 

 そこから時代は飛び、ユスティナ聖徒会は一つの対抗策を編み出した。

 

 霊体に魂が冒されるのであれば、その前に自分たちの手で魂を冒す。

 先んじて同胞の死後の体と魂を縛り付け、何者にも干渉を許さない。

 本末転倒にも思えるが、彼女たちはそれによって霊体に利用されることを阻止した。

 

 そして、この術を『戒律』と呼んだ。

 

 『戒律』にはそれを守り伝える『奉持者(ほうじしゃ)』が居り、それは『ロイヤルブラッド』と呼ばれる血族であった。

 

 再び時は進み、ユスティナ聖徒会は二つに分かれた。

 ひとつは弾圧されているアリウス派を率いて遠い安寧の地へと導く者たち、もうひとつはトリニティに残る者たち。

 

 二つに分かれるユスティナ聖徒会と時を同じくして、『戒律』もまた二つに分かたれた。

 

 肉体を縛る『威厳』の戒律と、魂を縛る『幽玄』の戒律。

 

 前者をアリウスと共にトリニティを去る『ロイヤルブラッド』の一団が、後者をトリニティに残留する一団が、それぞれ保持・継承をすることとした。

 

 

 

 

 

✚ ✚ ✚

 

 

 

 

 

 

 血が見せてきた記憶の内容をまとめると、つまるところ『戒律』というのは、死後に肉体と魂を利用されないよう、肉体と魂の両方にかけたセーフティロックである、ということだ。

 

 そしてこれと併せて重要なことは、私が物言わぬ体のみのユスティナ聖徒会を顕現させられたように、セーフティロックを持つ者、『戒律』の継承者はそのセーフティを外せるという点。

 

 ユスティナ聖徒会を顕現させたあの日、そして今も感じるモザイクへの妙な親近感からして彼女がもう一つの戒律の継承者なのは確実だ。

 

 であればモザイクが私の持つ『威厳』の『戒律』を手にすれば、二つの『戒律』が揃い、ユスティナ聖徒会が二つに分かたれる以前の完全な戒律となる。

 

 そしてそれが意味するのは、過去に存在した全てのユスティナ信徒の力と知恵を扱えるということだ。

 現代で使うにはあまりに過剰なその力は、使い方を誤ればたやすく世界を混乱に陥れてしまうだろう。

 

 それは『戒律』を作り継承してきた全てのユスティナ信徒の望むことではない。

 

 

 

 

 

✚ ✚ ✚

 

 

 

 

 

「あなたから取り出した『戒律』で何をするか、でしたね」

 

 モザイクは静かに語り出した。 

 

「───魂の加工法。数百年も前に葬られた、冒涜的な外道書の知識。それを手に入れるつもりです」

 

「……なんでそれが欲しいの?」

 

「トリニティ、ひいては世界の安寧のため」

 

「そっか」

 

 手を叩き、周りに展開していたユスティナ聖徒会を消失させる。

 過去の影法師により静かに放たれていた威圧感は霧散し、夜は穏やかさを取り戻した。

 

「……信じるのですか?」

 

 私がすんなりとユスティナ聖徒会を下げたのを見て、モザイクは驚きをにじませながらそう聞いてきた。

 

「うん。そもそもあまり心配してなかったしね。……だって」

 

 目を閉じて記憶の中の光景を思い出す。

 

「……あなたと私はきっと似てるから」

 

 ユスティナ聖徒会が二つに別れたのは内部闘争や意見の食い違いが原因だったわけではない。

 むしろ想いはみな最後まで同じだった。

 

 『大切な人を守りたい』

 

 ただそれを想う相手がアリウスにいたのか、それ以外だったか、それだけ。

 

 アリウス派にいる大切な人を守りたかった。だから付いていった。

 トリニティにいる大切な人を守りたかった、だから残った。

 

 あの日、スクアッドのみんなを引き合いに出されて思わず手が出た私を見て、優しい笑みをこぼしたモザイクの中に、その精神を見た。

 だからこそ、その言葉を信じられる。

 

 

 

 

 

✚ ✚ ✚

 

 

 

 

 

「聞きたいことは終わり……なんだけど、最期に一つお願いしてもいい?」

 

「なんですか?」

 

「事が終わったら私の体はどこか遠くに持っていって欲しい。家族に見られるのはちょっと、恥ずかしいから」

 

「……引き受けましょう。行先はどこか希望はありますか?」

 

 私のお願いを聞いたモザイクは少し間を空けてからそう答えてくれた。

 まさか行先まで指定させてくれるとは思わなかったけど。

 

 だけど、希望……希望する場所か。

 

「じゃあ……、海。海が見えるところがいいな」

 

「……ええ、わかりました」

 

 案外あっさりと私の最期のお願いは聞き入れられた。

 言うだけならタダだし、と思って試しに言ってみて良かった。

 

 これで今度こそ、もう何も言うことは無い。

 

「ありがとう。それじゃあ、どうぞ。持っていって」

 

 両腕を広げながらそう言うと、モザイクは静かに私の間近にまで寄って来て、右腕を真っすぐに前へ突き出した。

 

 モザイクの指はそれぞれが別の生き物のように蠢きながら変形し、同時に真っ白に色が抜けて大理石のようになっていった。

 数秒後、手には無数に枝分かれした木や毛細血管を思わせる赤い紋様が浮かび上がり、指先は剣先のような鋭角を形作った。

 

「それでは契約に則り、あなたの『戒律』を抜き取らせていただきます」

 

 私の胸元にモザイクの手のひらが触れる。

 

 ───悪くない人生だったな。

 

 冷たい指先が胸を貫く感触と共に、そう思った。

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