シスターさんのお秘め事 作:とろみ
消灯時間もとうに過ぎ、鉄格子越しの廊下にある電灯だけが存在を主張する深夜。
梯スバルは目を閉じつつも、その実かけらも眠気を感じないままベッドに横になっていた。
(……この一週間、将来についていろいろ考えた)
その日を生き残ることで精一杯だった私にとって、これまで未来の展望をじっくりと考える暇なんてなかった。
だが生命の保証が成された今では、未来にはいくつもの道があって、多分今からでも歩き出すのに遅くはないのかな、と思うようになった。
この施設、というかあのシスターがメインとして提案してきた建設業や製造業をはじめ、運送業に接客業、農業などたくさんの仕事は、どれも今まで覚えさせられてきた血なまぐさいものより輝いて見えた。
それは多くの後輩たちも同じだったようで、今ではこの施設から出てからは何をしようか、なんて話しながら勉強に励む姿をよく見るようになった。
「こんばんは、スバルさん」
目を開ける。
いつの間にかベッドのそばにはシスター服の少女が立っていた。
「こんばんは、シスターアルマ」
宣言通り一週間前と同じ時間にやってきたシスターに挨拶を返しながら、ベッドから降りて彼女に向き合う。
「答えは決まりましたか?」
自分なりに色々なことを考えた。答えはもう決まっている。
「はい。私を、あなたたちの組織に参加させてください」
「ほう、そちらを選びましたか。理由を聞いても?」
「……報復が怖いからです。私たちはテロを行いました。それも殺意のあるものを。この施設にいる人たちはそんな私たちにも優しく接してくれていますが、外でもそうだとは限りません」
「あなたたちは被害者です。あの大人、ベアトリーチェによって洗脳されていて、そうせざるを得ない立場だった。これが事実です。そしてトリニティ上層部もまたそう判断し、すでに自治区内に通達しています。もし報復などと言ってあなたたちを害そうとする者がいれば、正義実現委員会が阻止するでしょう」
「……」
「当代の正義実現委員会委員長と副委員長はトリニティの中でも有数の人格者です。もしアリウス生が暴徒に襲われたとしても、他トリニティ生と同様、平等に助けると思いますよ」
「……でも、『最優先ではない』。そうですよね?私も正義実現委員会の委員長、剣先ツルギのことは知ってます。あの日突然の混乱の中でも、極めて冷静に先生を退避させる判断をした人ですよね。……だからこそ思うんです。もし私たちを恨む者らがティーパーティとアリウス生を同時に襲撃した時、きっと彼女は冷静に優先順位を決め、アリウス生を後回しにする」
その判断は決して軽蔑されたり責め立てられたりするものでは無いことは分かってる。むしろ当然の判断であり、優秀な指揮官だとも思う。
「少々想定が悲観的過ぎるように思えますが」
「そんなことはありません。だって、私たちがそうだったじゃないですか」
思い出すのはこの頃では遠い昔のようにも感じる、つい最近のこと。
「影で恨みを募らせ、何百年も前の遺恨を口実に、それを知らない者へ刃を突き立てた」
この収容所に来て、トリニティに住む人々は想像していた悪鬼羅刹ではないことを実感した。
私たちのことを知らないフリをしている、と嫌悪していたが、それもズレた感情だったことも今は理解している。
だって現代を生きる彼女たちは本当に知らなかったのだから、知らないフリなんてできようがない。
そんな彼女たちに私たちはお門違いの復讐をした。
計画的に、必ず誰かが傷つくことを願って。
彼女たちからすれば青天の霹靂だっただろう。
きっととても嘆き、恨んだはずだ。
どうして私たちが、と。
何百年も前のことに恨みを持ち続けた人間がいるんだから、数ヶ月前の事件の恨みを持ち続け復讐の機会を待っていてもなにもおかしいことはない。
もし私であれば、身近な者を傷つけられた報復を望む。
あんなことをしておいて今更どの口が言うんだと思われるかもしれないが、私はそれが恐ろしい。
未来に進もうとしている後輩たちが傷つけられるのが怖い。
「そうですか。理由については理解しました。たとえ致命的な事態に至らないとしても、大切な者が傷つけられる可能性が残る以上、その状態を容認することができない。だから我々の組織に加入し、安寧を保証してもらう。実に合理的ですね」
シスターアルマは身勝手な私の意見を、なんとも思っていないかのように飲み込んだ。
「あなたが我々の組織に参加する上でのメリットを目的に参加を望んだのは分かりました。では次にデメリット部分についてのあなたの考えを聞きたいです」
すう、と音も出さないでシスターは私に距離を詰めてくる。
「あなたには大まかに三つのデメリットを話しました。それを聞いた上でその答えを出したのなら、私が確認したいことは一つ。……本当に命を懸けられますか?」
シスターアルマは私の首筋に手を伸ばし、頸動脈へと触れた。
ひたりと添えられたその指は氷のように冷たく、血液の温もりを吸い取り奪っていく。
「目的を達成するのにあなたの命を消費しないといけない場面が来たとして、あなたは殉ずることができますか?」
ゆっくりとした動きで首を掴むように手のひらを当ててくるシスター。
一週間前、あの天使と同期していた時の記憶がフラッシュバックし、恐怖が体を支配する。
「残る者にあなたの大切な者たちを任せ、誰とも知らないトリニティの誰かのため、あなたは命を捨てられますか?」
シスターは私に近づき、続けて耳元でささやく。
「あなたが死んだ後も、残った者たちがあなたに代わりあなたの大切な者を守ると、そこまで信じられますか?未だ心の底ではトリニティを憎んで止まないあなたに?」
「……っ」
ここで恐怖に負けて、玉虫色の答えを返すのは簡単だ。
だが誠実に答え、示さなければならない。
私が目的のために彼女たちへ命を預ける覚悟があることを。
「……それは、完全には信じきれていません。……でも、もし後輩たちがのびのびと未来へ進めるのなら、賭けてみるべきだと思いました」
……彼女が言うように、幼少の頃からの憎悪は今もある。
トリニティとゲヘナを滅ぼせる力がある、と言われただけで高揚してしまうほどに、私の心にこびりついている。
今だってすぐそばにいるこのシスター服の女を突き飛ばして、復讐を叫びたい衝動がある。
……でも。それでも。
「なにより優先されるべきは、あの子たちです。他の誰でもなく」
シスターと目が合った。
前回にも見た、魂まで見透かすような目。
「……あの子たちがいるから、私は生きているんです」
萎縮する体を抑え、逸らしそうになる視線をシスターに合わせたままにする。
「……ふむ。憎しみと不信は今も胸の内で渦巻いている。しかし隣人を思う気持ちはそれよりも上位にあるようです」
一秒が何秒にも引き延ばされていたかのような長い時間の後、シスターは静かにそうつぶやいて、私から離れた。
「いいでしょう。あなたの思想は我々グッドネイバーに参加するにふさわしいと言わざるを得ません」
「っ!それじゃあ」
「───ですが」
私の覚悟が伝わった。そう思った喜びもつかの間、シスターアルマは私の言葉を遮り、言葉を続けた。
「まだあなたは参加する資格があるだけ。あなたが真に我々の一員となるには、まず試験を乗り越えなければなりません。あなたにそれができるかどうか」
「試験……、わ、分かりました。きっとやり遂げてみせます」
「とても厳しい戦いになることは避けられないでしょう。何度も相対し退けてきたベテランですら、憂鬱な表情を浮かべます。どれほどの武勇のある者でも、全く歯が立たず泣き言を漏らすしかできなくなることも珍しくない。あなたがこれまで重ねた研鑽も経験もあまり意味を成しません」
目を伏せ、神妙な面持ちでそう話すシスター。
私が見た範囲だけでもいくつもの摩訶不思議な術を操り、ラッパ吹きの天使を片腕で下した彼女がそこまでいう試験とは何なのか。
「……どんな試験なんですか」
「……内容は教えられません。私にも何が出てくるか正確には分からないからです。ですが、相手しなければならないものの大まかな種類は分かります。心して聞いてくださいね」
「……はい」
生唾を飲み込む。
今まで死が見えるような過酷な訓練を課されるようなことは何度もあった。
そして大抵、そういったことが知らされる時は独特の雰囲気がある。
だが今シスターが発している空気は経験したどの時とも違う異質なもので、その奇妙さに体が変にこわばってしまう。
「あなたが相手しなければならない脅威は一つや二つではなく、その名前は……」
「……!」
「───国語、数学、理科、社会……」
「……ん?あの、ちょっと待ってください」
「はい?なんでしょう?」
「なんかすごく聞き覚えがあるというか、えっとこれって試験の話ですよね?」
「先ほどからそう言ってるじゃないですか。試験ですよ。学力試験です」
「……はい?……なんかさっきすごい恐れられてるとか、敵わないとかって」
「はい。テストは一般的に恐れられてしますからね。」
「あの、こう……試験って戦闘とかするんじゃ……」
盛大な肩透かしを食らって上手く口が回らないままそう言う。
気づけばシスターはこれまでの鬼気迫る空気を霧散させていて、いつも見る穏やかそうな微笑みを見せている。
「もう、スバルさん。いくら我々が得体の知れない組織だからって、いきなり危ない試験を課すと思ったんですか?」
そう言ってくすくすと笑うシスターを見て、ようやく自分がからかわれていたことに気づいた。
「お、思うに決まってるじゃないですか!めちゃくちゃ重苦しい雰囲気出してましたし!」
「ふふっ。間違いでもありませんが、基礎学力もない人員なんて危なっかしくて使えませんからね。まずはしっかりとものの考え方や基礎教養を学んでください。メンバーとしての本格的な試験はそれからです」
開いた口が塞がらない。
思わせぶりなことを言って勘違いさせておいて、この女。
言ってることがまともなだけ反論がしづらいのが余計に腹が立つ。
「しかしそこまで期待してくれていたならなんだか悪いですし、ちょっとした霊的な訓練も同時にしましょうか」
これをどうぞ、と手のひらに収まるくらいの小さな何かを渡してくるシスター。
「えっ、……いいんですか?」
さっきは危なっかしいとか言っていたし、悔しいが私もなんとなくそれには同意していたので突然の方針転換に驚く。
「これは……指輪?」
受け取ったそれは、ゆらゆらと揺らめくような不思議な模様をした紫の宝石がはめられたリングであった。
「はい、それはあなたの訓練用の品です。これからはそれを指にはめてバレないよう生活してください」
「えっと、それって一日中ですか?」
「はい。……ああ、指輪の内側は清潔に保たれるようになっているので大丈夫ですよ」
「いやそうではなく、こんなの常に指にはめてたらボディチェックの時に没収されると思うんですけど」
「その点は心配いりませんよ。適切に力を籠めれば刻まれた透明化の術式が作動するので、他人の目からは見えなくなります。ほら、このように」
シスターが私のはめた指輪に触れると、指輪は感触はあるままに空気へ溶け込むように見えなくなった。
「さあ、スバルさんも試しにやってみてください」
受け取った指輪に力を籠める。
ぐぬぬ……。
いくら指輪をはめた指周りに力を籠めてみても、指輪はシスターが触った時のように透明にはならない。
「あの、力を籠めるってどうするんですか」
「あら、意外ですね。籠める力は割となんでもいいのですが、あなたは……ふむ、呪いとかが合っているでしょう。恨みとか憎しみとかを体に循環させるんです。トリニティやゲヘナへのこなくそーって気持ちを籠めれば行けると思いますよ」
やり方が分からず質問してみれば、シスターは今さっき間接的にトリニティの助けになると言った手前やりづらいことを平気で言ってきた。
……まあやれと言われればやれる。
むしろ考えないようにしても考えてしまうのが私なわけですし……。
多くの後輩たちのように切り替えて考えられない自分に少し嫌気が差す。
「おお、成功しましたね」
いつものように無意識に陰気臭い思考を巡らせていると、いつの間にか輪郭からじわりと姿を消していく指輪があった。
「これが……ん?」
ひとまずの成功に感動した次の瞬間、違和感を覚える。
……なんか、光ってる?
指輪のことではない。それを装着している私の体が光り出している。
時間が経つごとにどんどん光量を増し、なんかかなりカラフルに色も増していっている。
「え、これなんですか。ちょっまぶし」
「はい、今みたいに力を籠めすぎるとですね、装着者の体が光るんです」
「へ?」
「1680万色に」
体の異変に気を取られていた視線を上げると、サングラスを着用して笑うシスターアルマがそこにいた。
「は?……はい!?」
まぶたどころか眼球まで光っていそうなくらいまぶしい視界を戻すため、指輪を外そうとするも指輪はガッチリと指にはまって抜けない。
「この色はミレニアムでは縁起が良い色だそうで、とても人気が高いらしいですよ。身の回りの物は全部この色にする、なんて方もいるみたいです。これでミレニアム生にはモテモテですよ。やりましたね」
「いやどうでもいいですよそんなこと!えっこれどうやって止めるんですか!?」
「しーっ、スバルさん。しーですよ。そんなに声を出したら気づかれてしまいます。」
焦る私にシスターアルマは唇に人差し指を当てて静かにするよう促してくる。
だが彼女がいる時は音を出しても誰にも気づかれないのは前回と今回の邂逅で知ってい───
「早く来て!こっちから声がした!」
「!?」
「ほら、巡回中の正義実現委員会の子たちがやってきちゃいましたよ」
「えっ!?な、なんで」
「もう訓練は始まってますからね。隠匿は解除してあります」
「な……っ、なっ」
「その指輪は注がれた過剰な力を光に変換しているので、適切な量だけ力を籠めるか力を一切籠めないかすれば発光は止まりますよ」
シスターの指示に従って力を弱めようとするが、光は一向に止まない。
それどころか光は増しているような気すらする。
「早くその指輪落ち着かせないと見つかっちゃいますよ?」
にやにやと笑みを浮かべるシスターを無視して、後輩たちの顔を思い浮かべて心を落ち着かせる。
するとようやく発光が収まったので、急いで自分のベッドへ戻り布団を被る。
「あれ?なんともないや」
布団を被って一秒程度で正義実現委員会の少女が部屋をのぞき込んできた。
もしあと一秒でも布団を被るのが遅れていたら見つかっていた。
「どしたの?何かあった?」
遅れてやって来た二人目の少女も続いて部屋をのぞき込む。
「いや……何もない、みたい。でもさっきまですごい光ってたような……」
「光ってた?でも部屋の電気はこっちからしか操作できないよね?」
「あ、いや部屋の光でもなくて、なんかオーロラみたいな感じっていうか……色んな色がぶわーって」
「あー……、あなたやっぱ疲れてるんじゃない?最近働きづめだしさ」
「うっ、そうなのかな……」
「それか幽霊だったのかもね」
「ひっ、こ、怖いこと言わないでよ」
「ごめんごめん。当直長には私から言っとくからさ、今日はもう休みなよ」
「……うん、じゃあそうする」
最初にやってきた少女は訝しげに首をかしげていたが、遅れてやって来た少女に説得され、正義実現委員会の二人組は去っていった。
「行きましたね」
二人組の足音が遠く離れていって聞こえなくなったところで、私と違い隠れるそぶりも見せていなかったシスターアルマは、さっきまでと全く同じ位置から再び姿を現した。
「……訓練が始まっていたのなら伝えて欲しかったんですが」
「ふむ、もしバレていたらその時点で力は取り上げようかと思っていたのですが、よくあの短時間で指輪を制御して隠れられましたね」
「……前回メリットを隠された時から思ってたんですけど、もしかしてあなたって私に諦めて欲しいと思ってます?」
「はい。命の危機が身近にある生活から脱却できたのですから、おとなしくそれを享受すればいいのにと思っていますよ」
「……」
選択肢を与えてきたのはそちらだというのにあんまりな言いぐさだったので、無言で睨みつけてみるも、シスターは特に意に介していない様子だった。
「ああそうだ。試験の期限も決めておきましょうか。……そうですね、一ヶ月にしましょう。一ヶ月でトリニティが実施している試験に合格し、この施設から外出を認められるまでに信頼を勝ち取ってください。無論、その間は指輪のことは誰にもバレてはいけませんよ」
「い、一ヶ月で!?無茶です」
「理外の存在へ道理を通す無茶を成し遂げるのが我々の業務。この程度で音を上げる軟弱者はいりません。もしできなかった時はあなたの力と記憶を取り上げますね」
軽い口調で放たれた言葉だったが、シスターは本気で実行するだろうことが感じ取れた。
「……やる。やってやりますよ!こんな試練、簡単に乗り越えられます!」
「ふふ、その意気です」