シスターさんのお秘め事 作:とろみ
きい、きい、と寂しげに車輪が回る音が薄暗い石造りの空間に響く。
どこまでも続いていそうな通路は頼りない火がぽつぽつと壁に灯るだけであり、時折揺らめく炎はむしろ影をより濃く見せている。
マリーと会ってから半日程後、現在私はグッドネイバーが保有する地下施設の薄暗い廊下を、台車を押しながら進んでいる。
廊下はとても長く、背後の入口はずいぶん小さくなった。
「感情的にならずビジネスの話をしようじゃないか」
「……」
「君も知ってるだろうが、私は多くの金とコネを持ってる。良い取引が出来るさ」
「……」
「私は君たちの戦闘能力を高く評価している。ブラックマーケットで最も厳重な警備を敷いていた私の屋敷を突破し、今こうして私を縛り付けている君たちをね」
「……」
「どうだ?私と手を組まないか?君たちの戦闘能力とブラックマーケットを支配した私の手腕が合わせれば、このキヴォトスを手に入れることも可能だろう」
台車の上から飽きもせずぺちゃくちゃと話しかけてきているのは、キヴォトスに点在するブラックマーケットの内一つを掌握していた反社会的組織のリーダーの獣人だ。
このシェパード顔の獣人は様々な犯罪行為に手を出し、最近だと連邦生徒会長の失踪に乗じて凄まじい量の兵器をそこかしこに卸していた。
間接的にここ数年に起こった裏の世界での争いに全て関わっていると言っていい程の死の商人である。
「ふむ、だんまりか。もしや私のしていたことが気に入らないのか?たしかに少しグレーなこともあったかもしれない。しかしね、上から言うようで申し訳ないが大人の世界では普通のことなんだよ。君や私のように優れた能力を持つ者は上に立ち、凡百の人間はその下、間抜けはその更に下。普通にもなれない愚鈍は何もせずとも落ちていく。無意味な生がせめてでも我々のように優れた人間に尽くせたなら彼らも報われるというものだ」
……こいつ延々とカスみたいな理論をペラペラ話しかけてくるんだけど。昼間のマリーからの落差がすごすぎる。善悪の差が大きすぎて風邪ひきそう。
「そういえば捕まる前ちらりと見えたのだが君は聖職者なのかね?様式から推測するにトリニティのシスターフッドが近いか?どうだ?当たっているか?となると……、もしや私を捕まえたのは社会のため、正義のためだとでもいうのか?ハハッ。高尚なことだが無意味だ。私が消えたところで私がいたところにまた別の者が入るだけだ。いや、私ほど上手く出来るものが後釜に座るとは思えないし、むしろ今より事態は悪化するだろう。そこでだ。元の場所に私を返してくれないか?無事に返すというなら言い値を払うし、その後も持続的に金を回そう。教会なら献金と言った方がいいのかな?」
本当によく喋るなこいつ。この話術で組織を大きくしていたのだろうか。
……いや、違うな。恐怖しているのか。
抑えているようだがよく見れば体が少し震えている。この先にいるものを本能で察しているのかもしれない。
長い廊下の終着点に着き、台車を停める。そこには難解な紋様が刻まれた巨大な門がそびえていた。
私が手のひらをかざすと、重々しい音と共に門はひとりでに開いていき、人が三人ほど通れるくらいの隙間が生まれたところで動きを止める。
門の隙間からは中が闇で満たされている事しか分からない。
「おっ、おい!いい加減何か言ったらどうだ!?一体なぜこんなことをする!?」
恐怖を我慢する限界が来たのだろう。縛り付けられた獣人は台車をガタガタと揺らし、冷静に振る舞う余裕無く唾を飛ばしながら叫ぶ。
それを尻目に開いた門の中へ再び台車を進める。
その間もなぜだ、だとか、どうして、だとか喚いているが……、本当に心当たりがないのかな。
調べてみたら生まれつき罪を罪と認識出来なかったみたいだし、それもしょうがないか。
基本的に根が善良なキヴォトスの住民だが、極稀にこういう救いようのないタイプの悪人がポップする。
そのため発足当初からグッドネイバーは「彼女らの善性がいつまでもそのままであれるよう」という理念に沿って、シスターフッドに在籍する善良なるシスターの目につく前にそれらを秘密裏に処分してきた。
獣人を無視しつつ門の中に入り、50メートルほど進んだところで目的のものが見えてきた。
「
闇に眼が慣れ、台車に寝そべる彼からも見えたのだろう。
幾重にも鎖と縄で拘束された、見上げるほど巨大なシルエット。
体の表面には、古代語や不明な言語で罪名が書かれた古い布が無数に垂れ下がっており、輪郭は歪んでいる。
辛うじて見える枯れ木のように細い手足は人のそれに似ていて、苦悩しひざまついているように畳まれている。
名を『全ての悪を知るもの』。
「や、やめろ。やめてくれ。あんた聖職者なんだろう?こんなことをして……っ!?ヒぃ……ッ!み、見ている……!?オレを……!」
垂れ下げられた古びた布の奥。その存在の視線が自分を捕捉していることに気づいているらしい。
「あ、ああ……!」
男はそれに近付くにつれ静かになり、しまいには言葉を発さなくなった。
体は硬直し、呼吸を忘れ、限界まで見開いた目は虚空の一点に固定され動かない。
台車の車輪だけが変わらず、きい、きい、と泣いていた。
「……ぁ」
視界のほとんどが風化した布で埋まるほどの距離になった時、煤や血が掠れたような跡がある乾いた手がこちらへ伸ばされ、眼前の罪人を覆った。
✚ ✚ ✚
「わぷっ」
数分後、頭上から私の伸長ほどもある大きさの布切れが落ちてきたので受け止める。
表面を見てみると、そこには古語の回りくどい表現で書かれた文章がある。
文章が示すものは次の悪人の情報だ。
人相、居場所、犯した罪。その全てがリアルタイムに変動しながらまとめられている。
ヴァルキューレ警察学校の生徒たちが見たら卒倒するほどの精度。
グッドネイバーの保有する地下施設にこんな霊体がいるのはこの情報のためだ。
基本的に全ての霊体は消滅させたり封印したりするが、能力や特性が有用と判断された霊体はこのように縛り付け利用する場合がある。
『全ての悪を知るもの』の場合は、根源からの悪人を確実に探知出来る能力が有益とされ、何百年以上も前に当時のグッドネイバーの前身組織によって収容された。
よし、情報も受け取ったし帰りますか。と思った次の瞬間、目にもとまらぬ速さで『全ての悪を知るもの』の手が私に向かってきた。
身につけていた霊装が事前に警告してくれていたので、難なく迎撃して迫りくる手を弾き飛ばせたが、出来なかった場合私も先の獣人のような末路になっただろう。
だがこの工程は何度も繰り返されたルーティーン。今更驚くことでもない。
追撃が無い事を確認し、回収した台車と共に来た道を戻る。
門を閉めるまで視線は絶えず私を補足していた。
✚ ✚ ✚
再び、きい、きい、と鳴る車輪の音を聞きながら薄暗く長い廊下を歩く。
「ぅ……ぁ、ここは……?シスター……?」
門から歩き始め長い廊下の中腹あたりに差し掛かった時、台車の上から弱弱しく呻く声がした。
おや、もう起きたのか。
「あなたは暗いところで倒れていたのですよ。何があったか思い出せますか?」
「私は……私は、思い出せない……。私はなにを……?」
「自分のことは思い出せますか?名前や住んでいる所、好きな食べ物などは?」
「分からない……なにも……なにも。でも、なにか……無くなった。すごく、さむい」
少し前まで流暢に取引や賄賂を持ちかけてきた男は、不安げに眉を下げ、覇気を失っている。
これは代償だ。『全ての悪を知るもの』は根源からの悪人を確実に探知出来る能力を持つ。
そして「他人と共感できない心」や「湧き上がる暴力性」といった、人が持つ「悪の機能」と言うべきものを代償に奪っていく。
「悪の機能」を奪われた悪人は、一生埋まらない胸にぽっかりと穴が空いたような喪失感を抱えて生きる事になる。
「ここは冷えますからね。これからあなたを日の当たる場所へと連れて行きます。……ですので安心して眠っていてください」
うなされるように、さむい、さむいと呟く男にそう声をかけた。