シスターさんのお秘め事 作:とろみ
今日は珍しい丸一日休みの日。
それなのに早朝から目を覚ましてしまった私は、軽く身支度を整え観葉植物の世話をしていた。
明日は遅くまで惰眠をむさぼるぞ、と意気込んでいたのに、染みついた習慣のせいで暇を持て余している。
適当にそこらの霊体でも討滅することも考えたが、先日お嬢様な部下に『休まない上司がいると部下は休みを取りにくいんですよね』との旨をお嬢様らしい迂遠で丁寧な言い回しで咎められたのを思い出して止めた。
……気付かない内に嫌な上司になっていた事実にへこむ。
い、いやでも私が出動した方が失費が抑えられる事案が多いし、そもそもグッドネイバー構成員が休みをとるのは霊体に負けないための心身のリフレッシュが主な目的なわけで、休まなくとも私のパフォーマンスはそんなに変わんな───
ピンポーン。
頭の中で繰り広げていた見苦しい言い訳タイムは呼び鈴の音で中断された。
壁に設置されたドアカメラを見れば、そこにはラフな格好をした幼なじみがいた。
✚ ✚ ✚
扉を開けて招き入れると、サクラコは勝手知ったる場所と言った風に迷いなくリビングへ進んだ。
私たちは同じマンションに住んでおり、部屋が隣同士で気軽に行き来ができるため、サクラコはよくこうして私の家にやってくる。
二人いると食事の用意を分担出来て、洗濯物もいっぺんに出来るので私としても中々楽ができていい。
「サクラコも今日は休みなのですか?」
紅茶を出しながら、机に着いた彼女へ質問する。
彼女が共に朝食を取りに来るのは珍しくはないが、シスター服ではないのは珍しい。
サクラコは仕事がある時、必ず身支度を終えてから食事を取る。
つまり楽な恰好をしている今日は休みの可能性が高い。
「はい、今日は休みの予定です。午後からもしかしたら出るかもしれませんが」
「午後から?最近帰りも遅いですし、あまり休めてないでしょう?少し前から妙に忙しそうにしていますよね。何かあったんですか?」
「そうですね、大変なことがありました。そのことについてと、あなたにお願いしたいことについての話があるのですが、いいですか?休みにもかかわらず仕事について話すのは申し訳ないのですが」
「そのくらい構いませんよ」
「ありがとうございます。では話す前にひとつ。この部屋の防諜は済んでいますか?」
「……ちょうど先ほどチェックを済ませましたよ。そう聞くということは何か聞かれてはまずい案件なのですね?」
サクラコは私の質問に無言で頷いた。
高校生の会話にしては物騒過ぎるが、サクラコはトリニティにおいて無視できない勢力の長であり、彼女の動向や弱みを知りたい連中は山ほどいる。
彼女や彼女に近しい人物である私の部屋に盗聴器やカメラが仕掛けられる可能性があるのだ。
ゆえにサクラコが今の立場になってからは、定期的にお互いの部屋にそれらが仕掛けられていないか確認をしている。
「まず先日の一件を端的に言うと、トリニティの生徒会長である桐藤ナギサさんが『アリウス分校』の生徒たちに襲撃されました」
驚いた。話の内容にではなく、それを私に話したということにだ。
生徒会長、言い換えると自治区の長が襲撃されたというのは、日本で例えれば他国に宣戦布告されたどころか先制攻撃されたに等しい。
下手に話が広まれば、トリニティに余計な混乱を招く。
いくら私とサクラコが親しかろうと話すべきではないし、それが分からない彼女でもない。
「襲撃とは……穏やかではありませんね。それに『アリウス』?たしか古い時代、トリニティが統合することになる第一回公会議において唯一反対の立場をとった分派……、でしたか?歴史書で見た事はありますが……今も存続していたのですか?」
「はい。彼女たちは隠れ潜み、ゲヘナやトリニティへ復讐する機会を虎視眈々と狙っていたようです」
「なんと。そうだったのですね。ナギサさんは無事だったのでしょうか?」
「ええ、幸いシャーレの先生率いる補習授業部と私たちシスターフッドの主力部隊により鎮圧は成功し、ナギサさんも無事でした」
「それはなによりです。……大変なことがあったのは分かりました。しかしなぜこの話を私に?一介のシスターである私が知るには過ぎた情報だと思われますが」
「いえ、重要なのはここからです。襲撃してきたアリウスの生徒たちに話を聞いたところ、彼女たちはどうやら洗脳にも近い思想教育を施されているようでした。一般常識すら知らず、学校で教えられていたのは全ては虚しいという思想と戦闘技術くらいだったようです。多くのアリウス生は、任務が失敗に終わった以上帰還したところでもはや死あるのみだ、と全てを諦めていました。現在はシスターフッドや他組織が共同で保護していますが、その心身の状態はかんばしくありません」
そこまで言うとサクラコは一度紅茶を口に含み、これまでより真剣な表情をして改めて私を見た。
「そこで私がアルマにお願いしたいのは、彼女たちアリウス生の社会復帰までのサポートについてです。社会復帰支援において多数の実績を持つあなたの意見を参考にしたいので、彼女たちを訪問し、その上で社会復帰プログラムの草案を提出して欲しいのです」
なんだ、その程度か。
秘匿すべき事を話してまで『お願いしたいこと』があると言うからちょっと身構えていたが杞憂だったな。
「なるほど、それなら私が適任でしょうね。構いませんよ」
「……お願いした私が言うのもなんですが、本当にいいのですか?」
「いいですよ」
「襲撃してきたと伝えたように、彼女たちは少々危険です。そして政治的に火薬庫になりうる立場でもあるので、そういう意味でも危険かもしれません。もちろん護衛や監視は付けられる予定ですが……」
なんだこいつ。
こっちが了承しているのに焦った様子で危険性を説いてくる幼なじみに、思わず呆れたような目を向ける。
「いいと言ってるでしょう。なんです?断って欲しいのですか」
「……その、実は私が真摯にお願いすれば、アルマは大抵のことを受け入れてくれると考えて話したのですが、いざそうもすんなり受け入れてくれると尻込みしてしまったと言いますか……」
らしくもなく小さくなってもじもじと両手の指を擦り合わせるサクラコ。
……上目遣いで潤んだ目をこちらに向けるのは計算してやっているのか?可愛いからやめて欲しい。
「図太いのか繊細なのか分からないこと言いますね……。……はあ。頑固で強情、おまけに笑顔が怖いと評判の幼なじみのことはよく知っています。リスクを負ってまで私にお願いしてきたということは、それでもそれが一番良い手段だと考えたのでしょう。であれば断る必要などありません」
「アルマ……!あなたの信頼に深く感謝します……!」
「はいはい、話が終わったなら朝食にしましょう」
「はい!……あの、先程は感激して聞き流してしまったのですが、もしかして私の笑顔が怖いと評判になっているとか言っていませんでしたか?そんなことありませんよね……?」
「ベーコンエッグとハムエッグどちらにします?」
「アルマ!?な、なぜそっぽを向いて話を逸らすのですか!」
✚ ✚ ✚
食事が始まれば静かになるサクラコの育ちの良さを利用して追及を躱した後、使った食器も洗い終えて、私たちは一息ついていた。
私は『銃・可愛い・青春』という最近ベストセラーになった本を読み、サクラコは本を読む私の髪を結っている。
「アルマ、今日は久しぶりに『聖句暗唱リレー』をしませんか」
心地よい静寂の中、私と自分自身のヘアアレンジを完了させたサクラコがそう提案してきた。
私が了承すると、彼女はその言葉を待っていたと言わんばかりに立ち上がり、すぐに丸椅子を二つ持ってくる。
サクラコは年季が入っていて補修した痕が目立つその丸椅子を、距離を置かず隣同士に配置して、私に背を見せるようにして片方に座った。
続いて私も空いている方の椅子に座ると、一センチしか変わらない伸長もあって、ぴったりサクラコと背中合わせになる。
お互いに長い髪を体の前側に移しているので、背面がじんわりと温かい。
「前回最後の一節まで終えたのでまた最初から始めましょう。順番はアルマからです」
この状態で喋られると音の震えが背中越しに伝わってきてくすぐったい。
「……ええ、では始めますよ」
目を閉じる。見えないがサクラコも同様に目を閉じているだろう。
「『初めに、人は神の御許にあり、その光を浴びていた。』」
「『あるとき、神の御足に影を見出し、人はそれに惹かれた。』」
「『近づくほどに、内の泥が足を絡め、人は膝をついた。』」
「『泥は人を支配し、ついに頭を垂れさせた。』」
「『泥は人を地へと引きずり落とし、虚空の闇に満ちるその場所で、人は楽園を失ったことを知った。』」
経典の一節を私が諳んじ、その次の一節をサクラコが諳んじる。
交互にこれをこなしていき、思い出せないところがあれば教え合ったり一緒に経典を確認したりする。
確かずっと小さな頃、経典を覚えたいサクラコの提案で始まったこの遊びは、今になっても続けられていた。
もう二人とも思い出せない一節など無いが、発声や読み方の鍛錬としてちょうどいいのもあって、休みが被った時はたびたびこうしている。
「『彼は、地の虚空に満ちる闇に怯え、神の光を求めた。』」
「『しかし、神は語り給いぬ。『汝は何者ぞ』と。』」
「『彼は、その声に答えられず、自らの背後に広がる影を見た。』」
「『それは、地の闇にあらず、彼自身の影であった。』」
「『神は再び語り給いぬ。『汝は我の愛し子なり』と。』」
「『彼はその御声に触れ、初めて自らの影の深さを知った。』」
「『そして、その影の奥底に、一筋の光を見出し、再び立ち上がる力を得た。』」
✚ ✚ ✚
あれから経典の区切りのいいところまで進め、今回の聖句暗唱リレーは終了した。
声の抑揚や聞き取りやすい発音を意識すると短い文を暗唱するだけでも案外体力を使うもので、少しの休息を取った後、現在は机にノートやプリントを広げ宿題をしている。
トリニティ総合学園はいわゆるミッションスクールであり、キリスト教っぽい教えを学ぶことを目的とした学校という側面もあるので、宿題には経典に関する内容もある。
経典の一節や章について考えを書くだとか、経典に登場する人物についてレポートをまとめよ、だとかだ。
日ごろから経典は飽きるほど見ているので、さほど時間もかからず宿題は全て終わった。
これで今日中にやるべきことはもう特にないし、夜までちょっと凝ったお菓子でも作って過ごすのもいいかもしれない。
だが、なんとなくノートや筆記用具を片づける気が起きなかったので、未だ真面目にレポートをこなしているサクラコを横目に経典のページをぺらぺらと捲り、流し見をする。
……『キリスト教っぽい』と形容したように、キヴォトスの経典は私の知っている聖書とは様変わりしている。
キヴォトスの経典には天使や悪魔がほとんど記載されていない。正しくは『超常的な存在』としての天使や悪魔がほぼ出てこない。
故に人はヘビに誘惑されず、神は外部の悪を討滅するのではなく、人の心に潜む悪から人を救うように描写される。
それ以外にも多数の記述が穴空き状態であり、正典のみならず儀典や外典についても同様の状態。それどころか一部は明確に差異のある記述もある。
何故そうなっているのかは、はっきりとは分からない。
天使や悪魔といった存在が種族としてあるからなのか、それともこのキヴォトスという特殊な土地のせいなのか。
「アルマ?どうされました?」
ぼんやりと経典を眺めていると、それを不審に思ったのかサクラコが声をかけてきた。
「いえ、何となく見ていただけです。なんでもありませんよ」
開いていた経典をぱたりと閉じる。
内容が変わっていたとてどうでもいい。
この穴空きの状態でも霊体討滅で役に立ち、救われる誰かがいる。それ以上は求めていない。