シスターさんのお秘め事 作:とろみ
「腹ぺこだ!腹ぺこが来たぞ!」
のこぎりを手に木製の椅子を作っていた少女が作業を中断し、ガラス窓の向こうへ指をさしながら周りの子に知らせるように声を出した。
「え?あっ、ホントだ。腹ぺこ来てる。じゃあもうご飯?」
「またシチューがいいな。あのお肉がいっぱい入ったやつ」
その声に反応してか、部屋の中にいた他の少女たちも作業の手を止めて話し始めた。
口々に腹ぺこ腹ペコと言っているが、その声音に悪意や敵意はない。
彼女たちは『アリウス生』。その名の通りアリウス分校の生徒にして、トリニティ生徒会長襲撃事件の実行犯である。
現在はここ、アリウス生収容所にて監視付きで生活している。
「あの、アリウス生が何か言っているようですがあれは……?」
騒いだことで監督官に怒られているアリウス生たちを、ガラス越しに見ながら私へそう問いかけてきたのは、サラサラした濡羽色の長い髪と吸い込まれてしまうようなダークレッドの瞳が特徴の少女。
彼女は羽川ハスミ。
今回アリウス生収容所に訪問してきた私の護衛と監視、政治的な事情による牽制を兼ねて正義実現委員会から派遣されてきた少女だ。
まあ政治的な側面ではそうというだけで、クラスメイトでもある彼女と私の間には特に確執も無い。
「以前から彼女たちの食事の毒味をしているので、そこから付けられたあだ名なのです」
木工室が見える廊下にて、作業するアリウス生を共に見学している彼女を見上げてそう伝える。
彼女とは同学年なのだが、身長差があるため結構視線を上げなければ目を合わせられない。
……人の身体的特徴に対しあれこれ言うのは失礼なのだが、彼女に会う度大きいなぁ、と思う。
何が大きいのかと言えば、全部である。
彼女は180センチを超えようかというほどに長身で、腰から生える艶やかな黒い翼は人を五、六人いっぺんに包み込めるほど巨大。
それ以外にも大きい。具体的にどことは言わないが大きい。
私自身かなり大きい方だが、彼女の隣にいる時は普通サイズに見えるくらいだ。
それでいて腰はきゅっと締まっているので、凄まじいスタイルをしている。
そんな大人顔負けのとんでもない色気を出している彼女であるが、高校生らしい一面もある。
「『腹ぺこ』と言われていたのはハスミさんではありませんので、あまり気にしないでください」
「な、なんのことですか?き、気にしてなどいませんよ?」
誤魔化しているが、腹ぺこという単語を聞く度彼女は肩を小さくぴくんぴくんと跳ねさせていた。
理由は分かっている。彼女はなんというか、よく食べるのだ。それも甘いものをたくさん。
腹ぺこという単語に反応するのも、それを自覚し乙女らしく恥ずかしがっているからなのだ。
しかし日頃から広大なトリニティ自治区のパトロールに犯罪者の捕縛とで多い運動量に加え、年齢に伸長なんかも踏まえるとそこまで逸脱した食事量という訳でもない。
彼女は本当に幸せそうに食べるので、私としては存分に食べればいいと思っている。
いや、まだ子どもなのだからむしろもっと食べるべきとすら言える。
「普通に成長期でしょうし良いと思いますよ」
「だ、だからなんのことですか。私のお腹を見ながら話すのは止めてください」
「美味しいスイーツ店を見つけたので、今度一緒に行きましょうね」
「……い、行きません。今はダイエット中なので……」
「でもすごく美味しかったんですよ?」
「それは、うっ、しかし……」
「低糖質のメニューもたくさんありました」
「えっ。い、いえ、そんな誘惑には……くっ、うう。ちょっと、ちょっとだけなら……問題ない、でしょうか……?」
おっ、ハスミさんの『ちょっと』が出たな。もう一押しだ。
「ダメ、でしょうか……?いつもハスミさんには助けられてばかりなので、ぜひご馳走したいと思っていたのですが……」
「そ、そこまで言われたなら……仕方ない。そう、これは仕方ないですよね!」
ぶつぶつと自分に言い聞かせるように仕方ないと連呼するハスミさん。
「では後でスケジュールを送りますので、アルマさんの予定が合う日を教えていただけると……」
「はい、楽しみにしていますね」
我が方の勝利。今回も無事ハスミさんのスイーツフードファイト最前列観戦席を予約成功である。
ふふふ、いっぱい食べさせてやりますからね。
✚ ✚ ✚
ハスミさんと次の休みの予定を決めた後もしばらくアリウス生たちの木工作業を見学し、現在私たちは食堂にいる。
この後にある昼食の様子を確認するため、一足先に食堂へ到着したかったからだ。
今は食堂で長机や椅子を用意して、それらの除菌作業をしている最中だ。
「安心しました」
除菌シートを持って共に手伝ってくれていたハスミさんがそうつぶやいた。
「何がですか?」
「彼女たちの……、アリウス生たちの様子にです。最初に社会復帰プログラムの全容を見た時、私には驚きと不安がありました。なにせその計画はほとんど凶悪犯罪者への対応と変わらないように見えたからです。プライベートもないほど厳重な監視、厳格な日程、強制労働。それぞれの事柄に対しそうすべき理由もあったとはいえ、やりすぎなのでは?と感じていました。本音を言えば、計画立案者のアルマさんは何か政治的な圧力をかけられたのではないかと疑いもしました」
「それは……まあ、疑うのも無理ありません。実際今行われているプログラムの日程や監視については、ヴァルキューレ警察学校の矯正局で使われているものを参考にしている部分が多々ありますからね」
社会復帰支援と言っても解決すべき課題は多すぎた。
栄養補給を急務とし、脱走や自傷行為の阻止、基礎教育、その他諸々。
それらを全て一挙に叶えるには彼女たちのプライベートを奪ってでも監視を付ける必要があった。
「今日まで別件がありここには来れず、アリウス生たちの様子は部下から報告で聞いていたのですが、直接この目で見て胸を撫で下ろしました」
ハスミさんは作業の手を緩めず、除菌中の机から視線を離さないままかすかに微笑んでそう言った。
……すごいな。キヴォトスの生徒たちの善良さには未だ驚かされる。
それほどまでに彼女たちの境遇を案じていたのか。
酷い洗脳教育を施されていたことによる心神耗弱、責任能力の欠如があったとはいえ、アリウス生が行ったのはクーデターへの加担と殺人未遂だ。
ここキヴォトスにおいて銃弾程度で人は死なない。『うっかり』や『そのつもりなく』で人を殺すことはまず起こり得ない。
したがって明確な殺意と殺人に対しての十分な知識が無ければ人は殺せない以上、未遂ではあるが殺人を企てた者は異常者であり唾棄すべき存在だと見るのが普通だ。
冷静に吟味し、彼女たちもまた被害者だった、と結論付けるのは難しい。
けれど目の前の羽川ハスミやサクラコをはじめとして、この件に関わったトリニティ上層部はそのほとんどが彼女たちに救いを与えるべきだ、と判断した。
これは本当にすごい事だと思う。
その判断は敬愛すべき善性が彼女たちに宿っているという証左なのだから。
「……さて、机と椅子のセッティングはこれで十分でしょう。後は食堂担当の方に任せ、私たちは後方の席で見守りましょう」
✚ ✚ ✚
それから十数分後、持ち物検査を終えたアリウス生たちが次々と食堂に入ってくる。
その中には木工室で作業していた子たちもいた。
「シチューの匂いがする。腹ぺこ、頼んでくれたの?」
「いいえ、今日のメニューには元々シチューが入っていたようですよ。あなたの日々のがんばりを天が見てくれていたのでしょう」
「やった。じゃあまたね」
シチュー好きの小柄な少女はそう言うと、私に緩く手を振って席に向かっていった。
他にも何人かが席に着く前に一言二言言葉を交わしに来た。
どの少女も線が細く、トリニティにいる同年代の少女に比べると全体的に痩せている。
少し前まで食の好みどころか、どんな食材があるかも彼女たちはろくに知らなかった。
席に着いて、複数あるメニューから今日は何を食べようか、あれに挑戦してみようかな、なんて話し合っているアリウス生たちを見る。
アリウス生は4人一チームで動く事が多かったらしく、チームではそれぞれ意識的にか無意識的にか、戦術的な役割以外に精神的な役割もあった。
縁の下の力持ちな頼れる子、ムードメーカーになっている子、まとめ役の子。
そういった子たちは率先して色々な食べ物に挑戦することで、他のアリウス生たちが食事を取る橋渡しをしてくれた。
「アルマさん、アリウス生が一人こちらに向かってきています。どうしますか」
ハスミさんの視線の先を見ると、他のアリウス生がみんな席に着いて食事を取っている中、食事が乗ったトレイを持って、わざわざ食堂の後方にいる私たちに向かって来る少女が一人いた。
「ああ、警戒せずとも大丈夫ですよ」
こちらに来る彼女はアリウス生の中でもムードメーカーの役割を持っている子で、自らが出された食事に口を付けることで、他のアリウス生たちが食事を取るきっかけになってくれた少女だ。
「あ、あの!シスター様、こんにちは!」
「はい、こんにちは。どうされました?」
「ど、毒味を!毒味をお願いします!」
「分かりました。では失礼しますね」
事前に用意していた食器を取り、速やかに毒味を行う。
私が食堂にいる理由の一つがこれだ。
幼少期から敵だと教え込まれたトリニティ側の人間が出す食事に不安な者は多い。
その不安が栄養補給の妨げにならぬよう、プログラムが開始したその日から私は毒味係としての役割も担っている。
収容所が始動して最初の一週間くらいはお腹がパンパンに膨れ、帰りの検問で毎回お腹に何か隠してないかチェックされるほど毒味した。
ハスミさんに説明したとおり、私が腹ぺこと呼ばれるようになった原因でもある。
「シスター様!そちらのスプーンではなく私のを使って下さい!」
「え?ええ、分かりました」
彼女に渡された食事を小皿に移し、スープを自分のスプーンで食べようとしたところで止められた。
確かにスプーンに毒が塗られていたら危ないな。
機嫌を損ねないようすぐに彼女の指示に従う。
それでもあまり口を付けないよう最小限の接触で済ませる。
「だ、だめです……!そんなものでは……!もっと深く……!奥まで咥え込んで……!」
彼女は落ち着かない様子で頬を上気させ息を荒げさせていく。
……毒味の話だよね?
なんか目もキマってるような気がするんだけど。
……いや、安易に疑ってはいけない。
彼女はきっと最初期の頃と同じく道化を演じておどけているだけだ。
私も無心で役目に徹しよう。
「あ、ああ……!そのなまめかしい唇で挟んで……っ!」
「……」
い、いや。彼女を特殊なタイプの変態だと断定するにはまだ早い。
ろくな娯楽を知らなかった彼女たちは、与えられた漫画や雑誌に強く影響されていた。
『かまぼこ突風伝』という忍者漫画を気に入った一人のアリウス生は、作中に出てくる忍術の印を真似て忍術の練習をしていたし、目の前でビクビクと体を跳ねさせ始めた彼女もきっと何かに影響されただけ……、だと信じている。
……よし、全ての皿の毒味は終わった。
「毒味は終わりました。冷めない内にどうぞ」
「こ、これもお願いしますっ!」
差し出されたのは料理ではなく、箸にフォーク、二本目のスプーンにレンゲ。
備え付けのカトラリーだ。
「……これは?」
「こっ、こちらにもどうかっ!あなたの熱いキッスを……っ!」
「………………」
替えの新しいスプーンを返した。
✚ ✚ ✚
「あ、あのようなことは結構あるのですか……?」
毒味を頼んできたアリウス生も去りしばらくして、隣で放心していたハスミさんは立ち返って質問してきた。
「あそこまで特殊なのはそうそうありませんが、程度の差こそあれよくあることではありますね」
「あっ、そうなのですね……。その、助けを呼んでもいいのではないですか……?私も力になりますよ……?」
ハスミさんは先ほどの異様な状況に気圧され、後半ほとんど腰が引けていた。
私も日頃から相談という名目で、部下から特殊嗜好を聞かされ続けて耐性を付けていなかったら危なかった。
「いえ、大丈夫ですよ。あれは他人への甘え方が分からないだけでしょう。これまで普遍的な優しさに触れられなかったため、加減が分かっていないのです。厳しい環境に身を置いていた方にはよく見られるコミュニケーションですね」
「……なるほど、そうだったのですね。勉強不足でした。私はてっきり彼女は特殊なタイプの変態なのかと早とちりしてしまいました。初めて見る数式が解けないように、初めての事に戸惑っているだけなのですね」
「ええ。これから様々な知識や人と出会っていけば、自然と治まることでしょう」
「一日でも早くその時が来ればいいですね」
「はい、そう願うばかりです」