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銀月の庭を後にしたラフィアーナとコロンビーナ。二人がナシャタウンのあるレンポ島に戻るためには、当然ながら、ヒーシ島沿岸を歩いていく必要がある。
そうしてその道のりには、多くの楽しみが潜んでいる。
例えば、生物。
ナド・クライにはスネージナヤ本土とは異なる独自の生態系が形成されており、ツノシカやノロツノライノなど、ここでしか観測できない動物が数多く暮らしている。
そんなこともあり、行きの道のりでは物珍しい生物を見て、わいわいと楽しんでいた二人。
しかし、それは「無害な生物」のみではなかった。
「……これは、困りましたね。一体どうしたものでしょうか」
「ラフィアーナ、倒せない?」
面倒くさげにつぶやいたラフィアーナに、コロンビーナは横目を向けて問いかける。よければ自分が倒そうか、とでも言いたげに。
しかし、ラフィアーナはすぐに首を振って断った。
「もちろん、倒そうと思えば倒せはしますよ。ですが、この辺は霜月の里も近い。あまり派手に元素力を使いたくはないのです。なにせ今、私たちは戦闘力の一つも持たない無害な観光客、でしょう?」
「あ、確かにそうだ。困ったね」
そうして二人は、とりあえず立ちすくむ。
彼女たちを囲むのは、元素を纏った四足歩行の生き物──霜夜の継霊者。それぞれ雷、水、氷元素の三匹だ。
正直な話、普段から執行官なんて地位に就いている二人には、この程度の敵に頭を抱える道理など全く存在しない。それこそ軽く手をひねれば弾け飛ぶレベルの脅威だ。もっとも──それがいつものことならば。
今、彼女らは自身の力をいまだかつてないほどに制限している。むしろ執行官だからこそ、このようなプライベートの場でむやみに力を見せつけるようなことはしたくない。
「私、一応水元素っぽい力が使えるよ。ラフィアーナは氷でしょ? だから、二人の力を合わせて、この子たちを一瞬だけ凍らせて、その隙に逃げちゃうっていうのはどうかな」
「それも一種の手ですが、あの紫のに関しては常時雷元素を纏っているので、凍結させるのは困難でしょう。元素が相殺されてしまいます」
「そっかぁ」
事なかれ主義──面倒事を起こしたくないラフィアーナと、大体彼女に賛成しておけば正解だと思っているコロンビーナ。こんな二人に、もはや真正面から立ち向かうという選択肢はなかった。
しかし、時間は決して有限ではない。敵は当然、待ってなどくれないのだ。
「これは流石に、やるしかありませんか」
「私も手伝うよ」
そして二人はそれぞれの元素を準備し、襲いかかる継霊者に対抗しようとしたそのとき──
「そうはさせぬ」
たちまち草元素が咲き広がり、継霊者たちを怯ませた。
続いて青を基調とした武装状態の男性数人が、ラフィアーナたちを守るように立ち塞がる。
「月光の降り注がぬ昼間とて、
彼らを先導してやってきたツノの生えた女性は、手に持った短剣に草元素を纏わせ、力強く継霊者を睨みつける。
加えて、いつの間にか辺りの無害な動物たち──ツノシカなども集まってきていた。
彼らは攻撃こそしないが、その三匹の敵対者に対して威嚇するような仕草を見せていた。
「……! …………!」
相手は元素使いを含めた数人と複数の動物。継霊者とて無知ではない。分が悪いと判断するや否や、他二匹に合図を飛ばすと、ついに背を向けて走り去って行った。
わずか数秒の出来事である。
「そなた達、怪我はないか?」
突然のことにあっけらかんと──していた訳ではないが、静かに様子を伺っていたラフィアーナとコロンビーナに、その女性は問いかける。
なるほど霜月の子か、とラフィアーナすぐに理解した。
もっともコロンビーナからの話も加味して、若干警戒体制になる彼女だったが、決してそれを悟られないよう、無力な人間を装って受け答える。
「ありがとうございます。おかげ様で命拾いしました。まさか、このような場所で魔物に遭遇するとは」
「うむ。確かにこのあたりは霜月の子の警備範囲内だが、決して安全というわけではない。しかし……その格好、ナシャタウンの民にも見えぬな。やはり旅の者か?」
「ええ、そうなんですよ。ヒーシ島から望む景色はとても綺麗だと聞きまして、休暇を利用してスネージナヤ・グラードから旅行にね」
「なんと、かの寒冷地帯からはるばる、よくぞいらしたものだ。私の名はラウマ。霜月の里で聖女をつとめている。皆からは詠月使などとも呼ばれておるな」
ツノを生やしたその女性は、ラフィアーナたちの事情を知るや否や感嘆したような声を漏らす。そしてラウマと名乗った。
(格好からして只者ではないとは思いましたが、まさか里の筆頭とは。それにしても……聖女、ですか)
ラフィアーナは、自身と似たような立場であろうラウマを前にして、少し興味を引かれる。
「なるほどラウマさんですか。私はラフィと申します。こちらは友人のヴィナ。かの霜月の聖女様から命を救っていただけるとは、本当に、なんとお礼をしたものか」
「そのようなことはよい。ヒーシ島へと観光に来てくれた客人を、魔物に襲わせるわけにもいくまい。ところで旅の者よ。もし良ければ霜月の里へと寄っていかぬか? ここで会ったのも何かの縁であろう。せっかくなので里の名物をご馳走したく思うのだが」
「まあ! 里に招待してくださるのですか!」
そんな提案に、表向きは感激したような態度を見せるラフィアーナ。しかし、
(さて、コロンビーナの方は……問題なさそうですかね)
まがりなりにも、霜月の子は警戒対象だ。二つ返事で首を縦に振るわけにもいかない。
というわけで、彼女はとりあえず、警戒の要因たるコロンビーナの様子を伺う。とはいえ特に大きな反応は示していなかった。
なるほど里の人間とて代替わりはしているだろうし、彼女の顔を直接知るものはいないのかもしれない。ましてや、今のコロンビーナは目を開けているのだ。
(それならば、問題はないかしら)
以上を踏まえて、ラフィアーナは一旦警戒心を解いた。
「ええ、ええ、里の皆さんが歓迎してくださるのなら、是非とも立ち寄らせていただきたいです!」
そこには既に、無邪気な観光客しかいなかった。
それから霜月の里へと訪れた二人は、ラウマたちからヒーシ島名物をご馳走された。
コロンビーナは心なしか、どれも懐かしそうな様子で頬張り、ラフィアーナ特に「ハーベスト・オブ・ザ・デイ」と呼ばれるベリーと野菜のサラダを気に入った。割と素でレシピを聞きに行ったくらいだ。
そうして里の人々と食卓を囲い、談笑し、温かいひとときを過ごした。
身分こそ隠していたものの、その瞬間は二人も心から楽しんでいるようだった。
かくて宴の時は去り、その後お礼を言って二人はナシャタウンへと戻ろうとする。ただ、時間が遅かったこともあり、ラウマ達からは泊まっていくよう勧められた。
どうやらコロンビーナもご満悦らしかったので、ラフィアーナはそれを嬉々として快諾。フラッグシップのチェックインを一泊単位で行っていて良かったと思う瞬間だった。
こうして時刻は夜の二十三時半。
里の子供たちはもう
そんな中で、
「……綺麗ですね、ここは。本当に」
ヒーシ島の紫掛かった星空を眺めて、ラフィアーナは思わずそんな声を漏らした。
ラウマ達への咄嗟の言い訳として使った“景色”だが、さもありなん。こうして見上げると、スネージナヤのオーロラにも劣らない燦然たる夜景が目に入った。
レンポ島にある
コロンビーナはあっという間に寝てしまった。自分も今日はもう寝ようと思った。だが、なんだかどうも眠りに付けなかった。ゆえにラフィアーナは、一人里の周りを散歩していた。
「気を楽にしてぼんやりと星空を眺めるのは、一体何年振りなのでしょうか」
誰が答えるわけでもない、そんな自問。
ラフィアーナとて、こうして単なる娯楽としての遠出は数えるほども経験していない。そのあまりに慣れない心地よさに、彼女は落ち着かなかった。
「ラフィよ。どうかしたのか」
そんなとき、ふと後ろから声をかけられる。声、口調、それだけで誰かは察しがついた。
「ラウマさんですか。……いえ、言ったでしょう? ここの景色を目当てにやってきたのだと。まさか夜景を目にすることができるとは思ってもみませんでしたが、やはり、夢見心地を錯覚するほどの美しさですね」
「ああ、そうだろう。この里の“聖女”としても、故郷の夜景が客人のお気に召したようで嬉しい」
「……聖女」
ラウマはあくまでも、社交辞令的にその地位を口にしたのだろう。しかし、なぜだろうか。心なしか一瞬、その
「失礼でなければお聞きしたいのですが、「聖女」とは、一体どのようなものなのでしょうか」
「……ふむ」
探り、なんて、そんな大層なものじゃない。自分自身の境遇から来る、些細な好奇心だった。
でも、きっと観光客への対応として適当に誤魔化されるだろう。
彼女はそう思っていた。しかし、
「すまぬ。それは、私にも分からないのだ」
ラウマは、かなり神妙な面持ちで言った。
「分からない、ですか」
「ああ。この月の輪も、長いツノも、銀色の血も、動物と交信できる能力も、全てが「聖女」であるがゆえの賜物なのかもしれないし、あるいは、これらの要素が私を「聖女」ならしめているのかもしれない。もしかすると、月の輪を持つからツノが長く育ったのかもしれないし、ツノが長く育ったから、月の輪を授かったのかもしれない」
雁字搦めだとでも言うような主張。不安、恐怖、憂い。そんな含蓄があるようだった。
「とにかく、この因果関係を知る由はないのだ。それにしても私は、これほどの器でもないだろうに」
「なるほど……」
ラフィアーナが見たところ、ラウマは里の人間から随分と慕われていた。
その多くは、聖教の信者が総主教である自分へと向けるものに近かったが、中には、民が女皇へと向ける程度の“それ”も混じっているようだった。
つまるところ、彼女は一部の人間から「崇拝」されていた。
(それはきっと、彼女の虚しさに拍車を掛ける行為でしかないでしょうに)
なぜなら、ラウマもまた崇拝する側の人間だ。自分が神と同じような扱いを受けることには抵抗があるだろう。まして、彼女はその神の存在すらも──
「本土にも、また同じく聖女が存在すると聞く」
「……」
唐突に出された自分の話。もっとも、ラウマは「ラフィの話」として挙げたわけではない。
「氷神はとうとう民を愛さない。どれほど祈りを捧げようと、神は応えないのだろう? それなのに、彼女は信心深く祈り続け、民からの信仰を引き留め続けるらしい。なぜ、それほど強く
──月神も、一度として私の祈りには応えない。あの月だって、そもそも、
そう言いかけて、ラウマは口をつぐんでしまった。少なくとも客人の前でする話ではないと思ったのだろう。到底、信者に話せることでもないが。
しかしラフィアーナは、それを聞き逃すつもりはなかった。
「私は、スネージナヤ本土にて総主教様とお話したことがありますよ」
「そう、なのか」
「ええ。確かに彼女はいつも、誰よりも敬虔に在ります。在ろうとしています。しかし、それも無条件に、漠然と祈り続けているわけではございません。……と、彼女はおっしゃっていました」
「それはどういうことだ?」
「かつて陛下から、一度だけ愛を向けていただいたことがあったそうです。たった一人、世界の全てに絶望し、死ぬことだけを考えて、ずっと死ねずにいた、そんな時のこと。総主教様に手を差し伸べたお方が、まさに陛下だったそうです」
そう、一度だけ。たった一度だけ助けられた。でも、それだけで、
「それだけで、もう十分だったそうです。陛下の背負う悲しみを理解し、見返りを求めることもなく、祈り続けることを誓ったそうです」
「……かの総主教は、過去の一度の恩を糧にひたすら敬虔であると、そういうのか?」
「いいえ、ただ彼女は、文字通り「信じ続けている」だけなのですよ。たとえ陛下が、今まで一度として祈りに応えたことがないのだとしても、いつか陛下の切望する世界が訪れ、その時になって、再び陛下が民を愛してくださることを、ただ、ひたすらに」
だから、信じることが大切なのだと、それだけのこと。
とても簡単な話、信じる理由は、神からの「応え」を信じているからである。神からの「応え」を条件に、信じているわけではない。
祈りとは、神からの応答を求めて捧げるものではないのである。
結局のところ、ラフィアーナはそういう人間だった。
一般人が聞けば到底理解に苦しむかもしれない。そんなのは盲信者と批判されても仕方がないのかもしれない。でも、それは確かに──
「……なるほどな」
同じく信じることの極致に立つ人間には、通ずるものがあった。
人の、信じることへの疑念などは、よくあることだろう。
そもそも神に限った話でもないのだ。人はよく疑う。信じられなくなる。その点、そういう信じる理由を明確に論じたそれは、確かに整合的だった。
「ありがとう。少しだけ気が楽になった。ふふっ、私はまだ、あちらの聖女には遠く及ばんな。月神からの応答を期待して祈るなど。応答とは、まさに信じるものだったのに」
ラウマは自嘲的に言った。
納得を得ると同時に、自身の未熟さを自覚した瞬間でもあった。
「さて、邪魔をして申し訳なかった。私はもう戻る。ラフィも、あまり夜更かしはし過ぎぬよう。明日に響くだろうから」
時刻はもう日を跨ぐ直前。二人とも、流石に眠くなっていた。
つまり、話はこれで終わり。
でも、
「ラウマさん」
「……?」
会釈をして踵を返そうとしたラウマは、ラフィアーナに呼び止められて、不思議そうに振り返る。
でも、最後に一つ、言っておきたいことがあった。
「ですが……大丈夫ですよ、ラウマさん。あなたの祈りは届いている。その時になれば、あなたの神は必ずや、あなたに応えなさることでしょう」
「それは……?」
「とにかく、信じることです。きっと報われますよ」
ラフィアーナはそれだけ言って、さっさと寝床へ向かう。
その途中、美味しそうに、幸せそうに、料理を頬張る彼女の顔が頭をよぎった。思わず、くすっと笑ってしまいそうになる。
──だってこんなにも、あなたは彼女に笑顔を与えたではないですか。
ラフィアーナはこの場所を訪れて、間もなく分かっていた。里に建てられた大きな石像を目にして。やけにこの場所を懐かしむ彼女を見て。
別に言及する気はなかった。でも、言いたいことは言っておくべきだ。いつか訪れる巣立ちの時に、ラフィアーナが立ち会っている保証はない。
──ラウマさんはきっと、月神にとっての大きな存在になる。そこで初めて、月神はラウマさんにお応えなさる。それは多分、もう近い未来なのね。
そう考えると、なんだか、
「……いいなぁ。ちょっとだけ、羨ましいですね」
女皇が“それ”になる日はいつだろうか。分からない。ただ信じているだけだ。
でも、そんな信じた未来を想像すると、やっぱり楽しみに思ってしまう。
──アナちゃんも、ロザリンも、コロンビーナも、サンドローネも、アルレッキーノも、他のみんなも。誰もが笑顔で終わればいいな。
観光気分。この珍しい心地よさに当てられて、ラフィアーナはほんの少しだけ、期待したのであった。
……また宗教の話だよ。でもコンセプトがコンセプトだから仕方ない。
ラウマの悩みに関しては、魔神任務およびキャラストーリーを参照。