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煌びやかな聖堂で、一人
精神状態が非常に良くなかった彼には、もはや目の前の少女が、素晴らしい存在のように映った。
「スカラマシュさん。一人で悩まないでください。私たちは同志です。私たちは皆、天理に立ち向かおうとしているのです。そしてそれは結局あなたも同じだった。それならば、女皇陛下に改めて忠誠を誓い、戦い、そして真なる神座を勝ちとりましょう。私はあなたを受け入れます。陛下もあなたをお赦しになるはずです。ですから、共に、歩みましょう」
スカラマシュは、もう深くは考えていなかった。
ゆえに、彼はその手に手を伸ばす。
そう、それは、彼が何よりも欲していた愛情だった。
女皇に、ラフィアーナに全てを委ねれば、きっと自分は満たされる。神に成ることへと執着してしまう煩わしい衝動も、きっと全部消えてしまう。この温かさが欲しかった。ああ、この、まるで“母の温もり”のような──
母。バアルゼブル。
ふとその単語が、脳内に大音量で響き渡った。鼓膜が引きちぎられるような苦痛と共に、頭をかち割られるような激痛と共に、それはあっという間に身体の全神経に伝達される。
──ラフィアーナは本当に、裏切らないのか?
──否、さっきから都合のいい言葉ばかりだ。
──こいつは僕をコケにした。こいつや女皇も、どうせ。なら、僕のすべきことは……!
「ふざけるなッ! クソ女ッ! 立場も
ばしゃんと、冷水を浴びせられたような気分になった。
「──なっ!」
たちまちスカラマシュの振るった拳は、ラフィアーナの咄嗟の回避により空を切った。
しかし彼女も無力ではない。
続けて邪眼による雷元素攻撃が炸裂したが、ラフィアーナはすぐに後退し、スカラマシュとの間に氷元素の壁を作り出す。
「っ、クソッ! 今は邪眼も持っていないはず! 神の目も持たずしてどうして元素力が使える!」
「それをあなたに説明する義理はありませんよ、異端者」
ラフィアーナは冷たく言い捨てて、隠し持っていた短剣に氷元素を纏わせる。そして勢いよく地面へと突き立てた。
直後、その床を中心に氷元素が広がり、瞬く間に聖堂全体を埋め尽くす。天井にまでも氷が
「──っ、死ね!」
「物騒な」
その間にもスカラマシュの雷元素は止まることなく迫るが、彼女は全てを回避、あるいは相殺し、流れ弾は全て壁や天井、聖堂の装飾品へと命中した。
しかし氷で覆われたそれらは、一切の傷もつくことはない。
「ハッ、奇襲を受けて最初にやることが聖堂の保護だなんてね。舐められたものだ」
「下手に傷をつければパンタローネさんに迷惑をかけてしまいますもの」
彼女はその場で氷のレイピアを生成すると、距離をとってから刺突を入れる。
しかしスカラマシュはそれを側面から叩き割り、見下すように笑った。
「フッハハハ! その程度の攻撃で僕に傷をつけられるとでも? さっきから言っているだろう! 僕は神の器なんだ。聖職者風情が生意気なのさ!」
「このっ、実に、愚かですねっ……!」
ラフィアーナは次々に氷元素創造物をけしかける。だが、それは瞬くまに破壊された。かろうじて氷元素から生成された武器など、執行官相手には通用もしないのだ。
「良い加減その手品も飽きてきたね。総主教といえど、邪眼と武器がなければその程度か」
「そうおっしゃるあなたは容赦無く邪眼を使ってきますのね! 少しは加減していただきたいところですが──くっ!」
とうとうスカラマシュの放った元素の斬撃が、ラフィアーナの脇腹を大きく抉る。彼女が
「チィッ! 鬱陶しい!」
スカラマシュはすぐに動いて障壁を叩き割る──が、彼女が目に入った瞬間、猛烈な痛みが右足を襲う。
見れば、そこには先ほどのレイピアが深く刺さっていた。それはよりにもよって足。
「ッ、ぐ──なんだ、これはッ!」
しかしそれだけではない。しっかりと刺された傷口の内側から、冷たい激痛が追撃のように彼を苦しめた。それは一度傷口に触れれば、内部から氷元素が侵蝕していくというものだった。
そしてラフィアーナはその隙を逃さず、左足にも一突き。その後両手をぎゅっと掴み、凍らせる。
もはやスカラマシュに運動能力は残されていなかった。両足をやられてはもう走れないし、両手も拘束状態である。
「お前ッ! ふざ、けるなぁ!」
「っ、少し落ち着いてください!」
ラフィアーナのお願いも耳に入れず、スカラマシュはしばらく足掻き続ける。だがその拘束が解かれようとする度に、ラフィアーナによって一層に強固な拘束が施されるので、もはや堂々巡りであった。
そうしてスカラマシュも馬鹿ではない。少し経ってこれ以上無駄だと察するや否や、やっと大人しくなった。
「……ああもう、最悪だ」
「やっと、落ち着いて……くださいましたね」
静かに悪態をつくスカラマシュだったが、安心したようにため息をついたラフィアーナが次に取った行動を見て、あっけらかんとする。
「おい、これはどういうつもりだい」
スカラマシュが見たのは、ほんの数秒前まで殺し合っていたラフィアーナが彼の傷を治癒する光景だった。
拘束こそ依然としてされているものの、足の痛みは瞬く間に引いていく。自分は人形であり、人とは作りも違うのに、それは目をみはるほどの治癒力だった。改めて見れば、先ほどスカラマシュが与えた脇腹の傷も治っている。
「私に、これ以上の戦闘の意思はありません」
ラフィアーナは静かに告げる。四肢を拘束され床に転げるスカラマシュを見下ろすように。それがどうにも気に食わなかった。
「戦闘の意思がないのなら、この拘束も解いてほしいものだね」
「それは……」
彼女は迷っているようだった。それもそうだ。今拘束を解けば、反撃されるかもしれないのだから。しかし、
「相手を拘束して一方的に説得を試みる。到底、総主教様のすることとは思えないね。君が僕の主導権を握り続ける限り、僕は君の話に耳を傾けないよ」
「……わかりました」
スカラマシュが吐き捨てるように言うと、ラフィアーナは遂に意を決したように拘束を解いた。だが次の瞬間──
「クハッ! バカめ!」
「っ、ぐぅ……」
即座に起き上がりラフィアーナの首を強く掴んだスカラマシュは、その華奢な体を壁へと押し付ける。そうして、まるで
「ハハハッ! ざまぁないねぇ!」
これまで散々な目に遭わされてきた総主教の、苦しそうにもがく姿を見て、彼は多大なる満足感に浸る。
「いやはや、本当に凡人は困ってしまうよ。この程度の口車に乗せられてあっという間に、」
そうして、もてる限りの語彙で罵倒し始めようとしたスカラマシュだが、ラフィアーナを見てとあることに気づく。
首を絞められてもがきこそするが、そこに抵抗の意思は見られない。両手は空いているはずなのに何一つの武器も生成しないし、この手を振り解こうとすらしない。
「……」
どうやら、ラフィアーナは本当に反撃をしてくるつもりもないらしい。
「チッ」
本日何度めの舌打ちになるだろうか。途端に体の熱が冷めてゆくのを感じた彼は、その手を離す。
「──っは、はぁ、はぁ、ふぅ……」
地面に座り込みながら呼吸を整えるラフィアーナを、ただ無言で見下ろす。
そうして改めて、これまでを思い出す。
思い出せば思い出すほど、彼の精神と身体を、憎しみが絶え間なく蝕み続ける。
──母、母、そうだ。忘れたわけじゃない。僕は“母”に、なにをされた?
──ああ、母だけじゃない。僕を裏切ったアイツらは。僕を置いて死んでいったアイツは。
──いつもこうじゃないか。期待すれば、裏切られる。
思えば、ばかな話だ。いつものスカラマシュならば、すぐに分かっていたようなことだ。この女の腹黒さは、疾うに理解していたではないか。
自分は見事ラフィアーナの口車に乗せられたのだ。そうして精神を弱められ、そこにつけ込まれそうになった。
一歩間違えば女皇と聖教の傀儡と化していた。
「ああ、本当に不快だ。だが、寛大な僕はひとまず君を赦そう。どうやら落ち着いたみたいだしね」
「……おかげさまで。ありがとうございます」
先ほど言われた「落ち着いた」という言葉を言い返せて優越に浸っていたスカラマシュだが、なぜだか礼を言ってくる彼女に、やはり不快感を覚えた。
「フン、あの程度の甘言で僕を
「まったくです、なかなか悪くないとは思ったのですが。六位ともなれば一筋縄ではいかないものですね」
すっかり立ち上がったラフィアーナは、やや残念そうに言う。
──くそ、やはりこいつはこうだ。してやられた。
スカラマシュは内心で悪態をつく。
「さて、それで、僕をどうする気だい? この場で再び捕らえて、女皇に突き出すのかい?」
「いえ別に。先ほども告げましたが、こちらに戦闘の意思はありません。あなたが私を殺そうとでもしない限り、どうもしませんよ」
「…………は?」
随分あっさりと告げられたそれに、スカラマシュは素っ頓狂な声を上げる。
「それは、どういうつもりだ? 僕は異端者だぞ? ファデュイを裏切ろうとした上、君の差し伸べた手すら振り払った。どうして捕まえない」
「まあ、聖教会としてはこのような危険因子を放置することには、あまり乗り気ではないのですがね。しかし、私がここに来たのは偶然でも気まぐれでもなく、他でもない陛下の命ですもの」
「女皇の……?」
「ええ、スカラマシュさんの様子を見に行って、場合によっては……なんというのでしょうか。元気づけるように、みたいな?」
「いや女皇がそんなこと言う訳ないだろ」
「なっ、不敬ですよ! 陛下はお優しいのですから! 確かに少し無愛想で、表情変化に乏しいことは認めますが!」
「……チッ、これだから盲信者は」
「もう、本当に失礼ですね、あなたは」
ラフィアーナは呆れたようにため息をついた。
だが正直、ため息をつきたいのはスカラマシュの方だった。
「つまり、僕がここでいずれ離反することを伝えても、君は看過するというのか」
「ええ、そうですね。一応陛下に報告はいたしますが、あの様子だと知らないということでもないかと。きっとあの方は全てを理解した上で、私を派遣したのでしょう」
「結果、僕は元気づけられるどころか、君に洗脳されかけた訳なんだけどね」
「洗脳ではありません。救済です。私の存在が誰かの心の支えになれるというのならば、私は喜んで引き受けます。今からでもまだ遅くはないのですよ? スカラマシュさん」
「ハッ、もう懲り懲りだ。遠慮しておくよ。それと……そもそも君は大丈夫なのかい?」
「え、私ですか?」
まさか自分が言及されるとは思ってもみなかったのだろう。ラフィアーナは目を丸くして、聞き返した。
「そうさ。君はさっき、氷神の存在を否定しただろう。君が無条件に崇拝する、愛してやまない女皇が、所詮は天理の被造物に過ぎないと、そう言ったんだ。僕にどうこうする権利がないとはいえ、これは立派な背信行為に思えるけれどね」
「ああ、そのことですか」
ところが彼女は、特に気にした様子もない。そして別に大したことでもないのだと主張するように、こう言った。
「私のような宗教的人間にとって、彼女がどんな神であるかなどは
その潔いほどの宣言に、スカラマシュはますます気を悪くする。
しかし、これ以上の衝突はあまりにもナンセンスだろう。それは彼も先刻承知である。
「はぁ、もういいさ。女皇も君も、僕の計画を邪魔する気がないならそれでいい。ときが来たら好きにさせてもらうよ」
スカラマシュは渋い顔で首を横に振り、そう言い捨てると出口に向かって歩き出した。ラフィアーナそれ以降、何も言わなかった。
──あなたは“
「チッ、煩わしい」
去り際、彼女に告げられた言葉が脳裏をよぎる。スカラマシュは半ば投げやりに、それを振り払った。
「……騙されるな、あんな女の戯言に。僕は僕の信条を貫き通す。僕は、神になるんだ」
結局彼は、『散兵』は、『
もっとも、彼の「神の心の奪取」という計画が万が一にも成功してしまった場合、ファデュイも黙ってはいないはず。普通ならば、こんなところで見逃したりはしない。
つまり女皇が、ラフィアーナが、ドットーレが、その計画を知っていながら沈黙を貫く理由は、他でもなく、スカラマシュの成功など最初から少しも信じていなかったからに過ぎない。
その点でいえば、此度の女皇とラフィアーナの行動は、確かに彼を救済する最後の試みだったと言える。しかしその手を振り払ったのは、他でもないスカラマシュだったのだ。
こうして極寒の国で、彼の冷え切った心に降り注いだ最後の希望は、今度こそ雪に埋もれて消えていった。
「──ああ、そういえばあんなこともあったね」
スメール教令院、知恵の殿堂にて。
歴史学研究の一環で宗教学の本を一日中読み漁っていた彼は、珍しくも
黒歴史というべきか、今となっては良い経験だったというべきか、今はもうない、在りし日の出来事を夢に見た。
あのときの緊張感が思い起こされて、重くなっていた
「あなたが居眠りだなんて、とても珍しいわね」
そのとき、そんな幼い声が耳に入る。見れば、そこには声相応の小さな少女がいた。
「ああ、君か。かの草神様が教令院にやってくるとは、こちらもこちらで珍しいように思えるけどね」
その目はとうとう完全に覚めてしまい、それを都合よく思った彼は、調子よく返事をする。こうして今や、七執政の内の一柱──
ナヒーダは彼の上機嫌を察したらしく、笑顔で言った。
「ええ、そうね。今日は旅人たちが久しぶりにスメールにやってきたから、笠っちにも伝えようと思ったの。みんな集まっているわ。あなたも来るでしょう?」
「はぁ、別に僕は興味ないんだけど。こっちは論文の締め切りに追われているんだ。今は邪魔しないでくれると助かるね」
「あら、そう? それなら、ひと段落したら是非来てちょうだい。彼女たちが美味しいご飯を作ってくれるそうよ」
彼女は朗らかに告げると、知恵の殿堂を後にしようとする。しかし直前で何かを思い出したように立ち止まると、振り返って、
「そういえば、今日はやけに顔色が良いように思えるけれど、なにか良い夢でも見たのかしら?」
冗談めかしくそう尋ねた。なかなかどうして鋭いが、しかし、今の彼にはそれを軽くいなす余裕がある。
なんて答えたものかとやや
「いや、かつては盲信者だ盲信者だと見下していたけれど、今思えば、盲信者だったのはむしろ僕の方だったのかもしれない、というだけの話さ」
〈聖教会とラフィアーナについて〉
世界樹改変前においても総主教としての座は変わっていません。
彼女の統括する聖教会は、ファデュイから「スネージナヤ聖教会執行部隊」という名義の軍隊を与えられており、あくまで独立した組織という建前ではあるものの、実質的にファデュイの傘下にありました。こちらでも政治との結びつきは強固であり、評議会の議席も確保。しかしそれゆえ、一部の聖職者の間では汚職も多数。こうした背景から、反ファデュイ勢力に政教分離や教会の腐敗を指摘されることもしばしばありました。
中でも一線を超えたと判断された聖職者や、過激な反教会勢力は、ラフィアーナとその直属部隊が秘密裏に排除、粛清しています。しかしその点、内部分裂の防止や勢力の均衡を意識してのことから、彼女も幾らかの汚職行為や反対運動を看過している節があるので、総主教も真っ白かと言われればそうでもありません。
ファデュイとの結びつきから、お茶会組との関係性も改変後と大差はありません。その上、女皇への忠誠や本人の実力も申し分ないことから、ロザリンが死亡した際には真っ先に第八位の後釜として推薦されました。が、当時の彼女はそれを断りました。
改変後の世界線ではファデュイが創設されて間も無く、ラフィアーナが六位へと就いています。両方の世界線における総主教への就任も、これと同時期になります。