高度育成高等学校行きのバスが校門前へと到着した時、俺はようやく息を吐くことができた。
長かった。
いや、実際の移動時間が特別長かったわけじゃない。ただ、俺にとって車やバスといった乗り物は未だに苦手な存在だった。窓の外を流れていく景色やエンジンの振動に問題があるわけじゃない。理由はもっと単純で、そして情けない。
昔の事故以来、どうしても車という存在そのものに身構えてしまうのだ。
事故が起きるかもしれない。
横から別の車が突っ込んでくるかもしれない。
運転手が居眠りをするかもしれない。
そんなことを考え始めるときりがなく、結果として乗り物に乗っている間はずっと神経が張り詰めてしまう。
だからバスを降りた瞬間、俺は他の新入生達とは違う意味で解放感を覚えていた。
「……ふぅ」
ゆっくりと息を吐く。
まだ少し気持ち悪い。
だが、外の空気を吸ったおかげでだいぶ楽になった。
周囲では他の新入生達が続々とバスを降り、足早に校舎の方へ向かっていく。おそらくクラス分けの掲示板でも見に行くのだろう。
本来なら俺もその流れに乗るべきなのだろうが、今は少し休みたかった。
焦る必要はない。
掲示板は逃げない。
そう自分に言い聞かせながら、その場で立ち止まっていると。
「ねぇ、君。大丈夫?」
不意に後ろから声を掛けられた。
振り返る。
そして一瞬だけ言葉を失った。
そこにいたのは、一人の女子生徒だった。
ストロベリーブロンドの長い髪に整った顔立ち。柔らかな雰囲気を纏いながらも、自然と人の目を引くような存在感がある。
正直、かなり綺麗だった。
高校初日からこんな人と遭遇するとは思っていなかったので、少しだけ驚く。
「えっと……俺?」
「うん。さっきから辛そうだったから」
そう言って彼女は少し困ったように笑った。
「実は同じバスに乗ってたんだけど、席が離れてたから声を掛けられなくて」
そう言われて思い返してみる。
確かに見覚えがあった。
気分が悪かったせいで周囲を見る余裕はなかったが、途中で何度か視界に入った気がする。
「あー……ごめん。ちょっと車が苦手なんだ」
「車?」
「うん。酔ったわけじゃないんだけど、長時間乗ると緊張しちゃってさ」
そう説明すると、彼女は納得したように頷いた。
「そうだったんだ」
「もうだいぶ平気だから大丈夫だよ」
そう言ったのだが。
「んー……」
何故か彼女は顔を近づけてきた。
「え」
近い。
近い近い近い。
思わず一歩下がりそうになる。
だが彼女は気にした様子もなく、じっと俺の顔を見つめていた。
「うん。確かにバスの中より顔色良くなってるね」
どうやら体調を確認していたらしい。
数秒後、彼女は安心したように笑った。
「でも無理はしないでね。もし辛くなったらちゃんと休んだ方がいいよ?」
「あ、ありがとう」
何というか。
凄く良い人だった。
初対面の相手にここまで親切にできる人はそう多くないと思う。
⸻
「そういえば自己紹介まだだったね」
彼女はそう言って朗らかに笑う。
「私は一之瀬帆波。よろしくね」
「三条司。よろしく」
それから二人で掲示板へ向かい、クラス分けを確認した。
結果はどちらもBクラス。
「わっ、同じクラスだね」
一之瀬さんは嬉しそうに言う。
「じゃあ一緒に教室行かない?」
「いいの?」
「もちろん」
そう言って笑う彼女につられ、俺も頷いた。
⸻
校舎へ向かう途中、俺は自然と周囲へ視線を向けていた。
階段の位置。
非常口。
廊下の幅。
消化器の位置。
初めて訪れる施設ではいつものことだ。
無意識のうちに安全確認をしてしまう。
そのせいで昔から変人扱いされることも多かったが、今さらやめられるものでもない。
そんな風に周囲を見回していると、あるものが目に入った。
監視カメラだ。
一つだけではない。
探そうと思えば次々に見つかる。
「……多いな」
思わず呟く。
普通の学校にしては明らかに数が多かった。
その瞬間。
俺の頭の中に一つの可能性が浮かぶ。
まさか。
いや、そんな馬鹿な。
でも、もしかして。
俺みたいなやつが受かるって事は。
この学校。
壮大なドッキリなんじゃないのか!?
⸻
「そんなに周りを見回してどうしたの?」
隣を歩く一之瀬さんが不思議そうに尋ねてくる。
「あー……」
少し迷った。
だが隠しても仕方がない。
「心配症でさ、初めて来る場所だと何となく不安になるんだ。それで周りが気になっちゃって」
「なるほど」
「あと」
「あと?」
「まだこの学校に受かったのが信じられなくて」
「え?」
「実はドッキリなんじゃないかなって」
言った瞬間、自分でも馬鹿なことを言っていると思った。
一之瀬さんはそんな俺の発言に対して呆れるような事はせず、
「ふふっ」
少しだけ笑って、優しく言った。
「でも分かるかも。私も合格通知が届いた時は信じられなかったし、今もちょっと緊張してるから」
「一之瀬さんでも?」
「うん」
彼女はあっさり頷く。
「だから三条くんだけじゃないよ」
その言葉を聞いた瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。
中学時代、俺のこういう行動は大抵変人扱いされた。
心配しすぎだ。
考えすぎだ。
そんな風に言われることがほとんどだった。
だからこそ、否定も馬鹿にもせず受け止めてくれたことが妙に嬉しかった。
⸻
監視カメラの多さは気になる。
正直かなり気になる。
だが今すぐ答えが出る話でもない。
仮にドッキリだったとしても命に関わるわけじゃないだろう。
おそらく。
きっと。
そう自分を納得させながら、俺は一之瀬さんと並んでBクラスの教室へ向かった。