Bクラスの教室へ入ると、既に何人かの生徒が席についていた。
教室の前方に設置された黒板には座席表が貼り出されており、生徒達はそれを確認しながら自分の席へ向かっている。俺も一之瀬さんと並んで黒板の前まで進み、自分の名前を探した。
「三条……あった」
席は教室後方の窓側だった。
一之瀬さんの席は少し離れた場所にあるらしい。
「じゃあ一旦ここでお別れだね」
「そうだね」
「また後で」
そう言って一之瀬さんは自分の席へ向かっていく。
自分の席に着くなり自然と周囲の生徒へ声を掛けている辺り、本当にコミュニケーション能力が高い。
まだ教室に着いて数分も経っていないのに、既に彼女の周りに人が集まり始めていた。
俺には到底真似できそうにない。
そんなことを考えながら席へ腰を下ろし、改めて教室全体へ視線を巡らせた。
教室の設備は新しく、机や椅子にも傷らしい傷は見当たらない。エアコンも大型のものが設置されており、普通の高校より設備が良いのは間違いなさそうだった。
そして――。
「あった」
思わず小さく呟く。
教室の天井。
やはり監視カメラが設置されていた。
昇降口。
廊下。
階段。
そして教室。
ここまで来ると偶然とは思えない。
やっぱり多い。
どう考えても多い。
本当に何なんだこの学校。
そんなことを考えていると、
「すまない」
隣の席から声を掛けられた。
視線を向けると、真面目そうな雰囲気の男子生徒がこちらを見ていた。
「先程から随分と周囲を気にしているようだが、何かあるのか?」
どうやら見られていたらしい。
確かに入学してからずっとキョロキョロしていた自覚はある。
「あー、気にしないでいいよ。初めての環境だからちょっとビビってるだけ」
冗談交じりにそう返す。
すると彼は少しだけ不思議そうな顔をした後、小さく頷いた。
「そうか」
納得したようなしていないような返事だった。
「俺は神崎隆二だ」
「あ、俺は三条司」
軽く自己紹介を交わす。
神崎は見た目通り真面目そうな人物だったが、不思議と話しづらさは感じなかった。
少なくとも変人を見る目ではなかった。
それだけでも十分ありがたい。
そんなことを考えているうちに教室の扉が開く。
入ってきたのは二十代半ばほどの女性教師だった。
長い髪を揺らしながら教卓へ向かい、教室全体を見渡してからにっこりと笑う。
「はーい、みんな席についてねー」
どこか間延びした声だった。
「私はBクラス担任の星之宮知恵。これから一年間よろしくねー」
そうして星之宮先生はこの学校の説明を始める。
校内の施設とその利用方法。
生徒が暮らす寮について。
3年間クラスは変わらない事。
この学校生活における基本事項が伝えられる。
「それじゃあ、ここからはこの学校で一番大事なSシステムについてね。まずは学生証を配るから1人ずつ取りに来て」
そう言って一人一台学生証が配られる。
学生証とは言うものの見た目は完全にスマートフォンだった。
「みんなの学生証にはポイント機能が付いています。
この学校では現金の代わりにプライベートポイントと呼ばれるポイントを使うの。1ポイント1円として、校内の食堂や施設はもちろん、この学校では"あらゆるものをポイントで買える"わ。
もちろん、学内だけじゃなく、この島内だったらどこでも使える便利な代物だから失くさないようにね」
「そしてー、みんなにはすでに10万ポイントが振り込まれていまーす」
星之宮先生が楽しそうに言った瞬間、教室がざわめいた。
10万ポイント。
つまり10万円相当だ。
入学したばかりの高校生に与えられる額としては破格である。
「この10万ポイントは、みんながこの高度育成高等学校に入学できたことへの評価の現れよ」
「この学校では実力で生徒を測るの。そして入試を突破した君たちにはそれだけの価値があるって事。誇っていいわよー?」
さらにざわめきが大きくなる。
俺も正直驚いていた。
10万円。
どう考えても多すぎる。
「ちなみにポイントの振り込みは毎月1日に行われるから、その辺も覚えておいてねー」
毎月1日。
つまり来月も振り込まれるのか。
そう考えた生徒は俺だけではないだろう。
実際、周囲からも小さな歓声が上がっていた。
そして星之宮先生も、その歓声を特に否定しなかった。
「それと一つ注意」
星之宮先生の声色が少しだけ真面目になる。
「校内での暴力、カツアゲ、いじめは厳しく取り締まります」
先程までの軽い雰囲気が僅かに消える。
「もしそういった問題が確認された場合、学校側は容赦なく介入するからねー。せっかくの高校生活なんだから、仲良くやってねー」
そう言うと、先生は再び笑みを浮かべた。
「はい、お話おしまい。質問ある人ー?」
特に質問も出ず、星之宮先生は教室を出て行った。
残った時間は自由時間との事だ。
とりあえず配られた生徒手帳を起動してみる。
先程説明されたポイント機能の他に、通常のスマートフォン同様通話やメッセージのやり取りも出来るようだ。
機能を確認していると校内マップも入っていることに気付く。
これは助かる。
あとでじっくり確認しよう。
そんなことを考えていると、今度は一之瀬さんが立ち上がった。
「せっかくだし自己紹介しない?」
誰かに指示されたわけでもない。
それなのに自然とクラス全体が彼女へ注目する。
反対する意見もなくそのままクラス内での自己紹介をする事になった。
「それじゃあ、言い出しっぺの私から始めるね。一之瀬帆波です」
柔らかな笑顔と共に名前を告げる。
それだけで教室の空気が少し明るくなった気がした。
「中学時代は生徒会に入ってて、この学校でも同じように生徒会に入りたいと思っています。趣味はお菓子作りと、みんなで遊ぶことかな。あと、人とお話しするのも好きです」
少し照れたように笑う。
その自然な仕草に、男子の何人かが明らかに見惚れていた。
まあ、気持ちは分かる。
「せっかく同じクラスになれたんだし、みんなと仲良くなれたら嬉しいなって思ってます。これからよろしくお願いします」
深々と頭を下げる。
すると教室のあちこちから拍手が起こった。
まだ入学初日だというのに、不思議とその場にいた誰もが好意的な反応を示している。
人懐っこい笑顔。
誰に対しても壁を作らない話し方。
たった数十秒の自己紹介なのに、一之瀬さんが周囲から好かれる理由が少し分かった気がした。
こういう人が中心人物になるんだろう。
俺には一生真似できそうにない。
その後も自己紹介は順番に進んでいく。
柴田という明るい男子生徒が場を盛り上げたりしながら、教室の雰囲気も徐々に和らいでいった。
そして俺の番が回ってくる。
「えっと、三条司です」
立ち上がり、軽く周囲を見渡す。
「趣味は読書と映画鑑賞で」
ここまでは普通。
問題はここからだ。
だがどうせ隠しても意味はない。
数日もすれば確実にバレる事だ。
「あと、多分すぐ分かると思うけど結構心配性です」
「よく周りを気にしたり、変なことするかもだけど、あんまり気にしないでもらえると助かります」
言い終えて席へ座る。
少しだけ空気が変になった。
だが、
「あ、それさっきも言ってたよね」
真っ先に反応したのは一之瀬さんだった。
「別に変じゃないと思うよ」
その一言で空気が和らぐ。
何人かも笑いながら頷いていた。
正直助かった。
中学時代ならもう少し面倒な空気になっていただろう。
放課後になる頃には、教室の雰囲気はかなり良くなっていた。
自然と一之瀬さんの周囲へ人が集まり始める。
「みんなで遊びに行かない?」
一之瀬さんがそんな提案をする。
実に彼女らしい。
だが俺は参加しなかった。
理由は単純だ。
まだやるべきことが残っている。
校内の確認である。
一之瀬さんからの誘いを断り、教室を出る。
折角の誘いを断るのは申し訳無かったが、俺にとっては初めて訪れる場所を把握しないまま生活する方が落ち着かなかった。
これから三年間過ごす学校だ。
何かあった時にどこへ逃げればいいのか。
どこに何があるのか。
最低限それくらいは知っておきたい。
だから俺は生徒手帳に表示された校内マップを開きながら校舎の探索を始めた。
まず確認するのは非常口。
次に消火器。
保健室。
職員室。
避難経路。
そして――。
「やっぱり多いな……」
監視カメラだ。
朝の時点でも多いと思っていたが、意識して探してみると本当に至る所に設置されている。
廊下。
階段。
出入口。
人通りの少ない場所ですら見逃していない。
これだけあれば何か問題が起きても証拠は残りそうだ。
そういう意味では安心できる。
ただ、やはり疑問は残る。
どうしてここまで徹底しているのか。
そして俺の脳裏には朝と同じ考えが浮かんでいた。
まさか、本当にドッキリじゃないよな?
いや、さすがにないと思う。
思うけど。
ここまで設備が整っていると逆に怪しく見えてくる。
テレビ番組とかでありそうじゃないか。
全国規模の超大型ドッキリ。
入学式だと思っていたら実は社会実験でした、みたいな。
……うん。
考えすぎだな。
自分でも分かっている。
分かっているのだが、念のため警戒するに越したことはない。
そう結論付けて探索を続行していくと図書室へ辿り着いた。
「……すごいな」
中へ入ると、その蔵書量に圧倒される。
小説だけでなく専門書や辞典、資格関係の書籍まで揃っている。
正直、高校の図書室とは思えない規模だった。
本好きなら休日を丸一日潰せるだろう。
俺自身も読書は好きな方だ。
少し時間があれば見て回りたかったが、今日は場所の確認が目的なので長居はしない。
図書室の位置だけ頭に入れて、その場を後にした。
そのまま探索を続けているうちに気付けば三年生エリアへ足を踏み入れていた。
そして。
「おい」
低い声が響く。
振り返ると、おそらく上級生であろう男子生徒が立っていた。
鋭い目つき。
隙のない立ち姿。
自然と周囲の空気を支配しているような雰囲気がある。
「貴様、一年生だろう。こんな場所で何をしている」
問い掛けられ、俺は正直に答える。
「校内を見て回ってました。初めて来る場所なので」
すると男子生徒は少しだけ眉を上げた。
「見て回る?」
「非常口とか避難経路とかです」
「……」
数秒の沈黙。
まぁ側から見たら可笑しな行動である事は自覚している。
だが男子生徒は呆れた様子もなく続ける。
「なるほど」
そして自ら名乗った。
「生徒会長の堀北学だ」
まさかの生徒会長だった。
一瞬物怖じしてしまうが、生徒会長なら先程から感じている疑問にも答えてくれるかもしれないと思い直す。
「一つ質問してもいいですか?」
「内容によるな」
「校内の監視カメラについてです」
そう言うと堀北会長は少しだけ表情を変えた。
「監視カメラ?」
「はい。かなり数が多いですよね」
「それで?」
「何か理由があるんですか?」
率直に尋ねる。
だが返ってきたのは予想外の答えだった。
「答えられないな」
即答だった。
生徒会長とは言えあくまで学生の1人でしかないから、校内の設備の設置目的までは知らないと言う事だろうか。
少しだけ違和感を覚えたが、それ以上追及するつもりはなかった。
「そうですか」
「他には?」
せっかくなので、もう一つ気になっていたことを聞く。
「この学校の監視カメラって常時誰かが見ているんですか?」
「どういう意味だ」
「例えば今この瞬間、どこかで問題が起きたとして」
俺は廊下に設置されている監視カメラを指差した。
「監視カメラで即座に発見して、先生とか警備員が駆けつけたりするんですか?」
俺の質問に堀北会長は少し考えた後、首を横に振った。
「それは無理だ」
「無理?」
「数が多すぎる。全てをリアルタイムで監視するほどの人員はいない」
なるほど。
確かにそうだ。
「映像は記録され、必要に応じて確認される」
「そうなんですね」
少しだけ残念だった。
常時確認されているなら万が一の際の安全性も高まると思ったのだが。
俺の反応が意外だったのか、堀北会長が逆に質問してきた。
「何故そこまで気にする」
「え?」
「監視されていることを嫌がる生徒は多い。だが貴様は違うようだな」
言われてみれば確かにそうかもしれない。
だが俺としては単純な話だった。
「常に誰かが見ているなら、何かあった時の生存率が上がると思ったので」
その瞬間。
堀北会長がぽかんとした顔をした。
そして。
「……なるほど」
小さく笑った。
本当に僅かだったが、確かに笑ったのだ。
「そうか。生存率か。確かにそうだな」
どこか面白そうな目をしている。
「確かにどんな校則よりも、生徒の安全が最も優先されるべきだ」
「そうですよね」
俺もそう思う。
俺の回答の何処が気に入ったのかはわからないが、堀北会長は声を掛けた時の剣呑とした雰囲気は薄れ、興味深そうにこちらを見つめてくる。
「貴様の名前は?」
「1-Bの三条司です」
「三条か、覚えておこう。また何か質問があれば生徒会室へ来い」
そう言って堀北会長は去っていった。
なんというかまぁ不思議な人だった。
その後も校舎内の散策を続け、とりあえず一通り見回ったところで切り上げ、帰りにスーパーで日用品と夕食を買い、寮へと向かう。
寮にたどり着き案内された自室へ入ると、
「おお……」
思わず感心する。
一人暮らしには十分すぎる広さだ。
家具も家電も揃っている。
快適な生活が送れそうだった。
ただし。
「固定されてないな……」
棚を見て呟く。
本棚。
収納棚。
テレビ台。
地震対策がほとんどされていない。
万が一大きな地震が来たら危険だ。
明日は突っ張り棒を買おう。
非常用バッグも必要だ。
懐中電灯もあった方がいいかもしれない。
そんなことを考えながらベッドへ横になる。
入学初日。
思った以上に疲れていたらしい。
瞼が少しずつ重くなる。
明日から本格的な高校生活が始まる。
何事もなければいいんだけど。
そんな願いと共に、俺の意識は静かに眠りへ沈んでいった。