ようこそ、危機管理至上主義の教室へ   作:文字太

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4月④

四月も後半に入り、暖かい日が増えてきた。

 

 朝の空気はまだ少し肌寒いが、それでも入学した頃と比べれば随分過ごしやすい。

 

 そんなある日の朝。

 

 俺が部屋を出ると、ほぼ同じタイミングで隣の部屋のドアも開いた。

 

「お」

 

 顔を出したのは見慣れた男子生徒。

 

 Dクラスの綾小路清隆だった。

 

「綾小路か。奇遇だね」

 

「確かに、こうして鉢合わせるのは久しぶりだな」

 

 綾小路はそう言うと少し考え、

 

「折角だし、一緒に学校へ行かないか?」

 

 と提案してきた。

 

「いいぞ」

 

 俺は特に断る理由もなく頷いた。

 

 綾小路とは入学して間もない頃からの付き合いだった。

 

 きっかけは単純だ。

 

 俺が寮の部屋の耐震対策をしていた翌日、今日と同じようにお互い部屋出たタイミングが重なり鉢合わせしたのだ。

 

 隣人として自己紹介をし、作業の騒音について謝罪した。

 

 そこから何となく話すようになり、気付けば時々一緒に遊ぶ程度には仲良くなっていた。

 

 どうやら綾小路も俺と同様これまで友達が殆どいなかったらしく、

たまに食事に誘ったりすると表情こそ殆ど変わらないが嬉しそうな反応をしてくれる。

 

 何を考えているのか分からない時もあるが、同じく友達付き合いの経験が薄い俺としても一緒にいて疲れない相手だった。

 

 そんな綾小路と並んで校舎へ向かう。

 お互いの近況について語り合うと、綾小路は中々友達作りに苦労しているらしい。

 

 俺の方はBクラスの生徒はみんな社交的で、ありがたい事にこんな俺に対しても遊びに誘ってくれる。

 最初の1週間こそハザードマップの作成等で断っていたが、それ以降は一緒に遊びに行ったりして徐々にクラスメイトとも打ち解けてきた。

 

 それを伝えると綾小路は羨ましそうな、あるいは裏切り者を見るような目でこちらを見てくるのがなんだか面白かった。

 

 教室へ到着した後はそれぞれのクラスへ向かう。

 

 いつも通り授業が始まり、いつも通り時間が流れていく。

 

 入学からもう二週間。

 

 改めて思う。

 

 思ったより普通だな、と。

 

 もちろんこの学校は特殊な学校だ。

 

 学生証一つで買い物ができる。

 

 広大な敷地がある。

 

 毎月ポイントも支給される。

 

 だが、実際に生活してみると意外なほど普通の高校生ばかりだった。

 

 授業中は真面目に先生の話を聞く。

 

 たまに近くの席同士で小声の雑談が始まる。

 

 昼休みになれば友達同士で昼食を食べる。

 

 そんな当たり前の光景がそこにはあった。

 

 もっとこう、全国から集まったエリート達が常に火花を散らしているような学校だと思っていたのだが。

 

 少なくとも今のところはそんな雰囲気はない。

 

 俺が考え過ぎていただけなのかもしれない。

 

 そんなことを考えているうちに昼休みになった。

 

「三条、行くぞ」

 

 神崎が席を立つ。

 

「うん」

 

 俺も立ち上がる。

 

 ここ最近は神崎と一緒に昼食を取る事が多い。今日は柴田も一緒で、普段は学食に行く事が多いのだが、柴田の発案で購買でパンを買って食べる事になった。

 

 この二人とはクラスメイトの中でも特に打ち解けられてきた。

 

 友達と呼んでいい関係だろう。

 

 購買から戻り席に着こうとした時だった。

 

「三条くん達も今からお昼?」

 

 聞き慣れた声がした。

 

 振り向く。

 

 そこには一之瀬さんと、その隣に白波さんが立っていた。

 

「私達も今からお昼なんだけど、良かったらどうかなって」

 

 断る理由はない。

 

 むしろ一之瀬さんらしい誘いだった。

 

 男女問わず誰とでも仲良くなれる。

 

 入学から一か月で、それはクラス中が理解していることだった。

 

「もちろん!」

 

「俺も大丈夫だよ」

 

「俺も構わない」

 

 

 柴田が真っ先に頷く。

 

 こうして昼食会が始まった。

 

 そして席に着いてすぐ、俺達は少し驚くことになる。

 

「え、それ弁当?」

 

 柴田が目を丸くした。

 

 一之瀬さんと白波さんの机の上には綺麗に作られた弁当箱が置かれていたからだ。

 

「うん、料理は嫌いじゃないから。流石に毎日ってわけじゃないけどね」

 

 一之瀬さんが照れくさそうに笑う。

 

「すごいな……」

 

 簡単そうに言っているが、実際はかなり面倒なはずだ。

 

 少なくとも俺には無理だ。

 朝起きるだけで精一杯である。

 

「一之瀬って本当にしっかりしてるよな」

 

 柴田も感心したように言った。

 

 それに対して一之瀬さんは困ったように笑う。

 

 そんな何気ない昼休みだった。

 

 昼食を取りながらの雑談は自然と盛り上がり、話題は部活や趣味、それから放課後の過ごし方へと移っていった。

 

 そんな中、不意に柴田が思い出したように声を上げる。

 

「そういえばさ、三条の部屋ってすごかったよな」

 

「ん?」

 

「この前遊びに行った時、家具が全部固定されてたじゃん。しかも防災リュックまで置いてあったし」

 

「ああ、あれか」

 

 別に隠していたわけでもないので素直に頷く。

 

 すると神崎が興味深そうにこちらを見た。

 

「それは以前聞いた合気道の件と同じ理由か?」

 

「同じ理由?」

 

「万が一に備える、という考え方だ」

 

「あー……そうだな」

 

 言われてみれば確かにそうかもしれない。

 

 護身術を習ったのも、防災用品を集めたのも、根っこにある理由は同じだ。

 

 そんな俺を見ながら神崎が静かに尋ねた。

 

「差し支えなければ聞きたいのだが、その心配性になったきっかけは何だったんだ?」

 

 その言葉に柴田と白波さんも視線を向けてくる。

 

 まぁ、隠している話でもない。

 俺は少しだけ昔を思い出しながら口を開いた。

 

「んー、そうだな」

 

 一度言葉を区切る。

 

「俺、小学生の時に事故に遭ったんだよ」

 

 場の空気が少しだけ静かになる。

 

「事故?」

 

 白波さんが小さく呟く。

 

「うん、まぁ怪我は無かったんだけどね」

 

 今でもよく覚えている。

 

 忘れたくても忘れられない。

 

「下校中に歩道を歩いてたら、いきなり車が突っ込んできてさ」

 

 目の前を通り過ぎた鉄の塊。

 

 耳をつんざくようなブレーキ音。

 

 誰かの悲鳴。

 

 断片的な記憶が脳裏を掠める。

 

 俺はそれを振り払うように笑った。

 

「ほんとに目と鼻の先だったんだ。結構、いや、かなり衝撃だったな」

 

 あの時のことを語るのは慣れている。

 

 少なくとも表向きは。

 

「別に信号無視したわけでもないし、危ないことをしてたわけでもない。ただ普通に歩いてただけなのに死にかけたんだ」

 

 だから思った。

 

 事故なんて予測できない。

 

 突然やってくる。

 

「それがきっかけかな」

 

 パンを一口かじりながら続ける。

 

「いつ死ぬような目に遭うかなんて誰にも分からない。だから少しでも危険を減らそう、もしもの時に備えようって考えるようになったんだ」

 

 説明を終えると、しばし沈黙が流れた。

 

 最初に口を開いたのは神崎だった。

 

「……すまない」

 

「ん?」

 

「軽率なことを聞いた」

 

 神崎らしい律儀な謝罪だった。

 

 俺は思わず苦笑する。

 

「だから気にしなくていいって」

 

「しかし――」

 

「本当に大丈夫だから」

 

 俺は肩を竦めた。

 

「そもそも隠してる話じゃないからさ」

 

 そして少しだけ迷った後、続ける。

 

「むしろ俺はみんなに感謝してるくらいだよ」

 

「感謝?」

 

 柴田が首を傾げる。

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「自分でも分かってるんだ。俺の心配性って結構変だからさ」

 

 初めて行く施設では非常口を探す。

 

 見取り図があれば確認する。

 

 寮には防災用品を常備する。

 

 それが俺にとっては普通でも、他人から見れば変わっているのは理解している。

 

「中学の頃なんて変人扱いだったし、友達もほとんどいなかった」

 

「えっ?」

 

 白波さんが目を丸くした。

 

「まあ、そりゃそうだよね」

 

 俺は苦笑する。

 

「俺だって自分が普通だとは思ってないし」

 

 だからこそ。

 

「このクラスのみんなには結構感謝してるんだ」

 

 自然とそんな言葉が出た。

 

「呆れられることはあるけどさ。それでも普通に接してくれるし、一緒に遊んでくれるだろ」

 

 柴田も神崎も。

 

 目の前の女子二人も。

 

「だから嬉しいんだよ」

 

 言い終わった瞬間、少しだけ気恥ずかしくなった。

 

 すると柴田が何故か感極まったような顔になる。

 

「三条……」

 

「いや、そんな反応されると逆に恥ずかしいんだけど」

 

「いい奴だなぁお前……!」

 

「だから何なんだよ」

 

 思わず笑いが漏れる。

 

 白波さんもくすりと笑った。

 

 そんな中、一之瀬さんだけは静かに俺を見ていた。

 

 そして優しく微笑む。

 

「私、最初に会った時も言ったよね」

 

「え?」

 

「私も三条くんと同じだよって」

 

 穏やかな声だった。

 

「みんな、他の人には言えない不安とか悩みとかを少なからず抱えてると思うんだ」

 

 一之瀬さんは少しだけ視線を落とす。

 

「それは私も同じ」

 

 その言葉には妙な説得力があった。

 

「だからね」

 

 再び顔を上げる。

 

「三条くんが申し訳なく思うことなんて何もないんだよ」

 

 否定でも慰めでもない。

 

 ただ当たり前のことを伝えるような言葉。

 

 それなのに妙に胸に残った。

 

 

 その日の放課後。

 

 買い物を済ませて寮へ向かっている途中、偶然一之瀬さんと出会った。

 

「お、三条くん」

 

「一之瀬さん」

 

 帰る方向は同じだ。

 

 自然と二人並んで歩くことになる。

 

 他愛のない雑談を続けていると、一之瀬さんが少し申し訳なさそうな顔をした。

 

「お昼のことなんだけどさ」

 

「ん?」

 

「事故の話、思い出させちゃったかなって」

 

 どうやら気にしていたらしい。

 

 俺は首を振った。

 

「そんなの気にしなくていいよ」

 

 むしろ。

 

「それより驚いた」

 

「何が?」

 

「最初に会った時のこと覚えてたんだなって」

 

 そう言うと一之瀬さんは笑った。

 

「覚えてるよ。三条くん、すごく具合悪そうだったし」

 

「うっ」

 

 否定できない。

 

「そう言えばあの時、高育に受かったのはドッキリなんじゃないかって言ってたよね」

 

「……言ったね」

 

「今でもそう思ってる?」

 

「正直、三割くらいは」

 

「まだ!?」

 

 一之瀬さんが目を丸くする。

 

 俺は肩を竦めた。

 

「だって色々優遇され過ぎてるし。校舎や教室には監視カメラが大量にあるし」

 

「えっ、監視カメラって教室にも付いてるの?」

 

「ぱっと見じゃ分からないけど、よく見れば天井の四隅にあるよ」

 

 一之瀬さんが驚いた顔になる。

 

「だから実は壮大なドッキリでさ。『高校生に十万円与えたら何に使うのか!?』みたいな」

 

「ふふっ、なにそれ」

 

 一之瀬さんが吹き出した。

 

 だが笑い終わった後、何故か急に立ち止まる。

 

「……あれ?」

 

「どうした?」

 

 彼女は少し考え込むように顎へ指を当てた。

 

「三条くん。それ、間違いとは言い切れないかも」

 

「へ?」

 

 予想外の返答だった。

 

「入学初日の星之宮先生の説明、覚えてる?」

 

「説明って、Sシステムについての話?」

 

「うん」

 

 一之瀬さんは頷く。

 

「先生は毎月10万ポイント振り込まれるとは言ってないんだよ」

 

 その言葉に思わず足が止まった。

 

「10万ポイントはこの学校に入学できた私達への評価の現れ。そしてポイントの振り込みは毎月一日に行われる」

 

 一之瀬さんは当時の説明を思い出すように言う。

 

「一緒に説明されたから、私達は毎月10万ポイント貰えるって思い込んじゃった。でも本当にそうなのかな」

 

 俺はようやく気づいた。

 

 もし10万ポイントが入学時点での評価なら。

 

 今の俺達の評価は?

 

 そしてその評価は誰がどうやって決める?

 

 いや、待て。

 

 もしそうなら――

 

「監視カメラ!」

 

「うん」

 

 一之瀬さんが頷く。

 

「もちろん私達の勘違いかもしれないけどね」

 

 だが可能性はある。

 

 十分に。

 

「明日先生に確認してみるよ」

 

「お願い」

 

 正直、完全に盲点だった。

 

「一之瀬さんって凄いな。俺なんか説明の細かい部分なんて全然覚えてなかった」

 

「にゃはは」

 

 一之瀬さんは照れたように笑う。

 

「うちは、そんなに裕福じゃなかったからさ」

 

「え?」

 

「だから10万円って聞いた時、何かの間違いじゃないかって思って、すごく真剣に話を聞いてたんだ」

 

 そう言っていたずらっぽく舌を出した。

 

「もし予想が当たってたら大変だし、早めに気づけて良かったよ」

 

 そして。

 

「ありがとう、三条くん」

 

 そう言って笑った。

 

 その瞬間。

 

 胸の奥が妙にざわついた。

 

 男女問わず信頼されていて。

 

 誰にでも優しくて。

 

 自然と人が集まってくる。

 

 そんな彼女から向けられた感謝の言葉。

 

 それはまるで――

 

「三条くん?」

 

 呼びかけに我に返る。

 

「い、いや」

 

 慌てて首を振った。

 

「気づけたのは一之瀬さんのおかげだろ。むしろ俺の方がお礼を言いたいくらいだ」

 

「そんなことないよ」

 

 一之瀬さんは少し照れたように笑った。

 

「明日の朝、先生に聞いてみるね。結果が分かったらすぐ報告するね」

 

「うん」

 

 そこまで話したところで丁度横断歩道に差し掛かる。

 

 信号が青に変わる。

 

 それでもすぐには足を踏み出さない。

 

 右を見る。

 

 左を見る。

 

 もう一度右を見る。

 

 停車している車の運転手と視線が合ったことを確認してから、ようやく足を前へ出した。

 

 一之瀬さんはそんな俺を急かすことも、変な目で見ることもなく、自然な足取りで隣へ並んだ。

 

歩道に入ると、無意識にガードレールから少し距離を取る。

 道路側に寄りすぎず、それでいて周囲の状況が見渡せる位置を選ぶ。

 

「……あれ?」

 

 隣を歩いていた一之瀬さんが、不意に足を緩めた。

 

「えっと、一之瀬さん? どうかした?」

 

「えっ? あ、ううん」

 

 一之瀬さんは俺とガードレールの間隔を見つめたまま、小さく笑う。

 

「なんでもない」

 

 そう答えたものの、その表情はどこか考え込んでいるようにも見えた。

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