ようこそ、危機管理至上主義の教室へ   作:文字太

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4月⑤

 翌朝。

 

 いつものように登校し、教室の後方にある自分の席へ向かおうとした時だった。

 

「三条くん、おはよう」

 

 明るい声と共に、一之瀬さんがこちらへやって来る。

 

「おはよう。一之瀬さん」

 

 彼女の表情を見る限り、どうやら昨日の件について何か進展があったらしい。

 案の定、一之瀬さんは周囲に聞こえない程度に声を落とした。

 

「昨日話してたSシステムのことなんだけどね。朝、星之宮先生に聞いてみたんだ」

 

 俺は思わず身を乗り出す。

 

「どうだった?」

 

「『来月も10万ポイント振り込まれるんですか?』って聞いたんだけど……」

 

 一之瀬さんは少し困ったように笑った。

 

「答えられない、だって」

 

「答えられない?」

 

 その瞬間、妙な既視感を覚えた。

 どこかで聞いた返答だ。

 少し考え、すぐに思い出す。

 

「あ」

 

「どうしたの?」

 

「それ、この前俺も言われた」

 

「え?」

 

「生徒会長に監視カメラのこと聞いた時」

 

 一之瀬さんが目を丸くする。

 

 俺は以前、校内を散策していた際に堀北会長と話したことを説明した。

 監視カメラが多い理由を尋ねたこと。

 その時の返答が『答えられない』だったこと。

 あの時はただ単純に知らないだけかと思ったが、だったら『答えられない』という回答は普通しない気がする。

 

 話を聞き終えた一之瀬さんは腕を組み、小さく唸った。

 

「やっぱり何かありそうだね」

 

「少なくとも、簡単に教えられる内容じゃないんだろうな」

 

 もし本当に毎月10万ポイント支給されるのなら、わざわざ隠す理由がない。

 

 それを答えられないということは、そこに何かしらのルールがあるということだ。

 

「確証はないけど……」

 

 一之瀬さんは真剣な表情で言う。

 

「来月からポイントが減る可能性は考えておいた方がいいと思う」

 

「俺もそう思う」

 

 10万ポイントという額が異常なのは最初から感じていた。

 もちろん杞憂ならそれに越したことはない。

 だが、もし違った場合、何も考えずに使い切った生徒は確実に困る。

 

「クラスのみんなにも共有しようかな」

 

「うん。その方がいいと思う」

 

 ちょうどその時、ホームルーム開始のチャイムが鳴った。

 

 一之瀬さんは「じゃあ後で話してみるね」と言い、自分の席へ戻っていった。

 そしてホームルームが終わった後、一之瀬さんは教壇に立ちクラス全員へ向き直る。

 

「みんな、少しだけ時間もらってもいいかな?」

 

 教室の視線が自然と彼女へ集まった。

 

「みんなに少しだけ共有したいことがあります」

 

 落ち着いた声だった。

 

「昨日、三条くんと話していて気付いたことなんだけど、この学校って私たちのことを評価している可能性があると思うんだ」

 

 教室がざわつく。

 そこであまり俺の名前は出して欲しくないんだけど。

 名前が出てチラチラとこちらを見るクラスメイトの視線になんだか居心地が悪くなりながらも一之瀬さんの話を聞く。

 

 そうして一之瀬さんは自身の推測をクラスに伝えていく。

 入学初日の星之宮先生の説明の違和感。

 この学校の過剰なまでの生徒に対する優遇さへの違和感。

 そして、教室にもある監視カメラについて。

 

 最初は気楽そうに聞いていたクラスの面々も一之瀬さんの説明が進むに連れ、徐々に緊張感を増していく。

 

「それに、今朝先生に確認したんだけど、来月も10万ポイントが振り込まれるのかという質問には答えてもらえなかったの」

 

 教室の空気が少しだけ変わる。

 先程まで半信半疑だった生徒たちも、無関心ではいられなくなったらしい。

 

「もちろん私の考えすぎかもしれない」

 

 一之瀬さんはそこで皆の気持ちに寄り添うように一度笑う。

 

「だから怖がらせたいわけじゃないんだ。

ただ、もし本当に評価制度があるなら、授業態度とか普段の生活とか、そういうところを見られている可能性はあると思う」

 

 そして最後にこう締めくくった。

 

「だから今後は少しだけ意識してみない? 杞憂だったら笑い話で済むし、その方が安心だから」

 

 強制ではない。

 不安を煽るわけでもない。

 ただ注意喚起として伝える。

 だからこそ、クラスの反応も悪くなかった。

 

「なるほどな」

 

「確かに言われてみれば……」

 

「少し気を付けてみるか」

 

 そんな声があちこちから聞こえてくる。

 俺は席からその様子を見ながら、小さく感心していた。

 昨日の時点では、ただの違和感だった。

 それを整理し、確認し、クラス全体へ共有するところまで持っていく。

 

 やっぱり一之瀬さんは凄い。

 人から信頼されるのも納得だった。

 

 一之瀬さんの話が効いたのだろう。

 その後の授業は、いつも以上に静かだった。

 もちろん全員が全員というわけではない。だが、これまでなら授業中に小声で雑談していた生徒たちも今日は妙に大人しい。

 

 教室の天井に設置された監視カメラを見上げている生徒も何人かいた。

 

 もし本当に学校が俺たちを評価しているのだとしたら。

 そして、その結果が来月の支給ポイントに反映されるのだとしたら。

 今まで通りというわけにはいかない。

 少なくとも来月一日の結果が出るまでは、多くの生徒が意識して生活するだろう。

 

 改めて思う。

 一之瀬さんの言葉には人を動かす力がある。

 もちろん彼女の推測が正しい保証はない。

 それでもクラスメイトたちは真面目に耳を傾け、行動を改めようとしている。

 

 それは彼女自身が普段から周囲の信頼を積み重ねているからだ。

 同じ内容を俺が話しても、ここまでの影響力はなかっただろう。

 

 そんなことを考えながら昼休みを迎えた。

 

「三条くん、今日も一緒にお昼食べない?」

 

 席を立とうとしたところで、昨日と同様白波さんを連れた一之瀬さんから声を掛けられる。

 

「えっと、いいけど。どうかした?」

 

「実はSシステムについてもう少し相談したくて」

 

「あー、なるほど」

 

 俺が頷くと、一之瀬さんはほっとしたように笑った。

 近くで会話を聞いていた神崎も気になったのか同席したいと申し出てきた。

 結局、昨日と似たようなメンバーで昼食を取ることになった。

 

 ただし今日は柴田がいない。

 

 別の友人と昼食の約束をしていたらしく、今回は神崎、一之瀬さん、白波さん、そして俺の四人だった。

 

 机を寄せ合い、それぞれ昼食を広げる。

 一之瀬さんと白波さんは今日も手作りの弁当だった。

 昨日も思ったが、本当にすごい。

 俺なんて購買で買ったパンを並べるだけだというのに。

 

「それでね」

 

 食事を始めて少しした頃、一之瀬さんが切り出した。

 

「今朝みんなに話した内容なんだけど」

 

 そこから彼女は昨日の出来事を改めて説明した。

 

 俺との会話。

 

 監視カメラの話。

 

 星之宮先生への質問。

 

 そしてSシステムに対する考察。

 

 神崎は黙って最後まで聞き終えると、小さく頷いた。

 

「筋は通っていると思う」

 

「本当?」

 

「ああ。少なくとも、何も根拠のない話ではない」

 

 神崎は真面目な表情のまま続ける。

 

「それに、その違和感に気付いたのは素直に評価すべきだろう。一之瀬、お前はよく見ている」

 

 そう言われた一之瀬さんは照れたように笑った。

 

「そんなことないよ」

 

 そしてすぐに首を横へ振る。

 

「きっと三条くんの話を聞かなかったら、私も気付けなかったと思うし」

 

「俺?」

 

 突然話を振られ、思わず間抜けな声が出る。

 

「うん」

 

 一之瀬さんは当然のように頷いた。

 

「だって最初に監視カメラの話をしてくれたのは三条くんだよ?」

 

「いや、あれは単に気になっただけというか……」

 

「それでもだよ」

 

 一之瀬さんは優しく笑う。

 

「普通の人はそこまで見ないもん」

 

 いや、まあ、それはそうかもしれない。

 

 入学早々、校内中の監視カメラの位置を確認して回る人間なんて、たぶんそうはいない。

 

「三条くんが違和感を持ってくれたから、私も考えるきっかけをもらえたんだよ」

 

「……そう言われると少し照れるな」

 

「にゃはは」

 

 一之瀬さんが楽しそうに笑う。

 その様子を見て神崎も小さく口元を緩めた。

 

「謙遜する必要はないだろう。実際に役立ったのだから」

 

「……そうだね」

 

 ここで初めて白波さんが口を開いた。

 

「結果的にクラス全体のためになってるし」

 

「あ、ありがとう」

 

 少し気恥ずかしくなりながら礼を言う。

 ただ、その時だった。

 

 ふと白波さんの表情が目に入る。

 いつも通り穏やかな顔ではある。

 だが、一之瀬さんが俺を褒めた時だけ、ほんの少しだけ複雑そうな表情を浮かべていた気がした。

 

 ――気のせいだろうか。

 

 そう思った頃には、彼女はもういつもの落ち着いた表情に戻っていた。

 

 

 放課後のチャイムが鳴り終わると同時に、俺は鞄を肩に掛けて席を立った。

 

 向かう先は図書室だ。

 

 この数週間で、放課後の行動パターンもだいぶ固まってきている。

誘われるままにクラスメイトと遊びに行く日もあれば、一人で校内を散策する日もある。

 けれど最近は、図書室へ向かう頻度が増えてきている。

 

 理由はもちろん椎名さんだ。

 

 あの日、図書室で出会って以来、俺は彼女に勧められた本を読み、感想を伝え、また次の本を紹介してもらうという生活を繰り返していた。

 最初に感想を伝える時は、彼女の本に対する情熱に対してその期待に答えられるか、ビクビクしていたがのだが、

ありがたい事に椎名さんは俺の拙い感想に対しても嬉しそうに反応を返してくれた。

 あるいは、彼女にとって初めてらしい本好きの友人との交流だった為ハードルが下がっていたのかもしれない。

 

 そう、友人。 

 

 これまで女子と遊ぶなんて経験を碌にしてこなかった俺にとって、椎名さんとの交流は緊張するものだったが、毎回彼女の本への情熱に圧倒される度に自然と異性という緊張感も薄れていった。

 

 何より椎名さん同様、友人がほとんどいなかった俺にとっては友達と共通の趣味について語るというのは新鮮な時間だった。

 

 図書室へ到着すると、静かな空間の中で椎名はすぐに見つかった。

 

 窓際の席。

 

 柔らかな夕日が差し込む中、灰色の髪を揺らしながら一冊の本を読んでいる。

 

 ページをめくる指先は静かで、その横顔は驚くほど絵になっていた。

 

 まるで小説の挿絵みたいだな。

 

 そんな感想が真っ先に浮かぶ。

 思わず声を掛けるのを躊躇ってしまったが、約束しているのだからそうもいかない。

 

「椎名さん」

 

 呼びかけると、椎名は顔を上げた。

 

「あっ、三条くん」

 

 嬉しそうに目を細める。

 それだけで歓迎されているのが分かるから不思議だ。

 

「待たせた?」

 

「いえ、わたしも今来たところです」

 

 絶対に嘘だろう。

 

 少なくとも本は読み始めていただろうし。

 

 まあ、こういうのはお約束みたいなものか。

 

 そう思いながら向かいの席に座ろうとした時だった。

 

「あの、三条くん」

 

「ん?」

 

「今日は少し時間ありますか?」

 

「時間?」

 

「はい」

 

 椎名は少しだけ視線を逸らした。

 

「もしよろしければ、別の場所でお話ししませんか?」

 

 意外な提案だった。

 

 これまではずっと図書室だったからだ。

 

「別の場所?」

 

「実は最近気になるお店を見つけまして」

 

 そう言いながら椎名は小さく笑う。

 

「一人で入る勇気がなくて……」

 

 なるほど。そういうことか。

 特に断る理由もないので了承する。

 

「俺で良ければ」

 

「ありがとうございます」

 

 椎名はほっとしたように微笑んだ。

 

 

 椎名さんに案内されて辿り着いたのは、生徒がよく利用する大型商業施設のケヤキモールではなく、島の中心部から少し外れた場所にある喫茶店だった。

 

 普段生徒たちが利用するチェーン店とは違い、どこか昔ながらの雰囲気がある。

 

 木製の扉。

 

 落ち着いた照明。

 

 店内に流れる静かな音楽。

 

 まるで物語の中に出てくる喫茶店みたいだった。

 

「すごいな」

 

「素敵ですよね」

 

 椎名さんもどこか嬉しそうだった。

 

 二人で席に座り、飲み物を注文する。

 それからしばらくは、いつも通り本の感想について語り合った。

 

 ただ、今日は図書室ではない。

 周囲に気を遣って声を潜める必要もなかった。

 だから自然と会話も長くなり、感想会にも熱が入ってしまった。

 

「あの場面の伏線、全然気づかなかったな」

 

「わたしも初めて読んだ時は驚きました」

 

「でも被害者、あそこであの行動を取らなければ助かった気がするんだよな」

 

 椎名さんが小さく首を傾げた。

 

「助かった、ですか?」

 

「うん」

 

 俺は何気なく続きを口にする。

 

「犯人の動機を考えると、あの発言が引き金になってる気がしてさ。別の言い方をしていれば、少なくとも殺意までは抱かれなかったんじゃないかなって」

 

 椎名さんがぱちぱちと瞬きをした。

 

「なるほど……」

 

 椎名さんは数秒黙り込んだ。

 まるで新しい視点を見つけたように、静かに考え込んでいる。

 

「三条くんは」

 

 やがて、ゆっくりと口を開いた。

 

「犯人探しよりも、事件を防ぐ方法を考えながら読んでいるんですね」

 

「あ……」

 

 そこで初めて、自分が会話に夢中になり、普段は抑えていたことまで話してしまっていたことに気づいた。

 話しても変わった目で見られるだけだと思っていたからだ。

 

「まあ、そんな感じかな」

 

 少し視線を逸らしながら続ける。

 

「読んでる最中は普通に物語として楽しんでるんだけど、読み終わった後に考えるんだ」

 

 どうすれば被害者は助かったのか。

 

 どうすれば犯人は思い留まれたのか。

 

 何に気をつけていれば危険に気づけたのか。

 

「……癖みたいなものだよ」

 

 最後は誤魔化すように笑った。

 

 椎名さんはすぐには答えなかった。

 

 少しだけ視線を落とし、何かを考えるように指先でカップを撫でる。

 

「素敵だと思います」

 

「え?」

 

「同じ作品を読んでいても、人によって見ているものは違うんですね」

 

 顔を上げた椎名さんは、嬉しそうに微笑んでいた。

 

「わたしは謎が解ける瞬間が好きです。でも三条くんは、その先を見ている」

 

「その先?」

 

「はい」

 

 椎名さんは小さく頷く。

 

「誰も傷つかない結末を考えているんですね」

 

 思わず言葉に詰まった。

 

 そんな大層なものではない。

 ただ、傷つくの怖くて、気づけばいつもそうしていただけだ。

 

「次に読む時は、わたしも少し意識してみます」

 

 そう言って笑う椎名さんの表情に、否定や違和感は一切なかった。

 

 まるで新しい本を見つけた時のような、純粋な好奇心だけがそこにある。

 その視線に、胸の奥の緊張が少しだけほどけていくのを感じた。

 

 

 一通り感想を語り終えた後、俺はふと思っていたことを口にした。

 

「そういえば椎名さん」

 

「なんでしょう?」

 

「同じクラスに本好きな人っていないの?」

 

 椎名はかなりの読書家だ。

 これだけ本が好きなら、同じ趣味の友人がいてもおかしくないと思ったのだ。

 

 しかし椎名は少し困ったように笑った。

 

「それが、Cクラスは活動的な方多く、みなさん本にはあまり興味がないようで……」

 

「ああ」

 

 なんとなく納得した。

 

 Cクラスの面々を思い返す。

 まだ詳しく知っているわけではないが、全体的に気が強い生徒が多い印象だ。

 

 名前までは知らないが、一見すると不良のような見た目で近寄りがたい雰囲気の生徒もいたのを覚えている。

 あの環境で椎名さんが本の話をする相手を見つけるのは確かに難しいかもしれない。

 

「だから」

 

 椎名が小さく続ける。

 

「三条くんとお友達になれて良かったです」

 

 一瞬言葉に詰まった。

 椎名さんはこう言った発言を臆すことなく言ってくれることが多い。

 

「本についてお話しできる人、初めてだったので」

 

 椎名は照れたように微笑む。

 その笑顔を見ていると、こちらまで少し照れくさくなってしまう。

 

「俺もだよ」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。ミステリーの話で盛り上がれる相手なんて今までいなかったし」

 

 それは本音だった。

 中学時代は友達自体ほとんどいなかった為、本の感想を語り合うなんて経験も当然なかった。

 

「なら良かったです」

 

 椎名は本当に嬉しそうだった。

 

 窓の外では夕日が少しずつ傾いていく。

 

 特別な事件が起きたわけでもない。

 

 ただ友人と好きな本について語り合っただけの放課後。

 

 けれど、不思議と悪くない時間だと思えた。




とりあえず4月編をまとめて投稿。
読み直しておかしいと思った部分は随時修正します。
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