その日暮らし   作:夏の一日

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僕のヒグラシは最強なんだ。


カナカナカナカナ

 地平線に沈みかけた太陽の光を、少年は手に持っていた本を盾にして防いだ。そのまま陰になったページの中により深い黒で書かれた文字をいくらか読み進めていた少年は、段々と苛立ったように目を細め、やがてため息をついて本を閉じた。

 

「うわ、まぶしっ。・・・そうでもないな。」

 

 本で遮られていた太陽が少年の顔を照らし、茜色に染めた。彼は村の離れにある神社へと続く石段の中頃に腰掛けていて、そこからはまばらに建てられた村の家屋と、その遥か向こうまで続く緑豊かな大地を一望出来た。夕餉の支度をする民家から立ち上る煙や長い樹齢の刻まれた木々、それらもまた、夕焼けと影の色に染められている。

 少年はこの美しく、ノスタルジックな風景を見下ろしながらもう一度ため息をつく。風景への感傷以上に、剣術の訓練や勉強、また様々な遊びなど、あらゆることに対していまいち本気になれないことへの哀しみが彼を憂鬱にする。先ほどまで読んでいた小説も、最初は面白いと感じていたものの、話の途中で飽きてきて読むのをやめてしまった。

 しかしその憂鬱もそれほど深いものではなく、彼の心は昼と夜の狭間にある黄昏時のように中途半端な場所を彷徨っている。

 

「やっぱりここにいた!おーいユウガオ、今日はミリンちゃんのお家でお泊りだよー!降りてきなさーい!」

 

 石段の下、鳥居の向こうから、少年の姉であるシオンが大きく手を振っていた。幼くもすでに怜悧な美貌の片鱗を覗かせつつある少女の顔は、逆光の影の中にあってよく見えない。少年が手を振りかえすとシオンは手を降ろし、少年の方へ向かって石段を登り始める。少年は迎えに来る姉を煩わせまいと姉の方へ向かおうとして立ち上がり、ふと聞こえてきた蝉の鳴き声に振り返った。

 鳴き声は大きいが蝉の姿は見えず、音のなる方には木造の小さな祠の脇に生えたスギの木があり、その木の幹には鞘に納められた一本の刀が立てかけられていた。少年は刀に近づき、緋色の柄糸で巻かれた柄を持って、漆の上に同じく緋色で流線の装飾がされた鞘から刀を引き抜く。その刀身は今空から沈みかけている夕陽を溶かし込んだかのような色で、掲げられた刃は太陽の光を受けて鮮やかに煌めいた。

 

「ユウガオ、その刀は・・・。」

 

「ああ、お姉ちゃん。ここで拾った。丁度良いから持っていくよ。」

 

「ちょっと!待ちなさいユウガオ!」

 

 刀を鞘に戻し、そのまま帯の間に差し込んで石段を下っていく少年の後を姉が慌てて追いかける。夕陽に染まる姉に似て整った少年の顔、その眼は先ほど刃の中に見えた光景を思い返していた。珍妙な口調になった未来の姉、過去から続くこの世界の歴史、空、星、幽世、生きとし生けるものたちの意思、枝分かれする世界。理を断ち世界を繋げる力を持つ刀、晩蝉は、担い手となった少年に一瞬の内に三世十方の様々なものを見せた。美しく、醜く、喜びや哀しみに溢れた世界を。

 

「うーん、なんだかなあ。」

 

 今まで知り得なかった物語を知った少年の胸の内はそれでも青く晴れ渡ることはなく、黄昏時の空のように何処か憂いを含んでいた。

 

 

 

 その日の夜、少年は貿易商の両親が仕事で遠方の島にいるため、東国の文化に憧れて異国から移り住んできた夫妻の屋敷に預けられていた。仲良く一つの布団の中で眠る姉と夫妻の娘であるミリンの穏やかな寝息を背に、少年は縁側に座って晩蝉を鞘から中ほどまで抜き、刀身に月明かりを浴びせていた。晩蝉の刃は少年が望めばあらゆる時、あらゆる場所の光景を写し見せる。

 刃は現代の遥か遠くで起きている出来事を写していた。力を持った二人の少女、数奇な運命を持つ二人は周囲から疎外され、パンを得るため、また自らの身を守るために力を振るい、戦おうとしている。少女達の未来も晩蝉は見せた。愛し合い、憎しみあって、離別し、きな臭い組織の陰謀に巻き込まれて、争い、そして二人は幸せなキスをして終了。

 運命のままに任せても良いが、ここで幼い彼女達が殺人を犯してしまえば少年の胸に蟠りが残るし、またこの刀の試し切りもしてみたい。少し考えて、今刃に写ったのもなにかの縁かと思い、少年は縁側から庭に降りた。

 この刀の使い方は分かっていた。少年は晩蝉を抜き放ち、目の前の空間に向かって無造作に刀を2度振るう。十文字に切られた空間は引き裂かれ、その向こうには刃に写っていた二人の少女達が居た。時空の裂け目は少年が通り抜けるとまもなく閉じ、少女達は口をポカンと開いて突然現れた少年を見つめる。

 

「こんばんは。えー、何を言っても説教美少年になってしまうなあ。あの、とりあえず悪いことはしないほうが良いよ。お腹が空いたならその弓と斧で魔物を狩って、お金を稼いでご飯を買えば良い。危ないけど人を殺すよりはマシでしょ?」

 

「君はだれ!?あいつらの仲間!?リスちゃんを傷付ける人は許さないから!」

 

「どうも、ユウガオです。」

 

 少年は名乗りながら、二人の少女を見つめた。虹の弓の適合者クピタンとスラーンドの適合者トリステッド。占星武器と呼ばれる弓と斧は彼女達に力と共に悲劇をもたらす。金を稼げとは言ったものの、彼女達の抱える問題はそうした方法では根本的な解決は出来ない。しかし晩蝉ならば占星武器と少女達の絡みあった運命さえも断ち切ることが出来るだろう。必要とあらば過去のトラウマさえも、時空を斬って消し去りにいける。だが少年にはそこまでする気はなかった。クピタンの両親の不和やトリステッドの奴隷であった過去などは痛ましいが、彼の心を微かに揺らしたのは幼い少女による殺人という一点であり、それすらも合縁奇縁による気まぐれだった。

 少年は自らが手にした刀を見つめる。彼に剣術を教えてくれている道場の師範は、侍の血筋らしい。ミリンもよくその言葉を口にする侍のもつ規範、武士道はその名の通り、侍の進むべき道を示してくれると言う。師範は優れた才能を持つ少年にいつも、技には共にある心が必要だと説いた。武士道もなく、心もほとんど揺れない自分は何のために刀を振るうのだろう。

 少年が武器を構えると、二人は怯えながらも身構えた。特にクピタンは感情を色で見分ける虹の弓によって、目の前の少年から見える色に混乱していた。それは人の心というよりも、大自然の風景を眺めているように大きな、沈みゆく太陽の色ーーー。

 いつのまにか刀は振られていた。少年が晩蝉を鞘に納刀すると、クピタン達の後ろで彼女達を襲おうとしていた数人の男が倒れる。

 

「悪しき心を斬った。朝になれば彼らは、品行方正な日々を送ることになるよ。」

 

「ヒィッ!」

 

 目線を向けられ、飛び上がったトリステッドを庇うようにクピタンが立ち、少年を精一杯睨み返す。

 

「悪いことしてたら、その人達みたいに斬っちゃうからね。だめだよ悪いことしちゃあ。僕見てるから。」

 

 少年は再び空間を十文字に切り裂き、ミリンの家の庭へと繋げた。裂け目に入る前に着流しの懐から竹皮の包みを取り出してクピタンに渡そうとしたが「がるるっ!」と威嚇されたので、番犬のようにトリステッドを守ろうとするクピタンの頭を片手で押さえながら、震えるトリステッドの手を取り無理矢理持たせる。

 

「それ昼に食べるの忘れてたやつだから、早めに食べてね。さようなら。」

 

 少年が去ると裂け目も閉じ、初めから何もなかったかのような静寂が訪れたが、倒れた男達の存在とトリステッドの持つ竹の包みが今の出来事が夢ではないと語っている。クピタンとトリステッドはしばらく目を見合わせていたが、暗闇の中でお腹の鳴る音が二つ重なり、二人はおずおずと渡された包みを開いて中にあったおにぎりを分け合って食べた。

 少年は刃に写る二人が肩を寄せ合っておにぎりを頬張るのを見て、納刀する。二人から占星武器を切り離すのはやめにした。二人が罪さえ犯さなければ自分は満足なのだから、先ほど言ったように見張っていれば良い。時空さえ斬れる晩蝉があればそれも容易いことだ。

 少年は庭から屋敷に上がると、姉と友人が眠る布団から少し離れて敷かれた布団に入って、枕元に刀を横たわらせる。少年は目を閉じるといつも通りすぐに眠りについた。

 

 

 

 翌朝、少年は姉と共にミリン一家の朝食の相伴にあずかった後、遊び盛りな姉とミリンに連れられて川まで歩き、熊のように魚を取ろうとする二人を河原に座って眺めていた。ミリンの金髪と姉の黒髪が朝日の下、水飛沫を浴びて揺れ、二人の幼い少女達が笑い合う光景は美しかった。二人の誘いを断って川面の魚影を眺めていた少年は、ふと煩わしい気配を感じ姉達にバレないように腰に下げた刀を抜くと、刀身の中でクピタンがこちらを見上げ、目を釣り上げながら飛び跳ねている。何かを言っているようだと思うと、直ぐに音が聞こえてきた。

 

「見てるって言ってましたよね!早くご飯を下さい!じゃないと悪いことしちゃいますよ!」

 

「やめろよ、見てるわけねえじゃん。というか見てたら怖えし・・・。」

 

「おはよう。君はもう少し穏やかに見えたけどなあ。それに君はもっとトゲトゲしてるかと。」

 

「わああ、出たあ!」

 

「やっぱり見てたんですか!?へんたい!」

 

 少年は首を傾げた。刃の中で見たものよりも、クピタンは何故か好戦的で、トリステッドは臆病だ。幼い少女がたった二人で逃げ出してからまだ数日しか経っていない。彼らはまだ罪を犯していないし、逃げ出してから人格を大きく変えるような出来事にはまだ出会っていないはずだった。幼い心には耐えきれないほど苦しく孤独な境遇によって二人は歪みを抱えているが、罪さえなければそれは些事に過ぎないと少年は考えていた。

 

「君じゃなくてクピタンです!こっちはリスちゃん!」

 

「どうもクピタン、リスちゃん。ユウガオです。そうだね、確かに幼い君たちだけで生き延びるのは可能だが、過酷だ。それじゃあ今日から当分の間、食べ物を君たちに送るよ。追っ手のことは気にしなくて良い、もう君たちの前には現れない。だから安心して過ごすと良い。これで君たちは人を傷付けずに済むだろう。じゃあさよなら。」

 

「待って!・・・また消えちゃった。」

 

 少年が消えてから少しして、二人の頭上から魚が二匹降ってきた。トリステッドは少しヌメヌメする頭を押さえながら、クピタンを睨む。

 

「なあクピタン、何であんな怪しい奴に頼るんだよ。・・・あっ、まだ見てんのか!?おい、見るんじゃねえよ!」

 

 トリステッドはクピタンが助けを求める相手に嫉妬し、心の色が見えるクピタンは、あの太陽のような心を持った少年ならば自分と共に過酷な逃亡生活を送るトリステッドの苦しみを少しでも和らげてくれるだろうと考えていた。

 晩蝉の刃に人の心は写らない。刃によって精神と物質を繋げれば心を見ることも可能かもしれないが、少年は人の心にそれほど関心が無かった。

 

 

 

 それから数ヶ月、少年は毎日三食をクピタン達の元へと送り、きな臭い組織から放たれた追っ手は全員清廉潔白な人間にした。命を奪わないのは気まぐれだった。追っ手が居なくなった少女達はある町にたどり着き、幼いながらも能力を使って二人で何とか暮らしている。クピタンは刃ごしに何度も少年を呼び、少年は二人と親交を深めた。少年はクピタンとトリステッド、また姉のシオンやミリンと接する内に、美しい少女の魅力に触れ、それは夕陽の風景のように彼の心を微かに動かした。それでも彼の空しい心は満たされることなく、少年は未だ何にも本気になれなかった。そして更に時は過ぎる。

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