「ヒィ!・・・テ、テメェ、ユウガオ!またアタシのこと覗いてやがったのかよ!つーか不法侵入だぞ!キモい、入ってくんな!」
突然現れたユウガオに驚き、先程まで座っていた椅子を盾にしてしゃがみ込むトリステット。ユウガオが初めて会った日には小さく幼かったドラフの少女は成長して角や胸も大きくなり、耳にピアスまでつけている。
「おいどこ見てんだ!・・・それで何の用だよ、クピタンならいねーぞ。」
「こんばんは。その方が都合が良い。わざわざ晩蝉で君が一人なのを確認してから来たんだ。」
「ハァ!?」
トリステットはマスクの下の頬を赤らめながら、しゃがみこんでいた姿勢から更に体を小さくした。
あの日晩蝉の刃に見た、幼い彼女が罪を犯した場合の未来と姿形は似通っていても、精神は大きく異なるように見えた。本来なら離別するはずのクピタンと未だ共に暮らしているのがその証拠だろう。幸福に見える彼女達はしかしあるべき傷跡を失っている。自らの心を揺れ動かす数少ないものの一つとして美を好むユウガオは、傷のないことがかえってクピタンとトリステットの精神的な美を損なってしまったのではないかと思った。
「テメェ、またその傲慢な目でアタシを見やがって・・・!」
「トリステット、実は金がなくて困ってるんだ。数日中に返すから、少しだけ貸してくれないか。」
「・・・はぁ、またかよ。なんでテメェは強いのにいつも金がネェんだ。」
意外にもトリステットはユウガオの要求に怒ることもせずに、宿の床に放っていた鞄の中から財布を取り出し、中身を乱雑に掴んでユウガオに突きつける。
トリステット達が何とか生活していけるようになり、ユウガオからの食料が届かなくなってからしばらくして、時々ユウガオはクピタンの居ない時間を見計らって今のように金の無心をするようになった。初めは疑問に思ったが、どうやら彼はろくに仕事もせず、あの赤い刀を使って空の島々を瘋癲しているらしい。クピタンはそのことに憤慨していたが、あの日から自分達を何度も助け、また世のあらゆる出来事を他人事のように凪いだ目で見つめる男がこうして自らを頼る姿は、トリステットにえもいわれぬ興奮を与えた。
「ありがとう。また来るよトリステット。」
ユウガオが刀を振るって斬られた空間の向こうに羽のような耳をしたハーヴィンの幼女が見え、トリステットは苛立ちに顔を顰めた。昔から彼が開けた裂け目の先には、大抵女がいるのだ。
「女のひとにお金借りた?それって、よくない。だめだめ人間。」
「遊び人ならこれくらいはするものだ。ワムちゃんも自分は遊び人だとカジノで自慢げに言っていたじゃないか。」
「ワムはすごすご遊びにん。だめだめ遊びにんのユウとは違うので。」
「なるほど。」
ユウガオとワムデュスはトリステットから借りた金で食事をし、宿を取った。翌日、太陽が1日で最も高い位置に登る頃、ユウガオはベッドに寝転んで露店で買った古本を読んでいた。
「もうおひる。昨日、ユウは依頼を受けるって言ってたのに、朝からずっとねてる。」
「うーん。あと少ししたら行くよ。」
「それもうさん回目。ワム、ちょっとおこだよ。」
「分かった、分かったよ。」
ユウガオは本を懐にしまい、寝転んだまま枕元に置いていた晩蝉を抜くと、刃の中に空にある様々な島の掲示板や依頼がありそうな人々が写された。
「どれもあまり興味が出ないな。」
「それ、見ちゃうから楽しくない。歩いて、直接探すから楽しい、かも。」
「自分で探してもそう変わらないと思うけどなー。」
「昨日いくって言った。ここにずっといるの、ワム、退屈。」
ワムデュスはユウガオの前に浮かびながら頬を膨らませる。ユウガオはようやく立ち上がり、着流しの帯に晩蝉を差した。ユウガオ達の泊まった宿は島の商業エリアから離れた地域にあり、外に出ると噴水のある広場が目の前に見える。かけっこをして遊ぶ子ども達を避けて、ユウガオはワムデュスに言われた通りに自らの足で仕事を探すべく、町の中を歩くことにした。
「いい天気。ぽかぽか、気持ちいい。」
遮るもののない快晴に晒され首筋に汗を流しながら、ユウガオはトリステットのことを考えた。傷が失われて、美が損なわれたとして、それがいかほどのことだろうか。全ては無為なるもの、あるがままにあるのみだ。
ユウガオが暑さを嫌い裏路地に入ると、老婆が困った様子で辺りを見回している。ワムデュスに会話を任せて、壁にもたれて休んでいたユウガオに、話を聞き終えたワムデュスがふわふわと近づいてくる。
「猫ちゃん、いなくなった。黒と白と茶色。」
「三匹も?」
「うん。見せてもらった、あのおばさんの家他にも猫がいっぱい。」
「へえ。じゃ今日は猫を探すか。」
「おー。」
猫探しついでに町を観光しながら二人は歩き回った。民家の屋根に登っていた白猫を空を飛べるワムデュスが捕まえて、酒場の中で寛いでいた黒猫をユウガオが見つけ、二匹の猫を老婆の元へ送り届けた頃には日が傾き始めていた。
「猫はもふもふ、可愛くてよき。けぷ。」
可愛らしいげっぷをしたワムデュスが口元についたタレを拭う。トリステットから渡されたルピは中々の量で、猫を探しながら屋台を巡ってもまだ余裕があった。
「日が暮れる前には終わらせたいな。でもこの刀は使わない方がいいんだろ。」
「もう使ってもいいよ。ワムちょっと疲れたし。」
「自由だな君は。しかしここまで来たら自分の手で終わらせたい。ワムちゃん、二手に分かれて探そう。」
「らじゃー。」
飛んで行ったワムデュスを見送ると、ユウガオは道端に転がっていた木箱に座り、懐から読み差しの古本を取り出して読み始めた。表紙にはマンガで分かる猫の撫で方と書いてある。ペラペラとページを捲る音が路地に響き、表通りの喧騒が微かに聞こえる。足元に何かが触れてユウガオが本からそちらへ視線を向けると、毛並みのいい長毛の猫がユウガオの足に擦り寄っていた。黒と白のバイカラーの毛先は微かに翠を帯びていて、路地の暗闇に合わせて黄金色の瞳の中で黒い瞳孔が大きくなっている。
ユウガオは本のページをめくり直し、マンガで分かる猫の撫で方を順番に試すことにした。
まずは木箱から降りてしゃがみ、できるだけ猫に視線を合わせてやる。猫は高いところから手を出すと怖がるらしい。次に人差し指を顔の前に出すと、本に書いてある通りに顔を擦り付けてきた。そのまま顔の周りを指先で撫で、顎の下を擽り、鼻筋を摩る。ポイントは毛並みに沿って撫でることだ。
「にゃ〜ん。」
指で耳の後ろを掻いてやると猫は気持ちよさそうに鳴いた。マンガによるとここには臭腺があり、触られると安心らしい。
名前を呼べとあるが知らないので適当によーしよしよしと言っておく。手の甲で背中を前から後ろへと撫でた後、尻の尻尾の付け根らへんを手のひらで叩いてやる。
「にょほ〜〜ん❤︎」
尻を叩いていると猫は下半身を高く掲げてセクシーな声で鳴いた。叩き続けていると猫は一際大きな声で鳴いてからパタリと横倒れになる。体をさすってやると喉をゴロゴロと鳴らした。どうやらマンガに書かれていた技術は本物らしい。
「じー。」
倒れた猫とそれを撫で続けるユウガオを、いつの間にか戻ってきたワムデュスが不審そうに眺めた。彼女の手の中には茶色い毛並みの猫が抱えられてリラックスしている。
「ユウ、探しに行くって言ったのにさっきとばしょ変わってない。それにそこの猫、ウィーヤ──」
「にゃふーーーん!」
転がっていた猫は鳴き声をあげながら兎の如く逃げ出した。二人と一匹は風のような速さで小さくなっていく猫の背中を見つめる。
「ご苦労ワムちゃん。それと俺は二手に分かれて探すと言ったんだ。だから俺はこの場所を探して、ワムちゃんがそれ以外の場所を探した。」
「そうなの?なんかおかしい。でもまずはこの子を届ける。」
ワムデュスに猫を渡された老婆はたいそう喜び、少なくないルピと籠いっぱいの手作りのお菓子をくれた。日が沈みかけてオレンジ色に染まる石畳の上を、ワムデュスはお菓子を頬張りながら上機嫌に進む。先ほどの不満のことはもう忘れたらしい。ユウガオはワムデュスに渡されたルピをがま口につめて懐にしまいながら、その後に続いた。
二人は酒場で夕食を食べ終えた後、晩蝉で秘境の温泉に転移して湯に浸かり、宿屋の一室に戻った。ワムデュスはベッドに座ってぼーっと虚空を眺めている。開いた口から涎が垂れているのを見るに、食べ物のことを思い浮かべているらしい。ユウガオは晩蝉の刃で空間を裂き、誰もいない時間を見計らってトリステットの泊まる部屋に金と手紙を置いておく。部屋に戻るとワムデュスが先ほどの姿勢からそのまま倒れた形で眠っていたので、布団の中に寝かせてやってからランプの火を消し、ユウガオは自分のベッドに入った。
ワムデュスの言った通りに晩蝉を使わずに過ごしたことは今まで幾度となくあった。しかしユウガオの持つ微かな空虚は、刀を手にする前から存在したのだ。ゆく河の流れのように、形あるものは滅びゆくという無常。それに永遠があったとして、何故に永遠は無常なものよりも優れていると言えるのだろう。
物思いに更けながら閉じようとする視界の端で、暗闇の中に微かに光るものを捉える。ベッドからでてそちらの方を見ると、窓の外であの毛の長い猫がユウガオを見つめていた。窓枠に前足を引っ掛けてジタバタとしていたので窓を開けてやると、中にコロコロと転がりながら入ってくる。そのまま猫はユウガオの足に体を擦り付けてから後ろを向き、屈んでお尻を高く突き上げる。ユウガオがそれを黙って眺めていると猫はチラチラと振り向きながら尻尾をふり、なーごなーごと鳴いた。
ユウガオは猫がセクシーな声をあげて倒れるまで尻を叩いてやった後、部屋が冷えないように窓を閉めてからベッドに入った。