暁の時、ユウガオが目を覚ますと、視界のほとんどが眠たげな顔で占められていた。
「あ、起きた。」
ふわふわと離れていくワムデュスの姿を上半身を起こして目で追う。彼女は小さい体の周りに碧の光をぼんやりと纏っていた。
「ちょっとようじ。今日のよるにはかえってくる。」
ワムデュスは手を振りながら光の中に消えていった。ユウガオは体を伸ばした後、階下にいた宿の店員にお湯をもらい、部屋に戻って手拭いで顔を拭く。ベッドの下に隠れながら眠っていたイーウィヤは物音に目を覚まし、欠伸をしながらもぞもぞと出てくる。
(ふぁ〜あ、良く寝たのじゃ。全くワムデュスめ、主の隣を独占するに飽き足らず、イーウィヤをこのような場所に追いやるなど・・・にゃふふ、しかしもう奴は居ない。これからはイーウィヤの時代なのじゃ♪)
空は星の見える暁からほの白い東雲へと移り変わり、白い光を浴びながらユウガオは寝巻きを脱いで着流しを着る。帯を締める頃には仄暗い青の空の端が赤く染まり始め、曙が訪れた。
足元に擦り寄ってきたイーウィヤの顔を昨日覚えたやり方で撫で、階段を降りていくユウガオにイーウィヤはひっつきながらついていく。まだユウガオ以外の客は起きていないのか、一階の食堂には店員以外の人影がなく、ユウガオは朝食と猫の食べられるものを頼み、一人と一匹は静かな朝食を楽しんだ。
部屋に戻ったユウガオが甘えてくるイーウィヤを撫で回して過ごしていると、段々と宿中が騒がしくなり、日の光と共に町に活気が満ち始める。ユウガオはベッド脇のサイドテーブルに置いてあった風呂敷を開き、中から手紙を何枚も取り出す。しばらくイーウィヤを撫でながら片手で手紙を持ちながら眺め、読み終えたユウガオが立ち上がるとイーウィヤはその胸に飛び込んで着流しの中にすっぽりと入った。インナーに頭を擦り付けるイーウィヤに構わず、ユウガオは晩蝉を降るって裂け目を開く。
(主はイーウィヤの物なのじゃ〜♪・・・ん?この力はやはり・・・でもイーウィヤには関係にゃい。ワムデュスよ、精々賢しらに働くが良い。その間、イーウィヤは主と遊ぶのじゃ!)
裂け目の先は砂漠地帯の島の中心、町の中央にある大きな神殿の中だった。明け方の涼しい空気が段々と熱されている。ユウガオが両開きの荘厳な扉を開くと、中には半透明のベールで覆われた天蓋付きの豪奢な寝台があった。ユウガオは真っ直ぐ進みベールを躊躇いなく開けて、中で寝ていた寝相の悪く、豊満な体をした褐色肌の女の青い髪の上に手を置いた。
「にゃ?何であの時のニンゲンが妾のベッドにいるのにゃ?・・・ふにゃあ、これは気持ちいいのにゃあ♪もっと撫でるにゃ、妾専属のマッサージ師にしてやるにゃあ♪」
「フシャーー!!」
猫耳の生えている人型の生き物にも猫の撫で方は有効なのか試しているユウガオの手の先、バステトの顔をイーウィヤは爪を出して引っ掻いた。
「ふにゃーーーー!痛いのにゃーー!」
(イーウィヤというものがありながら、何で他の猫を撫でるのじゃ!主のバカバカ、にぶにぶ、にぶちん!それにこの女、イーウィヤとキャラが被っておるのじゃ!ここで消すべきなのじゃ〜〜!)
「フシャーー!」
暴れるイーウィヤを掴みながらユウガオは晩蝉を振って空間を斬る。残されたバステトは引っ掻かれた顔を押さえてシクシクと泣いていたが、すぐにまた眠りに落ち、いびきをかきはじめた。
「あに様!待っておったぞ。さあ、あがってゆくのじゃ。菓子も沢山用意してある。」
裂け目の先は神社の境内で、大きな巻き角を持ったドラフの少女がユウガオを迎えた。社殿の中に招かれ、座敷に座るとお盆に乗せて手作りの羊羹が出される。
「弟妹達もあに様に会いたがっておったぞ。あに様は少し見ない間に、また一段と凛々しくなったの!」
「アニラも、美人さんになったな。」
(またイーウィヤと口調が被っておる。それに兄じゃと?主とこの女では、見た目がぜーんぜん違うではないか。)
話しながらじりじりとユウガオとの距離を詰めるアニラに、イーウィヤはフシャーと威嚇する。
「おお、可愛らしい猫じゃのう。ほれ、この子達と遊んでおれ。」
「ふにゃ!?」
アニラが召喚した羊達の毛の中にイーウィヤが呑み込まれる。イーウィヤが脱出しようと必死にもがいている中、アニラは差し出した頭をユウガオに撫でられながらはにかんでいた。
(酷い目にあったのじゃ・・・。主よ、早くイーウィヤをここから連れ帰るのじゃ!)
「もう行ってしまうのかの?」
「今日は色々予定が詰め込まれててね。よかったらまた手紙を書いてくれ。」
「沢山書くのじゃ!あに様、またすぐに会いに来てくれるか?」
「うん。それじゃあね。」
(べーなのじゃ。二度と来んわこんな所!)
ユウガオとその足元で舌を出していたイーウィヤは、晩蝉が切り開いた狭間に消えていった。
(ん?なんだかさっきと似たような場所なのじゃ。)
「わああああ!もっくん、ストップ!」
ユウガオの目前で、小さな女の子を乗せて飛び立とうとしていた雲が急停止する。投げ出されたアンチラの体をユウガオは片手で抱き抱えた。
「ナイスキャッチ、にいにい!」
アンチラはそのまま剥き出しになった太ももでユウガオの脇腹を挟んでしがみつき、片足にに長い尻尾を巻きつける。背中に乗って艶のある黒髪をいじり始めたアンチラをそのままに、ユウガオは猿神宮の建物へと入っていった。イーウィヤはそれを見送った後神社の周りを散歩して、裏手で見つけた竹に囲まれている澄んだ池の畔でぺろぺろと水を飲んだ。
(人間たちは忙しないのぉ。主もあのように世の細事に関わらず、ただイーウィヤと共にあって威光に平伏す者どもに世話をさせればよいのに。)
「キキ?」
(む?なんじゃ猿ども、ここはイーウィヤの水場じゃぞ。無礼は許してやるから、あっちへいけ。)
「あっ、ミザリー達ここにいたの?そっちの猫ちゃんも、こんにちは。」
イーウィヤと向かい合う三匹の猿の元に、ユウガオと手を繋いだアンチラが歩いてくる。ユウガオの背にはもう一人のアンチラがしがみついてグルーミングを続けていた。
「アンチラ、そろそろ行かないと。」
「ええー?まだ全然時間経ってないよ?久しぶりのにいにいなのに、おじいちゃんにもまだ会ってないじゃん。」
「よろしく言っといてくれ。こっちのアンチラも、降りなさい。」
「ちぇ。このままついてこうと思ったのにな。」
晩蝉を抜刀したユウガオの後ろにイーウィヤは慌ててついていく。
「ボク待ってるから、今度は二人で温泉に行こうね!」
二人のアンチラと三匹の猿は男の背中に手を振る。イーウィヤは置いていかれる彼らに優越感を感じながら悠々と狭間に入った。
(ふん!誰だか知らんが、そこで指を咥えておくと良い!オンセンとやらにも、主はイーウィヤと行くのじゃ。)
次は神社の境内ではなく、森の中に繋がった。近くには御影石の敷かれた道があり、どうやらここは参道の外れらしい。背の高い木々に囲まれた中で、ハーヴィンの少女が地面に向かって黙々と何かを書き込んでいる。
「やあマキラ。ここは涼しくて良いな。」
「ここをこうして、ここをこう、こけこっこう…あ、お兄さん。どもです。」
(また女なのじゃ。主は宿でずいぶんな数の手紙を読んでおったが、まさか全て女からの誘い?これが何度も続くとすれば、うー、何と面倒なのじゃー!ぐぬぬ、しかし主とは離れとうない。主よ、こんな奴らは捨ておけ、主にはイーウィヤがおるのじゃ!)
体を擦り付けるイーウィヤを撫でながら、ユウガオは懐から何冊か本を取り出してマキラの方に差し出す。
「君の研究の助けになりそうなのをいくつか見かけたから、買っておいた。中々レアものだと思うぞ。」
「おお、これは…ありがとうございます、お兄さん。」
マキラは受け取った本を鼻に近づけてクンクンと嗅ぎ、ユウガオを見上げた。
「お兄さん、私の前にアンちゃんと会ってきたんですか。」
「うん、アンチラの仙術も上達していたよ。」
「そですか。私の飛力は相変わらず自分には使えませんし、こっちの方もなかなか…。」
ユウガオは晩蝉の鯉口を切り、刀身を眺める。数多の未来の中で、小型の騎空艇に乗って青空を飛ぶマキラが見えた。そしてそれを見上げる、特異点と呼ばれる少女も。晩蝉であればマキラのものを浮かせる能力、飛力の自分に使えないというデメリットを切り離すことも出来るだろうが、それに喜ぶマキラと比べても刃に写る笑顔は一層美しいと思った。
「まあ気長にやってれば、いつかは完成するだろう。マキラ、俺はしばらくここで見学するよ。」
「いえ、折角お兄さんが訪ねてくれたのですから、休憩です。そちらの猫さんもよしなに。お兄さん、鳥神宮の中でおもてなしさせて下さい。」
ユウガオはマキラに手を引かれながら参道を登っていく。イーウィヤはその後ろ姿を見送りながら欠伸をした後、マキラが地面に書いた数式を覗き込んだ。
(ふむふむ、何やら小さきものを飛ばそうとしておるのか。ふん、一人では空も飛べない愚かなニンゲンよ、せいぜい励むがいいのじゃ。)
イーウィヤは数式から興味を無くして、キョロキョロと辺りを見回す。悠久の時を此処で過ごす杉の巨木が立ち並ぶなか、その内の一本の幹に乗り物のような機械が持たせかかっていた。
(これがあの娘の作っている物か。ここは一つ、風の理たるイーウィヤが乗って試してやろう。娘もあまりの光栄に泣いて喜ぶに違いない。そして主にイーウィヤはたくさん褒められるのじゃ!)
イーウィヤは目に好奇心の光を灯らせながら、マキラの作った試作品の小型騎空挺に乗り込んだ。
(どうやったらこれは動くのじゃ?何やらでこぼこがついておるが…ええい面倒くさい、イーウィヤの手を煩わせるなど、なんて無礼なのじゃ!)
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃー!」
イーウィヤが肉球で闇雲にスイッチを押していると、ブォンとエンジンのかかる音がして、騎空挺はゆっくりと空に浮き始めた。
(そうそう、最初からそうやって大人しくイーウィヤに従っておれば良いのじゃ。よし、イーウィヤは満足したからもうよい。それでこれはどうやって止めるのじゃ?)
騎空挺は前進をはじめ、その速度を徐々に増してゆく。木々にぶつかりながらも加速した騎空挺は、そのまま神社、鳥神宮の建物へと突っ込んだ。
轟音と共に天井に穴が空き、そこから中に突き出した騎空挺とそれに乗ったイーウィヤを、盤上遊戯で遊んでいたユウガオとマキラが驚いた顔で見上げた。
操縦席から落下してきたイーウィヤをユウガオは立ち上がって受け止め、マキラは飛力を使って騎空挺を穴から引っこ抜いた。
「すまないなマキラ、どうやらうちの猫が悪戯したらしい。」
「すごいですねーその猫さん、失敗作だったんですが、まさかあの場所からここまで飛べるとは。あ、今言ったように失敗作ですので、気にしなくて良いですよお兄さん。」
ユウガオは何故かマキラに飛びかかろうとするイーウィヤを宥めながら、腰に差した晩蝉の柄頭に手を置く。破損という概念を切り離せば穴は塞げそうだが、面倒だった。
「家を壊しといて直ぐで悪いが、そろそろ時間だ。また今度お詫びするよ。」
「いえ、それほど大きな穴でもないですし、それはいいのですが…。でしたらお兄さん、私をぎゅっとして下さい。」
両手を広げるマキラにユウガオは近づき、片膝を突きながら抱きしめた。ひらひらとした服越しの子供のような小さな体は、しかし女性の柔らかさを持っている。
「服の中の本にまで染みついたアンちゃんのマーキングを、上書きするくらいの間は離さないで下さいね。」
マキラのボリュームのある金髪からはお香のような匂いがした。ユウガオが髪に顔を近付けると、マキラは鳥の羽のような耳をピクピクと動かし、ユウガオの背中に回した小さい手に力をこめる。
少しして、ユウガオはゆっくりと体を離し、名残惜しげに手を伸ばすマキラに背を向けて晩蝉を振るう。
「じゃあまた。」
「ああ、お兄さん、あともう少しだけ…。」
蚊帳の外にされていたイーウィヤは不満げな顔をしながらユウガオの後に続く。裂け目の先はまたどこかの神社の境内だった。
静謐な空気に浸る間もなく背後から迫った斬撃に、ユウガオは抜き放った晩蝉の刃を合わせてそのまま振り抜き、同時に正面からの牙を弾いた。直ぐに体勢を立て直した闘犬のような犬の隣に、刀を持った少女が着地する。
「わしとガルの挟み撃ちを受け止めるとは!やっぱり強いな、兄!」
「また成長したなヴァジラ、良い太刀筋だ。ガルジャナも力を増している。」
「こんなもんじゃないぞ!」
ヴァジラとガルジャナの攻撃を受け流すユウガオの後ろで、イーウィヤは灯籠の上に飛び上がって丸くなる。
ユウガオはヴァジラと斬り結びながら、隙を狙うガルジャナも刀一本でいなす。渾身の力を込めた真向斬りを片手で打ち払われ、ヴァジラは後ろに飛び退いた。
「くそぉ〜、全然効いてないな!よーし、いくぞ、ガル!」
ヴァジラは再び幾つもの斬撃を繰り出し、斬り上げと同時に刀を空高くに放り投げた。
「天地神明、須らくこの声を聞け!金牙神然!」
太陽を背にして空高く跳んだガルジャナが刀を口に咥え、ユウガオの方へ猛然と振るう。ユウガオは晩蝉でそれを正面から打ち払い、弾き飛ばされたガルジャナはヴァジラを巻き込んで倒れた。
「負けたぞ兄!久しぶりの兄だー!」
ガルジャナは直ぐに立ち上がってヴァジラの上から離れ、ヴァジラも飛び起きてユウガオに抱きつく。
「あのカミとやらは使わないで良かったのか?」
「うん、カミオロシしても多分兄には勝てないし、だったらわし自身が戦って強くなったほうが良いからな!それよりも兄、もっとナデナデしてくれ!いつもわしがガルを撫でてるみたいに!」
ユウガオはヴァジラの頭を片手で抱きながら、近づいてきたガルジャナも撫でてやる。
「ガルジャナ、元気そうで良かったよ。」
「ありがとうございます。ユウガオ様もお変わりなく、何よりです。」
それを灯籠の上から見ていて我慢ならないと駆け寄ろうとしたイーウィヤの周りに、三匹の子犬が群がってくる。
「キャン!」
「シャー!」
(何じゃお前達、今すぐそこを退け!あの犬っころめ、あの愛撫はイーウィヤのものなのじゃ!)
「よし、満足したぞ兄!もう一回勝負だ!」
「すまないが今日は長くいられないんだ。勝負はまた今度にしてくれ。」
「えー!うーん、分かった!ガル、早速修行だ!もっと強くなって、今度こそ兄に勝つぞ!」
「じゃあもういくよ。またなヴァジラ、ガルジャナ。お前達も。」
ユウガオは子犬達、エク、ドゥイ、トリの頭を撫でた後、晩蝉で空間を斬る。イーウィヤはユウガオの懐の中に入った。
「あっそうだ、兄、さっき兄の胸からマキの匂いがすっごくした!女の子に会う時は、そういうの良くないと思うぞ!」
(今はお前の臭いが付いているのじゃ!じゃが安心せよ主、イーウィヤがマーキングし直してやるのじゃ。)