「お疲れさまでしたー!」
同僚に挨拶を済ませ、制服から着替えたことねは、荷物を抱えて店を後にした。
「ふぅ~……今日も働いたぁ……」
店の外に出た途端、張りつめていた気持ちが緩む。
さすがに疲れた。足も少し痛いし、お腹だって空いている。
けれど、ことねはそこで家に帰ろうとはしなかった。
スマートフォンを取り出し、時刻を確認する。
門限まではまだ時間はあった。
「……まだ、ちょっとくらいなら大丈夫だよね」
自分に言い聞かせるように呟くと、ことねは街灯の並ぶ道を歩き始めた。
向かう先は、街の外れを流れる川の河川敷。
人通りが少なく、周囲を気にせずに練習できる場所だった。
ーーーアイドルになる。
その夢を叶えるためには、まだまだ足りないものばかりだ。歌も、ダンスも、もっと上手くならなければいけない。
ならなければ、何のために両親に無理させてまで初星学園に通わせてもらっているのか、わらない。
あんな事になってまで、通わせてもらっているのか、わからない。
だからこそ、時間を無駄にはできない。
疲れているから。
明日も学校があるから。
そんな理由で練習を休んでいたら、いつまで経っても夢には届かない。
「よーし……いっちょやりますか!」
河川敷に到着したことねは、荷物を置き、軽く身体をほぐし始めた。
周囲に人影はなく、遠くを走る車の音と、川の流れる音が聞こえるだけだった。
ことねはスマートフォンを取り出し、練習用の音楽を流す。そして、曲のリズムに合わせて身体を動かし始めた。
最初はゆっくりと振りを確認し、次第に動きを大きくしていく。
一度、二度、三度。
何度も繰り返しているうちに、息が上がり、額には汗が浮かんでくる。
「はぁっ……はぁっ……」
足がもつれ、振り付けを間違える。
それでも
「……っ、もう一回!」
ことねは悔しそうに唇を結び、再び音楽を再生した。
上手くできない自分がもどかしい。
学園には、自分よりも歌やダンスが上手な生徒がたくさんいる。才能があると感じさせる子もいれば、努力を積み重ねて着実に成長していく子もいる。
そんな中で、自分に何ができるのか?
考え始めると、不安になることばかりだ。
それでも、ここで立ち止まるわけにはいかなかった。
ことねには、どうしても叶えたい夢があった。
だから、何度失敗しても、何度息が切れても、彼女は練習をやめない。
ダンスの練習をひと区切りつけると、今度は歌の練習に移る。
ことねはスマートフォンの音楽を止め、夜空を見上げた。
街の明かりに照らされた空には、星がいくつか瞬いている。
深呼吸をひとつ。
そして、静かに歌い始める。
誰かに聴かせるためではない。
今はまだ、誰かに評価してもらう価値もない。
自分がアイドルになるという夢を、少しでも現実に近づけるために。
ことねは一つひとつの言葉を大切にしながら、歌声を夜の河川敷へと響かせていく。ただ、家族への想いだけは無意識のうちに歌声へと混ざり合っていた。
◇◆◇◆◇
ハンバーガーショップで食事を済ませたあと、ユウマは再び天川市の周辺を見て回っていた。
調査とは別に、SKIPの職員として地図だけでは分からない道のつながりや、人々の生活の様子。怪獣が出現した場合に避難経路となりそうな場所も、確認しておく必要があるからだ。
「……すごく、良い街だな」
ユウマは周囲を見回しながら呟いた。
もちろん、星元市だって負けてはいない。けれど、初めて訪れた天川市には、また違った穏やかさがあるように感じられた。
静かな住宅街。
明かりの灯った商店。
家族と歩く人々や、友人同士で笑いながら帰路につく学生たち。
どこにでもある、ごく普通の日常がそこには広がっている。
さっき立ち寄ったハンバーガーショップでも、店員の少女が客に笑顔を向け、子供の泣き声が笑い声に変わっていた。
そんな何気ない光景を眺めながら、ユウマはふと足を止める。
(――だからこそ、守っていかないと)
怪獣が現れれば、こうした日常は簡単に壊れてしまう。
だから、自分たちがいる。
SKIPとして。
そして――
ユウマは小さく息を吐き、再び歩き出した。
そのとき、ふと腕時計に目を向ける。
「そろそろ帰るか……」
明日も調査がある。あまり遅くなりすぎるわけにもいかない。
帰路につこうとした、そのときだった。
――ふと、歌声が聞こえた。
「……ん?」
耳を澄ませる。
風に乗って届く、かすかな歌声。
遠くから聞こえてくるため、歌詞までははっきりと分からない。それでも、誰かが歌の練習をしているらしいことがわかる。
声のする方へ目を向けると、川沿いの遊歩道が見えた。
「河川敷か……」
ユウマは少し迷ったものの、好奇心に背中を押されるようにして、歌声の聞こえる方へと歩き出した。
川へと続く階段を下りると夜風が頬を撫で、草木がさらさらと音を立てていた。
その先に、一人の少女の姿があった。
街灯から少し離れた場所で、少女が一人、歌っていた。
そばには荷物が置かれ、スマートフォンから小さな音楽が流れている。
金色の髪を編み込んだ少女。
その姿を見た瞬間、ユウマはわずかに目を見開いた。
(――あれ? あの人って)
昼間、ハンバーガーショップで接客をしていた店員の少女だ。
もちろん、名前までは知らない。
ただ、泣いていた子供を笑顔にしていた姿が、ユウマの記憶に残っていた。
まさか、こんなところで再び見かけるとは思っていもいなかった。
(……邪魔をするのは悪いな)
そう考え、その場から離れようと思ったとき。
少女の歌声が、夜の河川敷の風と共にユウマの耳に届いた。
それは決して、完璧な歌唱というわけではない。
素人のユウマが聞いてもわかる。
音程がわずかに揺れるところもある。息継ぎが上手くいかず、苦しそうになる瞬間もあった。
それでも――。
ユウマは、いつの間にかその場から動けなくなっていた。
少女は一生懸命、一つひとつの歌詞を、まるで自分自身に言い聞かせるように歌っている。
上手く歌おうとするだけではない。
その歌に込められた気持ちを、どうにかして誰かに届けようとしているように。
その姿が、歌が、ユウマの心をじんわりと暖めていく。
そして、これまで出会ってきた人々のことを思い出す。
怪獣災害に巻き込まれながらも、懸命に生きようとする人たち。
大切なものを守るために、恐怖に立ち向かう人たち。
そして、自分自身もまた、何度も迷いながら、それでも前へ進もうとしてきた。
誰かを守りたい。
誰かの力になりたい。
その思いを胸に、走り続けてきた。
目の前の少女も、きっと何かを目指しているのだろう。
まっすぐで、少し不器用で、それでも誰かに何かを伝えようとする歌声。
それを聴いていると、忘れたくないのに、普段は心の奥にしまい込んでいる記憶が、ゆっくりと、少しずつ、浮かび上がってくる。
ーーおぉ、うまいじゃないか、ユウマ
ーーあら〜、誰に似たのかしらね
ふと、脳裏に二人の面影がよぎった。
頼もしく、自分を見守ってくれた父。
優しく、笑いかけてくれた母。
その二人の声を聞くことは、もうできない。
何気ない会話を交わすことも、一緒に食卓を囲むことも、当たり前のように帰りを待っていてもらうことも。
それでも、幼い頃に見た二人の笑顔だけは、今もユウマの心の中に残っていた。
「……っ」
気づけば、視界が滲んでいた。
慌てて目元に手をやる。
頬を伝う涙に触れて、ユウマ自身が一番驚いていた。
「……あれ? なんで……」
悲しいわけではない。
忘れていたわけではない。
忘れられるはずもない。
あまりにも大切な記憶だからこそ、普段は深く考えないようにしていたのかもしれない。
だからこそ……なのだろう。
目の前で一生懸命に歌う少女のその姿が、どうしようもなくユウマの心を揺さぶられてしまう。
慌てて目頭をぬぐおうとした、その時だった。
「……え?」
歌い終えた少女は、驚いたように目を瞬かせていた。こんな時間に、誰かがいるとは思っていなかったのだろう。
「あ、あの……?」
少女は戸惑いながら声をかけた。
その声に、ユウマははっと我に返った。
「えっ? あ、いや、その……!」
慌てて涙を拭う。
まさか、見ていたことに気づかれるとは思っていなかった。
しかも、自分が泣いているところまで見られてしまった。
「……」
少女もどうしていいのか分からないらしく、その場で固まっている。
ユウマも何か言わなければと思うものの、頭がうまく回らない。
そもそも、どう説明すればいいのだろう。
ただ歌を聞いていただけなのに、勝手に泣いていた。
そんなことを初対面の相手に説明したところで、余計に困らせるだけだ。
「……すみません」
ようやく出てきたのは、そんな言葉だった。
「え?」
「勝手に聞いてしまって……」
ユウマは少し離れた場所から、申し訳なさそうに頭を下げる。
少女はどうしていいのかわからず戸惑っていたが、ふとユウマの顔をじっと見つめた。
「……あれ?」
「え?」
「もしかして……お昼にお店に来た人?」
ユウマは一瞬、きょとんとした。
それから、彼女の言葉を理解して頷く。
「あっ、そうです。 昼間、ハンバーガーショップで……」
「やっぱり! え、てかなんで泣いて…というかなんでここにいるんですか!?」
「いや、えっと、その、街を見て回ってたら、歌が聞こえてきて……」
「うっ……!」
少女の表情が一変した。
自分が歌っているところを見られていた。
その事実に気づいた途端、彼女の頬がみるみる赤くなっていく。
「え、えっと……ど、どこから見てました?」
「え? ああ、歌い始めたあたりから……かな?」
「さ、最初からじゃないですかぁ……!」
少女は思わず両手で顔を覆った。
「うわぁ……マジかぁ……。まさか人に聞かれてるなんて……!」
「えっ!? ご、ごめんなさい! 盗み聞きするつもりはなかったんです! たまたま聞こえてきて……!」
ユウマは慌てて頭を下げた。
少女はしばらく顔を覆っていたが、やがて指の隙間からユウマをちらりと見た。
「……それで」
「はい?」
「……聞いて、どうでした?」
「え?」
「だから、その……歌ッ!」
少女は顔を赤くしたまま、少しだけ声を強めた。
「ど、どう思いました? その……下手だった、とか……」
最後の方は、消え入りそうな声だった。
ユウマは彼女を見つめた。
どう答えればいいのか、少しだけ考える。
お世辞を言うつもりはなかった。
彼女が不安に思っていることも、なんとなく伝わってきた。
だからこそ、思ったままを伝えようと決めた。
「ーーすごく、よかったです」
「……え?」
少女が顔を上げた。
「歌が上手いとか、そういうことだけじゃなくて……なんて言えばいいのかな。聴いてたら、すごく一生懸命なのが伝わってきて」
ユウマは少し照れくさそうに頬を掻いた。
「なんだか、胸がいっぱいになっちゃって……気づいたら、泣いてました」
「…………はい?」
少女はぽかんと口を開けたまま、ユウマを見つめていた。
やがて、彼の言葉を理解したのか、頬がさらに赤くなる。
「な、泣いた……!? あたしの歌で!?」
「は、はい……」
「う、嘘でしょ……!?」
「嘘じゃないです!」
ユウマが真剣な顔で答えると、少女は困ったように視線を泳がせた。
「いや、確かに泣いてたけど、あたしの歌でと思わないし……そ、そんなこと言われたの、生まれて初めてなんですけどぉ!?」
「そうなんですか?」
「そうですよ! というか、普通、初対面の人の歌を聴いて泣きます!?」
「たしかに……自分でも、ちょっとびっくりしてます」
「ちょっとどころじゃないでしょ……!」
少女は呆れたように呟いた。
けれど、その口元には、ほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。
「それにしても、よく僕の顔覚えてましたね?」
話題を変える事と気になったことを聞くユウマ。
すると少女は少し誇らしげに胸をそらしながら言う。
「そりゃあ、お客さんの顔くらい覚えてますよ!……まあ、全部のお客さんを完璧に覚えてるわけじゃないですけどね」
「それでもすごいと思います。人の顔を覚えるのって、意外と難しいと思うので」
「ふふん。そこは、あたしの得意分野ですから!」
少女は誇らしげに笑った。
昼間、店内で泣いていた子供を笑顔にしたときと同じ、明るい笑顔だった。
ユウマはその表情を見て、自然と頬を緩める。
「……やっぱり、笑顔が素敵ですね」
「――へっ?」
少女の笑顔が、ぴたりと止まった。
「な、ななッ、何ですか急にッ!?」
「あっ、いや! 昼間も思ったんですけど、接客してるときも、さっき歌ってるときも、一生懸命で……なんだか、いいなって思ったんです!」
「い、いいなって……!」
少女の顔が、みるみる赤くなっていく。
「そ、そういうの、初対面の人にサラッと言うものじゃないと思いますけど!?」
「す、すみません……!」
ユウマは慌てて頭を下げた。
少女はしばらく彼を見つめていたが、やがて、ふっと息を吐いた。
「……もう。なんか、調子狂うなぁ」
そう呟きながらも、その表情には先ほどまでの警戒心は薄れていた。
ユウマは少し気まずそうに頬を掻く。
「えっと……改めて、すみません。僕、飛世ユウマっていいます」
「飛世……ユウマさん?」
「はい」
ユウマが笑うと、少女も少しだけ表情を和らげた。
「あたしは藤田ことねです。なんと! 初星学園の一年生で、アイドル科に通ってるアイドルでぇ~す♪ ……全然売れてないですけど」
「え、初星学園?」
思わず、ユウマの口から声が漏れる。
ことねが不思議そうに首を傾げる。
「え? どうかしました?」
「あっ、いえ!」
ユウマは慌てて首を横にふる。
まさか、今まさに調査している初星学園の生徒だったとは思わなかった。
「実は僕も、最近この街に来たばかりなんです。というか、明日から初星学園に通うことになってまして」
「へえ、そうなんですか?……へぇッ!? 初星学園にくるんですか!? 高校生…? ではなさそうですし……それならプロデューサー科に通うってことですか!?」
「そ、そうですね」
ことねの目が大きく見開かれ、その表情はぱっと華やいだ。
「うわぁ、スゴっ! 本物のプロデューサー科の人だ!」
ことねにはまるで憧れの存在を目の前にしたかのような、尊敬と期待の入り混じった瞳でまっすぐにユウマを見た。
それの視線を受け、ユウマは思わず目線をそらす。
ことねの期待するような「プロデューサー」ではない自分に、少しだけ後ろめたさを感じたからか、なんとなくユウマはスマートフォンを取り出して時間を確認した。
「……あ、もうこんな時間なんですね。藤田さんは大丈夫ですか?」
意外と時間が過ぎていた。
ユウマに言われ、ことねも慌ててスマートフォンを取り出す。
表示された時刻を見た瞬間――
「うげぇッ!?」
ことねの顔が一気に青ざめた。
「ヤッバ!? 門限まであんま時間ねぇ!?」
「門限?」
「そうなんですよ! 寮の門限があるんです! これ以上遅れたら、また麻央ちゃんに怒られる……!」
さっきまで歌っていたときの落ち着いた様子はどこへやら。
ことねは慌ただしく荷物をまとめ始める。
「す、すみません! あたし、もう帰らないと!」
「いえ、俺も遅くまで引き止めてしまってすみません」
「飛世さんのせいじゃないですよ! あたしが時間を忘れてただけなので!」
そう言いながら、ことねは鞄を肩にかける。
ユウマもふと河川敷を見渡した。
夜の静けさが戻りつつあり、少しだけ寂しさのような感覚があった。
「じゃあ、俺もそろそろ帰ります」
「はい!」
ことねは急いで帰ろうと走り出そうとして、立ち止まり少しだけ考えるようにしてから、ユウマに向き直った。
「……あの、今日はありがとうございました」
「え?」
「歌、聴いてくれて。それに……あんなふうに言ってもらえて……ちょっと自信つきました!」
照れくさそうに笑う。
「明日からも、もっと頑張ります!」
「……はい。俺も応援してます」
「ありがとうございます!」
ことねは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、ユウマも自然と笑みを返す。
「それじゃ、失礼します!」といって走り出すことねの背を見送っていると、ことねは振り返り叫んだ。
「ライブの時は、ぜええぇぇぇーーたいッ!! 見にきてくださいねッ⭐︎」
誰もが思わず「かわいい」と唸ってしまいそうな声色とポーズを駆使して、ことねは自分が今できる『アイドル』としての姿を、自分の歌で感動してくれたファンに向けて最高のファンサを魅せる。
その破壊力は、アイドルなどほとんど知らないユウマでさえ、思わず胸の奥に何かが突き刺さるような強い衝撃があった。
「ーー!?」
一瞬、言葉を失う。
だが、ことねに動揺を悟られまいと、ユウマは平静を装って小さく息を吐いた。
「はい、必ず行きます!」
照れを隠すように笑って答えるユウマ。
ことねはそんな彼の様子を見て、嬉しそうにニコッと笑った。そして、ことねは寮へと向かって小走りに駆けていき、ユウマはその背中を見送る。
「……藤田ことねさん、か」
今日初めて出会ったはずなのに、不思議と印象に残る少女だった。
先ほどのやり取りや、河川敷で聴いた歌声を思い出しながら、ユウマは帰路につく。
その顔には、いつの間にか自然な笑顔が浮かんでいた。