もしも、スバル以外のキャラがIFルートまたは本編から帰ってきたら 作:ああああああ
突然、目の前の景色が変わった。
さっきまで夜中のコンビニから出たばかりだったはずなのに、視界を横切ったのは巨大なトカゲが引く馬車。周囲を行き交うのは、見たこともない亜人や人間たち――そこは、中世ファンタジー風の活気にあふれた市場だった。
「ん……?」
まるで、夢の中で「これは夢だ」と自覚しているかのような奇妙な感覚。いや、それにしては肌を刺す空気も、鼻を突く獣の臭いも、五感がリアルすぎる。
呆然と立ち尽くしながら、スバルは慌てて辺りを見渡した。
すると、スバルと同じように目を擦り、目の前の光景に戸惑っている者が複数、視界に入った。
「俺だけじゃねーのか……?」
狼人間や猫人間、犬人間。フィクションの世界にしかいないはずの存在たちが、今そこにいる己の肉体を確かめるかのように、一様に呆然と立ち尽くしている。その困惑しきった様子は、スバルと同じく「この世界に馴染めていない」ように見えた。
「――まさか、俺たち一斉に異世界召喚されてるのか?」
直感したスバルは、近くにいた動物人間に声をかけようとした。だが、その言葉は喉の奥で止まる。
ふと目をやった八百屋の店主までもが、スバルたちと同様に数秒間、完全にフリーズしていたからだ。いくらなんでも、今しがた召喚されたばかりの人間が八百屋の店番をやっているわけがない。
「何が起こってるんだ……? 俺の勘違いか? みんなで同じ夢を見てるわけじゃねえよな……」
呆然としてから数十秒。自分の体の重みや、頬を撫でる風の感覚が、これが紛れもない「現実」だと告げていた。周りの住人が夢から覚めたように見えたのは、この急展開に戸惑うあまり、都合のいい仲間を幻視してしまっただけなのだろうか。
「おい、兄ちゃん。当店に何か用かい?」
考え込んでいたスバルに、件の八百屋の店主が怪訝そうな声をかけてきた。
手元にあるなけなしの資金は日本円。この異世界で通用するはずもないが、淡い期待を抱いて財布から硬貨を取り出してみる。
「働け、無一文!」
「ぎゃふんっ!」
分かっていた結果とはいえ、スバルは速攻で店主から厄介払いされてしまった。
「言葉は通じるみたいだな。でも、異世界召喚されて最初の会話がコレじゃ、主人公として浮かばれねーな。俺を召喚したはずの美少女はどこだよ」
ふてくされ、独り言をこぼしながら、スバルはあえて人気の少ない路地裏へと足を進めた。
異世界モノお約束の美少女は見当たらないし、何より大通りでは、様々な亜人たちから「物珍しい衣服の不審者」を見るような視線を集めて気まずかったのだ。ジャージ姿の自分は、彼らからすれば宇宙人も同然かもしれない。
「大多数の視線は俺の天敵なんだよなぁ……。そんな俺を引っ張り出すとは、召喚士様のセンスを疑うぜ。その代わり、俺に『異世界チート特典』は用意してくれてるんだろうな?」
人目がなくなったことに安堵しつつも、静まり返った空間にじわじわと心細さが押し寄せる。
奥へ進むほどに薄暗くなっていく路地に、スバルが引き返そうと歩みを緩めた、その時だった。
「――あ?」
前方を塞ぐように、3人の男がぬっと姿を現した。スバルの足がピタリと止まる。
3人と1人。狭い路地裏で、お互いを値踏みするように視線が交錯した。
「これは……チュートリアルか? まだ『ステータス・オープン』も試してねえんだが、こいつらいかにも悪そうなテンプレ顔してるよな……?」
スバルは己の掌を見つめ、何かシステムコマンドが表示されないか確認するが、視界には何の変化もない。
「何言ってんだてめえ。てめえこそ鏡見てからモノ言えよ」
「俺らのことナメてんぞ、こいつ。一旦身ぐるみ剥いで――」
現れた3人組は、見事なまでに大・中・小の体格差だった。ネーミングするなら『トン・チン・カン』とでも呼びたくなるようなトリオだが、その中と小の2人が、特にギラついた好戦的な目を向けてきている。
「先制攻撃でチュートリアル開始だぜ!」
スバルはハッタリ混じりに言い放ち、男たちが動くより早く地を蹴った。元の世界で本気の殴り合いなどした経験はなかったが、脳内イメトレなら完璧だ。何よりここは異世界。悪党相手ならボコボコにしても許されるはずだし、もしかしたら自分には、内に秘めた超人的な力が宿っているかもしれない――そんな期待があった。
だが、スバルの拳が届くよりも、男たちが迎撃の構えをとるよりも早く、その「異常」は起きた。
――ミシッ。
空間そのものが悲鳴を上げたかのような、奇妙できしんだ音が響く。
直後、肌を刺すような暴力的な冷気が、スバルの顔面を容赦なく襲った。
「え……っ!?」
あまりの寒さに息が凍りつく。何もない空間から、突如として巨大な氷の結晶が文字通り「生えた」のだ。
一瞬前まで凄んでいた大・中・小の3人組は、その咆哮をあげた表情のまま、巨大な氷塊の中に完全に閉じ込められていた。化石のようにピクリとも動かない。
「な……これ……何だよ、おい……!」
さっきまで殴りかかろうとしていた勢いは完全に消え失せ、スバルは呆然と言葉を失った。悪党とはいえ、あまりに急激で理不尽な怪奇現象を前にすると、心配と恐怖がごちゃ混ぜになった小心者としての本能が顔を出す。
「つ、つめてえ……っ!」
恐る恐る手を伸ばし、氷の表面に触れてみる。痛烈な冷たさが指先から脳へと伝わり、これが幻覚でもCGでもない「本物の氷」であることを証明していた。
こんな絶対零度のような質量に閉じ込められて、中の奴らは生きているのだろうか。
冷気とは裏腹に、スバルのこめかみを冷たい汗が伝い落ちていった。
「スバルッ!!!」
唖然と立ち尽くすスバルの頭上――路地裏の狭い切り取られた空から、少し裏返った悲鳴が響いた。
声の響き方からしてかなりの高所。しかし、驚くべきことにその声の主は、重力に逆らうように建物の壁を蹴り、スバルのいる路地裏へと真っ逆さまに飛び込んできたのだ。
「お、おい――っ!?」
反射的に頭上を見上げようとした瞬間、スバルの視界は突如として真っ白な銀髪に覆われ、同時に体に鋭い衝撃が走った。
上から降ってきた未知の質量に押し潰されるようにして、スバルは勢いよく地面に倒れ込む。
「ぐふっ!」
固いレンガの石畳に後頭部を叩きつけられる――そう身構えたスバルだったが、痛みが走ったのは背中だけだった。危ういところで、後頭部は上から降ってきた人物の、柔らかくしなやかな両手によってしっかりと支えられていた。
背中の鈍痛など、一瞬で彼方に吹き飛ぶ。なぜなら、鼻腔をくすぐったのは、超至近距離から漂う、果実のように甘く、それでいてどこか冷涼な、あまりにも可憐な少女の香りだったからだ。
「う、うう……」
恐る恐る目をあけたスバルの目に飛び込んできたのは、息を呑むほどに美しい、銀色の髪の少女の顔だった。
至近距離で、深い紫紺の瞳と真っ向から視線が交錯する。あまりの美貌に心臓が跳ね上がり、全身の細胞がフリーズしたかのように、呼吸の仕方すら忘れて固まってしまう。
「スバルっ! スバル……! 生きてる……っ! すごーく熱い! ちゃんと、ちゃんと温かいわ!!」
スバルが目を開けたのを確認するやいなや、銀髪の美少女はその両頬をきつく掴み、まるで生存を確認するように揉みくちゃにしてきた。
「あああ! いて、痛ててっ! っていうかコレはコレで天国すぎるんだが……俺の純情のキャパを超えている! 女の子にこんな距離で触られたのなんて、小学生の時の手押し相撲以来だぞ!?」
わけのわからない状況で、目の前の美少女にされるがまま。とうとう脳の許容量が限界を迎えたスバルは、たまらず彼女の両肩をそっと押し、どうにか物理的な距離を確保した。
まずは冷静にならなければ。この天国と混乱がちゃらんぽらんになった状況を、一度脳内で咀嚼する必要がある。
スバルが拒絶ではなく、困惑から距離をとったことに気づいたのか、少女も少しだけ我を取り戻したようだ。潤んだ瞳で、スバルの反応を伺うようにじっと覗き込んできた。ただそれだけの仕草にすら、スバルの心拍数は狂わされそうになる。
「あ……あのさ。もしかして君が、俺をここに引っ張り出した『銀髪美少女召喚士様』ってことでファイナルアンサーですか?」
正面から見つめ合うのに耐えかねて、スバルはあえて視線を斜め下に逸らし、赤くなった頬をポリポリと掻きながら問いかけた。
だが、期待したような「そうよ!」という快活な肯定は返ってこなかった。
「す、スバル……覚えてないのね……」
数秒の重苦しい沈黙の後、少女はぽつりと、ひどく切なげにそう呟いた。
スバルにとっては、完全に意味不明な返答だった。
「覚えてるも何も、俺の方が脳内大パニックの絶賛大混乱中なんだけど。そもそも、なんで君が俺の名前を知ってるんだ? 俺の記憶が確かなら、こんな国宝級の美少女とエンカウントするのは、間違いなく俺の人生においてファーストマッチングなんだけどな……」
「ごめん、ちょっと何言ってるのかわからないんだけど……。でも、うん。わかったわ」
パンッ! と、乾いた鋭い音が路地裏に響いた。
銀髪の少女が、気合を入れるように自分の両頬を平手でたたいたのだ。透き通るような雪の肌が、衝撃で微かに赤みを帯びる。
「わかってるんだか、わかってないんだか、俺にはさっぱり分からないんだけど……。分かることがあるなら、分かりやすいように、分かりたい俺に、どうか教えてプリーズミー……。日本語、じゃなくて、言葉通じるんだよな?」
「ううん、すごーく大丈夫よ。ここからは私に全てまかせてくれたらいいんだから!」
目の前の美少女を前に、胸の高鳴りが治まる気配は微塵もない。スバルはいつもの軽口を叩き出すことでどうにか自分のペースを作ろうとするが、どうにも会話が噛み合わない。彼女はスバルの知らない「何か」に一人で納得し、強固な決意をその瞳に宿して自己完結してしまっている。
「あああ! ちくしょう、悪かった! 俺は大人しく黙って聞いてるから。ひとまず、俺が今どこにいるのかだけでも教えてくれないか?」
「おおっ!?」
静聴を決め込もうとした直後、いきなり右手を少女の両手でぎゅっと包み込まれ、スバルの口から情けない裏返った声が漏れた。これで「異世界召喚されたクール系主人公」の路線は完全に破綻した。
今度こそ、状況が飲み込めるまで余計な口は挟むまいと心に決める。
「ええと、まずね……私は、スバルが殺される夢を見ていたみたいなの。すごーく本物っぽくて、すごーく長い、嫌な悪夢。でも、その悪夢は全部、ただの夢だったみたい」
少女はスバルの右手を握る手に、さらにぎゅっと力を込めた。
「だからね、今後その悪夢と同じことにならないように、私がすごーく注意して、スバルを守ろうって今決めたの。だから……ひとまず、落ち着いてね? スバル、なんだかすごーく落ち着いていないみたいだから……」
「……?? ……うーん、分からん」
黙っていると決めたそばから、スバルの口からは正直な感想が漏れ出ていた。
少女の語る説明は、何一つとしてスバルの脳細胞にヒットしない。
そもそも、俺が今すごーく落ち着いていないのは、世界の危機とか悪夢とかのせいじゃなくて、君みたいな美少女に至近距離で手を握られているからなんだが――そんな事の重大さの決定的なズレを口にするのは、あまりに男として情けなく、申し訳ない気がした。
「おほんっ! 悪いが、一回仕切り直しだ! 俺から一つずつ質問させてもらうから、君にその疑問を解消してもらいたい。オーケー?」
「え……ええ、そうよね! ごめんね、私もすごーく焦っちゃってるみたい。いいや、すごーく、この奇跡に安心はしているんだけど……」
「焦ってるのに安心するって、感情の渋滞が起きてないか?」
思わずそんなツッコミを入れながらも、スバルはこれ以上心拍数を狂わされないよう、冷静さを取り戻すために一歩後ろへ下がろうとした。
だが、その背中がゴツリと冷酷な硬質にぶつかる。――突然出現した、あの巨大な氷の塊だ。
背中から伝わる絶対零度の拒絶感が、スバルののぼせ上がった頭を一気に、そして冷徹に冷やしていく。
「ま……待ってくれ。こいつら、生きてるのか……? 息、できてないよな……?」
美少女との遭遇によるドタバタで忘れていた、最も重大な疑問が脳内に舞い戻ってきた。
氷塊の中に閉じ込められた3人組は、すでに数十秒が経過しているというのに、指先一つ、睫毛一本すら動かさない。恐らくは何らかの超常的な力――『魔法』によって生み出されたものだろうが、周囲の気温に影響されて溶ける気配すら微塵もなかった。
この密閉された氷の中で、人間が生存していられるわけがない。スバルは思わず、カチカチと奥歯を震わせた。
「加減なんて、できなかったの。加減しようとして、もし間に合わなかったら――私、すごーく、すごーく後悔する。また『奇跡』が起きるなんて、そんな都合のいいこと絶対に思ってないから」
少女の声は、先ほどまでの焦燥とは打って変わって、ひどく静かで重かった。
「もう……私の目と鼻の先でスバルが殺されるなんて、絶対に嫌。そんなの、大うつけのすっとこどっこいよ」
「は……? いや……」
背中の冷たい氷塊に触れたまま、スバルは銀髪の少女が放った独特すぎる言葉選びにツッコむことすらできなかった。
さっきまで息を呑むほど美しい、お姫様のように見えていた銀髪の美少女。だが、今その紫紺の瞳の奥底に揺らめいているのは、並々ならぬ執念と、スバルの知らない、理解の範疇を超えた圧倒的な「重さ」だった。
悪党を瞬殺する容赦のなさと、自分に向けられる過剰なまでの保護欲。その矛盾した歪さに、溺れてしまいそうなほどの恐怖がスバルの心を支配していく。
――出会ったばかりの美少女。だが、この状況は本当に『ご褒美』なのか?
スバルの胸中で、生存本能がけたたましく危険信号を鳴り響かせていた。