もしも、リゼロキャラがIFルートまたは本編から帰ってきたら(スバル主人公) 作:ああ
――「よう兄ちゃん、当店に何か用かい?」
視界を満たしていた眩い白光が徐々に引いていき、ルグニカの街並みが色鮮やかに輪郭を取り戻していく。目の前には、見覚えがありすぎる八百屋の店主が、怪訝そうな顔でスバルを見つめていた。
「…………」
スバルはそっと自分の胸に手を当てた。衣服越しに、ドクドクと力強く打つ心臓の確かな鼓動を確かめ、この手の中に残されたやり直しの『奇跡』に、魂の底から感謝した。
視界が熱くなり、込み上げそうになった涙は、鼻を短くすすって無理やり奥へと引っ込める。
「……蹴って、悪かったな。いつか直接、盛大な五体投地をやらせてくれ」
目の前の店主には絶対に伝わらない、けれど、この初期位置にスバルの魂を送り届けてくれた、あの優しき魔女へ向けて静かに告げた。
この独り言がトリガーとなって、再びサテラがこの世界に顕現するような異常事態は起きなかった。だが、世界の耳目を集めるような不用意な発言は、今後は絶対に控えるべきだろう。
それでも、今の声は彼女の元へと届いているはずだ。
この狂った予知夢の世界で、ナツキ・スバルだけは『嫉妬の魔女』をただの化物として拒絶しない。その意志が、少しでも彼女に伝わっていればいいと思う。
「おいおい、誰と話してんだよ。買わねえんなら商売の邪魔なんだよ、他所へ行ってくれ!」
「おっと……そりゃ悪かったな。これからちゃんと働いて、がっつり稼いできてやっからさ。その時はよろしく頼むぜ、大将」
スバルは店主に向かって持ち前の軽薄な笑顔を浮かべると、軽く手を振りながら八百屋の前を後にした。
「てめえ、一文無しかよ! こんな真っ昼間から油売ってねえで、さっさと働きに行きやがれ!」
背中越しに飛んでくる、店主の容赦のない怒声。
「耳が痛いぜ、全く……。だけどな大将、俺がこれからどれだけの大仕事を背負い込むと思ってんだよ」
ジャージのポケットに両手を突っ込み、スバルは大通りを一歩ずつ、確かな足取りで歩き始めた。
――傲慢にならずに、正気を保ったまま、今度こそ誰も取りこぼさずに全員を救ってみせる。
ナツキ・スバルの、真の第一歩がここから始まる。
△△△△
通りを歩きながら、スバルは己の胸中で「これが三度目の挑戦だ」と、深く強く自覚し直していた。
だが、これはただの三度目ではない。前回のループの終わり際、サテラの手によって脳内に直接ロードされた、あの長く果てしない『予知夢』の記憶がある。それはこれから起こり得る最悪の破滅を知り、二度と同じ轍は踏まないと血の涙を流して決意させたものだが、得られたものは決意だけではない。
「――全部、分かったぜ」
スバルは今、ルグニカの圧倒的な『先行情報』を手中に収めていた。
もう、「この世界に召喚されたばかりの無知な迷子」という甘えや言い訳は通用しない。ルグニカ王国の内情、近衛騎士団の戦力、果ては大罪司教をはじめとする魔女教の動向にいたるまで、いまこの国でナツキ・スバルほど裏の知識に精通している者は他にいないだろう。
「あの狂ったIFルートのやり方を真似する気は毛頭ねえが……あいつが命を磨り潰して得た『結晶』だけは、ありがたく使わせてもらうぜ」
数え切れないほどの『死に戻り』の果てに積み上げられた膨大な記憶。
その歪んだゴールの先にあったのは、決して受け入れられない最悪の『傲慢』だったが、そこへ辿り着くまでの泥臭い努力のすべてを無駄だとは、どうしても思えなかった。正気を保ち、エミリアたちと真っ当に生きていくために、この知識のすべてを注ぎ込む。
「……でもさ、IFルートの俺。お前のことまで救ってやりてえなんて考えること自体が、すでに傲慢なのかな」
あの悪夢の中で、ナツキ・スバルは初日にエルザに八十八回も殺され、その度にエミリアの死を見届けたことで狂人へと変貌した。
たった一歩、心の置き所を間違えるだけで、取り返しのつかない感情の化物になれるポテンシャルが自分にはある。それはすでに脳内で証明されてしまっているのだ。
ならば、いまの自分に何よりも必要なのは『感情の徹底的なコントロール』に他ならない。
だからこそ、これから始まるエミリアとのファーストコンタクトは極めて重要だった。前回のループですらあんなに感情的になってしまったのに、その直後に「エミリアへの歪んだ愛のために世界を焼いた狂った人生」を追体験させられたのだ。
いま、あの生身の美しい姿を不意に見てしまったら、自分の心がどう暴走してしまうか、正直に言って恐ろしかった。
「俺の『冷静沈着系主人公路線』は、まだ死んじゃいねえってことだろ……? 誰が二度とあんな狂人になってたまるかってんだ」
自嘲気味な軽口を叩くことで、どうにか高鳴る胸を落ち着かせる。
――そして、その運命の瞬間は、向こうからやってきた。
視線の先、大通りの人混みを掻き分けて、こちらに向かって必死に走ってくる銀髪のハーフエルフの姿がスバルの目に飛び込んでくる。
ドクン――! と、不意に心臓が大きく跳ね上がった。
だが、それでおしまいだ。スバルは奥歯を噛み締め、今一度己に強く言い聞かせた。
自覚しろ。俺はまだ、彼女と出会ってから丸一日すら一緒に過ごしちゃいないんだ
「スバル……ッ!!」
しかし、そんな必死の冷徹さを保とうとしているのは、スバルの側だけだった。
エミリアには、スバルが今どんな思考の変遷に辿り着いているのかなど知る由もない。彼女にとっては、あの凄惨な最悪の予知夢を見て、絶望のなかで命がけでスバルを探し求めた末の、奇跡の再会なのだ。冷静でいられるわけがなかった。
悲痛さに支配された顔で、いま目の前にある幸福に今度こそしがみつこうと、エミリアは涙目でスバルの元へと突っ込んでくる。
「はい、ストップ!」
その感動の勢いを正面から挫くように、スバルは自分の右手のひらを真っ直ぐに突き出した。
かなり早めのタイミングで出したつもりだったが、エミリアの側の突進の勢いはスバルの予想を超えて止まるのが遅く、彼女の柔らかい鼻先と唇が、そのままスバルの手のひらに、むにゅっと押し付けられる形になった。
手のひらから伝わるその生々しい体温と愛おしさに、スバルの脳髄は一瞬で狂人の領域へ引きずり込まれそうになったが、根性で奥歯を噛み砕き、完璧なポーカーフェイスを維持してみせる。
「ううっ!? ……って、ごめんね! 大丈夫……!?」
「大丈夫じゃないけど、大丈夫だよ」
顔を受け止めてしまった右手が、そのまま彼女の両手によって掴まれてしまう前に、スバルは素早く、しかし自然な動作でそれを自分の側へと引き剥がした。
慌てふためくエミリアの瑞々しい姿は、それだけでスバルの心を激しく揺さぶってくる。その細い手に触れ、ずっと繋がっていたいと思わせてくる。
だが、手を差し出す間もなく拒絶するように引かれたエミリアは、何かを悟ったような、酷く複雑で寂しげな表情を浮かべた。感動の再会に、明確な水を差してしまったのだ。
――それこそが、スバルの狙いだった。今の自分たちには、何よりも『正気』が必要なのだから。
「スバル……あなたは、私のこと、覚えてるのよね……?」
スバルの拒絶のステップを見て、彼が自分を「初対面の人間」として扱っていないことだけは、エミリアに正確に伝わったようだった。
だが、それでもスバルは、あえて彼女と『初対面』のつもりで接しなければならないと決めていた。これからの二人の関係を、あの狂った予知夢や権能の延長線上にある、歪でおぞましい依存関係にしたくはなかった。
「改めまして自己紹介よろ! 俺の名前はナツキ・スバル!
幾多の恐ろしい悪夢を乗り越えて! 今までの未熟でイタい自分とは、たった今完全決別!
これからは一日一善をモットーに、人生をド派手にリスタートさせる男でございます!」
スバルは右手を天高く突き出し、大通りで大仰なポージングを決めてみせた。
これこそが、エミリアとの関係性を真の意味でゼロからやり直すための、スバルなりの『リセットの儀式』だった。
「……ちょっと、何言ってるか……――いいえ」
いつものスバルのふざけた奇行に対して、エミリアは喉まで出かかったツッコミを、途中で無理やり中断した。
その反応に、スバルは「あれっ?」と道化としての足元を崩されそうになったが、彼女の纏う空気が、およそふざけられるようなものではないことだけは肌で感じ取った。
「私のこと、覚えてるのって? ――そう聞いたのだけど」
スバルの想像の、およそ四倍は低く暗いトーンの口調で、エミリアはもう一度そう訊ねてきた。
「覚えてるっていうよりさ……『知ってる』っていう方が、今の俺たちには正しい表現だよ。――エミリア。俺はまだ君と、丸一日も一緒に時間を過ごしちゃいないんだからさ」
それは、紛れもない事実だった。
スバルが死に戻りで経験した短い時間の中でも、あるいはあのアヤマツの予知夢の記憶の中でも。スバルがエミリアと共に過ごした実質的な時間は、肥大化し尽くしたその狂気的な感情の重さとは裏腹に、驚くほどに短く、刹那的なものに過ぎないのだ。
淡々と放たれたスバルのその『正しい拒絶』の言葉に、エミリアは胸を直接抉られたかのような、本当につらそうな顔をして、唇をきつく噛み締めた。
「……そんな……。とてもつらいけれど、せめて私と同じ予知夢を見てくれていれば……」
エミリアはぽつりと、消え入りそうな声で呟いた。その言葉が持つ本当の意味を、スバルは痛いほどによく知っている。
前回のループの際、彼女は自身が見たという悲痛な予知夢について洗いざらい教えてくれた。スバルがエミリアの目の前で無残に殺されてしまうという、最悪のバッドエンド。だが、そこに至るまでの過程でエミリアの心に消えないトラウマを植え付けてしまうくらいには、夢の中のナツキ・スバルは長い、長い時間を彼女と共に過ごしたということなのだ。
「――だったらさ。君の名前を、教えてほしい」
今にも涙を零しそうな銀髪の少女を見つめ、スバルは努めて落ち着いた声音で、けれど真っ直ぐにそう告げた。
「でも、スバルは私の名前を知ってるでしょ……? 今までのことが、全部なかったみたいになっちゃうなんて、私は嫌よ……。私の知っているスバルは……っ」
「待って!!」
スバルの必死の制止が、大通りの喧騒を裂いて響いた。まるで、小学生が喧嘩をとめるような静止になってしまった。
エミリアの言葉が、動きが、強張ったようにピタリと止まる。
スバルは思わず己の口を手で押さえ、瞬間的に、またしてもあの傲慢な衝動に呑まれかけていた事実にゾッと恐怖した。
「……ごめん……。悪かった」
なんてザマだ、俺は。彼女の言葉を大人しく最後まで聞くことすらできないのか。
スバルは唇をきつく噛み締め、口内に広がる鉄の味で強引に頭を冷やす。相手の気持ちを考えろ。エミリアがどれほど理不尽な望みを口にしようと、今の彼女にとってはそれが世界のすべてなのだ。その重すぎる思いも、まずは全部受け止めてやるべきだ。心の中でスバルがどう感じ、どう葛藤するかは問題じゃない。それを、あの『傲慢の狂人』のように一方的な感情の暴力として世界に示さなければ、それで何の問題もないのだから。
「私の名前は、エミリア。ただの、エミリアよ……」
こちらが冷静さを欠いたとき、逆に相手が引き戻してくれることがある。エミリアは、沈黙して自分を律しようとするスバルへ向けて優しく微笑むと、そっと白い手のひらを彼の頬へと添えてきた。
視線を上に誘導され、彼女の透き通るような紫紺の瞳と真っ向から目が合う。
最悪の予知夢なんてなかったことにして、真の意味でゼロから清らかな関係を始めたいというスバルの本心は、エミリアの純粋さに見透かされ、そして彼女の心を確実に傷つけていた。
「私はね、あの夢をどうしても忘れられないの。すごーく悲しい夢だったけれど、すごーく美しくて、温かい夢だった。スバルは本当に……何も覚えていないの?」
「うん。覚えてない。……覚えてないけど、全部知りたいと思ってるよ」
スバルは一歩、自らの足で前へと踏み出した。ここからは、弱気ではなく前向きな強気で行かせてもらう。
「俺は、今こうして生きてる。どんな最悪な夢のなかで俺が死んだとしても、俺は今、エミリアの目の前に存在してる。だからさ、俺はエミリアが本当はどんな人なのか、ここからゼロの状態で知りたいんだ。夢を覚えていない俺に、これから君のことを教えてくれないか?」
「…………」
スバルの放った熱い言葉に、エミリアは言葉を失って黙り込んでしまった。
「新しくやり直したら……スバルには、私なんて必要なくなっちゃうかもしれないの。だって、私の夢の中でスバルが私と一緒にいてくれたのは、きっと……すごーく世界がスバルに対して意地悪で、毎日いじめてくれていたおかげだから。……だから、新しく真っ新なところから始めても、あの夢とおんなじ風に、私を好きになってはくれないかもしれない……」
「……っ」
今度は、スバルの側が決定的な言葉を失う番だった。
「私は、スバルがそんな風に世界にいじめられていることを、自分のために都合よく利用して……また、これからもそれをやっちゃうかもしれないわ。そんなの……すごーく、おたんこなすすぎるわ」
エミリアの口から溢れ出た悲痛で切実な独白。スバルはそれを懸命に理解しようと脳細胞を回していたのだが、最後の一言で張り詰めていたすべてのシリアスがぶち壊された。
おたんこなす、かよ……
けれど、そんなズレた独自表現を大真面目に口にしてしまう彼女の危うい部分にこそ、自分は、あのもう一人の自分は、魂の根元から惚れ込んでしまったのかもしれない。そうだといいな、と心から思った。
これからは、そんな彼女の愛おしい言葉が、何でもない日常の会話に溢れる世界を目指したい。今だけは、その響きに面白おかしく反応してやれないのが、ひどく申し訳なく思えた。
「――エミリアの考えは、正しいよ。どんなに悪い予知夢だったとしても、全部なかったことにして切り捨てるのは、確かに残酷で不誠実だ。俺は未来ってやつはいくらでも変えられると思ってる。だから……あの夢の中にあった『良い所』だけは、これからの現実で全部、俺とお前で取り戻してやろうぜ」
遠回りはしてしまったけれど、スバルが紡いだその心からの返答に、エミリアの翳っていた紫紺の瞳に、ぽっと確かな光が灯った。
「エミリアにだって、もし今からやり直せるなら、変えたい未来がきっとあるだろ?」
スバルは、一度目のループでは壁際に捨てられ、二度目のループでは彼女が握りしめていた――あの宝石の嵌め込まれた徽章と、彼女が背負う「王になりたい」という果てしない夢を思い出しながら、語りかけた。
エミリアはハッとしたように目を見張り、それから自らの胸にそっと手を当てて、力強く頷いた。
「ええ……。すごーく自分勝手で、おこがましいかもしれないけれど……私には、絶対にやり遂げたいことがあるわ」
「よしっ! だったら――俺に、その夢を協力させてくれ」
エミリアに迷う時間を与えないよう、スバルは間髪入れずに即答した。エミリアは予想外の速度に丸く目を見張ったが、すぐに年上の少女としての、真剣で真っ当な口調に変わる。
「……ちゃんと、考えてから言ってる? 考えなしにすぐそんな重大なことを言うと、これからすごーく苦労することになるわよ?」
「考えてるし、覚悟だってとっくにガンギマリだよ」
エミリアは、この危うい少年にちゃんと考えさせ、選ばせなければと、彼女の持つ正しい正義感を抱いていた。けれど、まっすぐに自分を射抜くスバルの瞳を見た瞬間、その必要がどこにもないことに気づかされた。
協力したいと、力強くハッタリをかましているスバルの側こそが、いま、猛烈に救いを求めているように、エミリアの目には映ったのだ。
「スバル……本当に、大丈夫……?」
「ああ。今後の約束になってしまって、マジでカッコつかなくてすまねえんだが……俺はエミリアの力になりたい。でも、ただ無償でってわけじゃないんだ」
スバルはそこで一度言葉を切り、目の前の少女へ向けて、自らの、ナツキ・スバルの本当のファーストミッションを提示した。
「今日だ。今すぐだ。――エミリア、今すぐ俺を助けてほしい」
今日という最悪の運命が渦巻く一日を、彼女と共に生き残り、乗り切って見せる。そのために必要な救いを、今ここで乞う。
この返しきれないほど巨大な恩は、これから先の長い、長い未来のなかで、俺のすべての行動を以て、君に一生をかけて返していくつもりだから。
「――エミリア。俺を助けてくれ」
ナツキ・スバルにしか知らない、これからこの王都で巻き起こる凄惨な地獄。
『死に戻り』という呪いを暴かれ、傲慢の権能の代償を知った今のスバル一人では、今日という理不尽な一日は逆立ちしたって乗り越えられない。
そして――どうせ誰かに無様に縋り付き、助けてもらうのだとしたら、世界で一番好きな、あの銀髪の少女にこそ、自分の最初の手を引いてほしいと思った。
スバルが差し出した、まだ恐怖で微かに震える右手を、エミリアは躊躇うことなく、その白く温かい両手で優しく包み込むように握りしめた。
「ええ、任せて。――私が、必ずスバルを救ってあげる」
そう告げたエミリアの紫紺の瞳は、自分を裏切らない、自分だけを真っ直ぐに必要としてくれる救いが必要な存在をずっと求めていたかのように、まばゆい光を湛えて美しく輝いていた。
どっち派?
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