もしも、リゼロキャラがIFルートまたは本編から帰ってきたら(スバル主人公) 作:ああ
「うう……っ、あ、う、う……」
スバルは、喉の奥から這い出るような苦悶の喘ぎ声を漏らした。
衝撃のままに激しく叩きつけられた背中からは、確実に肉体が取り返しのつかない致命的なダメージを負ったという、冷徹な事実だけが感覚として伝わってくる。今のスバルの貧弱な筋力とへし折れた四肢では、もう誰かの補助なしには、このめちゃくちゃに破壊された酒場から這い出ることすら不可能だった。
辛うじて残された意識のなかで、スバルは己の仕掛けた命懸けの博打が、無残にも完全な失敗に終わったことを理解せざるを得なかった。悔しさと無力感のあまり、動く片方の拳を酒場の血塗られた床へと何度も、何度も叩きつける。
「……っ、あ、の……大罪、司教、が……っ!」
いまやこの世にはいない、あの全身包帯の怪人に対するどす黒い憎悪のままに、スバルは何度も床を殴りつけた。あいつは最悪すぎる。ただ殺すだけでは生ぬるい、地獄の底の、そのさらに奈落の底まで引きずり落とされるべき本物の悪魔だ。
だが、その沸騰するような憤怒は、床を転がっていた『あるもの』が不意に視界に入った瞬間、一時に凍りつくように冷やされた。
そこに落ちていたのは、エミリアの徽章――。
あの凄まじい衝撃の刹那、スバルはあまりの衝撃に徽章を手放してしまっていたのだ。だが、まだ頑張って焦げ付いた手を伸ばせば、ギリギリ届きそうな、そんな残酷な距離にそれは静かに転がっていた。
「……う、あ、ぐっ……、う、お……っ!!」
全身を走る激痛に顔を歪め、呻きながら、スバルは必死に右手を伸ばす。
客観的に見れば、もうこんなものを拾い上げたところで、スバルの命が助かる道理などどこにもない。すぐにでもこの酒場の中にまで躊躇なく踏み込んでくるであろう、あの『憤怒の自動人形』と化したエミリアに、無残に殺されて終わるだけだ。
でも、それでも、手を伸ばさずにはいられなかった。この徽章を利用してエミリアの魂に訴えかける賭けは、確かに失敗した。それでも、彼女がすべてを懸けて守ろうとしていた夢の結晶を、こんなゴミ溜めのような床に転がしたまま、自分勝手に人生を終わらせるなんていう薄情な真似だけは、死んでもしたくなかったのだ。
指先が、あと数センチで徽章の冷たい金属光沢に届きそうだった、その時――。
届きかけたスバルの手の目の前で、その徽章は、スバルではない『別の何者か』の手によって、あまりにも残酷に、軽やかに拾い上げられた。
「ごめんなさいね。――これは、『依頼』なの」
スバルの耳朶を叩いたのは、あのアヤマツの予知夢のなかでも嫌というほど聞き馴染みのある、あのひどく淫靡で、おっとりとした女の声だった。
姿を見るまでもない。スバルは、今自分の目の前に立っている最悪の乱入者が誰なのかを、瞬時に察知した。
「お……お前、は……っ!!」
スバルはありったけの憎しみを両眼に込め、その場に佇む影を見上げた。
艶やかな漆黒の長い髪。それを緩やかに編み込み、片側の細い肩へと流したその美しい佇まいは、夜の社交場に佇む物静かで上品な麗人そのものである。身に纏っているのは、王都の夜闇と同化したような漆黒の薄手のドレス。大きく開いた胸元からは、滑らかな白い肌が大胆に露出している。
――そして、その美しすぎる胸元は、ドロドロとしたおびただしい鮮血で赤黒く染まっていた。
その容姿を目にして、スバルの胸中に湧き上がるのは、ただ純粋な殺意と憎しみ以外の何物でもなかった。
『腸狩り(はらわたがり)』エルザ・グランヒルテ。
妖しく伏せられた、その垂れ目の切れ眸からスバルへと向けられる視線には、彼を助けようなどという甘い思惑や同情は、ただの一欠片も存在しなかった。
もしも、今のエルザがスバルと同じあの『傲慢の予知夢』を見ていれば、彼女はかつてのように心強い仲間だったはずだ。この絶望的な挟み撃ちの状況を切り抜けるために、都合よく協力してくれる可能性だって大いにあった。
だが――いま、冷酷にスバルを見下ろす彼女の瞳は、ただの「無力な弱者をいたぶることを悦びとする悪党」そのものの輝きだった。
「あら……。とても、良い目をするのね、貴方。――ところで、お一つお尋ねしたいのだけれど。貴方は『ガーフィール』という男の子をご存じかしら?」
エミリアから奪い取った徽章をその細い指先で弄びながら、エルザはスバルを見下ろしたまま、おっとりとそう問いかけてきた。
その言葉を聞いた瞬間、スバルの脳細胞が、最悪の推測を導き出す。
エルザはスバルの知らない『別の予知夢』を見てやがる。
彼女もまた、サテラが世界にばら撒いた予知夢のバグを受信していたのだ。そして、その夢を見たことで、本来の行動のレールから大きく逸脱し、夢の中で因縁のあったはずの「ガーフィール」という男を捜索するために、この王都を動いている。
「か……返せ……っ、クソ、女が……っ!!」
そんなエルザの事情など、いまのスバルにとっては知ったことではなかった。エミリアの徽章は、お前のような人殺しの怪物が、その汚い手で気安く触れていい代物じゃないんだ。 お前はそれに触るな。さっさと返せ。ガーフィールなんて奴は知らないし、思い出そうとする気すら起きない。さっさとその徽章をこちらに返しやがれ。
「ふふふ……。残念だわ。――それなら、天使に、今すぐ会わせてあげる。どちらにせよ貴方には死んでもらうつもりだもの。」
スバルの口から望むような回答が得られないと判断するや否や、エルザは酷く艶然とした笑みを浮かべ、明確な殺害予告を言い放った。だが、不思議なことに、彼女はその両手にいつもの凶悪なククリ刀を握ってはいない。
スバルは死ぬ。次の瞬間には確実に、この女の手でハラワタをブチ撒かれて死ぬだろう。
――でも、それでもナツキ・スバルの心は、まだ一ミリも折れてなどいなかった。
例えこの『死に戻り』のリスタート地点が、シリウスの死後という最悪の窮地の真っ只中に固定されてしまっているとしても、この無残な死には、明確な意味がある。
エルザの存在をこの目で確認できたこと。そして何より、彼女の胸元が血まみれになっていたこと。
これこそが決定的な証拠だ。エルザは、スバルがシリウスの心臓を貫いたあの瞬間の『負傷共有』の因果を等しくその身に受けていたのだ。
つまり彼女は、最初からずっとこの酒場の影に潜み、スバルとエミリアが命懸けで大罪司教と戦う顛末を、特等席で観戦していたということ。
エルザ・グランヒルテという怪物の本質は、何度殺されても即座に蘇る不死身だ。だからこそ、シリウスの権能によってどれほど致命的な大ダメージを強制共有されようとも、彼女にとっては戦いに干渉せず、ただ見ているだけで容易に耐えきれる程度の苦痛に過ぎなかった。それは、夢のなかで彼女と共に長い修羅場を過ごしたスバルが、誰よりもよく知っている。
「いるんだよな……っ、お前みたいな。人の命を、何とも思わずに平気で弄べる……悪魔みたいな奴がよぉ……っ」
迫り来る今際の際に、スバルは残された気力を振り絞り、エルザへ向けてそう吐き捨てた。ただの惨めな負け惜しみかもしれないが、戦い続ける意志がある限り、スバルはまだ悪魔たちに負けてはいない。
だが、そんなスバルの刺々しい言葉をぶつけられても、エルザは怒るどころか、逆に愉悦を隠しきれないといった様子でその妖艶な口角をさらに高く釣り上げた。これからこの無力な少年をどう料理してやろうかと、恍惚とした表情のまま、その割り振られた赤い唇をぺろりと湿らせる。
「笑うな……。やるなら、さっさとやりやがれ……!」
エルザのニヤニヤとしたその美しい面皮が、どうしようもなく憎たらしかった。死の恐怖に怯え、命を乞うような無様な姿を見せて、この人殺しの思い通りにさせてたまるものか。
しかし――。
エルザはスバルの挑発を完全に無視すると、何故だか楽しげに小さな鼻歌を口ずさみながら、無残に倒れ伏すスバルに対して、無造作にその細い背中を向けた。
そして、スバルの肉体が突き破ることで派手に崩壊した酒場の壁際へとゆっくり歩み寄ると、陽気に鼻歌を歌いながら、そこに積み重なっている木材やガラスの瓦礫を、一つ一つ丁寧にどかし始めたのだ。
まるで、よく晴れた日の朝に、自分の部屋の掃除でもするかのような軽やかさで。
怪人は不気味な鼻歌を大気に響かせながら、ただ淡々と、崩れた壁の瓦礫を撤去し続けていた。
「――待ってくれ……っ!! 待て、待て待て待て、やめろ……っ!!」
スバルは、エルザが瓦礫の向こう側で何をしようとしているのか、その最悪の目論見に気づいてしまった。慌てて立ち上がろうと五体に力を込めるが、背中を走る恐るべき破壊の激痛に、指一本すら動かせない無残な現実を痛感させられるだけだった。
奥歯がガタガタと音を立ててきしみ、全身が底知れぬ恐怖によって激しく震え出す。
「何をそんなに震えているの? うふふ。――安心なさい。天使に会わせる前に、まずは極上の『死神』に会わせてあげるわ」
エルザは、必死の形相で現実逃避を試みるスバルの方を振り返り、慈悲深い声音でそう言い放った。
進路を塞いでいた邪魔な瓦礫をすべてどかし、最後に残った大きめの木材を容赦なく蹴り飛ばすと、破壊された壁の隙間から、王都のまばゆい陽光がドッと薄暗い酒場の中へ差し込んだ。
光の向こう――エルザの目の前には、あのドロドロとした真っ赤な瞳を爛々と輝かせたエミリアが立ち尽くしていた。獲物を確実に殺すため、ただひたすらにこの酒場まで踏み込んできたのだ。
スバルはヒッと息を呑んだ。
動かない身体を引きずり、踵で床を必死に押し、どうにか自分の身を後ろの頑強な壁際へと擦りつける。何かの間違いで、あの『憤怒の自動人形』と化したエミリアが、その全方位への殺意を目の前のエルザに向けたりはしないだろうか?
だが、スバルの浅ましい願いも虚しく、エミリアはエルザに対して一瞥の興味すら示さなかった。彼女を傷つけることもなく、ただ邪魔な障害物を退けるように、優しく白い手でエルザの身体を押し退けて横へとずらす。
そして――エミリアの濁った赤い瞳と、スバルの視線が真っ向から合致した。
終わりだ。もう、本当におしまいだ。
「待ちなさい。――はい、これを使って頂戴」
「……は?」
壁に背中を押し付け、無様に死を待つことしかできないスバルの視界の端で、エルザが小さな、細い針のような暗器をエミリアに向けて差し出すのが見えた。
それはエルザが愛用するメインウェポンのククリ刀ではなく、主に投擲の補助や暗殺に使う鋭利なスティレット。アイツ、本当にどうかしてるぞ。
「俺は……ここからだ……。ここから、這い上がって……」
いまのナツキ・スバルに、一体何が残されているというのだ。
作戦を練り直すための時間も、エミリアの愛おしい理性も、彼女の夢の結晶だった徽章も、そのすべてを目の前で残酷に奪い去られた。
でも、まだ折れてない。折れてたまるか。
「ここからだろ……っ! 俺の戦いは……っ!」
スバルは、なんとか迫り来る凄惨な死に対して、心を定めようと必死に奥歯を噛み締めた。
だが、スバルの目の前で、理性を完全に失ってスバルを殺すことしか頭にないはずのエミリアが、エルザから差し出されたその暗器の針を、無造作に受け取る瞬間がハッキリと見えた。スバルの両目が驚愕に大きく見開かれる。
エミリアの行動原理は、ただナツキ・スバルを効率よく殺害すること。
脳内で無意識に最適化される殺戮のステップ。素手で殴り殺すよりも、手元に鋭利な武器があった方が、より確実に目的達成に近づく。だとしたら――自動人形と化したエミリアが、それを拒絶する理由などどこにもなかった。
「――――」
すでに逃げ場のない壁際まで追い詰められたスバルに向かって、小さな針を逆手に握りしめたまま、エミリアが機械的な足取りで踏み込んでくる。
何も言葉を発さない。恐ろしい赤い瞳を怪しく光らせたまま、世界で一番大好きな少女が、自分を屠るためににじり寄ってくる。スバルには、彼女の双眸が呪われた血の色に染まっているように見えて、恐ろしくてたまらなかった。
「……死にたく、ない……っ!! 死にたくない、死にたくねえよぉおおおッッ!!」
無意識のうちに、情けない叫びが喉を裂いて飛び出していた。エミリアのその顔を見たくなくて、必死に視線を逸らす。
満足に立てない身体のまま、床を這う芋虫のように無様に身をよじり、少しでも遠くへ、少しでも彼女から離れようと酒場の床を掻き毟る。
最後に聞こえたのは、こちらに向かって冷酷に近づいてくる確かな足音と、背後でその醜態を面白そうに嘲笑う、あの憎たらしい『腸狩り』の淫靡な笑い声。
「う、うううっ……、あ、あぁああッ!!!――」
正確に、スバルの無防備な首筋へと、鋭利な針が力任せに深く、深く突き刺された。
ひどく冷たい、氷のような暗器の感触。
一刺し目を抉られた瞬間、瞬時にスバルの全身からすべての力が抜け落ち、思考のすべてが純粋な恐怖と激痛だけで塗り潰されていく。
抵抗する術を失い、うつ伏せに倒れ伏すスバルの背中に、エミリアは馬乗りになってその細い体重を乗せた。
そして――何度も、何度も、肉が裂ける鈍い音を響かせながら、彼の首筋へ向けて機械的に針を突き刺し続けた。
こんな死に方は、到底受け入れられない。
人間という生き物は、世界で一番愛した少女の手によって、こんな風に家畜のように嬲り殺される痛みに耐えられるようには――出来ていないのだから。
おびただしい血と涙にまみれて、敗北した大博打の代償のすべてを理不尽に毟り取られたまま。
ナツキ・スバルは、凄惨な死を迎えた。
どっち派?
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