もしも、リゼロキャラがIFルートまたは本編から初期地点に帰ってきたら(スバル主人公)   作:ああ

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ナツキ・スバルの傲慢の権能

 鼓膜を破壊するような不快な叫び声が聞こえた直後、視界が世界ごと真っ赤に染まった。

だが、その強烈な衝撃に抗うように、スバルは強く頭を振って必死に意識を保ち続ける。どうにか、世界を侵食していた赤色のノイズが引き、視界が元の川沿いの大通りへと戻っていった。

 

「なっ……何が起こってんだ!?」

 

「私は魔女教大罪司教――『憤怒』担当、シリウス・ロマネコンティぃ!!!」

 

「はっ……!?」

 

 スバルの目の前に現れたのは、一言で表現するなら「狂気に満ちた、歩く全身包帯の怪物」だった。

 頭のてっぺんから足の先、指の一本一本に至るまで、全身を隙間なく包帯でぐるぐる巻きに縛り上げている。そして、その異様な包帯の隙間からは、ギラギラと血走った一対の眼球が、狂気的な熱量を孕んで真っ直ぐにスバルを射抜いていた。

 

 ――関わっちゃいけない、絶対に駄目な奴だ。

 

 即座にスバルの脳内に「逃亡」の二文字が浮かび上がる。全身の毛穴が開き、背筋に絶対零度の戦慄が駆け抜けた。このままこの怪物の視線を浴び続けていれば、恐怖のあまり自己が崩壊してまうのではないかという本能的な不安が押し寄せる。

 

「エミリア! ……おい、エミリア!!」

 

 咄嗟に横にいた少女の肩を掴もうとして、スバルは目を見開いた。

 エミリア、そして周囲のいたはずの民衆たちの目が、一様に不気味な赤色に発光していたのだ。誰も彼もが蝋人形のように呆然と立ち尽くしている。それは明らかに自我を喪失し、身動きを封じられている状態だった。

 スバルの必死の叫びも、すぐ隣のエミリアにすら届いていない。

 

 これがあの包帯女の魔法、あるいは何らかの異常な能力なのか。だが、未だに自分の能力が何一つ分かっていないスバルには、状況を打破する打つ手が何一つとしてなかった。

 

「あ、れ、れれれれれぇッ!? あなたには、私のッ、私たちの『憤怒』がっ、この分け隔てのない至上の愛が響いていないというのですかァ!

――ですがッ! ありがと! ごめんね! 夢から目覚めた私とあなたの愛が、絆が、より気高くっ、より強固に新生したという証ッ! ああ、愛、愛、愛、素晴らしいですねぇ!」

 

「お、俺はお前なんて知らない……っ! ゆ、お前も……お前もあの『夢』を見たってのか……!?」

 

 あまりの恐怖に、まともな思考が働かないまま言葉を交わしてしまう。それによってスバルの胸中のパニックはさらに加速した。

 エミリアや周囲の人間たちは相変わらず微動だにしないが、恐ろしいことに、彼らの目や鼻からは一筋の赤い血がタラリと流れ落ちていた。この包帯女の異能力に身体を内側から蝕まれている証拠だ。今すぐここから逃げ出したいのに、エミリアは糸の切れた人形のように応じない。

 

 そして何より聞き逃せなかったのは、シリウスの口から出た「夢」という単語だ。それはエミリアが言っていたことと同じ――この怪物もまた、スバルの知らない未来の予知夢を見ていたということなのか。

 

「うふっふふふふ! ありがと! ごめんね! 貴方が未来を知らないのなら、それはそれで都合が良いですぅ!! だったら手早く済ませましょう!! これからあなたに奪われるはずだったペテルギウスに、あなたとそこの半魔の命を捧げましょう!!」

 

「待て待て待て……誰のことだよ、ペテルギウスなんて男は知らねえ!! 俺とエミリアを勝手に巻き込むな!! ――おい、目覚めろ俺の『権能』ォオオオオ!!!」

 

 スバルは無謀にも、またしてもハッタリ任せに拳を突き出し、今度こそ異世界チート特典が発動することを期待した。だが、虚しく拳が空を切るだけで、やはり何も起こらない。冷たい風が通り過ぎるだけの無様な姿を見て、包帯女はケラケラと甲高い声で笑い出した。

 

 こんな化け物に一発ギャグを披露したわけじゃない。だが、この土壇場に至っても指先一つ発火しないということは、自分には本当に何のチート能力も備わっていないのではないかという、残酷な可能性がそろそろ脳裏をよぎり始めていた。

 

「権能ですかぁ?! うふふ、あはははは! 貴方から漂う、その薄汚い半魔の香りぃ!!! なんとも醜悪ですが、それこそが貴方が彼女に愛されていることを証明していますよぉ!! 貴方は間違いなく『傲慢』に相応しい! そう、あなたはこちら側の、愛されるべき人間なのです!!」

 

 血走った目で、偏執的な言葉を投げかけてくる包帯女――シリウス。すぐに襲いかかってこないのだけは救いだったが、決して見逃してくれるような空気ではない。最悪の膠着状態だ。

 だが、今の発言から察するに、この怪物はスバルのことをどこか「自分たちの同類」として認識しているニュアンスがあった。ならば、そこに付け入る隙があるはずだ。

 

「ご、ごめんなさい、ほ、包帯さん……っ!!」

 

「殺すぞクソガキィ!!! 私はシリウス・ロマネコンティイイイ!!!!」

 

 地を震わせるほどのブチ切れ声に、スバルは思わず両目を強く瞑った。

そうだ、この怪物は最初に、魔女教の大罪司教『憤怒』を名乗っていたのだ。その怒りの沸点は規格外。一言でも機嫌を損ねれば、次の瞬間にはミンチにされる。

 だからこそ、絶対にこれ以上怒らせてはならない。戦う力がないのなら、1秒でも長く言葉を繋いで時間を稼ぎ、この絶望的な命を未来に繋ぐしかない。

 

「シ、シリウス……さん! 俺は本当に、何も知らないんだ! 予知夢だか何だかで俺を知ってるみたいだけど、俺自身はそんなもの一切見てない! だから、ペテルギウスって人も知らないし、傲慢がどうとかも全部初耳なんだよ!」

 

 スバルは両手を前に突き出し、必死に言葉をまくしたてた。

 

「だからさ、まだ俺を攻撃するのは早すぎるだろ!? 俺たち、まだ友好的に話し合える余地があるんじゃないのか……!? ほら、シリウスさんだって、俺をすぐに殺そうとはしなかった。話し合いくらい、できると思うんだぜ……っ!」

 

「ほっほほほぉ!! 私を前にしてよくもまぁそれだけ舌が回ること! そうやって私の愛するペテルギウスをも誑し込んだのですね……ッ! 許せない! 許せない許せない許せない!! 貴方がその『傲慢』の権能を使いこなす前に終わらせられるよう私を導いた、この運命に感謝しましょう!! ありがと! ごめんね!!」

 

 そう叫んで、シリウスは讃美歌でも歌うかのように、奇妙な黒い本を太陽へと高く掲げた。その禍々しい本が何を意味するのか、スバルの脳内には相変わらず疑問符しか浮かばない。

 だが、今のシリウスの発言から、一つだけ確実な事実が削り出された。自分には、この化け物が警戒するほどの『傲慢』に関わる能力が眠っているということだ。

 傲慢だなんて言われるのは心外だし侮辱だが、そんな謎のチート能力があるなら、今すぐこれ以上ないタイミングで発動してこの最悪な状況を乗り切らせてくれ、とスバルは心の底から神に祈った。

 

「ごめんねぇ! ペテルギウスに捧げる手土産なのですから、貴方とそこの半魔は、できるだけ綺麗なまま殺してあげましょう!! 私の憤怒の炎で一瞬にして消し炭にしてやりたいのに、それができないなんて……ああ、本当にごめんね! そして、運命よありがと!」

 

「な……どうしろってんだよ、クソがっ!!」

 

「ふふふ……まずは、」

 

 シリウスは、うっとりとした口調のまま、すぐ近くで硬直していた民衆の一人の胸へと、人差し指と中指を容赦なく突き刺した。肉を裂き、骨を砕く、嫌な生々しい音が響く。心臓を一突きだ。

 

「お……オイ!!!」

 

 だが、本当の恐怖はそこからだった。

 指を執拗に引き抜かれた男が、胸口からおびただしい鮮血を吹き出して地面に倒れ伏す。――と、次の瞬間。

 大通りにいた群衆、そしてスバルのすぐ隣にいたエミリアまでもが、全く同じタイミングで自らの胸を掻き毟り、ドッと鮮血をぶちまけて石畳へと崩れ落ちたのだ。

 最初にシリウスが傷つけた男の『負傷』と『死』が、その場にいる全員に一瞬で伝播し、強要されたのは明らかだった。

 

「エミリア!!! エミリア、おい、しっかりしろ!!!」

 

 スバルの胸には何の傷もできていない。なぜか自分だけが、その『共有』から弾かれている。だが、スバル以外の全員が、たった一撃の波及によって壊滅した。改めて思い知らされる、この包帯女の理不尽極まりない恐ろしさ。

 地面に倒れたエミリアの眼球が、苦痛に素早く震えていた。彼女は血の吹き出す胸元を必死に両手で抑え、何かを唱えるように唇を動かす。直後、微かな青色の光が彼女の手の隙間から漏れ出し、シリウスに穿たれた致命傷を必死に癒そうと輝き始めた。

 

「ぐっ……くっ……す……スバル、」

 

「喋るな!! 治癒魔法だろそれ!? 集中しろ!! いいぞ、いける、直せ、直せエミリア!!!」

 

 シリウスの精神汚染からは解き放たれたようだったが、その代償が心臓への致命傷だなんて、あまりにも酷すぎる。

 叫ぶスバルの視界が、急激に涙で歪んでいった。認めたくはなかった。認めれば現実になってしまう。けれど、エミリアの放つ青い光の弱々しさを見れば、この傷が塞がるよりも早く、彼女の命の灯火が消えてしまうことなど、平和ボケしたスバルの目から見ても明白だった。

 

「愛、愛ですね!! ごめんね!! 私の愛が、憤怒が強すぎて!! そこの半魔も、あなたも、何もできずにそのまま美しく朽ち果てなさい! あなたも、私からペテルギウスを奪った……その『憤怒』の痛み、少しは分かっていただけましたかぁ!?」

 

「…………っ」

 

 自らの気管へと逆流してくる血に、溺れるようなエミリアの苦しい呼吸音がすぐ耳元で聞こえる。治癒の青い光は、今にも消えそうなほどに細くなっていく。

 スバルには、その痛々しい彼女の姿を見ることも、狂ったように挑発を続けるシリウスの顔を見ることもできなかった。ただ、奥歯が砕けんばかりに唇を噛み締め、エミリアの血で赤く汚れていく石畳の地面を睨みつけることしかできない。

 

「あらぁ……無視とはつれませんねぇ! せっかく私の愛の権能で、その半魔の死ぬ直前だけは正気に戻して、お別れの時間をあげたというのに……。ああ、あの人ならきっと、あなたのその態度を見て、こう叫ぶでしょうね。――貴方、怠惰デスネェ!」

 

 ケラケラと響く、この世の終わりみたいに不快な笑い声。

 

「黙れ……ッ! お前も……そのペテルギウスって奴も……俺が、俺が絶対殺してやる……!!」

 

 限界まで張り詰めたスバルの胸中から、濁流のような怒りが湧き上がり、シリウスへと咆哮となってぶつけられた。

 自分を知らない『未来の自分』のせいで逆恨みしてくる狂人。初見殺しの理不尽な初動で、無慈悲にスバルとエミリアの前に現れ、得体の知れないチート能力で周囲を虐殺してくる怪物め。

 もし、その予知夢の中で、未来の自分がシリウスの言うペテルギウスという人間をブチ殺したのだとしたら――その報いとして今ここに現れたのだとしても、そんなものは知ったことか。殺されて当然の奴だったんだろ、とすら思う。

 

「俺が……必ずお前を、……っ!」

 

 熱い。何かがスバルの身体の奥底から、自分の存在を主張するようにドロドロと蠢いていた。それが何であれ構わない。この謎の衝動のまま、今すぐ目の前の包帯女を八つ裂きにできる力をくれと、スバルは魂を叫ばせる。

 

「おほっ!!! さぁ、どうします!? 試してみますか!? 貴方はまだペテルギウスを殺していない、ということは『怠惰』の権能はあなたの中にありませんよぉ! では、貴方のその『傲慢』の権能は、一体どんな愛を私に伝えてくれるのでしょう!?」

 

 シリウスは歓喜に身を震わせ、期待を込めてスバルの能力の発動を待っている。その小馬鹿にしたような態度に、スバルは渾身の殺意を注ぎ込む。腹立たしくて、脳の血管が千切れそうだった。

 

「誰が傲慢だ……この狂人が!! お前らみたいな化け物と一緒にされるなんて、反吐が出るんだよ……っ!!!」

 

「はい? なんですかぁ? ……ごめんね! 私はこんなに優しく、あなたの権能が発動するのを待ってあげているというのに……あなたには、心底がっかりです! ありがと! ペテルギウスへの最高の手土産になってくださいねぇ!!」

 

 シリウスの最後通告。

 スバルは――何もできなかった。指先一つ動かせず、爆発しそうな怒りとは裏腹に、身体からは何の力も湧き出てはこなかった。

 

「クッ……クソ」

 

 シリウスが次なる無慈悲な一撃を放つよりも早く、スバルは目の前で血に塗れ、苦しむエミリアの身体を強く、強く抱きしめた。

 このまま、仲良く二人揃ってなぶり殺される。それは確定した未来だった。死ぬ覚悟なんて、これっぽっちも出来ちゃいない。けれど、五感をマヒさせるほどの恐怖の中で、それが 

 今のナツキ・スバルにできる唯一の、そして最後の足掻きだったのだ。

 

「……え?」

 

 ぎゅっと目を瞑り、訪れるはずの致命的な衝撃を待っていたスバルの頬に、そっと、 優しい体温が触れた。

 視界を開くと、エミリアの細い指先が、スバルの涙が伝う頬を愛おしそうになぞっていた。彼女の胸口から溢れた冷たい鮮血が、スバルの肌にべっとりと付着する。

 だが、そんなことなどどうでもよかった。彼女は一瞬前まで、必死に傷口へ治癒魔法を注いでいたはずだ。その手を止めてまで、自分に触れてくれたということは――。

 

「そ……そんな、嘘だろ……エミリア……」

 

 エミリアはすでに、自らの命を繋ぐための治癒魔法を諦めていた。

 急速に光を失い、命の灯火が消えかけていく紫紺の瞳と、真っ向から視線が交錯する。もう、彼女の唇は、スバルへと紡ぐべき言葉の形を結ぶことすらできない。

 スバルは、己の頬を包むエミリアの小さな手を、今度は両手で壊れ物を扱うように強く握りしめた。そして、脳髄の奥底で何かが弾けるような、絶対的な決意を固める。

 

 今更、何の力もない現代人の自分が決意したところで、一体何ができるのか。そんなことは知ったことか。

 

「――俺が、必ずお前を救って見せる……!!」

 

 さっき、シリウスに向けて吐き捨てようとした呪詛とは、真逆の言葉だった。

だが、殺意に身を任せて咆哮を上げようとしたあの時、スバルは確かに、自身の身体の内側で『未知の力』が蠢くのを感じていた。

 あの瞬間は空振りに終わった。けれど今、もしも、もしもあの得体の知れない力が、エミリアを救う可能性をほんの1%でも孕んでいるのだとしたら、どんな悪魔の力にだって縋り付いてやる。彼女が死んでしまった世界なんて、生きている意味が何一つないのだから。

 

 ――ドクンッ!!!

 

 スバルの世界から全ての雑音が消え去り、ただ一音、己の心臓が爆音で鳴り響いた。

 直後、スバルの五臓六腑から、血管の隅々に至るまで、悍ましいほどの「力」が満ち満ちていく。だが、それはシリウスのような禍々しい拒絶の力ではない。スバルの大切なものを守るために、優しく、そして絶対的な全能感を持って背中を押し上げてくれる、確かな力の奔流。

 

「スバル……っ! スバル、!!」

 

 ――その瞬間だった。

 今しがた、死の淵へと沈みかけていたはずのエミリアが、突然、鼓膜を震わせるほどの明確な大声でスバルの名前を叫んだのだ。

 そんな体力が残っているはずがない。奇跡を通り越したその現実に、スバルは驚愕して目を見開いた。

 

「お……っ!? おお、すげえ……っ!!」

 

 エミリアの胸の傷口から、まるで沸騰したかのような白い蒸気が、激しく湧き上がっていた。

 それは彼女自身の治癒魔法などではない。内側から肉体を強制的に再構築し、穿たれた心臓をみるみるうちに繋ぎ合わせていく、超常の『癒やし』。これほどの回復なら、時間を置けば完治する――その確信が、スバルの絶望していた心を完全に救い出した。

 

 いや、理解できた。この奇跡を引き起こしたのは、他でもないスバル自身だ。

 あの謎の衝動が発動した瞬間から、スバルは自分の魂とエミリアの魂が、目に見えない強固な『パイプ』で繋がったような、奇妙な感覚を覚えていた。

 スバルは自らの何かを削り、あるいは捧げることで彼女の傷を癒やし――それと引き換えに、エミリアの持つ強大な底知れぬ力が、このスバルの肉体へとドクドクとフィードバックされている。

 

 全細胞が沸き立つような熱さを感じながら、スバルは自分の拳を、骨が鳴るほどに強く握りしめた。

 

「ハハ……ちゃんと、あんじゃねえかよ……! 俺にだって、異世界チート能力が!!」

 

「凄い……! 全然、痛くない……っ。って、それよりスバル――!!」

 

 せっかく目覚めた己の『チート能力』の全能感に一瞬だけ耽ってしまった、その致命的な隙だった。周囲への警戒を完全に失っていたスバルの胸元を、エミリアの両手が容赦なく突き飛ばした。

 

「え――っ!?」

 

 視界が目まぐるしく回転し、スバルの身体は弾かれたように後方へと吹っ飛ぶ。そのまま川沿いに設置された石造りの強固な橋柱へと激突し、後頭部に鈍い衝撃が走った。

 頭を抱えてうめき、痛みに視界を火花散らせながらもどうにか目を開けたスバルは、自分が最悪の結末から救われていた事実に気づいて血の気が引いた。

 

 一瞬前までスバルがのん気に立っていたまさにその場所へ、シリウスの放った禍々しい鉄鎖が容赦なく振り下ろされていたのだ。硬質な石畳の地面は木っ端微塵に粉砕され、陥没したクレーターからは凄まじい土煙が巻き上がっている。

 あの瞬間、エミリアが自分を突き飛ばしてくれていなかったら、今頃ナツキ・スバルは肉塊にされてこの世から消滅していた。

 

「ッ――えいっ!!」

 

 スバルを窮地から救い出した直後、すぐさま体勢を立て直したエミリアは、大気を凍らせて巨大な『氷の金槌』を魔法で練り上げた。そして、その華奢な身体からは想像もつかない膂力で、容赦なくシリウスへと振りかぶる。

 

「まぁ!! なんて、なんて腹立たしいっ!!!」

 

 激怒狂乱するシリウスは、避ける間もないその一撃を自身の左腕を盾にして受け止めた。だが、激突の瞬間、エミリアの放った超人的な質量がシリウスを圧倒する。シリウスの左腕がきしみ、ボキボキと骨の砕ける不快な音が周囲に響き渡った。包帯の怪物はその勢いのまま木の葉のように吹き飛び、通りの向かいにある民家の壁をブチ抜いて奥へと突っ込んでいった。

 

「ぐっ……ぅあ、っ!」

 

「おお……って、はぁ!? エミリア!!!」

 

 敵を圧倒したはずの光景。しかし、次にスバルの目に飛び込んできたのは、苦悶の声を漏らしてその場に膝をつくエミリアの姿だった。

 彼女は自身の左腕を痛々しく抑えていたが、少し離れたスバルの位置からでも、その腕が異常な方向に曲がり、複雑骨折を起こしてボロボロになっているのがハッキリと見えた。それだけではない。彼女の額からも、ダラダラと鮮血が流れ落ちていた。

 

 あの瞬間、圧倒的な力で一方的に攻撃を仕掛けていたのは、間違いなくエミリアの側だったはずだ。それなのに、なぜ攻撃を『受け止めた側』と同じ大ダメージを彼女が負っているのか。

 

「どうなってんだよ、一体これのどこが『綺麗なまま殺す』だよ……!?」

 

 スバルは慌てて立ち上がり、頭の痛みを無視してエミリアの元へと駆け寄った。

シリウスではない別の誰かによる隠れた狙撃を真っ先に疑い、大通りを見渡す。だが、視界に入るのは、先ほどの負傷共有で胸から血を流して絶命した、大量の民衆の死体だけだった。石畳の地面はすでに、逃げ場のない血の海と化している。むごたらしくて吐き気が込み上げる地獄絵図だ。平和ボケしたスバルの精神がまだギリギリで保たれているのは、他でもないエミリアがまだ生きてくれているからに他ならなかった。

 

「何してんだよ俺の能力!! 早く治れよ、早く治ってくれよ!!」

 

 駄々をこねる子供のように、スバルは自身の身体の内側にあるはずの権能へとしがみつき、必死に念じる。さっき彼女の心臓の傷を消し去った時のように、あの奇跡の白い蒸気で、もう一度エミリアを覆い尽くしてほしかった。

 

「……逃げて……あの人には、絶対に勝てない……っ」

 

 幸いにも、心臓を直接穿たれた先ほどに比べれば、負傷の度合いは断然マシな部類だったのだろう。だが、エミリアは複雑骨折した左腕をガタガタと震わせながら、スバルを追い立てるようにそう声を絞り出すのが精一杯だった。

 

「なんで……なんでだよ、おい!! 早く治ってくれってば!!」

 

 一度は完璧に上手くいったのに、二度目はなぜか発動しない現実に、スバルは焦燥のまま不満を爆発させる。あれがたった一度きりの『使い捨ての回復特典』だなんて絶対に認めない。だって、スバルの魂の奥底では、未だにエミリアと繋がっているあの強固な『パイプ』の感触が、ドクドクと熱を持って脈打っているのだ。今、回復が発動していないのは能力の限界のせいじゃない。それを正しく扱えていない、ナツキ・スバル自身の不甲斐なさのせいだ。

 

「――早く逃げてって、言ってるでしょっ!!!」

 

 エミリアの痛切な怒声が響き、スバルはビクッと身体を強張らせた。一瞬で都合の良い妄想から現実に引き戻される。

 エミリアの表情は、どこまでも必死だった。だが、その紫紺の瞳の奥底に、またしても「自分の命を投げ打ってでもスバルを逃がす」という破滅的な自己犠牲の色彩が見えて、スバルはそれが無性に腹立たしく、見ていられなかった。

 無理に大声を張り上げた反動で、エミリアは苦しそうに激しく咳き込んだ。頭部からの出血は酷くなる一方で、止まる気配がまるでない。

 

「俺が助けるって言ってるだろ!!! またあの蒸気で治してやるからさ! それか、お前自身の治癒魔法だってあるだろ!!」

 

 スバルも負けじと、子供じみた大声で彼女の言葉を突っぱねた。根負けしたように、エミリアは自由な右手で自身の頭部へ微かな治癒の光を当て始める。だが、その回復の速度は、先ほどに比べてあまりにも遅く、弱々しいものだった。

 

 その時、スバルの脳裏に電撃のような閃きが駆け巡った。

 シリウスが言っていた、スバルにあるという『傲慢の権能』。その本質は、魂同士を繋ぐ『鎖』だ。このパイプのような繋がりは、スバルが「エミリアを絶対に救う」という強い意志をトリガーにして発動した。そして今、スバルの全身にはエミリアの超人的な身体能力の恩恵が流れ込み、みなぎっている。

 ならば――その逆も然りのはずだ。最初の一回はスバル側から「治れ」と念じて白い蒸気を送り込んだが、この繋がりが常時接続されているのだとしたら、回数制限なんていうゲーム的な縛りは腑に落ちない。

 

「エミリア……お前、俺のこの『繋がり』を利用しろ! 最初の治療は俺発信だったけど、2回目からは、エミリアの側がきっかけになればあの白い蒸気の治療を引き出せるはずだ! やってくれ、必要だろ!?」

 

 スバルが必死に提案するが、エミリアはそれに応じようとはしなかった。ただ頭部に治癒の光を当てたまま、ボロボロの身体に鞭打って、苦しげに石畳の上へと立ち上がる。

民家の壁の向こう側からは、今にもあの包帯の怪物が再び飛び出してくるかもしれない。彼女は折れた左腕をかばいながら、今度はスバルの前に立ちはだかり、盾となるように前方を油断なく警戒し始めた。

 

「ダメよ……。スバル、その力に……これ以上頼っちゃ、いけない気がするの」

 

 エミリアは前を見据えたまま、微かに声を震わせた。

 

「さっき、死ぬはずだった私を助けてくれたのは、本当に、すごーくありがとうって思ってる。ちょっぴりは、その力を使いたい気もあるのだけれど……でも、これ以上は絶対にダメ」

 

「わ……分かってんじゃねえか! 仕組みがなんとなく理解できてるなら尚更だろ、使えるもんは何でも使ってくれよ!」

 

 恐ろしいほどの轟音が響いた。

 突如として、目の前の民家が物凄い赤紫色の豪炎によって爆裂した。吹き飛んだ瓦礫も、燃え盛る木材も、あらゆるものが一瞬にして灰へと変わり、崩れ落ちていく。

そして――黒煙を割って、あの包帯の狂人が再び姿を現した。

 

 

やり直せるなら報われてほしい方

  • オボレルラム
  • カサネルオットー
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