もしも、リゼロキャラがIFルートまたは本編から初期地点に帰ってきたら(スバル主人公)   作:ああ

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ほのぼの・・?


アーラム村無差別通り魔殺人事件

 世界最強の騎士ラインハルトに連れられ、スバルとエミリアの三人がやってきた場所。それは、ロズワール邸の広大な敷地のすぐ近くにひっそりと佇む、『アーラム村』と呼ばれる小さなのどかな農村だった。

 

「――僕たちの行う稽古とはね、スバル。この村で、困っている誰かの『人助け』をすることだよ」

 

 これこそが、ラインハルトとロズワールが昨晩から夜通し話し合って決定した、ナツキ・スバルに今すぐやらせたい稽古の全貌だったのか。当初想像していたような、血反吐を吐くまで木刀で叩きのめされる地獄の戦闘訓練に比べれば、あまりにも平和的で温かい内容に、スバルは内心でホッと大きく安堵していた。

 

 ――だが、安堵と同時に、言い知れぬ不安がスバルの胸に過る。

隣を歩くエミリアは今、顔の半分を覆い隠すような、不自然なほど深い認識阻害のフード付きローブを羽織っていた。

 

 これが意味する残酷な事実――彼女が嫉妬の魔女と同じ特徴を持つ『銀髪のハーフエルフ』であるがゆえに、この近隣の村人たちから謂れのない恐怖と偏見の目を向けられ、恐れられているからなのだと、スバルは事前に聞かされていた。

 

 そんな、彼女にとっての精神的なアウェイである場所に向かうとは露知らず、朝食の場のノリのままでエミリアを気安く誘って連れてきてしまったのは、果たして本当に正しい判断だったのだろうかと、スバルは今さらになって思い直してしまった。

 

「……なぁ、エミリア。…大丈夫か? 無理してない?」

 

「ふふ、そんな心配そうな顔なんて……これっぽっちもいらないわよ、スバル。それよりも、私とスバルとラインハルトの三人で、こうして平和な人助けの特訓ができるなんて……私、すごーく楽しみだわ!」

 

 この魔法の力を宿した認識阻害のローブさえ深く身に纏っていれば、少なくとも村人たちから不当に恐れられたり、石を投げられたりすることはない。でも、それは彼女の本当の存在を覆い隠している、ただの一時的な『ごまかし』にすぎないのだと、スバルは胸の奥をチクリと痛ませる。

 けれど、当のエミリアはフードの奥からそんな風に健気な声を響かせてくれているし、何よりあのままあの重苦しい修羅場の空気が残る屋敷の中に一人きりで残していくよりは、こうして一緒に外の空気を吸いに連れ出した方が、彼女の精神衛生にとっても遥かに良かったのかもしれない、と今はポジティブに考えることにした。

 

「――よしっ! 決まりだ! だったら、まずはあっちの困ってそうなやつから片っ端に助けていくとするか!」

 

 スバルは、脳裏の隙間にねっとりとへばりついていたあの最悪な悪夢の眠気を、剥き出しのやる気の気合いだけで強引に吹き飛ばし、足取りも軽くアーラム村の入り口へと元気に一歩を踏み入れて行った。

 

 

 

 

 

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 スバルたちが村人たちの注目を集め、彼らの懐へと深く打ち解けるまでに、そう多くの時間は必要としなかった。

 それには、高貴なる『剣聖』ラインハルトという超一級の有名人が背後に控えているという抜群の広告効果もあったが、何よりも、ルグニカ王都の未曾有の大事件において、あの魔女教大罪司教『憤怒』と、悪名高き『腸狩り』の二大巨頭を正面から打ち破った若き新星の英雄たちがやってきた、という特大のニュースが、すでにこの小さな農村の隅々にまで電撃的に広がっていたからに他ならない。

 この異世界には、遠方と通信を可能にする『ミーティア』や、国中を慌ただしく駆け巡って最新の噂を運ぶ旅商人たちの生態系が存在するため、情報が広まる伝播スピードは、スバルのいた元の現実世界のネット社会ほどとまではいかないものの、中世風の街並みからは想像もつかないほどに相当に速いようだった。

 

「――はいはい、お悩み相談ならこのナツキ・スバルにおまかせあれ! ですが皆さん、そう慌てずに一人ずつ順番に並んで頼みますよ! この男ナツキ・スバル、今日から毎日全力でボランティアの汗を流させていただきます!」

 

 気がつけば、広場には村人たちがずらりと長い列を作ってスバルたちの前に並ぶという、異様な大盛況っぷりを見せていた。

 スバルは、詰めかけた村人たちから一人ずつ丁寧に名前を聞き出すと、懐から取り出した赤い『憤怒の書』をさながら便利屋のメモ帳代わりにして、彼らがスバルに向けて次々と口にする、農繁期の畑仕事や、重い荷物の運び仕事、子供たちの遊び相手、破損した柵の工事の仕事、はたまた魔獣が出ないかどうかの森のパトロールなど、多種多様な依頼を次々とページへ書き留めていった。

 

「ははは。これは、僕がこのロズワール邸に滞在する予定の『あと一週間』という期間だけでは、到底すべてを消化できそうにないほどの仕事量だね」

 

 スバルの横で、これほどまでに純粋な人助けの依頼が自分たちに殺到したという事実を、心底嬉しそうに目を細めながらラインハルトが零した。

 

「あぁ。……たとえラインハルト、お前が一週間後に王都へ帰っちまったとしても、俺とエミリアでこれはずっと続けていくつもりだよ。この泥臭い人助けの稽古は……きっと、今の俺たちにとって、何よりも超大事なことだからさ。……なぁ、エミリアも、そう思うだろ?」

 

 一片の見返りも求めず、ただ純粋な善意で、困っている目の前の人を泥臭く助ける。他者と真っ直ぐに関わり合い、感謝の言葉をもらう。

 

 それは、あの最悪な『傲慢の予知夢』で魔女教の闇に染まったスバルにとっても、そしてあの凄惨な『憤怒の予知夢』の記憶で心がひび割れていたエミリアにとっても――乾ききった魂が現実の光によって静かに救われていくような、かけがえのない絶対的なリハビリになるはずだった。

 

「――ええ、そうね、スバル。……こんなにたくさんの人たちから、当たり前みたいに真っ直ぐに頼ってもらえるのって……きっと、すごーく幸せなことなんだわ」

 

 認識阻害のフードの奥で、エミリアもしみじみと、自分の存在が誰かに必要とされているというこの忙しさの喜びの質量を、愛おしそうに深く噛みしめているようだった。

 

 

 

 

 

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「――毎日に遊びに来てね、スバル兄ちゃん!」

 

「ほぼ一日中、スバル兄ちゃんは俺たちと全力で遊んでただけだったけど、こんなんでいいのかよー!」

 

「あっちのカッコいいお兄さんとお姉さんにも、ちゃんとありがとうって伝えておいてね! スバル!」

 

 このアーラム村での初めての一日は、本当にあっという間に過ぎ去っていった。

 気がつけば太陽は西の山へと沈み、村の景色はオレンジ色から境界線の曖昧な、薄暗い夕方のグラデーションへと移り変わっている。

 

 今日、スバルは村の広場でたくさんの人助けの依頼を憤怒の書に書き留めておきながら――実際のところ、その中身の大半は、今目の前で口々に自分に話しかけ、すっかり懐いて打ち解けてくれた村の子供たちの遊び相手を引き受けていただけだった。

 

 元々の計画では、午前中に農家の畑作業を手伝い、午後からは村の誰かが森の近くで落としてしまったという大切なペンダントを、ラインハルト、エミリアと三人でしらみつぶしに探す手伝いをするつもりだったのだ。だが、広場に出た途端に、あり余る元気を爆発させた子供たちの集団にがっちりと捕まってしまった。

 

 結局、二人の本職の『人助け』の邪魔をしないよう、スバルだけがずっと居残り組としてクソガキどもの相手を一手に引き受ける形になってしまったのだ。スバル自身、引きこもり時代には味わえなかったこの賑やかな時間が楽しかったのだが、別行動をしていたあの真面目な二人に「一人だけサボって遊んでいた」と、後で怒られたりしないだろうか?

 

 ――いや、きっとあの二人なら、この子供たちの笑顔を守ることもまた、今のスバルにできる立派な『人助けの稽古』なのだと、何の衒いもなく肯定してくれるだろう。スバルはそう確信している。なんて温かくて、なんて平和な世界なのだろう。

 

「……スバル?」

 

 そんな現実の幸せを噛みしめながら、一方で限界を超えて脳髄に這い寄る激しい眠気に襲われていたスバルに、茶髪のショートカットにリボンをつけた、いかにも田舎っ子と言った感じの可憐な少女が不思議そうにそう声をかけた。

 

「――あぁ、なんでもねえよ、ペトラ! ちょっと今、男ナツキ・スバル、生きてる現実の幸せってやつを噛みしめていた真っ最中!」

 

「えへへ、変なの! でも、明日こそはスバル、私とおままごとしてくれるんだよね!?」

 

 スバルは重い瞼を左手でこすりながら、目の前のペトラがそう無邪気に言い寄ってくるのを聞いていた。と同時に、自らの背中には、別の坊主頭のやんちゃな男の子が勝手にトカゲみたいによじ登ってきている重みを感じていた。

 

「あのなぁ……お前ら、太陽が沈んだらそろそろお家に帰る時間だぞ! あんまり遅くなって親御さんを心配させんなって。おいコラ、お前は勝手に俺の背中でボルダリングを始めるんじゃない! それとペトラ、お前がこの俺のことを呼び捨てにするのは、精神年齢的にもまだ10年くらい早いぜっ!」

 

「んだよ〜! まだ早いってば! あと10分、あと10分だけぐるぐるして遊ぼうよ!」

 

 スバルは「しゃあねえな!」と笑うと、背中から引き剥がした坊主頭の子供の両脇をがっしりと掴んで勝手に持ち上げ、そのまま飛行機のようにぐるぐると自らの身を回して猛回転させた。

 子供は「うわぁああい!」と嬉しそうな歓声を上げながら、夕暮れの景色のなかをスバルと共に回り続ける。

 

「ほらぁ!! 門限破りの悪い子には、お仕置きの刑だぞ!!」

 

「あぁ〜!! ずるい、ずるい! 俺も、俺もそれやって!!」

 

「次は私ぃ〜!! スバル兄ちゃん、代わってよ〜!」

 

 スバル的には目を回させるお仕置きのつもりだったのだが、かえって燃料を投下する逆効果になってしまったようだ。

 

「おいおい……っ! 当たったら危ねえから、お前ら少し離れてろって! この大技の続きは、また明日な!!」

 

 スバルは、遠心力で重くなった坊主頭の子供を優しく地面に着地させた。その子は案の定、完全に目を回して足元をふらつかせ、そのまま「うへへ」と笑いながら地面の草むらへと寝そべっている。

 泥で服が汚れるのなんて一ミリも気にしていないそのわんぱくな様子が、正にクソガキっぽくて最高だなと思って、スバルは思わず吹き出してしまった。

 

「スバルは、スバルって呼ぶのが一番しっくり来るの! 子ども扱いしないで、ちゃんと一人の女の子として見て!」

 

 少し間が経ってから、ペトラが不満そうに小さな頬をぷくーっと膨らませて、スバルにそう言い返してきた。

 スバルにとって、このペトラという少女は、周囲の他の子供たちとは違って、どこかほんの少しだけ大人びている感じがした。本当に微々たる差ではあるのだが。

 

「とか何とか言って、お前も本当は今のぐるぐる大回転をされて、黄色い悲鳴を上げたいんだろ? 明日一番で特等席を用意してやるから、今日はお開きだ」

 

「別に、そんな子供っぽいことで喜んだりしないもん! べぇ〜だ!」

 

 スバルの言葉に、ペトラは可愛らしくピンク色の舌を小さく出してそう言い返してきた。思わずスバルはまた声を上げて笑ってしまった。

 

「おほん! まぁ、明日も来るとしてだ。今日の活動の最後に、ちょっとだけみんなに聞いておきたいことがあるんだが……。みんなさ、ここ最近、何か変な『すごーく長くてリアルな夢』とか見たりしなかったか?」

 

「夢ー? 見てないよ!」

「俺も、ずーっと朝まで爆睡!」

 

 スバルは、このアーラム村にやって来てからずっと、屋敷の面々と同じように「サテラに見せられた予知夢」を宿した人間が村人の中にも紛れ込んでいるのではないかと考えていたが、今日一日、どれだけ多くの人と関わっても、まだ一人もその該当者を見つけられずにいた。

 この目の前の無垢な子供たちも、どうやら例外なく全員が『見ていない側』の人間であるようだった。

 

「おっけい! 教えてくれてありがとな! だったら今日は夜更かししないで、お家で早く寝ろよ!」

 

「スバルもね! なんだかスバル、さっきから眠そうだもん!!」

 

 ペトラのその鋭い指摘の言葉に、スバルは内心でギクッとなって息を詰まらせてしまった。確かに、今の脳みそは限界を超えて眠すぎる。今晩こそ、何が何でも腹を括って寝ないと本当に狂ってしまいそうだ。

 

 そして――子供たちと笑顔で戯れている間だけは奇跡的に忘れられていた、あの暗闇の箱庭でエルザに腹を割かれる『悪夢の恐怖』が、不意に冷たく脳裏へとよぎってしまう。

 

 いや、大丈夫だ。この村だって、この目の前の温かい現実だって、今はこんなにも平和なんだ。夢はあくまで、ただのあり得ない夢でしかない。今日こそ、この子たちの温もりに免じて、勇気を出して眠ってみよう。

 

 純粋な子供たちの希望に救われ、スバルもまた、悪夢に立ち向かうためのほんの少しの勇気を分けて貰えたらしいのだと、自覚していた。

 

 そろそろ、森の方でペンダントを探しているはずのラインハルトとエミリアの方にも、終わりの声をかけに行こうかな。

 そう、スバルが意識を切り替えた、まさにその瞬間だった。

 

「――ア、アア嗚呼、嗚呼、嗚呼、ッッ!!!!」

 

 なんだ。今のは、一体、何の音だ――!?

 

「スバル……っ! 今の、聞こえた、よね……っ?」

 

 ペトラが恐怖に小さな顔を強張らせ、縋り付くようにスバルの左手をぎゅっと強く掴む。スバルは床に縫い付けられたようにその場で固まっていた。

 今のは、断じて眠気による幻聴なんかじゃない。明らかな、大人の男性の――喉を引き裂くような、凄絶な『絶叫』だった。

 

 ただのどかだったアーラム村の美しい夕暮れの景色が、その一瞬にして、とてつもなく不気味で物騒な暗黒の薄暗さへと変貌してしまったかのように、スバルの肌は感じていた。

 

「みんな……っ! 今すぐ全員で俺の傍に集まって! 頼むから、絶対にこれから大きな声を出すなよ……っ。俺がこれからちゃんと家に送り届けてやるから、静かに俺の後ろについてこい……っ!!」

 

 スバルは全身の皮膚に、粟立つような鳥肌が立つのを感じながら、今までにない必死の形相で怯える子供たちにそう鋭く言いつけた。

 恐怖のあまり、脳を侵食していたあの泥のような眠気は一時的に完全に冴え切り、代わりに、ガンガンと内側から殴られるような強い緊張の頭痛となってスバルの焦燥を煽り立てていた。

 

 あの男の不吉な叫び声は、村の中で今スバルたちが遊んでいる広場からは、少し離れた位置――民家の裏手の方向から聞こえた。

 

 間違いなく、何かが起こった。

 だが、今ここでパニックを起こしかけている子供たちから目を離して単独行動をとるのは、あまりにも危険が大きすぎる気がして、スバルはまず「子供たちの保護」という最優先の行動をとるために、その身体を動かしていた。

 

 

 

 子供たちは、スバルのお調子者な態度からは決して想像できない「剥き出しの必死さ」を敏感に感じ取り、全員が恐怖で今にも泣き出しそうな顔を浮かべながらも、静まり返ってスバルの言い付けを忠実に守っていた。

 

 今の広場の位置から、一番距離的に近かったペトラの家に向かって、スバルと子供たちの小さな集団は静かに歩き出す。

 決して走らない。パニックに陥って転べば致命的な遅れに繋がる。冷静に、どこまでも落ち着いて歩いて帰るのだ。

 

 まずは一旦、ペトラの家の親御さんに頭を下げて事情を話し、全ての子供たちを一箇所に家の中に避難させて匿ってもらおう。

 何かが起きている現場への状況確認は、子供たちの安全な退路を完璧に確保した――その後からだ。

 スバルは焦る脳内で、必死にそう自らの行動に優先順位のラインを引いていた。

 

「――いやぁあああああ!!! 助け、て、ッ!!」

 

「……っ、うあぁ……っ!!」

 

 再び静寂を切り裂いて響き渡ったのは、今度は大人の女性の――狂気に満ちた、耳を覆いたくなるような悲鳴だった。

 それは村の遥か遠くから聞こえてきた。思わず、全身の血液が逆流して心臓がギチギチと凍りつくほどの冷たい衝撃がスバルを襲う。

 

 あまりの不吉な叫び声の質量に、子供たちも怯えて小さな身を震わせ、蜘蛛の子を散らすようにスバルの痩せた身体へと全方位から縋り付いてきた。

 スバルは一端その歩みをピタリと止め、しゃがみ込んで怯える彼らの小さな身体を両腕で強く、強く、壊れんばかりに抱きしめた。

 

「ペトラ……っ。お前の家は、この角を曲がった、ここらへんで間違いないな……っ?」

 

「うん……っ! すぐ、そこ……っ!」

 

 一体何が、何が起きてやがる!? 何なんだ、今のはただの悲鳴じゃねえ!

 

 心臓を叩く激しいドラムのような鼓動に急かされながら、スバルはなんとか子供たち全員をペトラの家の玄関口へと送り届け、その扉の奥へと一斉に避難させることに成功した。

 突然の事態に驚くペトラの親御さんには、息を荒げながら「外で尋常じゃない悲鳴が聞こえた」と簡単に事情を説明し、子供たちを全員中に入れた後は、鍵を閉めて絶対に何があっても戸締りをして外に出ないようにと、必死の剣幕で強く強く頼み込んでおいた。

 

 そして――重苦しい木製のドアが内側からパタンと完全に閉まった、まさにその瞬間。

 ナツキ・スバルは、その地面を蹴って悲鳴の上がった方向へと、一目散に全力で駆け出した。

 

「ぐっ……!! クソが、一体何なんだよ、これはっ……!!!」

 

 夕闇の風を切りながら全力疾走するスバルの胸の奥には、正体の分からない、胃をきりきりと雑に雑巾絞りされるような『謎の不安』がどす黒くよぎっていた。

 

 これは、あの『大罪司教』という名の怪物を相手にした時の恐怖とは――決定的に性質が違っていた。

 あの魔女教の狂人どもは、完全に現実離れした天災か、あるいは理不尽なモンスターを相手にしているかのような、どこか冷めた非現実の恐怖だったのだ。

 

 だが、今のアーラム村の夕闇に満ちている恐怖は、それとは全く違っている。

 まるで――自分の通い慣れた近所の駅の近くや、通学路の暗がりのなかで、突然、ナイフを持った狂気的な『通り魔』の存在に直面してしまったかのような。

 そんな、あまりにも生々しく泥臭い、現実的な嫌な不安の質量が、無力なナツキ・スバルの心臓をドスドスと容赦なく激しく殴りつけていた。

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 走る。走る。

 スバルは脳が焼き切れそうなほどの強迫観念に突き動かされ、ただひたすらに泥臭く走り続けた。

 

 ――すでに全てが『手遅れ』であることを残酷に告げる、鼻腔を突くどす黒い鉄錆の、血の匂いだけを不吉な道標にして。

 

 急速に光の失われていく、不気味な夕闇のアーラム村の坂道を全力で駆ける。前方から悲鳴にざわつき、何事かと顔を覗かせ始めたすれ違う村人たちに向けて、スバルは「野次馬に来てんじゃねえ! 危ねえから今すぐ全員家に帰っててくれっ!!」と、喉が千切れるほどの強い警告の怒声を浴びせ散らしていった。

 

 そして――。

 血の匂いが最も濃密に渦巻くその凄惨な現場へと、スバルはついに辿り着いた。

 全力疾走による肺の破裂しそうな疲労感すらも一瞬で忘却の彼方へ吹き飛び、ただ地面に靴底を擦りつけて急停止する。

 心臓が内側から握り潰されるような激しい激痛に思わず胸元をキツく押さえながら、スバルはその最悪な光景のすべてを、その目でハッキリと目撃してしまった。

 

「あ……っ、な、……なんだよ、これ……っ」

 

「スバル……っ! 無事だったのね……っ! 子供たちは、子供たちはみんな無事なの!?」

 

 ――人が、死んでいる。

 

「君も、無事でいてくれて本当に良かったよ……。いいや、『良かった』などとは、この惨状の前ではとてもじゃないけれど口が裂けても言えないな」

 

 血塗れの大理石と土の境界線。そこに、人が四人、倒れ伏し、冷たい骸と化していた。

 

「最悪の事態だ、スバル。僕とエミリア様も……あの叫び声が村中に響き渡るその瞬間まで、異変に全く気づくことができなかったんだ」

 

 一人は、荒らされた村の民家の家の中で。もう一人は、その家の入り口付近の外で。そして、そこから這うようにして外へと必死に逃げ出そうとしたかのように、通りに面した道端でもう一人が――無残に殺されていた。

 全員が、鋭利なナイフのような刃物で急所をメッタ刺しにされ、凄惨極まりない形で惨殺されている。

 

 この変わり果てた姿の三人の村人たちが一方的な被害者で――今、スバルの目の前で、ラインハルトの前に血を流して倒れ死んでいる男こそが、この地獄を創り出した『加害者』なのだと、おぞましい現場の状況からすぐに想像がついた。

 ラインハルトの手によって一撃のもとに屠られたその男は、見るからに人相が悪く、それでいて常人を遥かに凌駕するガタイの良さを誇る、屈強で禍々しい大男だった。

 

「……なんで……っ? なんで今日なんだよ……っ!?」

 

 スバルにとって、今日のアーラム村の記憶は、何よりも平和で温かい、心の拠り所になるはずの場所だった。

 

 それなのに、なぜ、どうして俺がここにやって来た今日という日に限って、こんな理不尽な地獄絵図が平然と起こりやがるんだ。

 

「……すまない、スバル。この男は、完全に理性を失って無差別に村人たちを襲い、殺し始めていたんだ。僕たちが森の奥から異変を察知してここに駆けつけるまでに、すでに三人もの尊い命が奪われていた。……四人目の被害者になるはずだった人が、まさにその刃に掛けられる寸前だったんだ。……あの状況では、僕の全力で彼を即座に『殺す』以外の選択肢が残されていなかった。……だから、なぜこんな凶行に及んだのか、その情報は何も聞き出せなかったんだ」

 

「その……っ、四人目の人はっ……!? 無事なのか、生きてるのかっ……!?」

 

 スバルは藁にも縋るような思いで、息を荒げながら慌てて周囲を見回して尋ねる。だが、視界に入る範囲には、先ほどの屈強な殺人鬼を含めた四つの死体しか転がっていない。

 

「落ち着いて、スバル。私がすぐに見つけて、すぐにわたしの治癒魔法で傷を完全に塞いで治したわ。今は安全な別の場所で、ショックを和らげるために眠らせてあるから」

 

 フードの奥のエミリアは、怯えるスバルを安心させるように落ち着いた声音でそう説明してくれたが――その言葉に安堵できたのは、本当に、ほんの一瞬だけだった。

 もう、奪われた三人の命は二度と戻らない。取り返しなんて、つきっこないのだ。

 

「――スバルは……? 一緒にいた子供たちは、みんな無事にお家に帰せたの?」

 

「あぁ……。全員、ペトラの家に避難させて……鍵も閉めさせてきた……」

 

 スバルは掠れた声でそう答えるのが精一杯だった。唇をキツく噛みしめ、右の拳を爪が肉に食い込むほどに強く強く握りしめる。

 

 同じ村に、こんな狭い小さなコミュニティの中に、俺たちは一日中ずっと一緒にいたっていうのに。世界最強の騎士と、国の王候補と、傲慢の経験値を宿したこの俺が揃っていながら

 ――なぜ、なぜこの三人を助けられなかった?

 

「お前は……一体、何のために……なんなんだよ、クソが……っ!!」

 

 スバルは、すでにラインハルトによって物言わぬ肉塊に変えられた、この無差別殺人の男の死体を、憎悪を込めて烈火のごとく睨みつけた。

 

「スバル……。この凄惨な事件は、後でロズワール様も含めて詳しく背景を調べる必要があると思う。……ただ、現場を見る限り、この男は完全に衝動的な『通り魔』のようだ。特定の誰かに強い恨みがあっての凶行ではなく……ただ、目の前にいる人間を無差別に殺すことそのものが目的だったようにしか見えない」

 

 ラインハルトのその至極冷静な推測は、民家の中に一体、玄関口に一体、そこから少し離れた外の通りに一体という、「近くにいた人間から順番に襲いかかった」痕跡とも完全に一致しており、スバルの脳にも嫌な説得力を持ってストンと納得できてしまった。

 

「これの……これの、一体どこが……。人を助ける、立派な英雄としての『稽古』だって言うんだよ、…っ!!!」

 

 スバルの胸の奥から搾り出された、そのあまりにも苦しすぎる悲痛な呟きに対し――ラインハルトも、エミリアも、言葉を失ってただ痛ましそうに俯き、それ以上目線を上げることすらできなかった。

 

 こんな最悪の通り魔事件が、このアーラム村で初めての温かい一日の結末だったとしたら。

 今日という一日を、何も知らずにただ無邪気に、平和に子供たちと戯れて笑っていたナツキ・スバルという男は――まさに、不条理な運命の掌の上で滑稽に踊らされていただけの『ピエロ』そのものじゃないか。

 

 ――『今すぐ死ね。すべてが完全に手遅れになる前に、お前がその手で取り戻せ。』

 

 ずーっと一睡も寝ていないスバルの脳髄は、激しい頭痛と精神的ショックのあまり、すでに意識の境界線が朦朧としかけていた。

 あまりの絶望感に、今にもその場でぶっ倒れて気絶してしまいそうだった。

 

 その時、スバルの耳の奥で冷酷に響き渡った、幻聴とも本物ともつかない呪いの声。

 その、聞き覚えのある悍ましい声の主は――間違いなく、あの世界を地獄に変えて笑った『傲慢のナツキ・スバル』そのものの冷徹なトーンだった。




カサネルルートへ・・

敵だったら怖い人

  • アヤマツ記憶持ちスバル
  • カサネル記憶持ちロズワール
  • 本編記憶持ちペテルギウス
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