もしも、スバル以外のキャラがIFルートまたは本編から帰ってきたら   作:ああああああ

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早くラムのところまで行きたい 


4話 ラインハルトさん、サテラの逆鱗に触れる

 スバルは、弾かれたように目を覚ました。

 目を開けると、視界に飛び込んできたのは、見覚えのある八百屋の店構えと、ついさっき時分を乱暴に追い出したはずの店主の顔だった。

 

「よう兄ちゃん。当店に何か用かい?」

 

「…………っ」

 

 言葉が出ない。

 一瞬前まで、スバルはあの包帯の怪物――シリウスに全身を焼き尽くされ、上空へと放り投げられ、潰れたトマトのように石畳へと落下して、確実に命を落としたはずだった。

 だが、今のスバルの肉体は完全に無傷。肌を焼く絶対零度の拒絶感も、骨まで消し炭にするようなあの凄惨な熱さも、すべてが嘘のように消え去っている。

 これでは、まるで――。

 

「全部……ただの、夢だったって言うのか?」

 

 額からじっとりと滲み出る、不快極まりない冷や汗。スバルは震える手の甲でそれを拭い、必死に現状を咀嚼しようと脳細胞をフル回転させた。

 あの脳の血管が千切れそうになるほどの激痛、最愛の少女を自らの慢心で焼き殺してしまったあの絶望的な喪失感。それらすべてが、ただの脳が見せた幻覚だったというのか。いや、感覚のすべてがリアルすぎた。今なおスバルの魂は、あの地獄の恐怖にガタガタと震え、苦しめられている。

 

 そもそも、もしこれが夢だとして、一体どこからどこまでが『夢』だったというのだ。

 

「……ま、待てよ。これって、エミリアやシリウスが言っていた、あの『夢』と関係があるのか……?」

 

 エミリアも、そしてシリウスも、出会い頭に「未来の夢を見ていた」と口にしていた。もし、自分が今しがた体験したあの壮絶な惨劇も、これからこの世界で起こる確定した最悪の未来――『予知夢』の類なのだとしたら。

 

「……あの、おっちゃん。訊きたいんだけど、俺と会うのって、今が本当に初めてか?」

 

 八百屋の店主は、スバルに対してまるで初対面の不審者に接するような、警戒の混じった声をかけてきた。もしも、あの地獄の時間が現実と地続きで、今の自分が時間を遡っているのだとしたら、店主の反応は「また来たのか」になるはずだ。

 

「あぁん? なんだ兄ちゃん、新手の詐欺か? 悪いが、ウチには一文無しのガキにくれてやる物なんざ何一つねえよ。ほら、用がないならとっとと帰った帰った!」

 

 シッシッと手を振って厄介払いしてくる店主の、見事なまでに原作通りのテンプレートな反応。

 その態度を見て、スバルの胸中に、確信とも諦めともつかない戦慄がじわりと広がっていった。

 

 おっちゃんは、俺のことを覚えていない。ということは、やっぱり俺は――あの大惨劇を『予知夢』として、これから起こる一歩手前の時間で経験したのだ。

 

 

 

 

 

 

△△△△

 

 

 

 

 

 スバルは雑踏のなか、大通りを早足で歩きながら必死に思考を巡らせた。

 あの八百屋の前に戻ったということは、そこがこの異世界におけるスバルの初期位置なのだ。つまり、異世界召喚されてからシリウスに惨殺されるまでの数十分間が、丸ごと脳内で再生された『夢』だったということになる。

 

「いや、ただの夢じゃねえ。あれはこれから起こる最悪の未来の『予知夢』だ。」

 

 これまでに得た情報を整理する。エミリアの見た夢では、スバルが何者かに殺されたらしいが、具体的な時間軸や状況は不明。シリウスの見た夢では、スバルが『ペテルギウス』という知り合いを殺したらしいが、これも場所や時期は分からない。そしてスバル自身は、ほんの数十分後に自分とエミリアが包帯の怪物に焼き殺される最悪の未来を見た。

 

「……エミリア」

 

 まだこの世界のエミリアが殺されていないのなら、今すぐにでも会いたい。だが、大通りで大声を上げれば、あのシリウスに見つかるリスクがある。この世界でエミリアが健在であるように、あの包帯の狂人もまた、この街のどこかを徘徊してスバルを探しているはずなのだ。

 そして、3人分の『予知夢』の内容がこれほど食い違っているという事実は、ひとつの仮説を導き出していた。全員が、それぞれ「別々の世界線の未来」を予知夢として見ている可能性が高い。

 

 それは、つまり――。

 

「未来は変えられるってことだよな……っ」

 

 未来が分岐しているのなら、最悪の死を回避することだってできるはずだ。だが、前の世界線でエミリアも言っていた。「予知夢は奇跡であり、二度目は起こらないかもしれない」と。つまり、スバルにはもう、シリウスに殺されて検証し直すような命の余裕はないのだ。

 さっきは能力に目覚めて調子に乗りすぎた。スバルが余計な色気を出して突っ込んでいかなければ、エミリアと共にシリウスの手から逃げ延びられたかもしれないのだ。だから、これからは徹底的に消極的に行く。あんな全身を焼かれる苦痛を味わうのは、たったの一度で十分だ。現に、あのトラウマのせいで今晩ぐっすり眠れるかどうかも怪しい。

 

「とにかく、まずはシリウスと遭遇したあの川沿いの場所から離れないと……」

 

 スバルは前回とは違う方向へ足を進めた。トンチンカンがいた路地裏に行けば、エミリアと再会できる可能性は高そうだったが、それをやるとまたエミリアが過剰防衛で彼らを氷漬けにしてしまうかもしれない。あの3人組に義理なんてこれっぽっちもないが、わざわざ彼らが死ぬと分かっていて同じルートを辿る意味はない。

 今やるべきことは、シリウスの警戒網から遠ざかりつつ、安全な場所でエミリアを探すことだ。そう考えていた、その時。

 

「――スバル!!」

 

「おおっ!!! !??」

 

 背後から響いた聞き慣れた高い声音と同時に、凄まじい勢いで何者かが背中に飛びついてきた。その力強さにスバルは思わず前のめりに倒れそうになる。だが、背中に伝わる柔らかい体温と涼やかな香りで、それが「幸せの奇跡」であることは瞬時に理解できた。

 

「スバル!! 生きてる……っ、生きてるのね!! ――って、え? スバル、泣いてるの……!?」

 

 再会を喜び、必死になって自分を探し出してくれたエミリアの顔は、変わらず眩しいほどに美しかった。けれど、今度の再会はスバルの側だって同じくらい喜び、感動していたのだ。

 

「エミリア……っ、ああ、また会えて良かった。本当に良かった……っ」

 

 涙を流しながら安堵するスバルの言葉に、エミリアは紫紺の瞳を丸くして驚いていた。

 

「そう! 私はエミリアよ。良かった……私、スバルが私の名前を覚えてくれてるなんて、すごーく、すごーく嬉しい!」

 

 感激のあまり、今度はエミリアの方が顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまった。スバルは、今目の前にあるこのささやかな幸せを、今度こそ誰にも壊させてなるものかと強く決意した。すぐに袖で涙を拭い、真剣な表情で行動に移る。

 

「エミリア、積もる話は後だ。早くここから逃げるぞ……あのシリウスに見つかる前に、早く!」

 

 突然、緊迫した目つきに変わったスバルに、手を引かれたエミリアは困惑したように小首を傾げた。

 

「ええ? ちょっと、すごーくよく分からないんだけど……シリウスさんって、一体誰のこと……?」

 

「……は?」

 

 エミリアのあまりにも的外れな反応に、スバルの脳がフリーズした。覚えていない? どういうことだ。

 

「何言ってるんだよ、あの全身包帯女の化け物だよ……! 名前を忘れちまうくらい怖かったのは分かるけど、アイツはマジでヤバいんだ。俺も今すぐこの街からズラかりたい!」

 

「う~ん。スバル、私、そんな包帯を巻いた女の人なんて知らないんだけど……。それって、スバルの夢に出てきた人なの……?」

 

「あ……っ?」

 

 エミリアの怪訝そうな表情を見て、スバルは冷水を浴びせられたような衝撃と共に、ある決定的な事実に気づく。

 あのシリウスに惨殺される予知夢を経験したのは、他ならぬナツキ・スバルただ一人であり、目の前のエミリアはその未来を一切共有していないのだ。

 

「待て……落ち着け、一回冷静になれ俺の脳細胞……! エミリア、じゃあ君の言う『夢』では、俺たちはこの後どうなるんだよ?」

 

「……ええとね。確かこの後、私はフェルトっていう女の子に大切な『徽章』を盗まれちゃうの。それで、それを取り戻すためにスバルと一緒に頑張って……最終的に、エルザっていうすごーく怖い女の人と戦うのよ……」

 

 エミリアは記憶を丁寧に手繰り寄せるように、こめかみに細い指先を当てながらゆっくりと言葉を紡いだ。

 だが――その口から飛び出した情報は、スバルの脳細胞が最も歓迎しない、最悪の不協和音だった。

 

「は……? 何……何言ってんだよ、お前……?」

 

 決定的な情報の食い違い。

 フェルト、徽章、エルザ、怖い女。――何一つとして、スバルの知るタイムラインに存在しない単語ばかりだ。

 そもそも、そんな見知らぬ奴らに出会うより遥か手前で、俺たちはあの包帯の怪物に焼き殺されるんだぜ……!?

 

 

「あ!! ちょっと待ってくれ、エミリア!」

 

 スバルが咀嚼しきれていない様子を察して、もう一度分かりやすく噛み砕こうとしたエミリアの言葉を、スバルは突き出した右手で遮った。

 恐怖と焦燥の限界値の中で、スバルの脳細胞がまたしても悍ましい推論の火花を散らしていた。

 

 未来が、世界線が、決定的に狂い始めた原因――それは間違いなく、あのシリウス・ロマネコンティの存在だ。あの化け物は「ペテルギウスがスバルに殺される予知夢」を見たからこそ、今この瞬間、この街にスバルを殺害しに現れた。

 だが、あいつがその夢を見たタイミングはいつだ?

 エミリアが今この瞬間にスバルを探しに走ってきたのと同じ。いや、思い返せば、スバルがこの世界に召喚されたまさにその瞬間、大通りの数人が何か長い夢から覚めたように唖然とフリーズしていたはずだ。確か、あの八百屋の店主も一瞬だけ呆然としていた。だが、あの店主は目覚めた後、スバルに対して完全に初対面の対応をとった。つまり、八百屋の店主が見た夢は「スバルとの関わりがない別次元の何か」か、あるいは記憶に残らない程度の些細な幻覚だったのか。

 

 だとしたら、シリウスが予知夢を見たタイミングはいつになる?

 あいつは魔女教の大罪司教だ。本来ならこんな大通りに堂々と居座っているはずがない。つまり、エミリアの予知夢に登場しなかったシリウスは、スバルを確実に抹殺するために、わざわざ別の場所からこの街へと急速に移動してきたのだ。

 あいつはさっき、自らをここに導いた『運命の導きに感謝する』と言っていた。そして、その際に禍々しい『黒い本』を太陽へと掲げていた。

 偶然この近くに潜伏していたのか、それともあの不気味な本に導かれてこの街に滑り込んできたのか。どちらにせよ、あの狂人が凄惨な能力を引っ提げて、今もこの街のどこかでスバルを血眼になって探しているという事実だけが、冷酷に横たわっている。

 

 だとするなら、導き出される結論は一つだ。エミリアの持つ『徽章泥棒やエルザと戦う夢』よりも、スバルがたった今経験した『シリウスに焼き殺される夢』の方が、より直近に迫った**最新の未来情報**だということ。

 どれほど深く考察を巡らせたところで、生身の高校生にできることなどたかが知れている。今はこの底なしの思考の泥沼から這い上がり、全力で生存ルートを模索するしかない。

 

「……エミリア。俺は、お前とは違う『予知夢』を見てる。……俺の夢の中じゃ、俺とお前は、今からすぐに殺されるんだ」

 

 スバルは血の気の引いた顔で、ひどく深刻な声を絞り出した。会話が噛み合わず、このまま立ち話で時間を浪費することだけが何よりも恐ろしかった。一刻の猶予もないのだ。

 

「……そうなのね。大丈夫だから、すごーく落ち着いて話していいのよ?」

 

 恐怖に顔を歪ませ、見るからに尋常ではない醜態を晒すスバルを拒絶することなく、エミリアは優しくその背中に手を添えて、ゆっくりとなだめるように摩ってくれた。まずはスバルの言葉をすべて受け止めようとしてくれるその誠実さが、今のスバルには涙が出るほど有り難かった。

 

「俺は……俺は召喚されてすぐに殺されたから、この世界のことなんて、お前のことくらいしか何も知らないんだ。だけど、もしあれが本当にただの『夢』だったんだとしたら、それは奇跡だ。だって俺は、この後あいつに殺されずに済むかもしれないんだから……っ!」

 

「ええ、そうよ。スバル」

 

 エミリアは、包み込むような穏やかな表情で深く頷いた。

 そうだ。エミリアも前の世界線で、予知夢の中でスバルが死んだことに絶望し、目の前で生きている現実を「奇跡だ」と涙を流していた。今のスバルが抱く感動と、全く同じ熱量の感情を彼女も抱いていたのだ。この手の中に転がり込んできた二度目の奇跡を、絶対にドブに捨てるわけにはいかない。

 

「俺が今、こうしてエミリアの名前を知ってるのは、エミリアが夢の中で命がけで俺を助けてくれたからなんだよ」

 

「……ごめんね。ちょっと、どういうことか分からないわ」

 

 パニックのままにまくしたてた説明は、あまりにも支離滅裂で、ややこしすぎた。恐怖で奥歯がガタガタと震え、唇がうまく回らない。肝心な時に、いつもの無駄に回るベロがロクに機能してくれない己の不甲斐なさに、猛烈な呪わしさが込み上げる。

 

「つまり! 俺の見た予知夢の方が、エミリアの夢よりも新しくて、最悪な情報ってことだよ! ……お前は言ったよな、俺が誰かに殺されるって。でも、今のままじゃその未来に辿り着くことすらできねえ。俺たちは今すぐ、この後すぐにあの包帯の化け物に見つかって、またあの地獄の業火で焼き殺されるんだよ……っ!!」

 

 自らの口で最悪の結末をなぞるうちに、全身の防衛本能が恐怖で悲鳴を上げた。

 今、この瞬間も、自分たちを肉塊に変えようと徘徊している狂人が同じ街にいる。そう想像しただけで、脳が恐怖で焼き切れそうだった。スバルは頭を激しく掻きむしり、その場にがっくりと膝をついて激しく震えた。

 

「――分かったわ。スバル、私、全部信じる」

 

「え……っ?」

 

 絶望に伏せるスバルの頭上から、鈴を転がしたような澄んだ声が降ってきた。

 今の自分には、他人に理解してもらえるようなまともな説明ができた自覚など微塵もない。ただ、体験した凄惨な恐怖をそのまま汚物のように吐き出しただけだ。それなのに、この銀髪の少女は、一切の疑いを持たずに肯いたというのか。

 

 

「その包帯女っていう悪い人が、スバルを狙っているのよね?……本当に……許せないわ」

 

 スバルの想像以上に、エミリアの理解は早すぎた。

 恐怖をただ汚物のように吐き出しただけのような、あの支離滅裂な説明。それなのに彼女はすべての情報を疑いなく信じ、次の瞬間には、その原因であるシリウスに対して明確な敵対心を滾らせていた。それはまるで、不要な思考をすべて引き算で削ぎ落とし、ただ目の前の危機を排除するためだけに未来へ進もうとする、どこか歪な決然さだった。

 

「待て……エミリア。そんな奴と関わっちゃダメだ! 逃げるんだよ、今すぐに!」

 

 理解が早いのは有り難いが、その結果としてシリウスに敵対されては一番困るのだ。あんな理不尽な怪物、戦って勝てるわけがない。スバルはそれを、文字通り死を以て身に染まされたばかりなのだから。

 

「でも、その悪い人がこの近くにいるんでしょう? だったら、なおさら放っておけないわ」

 

「え……? は……?」

 

 エミリアは覚悟を固めたように、両の手をきつく握りしめた。

 スバルはその場から立ち上がることすらできない。俺の言葉はすぐに信じてくれたのに、どうして「逃げよう」という提案には同意してくれないのか。

 何を……なんで? なんで分かってくれないんだよ。

 

「やめろ!! やめろよエミリア、今すぐここから逃げるんだ! あいつは『シリウス・ロマネコンティ』だぞ! 魔女教の大罪司教――『憤怒』って名乗ってたんだ!! あんな奴に勝てるわけねえだろ! 俺たちは、あいつに見つかったその時点で確実に殺されるんだ!!」

 

 スバルは膝の震えを無理やり抑えて立ち上がり、声を荒げてまくしたてた。その悲痛な叫びを聞いたエミリアの顔に、今度は驚愕の色が走る。何か、その名前に心当たりでもあったのだろうか。

 

「魔女教……。魔女教ね。本当に、すごーく危険だわ。本当に本当に放っておけない。そんな危ない人たちがこの街にいるって分かっているなら、なおさらよ」

 

「はぁ!? おいおいおい、勘弁してくれよ!!」

 

 必死に危険性を説明しているのに、一向に伝わらない。その激しい憤りで、スバルの視界がまたしても涙でぐしゃぐしゃに濡れ始めた。そんな自分が情けなくて、ウザったくて、両手の甲で雑に涙を拭い去り、なおもエミリアに詰め寄る。

 すると、そんな醜態を晒すスバルの身体を、エミリアは包み込むように優しく抱きしめた。

 

「落ち着いて、スバル。私はね、この街の人たちの中だったら、すごーく強い方だと思うの。だから……強い人が、みんなを守らなくちゃダメでしょ?」

 

 ――ああ、そうか。仕方ないよな。

 エミリアはまだ、あの包帯の化け物に直接会ったことがないのだ。だから、まだ戦える余地がある、なんとかなるって勘違いしちまうんだ。この致命的な思い違いは、エミリアのせいじゃない。スバルの圧倒的な説明不足のせいだ。

 今こそ落ち着いて、理詰めで説得しなきゃならない。強者が弱者を守るだと? そんな生温い綺麗事、あのシリウスには絶対に通用しないんだと、理解させなきゃならない。

 

「もう……頼むから分かってくれよ……っ! あいつは、近づいただけでまず頭がおかしくなって、身動きが取れなくなるんだ! それから、あいつの近くにいる奴が誰か一人でも傷つけられたら、その場にいる全員にその負傷がそっくりそのまま『共有』されて、全員一瞬で殺されちまうんだよ! 誰にも、防ぐことなんてできやしない! 目が合っただけでおしまいみたいな、そんな奴なんだ……っ!」

 

 エミリアの肩に必死にしがみつき、涙ながらに言葉を重ねる。

 

「たとえ、あいつに見つからずに背後から完璧な不意打ちを食らわせても、あいつに運よく攻撃が通ってもダメなんだ! あいつに傷を与えたら、攻撃した側のこっちも全く同じ傷を負うんだよ……! 本当に、どうしようもないクソ敵なんだ……!」

 

 悔しいが、認めるしかなかった。一度目の世界線で、スバルの身体に目覚めたあのチート能力、傲慢の権能である『魂の鎖』の全能感をもってしても、あのシリウス・ロマネコンティと再戦するなんて絶対に御免だった。あの場での最善手は、良くて全力の逃亡。とにかく、あいつとは絶対に出会ってはいけないのだ。

 

「そこまで話してくれて……ありがとう、スバル。なら、私から一つだけ、お願いがあるの」

 

「な……うん、何だよ」

 

 分かってくれたのか。その安堵から、スバルは彼女の次の言葉を待った。しかし――。

 

「誰でもいいから、この街にいる衛兵さんを探して、その人に『ラインハルト』っていう人を呼んできてって伝えて……。スバルにすごーく重大な仕事を任せちゃって、ごめんね。でもね、それが今の私の頭で思いつく、一番の最善策なの……」

 

 ――何を、言ってるんだ。

 

 想定していた話と、決定的に違っていた。そんな突き放すような言葉が聞きたかったわけじゃない。

 

「うっ……――ッ!!」

 

 スバルは、自分を抱きしめていたエミリアの肩を、両手で激しく突き飛ばした。

 ガンガンと割れるようにうるさい頭を両手で抱え込み、とうとう、限界まで溜め込んでいた感情が爆発する。

 

「何言ってんだよ!! 今すぐ二人で逃げるって言ってるだろ!! その『ラインハルト』って奴が誰だか知らねえが、そいつに一体何ができるって言うんだよ!! なんでそんなこと言い出すんだ! それじゃまるで……俺に一人で呼びに行けって、お前は残ってあいつを食い止めるって言ってるようなもんだろ!! ふざけんじゃねえよ!! お前は、何にも分かってねえ!!」

 

 もっと言葉を選んで、冷静に説得すべきだとは分かっていた。けれど、逆流する恐怖と憤りを、今のスバルにはどうしても抑え込むことができなかった。

 エミリアって、こんなにも頑固で人の話を聞かない奴だったのか。なんで、なんでそこまでして、俺と一緒に逃げようとしてくれないんだよ。

 

 スバルに乱暴に突き飛ばされ、エミリアは一瞬だけ驚いたように紫紺の瞳を見開いた。けれど、すぐに押し寄せる動揺を理性でねじ伏せるように、またしても静かで、酷く落ち着いた表情へと戻っていった。

 

 

「やめろ、やめてくれ。逃げるんだ。……っていうか、逆に何で逃げないんだよ!? 俺の見た予知夢じゃ、お前は俺と一緒に逃げようとしてくれただろ!?」

 

 叫ぶスバルは、まるで自分が世界一正しい正論を吐いていて、エミリアがその真逆の暴論を言っているかのような、奇妙なディベート大会の渦中にいる気分だった。

 スバルの記憶にあるあの血の路地裏では、エミリアはすべてを投げ打ってでもスバルの手を取り、どこまでも逃げて世界を冒険すると誓ってくれたはずだ。それなのに、いま目の前にいる彼女はなぜか頑なにその場を動こうとしない。何を考えているんだ。

 

「私は――この国の王になりたいの」

 

「え……?」

 

 エミリアはひどく落ち着いた口調でそう告げると、服のポケットから、精巧な宝石の嵌め込まれた一枚の徽章を取り出した。

 スバルにもハッキリと見覚えがある、あの高そうなバッジ。スバルの予知夢の中では、彼女が自ら未練を断ち切るように路地裏の壁際にそっと捨て去ったはずの、あの徽章だ。

 だが、いま目の前のエミリアは、まるでそれが自分の命のすべてであるかのように、愛おしそうに、そして固い決意を込めてその徽章を握りしめている。

 

「魔女教は、すごーく悪くて危険な人たち。この国の人々をこれまで何度も、大量に殺してきた大悪党よ。その悪党がこの街にいるって分かっていて、自分だけが安全な場所へ逃げることなんて、私にはできないわ」

 

 石畳の上へ無様にへたり込んだスバルとは対照的に、エミリアは背筋を伸ばし、立ったまま堂々とそう言い放った。スバルは、弱々しく彼女を見上げることしかできない。

 

「なんでだよ……。なんでそんな、無茶なこと……」

 

「私は、王になりたいの。だから……すごーくごめんね、スバル」

 

 何だ、その一切の迷いがない決意に満ちた瞳は。

 王になるだって? そんな夢、前の世界線じゃ一言も聞いてない。スバルの予知夢でのエミリアは、国も立場も全部ポイして、俺と一緒に逃げ出してくれるはずだっただろ――。

 

「あ……っ!?」

 

 その瞬間、スバルの脳裏に雷が落ちた。ようやく、すべての辻褄が繋がった。

 あの予知夢の世界線で、エミリアは不本意にも、自分の制御しきれない魔法で路地裏の3人組を殺してしまったのだ。だからこそ、彼女は王になる資格を自ら剥奪し、夢を諦めた。

 だが、今のエミリアはまだ誰も殺していない。トンチンカンを氷漬けにする最悪の初動を踏んでいないのだ。だから、彼女の心の中では、まだ「王になる道」が綺麗に残ったまま途切れていない。これもまた、未来が分岐した結果だった。

 

 王になりたいと本気で決意し、大衆を背負おうとするほどの誠実な人間が、人を殺した罪から無責任に逃げるはずがない。もし本来のエミリアが事件を起こせば、事故だったとしても自ら進んで自首を選ぶだろう。

 それでもあの夢のエミリアが、自首すら拒んで「ずるくて最低な悪い子」になる道を選んだのは、他でもない――ナツキ・スバルをこの世界で一人ぼっちにしないため。彼女が王の夢を切り捨ててまで選んでくれた、最大級の自己犠牲だったのだ。

 

 そしてそれと同じように、今の世界線のエミリアは、王になる道を諦めないがゆえに、自分が殺される危険性を犠牲にしてでも魔女教と戦おうとしている。スバルがどれほどシリウスの凶悪な能力を語り、恐怖を説いても、彼女の決意のスタンスは一ミリも揺らがない。目的のために、他の何かを犠牲にする覚悟が、彼女の根底にはあるのだ。

 

「……俺を、一人にしないでくれ」

 

 自分が最低で、おそろしくずるい男だと自覚しながらも、スバルは決定的な懇願を口にした。

 

「このままお前を行かせたら……エミリアは、確実に殺される。あいつは化け物なんだ。お願いだから……行かないでくれよ……」

 

 夢の中で、俺を一人にしないために王になる道を捨ててくれたのなら、もう一度、今ここでその選択を取ってはくれないか。それは、彼女の優しさを人質にとった、強制的な脅迫に他ならなかった。それでも、あの地獄の業火が待つシリウスの元へだけは、死んでも向かわせるわけにはいかなかったのだ。

 

「スバル……。スバルの言葉通りなら、私とスバルが出会った時間って、まだほんのちょびっとだけのはずよね? それなのに、スバルがそこまで私のことを大切に想ってくれているのは、どうして?」

 

 エミリアの声音は、どこまでも穏やかで、静かだった。

 スバルの必死の叫びに決して揺さぶられていないという、あまりにも残酷な現実が、スバルの胸を容赦なく切り裂いていく。

 

「君が……君が、俺を助けてくれたから……」

 

 スバルはへたり込んだまま頭を抱え、地面の石畳を見つめながら、消え入りそうな声で絞り出した。

 エミリアの顔を見上げることすらできない。まっすぐ目を見て伝えたところで、今の彼女には決して分かってもらえないと、自分の中で白旗を上げて認めてしまっていたからだ。

 

「ありがとう、スバル。私、この瞬間のために、きっとあの予知夢を見たんだわ」

 

 不意に、エミリアの声に、これまでとは比較にならないほど熱い、剥き出しの感情が籠められた。

 絶望のあまり耳を塞ぐ準備をしていたスバルだったが、そのあまりの熱量に、思考が強制的に中断される。

 

「へ……っ?」

 

「私ね、その夢の中で、スバルと一緒に逃げようって思ったり……それがもし無理なら、一緒に死んであげてもいいって、本気でそう思ったの」

 

 エミリアの紡ぐ言葉から、どうしても耳が離せない。一言も聞き逃してはならないという本能的な直感に突き動かされ、スバルはゆっくりと顔を上げ、エミリアの瞳を見た。

視線が交錯する。

 そこにあったのは、冷酷な拒絶などでは断じてなかった。エミリアは、泣き出しそうなほど優しげな、あまりにも愛おしそうな色をその紫紺の瞳に宿して、スバルへ向けて真っ直ぐに微笑んでいた。

 

「そしてね……その夢の中で私は、スバルにすごーく拒絶されちゃって。あわててすぐに追いかけたのだけれど、間に合わなくて……スバルは私の目の前で、殺されちゃってたの。そのあと、私はスバルを殺した人を、取り返しのつかない力で……殺してしまったわ」

 

 ぽつり、ぽつりと、決して誰にも明かすはずのなかった悲痛な予知夢の内容を、エミリアは洗いざらいスバルに語ってくれた。

 

「……っ、俺が、お前を拒絶するわけないだろ。謝るよ、本当にごめん。きっと何かの間違いだ。そんな最悪な予知夢通りのことなんて、俺はこれから絶対にしない。絶対にだ!」

 

 彼女の夢のなかで自分が犯したという拒絶の罪を、必死に言葉で打ち消そうとする。

 

「だけど……すげー驚いたし、正直、不謹慎だけど嬉しいよ。夢の中のお前が、俺と一緒に死んでくれるって本気で思ってくれてたなんてさ。そりゃあ傑作だ……。もしそんな最高のご褒美みたいな死が許されるのなら、それに越したことはねえよ。あの化け物に焼き殺されるより、よっぽどいい。……でも、今は、もうそうは思ってないんだろ?」

 

 否定してほしかった。そんなスバルの甘えを透き通らせるように、またしてもスバルはエミリアの目を見ていられなくなる。

 このまま置いていかれ、彼女が目の前からいなくなってしまうくらいなら、いっそ「今ここで一緒に死んでくれ」と縋り付きたいとすら思ってしまう。

 

「うん。今は、一緒に死んであげられないの。すごーく、すごーくごめんね」

 

 エミリアはスバルの視線を待つように、静かに、けれど明確に告げた。

 

「でも、信じて。私は絶対に負けない。だからスバルも、絶対に生きて……また会いましょう」

 

「え……エミリア!」

 

 決定的な拒絶の一言に、スバルの心の中で何かが木っ端微塵にへし折られる音が響いた。

 だが、そう告げたエミリアの横顔があまりにも、胸が苦しくなるほどに格好良くて。そんな彼女の前でいつまでもメソメソとへたり込んでいる自分の情けなさに、とうとう耐え切れなくなったスバルは、泥を払うようにしてようやくその場に立ち上がった。

 

 もうこれ以上、この少女に情けない姿だけは見せたくなかった。男のプライドが、ちっぽけな虚勢が、恐怖をねじ伏せてスバルの背中を押し上げる。

 

「……チクショウ、分かったよ! 分かったぜ! 俺がその『ラインハルト』って奴を見つけ出して、全部、全部どうにかしてきてやる!」

 

 信じてみよう、と腹を括った。彼女の言う通りにやってみる。

 この見知らぬ世界で、名前しか知らない男を衛兵の網から引っ張り出すなんて、失敗する確率の方がずっと高い。それでも、今のエミリアの言葉には、スバルのハッタリを本物の覚悟へと変えるだけの、確かな熱が宿っていた。

 

「待ってろ。――俺が、必ずお前を救って見せる」

 

 スバルが魂の底からその誓いを口にした、まさにその瞬間。

 

 ――ドクンッ!!!

 

 スバルの五臓六腑が、歓喜するように激しく脈打った。

 目覚める、傲慢の権能――『魂の鎖』。

 スバルの胸の奥から伸びた見えない強固な鎖が、エミリアの魂へと一直線に突き刺さり、二人の間に爆発的な力の繋がりを再び発生させる。エミリアの超人的な身体能力の恩恵がスバルの四肢へとドクドクと流れ込み、爆発的な全能感がスバルの肉体を満たしていく。

 

 もう、迷わない。この繋がりがある限り、彼女が生きていることはいつでも分かる。

 

「スバル……!? これは、何……?」

 

「俺の『権能』だよ。これを発動させている間なら、エミリアだってシリウスのあの精神汚染を完全に無視できる。……いいか、作戦はこうだ。大通りにいる民衆には、誰一人として指一本触れさせるな。それから、さっきも言った通りシリウスを直接攻撃するのも絶対にダメだ。もし万が一、傷を負わされたら、俺とのこの『繋がり』を強く意識して、回復するんだ。あいつを無力化する方法はただ一つ、氷の中に閉じ込めること。閉じ込めた後も、決して気を緩めずに魔法を発動し続けて、ずっと中から凍らせ続けるんだ!」

 

 スバルが早口でまくしたてる無理難題なミッションを、エミリアは一言も聞き漏らさないよう、真剣極まりない表情で聞いていた。

 あまりにも過酷で、一歩間違えれば即座に全滅しかねない防衛戦。だが、すべてを聞き終えたエミリアの瞳に、怯えや妥協の色彩は一切浮かばなかった。

 

「――時間稼ぎね。すごーくよく分かったわ」

 

「頼むぜ。もしも攻撃を食らったら、躊躇なく俺の力を引き出して回復に回せよ。俺の側には痛みの反動も回数制限もないんだから、出し惜しみなんてするなよ!」

 

「うん。……でも、スバル。あなた、その目が――」

 

 シリウスの凶悪な能力や作戦の過酷さには一切動じなかったエミリアが、その瞬間、スバルの顔を見て息を呑み、激しく動揺した。

 能力が再起動したことで、スバルの両目は再び、元の濁った三白眼から、エミリアのそれと全く同じ鮮やかな紫紺の瞳へと変貌を遂げていたのだ。

 

「これについては……っ、全部の片付けが終わった後にしようぜ。今は一分一秒が惜しいだろ?」

 

 散々ふざけた現実逃避をしてきたくせに、ここにきてスバルの側が最も建設的で、冷徹な大人の対応をしてみせる。

 それが、これ以上自分を引き止めさせないための、ずるくて必死なスバルのハッタリなのだと察したのだろう。エミリアは幾度か瞬きをし、無理やりその困惑を脳内から追い出すように強く首を振った。

 

「そうね……。スバルのその目、本当ならすごーくすごーく見過ごせない重大なことだけれど……。分かったわ。全部解決したら、その時は絶対に、ちゃーんと説明してもらうんだからね!」

 

 無理やり自分を納得させるようにそう言い放ったエミリアに、スバルは赤くなった頬を緩めて、力強く肯いた。

 

「ああ、約束だ! どうにかしてやろうぜ、俺とお前で―!」

 

 別れの一幕として、スバルは自らの右手を真っ直ぐに差し出した。

 エミリアはその手の上に、自らの白い、しかし温かい手のひらをそっと重ね合わせ、強く頷く。

 

「ええ。――きっと、うまくいくわ!」

 

 パチ、と小さな火花が散るような確かな魂の誓いを残し、二人は別々の方向へと、一度も振り返ることなく全速力で走り出した。

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 『魂の鎖』によって肉体に強制的な駆動をかけられたスバルは、燃え盛るような熱量を帯びて、この広い街の路地を高速で駆け回った。

 地面が民衆で埋め尽くされている時は、建物の垂直な壁へと躊躇なく足をかけ、重力を置き去りにするように屋上へと駆け上がる。屋根から屋根へと飛び移るショートカットなど、スバルの素の身体能力では絶対に不可能な荒業の連続だったが、恐怖を感じる暇さえ今のスバルにはなかった。

 

 すでに、街を巡回していたと思われる3人の衛兵には、「ラインハルトを連れて川沿いの橋へ向かってくれ」と伝えることができた。3人のうち、誰か一人でも早く『ラインハルト』と合流し、このメッセージが届くことに賭けるしかない。

 

「ここまでは超スムーズにいったなっ……!」

 

 ドンくさい自分にしては上出来すぎる滑り出しだ。トラブルらしいトラブルも起きていない。これが俗に言う火事場の馬鹿力というやつなのか?

 ――いや、違う。やめろ。自分を甘やかすな。エミリアはこんなスバルとは違って、今この瞬間も、あのおぞましい化物相手に命懸けの時間稼ぎをしてくれているんだ。自分を褒めている暇があるなら、次にできる最善の一手を考えろ。

 

「ラインハルトォオオ!!!!! いないか!!! ラインハルトォオオ!!!」

 

 スバルに思いついた次の手段は、数少ない特技(?)である大声を張り上げながら街を暴れ回ることだった。心なしか、魂の鎖による強化は大声の『声量』にも適用されているようで、鼓膜を震わせる咆哮となって街に響き渡る。

 行き交う民衆たちが、スバルに向けて奇怪の目や冷たい蔑みの視線を投げかけてくるが、そんなものは知ったことか。

 向こうから見つけてくれるのなら、これに越したことはない。あの、エミリアが「彼なら」と全幅の信頼を寄せるほどの男だ。絶対に、理不尽なくらい強いに決まっている。

 

「ラインハルトォ!!! 頼むから――ぶぁっ!?」

 

 馬鹿の一つ覚えのように奇行を続けていたスバルの体が、路地裏の暗がりから飛び出してきた『何か』に捕らえられた。

 それは、物理法則を完全に無視して、自分の質量そのものを空間に強制固定されたかのような絶対的な怪力だった。ドーピングによって弾丸さながらの速度で走っていたスバルの運動エネルギーを、その手は寸分のブレもなく一瞬でゼロにしてみせたのだ。

 

「おお……おおお……お前が……っ?」

 

「スバル!! ……また会えたね!」

 

 視界が水平を取り戻した瞬間、スバルはこの男が件の『ラインハルト』だと本能で確信した。

 ひときわ目を引くのは、燃えるように鮮やかな赤毛の短髪。そして、すべての悪を射抜くような気高さと、見る者を無条件で包み込むような優しさを湛えた、澄み渡るような空色の瞳。

 

「ラインハルト……! なんで、俺の名前を……?」

 

「そうだ。僕が剣聖ラインハルトだよ。……スバル、その様子だと、僕たちの出会いはこの世界線では『初対面』なのかな?」

 

 スバルの大声が功を奏し、頼んだ衛兵たちよりも早くラインハルト本人と合流できたことは文字通りの大金星だった。だが、ラインハルトが返した言葉の響きに、スバルの勘が不穏な引っかかりを覚える。

 

「あぁ、俺からしたら完全に初対面だ。でも、ラインハルトが俺を知ってるってことは、もしかして……お前もエミリアと同じ『未来の夢』で、俺に会ってるってことなのか?」

 

「……うん。僕とスバルは、未来でかけがえのない親友になっていたよ」

 

 剣聖、英雄、絶対的な強者、そして非の打ち所のない超イケメン。

 スバルの中で膨れ上がっていたラインハルトへのイメージは、そんな完璧な『ヒーロー』だった。それゆえに、そんな雲の上の存在から初対面で「親友」などという言葉が飛び出してきたことには、少なからず腑に落ちない座りの悪さがある。

 だが、ラインハルトもエミリア同様、予知夢を見た重要人物のリストに加わったことは確実だった。

 

 スバルは表情を引き締め、真剣な眼差しでラインハルトに向き合う。彼の全身から漂う頼もしいオーラが、スバルの震える心を力強く支えてくれる気がした。

 

「ラインハルト。頼みがある。川沿いの橋のところに、魔女教大罪司教――『憤怒』のシリウス・ロマネコンティっていうバケモノが出た。今、エミリアが命懸けで時間稼ぎをしてくれている。だから、頼む……お前の力を貸してくれ!!」

 

 うまくいってくれ。どんな悪党だろうが、その圧倒的な力で、理不尽にねじ伏せてくれ。

 そこにスバルの活躍なんて一ミリもいらない。どんな引き立て役でも、無力に指をくわえて見ているだけの役立たずでも構わない。スバルとエミリアが、生きて明日を迎えられるならそれ以上は何も望まない。だからこそ、今ここで、この絶対的強者の力が欲しいんだ。

 

「――なんだとっ!?」

 

 だが、スバルの熱い期待を裏切るように、ラインハルトの反応は驚愕に激しく揺れていた。

 美しい空色の瞳が酷く見開かれ、その端正な顔立ちが、瞬時にこの最悪な運命を呪うような険しい表情へと変貌する。

 冷静さを欠いたその表情を間近で見て、スバルの胸中にあった絶対的な安心感が、ガラス細工のように脆く崩れ去っていく。いや、敵が大罪司教だ、驚くくらい人間として当然の反応だ。何事にも動じない無敵のマシーンであれなんて、そんな傲慢な期待は持っちゃいねえ。持っちゃいない、はずなのに。

 

「スバル……っ! フェルト様を……フェルト様を、知らないかっ!?」

 

 次の瞬間、ラインハルトが取った仕草と叫びは、スバルの思考を完全にフリーズさせた。

 ラインハルトはスバルの両肩を、まるで壊れやすい骨組みにでも縋り付くような悲壮さで強く掴み、必死の形相で問いかけてきたのだ。

 

「え……? フェ、ルト……?」

 

 そう言えば、エミリアが言っていた。彼女の予知夢の中で、徽章を盗み出したという少女の名前だ。それがどうして、今ここで。

 

「そ……そんな……っ。スバル……っ、すまない。本当に、すまないが……僕は今すぐ、フェルト様を探し出さなければいけないんだ。魔女教大罪司教が動いているというのなら、なおさら……!」

 

 スバルの困惑した反応に、ラインハルトは絶望に突き落とされたように顔を歪め、より一層焦燥感を高めて身を震わせる。

 スバルの肩を掴む『剣聖』の手は、あまりにも激しく震えていて――スバルの目には、それがひどく、頼りなく映った。

 

「ま……待ってくれ、行かないでくれ!!! まずは目の前の元凶を倒そうぜ!! 川沿いの橋のところだ!! まずはあのシリウスを止めないと、全部手遅れになるんだよ!!」

 

 頼むから勘弁してくれ。そんな余裕のない、焦りきった顔をしたいのはこっちの方なのだ。

 ラインハルトという男に、スバルの知らない深刻すぎる事情があるのは嫌というほど伝わってくる。だが、それはそれとして、今は本当に俺たちを助けてくれ。

 しかし、ラインハルトの端正な貌には、スバルの懇願を受け入れる余地がないことが残酷なほどに漏れ出ていた。そして、ひどく申し訳なさそうな色をその瞳に浮かべる。なんでそんな顔をするんだよ。

 

「川沿いの橋のところなら、もう、くまなく探したんだ。……だけど、そこにはフェルト様の姿はなかった。いま僕がそこに戻っても、フェルト様には会えない……。僕は一刻も早く、フェルト様の元へ向かわなければならないんだ。――『腸狩り』の居場所も、未だに全く掴めていない。本当に、時間がないんだ。……スバル、君は『腸狩り』の行方に心当たりはないのか!?」

 

「は……? 誰、だよ……それ……」

 

 スバルは奥歯をガチガチと震わせながら、激痛の走るこめかみを強く指で押さえた。

 この窮地で、心の底から頼りたかった最強の人間は――自分と同じ、あるいはそれ以上に最悪の袋小路へと追い詰められ、余裕を完全に無くしていた。そんなボロボロの状況でありながら、スバルに対してさらに情報を求めて縋り付いてくる。

 腸狩りだって? そんな見知らぬ奴に構っている暇が、今の俺の、エミリアのどこにあると思っているんだ。

 

「し……知らねえよ……誰なんだよ、そいつは……ッ!」

 

 ここへ来て、スバルの胸の奥底からドロドロとした怒りが込み上げてきた。

 思い通りに動かない理不尽な現状に対してもそうだが、余裕を失って自分に縋り付いてくるラインハルトという男への、どうしようもない憤りだ。ラインハルトが焦っているのも、スバルがパニックになっているのも、断じてどちらのせいでもない。そんなことは頭では分かっている。シリウスや、その腸狩りとかいうクソ悪党どもが地獄に叩き落とされれば、すべて解決する話なのだ。

 だが、今はお互いがお互いに、持っていない救いを求め合っている。このままでは、両方の望みが同時に、最悪の形で潰える。

 

「うっ……おえっ……」

 

 精神的な圧迫から、激しい吐き気を催したスバルが一歩後ろへ下がろうとした、その瞬間。

 逆にラインハルトは必死の形相で距離を詰め、スバルの両肩をガシリと掴んで激しく揺さぶってきた。

 バカでかいヒグマに捕まったかのような、骨がきしむほどの圧倒的な質量と圧力。エミリアのフィードバックによるドーピング状態にあるはずのスバルの身体が、ただの肉の塊のように容易く制圧されていた。

 

「スバル……!! 頼む、スバルの見た『夢』のことについて、僕に教えてくれ……! 何か、何か手掛かりがあるかもしれないんだ! 早くしないと……フェルト様が、あの『腸狩り』に殺されてしまう……! どうしてなんだ、一体何が狂ったんだ!!! 僕の見たあの夢では、君が……君がフェルト様を逃がしてくれたんだ!! なのに……どうして、君は何も知らないんだ……!!」

 

 ラインハルトの青い目元が、真っ赤に充血している。

 おそらくスバルより二つか三つは年上の、完成された騎士のはずなのに、その姿は迷子になったひどく幼い少年のように見えた。そしてそれが――今のスバルには、猛烈に腹立たしく、そして恐ろしかった。

 

「ふざ……っ、ふざけんじゃねえ!! 離せ!!! 知らねえって言ってんだろ!!」

 

 とうとう、スバルの感情が爆発した。

 泣き出したいのは、叫び出したいのはこっちのほうなのだ。現に、今すぐ大声で泣き叫んでやるが、そんなの知ったことか。

 力任せにその両手を振り払おうと藻掻く。だが、超人的な強化を得ていながらなお、ラインハルトの必死の懇願を、スバルは微塵も動かすことすらできなかった。

 

「お前……ッ、落ち着けよ……ッ!!」

 

 吠えたのはいいものの、眼前のラインハルトは半ば正気を逸しかけていた。

 スバルを解放する気配は微塵もなく、逆に大通りからの人目を避けるようにして、スバルの身体を路地裏の暗がりへと強引に引きずり込んでいく。

 

「そ……そんなことは、ありえないんだ。君は……ナツキ・スバルは、完璧なはずなんだ……。僕たちの見たあの夢では、君がすべてを……」

 

「おい! やめろってば!! ……誰か、助け――」

 

 悲鳴を上げようとしたスバルの口は、ラインハルトの手袋越しの無慈悲な掌によって完全に塞がれた。

 そのまま、薄暗い路地裏の奥の壁際へと、抵抗する間もなく強制的に組み伏せられる。ラインハルトは目の前で深く屈み込み、その圧倒的な膂力でスバルの自由を完全に奪っていた。生物としての絶対的な強度の差。ねじ伏せられたスバルの全身は、本能的な恐怖でカチカチと身を竦ませるしかなかった。

 

 暴力を前にして、脳が強制的に冷やされる。スバルは、無駄な抵抗を諦めた。

 ラインハルトは過呼吸のように胸を激しく上下させながら、血走った瞳でスバルを睨みつけ、彼が完全に大人しくなるのをじっと待っていたようだった。

 

「すまない……。だけど、君だけが頼りなんだ。僕は、この奇跡を、絶対に、絶対に取りこぼすわけにはいかないんだ。スバル……スバルの見た夢のことを、話してくれ……」

 

 ラインハルトは、ゆっくりとスバルの口元から手を離し、解放した。

 スバルは激しく咳き込みながら、酸素を求めて胸を震わせ、それから、涙に濡れた怯えた目でラインハルトを見上げた。

 

 こいつは、一体何なんだ。

 エミリアは、こんな、今にも壊れそうな狂人を、この街の希望として頼りにしていたのか。

 

「……まず、俺は、この世界に召喚されてすぐにエミリアに出会った」

 

 スバルは、乾いた喉から掠れた声をどうにか絞り出した。

 

「そして、そのほんの数分後だ。川沿いの橋のところに、あの『シリウス』っていう化け物が現れて……俺たちを、周りの民衆もまとめて全員、殺したんだ。今……今この瞬間も、エミリアが必死に命を懸けて、アイツを足止めして時間を稼いでくれてる。……俺にとっては、お前だけが、頼みの綱だったんだよ……っ」

 

 そこまで一気に吐き出すと、スバルの目から再び大粒の涙が溢れ出し、嗚咽となって決壊した。

 何か、限界まで堰き止めていた心の糸が、完全に切れてしまったのだ。

 子供のように声を上げて泣きじゃくり、言葉の続きが出てこないスバルの姿を前にして、それまでの狂気的な焦燥に駆られていたラインハルトもまた、呆然と困惑したように立ち尽くし、その大きな手をただ虚空に彷徨わせるしかなかった。

 

「だから……ラインハルトが助けてくれないなら、俺はもうすぐに向かうよ。もうそれでいいだろ……。俺には、フェルトにも、腸狩りにも出会う未来なんて残されちゃいねえんだ。悪かったな……。お前もお前の目的のために、最後まで頑張れよ……っ」

 

 エミリアと立てた作戦は失敗だ。でも、諦めるわけにはいかない。ラインハルトは助けてくれなかった。いや、彼を責めるのもお門違いなのだろう。このまま、こいつと押し問答を続けている時間こそが、何よりも無駄だ。

 

「待つんだ。……まだ話は終わっていない」

 

「うっ、……おい!」

 

 立ち去ろうとしたスバルの身体を、ラインハルトはまたしても強引に掴んで引き戻し、壁際に座らせた。そして顔が触れそうなほど距離を詰め、人差し指をピシッと立てて、低く冷徹な声で語り出した。

 

「君は完璧なんだ。……完璧な君が、未来を取りこぼすなんてありえない。もう一度、思い出してくれないか。これで最後にする。せめてちゃんと考える素振りだけでも見せてくれないと、僕は諦めきれないんだ。本当に、君だけが頼りなんだよ。――この『剣聖』の命を懸けて、君に懇願する」

 

 これのどこが、人に物を頼む王道の態度だ。ハッタリ抜きの、ただの恐喝の間違いだろ。

 だが、逆らうという選択肢は今のスバルには許されていなかった。限界まで精神を追い詰められたラインハルトからは、あの狂人・シリウスとはまた異質の、絶対的な強者が放つ恐ろしさを感じる。

 

「……チッ、クソが!」

 

 スバルは痛む頭を両手で抱え、脳細胞のすべてを絞り出すようにして、最後に全力で思考を回してみた。

 

「いいか!? エミリアも、俺を襲ってきたシリウスも、それぞれ『別の未来の予知夢』を見て動いてたんだよ。その二人が予知夢を変えようと動いた結果、新しく生まれた最悪の未来で、俺とエミリアはあいつに殺されたんだ。

つまり、俺の見た夢は、エミリアやシリウスの夢のさらに先にある【上書きされた最新の未来】なんだよ!!そこに、フェルトの姿はなかったよ!」

 

「は……? 待ってくれ、それはおかしいよ」

 

 スバルのまくし立てる情報に、ラインハルトの思考が一瞬で固まる。

 

「エミリア様ととシリウスの予知夢はまだ分かる。だが、僕が見た予知夢は、君が僕の親友として、エミリア様を王にするために共に戦ってきた未来だ。それに、僕の予知夢の中には、誰かが『予知夢を見ていた記憶』なんて存在しないんだよ」

 

 ラインハルトが突きつけてきた致命的な疑問に、今度はスバルの側が硬直した。

 

「は……?」

 

「いいかい、スバル。限られた人物のみが、それぞれ独自の予知夢を見ることができた。それが別々の世界線の未来であることは僕も分かっている。騎士団の仲間にも、別の世界線の夢を見たという人から話を聞いたからね。でも、それは全員がそれぞれ、まっさらな過去から観測した『第一の世界』の未来なんだ。……スバルの夢は違う。だって、スバルの予知夢の中には、すでに【予知夢を見て動いていたエミリア様とシリウス】が登場している。――それはおかしい。予知夢の『重複』が起きているんだ」

 

「あっ――!」

 

 スバルは衝撃に目を見開いた。先ほどのエミリアとの噛み合わない会話が、激しいフラッシュバックとなって脳裏をよぎる。スバルはエミリアに言ったのだ。俺の見た夢の方が、お  前の夢よりも新しい情報なんだと。

 

「スバルの夢は、構造が異常なんだよ。全員がバラバラに見た夢を『第一の世界』とするなら、今僕たちがいるこの現実は、予知夢を踏まえた者たちが大量に存在する『第二の世界』だ。でも、スバルの説明だと、君は『第二の世界の予知夢』を見て、いまこの【第三の世界】にいることになってしまう!」

 

 ラインハルトは、世界の致命的なバグを見つけたことに一筋の光明を見出したのか、その青い瞳を爛々と輝かせて真実の解明へと走り出した。だが、スバルの側にも、この歪な謎に対する明確な引っ掛かりがあった。

 

「そうだよ……! だから俺はエミリアに、俺の予知夢が最新の情報だって言ったんだ! 俺は最初の世界じゃ、そもそもエミリアとも初めて会ったし、予知夢なんて何も見てなかった! そこで運命に流されて、夢を見たせいで俺を殺しに来たシリウスに殺されて、死んで――。でも、それがただの夢だったんだ! 俺は、エミリアたちがやり直そうとした未来で殺されて、またここへ戻ってきた! だから、俺はその最悪な未来をやり直すんだよ!!」

 

 まくし立てたスバルの言葉に、ラインハルトは息を呑み、完全にフリーズした。

 やがて、彼はゆっくりとその場から立ち上がった。その顔からは先ほどまでの焦燥が消え失せ、底知れない戦慄が表情を支配していく。

 

「ありえない……。スバル。君は、本来は予知夢を見ない側の、何の影響も持たないはずの人間だ。……だとすれば、君が知っているその未来の情報は、断じて『予知夢』によるものなんかじゃない」

 

 ラインハルトの鉄の制圧から解放され、スバルも壁に手をつきながら立ち上がる。

 

「なんでだよ!? 未来に起こる情報を知っていることに変わりねえだろ!?」

 

「第三の未来なんて、誰にも訪れないんだよ。君は夢なんて見ていない。……僕は加護によって、この世界のあらゆる『理』を観測している。断言するが、ここはまだ『第二の世界』だ。君は本来、第一の世界の予知夢を見たシリウスに、あの川沿いで一方的に殺されて終わるはずだった。だが、君はその第二の世界の『死んだ後の情報』を持って、いまここに存在している。それは……!」

 

 スバルは息を呑んだ。

 ラインハルトが口にした、世界を観測しているという謎の言葉。それは、この極限状態にあっても、決して単なる虚勢やハッタリには聞こえなかった。

 

「ラインハルト……だったら、その『予知夢』の正体は一体何なんだ?」

 

 スバルは乾いた声で、世界の根幹に触れるような問いを投げかけた。

 

「限られた人物のみに、分岐した未来の顛末を見せる――世界そのものを対象にした、何者かの強大極まりない権能だよ。それは、間違いなく『一度だけ』発動された。そして、僕たちは今、その記憶を持って『第二の世界』を生きている。もし世界がさらに上書きされて『第三の世界』にシフトしたのだとしたら、世界の理を観測できる僕が、それに気づかないはずがないんだ」

 

「……じゃあ、その特定の人たちが予知夢を見たタイミングは、全員一緒なのか?」

 

 スバルは、己の中にあった仮説を確かめるように訊ねた。

 

「そうだよ。世界が分岐したあの瞬間、すべて同時にね」

 

 ラインハルトは微塵の揺らぎもなく肯定する。

 

「だけどさ、俺がこの世界に召喚されたまさにその瞬間、目の前にいた八百屋の店主も、確かに夢から覚めたみたいな呆然とした顔をしてたんだ。それなのに……アイツは俺に対して、完全に初対面としての対応を取ったぞ。あのおっちゃんは未来の俺の存在を忘れたのか?」

 

 ずっと引っかかっていた、初期位置での違和感をぶつけてみる。

 

「いいや、彼は忘れたわけじゃない。――おそらく彼は、君が『その場に現れなかった未来』を見ていたんだよ」

 

 ラインハルトの答える口調は、完全に理知的な落ち着きを取り戻していた。彼はその恐るべき加護によって、すでにこの世界の歪みを完全に解明しつつあった。

 

「俺が、あの場所に存在しなかった未来……」

 

 それはつまり、ナツキ・スバルという人間が、そもそもこの世界に異世界召喚すらされなかった世界線。

 ――あり得る。むしろ、そっちの方がよっぽど自然だ。地球のしがない高校生が突如として異世界に引っ張り出されるなんてんこと自体が、そもそも何かのバグのようなものなのだから。

 

「だったら……だったら、俺を定義してくれよ」

 

 スバルは、自身の存在そのものを揺るがすような、恐ろしい核心に触れている感覚に襲われていた。

 

「周囲の奴らが全員『予知夢』を見て動いているこの現実の中で、実際に一度殺されて、その死の記憶を完璧に持ったまま、今ここに平然と存在しているこの俺を……! 俺は何なんだ!?」

 

 へたり込んだスバルを見下ろし、ラインハルトはその青い瞳に底知れない戦慄を湛えながら、ついに『答え』を宣告した。

 

「スバル。君は……予知夢なんて見ていない」

 

 ラインハルトの、世界の理を確定させる声が路地裏に響く。

 

「君は――実際に一度死んで、時間を巻き戻している。それは予知夢ではない。……『死に戻り』だ」

 

 ――その言葉が、ラインハルトの唇から零れ落ちた、まさにその瞬間だった。

 

 ドクン、と心臓が跳ね上がる。

 直後、スバルとラインハルトを隔てる狭い路地裏の空間が、前触れもなく、不気味な音を立てて内側から漆黒に裂けた。

 

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