異世界に来たら先人が魔王軍に寝返りまくってたので日和見してみる 作:匿名の筆者
「さて、まずはこの世界の『常識』というやつをおさらいするとしようかね」
目の前に佇む青いローブの老人は、顔全体を覆うほど長い白髭を撫でながらそう切り出した。
俺は、言われるがままにベンチに腰掛け、姿勢を正す。
海沿いの小屋に来たのは、この老人と会うためだ。
わざわざ遠く離れた城に赴くのが面倒なのだと。
異界人に魔術を教える、という仕事があると聞いたので言ってみれば、魔術を教える段階にないような人しかいなかったので、帰ったとのこと。
そんなフレックスタイム制みたいな出勤でいいのか、と思いはしたが、説明を聞く。
異世界転移モノの定番とはいえ、いざ自分が当事者になると、説明を聴く一言一言に命がかかっているのだと痛感させられる。
老人が最初に口にしたのは、この世界の根幹を成す『魔力』についてだった。
「まず大前提として、魔力というものは己の『レベル』を上げねば獲得できん。器が小さければ、宿るものも宿らんということじゃ」
「レベルがなければどれだけ魔力を得たとて上限に引っかかり、頭打ちじゃ。だから解放するためにいろんなことをせねばならん」
「あの、すみません、そもそも『レベル』って何なんですか?」
「それを知らなくて……」
疑問を口にすると、老人は頭を抱えた。
「誰じゃ、誰に教えられたんじゃ。まず常識を教えることすらせずに、魔術を教えようとしたバカの名前は何だ!」
部屋に、怒号が轟いた。
その老いぼれのどこに大声を出す力があるのか。
その答えは、室内でさえも外さないローブの下にあった。
「あ、えっと案内人になってるのはカミールさんです」
「髪は黄色で……あと美人です」
「カミール……ええと、どちら?姓がフェルナンドの方か?」
「あ、女性の魔術師で……たしか飛行と火球の二つを使ったりしてました」
「おっと、分かった。フェルナンドだな。」
「声を荒らげてしまったな、すまぬ、話を戻そう。」
「他種族を倒すことで手に入る『魂の力』。それがレベルの正体じゃ。これを取り込むことで、初めて肉体が魔術師になるために変化し、魔力を生み出す内臓が体内で育ち、新しい臓器に血が盛んに流れるようになる。」
「この時に腹筋や背筋が足りていないと歩行や呼吸の妨げになるのじゃ。」
「眠たくもなる、屈んで床に落ちたものを取ろうにも圧迫感で膝をつくことになる。」
「八ヶ月かけて大きくなるからの、猶予は少ない。レベルを上げるなら計画的に、ということじゃのう。」
その言葉の響きに、俺の背筋に冷たいものが走る。
「まぁ、魚や動物を毎日とにかく食いまくることでも、間接的にその魂を吸い上げ、レベルを上げることはできる。だがな、自分で直接息の根を止めておらん以上、効率は最悪じゃ。一生かかっても雀の涙ほどしか上がらんて」
なるほど、それなら地道に狩りをするか、家畜を屠殺する仕事にでも就けばいいのだろうか。
他種族とは、魔王を筆頭に人類と長年血で血を洗う戦いを続けている魔族や魔物のことだけを指すのではないらしい。文字通り『自分以外の全ての種族』――つまり、野生の獣や魚、鳥に至るまで、命あるもの全てが対象なのか?
そう考えた俺の思考を、老人は容赦なく打ち砕いた。
「しかしじゃ。お主のような『異界人』……つまるところ地球人は、生まれながらにしてその輪から完全に除外されておる。
「赤子でさえ持ちうる臓器を最初から持ちえない。つまり、儂が知る限りだが、レベルを上げて魔力が成長するということもないのォ。」
「どれだけ敵を倒そうが、どれだけ肉を喰らおうが、レベルを上げることはできん。お主らの魂や肉体には、こちらの世界のシステムを受け入れる『フック』が最初から備わっておらんのじゃよ」
食物由来、討伐由来。そのどちらの方法も、俺たち地球人には完全に封じられている。
つまり普通にいけば、俺はこの世界で一生、魔術のマの字も使えない無能のまま、ただの一般人として野垂れ死ぬ運命だったわけだ。
じゃあ、なぜ今俺がこうして魔術についてのレクチャーを受けているのか。
老人は、ニヤリと意味深な笑みを浮かべた。
「だが、例外がある。この世界を支える『世界樹』に由来する力を直接取り込むことで、追加の魔力と、魔術を扱うための『直感性』を獲得できるのじゃ。」
「異界人ならギフトの授与がまず先じゃが、世界樹は魔術がうまく使えるように補助してくれる。」
「しかもこれはレベルアップという段階を経ていなくとも、世界樹との接続によって即座に得られる。」
「魔力容量が増加する八ヶ月の間に修行を積み、魔力の噴射を徹夜で行使し続けるようなことさえも、省ける。」
「メリットだけではないが、いわば魔術師として大成するまでの時間を大幅に短縮できる近道とやらじゃの。」
そこで俺は、ハッと気づいて自分の手を見つめた。
(まさか、さっき俺が握手させられた、あの不気味な手)
(木なのか?いや、血管のような……)
しかし、今ので分かった。
自分がどれほどとんでもない価値の奇跡に触れてしまったのかを理解し、俺はごくりと唾を飲み込んだ。
だが、話はそこまで甘くなかった。老人の表情が、急に真面目な、どこか哀れみの混じったものに変わる。
「さて、ここからが本題じゃ。実は……お主ら異界人は、世界樹との接続でしか魔力を獲得できん。」
「それはつまり、自前の魔力を溜め込める器を持っておらず、レベルを上げても世界樹と接続しない限り器が成長しないということ。」
「え……? それじゃあ、実戦じゃ使い物にならないんじゃ……」
「そう、よく気づいた。だからこそじゃ――」
老人は立ち上がり、俺の胸元を太い指で小突いた。
「魔術の訓練はひとまず途中で止めろ。そんなことより、とにかく今は筋肉を鍛えろ」
「……えっ?」
あまりにも脳筋なセリフに、俺の思考が停止する。今、魔法のレクチャーを受けていたはずでは?
「まずこの世界の常識としてな、まず強靭なフィジカルがなければ、一流の魔術師としては絶対にやっていけんのじゃ。魔力が切れたら即座にただのカカシになるようでは、戦場では一秒も持たん。」
「どれだけ走ると思っておるのじゃ。それに、呪文を編むにも肉体の体力が要る」
「腹式呼吸に、安定した走りの型も……魔術師にとって最も重要な部位は頭ではない。足じゃ! 」
「はあ……。具体的に、どれだけのことができれば『最低限』なんですか?」
恐る恐る尋ねる俺に、老人は笑顔で告げた。
「最低限欲しい運動能力は、息を切らさず三分間は『全力疾走』できること。そして、重い装備を背負って五時間以上ぶっ続けで歩ける『脚力』じゃな。話はそれからじゃ」
窓の外には、照りつける太陽の下、どこまでも続く広大な砂浜が広がっていた。波の音が激しく聞こえる。
「さあ、善は急げじゃ。効率よく足腰を鍛えるために、今からあの砂浜を毎日、日が暮れるまでひたすら往復してもらうぞ。ほら、ぐずぐずするな。走る準備をするぞ!」
「まずは西の地平線から東の地平線までの、あの旗の間を往復してもらおう。この小屋はちょうど真ん中じゃから、よく見えるわい」
こうして、俺の輝かしい異世界魔術師ライフは、足がもつれる砂浜での地獄の猛特訓から幕を開けることになったのだった。