異世界に来たら先人が魔王軍に寝返りまくってたので日和見してみる 作:匿名の筆者
砂浜での地獄のランニングとウォーキングを課されてから、どれほどの時間が経っただろうか。
城に戻ることなく、沿岸でずっと走っている。
バキバキに筋肉痛を起こした足を引きずりながら、俺はようやく次のステップへと進むことを許された。
照りつける太陽の下、波打ち際から少し離れた砂の上に立ち、俺はゴゴグガさんと向き合っていた。
ゴゴグガ――青いローブをまとったその老人の名前だ。およそ人間離れした、ひどくいかつい名前のわりに、彼の物腰や指導は驚くほど理性的で、理にかなったものだった。
「さて、基礎体力の最低ラインはひとまず良しとしよう。旗と旗の間を20分で走り切る。よくやったのォ、では次は、実際に魔力を動かす訓練じゃな」
ゴゴグガさんは白髭をしごきながら、俺の目をじっと見据えた。
「お主、魔力の『噴射』はできるかの?ああ、分かりやすく言えば……」
「イメージしてから魔術の形にするんじゃなく、ただの『魔力』そのものを、生のエネルギーのまま外へ押し出すことじゃ」
「魔術にしないで、魔力だけを出す……ですか」
言われた通りに目を閉じ、意識を内側へと向ける。
世界樹――あの柱から生えていた腕と接続したことで、俺の体の中には確かに、以前の地球にいた頃には存在しなかった『妙な熱源』のようなものが宿っていた。これが魔力というやつなのだろう、と漠然と推測で理解しただけだった。
ようやく分かった、熱量がうんぬんと言っていたものは、魔力を生み出す機関の名称だ。
教科書をジーッと見て勉強する、まさか異世界でもこんなことをやるなんて思わなかった。
それによれば、魔力の噴射は指向性を付け続ける必要があると。
俺は右手を前に突き出し、手のひら、そして指先へとその熱を集中させ、移動させていく。
完全にセンスだより……
イメージしないというのもなにか難しい。集中すればいつのまにか出来るという例もあるのォ、と、ゴゴグガさんは俺に声をかけた。
――シュウウウウウッ!
ピカッと光ると共に、激しい音がした。
目を開けると、俺の指先から、肉眼でも微かに空間が歪んで見えるほどの激しい、透明な突風が吹き荒れていた。
熱砂の揺らめきでもなく、俺の指先から出てきた風だ。
どのくらいの速度なのか、その感覚を掴むために、俺は何気なくその右手を自分の足元――つまり、地面に向けてみる。
ボッ! と激しい風が砂を叩きつけ、周囲にブワッと砂煙が舞い上がった。
しかし、期待したような劇的な変化は起きない。
「うわっ、ととと!」
ただただ巻き上がった砂が、履いているサンダルの中に大量に入り込んで不快なだけだった。
噴射だけでは【飛行】のように、魔力の反動で自分の体がふわりと浮くような浮遊感は、ちっとも、一ミリたりともしなかった。
原理は同じはずなのに、不思議だ。
空を飛んでみたい、と思ったが。
すぐに疲労感が襲ってきた。
なんだ、この疲労感は。脳の新しい部位を使っているような頭痛がする!
そんな俺の頭を抱える不格好な様子を見て、ゴゴグガさんはふむ、と顎を引いた。
「うーむ。速度はやや遅いが、ずっと同じ流れを保っておるな。急激に強くなることも、途切れそうに遅れることもない。実に安定的で、いい魔力じゃ。」
「異界人の割には、出力のコントロールの筋が良い、これは誤解するのも訳無いな」
(誤解?)
「本当ですか! じゃあ、これで――」
褒められて少し調子に乗りかけた俺だったが、次の瞬間、ゴゴグガさんの目が信じられないほどの鋭さでギラリと光った。その凄まじい威圧感に、俺の言葉は喉に張り付く。
「けれど、な」
ゴゴグガさんは一歩、俺に歩み寄った。その声は低く、地を這うような重さを含んでいる。
「次からは、儂が良いと言うまで、絶対にその指先を『下』に向けてはならんぞ。出すときは必ず、水平か、あるいは斜め上に向けるんじゃ。わかったな?」
「あ、はい……? 下に向けると、何か危ないんですか?」
サンダルに入った砂を、トントンと払いながら尋ねる俺に、ゴゴグガさんは今までにないほど真剣な、どこか恐れすら孕んだ表情で、俺の肩をガシッと掴んだ。
「真下と斜め下には、絶対に、絶対に、絶対に……絶対にじゃぞ? 何があっても『絶対』に向けてはならん。これは忠告ではない、命令じゃ」
複数回も絶対と繰り返すその異様な執念に、俺は生唾を飲み込み、コクコクと激しく首を縦に振るしかなかった。
理由は分からない。だが、世界樹から貰ったこの魔力を真下に放つことが、何かヤバいということを熱烈に伝えてくる。
理由を教えないのはなぜだろう、と思いはした。
ひとしきり俺に釘を刺した後、ゴゴグガさんはふう、と息を吐き、いつもの理性的な老魔術師の顔に戻った。
「……コホン。話を戻そう。いいか、魔力の噴射というのは、これから先あらゆることを行うための基礎中の基礎じゃ。お主がこれからどんな道に進むにしても、まずはこの『練っていない生の魔力を外に引きずり出す』という行為に、お主の魂と肉体を馴染ませねばならん」
ゴゴグガさんは、俺の突き出した右手をじっと見つめる。
「魔力をただ出し続ける。それ自体が、お主にとっては最大の訓練じゃ。だが、それだと効率が悪く、魔力の消費が激しくてすぐに魔力が尽きる。」
「魔力切れ寸前になっているのだろう?その頭痛はな、短時間に魔力容量の半分を失った時の頭痛だ」
「じゃが、魔力切れの頭痛を味わいたくないからと言って、節約はしなくとも良い。儂が魔力を君に流す。」
「この杖を握っていろ、世界樹の樹皮から削り出した杖じゃ」
杖の頭を、言われたままに左手で握る。
ゴゴグガ老師は、その杖を両手でしっかりと持っていた。
頭痛がスーッと、一瞬で引いていく。
熱が左手から入って、来れば来るほど頭痛が引いていく。
「魔力の噴射を行いなさい」
ヒューッと、風切り音が指先から流れる。
五本の指先からずっと出していると、不気味な感覚があることに気がついた。
左手からエネルギーが入ってきて、右手にエネルギーが流れていく……まるで、放水管が体の中にあるみたいだ。
管みたいな通路が両手にあって、肩から肩へと繋がり、魔力が一方向に強く流れている、そんな感覚だった。
「このまま握っていれば、君の肉体が魔力切れになることはない。」
「お主が使っている分の魔力を、儂の回復速度が上回っている。この訓練が無意味になるまでこの負荷を継続する……するのだが、そういえば君は卵から卵黄を取り出し、余った卵白を解き混ぜたことはあるか?」
「えっと、メレンゲなら作ったことがありますけど……」
突然の料理の話に戸惑う俺に、ゴゴグガさんは我が意を得たりと頷いた。
「そうか、なら卵白を魔力として例に出してみよう。卵白をしっかりと練れば、菓子に使うものになるな。口どけがよく、砂糖を入れればふんわりと甘く美味なメレンゲになる。」
「魔力を『練る』という行為は、この卵白をかき混ぜることに非常に近い。魔力を加工して、魔術という完成された菓子に変えるまでの、工程の第一段階のようなイメージじゃな。」
「だが、あえて練らなければ、卵白はただのドロドロとした卵白のままじゃ。ここまではわかるか?」
いきなりの講義に、目を丸くしながら聞く。
「ええと、はい。つまり、今の俺が出しているのは、泡立てる前の、ただのドロドロした卵白ってことですね」
「うーむ、まあ実にその通りじゃ。今はその卵白を、ただひたすらに外へ流し続ける。正しい『流速』を覚えるのじゃ。」
「生の魔力のまま外に出すというのはのォ、異界人にとっていちばんキツくない訓練じゃろう?」
「右から左へ受け流すように、他人の魔力を馴染ませていく。」
「この感覚を掴め、とにかくこの速度を覚えるんだ。」
「魔力の流速なら、水で例えても良いな。」
「険しい山岳を流れる山河は、それだけ流速が早くなる。平原を流れる大河ならば、それだけ流速が遅くなる。」
「細くすれば早く、太くすれば遅く。」
「角度を着けるようにイメージするか、川の幅を変えるようにイメージするか、難しいところじゃがの」
「さあ、減った分は儂がいくらでも補填してやる。空っぽになるのを恐れず、出し続けい!」
「この速度があれば、この速度で魔力を噴射できる。」
「どのくらいの風が吹くか?どのくらいの反発を感じるか?」
「その体験を積み重ねるようにして、これからもっともっとお主を鍛える。派手な魔術は今のところ教えてやれないが、しっかり堅実に鍛えてやるぞ!」
岸の砂浜で、風を指先から流しながら歩く二人組。
その様はまるで翁とその孫のようであるが、実のところ師弟であった。
君、お主。
師匠、老師。
その呼び合いが、わずかな時間でどれだけ深い絆を築いたかを表徴していた。