/*/ シャフト・エンタープライズ・ジャパン 本社会議室 /*/
会議室には、専務、常務、事業部長、法務、技術部門の責任者たちが揃っていた。
議題は、ASURAの商品化計画。
そして、その実証機であるタイプJ-9、グリフォンについて。
壁面モニターには、東京レイバーショウでの映像が映っている。
黒いレイバーが、特車二課二号機を一撃で沈める。
イングラム・エコノミーを、ほとんど同じ手順で行動不能にする。
そして、背部ユニットを展開し、空へ飛び去る。
会議室の空気は、重い。
だが、内海だけは、いつものように薄く笑っていた。
「さて。本日はもう一つ、皆さんにご紹介したいものがあります」
専務の一人が、警戒した目で内海を見る。
「今度は何だね」
「グリフォンのテストパイロットです」
扉が開いた。
黒崎に付き添われて、小柄な少年が入ってくる。
褐色の肌。
大きな目。
年齢は、どう見ても十歳そこそこ。
会議室が、一瞬で凍った。
内海は、まるで新製品のプレゼンでもするように朗らかに言った。
「バドリナート・ハルチャンド。通称、バド。タイプJ-9グリフォンのメインパイロットです」
沈黙。
そして、ざわめき。
「子供じゃないか」
「何歳だ」
「十歳前後に見えるぞ」
「内海君」
徳永専務が、ゆっくりと口を開いた。
声が低い。
「はい?」
内海は笑顔のまま振り返る。
「労働基準法って知っているか?」
「知っていますよ」
「それが何か、ではないぞ」
「それが何か?」
内海は本当に不思議そうな顔をした。
徳永専務のこめかみが、ぴくりと動く。
「君は今、子供を高性能レイバーのテストパイロットとして紹介したんだ」
「ええ。現状、ASURAがまだ十分に小型化できていません。グリフォンのコックピットと制御補助系の都合上、搭乗者は小柄な子供に限られます」
「だから子供を乗せた、と?」
「はい」
会議室の空気が、さらに悪くなった。
法務担当が顔を覆いかける。
技術部門の何人かは、ASURAの小型化という単語に反応しかけたが、目の前の法的問題が大きすぎて口を閉じた。
徳永専務は、低い声で言った。
「内海。君は、会社を何だと思っている」
「遊び場……いえ、失礼。技術革新の場です」
「今、遊び場と言いかけたな」
「気のせいです」
バドは、二人のやり取りを聞きながら、会議室を見回していた。
大人たちの顔。
怒り。
困惑。
責任回避の匂い。
そして、徳永専務。
バドは心の中で小さく息を吸った。
ここだ。
今、乗る。
グリフォンではなく、この場の空気に。
「ねぇねぇ、内海さん」
バドは無邪気な声を出した。
会議室の視線が、一斉に集まる。
「何かな、バド」
「徳永専務さんって、僕のお父さんなんやて?」
空気が、音を立てて割れた。
ざわっ。
誰かが椅子を鳴らした。
法務担当の手元からペンが落ちた。
徳永専務の顔が、目に見えて引きつる。
「な――」
バドは首を傾げる。
子供らしい顔で。
けれど、目だけは笑っていなかった。
「十年前、インドの娼館でハッスルした結果なんやて」
「な、な、な……!」
徳永専務の声が裏返った。
会議室がさらにざわつく。
「インド?」
「十年前?」
「専務、海外出張は確か……」
「黙れ」
徳永専務が絞り出すように言った。
だが、その声には力がなかった。
否定すればいい。
そんな事実はないと、即座に切って捨てればいい。
だが、できない。
心当たりがあった。
十年前。
インド。
出張。
接待。
夜。
覚えていない、と言い切れない程度には覚えている。
バドは、さらに畳みかけた。
「本人は知らずに帰国して、その後に生まれた僕はパレットに回収されたって聞いたで?」
内海が、口元を手で押さえた。
笑いを堪えている。
黒崎は無表情だった。
ただし、その目は明らかに「これは誰が仕込んだ」と言っていた。
内海ではない。
バド本人だ。
バドは、徳永専務をじっと見つめた。
「僕、よう分からへんけどな。内海さんが、会社でちゃんと紹介してくれるって言うから来たんや」
徳永専務は、口を開けたり閉じたりした。
「わ、私は……そんな……」
「違うん?」
バドは、あくまで子供の声で聞いた。
「ほな、僕は誰の子なん?」
会議室が静まり返った。
重い。
あまりにも重い質問だった。
もちろん、嘘である。
全部、バドのでっち上げだ。
徳永専務と血の繋がりなどない。
十年前の出来事も、バドが黒崎の資料と内海の雑談と社内噂から組み立てた即席の罠に過ぎない。
だが、罠としては十分だった。
専務本人に否定しきれない心当たりがある。
周囲も、それを見てしまった。
この瞬間から、バドはただの「違法に使われた子供パイロット」ではなくなった。
徳永専務の隠し子かもしれない少年。
しかも、シャフトの極秘プロジェクトの中核にいる少年。
扱いを間違えれば、会社にも専務にも火がつく。
内海が、朗らかに言った。
「いやあ、感動的な再会ですね」
「内海!」
徳永専務が怒鳴った。
「はい?」
「君が仕組んだのか!」
「まさか。僕も今、初めて聞きました」
嘘だった。
いや、厳密には本当だった。
内海も、ここまでの爆弾発言は聞かされていなかった。
バドが何かやるとは思っていた。
だが、ここまでやるとは思っていなかった。
だからこそ、内海は本当に楽しそうだった。
「バド」
黒崎が低く言った。
「何です?」
「その話は、誰から聞いたのです」
「いろんな人」
「具体的には」
「子供やから忘れた」
会議室の何人かが、顔を引きつらせた。
黒崎はしばらくバドを見ていた。
バドは、無邪気な顔で見返した。
勝負。
これは勝負だ。
アルフォンスと戦う前に、自分が捨てられないための勝負。
ASURAが商品になる。
グリフォンが実証機になる。
その時、子供の自分は危険な証拠品になる。
だから、自分をただの証拠品ではなく、誰かの責任にする。
できれば、会社の偉い人間の責任に。
徳永専務は、額に汗を浮かべていた。
「待て。仮に、仮にだ」
その言葉が出た瞬間、会議室の空気がまた揺れた。
仮に。
否定ではない。
徳永専務は、自分で逃げ道を狭めた。
「仮に、何らかの関係があったとしても、それとこのプロジェクトとは別問題だ」
法務担当が小さく呻いた。
最悪の言い方だった。
バドは内心でガッツポーズを取った。
外側では、不安そうな子供の顔を作る。
「ほな、僕、ここにおってええん?」
徳永専務は詰まった。
「それは……」
内海が助け船のような顔で、しかし完全に火に油を注ぐ声で言った。
「専務。現在、ASURAの実証にはバドが不可欠です。グリフォンの操縦ログ、イングラム起動データとの比較、今後の商品化計画。彼を失うことは、事業上も大きな損失になります」
「君は黙っていろ」
「はい」
内海は黙った。
笑顔のまま。
黒崎が静かに補足した。
「現実的な問題として、バドの身分と保護体制を整理する必要があります。現状のままでは、警察・労基・入管・児童福祉、いずれの観点からも危険です」
会議室の全員が、黒崎を見た。
冷静すぎる正論だった。
徳永専務は、椅子に深く座り直した。
「……法務」
「はい」
「この件は、外に漏らすな」
「当然です」
「バドリナート君の身元確認と、保護名目を検討しろ。海外子会社経由でも、研究協力者でも、何でもいい。違法就労の形にはするな」
法務担当が、青い顔で頷いた。
「承知しました」
「それから」
徳永専務は、バドを見た。
まだ混乱している。
まだ疑っている。
だが、もう完全には切り捨てられない。
「君は……その……私を父親だと聞かされたのか」
バドは、ぱちぱちと瞬きをした。
「うん」
「誰に」
「覚えてへん」
「そうか……」
徳永専務は、両手で顔を覆いそうになった。
内海は限界だった。
肩が震えている。
「内海」
「はい」
「笑うな」
「はい」
「笑っているだろう」
「心の中で」
「外に出ている」
「失礼しました」
バドは徳永専務に向かって、少しだけ頭を下げた。
「徳永専務さん」
「何だね」
「僕、グリフォン乗れるで。ASURAのテストもできる。ちゃんと役に立つから、廃棄せんといてな」
その一言で、会議室の温度が変わった。
廃棄。
子供の口から出ていい言葉ではない。
徳永専務の表情が、わずかに歪んだ。
心当たりがあるとかないとか、それ以前の問題だった。
この少年は、自分が捨てられる可能性を理解している。
そして、それを避けるために、この場で嘘か本当か分からない爆弾を投げ込んだ。
徳永専務は、長く息を吐いた。
「……誰も、君を廃棄などとは言っていない」
「ほんま?」
「少なくとも、会社の会議でその言葉を使うな」
「分かった」
バドは素直に頷いた。
内海が、楽しそうに言う。
「よかったね、バド」
「うん。徳永専務さん、黒崎さんより甘そうや」
黒崎が無言でバドを見た。
会議室の何人かが咳き込んだ。
徳永専務は頭を抱えた。
「内海」
「はい」
「この子に、余計な知恵をつけたのは君か」
「いいえ」
内海は笑った。
「この子は、自分で賢くなったんです」
バドは、にこりと笑った。
子供らしく。
無邪気に。
そして、完全に計算ずくで。
会議室の大人たちは、その笑顔に背筋を冷やした。
グリフォンのパイロット。
ASURAの鍵。
徳永専務の隠し子かもしれない少年。
そして、廃棄されないためなら会議室ごと罠にかける子供。
内海は、心底嬉しそうに呟いた。
「いいねえ、バド」
黒崎だけが、静かに目を伏せた。
問題は増えた。
だが、バドの身柄は、今この瞬間から単なる消耗品ではなくなった。
バドは椅子に座り、足をぶらぶらさせながら思う。
まずは一手。
これで、すぐには捨てられない。
次はASURAの商品化に噛む。
その次は、アルフォンス。
そして、勝った後の居場所。
ゲームはまだ続く。
バドは、小さく笑った。
自分の全部を賭けた遊びは、こうでなくてはならない。