/*/ シャフト・エンタープライズ・ジャパン 会議室前廊下 /*/
会議室の扉が閉まった。
中では、まだ役員たちがざわついている。
法務担当は頭を抱え、徳永専務は蒼い顔で秘書に何かを命じていた。
内海は、廊下に出た途端、肩を震わせた。
「いやあ、バド。君は本当に面白いねえ」
「笑いすぎや、内海さん」
バドは、何食わぬ顔で廊下を歩いている。
さっきまで会議室をひっくり返していた子供とは思えないほど、足取りは軽い。
黒崎は無言で後ろについた。
その顔はいつも通り冷静だったが、目だけは少し疲れていた。
「バド」
「何、黒崎さん」
「今の話、どこまで本気ですか」
「どの話?」
「徳永専務が父親だという話です」
バドは、きょとんとした顔をした。
「嘘に決まっとるやん」
黒崎は足を止めた。
内海がついに声を出して笑った。
「ははははは!」
「笑うとこちゃうで。真剣や」
「いや、真剣だから面白いんだよ」
黒崎は低く言った。
「笑い事ではありません。専務の名誉、会社の法務、バドの身分整理、全てに影響します」
「せやからええんやん」
バドは廊下の窓から外を見た。
東京のビル群が見える。
ガラスの向こうは綺麗な街だった。
インドの路地とも、香港の雑居ビルとも違う。
「日本の偉い人は、道徳教育が行き届いてるわぁ」
内海が笑いを堪えながら尋ねる。
「どういう意味かな」
「インドや香港やったら、『知らん』で切り捨てられるのに」
バドは小さな手をひらひらさせた。
「ここやと、会議室で子供が『廃棄せんといてな』って言うただけで、就労身分作る話になってもうたわ」
黒崎の目が細くなる。
「それを狙って言ったのですか」
「当たり前やん」
バドは即答した。
「僕、今はグリフォン乗れるから価値ある。ASURAのログも持っとる。でもアルフォンス倒して、ASURAが売れる形になったら危ない。表に出せへん子供パイロットなんて、証拠品や」
内海は、楽しそうにバドを見ている。
バドは続けた。
「せやから、証拠品から関係者に昇格せなあかん。できれば誰か偉い人の責任付きで」
「そこで徳永専務かい」
「ちょうど良かったんや。十年前にインド出張しとるし、顔見たら心当たりありそうやったし」
「君はいつ調べたのかな」
「内海さんの雑談と、黒崎さんが捨て忘れた出張者リスト」
黒崎の顔が、ほんの少しだけ険しくなった。
「捨て忘れてはいません」
「ほな、僕が拾うの上手かったんやな」
内海がまた笑った。
「黒崎君、一本取られたね」
「笑い事ではありません」
「うん。笑い事じゃない。だから面白い」
バドは、内海を見上げた。
「内海さんも気ぃつけや」
「僕も?」
「うん」
バドはにこっと笑う。
「僕、アルフォンスに勝つためなら何でもやるし、勝った後に捨てられんためにも何でもやるで」
黒崎が静かに言った。
「それは脅しですか」
「生存戦略や」
バドの声は明るかった。
だが、言っていることは明るくない。
「ゲームでもそうやん。ボス倒した後に仲間から裏切られるルートあるやろ。あれ、先にフラグ潰しとかんと詰むんや」
内海は、目を細めた。
「バド」
「何?」
「君は本当に、いい子になったねえ」
「良い子は会議室で偉い人に隠し子疑惑ぶつけへん」
「それもそうだ」
黒崎は深く息を吐いた。
「今後、徳永専務周辺には余計な発言を控えて下さい」
「嫌や」
「バド」
「だって、あの人、僕を切り捨てにくくなったやろ。たまに懐いといた方がええ」
「懐く?」
「うん。『専務さん、僕頑張るで』って顔しとけば、法務も身分も進むやん」
内海は感心したように拍手した。
「見事だ。愛玩動物の立場を利用した企業内生存術だね」
「嫌な言い方すんなぁ」
「褒めてるんだよ」
「信用あらへん」
廊下の向こうから、秘書が小走りで近づいてきた。
「内海課長。徳永専務が、バドリナート君の身元確認資料を至急提出するようにと」
黒崎が一歩前に出る。
「こちらで用意します」
「それと、当面の保護者扱い、滞在資格、研究協力者としての登録について法務と協議を始めるそうです」
バドは、にやりと笑った。
「ほらな」
秘書はその笑顔を見て、なぜか少しだけ後ずさった。
内海は、軽くバドの頭に手を置いた。
「よかったねえ。就労身分ができそうだ」
「うん」
バドはされるがままになりながら、窓の外を見た。
この世界はリアルだ。
ゲームみたいにロードはできない。
人買いに売られた子供は、普通ならそのまま消える。
でも、ここは日本の大企業だ。
会議室があり、法務があり、専務がいて、体面がある。
なら、それを使う。
「まずは一手や」
バドは小さく呟いた。
「これで、すぐには廃棄されへん」
黒崎が低く言う。
「その言葉は使わないで下さい」
「じゃあ、保管?」
「違います」
「保護?」
「それです」
「ほな、保護されるために頑張るわ」
内海は、また楽しそうに笑った。
「頑張る方向がずれている気もするけどね」
「ええやん。生き残らな、アルフォンスと遊べへん」
バドは振り返り、廊下の奥へ歩き出した。
「まずは身分。次にASURA。そんでグリフォン」
小さな背中が、楽しそうに揺れる。
「最後にアルフォンスや」
黒崎は、その背中を見ながら思った。
これは、ただの子供ではない。
ただの天才パイロットでもない。
内海が拾った玩具でもない。
使い捨てにされる可能性を理解し、それを避けるために大人の会議室を利用する子供。
内海は、その横で心底嬉しそうに呟いた。
「本当に、いい拾い物をしたなあ」
黒崎は答えなかった。
ただ、今後の書類仕事が増えることだけは、はっきり分かっていた。