転生バドは勝利を夢見る   作:ぶーく・ぶくぶく

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名優バドリナード

/*/ シャフト・エンタープライズ・ジャパン 専務応接室 /*/

 

 

 

 DNA鑑定の結果は、予想通りだった。

 

 親子関係なし。

 

 徳永専務は、封筒から取り出した鑑定書を机の上に置いた。

 

 まず、安堵があった。

 

 やはり違った。

 

 あの子供は自分の子ではない。

 

 十年前のインド出張の記憶が、どれほど後ろ暗いものであれ、少なくともバドリナート・ハルチャンドとは繋がっていなかった。

 

 だが、その安堵は長く続かなかった。

 

 目の前のソファに、バドが座っている。

 

 小さな身体。

 

 膝の上で握られた手。

 

 不安そうに揺れる視線。

 

 内海はいない。

 

 部屋にいるのは、徳永とバド、そして少し離れて立つ黒崎だけだった。

 

 徳永は、できるだけ事務的な声を作った。

 

「鑑定結果が出た」

 

 バドは、びくりと肩を揺らした。

 

「……うん」

 

「結論から言う。私と君の間に、親子関係は認められなかった」

 

 バドは黙った。

 

 その顔から、血の気が引いていく。

 

 大きな目が、ゆっくりと伏せられる。

 

「……やっぱりなぁ」

 

 小さな声だった。

 

 徳永は眉をひそめる。

 

 バドは、唇を噛んだ。

 

「僕、騙されてたんや」

 

「騙されていた?」

 

「うん」

 

 バドは、泣きそうな顔で笑った。

 

 笑おうとして、失敗したような顔だった。

 

「内海さんに……『お前の父親は日本の偉い人や』って言われて」

 

 黒崎の目がわずかに細くなった。

 

 徳永の表情が固まる。

 

「内海が、そう言ったのか」

 

「うん」

 

 バドは小さく頷いた。

 

「ほんまかどうか分からんかった。でも、ちょっと嬉しかったんや」

 

 徳永は何も言えなかった。

 

 バドは膝の上の手をぎゅっと握る。

 

「僕、インドで拾われて、売られて、パレットに回されて、いろんなとこ行って……ほんまの親とか、よう分からへんから」

 

 声が震えた。

 

 完璧だった。

 

 あまりにも完璧すぎた。

 

 黒崎は、背中に冷たいものが流れるのを感じた。

 

 これは演技だ。

 

 少なくとも、半分以上は演技だ。

 

 だが、完全な嘘でもない。

 

 バドには戸籍がない。

 

 親も分からない。

 

 人買いに流された子供であることも事実。

 

 だから、この泣き顔には芯がある。

 

 嘘と本当が混ざっている。

 

 それが、一番たちが悪い。

 

 バドは徳永へ頭を下げた。

 

「ごめんなさい、専務」

 

 徳永の胸が、妙に重くなった。

 

「いや、君が謝ることでは……」

 

「僕、専務に迷惑かけたんやろ」

 

「それは」

 

「ごめんなさい」

 

 バドは、もう一度言った。

 

 今にも泣き出しそうな声で。

 

 そして、次の一言を落とした。

 

「僕、もうパレットに戻されるん?」

 

 室内の空気が凍った。

 

 徳永は、言葉を失った。

 

 パレット。

 

 人身売買組織。

 

 子供を選別し、教育し、商品として流す場所。

 

 その名前が、子供の口から当然のように出た。

 

 徳永は、鑑定書を見た。

 

 親子関係なし。

 

 それは事実だ。

 

 だが、だから何だ。

 

 この鑑定書をもって、目の前の子供にこう言えるのか。

 

 君は私の子ではない。

 だから知らない。

 元いた場所へ戻れ。

 

 言えるわけがなかった。

 

 少なくとも、この部屋で。

 

 少なくとも、黒崎の前で。

 

 少なくとも、あの会議室で隠し子疑惑を見た役員たちの記憶が残っているうちは。

 

 徳永は、自分がまた罠にかかったことを理解した。

 

 親子関係があると言われれば困る。

 

 だが、親子関係がないと分かっても困る。

 

 ここで切れば、情のない男になる。

 

 ここで保護すれば、内海とバドの思惑に乗ることになる。

 

 どちらに転んでも、自分は自由に動けない。

 

「……パレットに戻すことはない」

 

 徳永は、絞り出すように言った。

 

 バドが顔を上げる。

 

「ほんま?」

 

「本当だ」

 

「僕、ここにおってええん?」

 

「当面は、会社が君の保護を継続する」

 

「僕、専務の子やないのに?」

 

 徳永は奥歯を噛んだ。

 

 そうだ。

 

 それを確認するな。

 

 だが、バドは確認する。

 

 あくまで、不安な子供の顔で。

 

 徳永は、ゆっくりと言った。

 

「親子関係の有無と、君を保護すべきかどうかは別問題だ」

 

 黒崎は、内心で頭を抱えた。

 

 言わされた。

 

 徳永専務は、自分の口で言わされた。

 

 これでもう、親子でないから切る、という道は塞がった。

 

 バドは小さく息を吐いた。

 

 安心したように。

 

 泣きそうな顔のまま。

 

「よかったぁ……」

 

 その声は、部屋の空気をさらに締めつけた。

 

 徳永は鑑定書を封筒に戻した。

 

「ただし、今後は不用意に私を父親と呼ぶな」

 

「うん。分かった」

 

「会議室でもだ」

 

「うん」

 

「内海にも、そう伝えておけ」

 

「内海さん、怒られる?」

 

 徳永の目が鋭くなった。

 

「当然だ」

 

 その瞬間、バドは少しだけ怯えたように肩をすくめた。

 

「怒らんといてあげて」

 

「何?」

 

「内海さん、悪い人やけど、僕にグリフォン乗せてくれたし、ゲームもさせてくれるし、僕のこと拾ってくれたから」

 

 徳永の内心に、別の怒りが湧いた。

 

 悪い人やけど。

 

 子供にそう言わせる関係。

 

 人買いから流れてきた少年を、玩具のように扱い、父親の夢まで吹き込み、役員会で利用する。

 

 徳永の中で、内海への評価がさらに一段沈んだ。

 

 もともと危険な男だとは思っていた。

 

 だが、これは違う。

 

 子供を使って自分を強請った。

 

 しかも、その子供に内海を庇わせている。

 

 徳永は、バドを見た。

 

 小さな少年。

 

 グリフォンのパイロット。

 

 ASURAの商品化に不可欠な存在。

 

 そして、内海に都合よく育てられた被害者。

 

 少なくとも徳永の目には、そう見えた。

 

「バドリナート君」

 

「バドでええよ」

 

「……バド」

 

「うん」

 

「君の身分については、こちらで正式に整理する。保護者、教育、医療、滞在資格。すぐに国籍というわけにはいかないが、会社として責任を持つ」

 

 バドの目が、わずかに潤んだ。

 

「僕、存在する人間になれる?」

 

 徳永は一瞬、言葉に詰まった。

 

 黒崎は、もう見ていられなくなってきた。

 

 これは演技だ。

 

 演技なのに、刺さる。

 

 徳永は、完全に刺されている。

 

「……そのための手続きをする」

 

「ありがとう、専務」

 

 バドは、深く頭を下げた。

 

 小さな背中。

 

 震える肩。

 

 だが、黒崎には見えた。

 

 膝の上で握られた手の親指が、ほんの少しだけ立っている。

 

 勝利のサイン。

 

 黒崎の胃が痛んだ。

 

 徳永は気づいていない。

 

 いや、気づかない方がいいのかもしれない。

 

 徳永は、完全に「哀れな子供を保護する大人」の立場へ追い込まれていた。

 

「黒崎君」

 

「はい」

 

「内海を呼べ」

 

「……承知しました」

 

「いや、今すぐではない。私が冷静になってからだ。今呼ぶと、殴りかねん」

 

「賢明かと」

 

 バドが小さく言った。

 

「内海さん、殴られるん?」

 

 徳永は苦い顔をする。

 

「殴りはしない」

 

「よかった」

 

「だが、今回の件については説明を求める」

 

「僕が勝手に言うたことやで」

 

「君は、そう思わされていただけかもしれない」

 

 バドは、きょとんとした顔をした。

 

 黒崎は視線をそらした。

 

 まずい。

 

 徳永専務は、バドの罠を内海の罠だと思っている。

 

 それも、子供を道具にする最悪の罠として。

 

 バドは、少し困ったような顔を作った。

 

「内海さん、悪い人やけど、そこまで悪くないと思うで」

 

 徳永は、はっきりと言った。

 

「そこまで悪い男だ」

 

 バドは黙った。

 

 黒崎の胃がさらに痛くなった。

 

 内海が聞いたら喜ぶだろう。

 

 間違いなく喜ぶ。

 

 徳永にそこまで悪い男だと思われていると知れば、あの人は笑う。

 

 そしてバドは、それすら計算に入れているかもしれない。

 

「バド」

 

「何?」

 

「君は、しばらく私の管轄で保護する」

 

「専務の?」

 

「そうだ」

 

「内海さんのとこ戻られへん?」

 

「戻すなとは言わん。ASURAとグリフォンの件もある。だが、内海に全権を預けることはしない」

 

 バドは不安そうに目を伏せた。

 

「僕、グリフォン乗られへんくなる?」

 

「それは別途判断する」

 

「アルフォンスと遊びたいんやけど」

 

 徳永は頭を抱えそうになった。

 

「その話も、別途判断だ」

 

「むぅ」

 

 その子供らしい不満顔に、徳永は少しだけ気が抜けた。

 

 だが黒崎は知っている。

 

 バドは、今のやり取りで十分な成果を得た。

 

 親子ではない。

 

 それでも保護される。

 

 徳永管轄に入る。

 

 内海単独の玩具ではなくなる。

 

 身分整理が進む。

 

 そして、ASURAとグリフォンの価値がある限り、会社はバドを切れない。

 

 完璧だった。

 

 完璧すぎた。

 

 黒崎は、わずかに額を押さえた。

 

「黒崎さん」

 

 バドが不意に声をかけた。

 

「何です」

 

「僕、専務に迷惑かけてもうたな」

 

「……そうですね」

 

「怒ってる?」

 

「誰がですか」

 

「黒崎さん」

 

 黒崎は、少しだけ沈黙した。

 

 怒っているか。

 

 違う。

 

 呆れている。

 

 恐れている。

 

 そして、少しだけ感心している。

 

「怒ってはいません」

 

「ほんま?」

 

「胃が痛いだけです」

 

 バドは、ぱっと笑いそうになった。

 

 だが、徳永の前だと思い出したのか、慌てて泣きそうな顔へ戻した。

 

 黒崎は、それを見た。

 

 徳永は見ていなかった。

 

 徳永は内線で法務部を呼んでいる。

 

「法務か。徳永だ。鑑定結果は出た。親子関係は否定された。だが、バドリナート君の保護手続きは予定通り進める」

 

 バドは、下を向いたまま静かにしている。

 

 黒崎だけに見える角度で、口の端がほんの少し上がった。

 

 計算通り。

 

 そう言っているようだった。

 

 黒崎は、静かに息を吐いた。

 

 内海という男だけでも手に余る。

 

 そこへ、内海を見て育った子供が加わった。

 

 しかも、その子供は自分が子供であることを武器にする。

 

 会議室を使い、鑑定結果を使い、徳永専務の体面を使い、倫理を使い、そして自分の悲惨な境遇すら使う。

 

 徳永は電話を終え、バドへ向き直った。

 

「バド」

 

「はい」

 

「君は、もうパレットには戻らない」

 

 バドは、今度こそ本当に少しだけ目を見開いた。

 

 その反応だけは、演技ではなかった。

 

「……ほんまに?」

 

「本当だ」

 

「絶対?」

 

「絶対、などという言葉は軽々しく使えん。だが、少なくとも私が管轄している間は、戻させない」

 

 バドは黙った。

 

 そして、小さく頭を下げた。

 

「ありがとう、専務」

 

 その声には、ほんの少しだけ本物が混じっていた。

 

 黒崎は、それを聞き分けた。

 

 徳永は、おそらく全部本物だと思った。

 

 それでいいのかもしれない。

 

 バドは計算した。

 

 だが、救われたいのも本当だ。

 

 徳永は騙された。

 

 だが、保護すると決めたこと自体は間違いではない。

 

 黒崎は、そう自分に言い聞かせた。

 

 でなければ、胃痛だけでは済まなくなる。

 

 その時、応接室の扉が軽く叩かれた。

 

 秘書の声がする。

 

「内海課長がお見えです」

 

 徳永の表情が、一気に険しくなった。

 

「通せ」

 

 黒崎は、胃の奥がさらに重くなるのを感じた。

 

 バドは、慌てて目元を袖でこすった。

 

 泣いた後の子供の顔を作るために。

 

 扉が開く。

 

 内海が、いつもの薄ら笑いで入ってきた。

 

「いやあ、お呼びですか、専務」

 

 徳永は低く言った。

 

「内海。君には、聞きたいことが山ほどある」

 

 内海はバドを見た。

 

 泣きそうな顔。

 

 徳永の硬い表情。

 

 黒崎の胃痛顔。

 

 それだけで、だいたいの事情を察した。

 

 そして、心底嬉しそうに笑った。

 

「……なるほど」

 

 バドは、内海にだけ見える角度で小さく舌を出した。

 

 内海の笑みが深くなる。

 

 黒崎は思った。

 

 この二人を同じ部屋に置いてはいけない。

 

 だが、もう遅かった。

 

 徳永専務とバドの化かし合いは、親子鑑定で終わらなかった。

 

 むしろ、ここからが本番だった。

 

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